見張りと思われるレウィニアの兵士と揉めている少女を尻目に、私はセリカと対峙していた。

 その姿を目の当たりにしても、私の心は嫌に落ち着いている。
 アストライアの神気に魅了された、というわけではない。
 もしそうならば、ほぼ同じ神気を持つアイドスとの関係は対等ではなくなってしまう。

 姿を見て湧き起こったのは懐かしさと、僅かな喜びだけ。
 それは共に背負うと誓ってくれた、アイドスの存在が理由なのかもしれない。

 あるいは好敵手と感じていたならば、心が猛るという感覚を味わえたのだろうか。
 だが生憎、私とセリカはそういう関係ではない。
 何しろ未だ、剣を交えたことさえないのだから。

 初めて出合ったのはリブリィールの登山道。
 そこで語った言葉と、彼が私に託した感情は今も覚えている。
 その感情を言葉にすることはできないが、今にしてみればあの瞬間に、私は彼を朋友と認識したのだろう。

「任務ご苦労。だが、彼らに敵意はない。警戒を解け」
「レクシュミ様! はっ!」

 視線を声の方に向けると、レクシュミが少女と言い争いをしている兵士を制していた。
 なるほど、どうやら行方不明事件の影響で、民衆が近づかないように監視しているというのは本当だったらしい。
 ――と、その兵士が私の方に顔を向け、怪訝な表情になる。
 レクシュミはその様子に気付いたようで、

「ああ、彼は“黒翼”殿だ。此度、この城砦の調査にあたり、協力して頂けることになった」
「……それは本当ですか?」

 兵士が唖然とした顔で何かを言っている。 
 ……何か嫌な予感がする。
 兵士に声をかけ様として、レクシュミが目で合図していることに気付く。
 同時に、私に向けられた視線を感じ顔を戻すと、セリカが何かを問いたそうな雰囲気でこちらを見ていた。

「……先程お前は俺の名を呼んだ。俺は、お前に会った事があるのか――?」
「ちょっとセリカ!」

 私に声をかけたセリカを、快活そうな人間族の少女が呼び止めた。
 金色の髪を首の辺りで切り揃え、橙色の帽子を被っている。
 背丈は私より大分下で、レクシュミと同じか少し低いくらい。
 短刀を二本、腰に吊るしていて、それなりには戦えそうだ。

 セリカと共にいることからして、彼女がレクシュミの言っていた、シャマーラ・クルップという行商人なのだろう。
 しかし肌を多く露出した身軽な服装のため、商人よりも盗賊の類に見えてしまう。
 トレジャーハンターを自称しているようなので、強ち間違っていないのかもしれないが。

 私はセリカの腕を引っ張っているシャマーラを一瞥し、

「少し、セリカと話をさせてもらってもいいか?」
「……あ、はい」

 私の言が意外だったのか、あっさりと彼女は手を離した。
 ほとんど条件反射で行動したのだろう。
 次の瞬間には、しまったという顔つきに。
 やがて、どこか心配そうな相貌で、セリカに視線を向けた。
 ……ああ、そうか。

「安心しろ。私は確かに魔神だが、無益な争いは望まない」

 逆に言えば、戦う必要があると感じたならば容赦はしないということ。
 それでもその言葉で、まだ懸念してはいるようだが、シャマーラは一応納得したようだった。
 そのことを確認し、改めてセリカに目を向ける。

 セリカもセリカで、魔神であるということを聞いて、何やら思うところがあったのか表情を強張らせていた。
 しかし警戒しようとして、何か別のことに意識を向けているような、おかしなことになっている。
 気にしても仕方がないので、私はそのまま彼の問いかけに答えることにした。

「いつだったか、少しの間話をした程度だ。……お前が覚えていないのも無理は無い」
「いや……覚えていないのではなく、俺は記憶を失ってしまったらしい。だが……」

 見た目には、セリカの秀麗な顔に変化はない。
 だが、私も表情の乏しい存在であるためか、彼の困惑が手に取るように分かった。
 それでも、その理由までは流石に把握できなかったわけだが。

