「さてと……」
緋色の空を背景に佇む黒い影を、二本のブレードライフルを構えながら静かに見据えるリィン。
そして――
「早速はじめたいところだが、お前には幾つか聞きたいことがある。言葉は通じるんだろ?」
他の怪異と違い、策を巡らせるくらいだ。
ならば、会話をするくらいの知恵はあるだろうと察し、リィンは怪異に問い掛ける。
しかし、
「問答無用か」
言葉ではなく、リィンの問いに行動で返す怪異。
影から伸びる槍状の攻撃を、左右のブレードライフルで切り払いながらリィンは溜め息を吐く。
神話級などと大層な名前で呼ばれているからには、もう少し話が通じるかと期待していただけに落胆も大きかったのだろう。
いや、逆かとも考える。空の女神という例を見れば、神々というのは身勝手な存在が多いというのがリィンの考えだ。
人の言葉に耳を傾ける気がないのであれば、自分から話をしたくなるように――
「まあ、いい。そっちがそのつもりなら――」
遠慮無く叩き潰すだけだ、とリィンは双眸に闘志を燃やし、獰猛な笑みを浮かべるのだった。
◆
「……恐れてる?」
「うん」
シャーリィから想像もしなかった話を聞かされ、困惑の声を漏らすレイラ。
無理もない。神話級グリムグリードがリィンに対して恐怖を抱いていると聞かされたのだ。
あくまでシャーリィがそう感じたと言うだけの感想だが、シャーリィの勘は良く当たる。
シャーリィの直感が優れていることは認めているだけに、バカな話と切り捨てることは出来なかったのだろう。
「最初はシャーリィの記憶からリィンの偽物を作ったのかと思ったけど、戦ってたら何か違うなって感じたんだよね」
そもそも記憶を読むことが出来るのなら、何も内戦直後のリィンを模倣する必要はない。
煌魔城での戦いは一緒だったし、リィンが本気≠ナ戦うところはシャーリィも目にしているのだ。
それに――
「なんか、懐かしい感じがしたんだよね」
「懐かしい?」
まさか、あの怪異と面識があるのだろうかと訝しむレイラ。
リィンたちは異世界人という話だ。なら可能性としては、ありえない話ではないように思う。
そもそも怪異がどこからやってくるのか、その正体すら詳しく分かっていないのだ。
しかしシャーリィの回答は、レイラが考えているのと少し違っていた。
「正確には〈緋の騎神〉が反応したんだけどね」
「……その武器が?」
「ううん。〈赤い顎〉じゃなくて――」
シャーリィが手を空に掲げると空間が揺らぎ、そこから巨大な腕のようなものが顕れる。
そして、空間の裂け目から顔を覗かせる緋色の騎士。
何が起きているのか分からず、呆然とした表情を浮かべるレイラ。
「こっちの〈緋の騎神〉ね」
状況を呑み込めず、呆然と固まるレイラを尻目に淡々と話を進めるシャーリィ。
そうこうしている内に、ようやく我に返ったレイラはシャーリィに詰め寄る。
「ちょっと、これってどういうこと!? 機動殻じゃないのよね?」
「ヴァリアント・ギア? ああ、こっちの世界にある機甲兵みたいな奴だっけ?」
「……機甲兵?」
「この子は騎神≠チて言うらしいけどね」
次々に押し寄せる情報の波にレイラは圧倒され、フラフラと後退る。
質問に答えてくれるのは助かる反面、この情報をどう処理したものかと目眩を覚えたからだ。
まさか、シャーリィが機動殻のような機動兵器を所持しているとは想像もしていなかったのだろう。
更にシャーリィの話から推察すると、彼女たちの世界には同じような人型機動兵器が他にも複数存在すると言うことになる。
「……もしかして、彼もこの騎神≠チてロボットを持ってるの?」
「うん。リィンも起動者だよ」
起動者と言うのは恐らく適格者のようなものだろうと察し、聞くんじゃなかったと後悔するレイラ。
この情報が如何に厄介で、後々面倒なことに繋がるかを理解したからだ。
機動殻は各国がこぞって研究・開発を推し進めている軍事の要とも呼ぶべき現代の主力兵器だ。
