私の弟にして虚ろなるもの、邪神オディオ。
長きに渡る旅の目的――最後の戦いが、今始まった。
全身に闘気を纏わせ、十二枚の翼を顕現。
そしてそのまま、セリカと共に変異した魔物の中心にいるオディオ本体に接近した。
黒い外套を構成していた魔物を放った分、やつは細身の体に変貌している。
牽制の役目は、弓を扱うものと魔術が主体の者に任せる。
アムドシアス、白銀公は弓矢。
ナベリウス、リタ、リ・クティナは魔術で。
レクシュミとペルル、空の勇士は周囲に溢れる邪神に引き寄せられた魔物の相手を。
最後にパズモ・メネシスが全員の補助を行う。
「女神ノカらダガ、欲シイ。兄上、邪魔ヲスルナァァアアアア!!」
「お前がどんな思いでここに来たのだとしても、セリカの身体を奪わせるわけにはいかないんだっ!」
衝撃波を伴って振るわれる、私の身の丈ほどもある“腕”を神剣で逸らし、直接冷却の魔術を撃ち込むことで粉砕する。
セリカも同様にして、もう片方の腕を止めた後、
「虚ろなるものよ、お前の“父”はもうここにはいない。それでも、なぜ戦い続ける」
「ワタシ……、ワタ、私ハ、女神ノ肉体ヲ手ニ入れルシカァァアア!」
あのセリカの過去の幻影に与えられた存在理由。
しかし、オディオにはもはやそれしかない。
だから、認めるわけにはいかないのだろう。
例えそれが、どれほど望まぬことであったとしても。
セリカはそのまま一瞬十二斬の高速剣、飛燕剣の奥義、枢孔身妖舞で腕を細切れに。
しかし傷跡からは、粘着く体液のような邪気が溢れ出し、それを嫌った彼は振り払うようにして距離を取った。
それでも邪神の腕は、浄化されぬ邪気の力で瞬時に再生する。
それは、私が消滅させた腕も同じで、
「このままでは埒が開かない。あいつも神である以上核があるはずだ。そこに“聖なる裁きの炎”を叩き込むしかない」
「分かった。皆も戦い続けている。ここは私が突破口を開こう」
それぞれの役割は違っても、遠くから、あるいは近くから、盟友たちの声が聞こえる。
エルフ族を守り、後世に伝承を残すために戦う白銀公。
セリカと共に戦うことを決めたパズモ、リタ、そしてナベリウス。
白銀公と同じく神殺しの伝承を残すため、生きて帰ると告げた古神の眷属であるリ・クティナ。
己が信念のため、そしてレウィニアの民のために戦うレクシュミ。
私に力を貸してくれている、空の勇士とアムドシアス。
そして、
『迷うことはないだの。こやつはもう、存在理由を失い自我意識が崩壊しておる。
……滅してやることが救いとなろう』
『ルシファー、セリカ……悲劇をここで止めましょう』
ハイシェラとアイドス――セリカと私の半身が意思を伝えてくる。
二人に僅かずつあった沈黙から窺える感情は、言葉は違っても、抱くものは同じに思えた。
虚無の暗黒剣。
破魔の魔法剣。
真実の炎剣。
続けざまに放ち、迫り来る触手と、異形の魔物を滅していく。
その過程で身体に負った傷はどれほどのものか。
しかし、この役目ができるものは私しかいないのだ。
他の者は、それぞれ相対する異形のものの相手で手一杯。
セリカには"聖なる裁きの炎"を使ってもらうために、傷を負わせるわけにはいかない。
もしそうなれば、セリカが記憶を失わずに済む、僅かばかりの可能性すら無くなってしまう。
オディオの影に隠されていた、刃のように研ぎ澄まされている尾が振るわれる。
ギリギリのところでそれを避け、目の前に存在するオディオとは別の、人の形をしたものを切り払う。
「……ぐっ!」
だが、まだ遠い。
ヒトガタは次々に湧き出し、まるで不死者の大軍を相手にしているよう。
彼らに冷却の秘印術は効果はない。ならば……
「砕けろっ!」
エル=アウエラ――純粋系の爆発魔法。
体温の存在しない不死者には冷却は効果がないが、純粋系の魔法なら通る。
後から後から溢れる異形を、これで一気に薙ぎ払う!
