「ルシファー、御主別れも告げずに何処かへ去ったと思えばハイシェラの元におったのか!」
「当初から神殺しを探してこの地に来たと言ったはずだが?」
「……そう言われると、なんぞそのようなことを申していた気がしないでもないが。
だからといってこのような馬の骨のところではなく我のところにおれば!
……美しき旋律でも奏で、相応の持て成しをしたというに」
「他所の魔神である私に客室まで用意してくれたのだ。私はそれで満足している」
「ルシファー! 御主のような魔神がこのような輩に組するなど」

 シュミネリアとの会話から数日後のことだ。
 その日、ターペ=エトフ城の私の部屋を訪れたのは、すでにハイシェラに敗れたはずの一角公だった。
 初めて会った際に着ていたビロードの服は脱がされたのだろう。
 金色の薄手の下着姿のまま両の手は鎖で結ばれ、正座するような形で椅子に座る私を見上げている。

 ――目尻に浮かんだ涙と、僅かに赤らんだ頬。

 ……胸に何やら込み上げてくるものがあるが、これが何なのか私には分からない。
 分かりそうな人物に思い当たって、一角公の鎖を握るもう一人の話題の人物に顔を向ける。
 私が常に起伏のない表情をどのように変化させたのかは知らないが、どうやら読み取ったらしい。
 彼女――ハイシェラは口元を吊り上げて、

「その感情は加虐心というのだの。……まあ、分からんでもないぞ」
『ルシファー、思いっきり虐めてやって』

 アイドスまで随分と活き活きとした声で返してきた。

『お前は慈悲の女神ではなかったのか?』
『ええ、そうだけど?』

 どうやらアムドシアスだけは別らしい。
 ……確かに五月蝿いが、悪い奴ではないと思うぞ。

「何を言っておるのか分からぬが……くそ、何故我のルシファーがハイシェラなんぞに」

 いつから私はお前のものになった?
 お前が私のものになるのならばいいが。

「まあ、そういうわけだの。場合によっては協力すると言ったのだから、御主にはアムドシアスの世話を頼むぞ」

 そういうわけとはどういうわけだ、ハイシェラ?
 そしてアイドス、心の中だけおしゃべりとか言うな。

「待て、世話とはどういうことだ?」
「うむ、こやつを我の使い魔にしたのだが、ルシファーがおると言ったら御主に会いたいと言い出しての」
「それで、何故私が一角公の世話を?」
「なに、その方が面白そうだからの」

 それでハイシェラは、後は任せるとでもいうように忍び笑いを浮かべて部屋を出て行った。
 アムドシアスの鎖を外していったのは何か意図でもあるのか。




 
 華鏡の畔――かつてはアムドシアスの拠点であったあの地は今、ハイシェラの支配下にある。
 シュミネリアとの会合から一週間後のことだ。
 華鏡の畔攻略に軍を動かしたハイシェラ。
 私が以前破壊し、一角公が張り直したらしい結界を、女神の有する強大な魔力で強引に再破壊。
 樹木でできた迷宮を蹂躙し、待ち構えていた少し涙目だったらしい一角公を撃破。
 以て、ケレースほぼ全域を手中に治めるに至る。
 その時点で訊くべきことを訊き終えた私たちは、ケレースを去っても良かったのだが、ある存在が私にその行動を躊躇させた。

 ――邪神オディオ。

 アイドスと話し合った結果、やつがケレース地方にいる可能性がある以上動くことはできない。
 元よりあてのない旅なのだから、しばらくはここで世話になるのもいいだろうと、滞在することを決めた。

 そもそも私が旅を続けていた理由は、魔神として生きる術を身につけるため。
 そして己がこの世界に在る意味を探すためだった。
 だが間接的に私が原因で生じたであろうかの存在を、探し出して倒すという目的もあった。

 しかし己の存在意義こそ見つかりつつあっても、五十年の旅の中で奴を倒す方法はどうしても見つからなかった。
 それが邪念という形のないものである以上、浄化するしかない。
 だが、この世全ての悪意の結晶を浄化できる力などそうそうあるものではない。
 トライスメイルで分体とはいえ実物に遭遇した今、その思いは更に強まっている。
 おそらくは、本当に“聖なる裁きの炎”以外に滅する方法はないのかもしれない。

 あれはアイドスのような古神。
 ルリエンのような現神。
 私やハイシェラのような魔神。
 セリカのような神格者。
 シュミネリアを始めとする人間族やシュタイフェのような闇夜の眷属。
 ――否、この世のあらゆる生命体の何れにも当て嵌まらない。

 生物の本能が敵だと即座に判断するほどの邪気を纏った生物。
 あれは、今となってはもはや真の意味で災厄を撒き散らす“邪神”だ。
 だからこそ、邪悪なモノを滅ぼす審判の具現である“聖なる裁きの炎”のみが、やつを滅する可能性を持っているといえる。

