アイドスと出会い、セリカを追った。
そして、ハイシェラと約束を交わしたあの時から、どれほどの時が経っただろうか。
もともと時間すらない場所に存在していた私だったので、その辺りの感覚が未だにどうも分からない。
――アイドスによればおよそ五十年といったところらしい。
紅き月神殿での別れの後、私とアイドスはディジェネール地方からアヴァタール地方にかけてを転々としていた。
時には翼を消して人間たちの中に混じり、宿屋で依頼を受けて旅の資金を稼ぐ。
これは私の翼が物質ではない霊的光子――古神としての力の源で形成されていたことが幸いした。
だが、魔神にして古神である私には人間族の生活など全く分からない。
そのため当初は金の扱い方から、宿屋での滞在の仕方までアイドスに尋ねることが多かったように思う。
かつて旅をしていただけあって、彼女が詳しく説明してくれたことでどうにかなった。
もしも私一人だったら今頃浮浪者になっていただろう。
また時にはどことも知れぬ辺境の遺跡に立ち入り、魔物と戦っては戦闘での直感と、知識だけだった剣術を学ぶ。
おかげで今となっては、そうそう後れを取るようなことはなくなった。
年を取らない私は、騒動を避けるために一つの場所に留まるようなことはなく、差し詰め冒険者のようなものだった。
アイドスはとても神と魔神には見えないなどと笑いながら言っていたが、そんなに変だったのだろうか?
神といえば、レウィニア神権国の水の巫女に会うことがあった。
旅の間に訪れることがあったのだが、あの女はかの地の全ての水を支配下に置いているらしい。
どれだけ私が気配を消そうともすぐに見つかってしまった。
彼女は水精霊から神霊に至ったとされる地方神であり、何かをするにしても代価を求める。
しかし中立神であるため、その分古神に分類される私にも寛容な存在だったのは素直に喜ぶべきことだろう。
使者を名乗る男に連れられ城の座所にて対面する。
会話を交わし、しばらくこの地に滞在する許可が欲しいと申し出た。
するとあの陰険女は客人として屋敷を用意させる代わりに、魔物の討伐を依頼してきた。
……私同様、常に何の変化もない顔が僅かに悪戯を思いついた子供のように見えたのは気のせいだろうか。
いや、あれは絶対に面白がっていたように思う。
悩んだが、もはや私はそういった人の手に負えない魔物と戦い経験を積むことでしか強くなれない。
騒ぎを起こすのも不本意故に、アイドスの勧めもあって依頼を受けることにした。
私の姿は一見しただけでは人間族と変わらない。
だから、水の巫女の客人ということで、当初のころは興味本位に屋敷を訪れる人間も多かった。
だが、やはりヒトとは根本的に違う異質な気配までは誤魔化せないようだ。
レウィニアの民の間に畏怖の感情。
それと共に、力の解放を行った姿からか“黒翼”などという二つ名が広まり始めるのに、そう時間はかからなかったように思う。
そんな数か月の滞在の後、いよいよレウィニアを去るとなった当日だった。
リブリィール山脈で石化されていたはずの、邪神オディオの行方が分からなくなったことを巫女本人より教えられる。
アイドスはひどく動揺していたが、私はそれほどでもない。
予想以上に早かったことに驚きはあったが、それだけだ。
それに、今のところはどうしようもない。
全てを殺すと言われたらしい魔神バロールの魔眼でもあれば話は別だ。
しかし、そのものはディル=リフィーナ創生以前に死んでいるとアイドスが語っている。
やはり、瘴気の塊ともいうべきオディオを滅ぼす術は、浄化の効力を有した“聖なる裁きの炎”しかないのだろうか。
そんなことがあってから数十年後、風の噂にケレース地方にて神殺しが騒乱を起こしているということを聞く。
神殺しといえば、今のところその通り名を持つ資格があって、生きていると思われるのはセリカだけだろう。
しかし、争いを嫌うアイドスの姉を慕っていたセリカが、わざわざそんなことをする理由があるようには思えない。
だとすれば――体を奪ったのか、ハイシェラ。
放っておくことも考えたが、なぜか焦燥に似た胸のざわめきを感じた。
おかしな話だが、私はどうやらセリカの身を案じているらしい。
それにアイドスは何も言わずにいたが、慈悲という彼女の権能。
その性質が影響を与えているのか、争いという点を気にしているように思える。
結局、事の真相を知るため、そして、五十年前の約束を果たすために、私とアイドスはケレース地方に赴くことにした。
したのだが、ケレース地方に入って早々、何故かいきなり自分以外の魔神に出会うことになるとは思わなかった。
それも――
「我が名はアムドシアス! 美を愛する魔神ぞ!
