社務所に寝かされたコウの傍に寄り添うトワの姿があった。
血塗れで運ばれてきたコウを目にした時、目の前が真っ暗になるほどのショックを受けたのだ。
エマには大丈夫だと言われたが、それでも目覚めないコウを見ていると不安が込み上げてくる。
もしかしたら、このまま目覚めないのではないか?
と、そんな最悪の考えが頭を過った、その時だった。
「……ん」
「コーくん!?」
ずっと死んだように眠っていたコウが、微かに寝返りを打ったのだ。
うなされるような反応を見せるコウの手を取り、トワは名前を呼ぶ。
そのまま五分ほど、そうしていただろうか?
夢でも見ていたかのような表情で、ゆっくりとコウは瞼を開ける。
「……トワ姉?」
「コーくん!」
まだ頭がはっきりとしていない様子のコウに、思わず抱きつくトワ。
ギュッと抱きしめられ、何がなんだか分からずにコウは戸惑いの表情を浮かべる。
「トワ姉、少し苦しい……」
「あ、ごめんなさい。大丈夫? どこも痛いところはない?」
自分のしでかしたことに気付き、慌てて距離を取るトワ。
だが、それでもコウの体調が気になる様子で、詰め寄るように質問を繰り返す。
そんなトワの迫力に気圧されながら部屋を見渡し、ようやく自分が何処にいるのか気付くコウ。
「ここって神社の社務所か? なんで、こんなところに……」
どうして神社にいるのか分からず、疑問の声がコウの口から漏れる。
頭でも打ったのか? 記憶がはっきりとしない。
だから冷静に、順を追って記憶を辿ってみるコウ。
確か、学校からの帰宅途中に――
「そっか。地震があって……」
大きな地震があったことまでは思い出せたが、そこから先の記憶が定かではなかった。
「ゴトウさんが倒れてたコーくんをここまで運んでくれたんだよ」
「ああ、なるほど……」
そういうことかと、トワの話に納得するコウ。
恐らく地震に驚いて、転んで頭でも打って気を失っていたのだろうと察したからだ。
自分のことながら情けない話だと思うが、そう考えれば納得が行くとコウは頷く。
なのに――
(なんだ? 何か忘れてるような……)
コウは妙な違和感を覚える。
何かを忘れているような気がするが、何を忘れているのかを思い出すことが出来ない。
そもそも自分は一人だったか? と自問自答するコウ。
誰かと一緒だったような気がするが、そのことを考えると霧が掛かったかのように頭がぼんやりとする。
「コーくん、大丈夫? やっぱり体調が悪いんじゃ……」
「いや、まだちょっと寝ぼけてるだけだと思う。だから、本当に心配ないから!」
身を乗り出して顔を近付けてくるトワに驚き、顔を真っ赤にして苦しい言い訳をするコウ。
というのも、トワがお節介なのはいつものことだが、今日はいつにも増して過保護になっていると感じたからだった。
疑わしげな表情を浮かべながらも必死に言い訳をするコウを見て、仕方ないなと言った様子で溜め息を漏らすトワ。
「お腹、空いてるよね? リィンさんが作ってくれたカレーがあるから、すぐにコーくんの分を持ってくるね」
「え? アイツも来てるのか?」
リィンの名前を聞いて驚きの表情を浮かべるも、トワに「こら!」と怒られるコウ。
先日、道場で軽くあしらわれたこともあってコウがリィンに苦手意識のようなものを持っているのは理解しているが、目上の人に対しての態度とは言えなかったからだ。
しかしコウの態度が悪いのは、まだ微妙にリィンのことを怪しんでいるというのも理由の一つにある。
ようするにトワがコウのことを気に掛けているように、コウもトワのことが心配なのだ。
トワは少し世間知らずでお人好しなところがあるため、悪い虫がつかないか警戒していると言ったところなのだろう。
「私もいるわよ」
「げッ!」
割って入った声に反応して振り向くと、入り口に佇むアスカを目にして驚きの声を上げるコウ。
そんなコウの反応に顔を顰め、ムッとした表情でアスカは冷やかすような言葉を口にする。
「私がいたら都合が悪かった? ごめんなさいね。大好きなお姉ちゃんとの時間を邪魔して」
「ちょ! トワ姉とは、そんなんじゃないからな!? 誤解を受けるような言い方はやめてくれ!」
「え……コーくん。私のことが嫌いなの?」
「いや、そういう意味じゃないから! ああっ、もう!」
アスカに冷やかされ、トワに泣きそうな顔をされ、どうすりゃいいんだと肩を落とすコウ。
「たくっ……勘弁してくれよな。こんなところをアイツ≠ノ見られたら……」
――と、誰かの名前を口に仕掛けたところで、俺は誰のことを言ってるんだ?
