短編『戦後のウィッチ達』
(ドラえもん×多重クロス)



――地球連邦政府の内輪揉めに巻き込まれたウィッチ世界は、否応なしに戦争の渦に巻き込まれていった。その過程で、軍歴を持たなければ爪弾きにあうという風潮に疑問を持っていた者の多くが、日本から持ち込まれた『左派』的風潮に迎合し、多くが中途退役か、良心的兵役拒否を選んだが、同時にそれは軍に入り、死闘を繰り広げている者達との間に決定的な溝を作り、良心的兵役拒否や中途退役した者の多くが戦後に爪弾きにあい、オラーシャ出身者はロシア革命を引き起こさんと、旧ソビエトの残党と手を組むという有様であった。


――1954年 4月

1950年代半ばに差し掛かるこの時代、戦争も終戦していた。扶桑も長年の戦争で疲弊し、軍縮で、旧型軽空母と雲龍型の大半が退役、大和と武蔵も予備役に編入されるなど、軍財政の健全化が図られていた。この時の海軍旗艦は『越後』で、僚艦の播磨と共に勝利のシンボルになっていた。空軍も源田実が軍司令を退任し、後任の佐薙毅が任につき、64Fも1955年を期に解散の予定となっている。武子は当時、戦隊の残務整理をしつつ、あることを警戒していた。それは『中途退役者達が自暴自棄になり、揉め事を起こさないか』である。当時、中途退役者達は兵役を消費仕切らないで退役した事から、周囲から『穀潰し』のように扱われた。多くがウィッチである事から、誹謗中傷も浴びせられ、『魔女狩り』とも呼ぶべき状況まで起こった。オラーシャでは帝国が危うく転覆しかかり、連邦軍の介入がなければ、皇帝一家は間違いなく『リンチ殺人』され、ソビエト連邦が樹立されていたほどの事態となった。連邦軍はソビエト連邦の出現を阻止したわけだが、オラーシャのエースたるサーニャとサーシャは体制側(帝国側)に立ったため、革命軍からは目の敵にされ、同期の何人かは『皇帝派』狩りの際に、惨殺されていた。この際の革命騒ぎは『オラーシャ共産化』の野望を抱いていた中国共産党を筆頭に、資金で日本共産党が、装備はソビエト連邦の残党などの共産主義者達が引き起こしたモノで、この時代にはない装備も使われた(T-80やハインド、ミグ29、原潜など)事もあり、帝国軍は瓦解寸前に追い込まれ、モスクワ陥落も時間の問題と言われるまで追い込まれた。モスクワを包囲され、逃げ道の無いオラーシャ皇帝は連邦軍に救援を懇願。そこで連邦軍が『相手が21世紀の兵器なら、しょうがない』と介入。61式戦車(23世紀)、コスモタイガー、可変MSを駆使し、モスクワ包囲を崩壊させた。当然、21世紀の武器で23世紀の兵器は殆ど倒せないので、61式戦車が4両程度で突っ込み、20両のT-80の包囲を難なく突破するという珍事も発生した――

『オラーシャ革命騒ぎ、無事鎮圧。地球連邦軍の活躍により、革命軍首脳以下幹部は全員が逮捕され……』

武子が読んでいた経産新聞の一面には、オラーシャ革命騒ぎの顛末が記されており、21世紀水準の兵器を23世紀水準の兵器で更に圧倒し返したという珍事に近い戦闘は、オラーシャに自国技術の遅れを痛感させたという、オラーシャ正規軍の将軍らのインタビューや、シナプスの記者会見の様子も二面に載っていた。同時に、オラーシャに於ける中途退役ウィッチへの迫害も記事になっており、扶桑でもあるこの問題の解決が模索されていたが、ウィッチであった事実を隠して生きる者も多くなってしまい、当時の政府首脳の悩みのタネであった。



――そこで当時の扶桑政治界最高実力者の吉田茂は知恵を絞り、日本国自衛隊の設立課程を参考に、将来的に軍の任務の補助となり得るウィッチ主体の自主防衛組織を設立する『妙案』を考えついた。これがこの時期に内務省所管で設立された『警察予備隊』である。この当時は中途退役のウィッチ達の再就職先を作るという名目もあったので、志願者の多くは戦争中に退役した者達だった。この1954年には軍事的専門性を更に高めるため、『保安隊』に改変された。それから6年の準備期間を経て、所轄を国防省に移管した『自衛隊』となるのだ。自衛隊のアドバイザーには軍医少佐となった芳佳(当時は既に子持ち)、外人部隊にはリネット・ビショップが幹部として入隊した。自衛隊は軍が本来、供給を受けるはずのウィッチ資源の半分ほどを食った形となった事で、軍は階級が幹部級となった大戦経験者の多くを中央でなく、前線勤務に置かざるを得なくなったのだ。そのため、武子は1954年の段階で少将であり、戦前であれば中央勤務になっていて然るべき地位だ。この頃、圭子も少将となっており、この時点で佐官なのは、毎度おなじみコンビの黒江と智子の二人だけだ――


――この頃、黒江は長年下宿していた宮藤家を、芳佳の二児出産を見届けた後に引き払い、数年間の放浪の度に出ていた。父親も既に亡く、母親も亡くし、実家に戻る理由も失ったため、休暇を取り、全国をブラブラしていたのだが。

「おう、どうせブラブラしてんなら儂の家に来い」

「え、多聞丸のおっちゃんの家に?」

と、偶々遭遇した退役間もない頃の山口多聞が強引に連れ帰る形で、山口多聞の邸宅に下宿する事となった。既に多聞の子供達は独立しており、家には妻と飛龍しかいなくなっていた事もあり、ブラブラしていた黒江を連れ帰ったのだ。そのため、山口家が50年代半ば以後の黒江の住処となったのだ。多聞は元気っ子である黒江を孫のように可愛がり、それが両親を失い、戦後直後は不安定であった黒江の精神に安定をもたらす要因ともなった。彼の一期上の角田覚治元・中将は『山口の野郎め、あの年でハーレム作りやがって!俺に何人かよこせ!』と嫉妬し、保安隊に転じた福留繁元・中将(最終階級)は『山口め、女運はありおる』と唸った。角田のところには翔鶴と龍驤がおり、更に隼鷹もいたのだが、当時、20代になる三女と四女の嫁ぎ先を探しており、(未来世界だと、彼の三女は病死している)それに注力していた事もあり、あまりハーレムという感じではなかった。
また、50年代半ばは、最後の連合艦隊司令長官の小沢治三郎が長年の酒飲みの業と、退役に伴う老いで一気に肝臓を患い、体調が優れなくなってきていたため、瑞鶴はもっぱら小沢を看護している。そのため、小沢自身、自分に先がそれほどないことを悟っていた。また、史実の自分が愛妻に迷惑をかけて死んでいった事から、自分に訪れた急激な老いを嫌悪してもいて、史実でも、この世界でも戦時中に指揮した瑞鶴が心の拠り所だった。瑞鶴がいるおかげもあり、小沢の老いはひとまず落ち着き、史実晩年ほどの惨めな状況ではなかった。

