※アスカの両親に関しては原作において名前が確認できないため、オリジナルの設定を設けています。あらかじめ、ご理解下さい。


「はじめまして、ヤマオカ技研からやってきた柊直史です」
「リィン・クラウゼルだ」

 白衣を纏った腰の低そうな眼鏡の男に握手を求められ、訝しげな視線を向けながら握手を返すリィン。
 そんなリィンの視線に気付き、ナオフミは首を傾げながら尋ねる。

「僕の顔に何か? 会うのは初めてですよね?」
「ああ、余り似てないなと思ってな」
「……似てない?」

 どういうことかと疑問に思った、その時。
 廊下の陰から、ひょっこりと顔を覗かせる亜麻色の髪に気付くナオフミ。
 そして目が合い、慌てて隠れる小さな陰に目を瞠って大きな声で名前を叫ぶ。

「アスカ!? どうしてここに!?」

 そんな父親の声に観念して、恐る恐ると言った様子で顔を覗かせるアスカ。
 バツの悪そうな顔で俯くアスカを見て、どういうことかとナオフミは説明を求めるようにリィンへ視線を向ける。

「俺の仲間が異界化に遭遇してな。その時、迷宮で保護したらしい」
「な――」

 驚きの余り声を失うナオフミ。
 娘が自分の知らないところで異界化に巻き込まれていたと聞かされれば、驚くのも無理はない。
 異界の研究に携わっているだけに、その危険性は誰よりも理解しているからだ。
 最悪の場合、命を落としていたかもしれないと考えると、動揺するなと言う方が難しかった。

「大丈夫なのか? どこか怪我は――」

 ハッと我に返ると、すぐにアスカのもとへ駆け寄るナオフミ。
 そんな父親に対して、微妙に照れ臭そうな反応を見せるアスカ。
 リィンたちが見ている前で恥ずかしいという思いの方が強いのだろう。
 そんなアスカの気持ちを察してか、

「ご安心ください。軽く診察をしましたが、どこも怪我はしていません。至って健康ですよ」

 様子を見守っていたエマが助け船をだす。
 エマの言うようにアスカが怪我を負っていないことを確認すると、ほっと安堵の息を吐くナオフミ。
 そして、

「すみません……恩人の前だと言うのに、取り乱してしまって」
「いえ、仕方の無いことだと思います。どうか、お気になさらないでください」

 ようやく冷静さを取り戻し、頭を下げて謝罪するナオフミに、エマは気にしなくて良いと首を横に振る。
 子を持つ親の気持ちを考えれば、ナオフミが取り乱すのも仕方のないことだと考えたからだ。
 とにかく無事で良かった。そう、安堵するナオフミだったが――

「そうそう、気にすることないよ。迷子になってるみたいだから一応連れてきたけど、シャーリィが助けなくても大丈夫だったと思うしね。そこそこ迷宮の化け物とも戦えてたみたいだし」
「ちょっ! それは内緒だって――」

 シャーリィの余計な一言で、如何に娘が危ないことをしていたかを思い知らされる。
 しかも、シャーリィの口振りから言って偶然巻き込まれたと言うよりは、何か目的があって迷宮に潜ったと考えるのが自然だ。
 怪異に対抗するには、ソウルデヴァイスを始めとした霊力を帯びた特殊な武器が必要となる。
 怪異と対等に戦えていたと言うことは、そうした武器を予め用意していたと言うことだからだ。
 まだ八つにも満たない娘の無謀な行動に呆れ、段々と怒りが込み上げてくるナオフミ。

「アスカ。どういうことか、説明してくれるかな?」

 いつもは見せない温厚な父親が発する怒気に、アスカは頬を引き攣るのだった。


  ◆


 八人乗りの大きなワゴン車。その後部座席に、涙目で頭を押さえるアスカの姿があった。
 普段は余り娘を叱ることのないナオフミだが今回ばかりは見過ごせないと、アスカの頭に一発――大きな拳骨を落としたのだ。
 下手をすれば死んでいたかもしれないのだから、ナオフミが娘の無謀な行動に怒るのも当然だった。

「皆さんには、ご迷惑をおかけしました。なんと御礼を言ったらいいか……」

 恐縮した様子で、何度も同じ謝罪を繰り返すナオフミ。
 そんな腰の低い彼の態度に溜め息を吐きながら、助手席に座っているリィンは「前を見ろ」と注意する。
 すると――

「な――ッ!?」

 前方から迫る車に気付き、慌ててハンドルを切るナオフミ。
 キィィィと甲高い音を響かせながらも、どうにかスピンを免れ、車は体勢を立て直す。

「あ、危なかった……すみません。皆さん、大丈夫で――」

 すか、と尋ねようとしたところで、まったく動じている様子のないリィンが視界に入り、ナオフミは逆に驚かさせる。
 それどころか、シャーリに至っては後ろの席で寝息を立てて熟睡していた。
 エマは事故を避けられたことに安堵しているみたいだが、それでも特別驚いていると言った様子は見られない。
 むしろ、目を回しているのはナオフミの娘――アスカの方だった。