 アイドスを救ったこと。
 忘焔の山でオディオの元となったものを見逃したことについては後悔などはない。
 今もそうだろうが、あの時の私にはあれを滅することはできなかっただろう。

 それに、結界を張るにしても私には結界魔術が扱えない。
 例えアイドスとのことがなかったとしても、見逃すしか方法はなかったからというのもある。

 それにセリカやハイシェラという何人かの例外はいるものの、アイドス以外に興味を持てない私だ。
 人間がどうなろうと知ったことではないという感情が強い。
 オディオの振りまく邪気で、知りもしない多くのヒトが狂ったとしよう。
 だが人間たちが関心の無いことには目もくれないこと同様、やはりまだ私にとってそれは些末事でしかないのだ。
 アイドスはそれを、悲しむかも知れないが。

 しかしここにきて五十年前よりも、私はオディオを倒さなければならないという気持ちが強まっている。
 かつては倒せればいい程度に感じていたものが、倒さなければならないに変わり始めている。
 それは旅の間に少なからず人間と接したためなのか、実際に対面して感じた本能的な忌避感によるものなのか。
 あるいはハイシェラに告げたように、過去を思い出し、今になって友だと認識したセリカに危害を及ぼす可能性がるからなのか。
 それはもやもやとした霞のような気持ちのため、分からない。
 ただ私は不思議と、それが悪い変化であるとは感じなかった。





 アムドシアスが華鏡の畔での戦でハイシェラに敗れ、使い魔になってから二週間ほどが経った。
 ハイシェラの予測通りに動いたマーズテリアの軍勢。
 そこで彼女は、オウスト内海に面するフレイシア湾での交渉を選択した。
 アイドスと関わって、あいつも少し気性が穏やかになったのかもしれない。

 ただ、ハイシェラと軍神マーズテリアの勇者が決闘するという想定外の事態がらしい。
 魔神としては望むところだろうが、交渉役の人間からすれば堪ったものではないだろうな。
 それでもハイシェラの気まぐれで、何とか穏便に解決したらしい。

 神殿の要求はイソラ王国の王女シュミネリアの解放。
 代償としてハイシェラが要求したのは集結していたマーズテリア軍とその勇者であった。

 だが、彼らを今失うわけにはいかないと、先史文明期の遺産が眠るとされるオメール山の地図を、交渉に立った神官は提示した。
 人間にとっては未開の地で踏み入ることすら躊躇われるケレース。
 そんなところに大規模組織であるマーズテリアが、小規模程度でしかない中途半端な軍を動かす。
 それを訝しんでいたハイシェラだったが、交渉の場で神官が告げた言葉に納得したそうだ。

 曰く、オメール山には先史文明期の遺産が眠っている。
 その遺跡の封印が解かれるまでは、マーズテリアはケレース地方を騒がし古の業に触れてはならない。
 そんな約定を神殿側は、レウィニア神権国より更に北東にあるメルキア王国と結んでいたらしい。

 ただでさえ巨大な組織であるため、制約も多いのだろう。
 だが、それでマーズテリアが戦わない理由は分かった。
 しかし、勇者とその軍の代わりに提示されたのは未完成な古い地図一枚。
 それでは足りぬとハイシェラは交渉を打ち切るつもりだったらしい。

 返して欲しくば力ずくで来いというハイシェラ。
 そんな彼女にマーズテリアの勇者、ヴィルト・テルカが決闘を申し込んだ。
 勇者とはいえ神格者でもないただの水竜騎士と魔神の一戦。
 結果は言うまでもなくヴィルト・テルカの敗北。

 だが止めを刺さんと歩み寄るハイシェラと勇者の間に、シュミネリア姫が割って入った。
 姫であることを捨てただ泣いて助命を請う姫に、ハイシェラは興醒めだと剣を納める。

「次はオメール山へ出向き彼の地の遺跡を暴くことにする。
 まずは華鏡の畔にてケレースを支配した祝いの宴を開くだの」

 そんなことを告げ、彼女はシュミネリア姫を引き渡し、地図を受け取りフレイシア湾を去ったらしい。

 そこまでを嬉々として語ったハイシェラの参謀役、魔人シュタイフェに言わせれば「ハイシェラ様も丸くなったものね」だそうだ。
 しかし私としては、本当に興が醒めただけではないかと思う。
 それよりもハイシェラが決闘に勝ったことを聞き、宴の席で顔を青褪めさせていたアムドシアスの方が気になった。
 いくら勇者とはいえ、神格者には届かない一介の水竜騎士でしかないヴィルト・テルカ。
 そして神殺しの肉体を得た魔神が“戦いになった”という。
 おそらくこの、アホの娘……だったか?
 ……アムドシアスが何かしたのだろう。