「おう、そうか。小沢さんもその体調だと、あまり長くないな……気を落とすな、今すぐにどうこうというわけではない」

「どうしたのさ、おっちゃん」

「瑞鶴から電話だが、小沢さんの体調が優れんらしい。儂の見込みだと、10年も持てばいい方だろうな」

多聞が未だ健康優良であるのに対し、小沢は青年期から酒飲みなのが災いし、戦後は体調を崩しがちであった。史実を鑑みれば、小沢は多発性硬化症を発症したのが止めとなり、80歳で世を去るのだが、それに至らないで死にたいというのが小沢の願いだった。瑞鶴の前で自分の醜態を晒したくない小沢は、この晩年期に海軍関係者の集会に進んで参加する事で気力を保っていた。

「あと10年か……史実でもそんくらいだったよ、小沢さんが死んだのは」

「儂は『戦死した』せいか、逆に長命だろうが、小沢さんと山本長官は因果に囚われている、長官は戦時中に、小沢さんも危ない。となると、70年代に生きておる大将経験者は、儂、角田さん、井上さん、新見さんくらいだろう」

日本海軍で終戦時に大将級だった者は70年代までに殆どが死に絶えるのだが、井上成美は1970年代半ばまで、新見政一に至っては東西冷戦後まで存命する唯一の将官経験者となった。そのため、新見政一は70年代以後の艦娘の軍での統括管理を引退した身でありながら引き受ける事になる。(ちなみに新見政一は海兵36期であり、山本五十六などの海兵32期生から35期生が世を去り始めた50年代では最長老である)

「宇垣君も危ないらしいと聞いとるから、そろそろ海兵40期からも死者が出る時代になって来とるのは確かだ。皆、戦争が終わってガタが来たんだろうな」

多聞は寂しそうに言う。戦後は同期や直接の先輩後輩の訃報が増えたためだろう。その割に当人は健康優良で、健康診断でも肥満気味である以外は引っかかっていない。

「おっちゃんが頑丈すぎだよ。私だって、今年の検査、血液検査が上手くできないとかでさ、刺される場所が3箇所、4本も血抜かれた。くそ、あの看護師め……」

黒江は54年度の検査の際、血液検査で刺す血管を上手く探れない軍医と看護師に当ってしまい、痛い思いをした。そのため、多聞の健康優良具合が羨ましいらしい。

「ハハ、貴様は血行を良くせんといかんぞ。風呂に入らんでいる日もあるだろう?今日からは毎日入れよ?」

こんな会話をした山口多聞と黒江だが、この時期に保安隊の流れができたのは、良心的兵役拒否をした者たちがその後の迫害に耐えかえね、各地で暴発してしまった事が要因である。その結果がオラーシャの革命騒ぎであり、扶桑における街単位の騒乱である。軍役を拒否した場合のの代替役として用意されたのが保安隊(自衛隊)と、福祉への従事である。後に戦中後期生まれが長じて来ると、ベトナム戦争に従軍した当時の世代のウィッチの数が少なすぎるという問題と、自衛隊との資源の取り合いにより、ウィッチの新規志願が大幅に落ち込んだ(それまでの暗黒期である1944年後半〜47年以上ともされる暗黒期)ため、新規編成部隊が難しくなり、火消し部隊として、黒江達がまたも頑張る羽目となり、ベトナム戦争に従軍する事になる。





――黒江が山口多聞の家に連れて行かれた日、智子は智子で、戦後に行われる様になったリベリオン本国との交流事業で、ニューヨークにいた。海軍旗艦の越後が停泊している関係上、観光の機会があったからだ。

「ティターンズのおかげで、有色人種が伸長したおかげかしら。有色人種が大手を振って歩いてるわね」

終戦で事実上の敗戦を迎えたリベリオン本国だが、東海岸には戦火は及ばなかったが、ティターンズが戦前、意図的に人種間対立を煽ったせいもあり、財産や家族を暴動で失い、極貧同様の生活を送る白人の姿も多かった。黒人や黄色人種系、先住民などはティターンズの施策で『開放』されたおかげで、大手を振って出歩いているが、それまで王様のように振る舞っていたであろう白人は暴動の恐怖があるせいか、媚びへつらう姿すら見られる。史実と真逆で、立場を入れ替えたに等しい光景に、智子は嫌悪感を見せる。だが、白人の支配力が減退し、日系人が伸長し、中間管理職に早期に付き始めたというのは、日本人(扶桑人)としては微妙なところだ。おもちゃ屋を通りかかると、播磨のライバルであり、生き残ったリベリオン戦艦のおもちゃが売られていた。同艦は播磨と互角の戦力を持ち、最終決戦で大和型の大半を戦闘不能に陥らせ、超大和型と渡り合った。モンタナの発展型であり、300m級の威容であるのは覚えている。

(そいや、超大和型の砲撃で沈んでないのはこいつだけなのよね。まぁ、三笠の22インチで大破して、ほうほうの体で逃げたけど。でも、三河、甲斐を相手取って、三河の主砲塔全壊とバーベットを歪ませた。大和型の最強の敵はこいつなのよね。)

「おじさん、このおもちゃ、いくら?」

「お嬢ちゃん、兵隊さんかい?ならまけておくよ。昔のライバルのヤマトへ敬意を払ってね」

「いや、あたしもさ、かつてのライバルに敬意を表したいから定価で良いよ。あたし、扶桑の軍人なんだ。こいつらの戦った戦場にもいたからね。」

「おお、そうか。お嬢ちゃんは扶桑の軍人か。そっちの諺じゃ『昨日の敵は今日の友』だっけ?毎度ありがとう」


と、街の老舗玩具店でおもちゃを買う智子。戦争で人種差別が薄れたのがわかる風景だ。この頃には智子も31歳だが、相変わらずである。実家からの結婚の催促も来なくなり、肉体年齢が10代後半で固定に対し、戸籍上の年齢が大きくなるのがそろそろ堪えてくる年代だ。

(お嬢ちゃんって言われたけど、あたしもそろそろ31なのよね。昔なら完全に子供いる歳だし、母さんからは開口一番、ため息つかれたし!何よ!31なんて、まだまだ若いわよぉ〜!)