「何処かで会ったような気はする。“会った”と断言できないが……。
 おそらく記憶は無くとも感覚が覚えているのだろう」
「……そうか」

 覚えているとは思わなかった。
 会合の時間など本当に僅かな間だったのだから。
 少しだけ、それを嬉しく思う。
 
 おそらくこの調子ならば、いつか自然に思い出す可能性もあるのかもしれない。
 しかし、"いつか"などと悠長なことは、もう言っていられないのだ。

 水の巫女は人の意志を尊重する。
 だから、セリカの記憶が戻らなくても流れに任せるのだろう。
 
 ハイシェラは限界ぎりぎりまで様子を見守り、最後はセリカに選択を委ねるはずだ。
 
 だが私は――

「なっ! ルシファー、いったい何を!」 

 翼は展開せず、魔力を開放した私をレクシュミが焦ったように呼び止める。
 セリカはシャマーラを庇うように彼女の前に立ち、戸惑った様子でこちらを見ている。

「セリカ・シルフィル。悪いが今すぐお前に記憶を取り戻してもらう」
「……そんなことができるのか?」
「ちょっと待って。シルフィルって、セリカあんた……」

 シャマーラがシルフィルという姓を聞きとがめ、セリカに詰め寄る。
 それは嵐の神バリハルトが与えた"風の息子"を意味する勇者の称号。
 そして、その姓を持つ者はディル=リフィーナにただ一人。
 レウィニア神権国を初めとするアヴァタール地方に残る伝承。
 そこに登場する悪名高き"神殺し"しかいない。

 ただ存在するだけで災いを呼び込むと思われ、現神には排除を望まれる。
 それが体を譲られるという形であっても、神を殺す意志を人間が抱いた時点で"神殺し"と呼ばれ、古神からは報復の対象に。
 闇夜の眷属には神の力を宿す肉体を狙われ、人間からは現神と敵対するものとして忌み嫌われる。

 ――世界の全てが彼の敵。

「……できる。だがそれは、私が滅ぼしたいと思っている相手に対抗する。
 そのためにお前の肉体――正義と裁きの女神の力が必要だからだ」
「俺に何の力があるか分からないが……それはつまり、俺を利用するということか」
「そうだ。だがそのためにはどうしても、お前に記憶を取り戻してもらう必要がある。お前が何者であるのかを」

 私が何をしようとしているのか、レクシュミも理解したのだと思う。
 見張りの兵士にこの場を離れるように命じ、セリカの服を掴んでいるシャマーラを引き離そうとしている。

「おそらく、お前にとって思い出さないほうがいい記憶なのだろう。
 お前の過去は、私が伝聞で知る限り悲しみに満ちている。取り戻せば二度と平穏な世界には戻れない。だから――」

 神剣アイドス・グノーシスを正眼に構え、セリカと向き合う。
 漸く私の意図を察したセリカもまた、腰の剣を抜き放つ。

 水の巫女よ、自分の思う通りにしてよいと言ったのはお前だ。
 だから、これがお前の思惑通りでなかったとしても、私は――

「私と戦えセリカ。お前が勝てば私を生かすも殺すも自由だ。
 仮に生かされたとしても、今後一切お前に関わらないと誓ってもいい。
 代わりに私が勝ったら、お前の記憶を引き摺りださせてもらう!」





 唐竹に振り下ろした刃をセリカは難なく回避。
 私は反撃として逆袈裟に放たれた斬撃を避け、高速で迫る二撃目を受け止める。
 だが力ではこちらが上と即座に判断したのだろう。
 武器の重量も、こちらは片手半剣だがセリカは片手剣なので上回っている。