と、また同じような違和感を覚えるコウ。
違和感の正体を探ろうと必死に思い出そうとするが、そうすると頭が割れるように痛くなる。
気持ち悪い。頭痛と胃から込み上げてくる吐き気を堪えながら、フラフラと前のめりに倒れるコウ。
「コーくん!?」
「コウ!?」
顔を真っ青にして倒れるコウを見て、慌てて駆け寄るトワとアスカ。
自分の名前を呼ぶ二人の声が部屋に響く中、コウの意識は再び闇の中へと沈んでいくのであった。
◆
同じ頃、リィンは市内にある高等学校のグラウンドを訪れていた。
迎えを寄越すと言われ、ナオフミに指定された場所がここだったからだ。
「なるほど。ヘリコプターを使うのか」
グラウンドの中心に置かれた一機のヘリコプターを見て、納得した表情を浮かべるリィン。
ヘリコプターの近くには、北都の関係者と思しき者たちが忙しく動いていた。
荷下ろしされたダンボールの山を見るに、恐らく避難者のための救援物資を運んできたヘリなのだろう。
「あ、やっと来たわね」
そんななかリィンに気付き、少し呆れた表情を浮かべる女性がいた。
白いシャツに黒いパンツと、モデルのようなスラリとした体型の女性。
ネメシスの執行者にして、アスカの母親のレイラだ。
「連絡が取れないし、もう少し遅かったら作戦の見直しを要求されていたところよ」
「文句なら、お前の娘に言ってくれ」
合流が遅いことに文句を言ってくるレイラに、文句ならアスカに言えと反論するリィン。
ナオフミから事の経緯は聞いているのだろう。
微妙に複雑な表情を滲ませながら、レイラは深い溜め息を漏らす。
「あの子、子供ながらプロ意識は高いのだけど、うっかりしたところがあるのよね。誰に似たのやら」
そう言って愚痴を溢すレイラを見て、お前だろうと心の中で呟くリィン。
それほど付き合いが長い訳ではないが、それでもレイラの性格はある程度察している。
思い立ったら即行動とばかりに突っ走って肝心なところが抜けている辺りは、アスカとそっくりだと思ったからだった。
「……なんか失礼なこと考えてない?」
「別に。それよりも作戦の時刻が迫ってるんだろ? 急がなくていいのか?」
納得の行かない表情を見せるも、リィンに急かされてヘリのパイロットに確認を取るレイラ。
荷下ろしは既に終えているようだが、すぐに出発できるかどうかを確認しているのだろう。
「すぐにでもでられるそうよ。でも、一つ問題が発生したわ」
「……問題?」
険しい表情で話すレイラに、嫌な予感を覚えながら尋ね返すリィン。
「予定していたルートに飛行型の怪異の目撃情報があるみたい」
心の底から困った様子で、そう説明するレイラ。
ただでさえ作戦の決行まで余り時間がないと言うのに、出来れば迂回したくはないのだろう。
となれば、強行突破しかないのだが――
「あなた、飛び道具は使えるの?」
「余り得意じゃないが、攻撃手段は一応あるな」
「私も余り得意じゃないのよね。出来れば、奥の手は取っておきたいところだし……」
方法はあるが、ここで余り手札を使いたくないというのはレイラもリィンと同じだった。
どうしたものかと考えながら、ふと思いだしたようにレイラはリィンに尋ねる。
「そう言えば、あの子は一緒じゃないの?」
「あの子? ああ、シャーリィのことか」
誰のことを言っているのか察して、レイラの疑問に答えるリィン。
「シャーリィなら別行動中だ。たぶん今頃は嬉々として、そこらの怪異を始末して回ってるんじゃないか?」
「そう言えば、物凄い勢いで誰かが怪異を殲滅して回ってるって情報が入ってたような……」
間違いなくそれがシャーリィだろうと、リィンはレイラの疑問に答える。
聖霊教会の刻印騎士が関与している可能性を疑っていただけに、真相を聞かされて微妙な反応を見せるレイラ。
シャーリィの強さは実際に戦ったことのあるレイラが、組織の中で一番良く知っているからだ。
正直に言って、グリムグリード程度であればシャーリィの敵ではない。それどころか、教会の刻印騎士でもシャーリィには敵わないだろうと確信を持っていた。
だが本音を言えば、余り目立つ行動は避けて欲しいと思っていたのだ。
今回の作戦もリィンたちを出来るだけ目立たせないためにレイラが同行するのだから、そう考えるのも当然だった。
それに――