――リウィッチと昇神で若々しい姿を保っている智子だが、流石に戸籍上の年齢は動かしようがなく、家族からは行き遅れと言われ、子供も諦められている(肉体年齢は10代後半で半ば固定なので、その辺は問題なしだが)。麗子の母にあたる、姉の子がそろそろ生まれるはずで、智子はそっちに子孫繁栄を託している――

「麗子の母さんに当たるのよね、その子。姉さんの奴、あたしのマフラーを教育の材料に使うなんて!あ――もう!最悪!!」

智子の字の下手さ加減は母と姉から白い目で見られるほどで、姉からは電話が来る度にネタにされ、『お前のようにせんぞ〜』と公言されている。なお、その子の名は麗子曰く、『町子』との事で、あまり智子には似ていない容貌で、麗子が生き写しと言われる所以でもある。

「麗子のやつが成長した後、あたしに生き写しだから、家で盛り上がったって言うけど、あいつ、あたしにそんなに似てたかしら?」

麗子はロングヘアーにすれば、智子に瓜二つであり、親友を自負する黒江ですら、まったく見分けられないほどだ。智子は自身の容貌に自信があったので、大姪とは言え、ライバル意識がある。そのため、普段は21世紀に生きる麗子にライバル心を見せ、地下鉄の駅でファッション雑誌を買い、読みふけるのだった。



――戦後、21世紀日本でジャーナリストとしての道を歩んだ圭子は、扶桑皇国空軍少将としての稼ぎ口と別に、21世紀日本の野比家に滞在し、ジャーナリストとして修行中であった。ライダー二号=一文字隼人の妹分として、彼の下で勉強の日々を送っていた。

「ケイちゃん。いいのかい?カメラマンの俺にくっついてきて」

「この先の歴史で失われるモノも多いですし、この時代の風景を撮っておきたいんです」

2005年当時は世界情勢が後年ほどは不穏な動きはなかったので、一文字達は中東やアフリカでも真っ当な取材が可能だった。圭子は、21世紀日本が同位体とは言え、別の世界に生きる過去の人間達へ無理に懲罰を行い、それで公職追放にあった者が怨嗟を持つのも無理はないと、日本で文章を発表した事がある。実際、扶桑外務省でオラーシャ専門家として知られた者たちの多くが、『史実で杉原千畝氏の迫害を担っていた』という理由でいきなり公職追放に追いやられ、多くは網走刑務所送りにされている。中には杉原氏へ史実と正反対の良い感情を抱いていた者がいたのだが、それは免罪符にならないと言わんばかりの勢いで収監に追い込んでいた。これは扶桑政府が連邦から受け取った資料での予防措置とも言えたが、予防措置過ぎた。本人たちすら理由が理解できないで免官された事例が多かったのだ。杉原千畝は21世紀日本や23世紀連邦に取っては偉大な人物だが、彼ら扶桑外務省にとっては単なる一外交官にすぎない。これは憲兵(改変後の警務隊)、内務省が暴走した末の出来事であるので、しばらくして、日本政府から、『そちらで起こってない件で関係者が拘束されたりしているのは何故か?』という質問状がきて、やりすぎた未然拘束者の解放、留学を経て元職に復帰する者も出てくる。当然といえば当然である。しかし、その関係者の中には未然拘束で職を一時的にも失ったことへ怨嗟を持つ者もあり、それが戦争中に悪影響を生じた例も多い。これは未来と交わったことで生じた一つの悲劇であった。だが、そのようなことは1940年代に国家中枢にいた者達には他人事ではない。あの山本五十六とて、愛人に『すべてを捨てて……』とミッドウェー作戦の際に手紙を書いたほどに入れ込んでいた事がバラされ、スキャンダルになった事もある。これは1940年代の倫理観と、21世紀の倫理観との間には、どこか相容れないモノがある証であり、21世紀の倫理観が入り込んでいく事で生じる反発も当然あり、それは天皇陛下でさえも容易に手が出せなくなる。扶桑海事変で失脚した東條英機の復権、近衛文麿の第二次組閣ができなくなった事を嘆くような言葉を残した。東條は別の自分が国を破滅させた戦争を初めてしまった人物である事を受け入れ、国家中枢に返り咲くことは無かったし、近衛文麿は服毒自殺に至る経緯を恐れたか、50年代終わりには、当時の政権官僚からの退任後、政治の世界から身を引いた。東條は殆どの世界で自分が最善と信じた行為が『国家のミスリード』であったことの責任感から、自宅に蟄居し、軍籍も捨て去って、静かな晩年を送った。かの永田鉄山の後継者の器でない事を自覚していながら、陸軍強硬派を抑えられると期待された事が、彼が次元世界共通で持つ悲劇であった。


――1950年代、東條や近衛などの世代が表舞台から去ったと同時に、台頭してきたのが、吉田茂の後継者たる世代の政治家たちである。史実でも戦後に総理大臣になった世代の者達が、東條や近衛達などの『戦前期』総理経験者から世代交代する形で台頭し、吉田が隠居したと同時に頭角を現し始めた。彼らは軍統帥権を当初から持つ総理大臣の第一世代であり、先達から軍事的指導を受け、自らのブレーンも大戦での将官級であった者を入れるなどの努力を行い、軍部の掌握に努めた。現憲法には『軍人は“全て”、文官たる総理大臣及び国防大臣の指揮に従わなければならない。 ただし、不利益や損害が予想される場合代案を提示して判断の訂正を促す事が出来る』と定められたため、国防大臣は平時は警察経験者や、女性起用なども見受けられるポストに重宝されたが、戦時下では年月の経過で『文官になった』予備役軍人が配されるポストともなる。そのため、戦時下では予備役軍人が国防大臣を務めた事例が多く、古村敬造元・中将も国防大臣を経験する事になるのだった。