 鍔迫り合いには持ち込まず、セリカは剣を弾いて私から距離を取った。
 だが、ただ下がったわけではない。

 雷の秘印術を詠唱し、追撃を仕掛けてくるセリカ。
 それでもまだ私を敵と見做していないのか、その威力は弱く魔力障壁を突破することはなかった。

「お前は私を馬鹿にしているのか。……殺す気で来なければ、敗北するのはお前だぞ!」
「う、ぐあっ!?」

 繰り出されたセリカの一撃を、左手だけで持った神剣で弾く。
 ――そこに生じた隙。
 空いた右の拳に闘気を込めて、セリカを殴り飛ばした。
 予測していなかったらしい反撃を受け、セリカが吹っ飛ぶ。
 障壁で防いだようだが、何本かの木を打ち倒して、漸く止まった。

 ――片手高速剣術、飛燕剣。
 主に、ラウルバーシュ大陸東方で広まった剣術だと聞いている。
 本来ならば高速剣である弊害として、一撃一撃の威力が弱い。

 しかし、それを使いこなすセリカの技は、女神の闘気によって威力までもが底上げされている。
 一般兵が仮にセリカの剣を受ければ、一振りで三人を絶命させることも可能だろう。
 けれどもそれは、こちらも同じこと。
 魔神がただの人間相手に後れを取るようなことはまずない。
 それでも、手数ではセリカが勝っている。

 だが幸いにして、私が熾天魔王とアイドスの知識を頼りに身につけた剣術は、

「……あの型。ヴェングスか」

 シャマーラを背に庇い、水の巫女の力を借りて障壁をはったレクシュミの呟き。
 僅かに耳に入り込んだその言葉に、やはり彼女は知っていたかと思う。

 両手高速剣術、風鎌剣《かざかまけん》。
 一般的な剣術ではないらしいが、レウィニア南部で使い手を見ることが何度かあった。
 その特徴は両手剣のリーチを活かしながら、時に牽制技で相手を吹き飛ばし、時に連続攻撃で相手を翻弄する。
 長い故に小回りが利かない両手剣での高速剣のため、流石に飛燕剣より手数は落ちる。

 加えて、高速で剣圧を飛ばす牽制技であるブラッシュ系は大抵の人間が扱える。
 しかし両手高速剣の基本であるヴェングス系は、上位になればなるほど並外れた筋力を必要とする。
 おそらくはそれが、一般的な剣術として広まらなかった理由。

 それを私は百七十年かけて身につけた。
 一度目の滞在中、巫女の依頼の傍らに、レウィニアの騎士に師事してまでそうした理由。
 それはアイドスの記憶の中のセリカと戦うことを、無意識に想定していたからだと思う。
 どんな攻撃も当たらなければ意味がない。
 しかし幸いにして神剣アイドスは片手半剣だから、両手剣よりは対人戦に向いている。
 そうして習得した同じ高速剣であるために、手数の分回避そこねで軽い傷は負っても、私はセリカに対抗できている。

『すまないアイドス。おそらく、セリカは事情を話せば頷いたのだろう。あいつは優しすぎるからな。
 だが、それでは私が納得できそうになかった。……自己満足だと思われても仕方がない。
 それでも、誰かに強制する以上、感情に訴えるのではなく明確な基準で決めたかった』
『……無愛想で不器用というハイシェラの評価は間違ってなかったみたいね。
 貴方はセリカを優しいと言うけれど、貴方自身も大概よ』
『私のそれは、気を許したものにだけだ』

 ふとセリカの表情を窺うと、戦意の中に僅かな戸惑いを感じた。
 そういえば、セリカにもアイドスの声が聞こえたのだったか。

「……その声、アイドスとはいったい何者だ?」
「戦いの最中に余所事とは余裕だな。……お前が私に勝てたら話してやろう」

 純粋魔力による牽制と共に、私は再度セリカに接近する。
 ここではこれ以上大規模な魔術は行使できないと、アイドスを左手に持ち替え、セリカを森の奥へ蹴り飛ばす。

「“猛る戦女神よ、我に力を”」

 戦女神の符術による身体強化。
 そして、セリカに追撃の“絶対氷剣”を放つ。
 対するセリカは、

「……“我纏う風よ、万象をなぎ払え”」

 このままではまずいと感じたのだろう。
 多少は本気になったのか“大竜巻”を引き起こし、氷剣ごと私を狙ってきた。
 辺りの木々をなぎ払いながら、竜巻が迫る。
 気配を察するに、レクシュミはシャマーラを連れて更に距離を取ったようだ。
 正しい判断だ。
 古神に連なる魔神と神殺しの戦いに、水の巫女の加護があるとはいえ関わるべきではない。

