ハイシェラの軍に合流した私たちは、一路ターペ=エトフへと進路を取った。
 その間に五十年前の約束について訊くと、

「あの魔法剣を見せて貰ったからの。それで良しとしておこうぞ」

 如何に暴君といえども、以前なら兎も角、人の軍に動きがありそうだという現状で、目立つ争いは厳禁だそうだ。
 こちらとしても約束だからこそ戦う覚悟はしていた。
 だが、本人がいいというならそれに異論はない。
 それから、私とアイドスはハイシェラの友人という扱いになるらしい。
 周囲を飛ぶ他の闇夜の眷属にも彼女は語って聞かせる。
 納得している闇夜の眷属たちの様子を不思議に思い尋ねてみると、どうやらあのハイシェラに他にも友人がいるとのことだった。

「御主、我を馬鹿にしておるのか?」

 額に青筋を浮かべ、睨みつけてくるハイシェラにすまなかったと謝る。

「確かにお前と話していて、悪い気はしないからな」

 それで多少機嫌を直したハイシェラに、その古き友の名を尋ねた。
 何でも、冥き途の番人ナベリウスというらしい。
 アムドシアスのときもそうだったのだが、その名前に何故か懐かしさを感じる。
 ソロモンの一柱だという話を聞いて、この奇妙な感覚の原因に見当がついた。
 熾天魔王の記憶か――。

 



 ターペ=エトフは、周辺を山に囲まれた城郭都市だ。
 前の主であるインドリト・ターペ=エトフはドワーフ族。
 そのためかその意匠は美しく、トライスメイルの神殿と比較しても遜色はない。
 しかし、アイドスによるとドワーフ族は迷宮作りにも精通しているらしい。
 堅牢な作りの高い城壁。
 外からでは窺うことはできない都市内部も、外敵を退けるために入り組んだ作りをしていると思うとのことだった。

「謁見の間……いや、我の私室でよかろう」

 そう告げて竜から飛び降りるハイシェラに習い、私も翼を畳んでゆっくりと降下した。
 先に降り立ったハイシェラが、迎えに来たらしい口をマスクで覆った一本角の男。
 おそらく魔人に何やら話しかけているのを視界に捉える。
 魔人というのは元人間から魔に転じた者のことだ。

 やがてその魔人は降り立った私に気付いたのか軽く会釈をし、先に城に戻って行った。
 話を終えたハイシェラがこちらに顔を向け、

「では行くぞ。御主……いや正確にはアイドスに会わせたい者もおる」
『私に?』
「うむ。もはや必要ないかもしれぬが、一応な」





 邪魔になる黒翼を消して想像以上に入り組んだ都市の通路を通り、ハイシェラの住む宮殿内部に入る。
 周囲の山が一望できる、朱色の絨毯が敷かれた謁見の間。
 そこを通り過ぎ、薄暗い石造りの廊下を渡る。

 途中、精臭の漂う区画があった。
 しかし、闇夜の眷属の軍であれば睡魔もいるだろう。

 魔神ハイシェラであるならば、敗戦国の姫に調教くらいしていてもおかしくはない。
 嫌な笑みを浮かべたハイシェラが気にはなった。
 だがいつものようにアイドスが動揺するのを感じたくらいで、特別思う所はない。
 ハイシェラは、そんな私とアイドスに半分不満だというような顔をしていたが。

 ハイシェラの私室はアムドシアスのあの庭園に比べれば簡素なものだった。
 一角公のように絵画や花を飾ったりしているわけでもない。
 テーブルに椅子、魔術書の並んだ本棚、天蓋にレース付きのベッドが置いてある程度だ。