――この1954年当時は北郷や江藤ら戦間期世代とスリーレイブンズ世代が将官へ上がり始めた時代で、大戦を戦い抜いた者がまだ多く在籍しており、平均練度が歴代で最も高い水準であり、カリキュラムも最適化されていた。そのため、『三輪』がミサイル万能論に酔いしれた後に、この頃を理想としてのカリキュラム差し戻しが行われたほどだ。また、後のベトナム戦争に従軍した若手の半数以上は簡略化されきったカリキュラムしか教わっておらず、ドッグファイトに対応できず、後送か再起不能になるケースが後を絶たず、それが江藤にスリーレイブンズを再登板させる事を決意させる最大の原因となる。この事により、スリーレイブンズは通算で10数年以上も元の世界で戦場に居続けた事になる。結局、スリーレイブンズの努力は、反スリーレイブンズ派残党でもあった三輪が半分以上崩した状態にしてしまい、図らずも黒江達自身の予測であった1945年次の『ベトナム戦争でも飛んでるかも』という一言を的中させてしまった。戦争終結と同時に多くのウィッチが軍を去った。リーネ、パティ、アンジー。戦中のフレデリカ、ガランドなどの大物を入れれば、1945年当時の空戦ウィッチのエース級の六割は年月と終戦で退役していったのだが、残りの四割はその後も軍に残り続け、戦い続けた。その四割こそがベトナム戦争中の最古参となる世代であり、当時の佐官〜将官に相当する――



――1956年 横須賀

「おかーさん、ごはん〜」

「はいはい、ちょっと待っててちょうだいね、剴子」

宮藤家でご飯をねだる当時、3歳ほどの幼子。この幼子こそ、後に芳佳の撃墜王としての後継を担う次子『剴子』である。宮藤家は長女が『〜佳』の通字を受け継ぐので、第二子は比較的命名の自由度が高く、剴子と名付けた。後の事だが、頭脳明晰、空戦センスは親譲りで、小学校卒業後の中学在学中の段階で軍に入隊扱いとなった。通っている中学校校長が軍のウィッチ出身であり、剴子が『空の宮本武蔵』と名を馳せた宮藤芳佳の実子である事による、戦後ではほぼ唯一の特例であった。剴子はその芳佳譲りの才覚(戦闘面)でベトナム戦争で名を馳せ、派遣された当時は母の上官であった黒江の部下であった――


――時は進んで、1960年代 ベトナム戦争に派遣される数日前。

「え〜!?剴子を派遣要員にしたんですか、黒江さん」

「お、おう。まさかお前のガキとは思わんだ……名前に佳ってついてなかったしよ」

「佳ってつくの、代々の直系長女だけなんですよ、うち」

「そ、そうか。それでよ、お前もどの道呼ぶつもりだったんだけど、子連れ狼みたいな事になったな……。あっちのほうから志願してきたし、近頃のなまっちょろい連中より根性あるから、名字から、お前の縁戚か?なんて考えてたんだが、まさか二番目のガキとは」

「上の子が診療所を継ぐんで、剴子は昔の私みたいに自由にさせてたんですが、まさか同じ道に入るとはw」

「でも、お前は一応軍医、あいつは兵科なんだよな?才能が分かれて受け継がれたのか?」

「治癒魔法は上の子に、空戦センスはあの子が受け継いだらしいですねぇ」

「おい、お前なぁ。子持ちになっても変わんねーな。多聞丸のおっちゃんとこに行ってからは、年末年始しか顔出してなかったなぁ。また寄らせてもらうぜ」

「いいですよ。あ、呼ばれるならお願いしても良いですか?黒江さん。たしか、戦争終わってからは髪伸ばしてましたよね?」

「お、おう。私のヘアスタイルなんて、どーせ誰も気にしないし、翼のやつと見分けられるように伸ばしてるけど?」

「?なんだ?」

「髪、切ってもらえますか? 戦場に行くんですし」

「なにィ!?ちょっと待て!この時期、ウチの近くの美容院混んでて……」

「なら、私が切りますから、ウチに来てください」

「いいのか!?もう夜中の11時だぞ!?多聞丸のおっちゃんちからは、どんなに急いでもそっちにつくの1時近くだぞ?」

「そのくらいなら、私はまだ起きてるので」

「頼むから、変な切り方すんなよ!?」

「子供達で慣れてますから、大丈夫ですよー」

「ん?もう上のガキはいい年だろ?まだお前が?」

「ウチの近く、理髪店も美容院もないんですよ」

「おー……そうか。んじゃ支度すんぞ。頼むからミスるなよ!?」

「なーに、昔の髪型に戻すだけですって」

「あ、おっちゃん。……分かった。宮藤、おっちゃんが話があるってよー」

「え?山口さんが?」

「おう。久しぶりだな、宮藤。今は少佐だったな」

「ご無沙汰しています、山口さん」

「元気そうで何よりだ。近頃は同期の連中も顔見せられるのが減ってな。たまにはこっちに顔出せ」

「すみませんwここのところは子供達の事で忙しくて」

「何、子供は宝だ。大事に育てろ。子供が子供でいる時間はあっという間だからな」

多聞は自らの経験から、子供との思い出を大事にしろと助言する。それが黒江が姪っ子や甥っ子と積極的に関わっている理由で、それ故、後に長じた甥っ子の一人が妻へ暴力を働いた際には激しく憤り、自宅に呼びつけて殴打してしまうという暴走を起こしてしまい、自己嫌悪に陥るのである。

「今度の戦役でお前らを行かせる事に五月蝿い輩が居るようだが、儂に任せろ。現在のウィッチの練度はお前らの半分もないからな」

と、言う多聞。この当時、黒江の甥っ子の一人が誘拐される事件があり、その事件を古村中将と共に解決したため、その主犯達の残存勢力を治めるため、生存している元将官達の『将官会』が動く事になる。将官達はこうして後輩達に影響力を残し、50年代以後も影響力を行使していく事になる。