 それで私はといえばアイドスに請われ、オメール山について行くことを決めた。

 華鏡の畔の客室にて事の顛末を知り、アイドスは一応は安堵していたようだった。
 しかしオメール山の遺跡という話を聞いて、思い当たる節でもあったようだ。
 深刻そうな声で、単独で行くつもりらしいハイシェラと共に向かって欲しいと告げられる。

 アイドスの声音の理由は分からないが、意味のないことを私に言うことは余りない彼女の言だ。
 加えて宴の席から時折、何かに気を取られているようなハイシェラの姿を見て、私はその言葉に従うことにした。

 花鏡の畔での宴といえば、その席でハイシェラがオメールが終れば次はレウィニアに攻め入ると語っていた。

「確かに水の巫女には世話になったが、お前に世話になったのも事実。
 魔神の私がどちらかに参戦するようなことはない」

 ――と事も無げに言うと、ひどくつまらなそうな顔をしていたのが印象に残っている。
 乾杯が終って席を外すと告げた私に、

「これから一角公が踊りを披露するが、見ては行かぬのか」

 それほど興味があったわけではないが、一角公までもが見ていけというので残ることにした。
 だが、途中までハイシェラさえも魅了する舞を踊っていた一角公の様子が突然おかしくなった。

「何、アムドシアスの酒に媚薬を混ぜただけだの」

 そう言ったハイシェラは、調教役として信頼しているらしいバラパムという魔人を呼び寄せ、

『ハ、ハ、ハイシェラ! お姉様の体にいったい何やってるのよ!』
「……んっ、はぁ……御主も、参加したいなれば、ルシファーにでも……んっく……頼めばよかろう。
 それにこの体は、すでにセリカに貫かれておる。御主は、知っておるだろうに……んんんっ」
『……ルシファーが望むなら私は……別に……』

 舞はもう終ってしまったのか、ハイシェラと共に快楽に没頭し始めたアムドシアス。
 折角残ったというのに時間を無駄にしたと思いながら、私は片言で独り言を呟くようになったアイドスを連れて、広場を去った。

 翌日、これからオメール山にいくというのに妙に疲れた様子の一角公に会う。
 不思議に思って話を聞いても、酒池肉林がどうのこうのと呟くだけで要領を得ない。
 騒ぎ疲れてこの様だというのなら、少し考えものではないだろうか。





「先史文明期の遺跡か。いつでも探索はできると思い放置しておったが、まさかこのような場所だとはの」

 視界に映るのは明らかに天然の洞窟とは違う、機工技術が用いられた、材質不明の壁。
 洞窟の入り口付近には、かつてこの地で戦い朽ちたのだろう。
 戦士の亡骸が五十年立った今でも、所々が欠けた骸骨となって野晒しに去れていた。

 また別の場所では、最近に魔物同士が争ったのであろう跡。
 抉り出された眼球や腐敗した肉。
 鋭い牙によって抉られた地面が乾燥地帯であるためか消えずに残っている。
 弱肉強食の世界であるケレース地方の在り様をまざまざと見せ付けていた。

 ――ガンナシア王国の跡地、オメール山。

 宴の翌日、そこに封じられた遺跡を私とハイシェラ、使い魔となったアムドシアスは訪れていた。

「しかし、御主がまさか同行を申し出るとは思わなかったぞ。なんぞおかしな物でも食べたか」
「どういう意味だ?」
「御主、面倒事は嫌いであろう」
「……アイドスの頼みならば話は別だ」
「ククク、そうか。それは確かに別だの」

 何が可笑しいのか、アムドシアスに結界を解かせ、そのまま遺跡の先導を任せたハイシェラ。
 くるくると愛用の片手剣を回しながら、さも面白いことを聞いたとでもいうように笑っている。

「以前から気になっておったのだが、アイドスとは何者だ?」

 こちらを振り返らずに、前を行くアムドシアスが問う。
 さて、アムドシアスに言うべきかどうか。
 別に知られてどうというわけでもないが、一々説明するのもそれはそれで面倒でもある。

「ルシファーの恋人だの。ほれ、今はその大剣に宿っておるぞ」
『ちょっとハイシェラ!?』

 恋人。確かその言葉の定義は自らが恋愛関係にあるものに対して用いる呼称だったか。
 セリカでいえばサティア――アストライアがそれに当たる。
 では私とアイドスの関係はというと、