「あの者が来るまで時間がある故、その間にセリカのことを話しておこうかの」

 ベッドに足を組んで座るハイシェラに促されるように、神剣を壁に立てかけて椅子に腰かける。
 紅い髪を一度かきあげるようにしてから、彼女は口を開いた。

 ハイシェラが語るセリカの軌跡は、それはこの世界であってもあまりに悲劇的なものだった。

 あの時セリカが語ったやらなければならないこと。

 すなわち、古神は決して悪ではない。
 それを理解してもらうためにバリハルト神殿に向かっていたセリカは、途中で自分を追ってきた一人の人間と出会う。

 フノーロという地下都市に迷い込んだセリカを、服に食事にと世話をしてくれた好青年。
 しかし、女神の肉体を得たセリカ自身に固執し、原因は不明だが、遂に狂ってしまったアビルース・カッサレという魔術師。
 闇夜の眷属である彼は己の魔力を暴走させ、生贄を用いた捕縛の儀式を以て、女神の肉体を奪おうとしたらしい。

 名も知らぬ一人の神官の女性を犠牲にしながらも、なんとか逃れた先。
 バリハルト神殿で待っていたのは、かつて同胞だった者たちが敵意の視線を向けてくる姿。
 古神は悪なのではなく、悪は古神なのだという教えに忠実に従う神官戦士たちは、セリカに牙を剥いた。

 心に多大な傷を負って辿りついたその先に待っていたのは、生贄となった神官たちの血を代価にバリハルト神の力を宿した大司教。
 そして――慕っていた実の姉の死。

 事ここに至ってついにセリカは、自分は災いを招くだけの存在でしかないと絶望。
 精神を女神の体の奥底に眠らせてしまったらしい。

 かつて交わした約束の通り、ハイシェラはそんな自分自身に“負けた”セリカから女神の肉体を譲り受けた。
 以来、女神の体を手に入れた彼女はここケレース地方で、五十年に渡ってインドリト・ターペ=エトフとの戦いを演じることになる。
 使い魔からの伝聞も多少はあるのだろうが、それがハイシェラの語るセリカの軌跡だった。

「セリカが起きる可能性はあるのか?」
「そうじゃの……セリカの使い魔たちは信じておるようじゃが――それも、こやつの意思次第じゃろう」

 思うところがないわけではないが、僅かに残念そうに語るハイシェラの言は正しい。

『……それは、あのオディオが招いたことかもしれないわ』

 それまで黙っていたアイドスが、徐に口を開いた。

「ほぅ、御主もそう思うか」
『私が邪神だった時に行っていたのは、人の心の収集と浄化。
 触れたものから感情を奪い、それを浄化することで、憎しみも争いも無い世界を作ろうとした。
 ……浄化は慈悲の女神である私では不可能だったけどね』

 まるで、自身の傷口を無理やり開くように、苦しげな声音で彼女は語る。
 止めさせようかと思ったが、ハイシェラの視線で開けた口を再び閉じる。
 ……必要なこと、ということか。

「それで、セリカのこととそれがどう関係するのかの」
『……人から感情を奪う場合、一度その感情を引き出さなければならないの。
 もしもオディオがそれを行っているとしたら――』
「以前話した時から気にはなっておったが、女神よ。……人の憎しみとはなんだと思っておるのだ?」

 割って入るハイシェラ。その表情は険しい。

『有ってはならないものよ。少なくとも、人は憎しみあうために生まれたんじゃない。
 あの方法は間違っていたことは認めるけど、それだけは今も変わらないわ』
「……どうやら、やはりあの者と会わせる必要性があるようだの」

 呟くようにいうハイシェラ。
 その姿はまるで妹を案じる実の姉のようで――

「来たようだの」

 ハイシェラの言葉と共に開いた部屋の扉に目を向ける。
 そこには魔人に連れられた、金髪碧眼の女性が立っていた。





「お呼びでしょうか、ハイシェラ様」

 彼女の口から出た声は、鈴音のように部屋に綺麗に響いた。

「うむ。シュミネリアよ、不自由はないか?」
「はい。皆さんに、良くしていただいています」

 胸元の開いたドレスに、紫色の宝石が埋め込まれたティアラを着けた女性。
 金糸のような髪は、秘境で見つけた宝のように美しい。

「シュタイフェ、御主はもう下がって良いぞ。もはや雌狐に逃げ場などあるまい。
 次は彼奴の居場所、花鏡の畔を攻める。パラパムにも動いてもらうやもしれぬ。準備をしておけ」