「それでいい。私もお前を簡単に倒せるとは思っていない。だから――」

 神剣アイドスに闘気と魔力を集中させる。
 その過程も、もはや百二十年前ほど時間はかからなくなった。

「私も全力で戦う」

 魔法剣スティルヴァーレではない。
 これは厭くまでで私とセリカの戦いであって、アイドスの力を借りてはならない。
 
 放たれたのは闘気と魔力で威力を上乗せされた空気の刃――フェブルア。
 これに破戒の意図を上乗せさせれば、かつてアイドスとオディオを分断した秘術に変化する。
 故にこの斬撃は、破術の効果を秘めているが、強化魔術を使っていないセリカに意味はないだろう。

 竜巻と斬撃がぶつかり合い、轟風を巻き起こして互いに霧散する。
 吹き荒ぶ風の中、私とセリカはものともせずに、互いに剣を構えて立っていた。

 ――ほんの僅かな静寂。
 次の瞬間には再び刃がぶつかり合う。

 二閃、三閃と言葉を交わすように剣を振るう。
 常人には目に留めるどころか、映らせることさえ適わないだろう領域。

「……流石に――っ!?」

 先ほどのお返しとでも言う様に、セリカが体術を絡めて攻撃してくる。
 高速移動による蹴撃を含む飛燕剣の猛攻は、ハイシェラの戦い方に似ていた。

 堪らず距離を取って、氷と純粋の秘印術で牽制する。
 だがそれも予想していたとでもいうように、風と雷の秘印術で尚も攻撃を仕掛けてくる。
 ……ここまでできるのか。

「黒翼というからにはお前の本領は空でこそ発揮されるのだろう? なぜ飛ばない」
「ただの自己満足だ。……正々堂々決着をつける。どこぞの戦闘狂いの魔神の性格でも移ったかな」
「……そうか」

 暗黒の魔力を付与させ、威力を高めた横薙ぎの刃――ヴァニタス。
 それで以てセリカの機先を制する。
 続いて即座に、重力魔術の詠唱に入る。

 ケール=ファセト。
 それは機工重力と術者の魔力を反応させた重力による鉄槌魔術。
 セリカを中心とした一定範囲に高重力を発生させ――

「っ!」

 ――押し潰す!

 同時に反応させた闇の魔力が働き、その精気までも奪い取る。

 今回のは、アイドスの魔力が上乗せされていない。
 殺してはならないという条件もあるため、威力は抑えてある。
 しかしそれは、古神が放つ魔術にすればの話。
 セリカの障壁を破るには十分だった。

 強い圧迫の影響か、激しい斬り合いの中で負った傷が開き、純白の肌を紅に染める。
 大地に鈍い音と共に、巨大な窪みができる。
 人間ならば押し花どころか別のナニカに変わってしまうような圧力を受けたセリカ。
 立ち上がるのも難しいのか、剣を杖に体を支えている。
 ただ……

「……まさ、か……あの状況で……咄嗟に魔術を……行使、するとは、な。信じ……られない……やつ、だ」

 リーフ=ファセト。
 機工電撃を生み出し、自身の魔力と反応させて相手に炸裂させる電撃系の最大魔術。
 私の魔術が発動する瞬間、防御も回避も不可能と判断し、セリカは私にその魔術を繰り出していた。

 自らを囮にしてまでまさかという、一瞬の油断を見事につかれた。
 おかげで障壁が突破されて全身が焼かれ、肉体を激痛が襲っている。
 威力など周囲を見れば一目瞭然。
 落ちた雷に、周囲の木々が裂けるどころか一部消滅していた。

「だが……まだだ――っ!」

 戦女神の符術の効果で、多少影響を緩和できたのだろう。
 ……体は動く。
 ここで敗北を認めるにはまだ早い!