「彼女の力もあてにしていたのだけど……」
「心配しなくても、アイツは勘が良いからな。そのうち追い付いてくるだろ? むしろ――」
俺たちよりも先に元凶へ辿り着いているかもしれないぞ、と話すリィンの言葉が冗談に聞こえずレイラは黙る。
特別な道具も用いずにただの勘だけで門≠フ場所を探り当てていたところを、実際に見ているからだ。
シャーリィならリィンの言うように、自力で元凶に辿り着いても不思議ではない。
そう思わせるだけの実績がシャーリィにはあった。
「まあ、報酬分の仕事はしっかりとするから安心しろ」
「……凄い自信ね」
仮にシャーリィが間に合わなくても、自分一人でどうにか出来るだけの自信がリィンにはあるのだとレイラは察する。
とはいえ、リィンの実力を本気で疑っている訳ではなかった。
あのシャーリィが勝てないと断言するほどの実力者だ。神話級グリムグリードが相手であったとしても勝算は十分にあると考えたからこそ、ナオフミもリィンに依頼をしたのだろう。
しかし、
「でも、私も足手纏いになるつもりはないわ」
他に手がなければ、レイラも差し違えてでも元凶を討つつもりでいたのだ。
自分に与えられた役目が英雄≠演じることだとは理解しているが、それでもリィン一人に頼るつもりはなかった。
そんな彼女の考えを察してか?
「余り気負いすぎると、いざと言う時に力を発揮できないぞ」
気を遣った素振りを見せてはいるが、本気であてにはしていないと言った考えが透けて見えるリィンの言葉に――
「肝に銘じておくわ」
レイラは不満げな表情で、そう答えるのであった。
◆
「やっぱり、あれが原因≠ゥな?」
遥か遠くに見える黒い太陽のようなものを眺めながら、そう呟くシャーリィ。
「テスタロッサを使えば、ひとっ飛びなのにな……」
随分と距離がありそうだし、どうしたものかとシャーリィは考える。
騎神を使えば一瞬で移動できる距離だが、それはリィンに禁じられている。
生身では手に負えない敵と遭遇すれば騎神を召喚するつもりではいるが、いまはまだ差し迫った危機に直面していない。
リィンとの約束だし、可能な限り守らないとと言った程度には、シャーリィも自制心を働かせていた。
「となると、やっぱり足≠ェ必要だよね」
なんか手頃な乗り物はないかなと、ビルの屋上からキョロキョロと地上を観察するシャーリィ。
乗り捨てられた車は幾つか見つかるが、そう言えば……と車の運転などしたことがないことを思い出す。
「あ」
その時だった。
怪異に襲われている人影が目に入り、シャーリィは一瞬の迷いもなくビルの屋上から飛び降りる。
そして――
「逃げろ……フタバ。もう、俺のことはいいから……」
「そんなこと出来ない! あなたを見捨ててなんて――」
クマのように大きな怪異がその太い腕を振り上げる中、男を庇うように覆い被さる女。
既に男の方は怪異の一撃を受け、満足に身体を動かせる状態にはなかった。
恐らくは恋人なのだろう。
女の背に向かって振り下ろされた怪異の一撃を視界に収めながら、男は悲痛な声で彼女の名前を叫ぶ。
「フタバァァァァァッ!」
絶対絶命かと思われた、その時だった。
振り下ろされた一撃が女性に届く前に、怪異が横薙ぎに弾き飛ばされたのだ。
その衝撃で周囲のビルの窓ガラスが粉々に砕け散り、目の前にいた男女も転がるように吹き飛ばされる。
身体をアスファルトに打ち付けながらも、どうにか体勢を立て直すと、ハッと我に返って恋人の無事を確認する男。
「フタバ! 無事か!?」
「ええ……あなたは?」
「俺も大丈夫だ。まったく無茶をして……」
お互い身体に打撲と擦り傷を負ってはいるが、生きているのを確認して安堵する二人。
よく分からないが助かったのだと理解すると、どうして無事だったのかと疑問が頭を過る。
戸惑いを滲ませながら自分たちが先程までいた場所へ、二人揃って視線を向ける男と女。
そんな困惑の表情を浮かべる二人に――
「そこのお兄さんとお姉さん。ちょっと頼みがあるんだけど、シャーリィのお願い聞いてくれない?」
まるでヒッチハイクをするかのように、シャーリィは軽い口調で声を掛けるのであった。
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