怪異の発生と地震による影響で半ばゴーストタウンと化した街を、東亰タワーへ向かって疾走する一台のミニバンがあった。
運転席に座る眼鏡を掛けた若者の名前は佐伯吾郎。都内の大学に通う苦学生だ。
そして、そんな彼が運転する車の助手席に座っているのが、ゴロウの恋人のフタバだった。
同じ地方出身の幼馴染みで、この春から同じ大学へ通うことになって上京してきたのだ。
突然の地震に見舞われ、避難の途中で怪異と遭遇し殺されそうになったのは、そんな矢先のことだった。
シャーリィが助けに入らなかったら、間違いなく二人は命を落としていた。
最低でも怪異からゴロウを庇うように覆い被さったフタバの命はなかっただろう。
それだけに、二人とも命の恩人であるシャーリィには感謝していた。
しかし――
「不思議な子ね」
天井を見上げながら、そう呟くフタバ。車の屋根にはシャーリィが乗っていた。
走行中の車の屋根に乗るなんて危険な行為は普通であれば止めるところだが、既に怪異を圧倒したシャーリィの実力を目にしている。
実際、車に近付く怪異を手に持った巨大な武器で、車の上から返り討ちにして見せているのだ。
注意など出来るはずもない。こうして自分たちが無事なのは、シャーリィのお陰だとフタバは理解していた。
それだけに『この子は一体何者なのだろうか?』と言った疑問が頭を過る。
歳の頃は恐らく高校生くらい。ゴロウやフタバよりも年下であることは間違いない。
しかし、その圧倒的な戦闘力と生き物を殺すことを躊躇しない容赦のなさは、ただの一般人に過ぎないフタバには異質なものに映ったのだろう。
とはいえ、命を助けられたことには違いない。だから二人はシャーリィのお願い≠聞くことにしたのだ。
「……お前まで来なくても良かったんだぞ?」
「この状況なら何処にいても一緒よ。むしろ、一人の方が危険だと思うけど?」
「うっ……」
心配して声を掛けてみれば逆にフタバから正論を返され、ゴロウは反論の言葉を失う。
実際、フタバだけをあの場に残してきても、また怪異に襲われる危険はある。
むしろ、一人でいる方が危険だと言うのは、ゴロウも本音では理解していた。
だからフタバが一緒に来ることに反対をしなかったのだ。
しかし、
「頼むから、もうあんな真似はしないでくれよ」
自分自身にも言い聞かせるようにゴロウは厳しい表情でフタバに注意する。
シャーリィが助けに入ってくれなければ、あの時点でフタバを命を失っていた。
そのことが分かるだけに、無茶をしないでくれと言わずにはいられなかったのだろう。
だが、
「約束は出来ないわ。きっと同じようなことがあったら身体が勝手に動くと思うもの」
「フタバ!?」
ゴロウが心配するように、それはフタバも同じだった。
相手のことを大切に思っていなければ、殺されると分かっていて庇ったりはしないだろう。
だから同じようなことがあったら、また自分は同じことを繰り返すだろうという確信がフタバにはあった。
ゴロウは納得できないかもしれないが、フタバとて譲れないものはあるのだ。
「だから強くなりましょう。二人で……」
いますぐには無理だ。
ただの一般人に過ぎない自分たちがシャーリィのようになれるかと言うと、それも難しいということは分かっていた。
それでも怪異の存在を知って、何事もなかったかのように元の生活に戻れるかと言えば、無理だとはっきり言える。
今回は偶々シャーリィが助けてくれたが、次も誰かが助けにきてくれるという保証は無いからだ。
二度と後悔しないためにも、少しでも強くなりたいと考えるのは当然の流れだった。
「俺は、お前に危険な目に遭って欲しくない」
「それは、私も同じよ」
少しも譲ることのないフタバに深く溜め息を吐き、ゴロウの方が先に折れる。
幼い頃から一緒にいるのだ。互いに相手の性格はよく知っている。
一度こうと決めたら、フタバが絶対に自分の考えを変えないことは理解していた。
「お兄さんとお姉さんって、恋人同士なの?」