どのようにして結界を破ったかは知らぬが、我の領地に無断で立ち入った無粋者は貴様か!」
「……アイドス、この五月蠅いのは何だ?」
『ただのアホの娘よ。相手にしなくていいわ』
「……そうか」
「こら、待たんか! ええい、我を無視するな!」
◆
ケレース地方は冥き途があるためか、薄暗い森が多い。
また常に異種族間での争いが絶えないため、深部に行くほど怨霊の類が跋扈している。
国でいえば、人間が統治するのはイソラ王国のみ。
他には、現神ルリエンを信仰するエルフの国トライスメイル。
かつてはドワーフの国だったが、今は神殺しが統治しているらしいターペ=エトフ。
そして、
「神殺しとはハイシェラのことではなかったのか?
やつは破壊を振りまくだけの愚か者ではあるが、腕力だけは無駄に強い故な。
古神を殺したとしても驚きはせぬ」
色彩豊かな花々の咲く庭園で、紅茶を飲みながら語る目の前の魔神。
華鏡の畔に拠点を構える“一角公”アムドシアスが統治する領域だ。
ハイシェラと同じ蒼い髪を、丁度首の辺りで綺麗に切り揃えた女魔神。
魔神でありながらソロモン72柱という、私と同じく古神に属する存在。
特徴的なのは尖った耳と、頭に生えた二つ名通りの鋭い角。
彼女との出会いは本当にひどいものであった。
だが名を名乗り、神殺しが何者であるのか。
もしも魔神ハイシェラのことであるならば、何故その体を持つに至ったかを聞き出す。
そしてかつての約束通り、魔神ハイシェラと戦うために来た、と告げた。
すると魔神にしてルシファーという名であることが興味を惹いたのかは分からない。
あるいは、結界を斬った神剣アイドス・グノーシスに興味を示したのか。
それともここに来る以前に依頼の報酬代わりに受け取った絵画を渡したのが良かったのか。
魔神アムドシアスは、
「ならば我が協力してやろう。光栄に思え!」
と言い出し、唖然としている間に、強引に森の中からこの畔まで連れて来られた。
「それを確かめるためにケレースまで来たのだ。
別にハイシェラの行動にどうこう言うつもりはないが、私の記憶では女神の体はセリカという人間のものだったのでな」
「……我を謀るな。ただの人間が古神に勝てるわけがなかろう。例え神格者であっても難しいぞ」
「その辺りの事情は今はどうでもいい。ただ、神殺しが魔神ハイシェラというのは確かなのだな?」
「そうだ。それは間違いないぞ。何しろこのソロモンの一柱が言うのだからな」
「……ドワーフ王インドリトを破り、オメール山と合わせて拠点にしているのか」
白い円形のテーブルに置かれたケレース地方の地図を見ながら呟く。
そこで私は、アムドシアスが侍従に持って来させた紅茶を一口飲む。
普段、私もアイドスも物を食べるということがあまりない。
しかし旅をしている間に朝食に出されたそれだけは妙に気に入り、以来好んで飲んでいる。
なかなかおいしい。
思わず心地良さからか、息が漏れる。
何故かアムドシアスは紅茶を飲む私をじっと見て、僅かに頬を染めて呆けていた。
いったい、どうかしたのだろうか。
……まあいい。
それより、私は別にケレース地方に戦争をしに来たわけではない。
そのつもりならば単身などではなく、ディジェネールの魔族を従えてから向かった。
だから友好関係にあるならともかく、正直ハイシェラと敵対している一角公に手伝ってもらうことがない。
……どうしたものか。
そう思っていると、座った椅子に立てかけて置いたアイドスが、言葉ではなく感覚共有で不愉快だという意思を伝えてきた。
話に混ざれないのが嫌なのだろうか。
――仕方がない。
「そ、それにしてもあの忌々しい、どこの馬の骨とも知れぬ魔神め。
人間族の姫を連れ去りイソラ王国を脅し取るとは美を解せぬにもほどがあるわ。
そもそも――」
「話が長くなりそうなら私は帰るぞ。取りあえずターペ=エトフに行けば会えるだろうからな」
相手がハイシェラなら国家ならともかく、性格上個人にいきなり襲いかかるような卑怯な真似はしないだろう。
自分の話に陶酔仕切っているアムドシアスを無視して、私とアイドスは畔を去った。
「だいたい貴様は自分の容姿を気にしなさ過ぎだ。
どうしてもというなら、我が認める芸術の一つに列してやっても――って……。
おい待て! だから我が話しておるだろうが! 我をまた無視して行くなー!」
一角公が黒翼を広げて飛び立つ間際に何か言っていたようだが、
『毎回言ってるけど、貴方というヒトは何年経っても本当に変わらないわね!』
というアイドスの相変わらずよく分からない説教を受けていたせいで、私には全く聞こえなかった。
あとがき
アムドシアスは不遇?
いえ、これが彼女のキャラなので問題ありません。
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