 セリカも私同様、そう思ったのだろう。
 ふらつく体を剣を杖に支えながら、注意を私に向けている。

 深く息を吸い込む。
 駆け出し、そして互いに何度も剣を交える。
 そこに先ほどまでのような技の応酬は無い。
 私もセリカも、気力だけで戦っているような状態だ。

「そんな傲慢、許すと思うか!?」

 力任せにこちらの障壁を抜こうと振るわれたセリカの剣。

「お前の方こそ、雑になってきているぞっ!」

 受け止めはしたが弾かれ、互いに傷を負う。

『ルシファー、もう十分よ! これ以上戦ったら貴方もセリカも無事ではすまない!』
『そんなことは分かっている!』

 肉体の損傷からいえば互いに同程度。
 気休めにしかならないだろうが、治癒の中級魔術でせめて痛みを和らげる。

「セリカ……。一つ提案だ。このままでは、互いに戦闘不能になってしまう。
 己の信じる最大の一撃。それを以て決着にしないか?」
「いいだろう。だが、俺が勝ったら――」
「――好きにしろ。相手をどうするかは、勝者に与えられた特権だ」

 そう告げて、私は再び神剣アイドスを構えた。





 ――風が、見通しの良くなった森の中を吹き抜けていく。

 剣を杖にしていたセリカは今、剣先を地面に向けて対峙している。
 しかし闘争の意思が無くなったわけではなく、それが必殺の構えなのだと目が告げていた。

 セリカが繰り出してくる技。
 それを予測すればおそらく、飛燕剣という高速剣最大の奥義“枢孔身妖舞”だろう。
 ならば私は、同じ高速剣最大の奥義で迎え撃つ。

「いくぞ……」
「ああ……」

 踏み込みの後がくっきりと残るような勢いで地面を蹴る。
 繰り出す技は風鎌剣最大の奥義。
 その名を“ハートヴェイル”
 系統としてはヴェングス系の剣技になる。
 両手剣による、重さと速度を合わせた連続の斬撃。

「はあっ!」

 枢孔身妖舞も同じ連続攻撃だ。
 剣圧では私が、剣速ではセリカが上。
 私の剣圧で彼の剣速が落ちることを考えれば、大きな差などない。
 故に、少しでも臆した方が敗北する。
 そう思って初撃目を繰り出そうとして――

「――!」
「っく!?」

 瞬間的に息を強く吐き出し、腹に力を入れたのだろう。
 音にならない気合と共にセリカが縦に一閃する。
 ――私の、一撃。
 それを上回る威力を持って繰り出されたセリカの技。
 大きく踏み込んできたセリカが選んだのは、枢孔身妖舞ではなかった。

 アイドスから受け取った記憶の中で、彼がこんな重い一撃を放った場面はない。
 だがどれだけ後悔しても、時間を蒔き戻すことなどできず、

「……俺の勝ちだ」

 そのままセリカに神剣を弾かれる。
 そして倒れた私は、気付けば刃を首に突きつけられていた――。




 
「私の負け、だな」

 多少は直ったと思ったのだが、肝心なところで詰めが甘いのは何故なのだろうか。
 勝てると、そう確信していたからこそ勝負を挑んだ。
 だが、私は最後の最後で油断した。

「“殲綱双肢乱”という」

 勝負は決したと受け取ったのか、突きつけていた剣を支えに立って、セリカは私にそう告げてきた。

「……セリカ?」
「お前を最後に打ち倒した技の名だ。お前は……俺の過去を知っている。
 ならば連撃は意味がない。そう思った」
「……そうか」

 敗北した理由など、何のことはない。
“連斬”という保険を残した私とは違い、セリカは文字通り"次の一撃"に賭けてきたのだ。
 差があったとすれば、ただそれだけのことなのだろう。