そして――道は開かれた。
こちらに向かって疾走するセリカを視界に収めながら、私はアイドスに自身の魔力のほとんどを注ぎ込む。
青き月の女神、リューシオンの力の一部を掛け合わせた浄化の神剣、スペルビア。
そこに更にオリンポスの女神アイドスの神力を合わせた、私の現在扱える中で最大の神聖魔術。
――極限の傲慢。
それを封じた神剣アイドス・グノーシスを……
「セリカ、神剣を使え。意味は彼女が教えてくれる」
「分かった。ハイシェラを頼む」
僅かな躊躇いも見せず、神剣を手に取ったセリカ。
彼はそのまま、邪神オディオに向かって突き進む。
周囲に高まる浄化の力――神聖なる輝光。
私はそんな彼の強き意思の形を眼に刻みながら、受け取った魔神剣で迫るオディオの変異体を迎撃していく。
『……どういうつもりだの』
「簡単な話だ。自分だけの力では負担が大きすぎるならば、余所から借りればいい」
――聖なる裁きの炎。
それは神の力の行使。
だからこそ、ただ扱えば肉体は神でもそれ以外が人でしかないセリカの被る負担は大きい。
星乙女の神力の大きさに耐え切れず、魂が押し潰されてしまう。
ならば、その神の力を二柱で行使すれば?
しかしこの方法はいくら神に列する力があっても、私やハイシェラでは不可能。
おそらく、この場にいる誰であっても無理だろう。
ただ一柱、アストライアの実の妹であるアイドスを除いて。
その答えにたどり着いたのは、ケレース地方でのサタンとの会話がきっかけ。
かつてセリカからアイドスの神核を切り離した際、私とセリカの負担が軽微であったことを思い出したからだ。
あの時の私の翼は、黒翼ではなく、白翼。
それはつまり、私やアイドス以外の何者かから助力を得たからではないのか。
当初は身の内に眠っていたサタンだと思っていた。
しかし、同じ物がどう合わさっても同じにしかならない。
あの時感じた魔力は、私でも、サタンでも、アイドスでも、セリカでもない。
ならば、残された可能性は……
瞬間、光が弾けた。
視界が白に染まっていく。
その中で聞こえた何者かのうめく声。
「兄上……あ、に……兄さん、私は……」
「オディオ……いや……」
もう、その名はこいつには相応しくはないだろう。
人の憎しみによって生まれ、人の憎しみを引き出し、人に憎まれた私の……弟。
だが今、彼は浄化の炎を受け、その呪縛から開放されようとしている。
ならば、オディオの名は意味を成さない。
名前はそのものの本質を表し、個を確立するためのもの。
そう教えてくれたのもアイドスだったか。
ならば、私がお前に名前を与えよう。
これから先、もしもお前が転生できたとして、その時に再びめぐり合うことができるように。
今度は、共に戦う盟友として。
「お前に、新しい名前をやる。もう、あいつの呪縛に囚われる必要は無い」
「……兄さん」
お前の道はここから始まる。
私が、アイドスと出会って、この途を始めたように。
「お前の名前は――」
大量の魔力を消費したために、薄れ行く意識。
そんな中、私によく似た消え行く彼が笑って見せたのは、見間違いでなければ、いいと思う。
◆
目覚めると、星の輝く空が広がっていた。
ここは、何処かの丘の上だろうか。
視線を下げると、草花が風に揺られているのが視界に入る。
辺りにある気配は私を含め、四つだけ。
そのうちの一つが、私の目覚めに気付く。
『おはよう、ルシファー』
『……ああ』
常と変わらぬその言葉に、私もいつものように軽く返す。
『アイドス……私はどれくらい気を失っていた』
『五時間ほどかしら。……さっきまでクリアさんもいたけど、今はセリカだけよ』
背中に軽い痛みを感じ首を向ける。
どうやら木に寄りかかるようにして寝かされていたらしい。
『ああ、もうっ。いくら魔神の体でも結構な重症だったんだから無茶しないのっ!』
『無茶はしていない。ただ少し体を動かそうとしただけだ』
軽い眩暈に倒れかけたが、傷自体はもうほとんど治癒されていたので、構わず立ち上がろうとする。
「…………」
無言のままに差し出された手が私の視界に入る。
顔を上げると、私が起きたことに気付いたらしいセリカが、いつの間にか目前にいた。
「……すまないな」
「気にするな。あれだけ騒がれれば、手出ししたくもなる」
そういえば、セリカにはアイドスの言葉が聞こえていたのだったな。
セリカの手を取って、体を起こす。
彼のもう片方の手に握られたアイドス・グノーシスを受け取り、杖代わりにして体を支えた。
立ち上がったことを認めたセリカは、星空を見上げるように私に背を向ける。