「……話に聞いていた通りの方々みたいですね」

 恐らく車に何かあっても自分たちだけは大丈夫だという確信が彼等にはあるのだろうと、ナオフミは考える。
 いや、むしろこういったトラブルに慣れていると言った雰囲気すら感じられた。
 事前に話を聞いていたが、改めてリィンたちが普通≠ナはないことをナオフミは再確認するのだった。


  ◆


「所長のヤマオカです」

 研究所に着いたリィンたちを出迎えたのは、所長のヤマオカだった。
 にこやかな笑みで握手を求めて来るヤマオカに、リィンもスッと手を差し出す。

「爺さん、只者じゃないみたいだな」
「ハハ、皆さんほどではありませんよ」

 握手を交わしながら互いの実力を確かめ合い、ニヤリと笑う二人。
 ヤマオカがただの研究者などではなく、戦闘の方も相当に出来ることをリィンは見抜いていた。
 実際リィンが見抜いた通り、ヤマオカには実戦経験がある。
 何度も迷宮に潜ったことがあり、単独で怪異を討伐できるほどの腕前だ。
 それもそのはず。彼は異界研究の第一人者にして、ソウルデヴァイスに覚醒した『適格者』の一人だった。
 その実力は、組織内でも上から数えた方が早いほどだ。そんなヤマオカの目から見ても――

(これは、想像以上のようだ)

 リィンの力を完全に推し量ることは出来ないでいた。
 まるで人の姿をした怪異≠ニ向かい合っているかのようだと、ヤマオカは感じる。

「どうかしたのか?」

 そんなヤマオカの考えを見透かしているかのように、リィンは不敵な笑みを浮かべながら尋ねる。
 ピリピリと肌を突き刺すような空気が漂う中――
 二人の間に割って入ったのは、意外なことにナオフミだった。

「所長、そのくらいで。さすがにお客様を相手に失礼ですよ」

 アスカなどは完全に固まって身動きが取れなくなっているのに、自分たちの間に割って入ったナオフミにリィンは驚かされる。
 正直なところヤマオカと比べれば、ナオフミの実力はたいしたことはない。
 一般人に毛の生えたレベルだろうというのが、リィンの見立てだった。
 戦闘はからっきしの――生粋の研究者だと考えていたのだ。

(……なるほどな)

 確かにアスカの父親だと、ナオフミの評価を見誤っていたことを認めるリィン。
 実は力を隠していて、戦闘に長けていると言ったことは考えていない。
 その点に関して評価は変わらないが、少なくとも相応の覚悟を持った裏≠フ人間であることは間違いないと思ったのだ。
 いや、恐らくはそれだけではない。ナオフミからは慣れ≠フようなものを感じる。
 だとすれば――

(ゾディアックもそうだが、ネメシスもなかなかに侮れない組織のようだな)

 ヤマオカと同格か、それに近い実力者が他にも複数いる可能性が高いとリィンは考える。
 この世界のことを甘く見ていたつもりはないが、ソウスケといいヤマオカといい――
 技量だけで言えば剣聖クラス≠フ使い手とまみえるとは思ってもいなかったのだ。
 ここを日本だと思い込み、前世の知識に縛られて行動すると痛い目に遭うかもしれないと、リィンは気を引き締めるのだった。


  ◆


「迷宮に潜って一人で怪異を倒したんですって? さすがは私の子ね」

 ナオフミとは対照的に、アスカが怪異を倒したと聞いて喜ぶ女性。
 モデルと見紛うスラリとした長身が目を引く綺麗な女性だ。
 スニーカーに動きやすいパンツルックを好んで着ていることからも、活動的な女性であることが窺える。
 アスカの反応を見れば大凡の予想は付くが、念のためリィンはナオフミに女性の正体を尋ねる。

「ここの研究員と言う訳じゃなさそうだな。あの女は?」
「……妻のレイラです」

 溜め息を交えながら答えるナオフミを見て、やっぱりかとリィンは確信を得る。
 腰下まで届く長い亜麻色の髪。アスカと同じ青い瞳。
 並べて見ればよく分かるが、アスカとそっくりなのだ。
 恐らく成長すれば、アスカもこうなるのだろうという感じの美しい女性だった。

「キミがそんなだから、この子が調子に乗るんだ。無事だったから良かったものの下手をすると怪異に殺されていたかもしれないんだぞ?」
「大丈夫よ、アスカなら。才能もあるし、努力もしてる。将来、凄い執行者≠ノなるわよ」
「いや、アスカには学者の才能がある。僕の後を継いで、立派な研究者になれるはずだ」
「私の後を継ぐのよ」
「いや、僕のだ」

