レクシュミの後に続いて歩くこと数刻。
 かつて私とアイドスが暮らしていた屋敷のあった場所に辿りつく。
 建て直したとは聞いたが、一見しただけでは当時と変わったところがない。
 レクシュミに尋ねると、様式の流行を無視し、面影を出来る限り残したという答えが返ってきた。

 提案をしたのは神殿派の騎士たち。
 水の巫女がレウィニアに最初に降臨した場所のように、この屋敷もせめて景観だけは残そうと考えたのだそうだ。

 その辺り、どうも私のこの国での噂が影響しているらしい。
 水の巫女の依頼や剣術の会得のための騎士団訪問。
 趣向品として食料などを買いに頻繁に街や城に出向いていたから、私の姿を見た騎士は意外に多い。
 もう亡くなっているだろうが、手伝いと称して訪れた侍従も何人かはいた。
 だからか私がこの地を去った後、屋敷に戦勝祈願をするため、一部の騎士が参拝に訪れていたらしい。
 姿を見せない巫女ではなく、存在が確実な“おかしな魔神”である私の方が、げん担ぎには良かったのだろう。
 尤も今では、民衆の感情を考えそのようなことはなく、見世物になる心配はないそうだ。
 だが、どうやら私は水の巫女の忠実な下僕か何かと勘違いされている嫌いがある。
 
 ……水の巫女め、まさかこれもお前の思惑通りなのか。

『知らなかったの? 水の巫女からは逃げられないのよ』
『それは当然だろう。あいつはアヴァタールほぼ全域の水を支配下に置いている』
『外堀を埋めて、貴方を傘下に加えようとするとは、流石水の巫女。やるわね』
『……ああ、とんでもないやつだ。まさかこのような手を打ってくるとはな』
『……ルシファー、一応言っておくけど冗談だからね』
『何がだ?』
『……いいえ、何でもないわ』

 水の巫女に問質さなければならないことができた。
 だが、様式が変わっていないというのは有難い。

 清き水の流れるレウィニアの風景を一望できるバルコニー。
 入り口から入って直ぐの、広い大広間。
 食堂、地下倉庫など、記憶を思い出しながら場所を確認していく。

 レクシュミはそんな私の後を、とりとめもない話をしながらついて来ていた。
 私が滞在してからは、この屋敷は先に述べたような有様だったので、来客用の宿舎としては使われていないこと。
 それでも予備として、家具は一通り揃えてあること。

 数日ほど前に魔神ハイシェラに会った事も聞かされたが、私が古い友人だと語ると少し驚いていた。
 彼女から見ても、下僕はいそうだが友などいるようには見えなかったのだそうだ。
 
 そんな話をしながら一通り見て回り、私はレクシュミに呼び止められて立ち止まった。

「そろそろ今後の方針を決めたいと思うのだが、よいだろうか」
「ああ、そうだ……そうだったな。懐かしい、というのだろうか。……ついつい夢中になってしまった」
「いや、構わない。貴方と別れた後に兵士から受けた情報では、神殺しの到着までもうしばらく掛かるようだった。
 それに……こういうのもそれなりに悪くは無い」

 そう言って、彼女は穏やかに笑ってみせた。

 大広間と中庭を結ぶ廊下は日当たりが良く、光に反射して彼女の金の髪が輝く。
 碧眼に宿る意志は、どこか危うい印象も受けるが、だからこそ人を惹きつける何かを感じさせる。

「折角ここに来る途中で茶葉を買ったのだ。用意するから、中庭のテーブルで待っていてくれ」

 そう言うと、なぜかレクシュミは口数の少ない一角公でも見たような顔になった。
 私が紅茶を入れられるのはそんなに意外だったのだろうか。

「……魔神にも様々な性格の者がいるのは知っている。だが、貴方はそんなことをどこで覚えたのだ?」
「各地を巡っているうちに、食事は取らずとも紅茶だけは飲むようになってな。
 何年前かは忘れたが、自分でも入れられるように宿屋の店主に習った。以来自分なりの味を出せるように努力はしているが……。
 まあ、それなりに飲めるものではあるつもりだ」
「……まさか、掃除や洗濯まで出来たりはしないだろうな」
「長期に渡って宿が取れない時は洗濯くらいはしている。嗜む程度ではあるが。
 それに、この屋敷に滞在していた間は確かに侍従の手も借りたが、身の回りくらいは掃除していたぞ」