――因みに、黒江の長兄の末っ子に当たる甥っ子は90年代の阪神大震災で被災して亡くなり、遺品を引き取ったのだが、出家後は寺で自らの体験から、DV相談をしていた事と、亡くなる前、偶然再会した兄弟に、『叔母さんに子供の頃、買ってもらったおもちゃ』と、かつての自らの行為を叔母へ詫びる内容の手紙を渡していた事が判明し、それが黒江が20年近く感じていた罪悪感を晴らし、慰めになったという。多聞の言葉を黒江が痛感したのは、その事件の時である。黒江は『母親と似た事を自分がしてしまった』という恐怖から、一時はノイローゼ寸前に陥る。彼女の精神的脆さが引き起こした事件であったが、同時に家族という存在を、黒江家の『第二世代』に再認識させたという。黒江はこの事を事後も引きずっており、それが第三世代たる『翼』への熱心な教育の原動力となる。また、その甥の父である黒江の長兄は、『最愛の妹に心の傷を負わせてしまった』と、自らの厳格な教育を悔やみ、それが残りの子たちへの優しさへ転じていく。長兄は事件の遠因が自分であると言うことを気に病んでおり、病を得た晩年期まで黒江の心の傷を気にかけていたという。また、長兄に重みを背負わせてしまったと、黒江も罪悪感を感じ続けており、彼が今際の際に『あの子の事は……お前にすまない事をさせた。私の一生の不覚だ……』と呟いたのに、黒江も『そんなことないですよ、兄様……私が青いばかりに……』と涙ながらに返したという。なお、長兄亡き後、バブル崩壊で傾いた長兄一家へ相当な金銭的援助を行った記録が残されており、それが黒江にとっての長兄への『償い』だったのだろう。その子孫に当たり、黒江の後継者の座を翼と争った一人の『麗華』はその内の次男の子に当たる。なお、世代が翼の代に移り変わり始めた頃に判明するが、黒江家は『代々の世代の末子が、その世代で最も強い能力を発現させる』という事が三兄の調べで判明し、1010年から20年代生まれ世代の末子に当たる綾香が強力なウィッチなり、聖闘士になった事は自明の理だった。それは第二世代の最も若い甥に当たる『亮介』、第三世代の大姪『翼』の存在でも証明された。そのため、黒江は自身が戸籍的に老人となる年代に、高校在学中の翼を三兄の家庭から養子縁組で引き取り、以後、自身の後継として育て、黒江が蘇る年代でも未だ存命であり、その時代の一族最長老としての地位についていたという。――







――それから数日後、当時には大神工廠をも凌ぎ、最大の軍港になっていた横須賀から、一隻の超大型空母が出港する。扶桑が建造したばかりの最新鋭スーパーキャリア『瑞龍』である。当時の最新鋭艦であり、艦載機も先行配備された第4世代機で固められていた。出発式典が行われた後、同空母に都合、三度の再結成がなされた64Fは乗り込んでいた。同隊は第二次解散時の編成をほぼ受け継ぎ、スリーレイブンズがそれぞれ大戦期(大戦終結直後に起こった第二次扶桑海事変含む)と同様の地位におり、なおかつ当時の幹部級がそのまま復帰し、その大半が将官級であった事から、この第三次活動期を『ジェネラルズオブウィッチーズ』と呼称する。これは当時の軍広報部公認の愛称でもあり、それが更に後世に定着し、64Fがベトナム戦以後は常設になる理由でもあった。なお、空軍の部隊の愛称は第二次活動期の後期から、プロパガンダの意味合いが濃いがつけられており、その当時は『レイブンズオブウィッチーズ』を称していたので、愛称は2つある事になる――

「あー、とうとう予想が当たっちまったぜ」

「確かに。あの時は冗談だと思ってましたよ」

「でもよ、私達が期待されてるって事は、『今の若手はてんでダメ』って事だ。だから、若手からは疎まれてるんだぞ、ウチ」

「あの時は『平均年齢が一番若い』部隊だったんですけけどねぇ」

「まぁ、戦地じゃヒーヒー言ってるから、揉んでやろうぜ。ミサイル万能論の世代に『本当のドッグファイト』を教えてやろうぜ」

空母の格納庫で会話する黒江と芳佳。黒江はかつての髪型に戻し、芳佳もそれに合わせ、往年のヘアスタイルに戻しているため、芳佳が成長した以外、往年そのままの光景だ。

「そいや、こうしてお前と話すの、いつ以来だっけ?」

「第二次事変の時以来ですね。もうかれこれ10年ですね。剴子が生まれて間もない頃だったし」

――なんだかんだで、50年代後半期は第二次扶桑海事変(朝鮮戦争相当)があり、64Fの解散は結局、その後にずれ込んだため、この後、常設になる理由でもある(解散の度に動乱が起こるため)。また、動乱の度にその鎮圧の中心的役割を果たしたこともあり、第三次活動期以後は『軍ウィッチ最高の部隊』である事を売りにプロパガンダしていく。また、大戦終結直後の動乱であったので、併せて『大戦』と呼ぶことが多い。しかし、ベトナム戦争は怪異の少数化と引き換えの強力化も顕著となっており、当時の主力ストライカーのF-4では、流石の64と言えども対抗が難しく、当時の宮藤理論の集大成たる『F-15』/『F-14』/『F-16』の開発が急がれる事になる――

「で、どーするんです?あの頃に使ってた機材は残ってるんでしたっけ?」

「量産MSとかはジェイブスとフリーダムに替えてあるし、Z系の多くもプルトニウスとかに世代交代させてある。ガンダムタイプは近代化改修でどうにかなるし、これは前と同じだ。この空母にもZ系を載せてある。あれなら戦闘機感覚で載るしな」

「ちゃんと操縦を覚えてます?」

「連邦軍人としちゃバリバリの前線勤務だし、バッチリだっての。ウチの部隊は連邦からもバッチリ援助受けてるから、その気になりゃデンドロビウムだろーか、ディープストライカーだろーがもらえる」