フロントガラスにシャーリィの顔が映ったかと思うと、そんな風に声を掛けられ、思わずハンドルを切り損ねるゴロウ。
歩道に乗り上げながらも建物に突っ込む前に再びハンドルを逆に切り、どうにか持ち直す。
間一髪のところで危機を脱したゴロウは冷や汗を滲ませながら、シャーリィを睨み付ける。
「お兄さん、もう少し鍛えた方がいいよ。お姉さんの方が腹が据わってそうだしね」
しかし、何事もなかったかのように話を続けるシャーリィ。
言いたいことは山ほどあるが、痛いところを突かれて何も反論できずに唸るゴロウ。
危険な目に遭って欲しくないと言いながら、何も出来なかったのだ。
そんな自分が何を言ったところで説得力はないと、本当のところは理解しているのだろう。
しかし、頭では理解はしていても感情の上で納得いくかと言えば、別の問題だ。
愛しているが故に危険な目に遭って欲しくないと思うのは、恋人として当然のことだった。
「お兄さんが何を納得していないのかシャーリィにはよく分からないけど、守られるのが嫌なら強くなるしかないんじゃない?」
奪われるのが嫌なら強くなるしかない。そういう世界でシャーリィは育ったのだ。
平和な国で育った人間にはピンと来ないかもしれないが、いまゴロウとフタバが置かれている状況は夢や幻ではなく現実だ。
現実を受け入れられ無い者から死んでいく。そういう世界に足を踏み入れたのだと自覚しなければ、同じ過ちを繰り返すだけだろう。
今度は誰かが助けてくれるとは限らないのだ。その時、後悔するのは他の誰でもない。自分自身だ。
そこまで考えて言っている訳ではないのだろうが、シャーリィの言っていることはゴロウが抱えている蟠りの核心を突いているとも言えた。
嫌なら強くなるしかない。そこに男も女も関係ないと言うことだ。
「ここまで付き合わせてなんだけど、シャーリィもずっと守ってあげられる訳じゃないしね」
シャーリィに何か目的があることは分かっていたが、ゴロウは眉をひそめる。
こんな怪異がそこかしこに蠢く危険な場所で放りだされても、生き延びられる自信はなかったからだ。
守られてばかりで都合の良い話だとは理解しているが、ここまで連れてきた以上は最後まで責任を持って欲しいというのが本音だった。
「俺たちも一緒についていくと言うのは……」
「ついてきたいなら止めないけど、いまのお兄さんとお姉さんじゃ簡単に死んじゃうと思うよ?」
シャーリィの口にした『死』という言葉が、自分たちの置かれている現実を鮮明にする。
これまで二人を守りながら怪異を圧倒してきたシャーリィが、敢えてこんな風に言うということは、それほどに危険なのだと理解できたからだ。
しかし、ゴロウも簡単に引き下がる訳には行かなかった。
自分だけでなく恋人の――フタバの命も懸かっているからだ。
しかし、そんなゴロウの心配を察したかのようにシャーリィは言葉を返す。
「この先に怪異と戦ってる集団の気配がするから、その人たちに保護してもらえばいいんじゃない? 少なくとも、シャーリィと一緒に来るよりは安全だと思うよ」
「集団? こんなところで化け物と戦っていると言うことは……国防軍か?」
どのような目的があれ、シャーリィが助けてくれたことは事実だ。
やっていることは無茶苦茶だが、それでも考えなしと言う訳ではない。
最初からそのつもりだったのだろうと、ゴロウはシャーリィの考えを察する。
「シャーリィ」
「ん?」
「助けてもらった私たちが言えることじゃないけど……死なないでね」
そんななか思い掛けない言葉をフタバに掛けられ、目を丸くするシャーリィ。
まったくシャーリィのことを知らないのであれば、心配するのも理解できなくはない。
しかし、ここに来るまでにシャーリィの怪異よりも化け物染みた強さは、嫌と言うほど目にしているはずだ。
怖がられることはあっても、まさか逆に心配されるとは思ってもいなかったのだろう。
「うん。やっぱり、お姉さんいいね」
それだけに、シャーリィは興味深そうに頷きながら笑みを浮かべる。