 何故か侍従からは変な目で見られていたが。

「……貴方は本当に魔神なのか?」

 レクシュミはいったい何を言っているのだろう。

「見ての通り魔神だが、それがどうかしたのか?」
「……何でもない。ただ私の魔神に対する先入観が、たった今破壊されたところだ」

 それだけ告げると、レクシュミは中庭の方に足を向けた。
 彼女の態度を不思議に思わないでもないが、何でもないというのだから大丈夫だろう。
 確か先程見て回った限りだと、食堂に茶器があったはずだ。
 レウィニアは水の国でもある。
 さぞ、素晴らしい紅茶を入れることができるだろう。





 中央にある噴水を囲むように、様々な花が植えられた花壇のある中庭。
 その一角に、ちょっとした休憩や昼食のためのテラスが造られている。
 
 私が茶器一式をトレイに乗せて中庭を訪れると、レクシュミは所在無さげに椅子に座っていた。
 常日頃騎士として諸国を回っているため、忙しいことが普通になっているせいかと思う。
 長い旅の中でその手の人間は多く見てきたが、もう少し余裕を持ったほうがいいのではないだろうか。

 そんなことを考えながら、私は受け皿に乗った紅茶のカップをレクシュミの前のテーブルに置く。
 取っ手を左側にするのが作法らしいが、流石に貴族出身なだけあって、当然レクシュミも知っていた。

 背負った神剣アイドスを床に降ろす。
 抗議の声があがったが、無視した。

「巫女の力だろう。レウィニアの水は不純物が少なくとても飲み易い。
 紅茶の香りも損なわれることはないし、色も透明に近くなる。
 茶器も内側が白く、香りが広がり易い浅い形の、なかなか良いものがあった。
 後は温度なのだろうが、こればかりは感覚だよりだからな」
「……随分と拘りがあるのだな。貴族の中にも紅茶の入れ方に五月蝿い者がいるが、自分でやろうとする者は稀だぞ」
「それこそ私には理解できない。拘るのならば誰かに任せたりせず、自分でやればいいのだ」

 唖然とした様子で私を見るレクシュミ。

『感覚共有で私も貴方の紅茶の味は知っているけど、すでに趣味の一言で済ませられるような代物じゃないわよ……』
『いや、まだまだだ。紅茶は香りと色が重要だが、水に不純物が多ければゴールデンルールを満たせなくなる。
 一時期、海水から塩分や不純物を取り除く魔術を本気で考えようとしたが、見事に失敗した。せめてあれを完成させなければ』
『あの出鱈目な魔力を海水に流し込んで、新しい入り江を造ったのはそれが原因だったのね……。
 私はてっきり新しい攻撃魔術でも考えているのかと思っていたわ。何をどうしたらあんな爆発が起きるのか不思議でならなかったけど』
『新しい攻撃なら、あの斬撃魔術で十分だろう。あれ以上を望めば……プレイアが消えるぞ』
『……そうね』

 疲れたような口調でアイドスが呟いた。
 おそらく魔術の練習中に失敗し、誤って視界一面を更地にしてしまったことを思い出しているのだろう。

 それは兎も角、いつまでも紅茶のことを話しているわけにもいかない。
 呆けているレクシュミの前の席に座り、私は紅茶を一口含んだ。
 それに気がついたのか、彼女もカップを手に取る。
 おいしい、とその一言に少しだけ満足し、今後のことについて切り出した。

「それでセリカだが……どんな状態なんだ」
「……え? あ、いや、そうだったな。……遠くから窺った様子と民から得た情報からは、どうやら神殺しは記憶を失っているようだ。
 今は白銀公殿が紹介した、シャマーラ・クルップという行商人と行動しているらしい」

 言葉を区切って、彼女はカップを受け皿に置く。

「ここからは私の感想だが、見た限りでは、かつてケレース地方を荒らしまわった存在には思えなかった。
 尤も神殺し――セリカ・シルフィルといったか。
 協力を得るにしても、排除するにしても、その者がどんな人物か実際に会って確かめたいと思っている」
「それでいいのではないか……」

 記憶を失ったのは聖なる裁きの炎を使用したからなのか。
 それとも、身に起こった悲劇を無意識の内に封じているためか。
 だが、彼の力を借りるには、自分が何者なのか思い出してもらうしかない。