 娘の進路を巡って夫婦喧嘩を始めた二人に、リィンは呆れた視線を向ける。親バカは何処の世界も同じだと思ったからだ。
 それよりも気になったのは、アスカの母親――レイラが口にした『執行者』という言葉だった。
 リィンのよく知る執行者と言えば、当然〈結社〉に所属する一癖も二癖もある連中の顔が頭を過ぎる。
 性格に難はあるが、何れも超一流の使い手たち。共通することは、全員が心に闇を負っていると言うことだ。

「執行者って言うのは?」
「ん……ああ、ネメシスでは怪異と戦える高い戦闘力を持つエージェントのことを、そう呼んでいるのですよ」

 疑問に思ったことをリィンがヤマオカに尋ねると、そんな説明が返ってくる。
 さすがに別の世界のことなので〈結社〉と関係があるとは思っていなかったが、そういうことかとリィンは納得する。
 となれば、態々こんな場所≠ノまで連れてきて、彼女と引き合わせた理由も察しが付く。

「二人ともそのくらいにして、彼等に紹介したいからレイラくんもこっちへ来てくれるかな?」

 ヤマオカに声を掛けられ、しまったと言った表情でペコペコと頭を下げるナオフミ。
 一方で、値踏みをするような視線をリィンたちに向け、好戦的な笑みを浮かべるレイラ。
 そんな対照的な両親の姿に、いつものことと諦めてか?
 何か悟ったような表情で、アスカは溜め息を漏らしていた。

「柊レイラよ。アスカがお世話になったみたいね。礼を言うわ」

 そう言って胸を張るレイラを見て、アスカは母親似だなとリィンは思う。
 いや、意外と冷静に周囲を観察しているところがあるので、そういうところは父親と似ているとも言えるだろう。

「既に相手はやる気≠ノなっているみたいだが、実験と言うのは目の前の女≠ニ戦えば良いのか?」

 そう挑戦的な笑みを浮かべ、ヤマオカに尋ねるリィン。
 リィンたちが連れて来られたのは、周囲を白い壁に囲まれた実験場と思しき場所だった。
 小さな運動場くらいの広さはある。少々派手に動き回っても問題はなさそうだ。
 となれば、ソウルデヴァイスの実験というのも、内容はある程度の想像が付く。
 実戦データが欲しいのだろうと、リィンは考えたのだ。
 そして、恐らくは――

(俺たちのデータを取るのも目的の一つと言ったところだろうな)

 ヤマオカの思惑を察して、大方そんなところだろうとリィンは察しを付ける。
 別にそのことに文句を言うつもりはなかった。最初から予想できていたことではあるからだ。
 そもそも協力関係を結んだとは言っても、仲間になった訳では無い。あくまで一時的なものだ。全面的に信用されているなどと思ってはいなかった。
 実際、リィンもセイジュウロウに心を許した訳では無い。警戒しているのは、お互い様だ。

「……随分と余裕があるみたいね。私程度では、相手にならないと言うことかしら?」
「ああ、本気をだすまでもないな」

 リィンの徴発にプライドを刺激され、睨み付けるような視線を返すレイラ。
 リィンたちが相当の使い手だと言うのは見れば分かるが、それでも甘く見られて黙っていられるほどレイラは大人しい性格をしてなかった。
 レイラが発する殺気を感じ取って、これはまずいとヤマオカとナオフミが仲裁に入ろうとした、その時だった。

「ねえ、リィン。シャーリィがやってもいい?」

 シャーリィが間に割って入り、自分が戦うと言いだしたのだ。
 微妙な表情を浮かべながらどうしたものかと考え、リィンはシャーリィに確認を取る。

「言っておくが、殺し合いじゃないからな?」
「シャーリィだって、そのくらいちゃんと分かってるよ」
「殺さないように手加減できるのか?」
「うん」

 いま一つ信用できないが、取り敢えずシャーリィを信じてみるかとリィンは了承する。
 シャーリィが自分からやりたいと言ったのだ。
 下手に我慢をさせて後で暴走されるよりは、マシと考えたのだ。
 それを更なる挑発と受け取ったレイラは、眉間に青筋を立てながら肩を震わせる。

「えっと……レイラくん?」
「ヤマオカ先生、止めないでください。ここまでバカにされて引き下がれませんから」

 助けを求めるような視線をヤマオカから向けられ、無言で首を横に振るナオフミ。
 こうなったらレイラが止まらないことは、夫の彼が一番よく理解しているからだった。
 それに研究者として、例の武器の持ち主だというリィンたちの力に興味がないと言えば嘘になる。
 もしかしたら彼等の存在が異界≠フ謎を解き明かす鍵となるかもしれないと、ナオフミは考えるのだった。



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