そこで、髪が首元でざっくりと斬られていることに気づく。
おそらくは彼なりの、何かの決意の証か。
聖なる裁きの炎を用いたことで、セリカは記憶の一部を無くしてしまったらしい。
それでもアイドスの協力によって、記憶の一部で済んだのは行幸だったと思う。
だが、感情の方はどうにもならなかったようだ。
あいつと戦う前に比べて、目に見える表情の変化が圧倒的に少ない。
それでも、セリカが持つ独特の雰囲気だけは変わることはなかった。
感情が消えても、その根底にある優しさだけは消えていなかった。
仕えていた使い魔たち――共に戦った盟友は、それぞれの新たな居場所に去っていったらしい。
リタはナベリウスと共に冥き途の番人に。
リ・クティナはニアクールに戻り、セリカの軌跡を伝えるために。
パズモとペルルは闇夜の眷属の国を探しに。
空の勇士、レクシュミ、白銀公はそれぞれの国に。
中でもレクシュミは、水の巫女への報告は任せろという伝言をアイドスに頼んだらしい。
やはり、レウィニアを私が去ることに気付いていたようだ。
しかし一角公とゾノ・ジは……
「そうか、一角公は神の墓場に……」
「宮殿からの脱出。その一時の時間を稼ぐために、マーズテリアに祈りを捧げるゾノ・ジを守ると告げてな」
『大丈夫。マーズテリアの騎士にはクリアさんの加護が。
……一角公は殺しても死にそうにないから、きっとまた会えるわ』
「アムドシアスから伝言だ。"生きて帰って、今度こそお前に我の素晴らしさを教えてやる"だそうだ」
「……そうか。なら、楽しみにしておくか」
そして――
そして聖女ルナ=クリアはつい先ほど、今回の顛末をマーズテリアに伝えるために本国へ出立したそうだ。
今この地に残っている彼の盟友は、私とアイドスを除けば剣に封じられたハイシェラだけ。
それでも、セリカの姿には、まだ強い意志が宿っているように見えた。
両足だけで立ち、神剣を背負い直す。
セリカの直ぐ隣に立って、同じように空を見上げてみる。
「これからどうするのか、もう決めたのか」
沈黙が続く中、先に口を開いたのは私だった。
「そう、だな……。お前のおかげで記憶を残すことができた。だからというわけではないが、サティアの魂を探そうと思う」
「……会えないとは、思わないのだな」
「共に生きると誓った。……何年かかるかは分からないが。
サティアに言わせれば、運命らしいからな。俺は、それを信じたい。それに――ハイシェラもいる」
「そう、だな。そうだった」
『女を捜すために我を案内人にするとはとんでもないやつだの。
というかルシファー。御主、我の存在を忘れておったのではなかろうな?』
「そんなことはない」
『……まあよい。我はセリカに負けたのだからな。共に行こうぞ』
言葉に棘はあったが、請われたハイシェラ自身、悪い気はしていないらしい。
寧ろ喜んでいる節すら感じられた。
「ルシファー、お前はどうするんだ?」
問われた言葉に目を閉じる。
百七十年余りという長い時間ではあったが、目的としていた邪神の討伐は成った。
異界より産み落とされた、私の兄弟ともいうべき存在。
殺した今、罪悪感ではないことは間違いないが、僅かに何かが欠けてしまったような、違和感がある。
これが……仮にも兄弟であったものを失った喪失感なのだろうか。
だとするならば、私は……。
――改めて目を開ける。
「アイドス、お前は姉に会いたいか?」
『……ええ、そうね。相変わらず、何を話せばいいのか分からないけど』
「ふぅ……そうか」
柔らかい溜息と共に、自分でも驚くほど自然に出た相槌の言葉。
「しばらく、お前の旅に同伴しよう。アストライアの肉体を持つ、お前の傍にいる方が会うのは早そうだ」
永い沈黙が続いた。
呆れているのか、それとも別のことを考えているのか。
「……俺は世界全てから狙われているが?」
大丈夫なのかと、セリカが問う。
「神に反旗を翻した熾天魔王と、お前と同じ格を持つ古神の力。
二つを併せ持つ私を……古神は兎も角、現神が放っておくと思うか?」
「……好きにしろ」
その言葉を最後に、セリカはそのまま歩き出す。
『……今彼、笑わなかった?』
「さあ、どうだろうな」
草木生い茂る大地に一歩足を踏み出す。
この長くなるであろう旅の先に何が待つのだろうか。
もう一度蒼き月、リューシオンの昇る空を眺め、私はセリカの後を追った。
アイドス共に歩むその先に、セリカの願いが叶う未来を思って――。
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