 それはおそらく、彼にとっては忘れていた方がいいもの。
 ……それでいったい、どの口が朋友などと言うのか。
 それでも、オディオの本体を滅するためには思い出してもらうしかないのだ。
 それで彼が私を怨むのならば、何も言わずに受け止めよう。

 そこまで考えて、ふと気付く。
 相手がアイドスならば分かるが、私が他人をここまで気にしたのは初めてではないだろうか。
 振り返れば、セリカに初めてあったときから思うところはあった。
 ケレースで仮初の再会をしたときには、二人目の朋友だと感じた。

 どうやら、私は彼に考えていた以上の親しみを持っていたらしい。
 尤もその思いは、決してアイドス以上にはならないのだが。

「一つだけ言うならば、百二十年前、ケレースを荒らしまわったのはセリカから肉体を奪った魔神ハイシェラだ。
 いろいろあって今は再びセリカに肉体が戻っているが、当時私もハイシェラの城で厄介になっていたから間違いない」
「……それは、貴方もあの戦争に?」

 レクシュミの表情が強張る。
 思ったとおり、私の動向は知らないらしい。

「レウィニアを離れてまだ数十年。介入する気は無かったし、巫女に恩を仇で返す気も無い。私はただの傍観者。
 まあ、五月蝿い魔神の世話をしていたが……。
 それに、厄介になったといっても終戦を迎える前のほんの数ヶ月の間だ。疑うならば、白銀の君にでも聞けばいい」
「……なるほど、ならばいい。もしも参戦していたならば、私は貴方を倒さなければならなかった」
「当然の判断だな。国を守る者として、害になるものは排除する。だが、ならばなぜお前は部下を持たない?」
「なぜそれを……?」
「レウィニアの紅き騎士。水の巫女の代行者であり、優秀な騎士。騎士団長としての器もありながら、なぜか部下を持たない。
 私の噂は知らなかったが、お前の噂なら度々聞いた。それで、どうしてお前は――」

 手に持っていた紅茶のカップを受け皿に置き、私はレクシュミの碧眼を見る。
 あれほど強い意志を宿していた彼女の瞳には、弱い光しか無く、

「……いや、すまない。失言だった」

 何かを言いかけたレクシュミの口が、私の言葉で閉じる。
 おそらくこの話題は、私がどうこう言っていい問題ではないし、興味本位で聞いていいものでもないだろう。
 ただ、彼女ならばきっと自分で答えを見つけられる。
 この女騎士はそこまで心が弱くない。
 弱かったのならば、オディオが撒き散らした瘴気にあそこまで耐えられるはずはない。
 だがもしも助力を欲したのならば、話し相手くらいならなろうとも思う。

「……話がずれてしまったな」

 話題を変えるために告げた一言。
 それで、先程まで何かに怯えた生娘のようだった彼女の表情が、少しだけ解れる。

「セリカについては、幸いその行商人と各地を巡っている。
 ならば適当に理由をでっち上げて、旅に同行すればどんな人物なのか分かるだろう」
「……ああ、私もその方向で考えていた。一先ずは、神殺しの次の目的地を調べようと思う」
「分かった。……ところで、肝心のオディオの方の居場所は掴んでいるか?」
「オディオとは、あの得体の知れない魔物の本体だったな。
 詳細は分からないが……メルキア王国の方で何やら不穏な空気が蔓延しているという情報はある。
 村単位ならばあの分体の影響とも考えられるが……」
「国となると本体である可能性が高いわけか」

 彼女は頷くことで返答した。
 どうやら、漸く騎士の顔に戻ったようだ。

「今後の方針として、まずはセリカの旅に同行する。そのために、あいつの次の目的地を探る」
「その後はメルキアの王都、インヴィティアに。災厄の根源の居場所をつきとめる。あわよくば――」
「――セリカの協力を得たい。オディオの、邪念で構成された体を滅するには、どうしてもあいつの力が必要になる」

 例えそれが、現神と同じ自分勝手な思考だとしても、オディオを放って置けばディル=リフィーナは壊れてしまう。
 そうなれば多くの者の命が失われることになるだろう。
 赤の他人ならば、私はどうとも思わない。
 だが、最近になってようやく自覚したことだが、どうやら私は一度気を許した相手にはとことん甘いらしい。
 
