――ミッドチルダ動乱で繰り広げられている艦隊戦。大和型戦艦とティルピッツを始めとするドイツ軍の雄がぶつかり合う。

「第二主砲塔に被弾、跳ね返しました!」

反攻作戦の第一陣として行われた海戦は扶桑側が補助艦艇を複数撃沈破されるという、思わぬ損害が生じ、ドイツ軍側は旧式主力艦を撃沈されるという痛み分けの様相を呈していた。艦隊は扶桑側が空母護衛陣形を取っているのに対し、ドイツ側は空母運用ノウハウの不足からか、単縦陣を組んでいる。

「我が方の損害は?」

「敵潜水艦の襲撃も重なり、駆逐艦や乙巡に被害が生じています。5500トン級はほぼ落伍しました」

「残ってるのは阿賀野型以後の新式艦のみか……。空母が無傷なのが救いだな。第二波攻撃の準備は?」

「間もなく完了致します」

「旧型のレシプロ機をフル動員して、敵主力に痛打を与えよ。ジェット部隊の補給は?」

「完了しております」

「先行して発艦させ、敵を撹乱させよ。レシプロ機の突撃する道を開かせるんだ」

「ハッ!」

――小沢治三郎の戦略は空母機動部隊の攻撃力を活かす方策であった。水上打撃艦隊での数は不利となっており、H級は大和型戦艦でも倒しにくい『タフさ』を持つ。そこで小沢は空母艦載機の攻撃力を活かす方策を取った。これは潜水艦ではドイツ軍に及ばないという自虐も含まれていたが、扶桑が取り得る最大公約数的戦略は空母機動部隊しかなかったのだ。この時に無傷であったのは、地球連邦軍製水上戦闘艦艇、大和型戦艦、空母機動部隊のみ。水雷戦隊は旗艦級の高雄型、阿賀野型以上の艦艇以外は軒並み落伍し、駆逐艦に至っては夕雲型駆逐艦は高練度であった数艦以外は海の藻屑という散々な状態であった。(これで有明型駆逐艦の調達数が増加したのは言うまでもない)補給を終え、再発艦した黒江達は艦隊の惨状を嘆く。

「随分やられたわね……」

「駆逐艦は軒並み海の藻屑か……。秋月型と少数の高練度の夕雲型しか生き残れなかったとは……空母に上陸部隊載せていたのが幸いしたな」


ドイツ軍はイージス艦を優先して叩き、次いでWWU型駆逐艦を集中打する戦略を取り、旧型主力艦を撃沈、もしくは落伍させられる代わりに、水雷戦隊をほぼ壊滅せしめる戦果を上げた。これは地味に扶桑の戦略に影響し、主力艦による砲撃戦か、空母機動部隊による空襲、原潜による雷撃戦の3つに縛る効果を上げた。

「これでうちらは今後の戦略に支障を来すぞ、フジ。この作戦に勝っても、当面の間は組織的行動が制限される」

「駆逐艦の量産体制は整ってるとは言いがたいものね。いや、それ以上に高練度の兵士を多数失ったほうが痛手か……」

「船はまた造ればいいが、人間はそう安安と育たない。駆逐艦乗るのを嫌がるのも出てくるだろうし、生存性の改良しか道はないな」

黒江は作戦空域に向かうまで、武子とこのような会話を交わす。扶桑の特型駆逐艦以来の設計はこの海戦で否定され、戦時急造型である松型駆逐艦や、本格型にしても、戦後の護衛艦のような生存性重視設計が今後は尊ばれるのが確実であり、ミサイルの発達と合わせると、水雷戦重視である旧来の系譜は『島風』が打ち止めであるのは明らかだった。取り回しの問題で三番艦『舞風』、四番艦『時津風』、五番艦「時雨」(先代が1943年に商船護衛戦で失われたり、扶桑型と運命を共にしていたりしていたための襲名)が建造され、大神鎮守府防衛に回されていたが、機関の高価さから、戦線には投入されていない。

「島風型は早いだけだし、今の戦闘には使えないしね」

「あれは時代の徒花さ。水雷戦の時代は終わったが、戦前の計画で造られた故の哀しさって奴だな……」

島風型駆逐艦は次期主力を担うべく開発されていた。だが、その高価さや時勢が航空戦の時代に移り変わった故に、当初生産数を切り上げられ、5隻のみに留まった。以後の駆逐艦の主流が対空戦闘主体かつ、ミサイル装備による万能型の護衛駆逐艦へと移行していった故に、従来型駆逐艦の究極である島風型は徒花として時代の波に呑まれていく。黒江は試験部隊在籍時に、海軍にいた知り合いから島風型の事を聞かされていたので、その境遇に同情していたのだろう。

