冷たい床に叩きつけられた衝撃で、ソラは意識を取り戻した。
 身を起こして周囲を見渡す。そこは先ほどまでいたレンガ通りでも、見慣れた学校でもなかった。
 薄暗い空間の中に、太く古い木製の柱が規則正しく並んでいる。床は使い込まれた板張りだ。空気は重く、息を吸い込むだけで胸が圧迫されるような苦しさがある。まるで巨大な古い道場の中に閉じ込められたようだった。

「ここは……どこ……?」

 不安に震える声で呟くソラ。そのすぐ隣で、コウが油断なく周囲を警戒していた。
 彼の右手には、見慣れない奇妙な武器が握られている。
 刃のついた碇のような形状をした、機械仕掛けの武器だ。

「コウ先輩、その武器は……それに、ここは一体……」

 混乱するソラが矢継ぎ早に質問を投げかける。
 しかし、コウがその問いに答えることはなかった。
 道場の暗がりから泥をすするような湿った音が、複数響いてきていたからだ。
 床の影から這い出してきたのは、獣の骨と泥を混ぜ合わせたような異形の怪異たちだった。
 鋭い牙を剥き出しにし、明確な敵意を持って二人を包囲する。

「詳しい説明はここを出てからだ!」

 コウはソラを自分の背後に庇うように立ち、武器を強く握り直した。
 怪異が床を蹴り、低い姿勢でコウの足元へと飛びかかってくる。
 コウの反応は速かった。怪異の飛びかかりを最小限の歩幅で横へ躱し、すれ違いざまに武器の刃を怪異の胴体へ深く振り下ろす。
 刃が怪異の身体を両断し、怪異は黒い霧となって霧散した。
 間髪入れずに別の怪異が背後から襲いかかってくる。コウは振り返ることなく武器の柄を後方へ突き出し、怪異の頭部を正確に打ち抜く。怪異が怯んだ隙に身を翻し、横薙ぎの一閃で二体目を切り裂いた。
 無駄がない、洗練された動き。
 次々と襲い来る怪異たちを、コウは的確な判断と素早い身のこなしで確実に処理していくのだった。


  ◆


 周囲から完全に怪異の気配が消え去ったのを確認して、コウは小さく息を吐くと手にした武器を下ろす。

「怪物は……いなくなったんですか……?」

 背後で縮こまっていたソラが、おずおずと尋ねる。

「ああ。当面は大丈夫だ。だが、まだ安全とは言えない」

 コウは奥へと続く薄暗い通路を見つめながら答えた。
 ソラを不安にさせまいと表情を取り繕いながら、コウは現在の状況を冷静に分析していた。
 怪異がいる以上、ここが異界であることは間違いない。
 自分一人であれば、このまま迷宮の奥へ進んで原因を探ることもできるだろう。
 しかし、ソラを守りながら未知の迷宮を探索するのは、あまりにも危険すぎる。
 万が一、さきほどの怪異よりも強力な個体が現れれば、ソラを庇いきれない可能性があった。
 そう考えたコウは決断を下し、ソラに向き直る。

「ソラ。俺たちはここで、救助を待つ」

 このまま自分たちが戻らなければ、リィンたちが気付いてくれるはずだ。
 助けが来るのを待つのが、最も安全で確実な選択だと考える。

「救助って……誰かが助けに来てくれるんですか?」
「ああ。俺の知り合いで、こういう事態に慣れている連中がいるんだ。だから、ここで息を潜めて――」

 コウが言い終わるよりも早く。
 迷宮のずっと奥深くから、甲高い女性の悲鳴が響き渡った。

「きゃあああっ!」

 悲痛な叫び声だった。そして、その声には聞き覚えがあった。

「いまの声……チアキ先輩!?」

 ソラの顔色が一瞬で青ざめる。

「おい、ソラ! 待て!」

 コウの制止を振り切り、ソラは悲鳴が聞こえた通路の奥へと一目散に駆け出していった。
 危険な異界の中を、ソウルデヴァイスを持たない一般人が一人で走り回るなど自殺行為に等しい。

「くそっ!」

 コウは激しく舌打ちをすると、武器を構え直し、急いでソラの小さな背中を追いかけた。


  ◆


 迷宮の通路には、先ほどと同じ怪異が多数徘徊していた。
 コウは前方を走るソラに危険が及ばないよう、立ち塞がる怪異たちを全力で蹴散らしていく。
 武器を振り回し、時には強引に体当たりで怪異を弾き飛ばしながら、ソラの背中を見失わないように必死で走り続けた。

(どういうことだ? こいつら、ソラを無視して俺の方にばかり……)