 セリカ、ハイシェラ、空の勇士、白銀の君、一角公、レクシュミ。
 関わりは浅いが、リタ・セミフ、パズモ・メネシス、リ・クティナ、ペルルというセリカの使い魔たち。
 この世界に私が堕ちて百七十年。
 その間に出合った、多くの存在。
 私は彼らを狂わせたくはないという欲望を持ってしまったらしい。
 そして――

『どうしたの?』
『いや……』

 今までも、その選択を口にしたことはあった。
 その度に、私自身に力がないから。
 或いはセリカは目覚めていないからといいわけをしてきた。
 だが、今日この日まで先延ばしにしたのは、無意識のうちにその選択肢を選ばないようにしていたからだろう。
 セリカを友人だと思うから、お前に害成すものを排除するために力をかして欲しい。
 そのように、どれだけ取り繕っても、オディオを滅ぼすためにはセリカの感情と記憶という代償が必要になる。
 それは、友と言いながら、その実裏切っていることに他ならない。

 だから、私は直ぐにその選択ができなかった。
 あの初めて出合った日に感じたもの。
 悠久の時を生きる魔神たるこの身にとって、おそらく生涯最初で最後の親友になれるかもしれなかった存在。
 ……随分と人間らしくなったものだと、ハイシェラは嗤うだろうか。
 水の巫女ならば『貴方に背負って貰いたいものは罪です』などといって、簡単に誘導するかもしれない。
 私にはそれができなかった。
 もしもあの邂逅が無かったら、或いは――。

 しかし、この慈悲の女神と共に生きると決意した世界を、オディオが壊す可能性があるというのならば、

『アイドス、私はセリカを利用する。例えそれでセリカやハイシェラにどう思われることになったとしても。そして、その上でセリカも救ってみせよう。聖なる裁きの炎を用いても、記憶を失わせはしない。分不相応な誓いでいい。もとよりこの身が司るのは"傲慢"だ。……それに、心当たりはある』

 揺るがぬ誓いを。
 例えそれで、生涯の友を失うことになったとしても、後悔しないように。
 そして、その意志を見せるのは半身たるアイドスにだけ。
 こんな思いは、見せびらかすようなものではないのだから。





 今後の方針を話し終わり、レクシュミはセリカの情報が入っていないか聞くため、一度王城に戻った。
 一方で、私の言葉を聞いたアイドスは、

『もとは私が蒔いた種。だから私もその罪を背負うわ。いいえ……本当は私だけが背負わなければならない罪。
 だからこれは……私からのお願い。
 ルシファー、勝手なお願いなのは分かっている。私の罪、半分背負ってくれますか?』

 考えるまでもない。彼女は私の半身だ。
 ならばどうして否と答えられようか。

 それからしばらくして、街で雑貨を購入していた私に、王城から戻ったレクシュミが声をかけてきた。

 彼女が持ってきた情報は、セリカは明日、魔術城砦カラータに向かうというものだった。 
 もともとこの地には、覗けば見たいものを見ることができるという水鏡が封じられていたそうだ。
 それを求めて数多の魔術師が犠牲になった――それだけならば、まだ自業自得で済んだのだろう。
 だが最近になって、近隣の村や通りがかっただけの旅人までもが行方不明になるという事件が多発しているらしい。
 調査に向かった兵士も衰弱していたり、最悪帰って来ない場合さえあるという。
 神殺しとの接触を抜きにしても、レウィニアの騎士として放置できないと、私とレクシュミは城砦に向かうことにした。

 ――そして、屋敷に泊まった翌日の朝。
 私たちは今、その城砦のある森の中にいる。

 奥深くに見える、巨大な砦。
 石で作られたその内部に、オディオの邪気は感じられない。
 しかし、何か別の嫌な気配がある。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。

 紅の髪を風に靡かせ、隠すことのできない絶大な神気を纏い、私の前に立つ一人の剣士。
 アイドスとも、アイドスの記憶の中のアストライアとも違う鋭い目。
 忘れてしまったが、どこかで見たことのある鎧を纏い、腰には片手剣を挿している。

 凛とした佇まい。
 見るもの全てを魅了するかのような蒼の瞳。

 その姿は、古の時代に戦場を駆けた――

「久しぶりだな、セリカ」

 ――戦女神のようだった。



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