 女のような口調で承諾の返事を返した魔人は、ハイシェラににやりと笑ってみせ、一礼をしてその場を去った。

「さて、それで御主を呼んだのは少々訊きたいことがあっての。しばし話し相手をいたせ」

 彼女はハイシェラの視線の意図を察したのか、私のことを気にしながらも隣の椅子に腰かける。

「あの……こちらの方は……?」
「ああ、そやつは我の客じゃ。無愛想だが、悪いやつではないぞ」
「……名はルシファー。ハイシェラと同じ魔神だ」

 名を告げた私に彼女は呆気にとられたようだったが、クスリと笑って、

「確かに悪い方ではないようですね。シュミネリア・テルカと申します」
「……イソラ王国の姫君か」

 シュミネリアは目を丸くした。

「ご存知なのですか?」
「――アムドシアスに会ったのであろうから当然か」
「ああ、一角公にケレースの情勢を聞き、お前が敵対していることを知って、それでお前の考えを推測した。
 先ほどあの魔人に言った言葉通りなら、どうやら予想はあたっていたようだな」

 魔神であるハイシェラの敵となり得るのは、この地にはもうほとんどいない。
 ガンナシアに続いて、ターペ=エトフというケレース最大の国家が無くなったため、同じ魔神でかつ敵意を持つ一角公くらいだ。

 彼女を最大の敵として考えれば、軍を率いるものとしては無闇に争いを起こすメリットはほとんどない。
 逆に友好を結ぶか相互不可侵を提案するのが妥当。
 メリットなど、それこそハイシェラの欲求を満たすくらいのことしかないだろう。

 トライスメイルに侵攻しておきながら軍を引いたのはまさにそれが理由だ。
 バーティガヌとの戦闘で、それなりに満足したハイシェラ。
 自惚れでなければ、私の一撃もその目で見た。
 ならば制圧などしなくとも、一角公の逃げ場所になり得ぬならば、わざわざ戦を長引かせ一角公に攻め込む隙を与える必要はない。

「そんなところじゃないか?」
「ククク、ほとんど当たっておるぞ。
 違うのは、引いた理由はそれもある。
 じゃが、アムドシアスがわざわざ魔力の残滓を残し、見つけてくれと我に懇願してきたからの」

 猛禽類のような笑みで答えるハイシェラ。
 こういう顔も悪くないなどと思っていたら、神剣から何やら圧迫感を感じた。
 私を責めるような感情だが、何かしたか?
 そんなことを考えている間にハイシェラは表情を綻ばせ、シュミネリア姫の方に顔を向けていた。

「それでだ、シュミネリアよ。
 アムドシアスの拠点を攻略した後、我が相手にするのはどこの軍勢か分かるか?」
「……マーズテリア神殿ですか」
「そうだ。人の軍が動くという話を聞いての。アムドシアス辺りなれば知っておるだろう。
 ケレースに関わる可能性があるのはイソラ王国と友好関係にあるマーズテリア神殿。
 ……確か御主はマーズテリア神殿に縁があったの」
「はい。夫がマーズテリアの勇者です。
 ……夫と連絡を取れるように、マーズテリアの方が側に控えてくれていました」
「戦となればどうする?」
「意地悪な質問はおやめください。
 ……避けられないこともあります。
 ただ……私は兵士の命を預かる立場の貴方が、軽々しく戦いに踏み切るとは思いませんので」
「ほう……我が魔神であるのにか」
「それが、今の私の偽りなき心です」

 その言葉に、ハイシェラは僅かに顔色を変えた。
 困惑でも憤怒でもない。
 それはかつて私がハイシェラと戦ったときに、最後に彼女が見せた表情に似ている。
 新しい好敵手でも見つけたかのような――喜悦。