仮にこのことが各国の耳に入れば、裏の組織だけでなく国家もリィンたちを取り込もうと動くだろう。
最悪、リィンたちから強引に騎神を奪おうと画策する者たちまで現れるかもしれない。
そんなことになったら――
(その国は滅びるわね……)
神話級グリムグリードに匹敵、もしくは凌駕するかもしれないほどの実力者だ。
味方であれば心強いが敵に回せば、怪異以上の脅威となることは間違いない。
仮に軍隊を差し向けたとしてもリィンたちを捕らえられるイメージが、まったくと言って良いほどレイラには湧かなかった。
むしろ、軍の方が壊滅的な被害を受ける可能性の方が高いとさえ考える。
それに、こうして実際に〈緋の騎神〉と対峙しているからレイラにはよく分かる。
騎神は機動殻とは違う。どちらかと言えば、高位の神霊や怪異に近い存在だと――
「……どうして、そんな情報を今になって私に?」
何も考えていないように見えて、シャーリィはバカと言う訳ではない。
恐らく今までこのことを隠していたのは、リィンにも口止めされていたからだと察せられる。
リィンが敢えて騎神の情報を伏せていたのも、自分と同じことを危惧したからだろうとレイラは考える。
だとすれば、最後まで黙っていることも出来たはずだ。
明かすには余りに危険過ぎる情報だと、レイラは判断したのだろう。
だからこそ、いまこのタイミングでシャーリィが騎神の存在を明かした理由が気になったのだ。
「ここをでるには、騎神を使わないと間に合いそうにないしね」
「……どういうこと?」
「あれ」
シャーリィが指を向ける先には、緋色の空に浮かぶ黒い太陽がはっきりと見えていた。
東亰タワーの遥か上空に浮かぶ黒い太陽の存在は、外からも見えていたから分かる。
だが、最初に見た時よりも――
「……太陽が近付いてる?」
地上から見上げる黒い太陽は大きくなっていた。
嫌な予感がレイラの頭を過る。
仮にこのまま太陽が接近したとして、地上に衝突したらどうなるのか?
とてもではないが、何事もなく終わるとは思えない。シャーリィも同じことを考えたのだろう。
「危険な感じがするから、最悪この街は消滅するかもね」
エマがいたら何か分かるかもしれないが、詳しいことはシャーリィにも分からない。
ただ、どこか〈塩の杭〉に近いものをシャーリィは黒い太陽から感じ取っていた。
もしそうならノーザンブリアのように、東亰の街は地図から消滅することになるだろう。
そんなシャーリィの言葉に最悪の未来が頭を過り、顔を青ざめるレイラ。
「どうにかならないの?」
「リィンに期待するしかないと思うよ。シャーリィにもアレは無理そうだし」
縋るような視線を向けてくるレイラに、お手上げと言った様子で首を横に振るシャーリィ。
本音を言うなら、さっさとこの街を捨てて逃げるのが一番だとシャーリィは考えていた。
レイラやアスカのことは気に入っているし、杜宮での生活も悪くはなかった。
だからと言って、この世界を命懸けで救おうとか、そういう義理は一切感じない。
少なくとも報酬分≠フ働きはした。これ以上は割に合わないというのが、猟兵としての考えでもあったからだ。
「元々、この世界を救うような義理はシャーリィたちにはないしね」
「それは……」
シャーリィの物言いに不満はあるものの何も言い返せずに黙るレイラ。
この世界の問題は、本来この世界の人間が解決すべき問題だ。
なのに自分たちの力が足りないばかりに、リィンたちを頼らざる得ないのが現状だ。
仮にリィンたちが逃げ出したとしても、非難できるような立場にないとレイラは思っているのだろう。
とはいえ――
「リィンなら、どうにかしちゃうだろうけどね」
普通の猟兵なら匙を投げるような状況でも、リィンなら契約を違えるようなことはしないとシャーリィは確信していた。
それもそのはず。クラウゼルの名を知る者にとって、リィンはただの猟兵ではないからだ。
「リィンは――猟兵王の名を継ぐ最強の猟兵≠セから」
シャーリィのその言葉が何を意味するのか?