「ゴップ議長にコネ作っててよかったですね」

「連邦議会議長だから、連邦軍もあの爺さんの意向には逆らえないし、これぞコネ万歳だ」

ゴップ。連邦政府議長であり、かつては『ジャブローのモグラ』と渾名された官僚軍人である。彼はこの時代でも、機材の融通で影響力を行使しており、MSは最新鋭のモノを『貸与』名目で配備させていた。彼の援助により、64は以前同様に『未来機材』の保有部隊となっていた。太平洋戦争で使用していた基地に再駐留する事もあり、往時の再現に等しかった。だが、もちろん、当時とまったく同じというわけでもない。新生64の顔ぶれは、6割が往時からの顔ぶれ、2割が太平洋戦争に『別部隊で勤務していた者』、残りの2割%が『黒江の直属であった新進気鋭の若手』である。この別部隊の顔ぶれには、太平洋戦争中は244F隊長であった大林照子少将や、飛行59Fの北郷萌子(北郷の妹)中佐、吉田好実少佐(70F)などの当時に軍に残っていた猛者達がいた。彼女達は戦間期、飛行学校教官や基地司令、航空軍司令の職についていた者達で、皆、平時の任務に暇を持て余していた、武人肌の者達だ。北郷については、姉の北郷章香からの贈り物という形で配属され、大林は源田への恩返しである。


――余談だが、坂本の子の美優が嫁入りしたのは、この萌子の息子なのだ。章香が手を回し、萌子の子『貴久』と美優を結婚させたが、美優は軍嫌いであったため、夫の実家を見た時はみっともないほどヒステリックになったという。彼女が彼と離婚しなかったのは、結婚後に百合香を身ごもったからだ。そのため、美優は死後の坂本からは『親不孝者』とレッテルを貼られる事になり、夫の貴久や実子の百合香からも最終的に『家族』と見なされないという悲劇的な結末を迎えるのだ――


「よ、お二人さん」

「なんだ、萌子か。オメーの姉貴からの贈り物ってのは……。」

「今回、久しぶりに姉貴に会ったら切り出されてね。で、あんたらのとこに回されたわけよ。田舎の飛行学校の教官なんて、暇が多いから、姉貴の話に乗ったんだよ」


「お前、戦間期はどこに?」

「アリューシャン方面軍の飛行学校教官。辺鄙な田舎さ。私は戦後も残ったから、上が『扱いにくい』って左遷させたわけだ。北郷家の人間だし、姉貴を怒らせるわけにもいかんし」

北郷家は軍人を代々輩出し、出身者が講道館の幹部にもなっている名家である。そのため、萌子の『戦時向け』の気質を疎んじた平時の統合参謀本部は、北郷家への義理立てとばかりに、アリューシャン方面で飼い殺ししたので、運良く、このベトナム戦争の緒戦の惨劇には関わっていない。ベテランウィッチが意外と多く後送されている。当時、ミサイル万能論のおかげで、近接武器すら持てない状況だったからだ。

「緒戦は敗北らしいな、黒江」

「ああ。最悪だよ。だから、江藤隊長が第二次事変基準のカリキュラムに大急ぎで戻したが、若いのは殆ど使いもんにならん」

「それで、まともな教育受けて、大戦も生き延びた私ら世代が集められたわけか。姉貴が嘆くわけだ」

「そうだ。私らは勝たないといけない宿命だからな」

「スリーレイブンズの威光再び、か?とはいうものの、あと数年もすれば四十路だろ、お前」

「戸籍上の話はよせよ。甥っ子や姪っ子も一番上はそろそろ中坊になるから、言われるんだから。何言わせるんだよ。それはそれだ、肉体の歳なんざどうにでもなる、リウィッチ化ってのはそういうもんだろ?」

「確かにな。見かけなら、宮藤もお前も、この私も15、6に見えるからな。宮藤は子持ちだというのにな」

見かけは10代、実はアラフォー女性というのが、この時期の大戦従軍世代ウィッチたちの年代層である。圭子に至っては40代に入っているが、17程度の外見である。

「あ、宮藤はふつーに年食ってるから。リウィッチじゃねーぞ」

「何ぃ!?本当か!?」

「は、はい。子持ちなんですけど、ふつーにウィッチやれてますし、外見も10代からそんなには」

「これぞ宇宙の神秘だな…」


芳佳は膨大な魔力があり、尚且つ希少な『リンカーコア』が生まれつき活性化している血筋のウィッチである。後天的に覚醒したスリーレイブンズと違い、リウィッチとならなくとも、老いが通常より遅いのだ。それ故、芳佳の外見が老いを見せ始めるのは60代で、しかもその際に若返るので、結局、普通に肉体が老いた時間は帳消しという反則級のウルトラCを行うのだ。

「宮藤の一家は水戸黄門のお銀みたいなもんだろ、見た目に関しては」(数十年体型も変わってないそうな)

「うーむ……。坂本や姉貴から聞いていたんだが、信じられん……」

「だから、今でも10代で通じるんですよ。娘と並ぶと『姉妹』って言われます」

「なんだよ〜それ!私なんて、ガキの頃から姉貴と並ぶと親子って言われてたってのに!」

萌子が拗ねる。自身が初陣の第一次事変当時は坂本と並んで、『親子』に勘違いされる率が多く、姉がリウィッチとなり、自身もなって、外見の差が縮まっても『親子』扱い(章香と萌子は10歳離れている)されているからだ。

「なんかそれ、坂本にも聞いたぞ?」

「あいつは私より姉貴に似ていたしな。私は10代の頃に顔に傷がついたから、違いが出たけどな。お、そだ。現地の状況だが、ルーデル大佐がまた大暴れしたそうだぜ」

「何、大佐の人外ぶりに磨きがかかったって?」

「うむ。なんでも、孤立無援の敵のど真ん中に落っこちたのに、気力でどうにかしてきたそうな」

「ダイレンジャーかよ!」

「いやさ、もうガーデルマン中佐がドン引きしてたぞ」

「いつものことだろ」

ハンナ・ルーデルはこの時期でも大佐止まり(当人が出世を嫌がっている事もあるが)であったが、五星戦隊ダイレンジャーから気の制御方法を教わったらしく、ほぼ丸腰の状態で強引に敵陣突破、帰還に成功するという人外ぶりを見せていた。いつもは煽るガーデルマンも、『気力だァァ!』な発想にはドン引きであったが、なんだかんだで付き合い、シシレンジャーのポーズを取れるくらいの身体能力を見せた。(ちなみに、ダイレンジャーの名乗りポーズは好評で、大戦時にはルーデルがハルトマン、マルセイユ、黒江、智子と一緒に隠し芸として見せたという)なお、国民への建前上、『世界平和』を表向きの信条として掲げているルーデルだが、その実はウォーモンガーの気質を持つ戦士であり、スポーツの分野でも優秀な成績を残している。メルボルン五輪では、棒高跳びでカールスラント連合国に栄冠をもたらした『アスリート』である。冬季五輪でもスキープレーヤーとしてエントリー、そちらでも金メダルをかっさらうプロ級の腕を見せ、21世紀世界の五輪にドイツ連邦共和国の選手としてもエントリーし、プロ選手らと互角の腕を見せ、銀メダルに輝く。彗星のごとく現れたので、21世紀世界のスポーツ界を震撼させる。