「しんみりしてるわね?」

「ああ、前に知り合いに自慢された事があってな……。去年から一気に『帳尻合わせ』の波が押し寄せてなきゃ、あれも今頃は最新鋭として投入されてただろうに」

「確かに」

二人は44年に起こった『時代の帳尻合わせ』の波に最も翻弄されたウィッチに数えられる。失われていたはずの力(二人は年齢が20代に達しており、ウィッチとしては第一線では戦えない『あがり』を迎えて久しかった)を取り戻し、血みどろの殺し合いの様相を呈するようになった戦争に嫌気が刺し、軍を去っていく後輩らをよそに第一線に復帰し、こうして戦っている。それは島風型の境遇とどこか似ていた。片や『ロートルながら、最盛期の力を当てにされて呼び戻された者』、『既存技術の粋を集めて作られたが、新技術の前にはロートルの烙印を押された兵器』。似た境遇故に、感じるものがあるのだ。

「私等だって、本来なら教官やテストパイロットとしてのんびり余生を楽しんでるはずが、第一線で命張る生活に戻った。しかも今度は死ぬまで、だ。若い連中は『人を殺す戦争するつもりで軍隊に入ったんじゃない!』とか言って除隊する輩が出たから、ロートルの私らが呼び戻されているんだ。だから、未来兵器で損失した人材を補う戦略が取られるんだよ、こうしてな」

「本来の技術力じゃ、こんなジェット戦闘機を、1940年代中に作ることなんて出来ないしね。いいんだが悪いんだが」

――武子は1944年度から続出する『自主退役』に強い不満を覚えていたものの、それと反比例して兵器が急速に発達していく事を残念がってもいた。不足する人的資源を優れた兵器で埋めようとする思想は本来、中小国がよく陥る思想である。だが、後の世では反戦思想が生まれたこともあり、少ない人的資源を優れた兵器で補うという思想が大国に至るまで普及していたというのだから、分からない。しかし、そうぜざるを得ないほどに軍を困窮させたのは、若手の退役が増加したためで、如何に彼女が若手らの間に芽生えた『厭戦思想』に怒りを覚えているのが分かる。二人はロートルである(本来、第一線を担っている一番上の世代よりも6つ以上も年齢が上である)自分らは何を為すべきかを理解している。だからこそ、こうして戦うのだ。たとえ別の世界の戦場であろうと。









――ドイツ艦隊がF8UとA-4編隊を補足したのは、それから10分後であった。迎撃準備が進められる。護衛機は雀の涙ほどの数なのですぐに蹴散らされる。

「敵機襲来!数は20!我が方の護衛機はてんでだめです。」

「宛にもしとらんわ。狼狽えるな、敵の半分は戦闘機だ、恐れるな。250キロ爆弾程度で戦艦はビクとはせん!問題は後続の雷撃機だ!レーダー監視を厳に!」

これが扶桑製A-4スカイホーク隊の初陣であった。後の大戦時には主力爆撃機として投入される同機だが、この時は実戦テストの一環であったため、先行生産機の10機が使われた程度であった。だが、主に対空砲を潰す目的で用いられたため、相応の戦果を上げた。両舷の対空砲を潰す必要はないため、片方だけに集中して攻撃すればいいのである。これは俗説での大和型戦艦の攻略法とされた攻撃法が由来である。

「よーい。てっ!!」

スカイホークより爆弾が次々と投下される。狙いは対空砲。高練度搭乗員が行った事、頑強な機体で行ったので、損失は生じなかった。それよりも露払いの黒江達のほうがヒヤヒヤモノであった。

「さすがに上げてくるわね!」

「旧型の時限信管式の高射砲が大半とはいえ……ヒヤヒヤするぜ」

ドイツ戦艦は旧式のモノは第二次大戦時の3.7cm「SK C/30」、2cm「Flak38」を依然として装備している。武子と黒江は率先して突っ込んだ故に、この旧式とはいえ、増備した対空網と真っ向から挑む形となった。対艦戦闘のコツは既に二人共、知っているのだが、さすがに対レーダーミサイルをぶちこむまでには対空砲火をくぐり抜けなくてはならず、弾雨が機体を通り抜けていく様にはヒヤヒヤものであった。