「御主は我を恨んではおらぬのか。御主からすれば、我は祖国を脅しておる敵ぞ?」

 シュミネリアはそれに僅かに悩むようにして、

「王には民を守るという責務があります。
 ……私の国では父である王が優柔不断で決断の時期を誤った。
 結果として臣下同士でぶつかっていました。
 王の元に纏まることができなかったこと。
 おそらくは、それがハイシェラ様に敗北した原因なのでしょう。
 ……もちろん、恨んでいないと言えば嘘になります。
 ですがそれ以上に、ハイシェラ様の傍らでその行いを見て、王たるべきものの姿を知り、尊敬の念を抱いたのも事実なのです」
「……そうか」

 笑みを崩さずにハイシェラはそう一言だけ呟いた。

「訊きたいことは終わりだの。時間を取らせてすまぬな。次に話す時は我が出向くとしようぞ」
「いいえ、私でよろしければいつでも」





 シュミネリアは私とハイシェラに一礼し、彼女自身が呼んだ人間族の侍従に連れられて部屋を辞した。
 ハイシェラに聞けば、彼女たちはイソラ王国より彼女を慕って追従してきた者たちらしい。

『それで、彼女との会話を私に聞かせてどうするつもり?』
「別に何も」

 事も無げにハイシェラはそう言う。

「御主、我に高尚な説教でも期待していたならば、それは期待外れぞ。
 我はただ会わせたい者がおると言っただけだの。
 第一、我がそんな面倒なことをすると思うか?」
『いいえ、思わないわね』
「即答されるのもそれはそれで不愉快だの。
 ……まあよい。我はアムドシアスの拠点に攻め入る準備をする故席を外す。
 滞在するならばここの隣の部屋を使うと良いぞ。それと、城内は好きに行動してよい。
 出て行く場合は――」
「マーズテリア神殿との交渉になら顔を出すつもりはない。
 レウィニア神権国に客としていたことがある以上、下手な勘繰りをされて水の巫女に迷惑をかけるわけにはいかないからな。
 それ以外のことならば、場合によって協力しよう」

 肩を竦めてハイシェラは答える。

「そうか。――御主らしいといえば御主らしいが、あてが外れたの。
 だが協力するというのは、この体が扱える“聖なる裁きの炎”のみが、オディオを滅することができると考えたからか?」
「それだけではない……と思う。
 あえていうなら、セリカは二人目の友人だと感じたのかもしれない。
 向こうはどう思っているか分からないが、な。
 ……何にしても、私は戦争をしにケレースくんだりまで来たのではないぞ」
「分かっておる。御主を顎で使うなら、きっちり打ち負かしてからにしようぞ。
 ……でなければ面白く無いだの」

 そうして、アムドシアスの拠点を攻める準備をすると告げ、ハイシェラもまた部屋を出て行った。





 このままハイシェラの部屋にいるというのもどうだろう。
 私はアイドス・グノーシスを手に隣の部屋に移動した。
 部屋の内装は元より客室なのか、ハイシェラの部屋とそれほど変わらないようだ。
 紅い月の昇る空が見える窓を開け、神剣を壁に立てかけるとベッドに座る。
 アイドスは黙ったまま、言葉を発することはない。

 シュミネリアとハイシェラの会話で私が感じたのは、可能性だ。
 人間というものは自覚は無くとも、時に恐ろしいまでの柔軟さで成長するというものだった。

 これが私やアイドス、ハイシェラのような寿命が存在しないものになるとなかなかそうはいかない。
 だからこそ、アイドスは悩んでいるのだろう。
 一度慈悲という存在意義を与えられたものは、なかなかそれを変えることはできない。
 ハイシェラが戦いに存在意義を見出すことと同じように。

 だが、私はそれでもいいと思うのだ。変えられぬのならば、間違えないようにすればいい。
 しかしそれは一人では無理だ。
 一人では間違いを指摘できるものがいない。
 そのために――あるいは、私がいるのかもしれない。

 アイドスにかけるべき言葉は――今の私にはない。
 私はベッドに身体を横たえ、やがて眠りに堕ちた。



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