幾ら恋人の危機だからと言っても、普通であれば足が竦んで助けになんて入れないはずだ。
しかしフタバは少しの躊躇もすることなく、ゴロウに覆い被さった。
平和な国で生まれ育った一般人であるはずの彼女が、そんな行動にでたのだ。
誰にでも出来ることではない。それだけにシャーリィもフタバに感じるところがあったのだろう。
「お兄さん、やっぱり鍛えた方がいいよ。でないと――」
守るどころか、逆に守られることになる。
そんな確信めいた忠告を、シャーリィはゴロウに送るのだった。
◆
「行っちゃったわね」
「ああ……そんなことよりも、あちらも俺たちに気付いたみたいだ」
目の前から銃のようなもので武装をした集団が車に近付いてくる。
恐らくは、あれがシャーリィの言っていた集団なのだろうとゴロウは考える。
シャーリィが面倒事を避けるように早々と行ってしまったのは、恐らくは彼等に気付いたからだと察したからだ。
「国防軍……とは、少し違うような」
「ああ、だが敵と言うことはないだろう」
少なくとも同じ人間だ。怪異とは違う。
話が通じないと言うこともないだろうと、フタバの不安を和らげるようにゴロウは答える。
とにかく事情を説明して保護してもらわなければ、もうシャーリィはいないのだ。
次に怪異に襲われれば、今度こそ命はない。その程度のことは二人も理解していた。
「車のことも、ちゃんと謝らないとね」
「ああ……」
怪異に襲われて、慌てて逃げ出したのか?
鍵がついたままだったので助かったが、路上に放置されていた車を勝手に拝借してきたのだ。
緊急事態だけに情状酌量の余地はあると思うが、日本は法治国家だ。きちんと説明しない訳には行かないだろう。
むしろ、そちらよりもシャーリィのことをどう説明したものかと考え、ゴロウは頭を悩ませる。
自分でも信じられないような話を、これから説明して相手に信じてもらわなければならないのだ。
ゴロウが頭を抱えるのは当然であった。
「でも、いつの間に免許なんて取ったの?」
「いまになって、それを聞くか……。俺の懐は知ってのとおりだ。そんな金がある訳ないだろう」
「え、じゃあ……」
いまになってゴロウが無免許で運転をしていたと知って、フタバは驚く。
しかし考えてみれば、この間まで二人は高校生だったのだ。
しかもゴロウの家は裕福とは言えず、奨学金制度を利用して東亰の大学へと進学したのだ。
冷静に考えれば車を買う金は勿論、免許を取るような金もあるはずがなかった。
「でも、ちゃんと運転できてたよね?」
「今時、ゲームだってあるんだ。動かすくらいは子供にだって出来る」
幾ら金がないと言っても、ゴロウも友人と遊びに行くくらいはしていたのだ。
当然、ゲームセンターなどで体感型のレーシングゲームなどを遊んだこともある。
厳密には実際の車と違うと言っても、最近の車はオートマチックが主流だ。
クラッチやギアチェンジなどの複雑な操作を必要としないため、動かすくらいは問題なかったのだろう。
「……私、ゴロウくんがお務めを果たして出て来るのを、ずっと待ってるから」
「縁起でもないことを言うな!?」
冗談では済まない心配をフタバにされ、ちゃんと説明すればそんなことにはならないはずだと反論するゴロウ。
しかし、その説明が素直に聞き入れてもらえるかと言うと、かなりの難題であることは分かっていた。
とはいえ、分かってもらえるように説明するしかない。
幸い、シャーリィも自分のことを誰にも話すなと口止めをしなかったのだ。
ということは言っても問題にならないか、知られても差し支えないと言うことなのだろうとゴロウは考える。
「今度会ったら、ちゃんと御礼を言わないとね」
「……そうだな」
いろいろと不満はあるが、命を助けられたことは事実だ。
フタバの言うように今度会ったらきちんと礼をしようと、ゴロウはシャーリィに感謝する。
それに――
(もう二度と、こんな思いをするのはごめんだ)
シャーリィの忠告が頭を過る。
強くなりたい。せめて、フタバを守れる程度には――