 徐々に違和感を覚えるコウ。怪異の動きは明らかに、自分たちを奥へと誘導している節がある。
 いや、正確にはソラを奥へと、いざなっているように見えた。
 やがて、通路が開け、一際広い空間へと出た。
 そこは迷宮の入り口と同じような道場の形をしていたが、規模が格段に大きかった。
 そして、その空間の中央に、一人の女生徒が立っていた。

「チアキ先輩!」

 ソラが安堵の声を上げ、真っ直ぐに彼女の背中へと駆け寄ろうとする。
 道着姿のチアキは、顔を俯かせ、うなだれるようにしてじっと立ち尽くしていた。
 その背中を見た瞬間、ようやく追いついたコウの全身から粟が立った。
 コウの研ぎ澄まされた感覚が警鐘を鳴らす。

「待て、ソラ!! 近づくな!!」

 コウは叫びながら、全力で地面を蹴った。
 ソラの身体に勢いよく飛びつき、そのまま横方向へと強引に突き飛ばす。
 直後、ソラが先ほどまでいた空間を、鋭い風切り音が通過した。
 チアキの放った回し蹴りだった。もしコウが突き飛ばしていなければ、ソラの頭部を直撃していたに違いない。
 床に転がったソラが、信じられないという顔でチアキを見上げる。
 振り返ったチアキの顔には、生気が全くなかった。
 瞳の焦点は定まっておらず、身体を覆うように黒い靄のような怪異の力がまとわりついている。
 チアキは再びコウたちの方へ向き直り、深く腰を落として空手の構えをとった。

「先輩……どうして……?」

 ソラが悲痛な声を漏らす。
 しかし、チアキの耳には届いていないようだった。
 チアキは無言のまま床を力強く蹴り、恐るべき速度でコウへと肉薄した。


  ◆


 チアキの拳が、空気を裂いてコウの顔面へと迫る。
 コウは咄嗟に武器の柄を盾にして防ぐ。
 鈍い金属音が道場に響き、コウの身体が後ろへと大きく押し込まれた。

(なんて重さだ……!)

 コウは腕の痺れに耐えながら、歯を食いしばる。
 チアキの攻撃は、単なる空手の技ではなかった。怪異の力によって身体能力が異常なまでに引き上げられている。踏み込みの速度、拳の重さ、蹴りの鋭さ、どれをとっても常軌を逸していた。
 チアキが休む間もなく連続で突きを放ってくる。
 コウは武器で軌道を逸らし、あるいは身体を捻って致命傷を避ける。完全に防戦一方だった。
 しかし、ソウルデヴァイスで反撃すれば、チアキを傷つける恐れがある。
 チアキを傷つけずに無力化しなければならないという制約が、コウの動きを大きく制限する。
 チアキが上段への突きを放つと見せかけ、鋭く沈み込んでコウの足を払う。
 体勢を崩したコウの腹部へ、チアキの重い掌底が叩き込まれた。

「がはっ……!」

 コウは肺の空気を吐き出しながら、床に激しく叩きつけられる。
 痛みに顔を歪めながらも、すぐに立ち上がろうと身をよじる。
 しかし、チアキの動きのほうが早かった。
 チアキはコウの頭上高くへと跳躍し、怪異の力を乗せた踵落としを全力で振り下ろしてくる。
 直撃すれば、ただでは済まない。しかし、ダメージでコウの身体はすぐに動かなかった。

(ここまでか……!)

 コウが覚悟を決めて目を閉じた、その絶体絶命の刹那。

「ダメえええええっ!!」

 悲鳴のような、しかし強い意志の籠もった叫び声が空間を震わせた。
 コウとチアキの間に、ソラが飛び込んできた。
 ソラは両腕を顔の前で交差し、チアキの凶悪な踵落としを正面から受け止めようとする。

「ソラ! 逃げろ!!」

 コウが悲痛な声を上げる。一般人のソラが受け止められるような攻撃ではない。
 しかし、ソラは一歩も退かなかった。
 チアキ先輩を傷つけたくない。でも、コウ先輩が傷つくところも見たくない。
 その強烈な想いが、ソラの限界を突破させた。
 空間に漂っていた光の粒子――霊子が、ソラの交差した両腕へと収束していく。
 眩い光が弾け、ソラの細い腕を覆うように、白銀に輝く手甲型のソウルデヴァイスが顕現した。
 重い衝撃音が鳴り響く。
 怪異の力を纏ったチアキの全力の踵落としを、ソラは新たに顕現した手甲で一歩も下がる事なく真正面から受け止めていた。




後書き
 ソラ覚醒。こうしてみると、コウも成長したなと思えますね。



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