「ターゲットロックオン!行けっ!」

まずは黒江の機体がミサイルを放つ。節約のために一発のみである。ミサイルの速度に対空砲火をは対抗できず、ティルピッツに見事命中する。ティルピッツはもはや一線級の戦艦と見なされていないようで、艦隊の一番先頭に位置している。修理が完了したばかりの同艦にダメージを与えるのは、ドイツの兵站に負担をかける意味でも良好であり、黒江達はティルピッツの目となるレーダー類を潰した。(H級は防御が強化されているため、少数機では危険と判断し、撹乱程度に止めた)

「あれがH級ね?大きくなったビスマルクじゃない?」

「こっちでいうところの大和型と同じで、『新世代のフォーマット』らしいからな。パソコンで言えばウィンドウスとマックみたいなもんだ。H級が41とかで良かったよ。H45なんてペーパープランを真田さんから聞いたんだが……頭どうかしてるスペックだぞ。ドーラを積むんだからな」

「はぁ!?」

二人は攻撃を成功させると、H級を観察しつつ、離脱する。その時にH級の構想の最終到達地点に言及される。その名もH45。そのプランはもはや全く現実味がないもので、ドーラを艦載砲にしたものを、50万トン戦艦より巨大な、600mの船体に載っける案であった。かの金田中佐も裸足で逃げ出すほどのスケールである。アドルフ・ヒトラーは頭のネジが取れたのではないかと思うくらいの構想である。敗北間近にこんな案を出されたエーリヒ・レーダー元帥の心中や如何に、と二人は呆れていた。

「何よそれ!?荒唐無稽もいい所よ!」

「だろ?500mやq単位の船体なんて、22世紀になって、それもオーバーテクノロジー入れてようやく出来る難易度だ。ドイツにはHELLモードもいいところだ。だから、奴らが作ってるH44級だって、せいぜい345m級なんだ。それを使われれば大和型も危うい。だから次は50万トン戦艦の具現化な『三笠』を用意するって、多聞丸のおっちゃんが言ってた」

「子供じゃないんだから……」

「でも、大艦巨砲主義で済むぶん、まだエコだぜ?核兵器を撃ちあうよりは、よっほど健全な戦争さ」

「う、うぅ〜ん……」

完全に大艦巨砲主義全開な建艦競争だが、核戦争よりはよっぽどエコな争いである。ジェット機化で空母機動部隊の価格は暴騰しているし、原子力潜水艦は錬成的に間に合うか微妙、核兵器は双方でペーパープランである(扶桑はリベリオンより原子力研究レベルが遅れていた、ドイツは理論は完成しているが、依然として実物を作れる設備はない)故の答えが戦艦での殴り合いなのは、廻りに巡って、古来の戦いに近い様式である。武子は納得できる側面と『コストパフォマンス的にどうなのよ!』という現実的論理に頭を悩ませた。しかし、三笠型はもはや二番艦まで完成し、H44級も建造段階にあるという現実に頭を抱えずにはいられなかったとか。だが、帰投したあとに、三笠型に気を良くしたブリタニアが事もあろうに、『氷山空母』プロジェクトをとんでもない金をかけて進めていると知らされると、木枯らしがBGMに流れそうなくらいに茫然自失状態に陥ったとは、目撃者である菅野直枝の談。雷撃機隊の攻撃成功が伝えられたのは、そのすぐ後であった。





――後続の天山・流星の混成部隊の攻撃も成功し、ドイツ主力戦艦隊に損害を与えた扶桑は、大和、信濃、甲斐の三艦と、超甲巡で第二ラウンドへ打って出た。超甲巡隊の指揮官は田中頼三中将である。戦艦に準ずる砲力と水雷戦を行える装備(対艦魚雷発射管が扶桑の要望でついている)を両立させた超甲巡は、金剛型以上の総合攻撃力(魚雷及びミサイル、砲熕武装のバランスがいい)と、速度でドイツ戦艦隊を撹乱した。