『私にこれと言った秘訣は無いのだが……』

ルーデルにとって、スキーは単なる平時の趣味にすぎないが、極めていたため、プロ級の腕前となっていた。それは21世紀各国のスキープレーヤー達を震撼させる一言だった。

「あの人、メルボルン五輪で金メダル取ったろ?21世紀の冬季五輪にも出たの知ってるか、萌子」

「いや、初耳だぞ」

「向こうの21世紀の冬季五輪で、ドイツが交流で選手を派遣してくれってカールスラントに要請だして、皇帝が直々に指名したのが大佐だったんだよ」

「嘘だろ!?」

「本当だって。自衛隊の隊舎でぶったまげたぞ、私ゃ」

それは2014年ごろのソチ五輪での話。カールスラントがドイツに送った秘密兵器として彗星のごとく現れ、銀メダルをかっさらった。ルーデルが本職でなく、空軍軍人である事は話題になり、TV中継の解説者も『アマ主体の時代ならいざ知らず、現在で通用するとは』と解説した。しかし、ルーデルはアルペンスキーでプロプレーヤーたちに遜色ない動きを見せ、銀メダルに輝いた。他国選手も驚愕を見せた。ノルディックに出なかったのは、フィンランドが最強兵器である『アウロラ・ユーティライネン』を連れてきて、ダントツで金メダルをかっさらう事を知っていたからだ。そのため、ノルディックはアウロラ無双で、フィンランドにダントツの栄冠をもたらす。これは日本で『チートだ!!』と言われるほどの無双ぶりで、一流選手があっさり抜かれていく様は、他国には悪夢である。ソチ五輪は大荒れとなり、結果、アウロラがノルディックを全種目制し(史実と異なり、女子も行われた)、クロスカントリーではルーデルを下すなど、とにかく目立ちまくる。フィンランドの国歌がスキー競技で流れまくり、食傷気味の日本人も生じたほどだ。開催国のロシアも顔色を失うほどの大活躍であったという。

「で、アウロラと大佐が大暴れしたから、日本も次の五輪に呼ぶ話出たんだよなー。ヒガシにも柔道と射撃でかかってるはずだ」

「出るのか、加東は」

「らしいぜ?あいつ、射撃に自信あるから、乗り気で。メルボルンで金取ったのが嬉しかったんだな」

「日本は柔道がそんなに弱いのか?」

「うむ……。2000年代に世代交代して、暗黒期に入ってるからなー、それとさ、日本の手を離れた競技になっちまったからな」

「ほーん。なるほどな。そいや、年齢的に今度の戦が私達世代にとっちゃ最後の戦になる。思えば遠くへ来たもんだな」

「そうだな。初陣が37年で、今や軍の古参だし、同期にゃ子持ちになってる奴も多いし、7割は戦前期の兵役の満了と終戦で退役してる。完全に職業軍人になった連中に至っちゃ2割だ。死んだお袋や叔母からは『物好き』って言われたよ」

――旧・陸軍航空士官学校での黒江の期以前の卒業生の多くは第二次扶桑海事変の終結で退役し、この時代に軍に残っている者は黒江を入れて、ごく少数である。そのため、黒江は第二次事変が終結しても軍に残り続ける事を、同期の多くからも『物好き』と言われていた。仕方がないが、黒江や萌子のように、『戦い続ける事が己の存在意義の確認』である者達は意外と多く存在する。坂本がこの時代まで軍に居続けている理由も『軍にしか自分の明確な居場所がない』という切実な事情によるものなので、意外に黒江と坂本は似た者同士であった。

「お袋が死ぬ前、軍をやめなかった事で恨み節言われた事がある。その気になれば女優に転身できるし、その才能もあるのに……ってな。女優は柄じゃねーし、親父が死んだ時に決めたしな……自分が生きる道を」

「それと、『自分にとっての家族を守るため』だろ?姉貴から聞いたよ。お前、505の壊滅から、『自分が守りたいモノに縋ってる』そうだな」

「ああ。あの時の二の舞いはもう嫌だからな……。だから、今の性格になったんだよ。もし、あれがなきゃ、航空審査部で余生過ごした後に女優に行ってたかもな」

黒江は精神の再構築後に於いては、戦い続ける事が自分の存在意義の証明とする心理が強く作用していた。皮肉にも、ティターンズのMSが理不尽に教え子を奪う光景が本来、平時においては優しく、穏やかな性格の彼女を戦神に変貌させたのだ。誇張されはしているが、寝ぼけている時の幼児性が素の姿だ。智子はその事を1947年に指摘しており、黒江自身も自嘲気味にその事は自覚している。『本質的には戦いが本義ではなかった自分を闘争の道に誘ったのは、未来世界で滅んだはずの巨人達とゲッター線』であると。

(これがあんたの望みだってんだろ、竜馬さん。ゲッターエンペラーと一体化してまで、あんたは私に何をさせたいんだ?ヒガシを取り込んだのはそのためなのか?)