この後、レイラは自分の目で確かめることになるのだった。
◆
最初から〈鬼の力〉を解放し、怪異との距離を詰めるリィン。
一気に勝負を決めるべく戦技〈オーバーロード〉を発動し、二本のブレードライフルを一つに束ねる。
金色の光に包まれると共に顕れたのは、白銀に輝く一本の大槍だった。
(レイラには感謝しないとな)
思っていた以上に身体への反動が少ないことに驚きつつも、レイラに感謝するリィン。
紅き終焉の魔王との戦い。そして並行世界で〈塩の杭〉を止めるために使った〈黄金の剣〉の反動。
その影響で本来であれば〈王者の法〉を使えるほどに、リィンの身体は回復していなかった。
いや、正直なことを言えば異能を使用する度に全身に激痛が走るほど、リィンの身体は消耗していた。
怪我を負っていると言う訳ではない。この痛みも肉体的なものではなく精神的なものだろうと分かっている。
恐らくは慣れない力を使ったことで、アストラル体――魂そのものが深く消耗しているのだと。
(全開とまでは行かないが、それでも十分だ)
異能を使うことさえ出来れば、勝算は十分にあるとリィンは考える。
こと異能の扱いに関しては、誰にも負けないと言う自負があるからだ。
それに――
「悪いが、俺は怪異の天敵≠セ」
リィンの〈王者の法〉は女神の力を否定し、至宝すらも消滅させるほどの力を持つ。
紅き終焉の魔王にも効果があったところからも分かるように、この世ならざる存在にも効果は覿面だ。
光の剣匠のような達人が相手なら苦戦は免れないだろうが、目の前の化け物とは相性≠ェいいと感じていた。
「無駄だ」
自身に向けて放たれた影の槍を、手で触れただけで消滅させるリィン。
七耀の盾〈スヴェル〉――触れたものをマナへと還す光の盾。
東亰タワーを覆う結界を破壊したのも、この力によるものだ。
高位の幻獣や聖獣であろうと、それは変わらない。そして、この世界の怪異も例外ではなかった。
グリムグリードを一撃で消滅させることが出来たのも、怪異に対して絶対的に優位な力を有しているからだ。
故に――
「一気に決めさせてもらう」
リィンが力を注ぎ込むと、手にした大槍が輝きを放つ。
必滅の大槍――グングニル。リィンが持つ技の中でも、実体を持たない敵に対して最も効果のある技だ。
正確には、対象のアストラルに直接ダメージを与えることが出来る神器≠ニ言った方が正しいだろう。
この世界に存在する武器に例えるなら、ソウルデバイスを始めとした霊具と性質的には近い。
だからこそ、怪異に対して最も効果のある攻撃だとリィンは確信していた。
相手が神と呼ばれる怪異であったとしても、神をも滅する一撃であれば通らない道理はない。
「グン――グニル!」
リィンの手を離れた大槍が一条の光となって、黒い影――怪異を呑む込む。
その光は緋色の空を白く染め上げ、怪異の影と共に黒い太陽を覆い隠すのだった。
◆
東亰タワーを覆う結界を破壊し、空に立ち上る一条の光を雑居ビルの屋上から眺める人影があった。
エマ・ミルスティン。魔女の末裔にして、リィンの秘密を知る一人。
「あの光は……」
リィンの放ったグングニルの光だと、すぐにエマは察する。
この世界の怪異に対して、リィンの力は反則と言ってもいい。
神話級グリムグリードが仮に聖獣以上の力を有していたとしても、リィンには敵わないだろうとエマには分かっていた。
しかし――
「黒い太陽。それに、この力はやはり……」
東亰タワーを中心に瘴気が広がり、街を赤く染め上げていく。
それは、こことは異なる世界。エレボニア帝国の帝都で、嘗て目にした光景。
「魔煌兵」
瘴気と共に顕れた無数の怪異を見て、エマはその名を呟く。
暗黒時代に造られたとされる魔導≠フ力で動く巨大ゴーレム。
それは、この世界に存在するはずのない力であった。
そんなものが顕れたと言うことは――
「完全に消滅したと思っていたのに……急がないと」
異変の正体に気付き、エマは険しい表情を浮かべる。
そして、レムが予見した最悪の未来を回避するため、エマはリィンのもとへ急ぐのだった。
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