「敵超甲巡、ティルピッツを狙っております!」

「おのれオザワめ……考えおったな。超甲巡は適当にあしらえ!目標は大和型だ!」

レーダー元帥はあくまで自艦の目標は大和型であると言い放つ。総合的に、日本軍艦より抗堪性に優れるドイツ軍艦故の選択であった。これは現実的な判断で、超甲巡の主砲の砲撃にティルピッツはよく持ちこたえ、扶桑が秘密兵器とした『波動カートリッジ弾』にも数発ほど耐えてみせ、戦闘能力を喪失しても浮いているほどの抗堪性(命中箇所の幸運にも恵まれたが)を見せ、小沢治三郎を唸らせた。

「うぅ〜む。まさか波動カートリッジ弾を撃っても沈まんとは……頑丈だな」

「戦闘能力そのものは失わせたので、脅威では無くなりました。H41級などに標的を移しましょう」

「うむ」

艦隊から落伍したティルピッツはその後、駆逐艦数隻に曳航されて鹵獲された。(自沈に失敗した)その後は扶桑海軍戦艦としての生涯を数年ほど送る事になる。その際に名は『石見』と改められた。しかし、1950年代に水上艦整備予算不足に泣くカールスラント海軍の懇願で、同国に譲渡され、名を再び改名して、『デーニッツ』となって(既にカールスラント側にティルピッツがいるため)、最終的にはビスマルク級『三番艦』扱いで波乱の艦歴に終止符を打つ。1957年である。大抵の世界で不運な最期を遂げたティルピッツだが、記念艦になるという、幸せな余生を得ることに成功したという。


――さて、大和はH41級と砲撃戦を開始した。扶桑側は空母以下を切り離し、単縦陣で進攻する。護衛のH41級はまだ可愛いスペックであり、大和以下の三艦で優位に立てている。問題は中央に位置する旗艦、即ちH42級である。その砲撃は鋭く、多大に優位な位置を取ろうと動く中、ついに信濃に痛打が命中する。

「信濃、被弾!左舷CIWS、炎上の模様!」

「H42か!戦闘能力は?」

「ワレ、セントウケイゾクニシショウナシとの信号です!しかしながら、ミサイルで二番主砲が損傷している模様!」

「敵もやりおる。装甲を変えてなければ大損害確実だったな」

「ええ」

参謀たちと小沢の会話は冷静だった。近代化された大和型の抗堪性に自信がある故だった。H42との比較は、攻撃力で劣り(相手がワンランク上の48cm砲である故)、抗堪性で互角と言ったところである。超甲巡の砲撃が5発ほど命中したが、バイタルパートを貫けない。ここまでは想定内だと言わんばかりの連合艦隊司令部。

「戦艦以下に波動カートリッジ弾を装填させよ。その自慢の装甲が波動エネルギーに耐えられるか試してくれようぞ、レーダー…!」

本来は空母機動部隊と基地航空隊の指揮及び、水雷戦を得意とする小沢だが、連合艦隊司令長官である以上、砲撃戦を行う機会に巡りあった。敵方の司令長官であり、ドイツ海軍の英雄、エーリヒ・レーダー元帥を多分に意識した一言だった。

――大和、信濃、甲斐はいよいよワンランク上の敵に挑む。ウィッチ達にも、ある者は空母内で休憩しつつ、伝えられる戦況に耳を傾ける。連合艦隊の誰もが固唾を呑んで、造船科学が生み出した『海の巨獣』の対決を見守っていた。先に砲熕したのは、大和であった。大和の放った9発の波動カートリッジ弾はレーダー照準と、上空にいる空母所属のウィッチによる観測と合わせた射撃は弾道を描きながら、マッハ2を超える速度でH42級に迫る――!





――余談

後に連合艦隊司令長官を辞した後の1955年頃、地球連邦海軍の雑誌のインタビューで、『この海戦の最中は終始、敵方の司令長官のエーリヒ・レーダー元帥を多分に意識していた』と告白しており、海軍軍人の誉である砲撃戦を司令長官として戦えた事を嬉しく思ってる旨の手記も寄稿し、彼の未来世界での評価を少なからず好転させたという。この海戦は第二次ミッドチルダ沖海戦として、後世に記録され、チャーチルはこの海戦の報を聞くと、『我がHMSはバスタブを前にして、湯に入るのを躊躇する子供かね?我軍も、湯に入る前にストレッチするべきではないかね』といつものパターンでの嫌味を海軍上層部に言い、慌てたブリタリア海軍は実戦テストと称し、半年後に、先行して改装されたライオン級戦艦2番艦『テメレーア』、キングジョージ級『アンソン』を基幹にした、義勇艦隊が派遣される運びとなる。



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