ゲッター線は圭子を最終的には取り込む。その際の様子は以下の通り。

「ああ、ヒガシ、ヒガシ―――……」

(智子、黒江ちゃんを頼んだわよ)

ゲッターロボで自爆せんとする瞬間、圭子は微笑を浮かべ、取り出した炉心をゲッターの腕で握り潰し、光になって消えた。その行為はかつての巴武蔵と同じであり、自爆の瞬間、黒江は絶叫した。数百年を共に生きた、自分に翼以外で残された『家族』だった圭子の命が消え去った事を悟り、大泣きした。その後、竜馬の最後の遺産『真ゲッタードラゴン』を使い、敵は倒した。晩年期にゲッターパイロットにもなったのは、圭子の代わりをしようとしたからであった。

(それからだったな。晩年の数十年にゲッターに乗ったのは。今の私なら真ゲッターと真ドラゴンにも乗れるから、未来で使ってみるかな。いや、取り寄せるかな?あ、それと今の時間軸だと、剣の奴は『エンペラー』も得てるはずだな。今度話してみるか)

ベトナム戦争の時間軸になると、マジンガーも世代交代が進んでおり、グレートマジンガーはグレートマジンカイザーに進化したが、それと別に『ゴッドのラインで再設計した』新規建造機も完成していた。それがマジンエンペラーGである。元々、グレートマジンガーはゴッドに至るまでの試作機であったが、マジンガーZよりも安定しており、扱いやすい『第二世代機』として見直され、その発展型が日の目を見た。エンペラーはゲッターロボアークから得られた技術も投入されており、翼がマント状になっている他、マジンカイザーと同等以上のパワーと破壊力を秘めている。なお、グレートマジンカイザーの動力源が整備性が低い事を反省し、ゴッドマジンガーと同規格の反陽子炉を積んでいる。


「うん?エンジン音だ」

噂をすれば影、という言葉があるが、そのエンジン音はマジンエンペラーの『エンペラーオレオール』のものだった。

『よお、久しぶりだな』

「あれ、お前、エンペラーの実戦テストか?」

『できたてホヤホヤなもんでな。空輸してるところだ』

「それ、どうやって作ったんだよ、そっちじゃ、デザリウム戦役から5年も経ってないだろ?」

『ああ、資材はカイザーフレーム、ゴッドの予備エンジンとかでどうにかなったよ』

エンペラーは新規設計機だが、資材はありあわせのものを使っている。フレームはマジンカイザーの修理用に製造された、ニューZαを使った『K』系フレームを、エンジンはゴッドの予備エンジンを流用している。外装の一部はゴッドの完成後と同じく、合成鋼Gを使用していて、エンペラーオレオール部に使用されている。

「あれが新しいマジンガーか。トゲトゲしてんなぁ」

「マジンカイザーよりはトゲトゲしてませんよ、あれ」

「本当か?」

エンペラーはグレートマジンガーの意匠が多く受け継がれているので、パワーアップを強調したデザインのマジンカイザーよりは幾分かおとなしい。そのための芳佳のコメントだ。

因みに、マジンガー系の内部構造は、Zはモノコック構造、グレートマジンガーはセミモノコック構造で建造されていた。Zは基地のバックアップを当初は想定しておらず、整備性に難があった。そこで、兜剣造は一年戦争からデラーズ紛争期の連邦系MSに見られたセミモノコック構造を取り入れ、グレートマジンガーを作った。マジンカイザーはゲッター線による進化で、モノコック構造からフレーム構造に内装も生まれ変わっており、これによりマジンガーもフレーム構造に世代交代する風潮が仕上がった。そのため、マジンガーは、グレートマジンガーまでを『第一世代』、グレンダイザーとマジンカイザーの技術導入後に設計・建造された機体を『第二世代』に技術的な分類が出来る。そのため、グレートマジンガーまでに見られた『外装の損傷による機能停止』の問題が解決されている。(これは量産型グレートマジンガーとの戦闘で確認された問題であり、ゲッターロボGの攻撃で外装の損傷率が上がると、機能停止に陥る事が明らかとなった)この問題もあり、マジンガーはフレーム構造に切り替わったのだ。

『護衛は任せろ。今回はベトナムだそうだな、綾ちゃん』

「おう。案の定、ミサイル万能論のせいで引っ張り出されちまった。本当なら、基地司令してる年齢なんだぜ」

『まぁ、こっちでも米軍が苦労したから、歴史通りといやぁ歴史通りだが、どうするんだ?ファントムじゃ小回り効かんだろ』

「クルセイダーストライカーを用意させた。旧式だが、15と14の完成まではこれで持たせるつもりだ」

『ますますベトナム戦争だな』

「ファントムをストライカーにした時、船方式の復活も検討されたが、現場の強い反対で宮藤理論型の改良に落ち着いたんだよ。レーダーを積んだから、大型でな。ミサイルしか持てなくなった上に、ミサイルの制御とかのFCS操作スイッチもついてるから、レーダーユニットを攻撃時両手で保持する必要がある。それで被害が大きくてな。改良型でレーダー部の小型化と機銃装備の復活がされたが、相手に遅れはとる」

『E系統ができたんだろ?どんな感じだ?』

「レーダーユニットを背中に回して小型化、サブアームで銃を携行する感じだ。一部に未来技術入れたから、レーダーユニットを持って操作しなくても良くなったし」

F-14とF-15に武装ユニットという形でバックパックが導入された理由としては、F-4初期型の開発時の電子技術の限界による『ミサイル運搬機』の性格が強かったための要求で、武装ユニットの思想が生まれるのは必然であった。重武装と高機動性を両立させるために武装ユニットに武装の多くを搭載し、近接武器を携行する。これはF-4Eのサブアーム機構を経て完成する。その際にはガンダムタイプ(F91とV2アサルト)のバックパックから腰周りの設計が参考とされた。しかし、戦線ではサブアーム機構は故障も多く、大戦経験者主体の64では、ファントムE型よりも、昔ながらの設計のクルセイダーのほうが好まれたとの記録が残されている。また、この戦いでマジンエンペラーGが大活躍し、帝王の名にふさわしい威容を見せたのは言うまでもない。



――大戦が終わると、ウィッチ達は戦い続ける者、リーネのように、自分なりに立ち位置を見つける者、平和な道へ行き、戦いに戻っては来なかった者とに分けられる。この頃に設立が進められた陸海空自衛隊は、ウィッチ古来の価値観にこだわった結果、家族の崩壊に繋がった者、良心的兵役拒否をした者、戦中に逃げるように去った者達などの罪滅ぼしの場として機能するようになる。やがて、世代が移り変わると、『兵役に準ずる扱いの仕事』とされ、実質的な第二軍隊として扱われるようになると、今度はその住み分けが議題となり、80年代の総理大臣『中曽根康弘』はその議題に取り組む事になるのだった――



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