二度と後悔しないために少しでも強くなって見せる、とゴロウは密かに誓うのだった。
◆
「東亰タワーの周辺で、車に乗った大学生の男女が保護されたそうよ。彼等が言うには、赤い髪の少女に助けられたと」
レイラの話を聞き、シャーリィだなと寸分の迷いもなく答えるリィン。
レイラも同じことを考えていたのだろう。
だから、こんな報告を態々リィンに聞かせたのだと察せられる。
「乗っていた車は盗難車で、運転していた大学生も無免許だったそうだけど、事情が事情だから注意で済ませて保護したそうよ」
「ああ……あとで、その二人に謝っておいてくれるか?」
大凡の事情を察して申し訳なさそうに謝罪するリィンに、呆れた様子で溜め息を吐くレイラ。
その慣れた様子からも、シャーリィが何かしらの問題を起こすと分かっていたのだと察したからだ。
それなら野放しにしないで欲しいと言うのがレイラの本音だったが、民間人がそれで命を救われたことも事実だ。
シャーリィの活躍で怪異による被害も随分と抑えられている。
過程はともかく結果だけを見れば、文句を言えるような結果ではなかった。
「しかし、さすがの嗅覚だな」
シャーリィなら勝手に元凶を特定するだろうとは思っていたが、まさか自分たちよりも先に辿り着いているとは思っていなかったのだろう。
リィンは感心した様子を見せる。
「……心配じゃないの?」
「心配するだけ無駄だからな」
勝手に先走って死ぬならそれまでだが、シャーリィはその辺りも鼻が利く。
勝てないと分かっている敵に無茶な勝負を挑むほど蛮勇でもないと言うことだ。
「それより、自分の心配をしたらどうだ?」
「……それもそうね」
リィンたちを乗せたヘリコプターに迫る怪異の姿があった。
あれが情報にあった飛行型の怪異だろうとレイラは察する。
背に翼を生やした天使のような見た目の怪異。恐らくは――
「かなり高位の怪異みたいね。グリムグリード級と言ったところかしら?」
正直、予想を超えた怪異の力に、どうしたものかと思案するレイラ。
生憎とレイラの得意とする武器では、空を飛ぶ敵に効果的なダメージを与えることは出来ない。
遠距離攻撃も出来なくはないが、グリムグリード級の怪異を一撃で倒せるかと言えば、それは難しい。
一応、手がないこともないのだが、それは出来ることならこの先の戦いに取っておきたい思惑があった。
となれば――
「何か手があるようなことを言ってたわよね?」
期待を寄せるような視線をレイラに向けられ、やれやれと言った様子でリィンは肩をすくめる。
どうせ、そう来るだろうとは思っていたからだ。
「やっぱりエマを連れてくるんだったか……。まあ、仕方ないか」
エマならあの程度の相手は魔術でどうにかするだろうと考えるが、今更言っても仕方のないことだとリィンは諦める。
怪異を寄せ付けない結界があるとはいえ、九重神社の守りが必要なことも確かだからだ。
エマの性格から言って、知り合った人間を見捨てるような真似は出来ないだろう。
なら、好きなようにさせるのが正解だと考えたのだ。
「本当なら力を温存しておきたかったんだが……」
腰から二本のブレードライフルを抜き、両手に構えるリィン。
一本は、この世界へ立ち寄る理由ともなった形見のブレードライフルだ。
久し振りの感触を確かめるように素振りをすると、リィンは小さく深呼吸してヘリのハッチを開け放つ。
「シャーリィが先に着いているとなると、余り時間もないしな。悪いが一気に決めさせてもらう」
そう言ってリィンの身体から眩い光が放たれたかと思うと、二本のブレードライフルが一本の巨大なスナイパーライフルへと姿を変える。
まるで錬金術のような力を目の当たりにして、目を瞠るレイラ。
そして――
「吹き飛ばされないように、しっかりと掴まってろよ」
開け放たれたヘリのハッチから極光が放たれ、一瞬にして無数の怪異を呑み込むのだった。
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