「いや、恋人というより、それ以上の、無くてはならない半身……という表現が正しいと思う」
『ル、ルシファー!?』

 焦ったようにいうアイドスに首を傾げる。

『何か変なことでも言ったか?』
「相も変わらず、その辺りには無頓着だの御主は……」

 ハイシェラが何か言っている。
 だが私は何故か呆然としていた一角公に詰め寄られてそれどころではなかった。

「こ、こ、恋人だと!? それは誠かルシファー!」

 私の真紅の上着の襟首を掴んでがなる一角公。

「恋人ではなく半身だと言っている」

 そう事実を告げたのだが、余計に喧しくなった。

「ハイシェラ、剣と言ったな。
 ……御主の背中の物だな。ええい、そのような姿でなく元に戻らぬか!」
『五月蝿いわね! 
 貴女を殴りたくても、紅き月神殿のような魔力が満ちた場所でないと元には戻れないの! あ、こら触るな!』
「会話などできぬであろうに、不毛な争いだの」

 そう思うなら止めて欲しい。
 そんな私の視線を察したのか、耳打ちしてきたハイシェラの言葉をそのまま口にしてみた。

「アムドシアス、私は別にお前のことは嫌いではないぞ」

 何を言われたのか分からなかったのか。
 唖然としていたアムドシアスは、我に返った瞬間、陶磁のように滑らかな頬を朱に染めて、再び私の襟元を掴んで揺すり始める。

「それは本当か!」

 愉快気に笑うハイシェラを揺れる視界で認めながら、私たちはオメール遺跡を下層へと降りていった。





「……どうした。進まぬのか」

 遺跡を進む中、急にハイシェラが足を止めた。
 怪訝に思ったらしいアムドシアスが近づいて訊く。

『……違和感があるわね』

 アイドスの言葉に私は周囲を確認してみるが、特に何も感じない。

「ハイシェラ、アイドスが何か感じたらしい。……地図で確認できるか?」
「我も違和感を覚えての。故にすでにやっておる。……ここか」

 そう言って地図で場所を確認してから、通路の壁を探り出した。
 使い魔故に逆らえないのか、何故我がと舌打ちをしながら、アムドシアスも同様に壁を調べ始める。
 それに私もならうが、ほどなくしてハイシェラが何かを見つけた。
 ふいに緑色に点灯する誘導灯。

「我を誘っておるのか。――これは面白くなってきたの」

 挑戦的な笑みを崩さず、どうやらハイシェラはその明かりに従って、隠されていた路を進むようだ。
 ――ハイシェラとアイドスのみが感じたらしい違和感。
 それが何なのか私には分からないが、ハイシェラの体は元は女神アストライアのもの。
 ここは彼女たち姉妹に縁のある遺跡なのだろうか。

 それに先程からどうにも嫌な予感がしてならない。
 最悪の事態も想定し、サタンの力を顕現させることも視野に入れながら、後を追った。

 巨大な断層にかかった橋を渡り、吹き抜けの筒状の広場を抜ける。
 途中、線路のようなものがあったが、ここはかつて鉱山でもあったのだろう。
 更に奥へと進み、地下四階へと続く階段を降りる。

 そこでハイシェラが再び立ち止まって、今までとは明らかに違う気配を放つ光る石に呼びかけた。
 光が強まり、幽体のように透けた体でその場に現れたのは、トライスメイルの長――白銀公。
 古代の遺物には他の力を取り込むものもあり、利用するつもりが利用され、自らが魔導具の贄になってしまう。
 白銀公は、故に遺物に触れてはならないと忠告をし、進むのであれば、結末を見届けるため石を砕いて持っていくように言う。
 もしもハイシェラや私に何かあれば、諸共に封印するということなのだろう。

「白銀公、そういうことにならないようにするために私がいるのだが」
『確かに貴方なら……打ち破る可能性がないわけではありません。ですが……」
「分かっている。聞いてみただけだ」

 長として最悪の場合を想定するのは当然のこと。
 相互不可侵の口約束を結んだとはいえ、私が“魔神”であることに変わりはないというのもあるだろう。

「例え聞かぬと分かっていようと、掟に従い忠告をするのがエルフか。
 我にはやはり性に合わぬな。まあ、よかろう、我の働き、確とその目に焼きつけよ!」

 ハイシェラは手にした剣で瞬時に石を砕き、その破片の一つを握って更に奥に進む。

「やれやれ、あやつの気まぐれには困ったものだ……」
「ぼやいても仕方が無い。追うぞ」

 愚痴をこぼすように言いながらも、私の言葉に頷く一角公。
 ……白銀公が警告するほどの代物。
 果たしてこの先にはいったい何があるというのだろうか。




あとがき

 》にじファンから読んでいて、急に消えて驚きましたが、再び投稿されるようで安心しました。
 申し訳ありません(汗
 今後はシルフェニアさんの方で投稿することになりましたので、今後とも宜しくお願いします。



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