「約束だ。アイドスとは何者なのか話してくれ」

 倒れていた体を起こし、斬り飛ばした木の幹の上に腰を降ろす。
 私が口を開く前に、アイドス自身が言葉を発した。

「つまるところお前は……」
『ルシファーよ』
「ルシファー……の盟友というわけか」
『そう思って貰っていいわ。……言っておくけど、貴方との戦いに私は加勢していない。
 ルシファーは自分の力だけで戦ったわよ』
「……そうだろうな。そんな感じはする」

 アイドス……余計なことを。

「――それで、だが」

 どれだけ理由を考えたところで、負けは負けだ。
 戦いを挑んだのは私自身の意思。
 敗者が力を糧として奪われるのは仕方がない。

 だが、なぜだろう。
 負けたというのに、私はそれほど悪い気はしていないのだ。
 私が負けたもう一つの理由は、おそらくこの感情に関係しているのだろう。

 気がかりなのはオディオ討伐のことだが、後は水の巫女に任せるしかない。
 レクシュミにすまないと一言、伝言を頼むべきだろうか。

 それとアイドスのことが心配だ。
 最悪レクシュミに託すしかないが、彼女ならば悪いようにはしないだろう。

 そんなことを考えていた私にセリカが続きを語る。

「記憶を取り戻せば平穏を失うとお前は言った。
 だが、そこに決して忘れてはならない誰かの思い出がある気がする。――だから」

 女神アストライアの人間としての姿、サティア・セイルーン。
 セリカにとって彼女は、私にとってのアイドスだと認識している。
 だからこそお前は記憶を無くしても、決して“忘れる”ことはないのだな……。

「もうしばらく、俺はシャマーラと共に行動したい。そして、その時がきたら、記憶を取り戻させて欲しい」
「……私はお前を利用するとはっきり言ったのだぞ。それでなぜ……?」
「分からない。ただ、お前がしようとしていることは悪いことではないのだろう。
 でなければ、あのような騎士が魔神と共に行動するはずはない」

 レクシュミがシャマーラを庇っていたことは、どうやらセリカの目にも映っていたようだ。

「それにオメール山を出て以来、おかしな魔物に狙われ続けている。複数の魔物が溶けて混ざったような」

 やはり、か。
 ケレース地方でハイシェラと共に行動したときから感じていたこと。
 オディオの狙いはどういうわけか、苗床にしていたアイドスではなくセリカ。
 ――正確にはアストライアの肉体らしい。

「記憶を取り戻さなければ意味がない。だが、記憶を取り戻せば平穏は失われる。
 わざわざ言った、お前の言葉から判断すれば、自分では気付いていないようだが、俺を案じていることが分かる。
 ならばお前が成そうとしていることに、俺自身も関係しているのではないのか?」

 こうも詰めが甘いと、我ながら何かに呪われている気がする。
 魔王や悪魔の力を継ぐと、こういう失敗を犯し易くなるのだろうか……?

「……そうだな。関係がないわけではない」
「ならば、尚更だ。俺は自分が何をしたのか分からない。だがそれでも、他人に自分の後始末をさせるつもりはない」

 色の無い表情に、強い意志を感じる。
 ああ、そうだ……そうだった。
 心を閉ざし、ハイシェラに肉体を譲ったと聞いて失念していたが、お前は私に道を諭したのだったな。

「俺の方こそ時がきたら力を貸してほしい。……そして、お前を……盟友と、そう呼んでもいいだろうか?」

 思わず、絶句していた。
 この男は本当にお人よしだ……。

「……馬鹿なやつだ。そこに平穏がないと知って尚関わろうとするのか、お前は」
『それがセリカなんでしょうね。……お姉様が好きになったのも分かる気がするわ。だって――』

 囁く様なアイドスの言葉は私には聞こえなかった。
 いつもの事だと気にせず、セリカに返事をする。

「……私の方こそ、宜しく頼む」

 私の言葉と共に発動する慈悲の女神の力。
 完全治癒“ミゼリコルディア”の神聖魔術。
 淡い光が溶けて消え、後には傷の癒えた私とセリカが残された。



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