メンフィル王国軍がレスペレント都市国家群に侵攻を開始して一月ほどが経つ。 
 カルッシャ王国に先んじてのメンフィルの攻勢は、諸国家に多くの影響を与えていた。

 カルッシャの影響が強い国では、やはり魔族など信用できないという気風が高まっている。
 それ以外の国家でも戦の到来を予見してか、国を離れる商人たちが増えてきているようだ。
 彼らにとっては戦争など余所事に過ぎない。
 こちらとしては、旅道具を揃えるのに苦労するため困るのだが。

 それで現在、この大事の中心にあるリウイ率いるメンフィル軍は、ルミアの街に駐留しているそうだ。

 ――武力による都市国家群の打倒。
 それが、諸国家に流れているメンフィル軍のやり方だ。
 しかし戦になった気配すらないところを見ると、そういう建前だろう。

 魔族に加担したものは、同じ魔族と見られる。
 それがこの地方の人間族の思考である以上、強大なメンフィル軍の侵略に遭った都市国家郡は、止むを得ず門戸を開いたのだ。
 そう諸国に印象付ける。
 国家長であるレアイナ・キースの思惑は、おそらくそんなところだと思われた。

 それで肝心のカルッシャ軍だが、メンフィル王国へと続く辺境街道の監視所で一戦。
 サランの街侵攻の際に赤鹿騎士団が一戦交えて以降、全ての兵が本国へと引き返している。
 テネイラ暗殺に対する報復という、大義名分を得たにも関わらずである。

 考えられる理由はいくつかあるが、やはり王の意思が一番大きいのだろう。
 軍事面では姫将軍に、政治面では宰相サイモフの影響が強いとはいえ、最終的な決定権を持つのは王だ。
 覇気を失い、後宮から出てくることが滅多にないという噂の、ラナート王が戦を嫌ったため。

 後数年で王位を譲るという話であるから、最後は平穏を望んだと考えるのが妥当か。
 ハイシェラなどはその話を持ち出すと、つまらなそうにぼやいていた。
 最後の最後まで戦い続けた、インドリト・ターペ=エトフ王のことでも思い出していたのかもしれない。

 他に考えられる理由は、あえてメンフィルにレスペレントの諸国家を侵略させた場合に起きる利点、である。

 レスペレント諸国が侵略を開始したメンフィルに戦を仕掛けるように仕向ける。
 メンフィルが敗北すれば、所詮それまでの国家であったということ。
 勝ち進み続ければ、後は思惑通りに軍を動かせばいい。
 温存していた兵で連続した戦で疲弊しているメンフィル軍を攻撃。
 諸国家が勝てなかった魔族の国に打ち勝った大国として、他国への影響力を強めることができる。

 メンフィルと同盟を結んだ国家に対しては、魔族に加担したとして侵略する。
 逆にメンフィルに打ち破られた国家に関しては、開放の名目でミレティア保護領のように名前ばかりの属国に。
 グルーノ魔族国に関しては言うまでもない。

 ただしこれはカルッシャ王国に、魔族になど負けるわけがないという慢心があればの話。
 しかし聞き及ぶ国風からすれば、十分在りえることだろう。
 以てカルッシャ王国によるレスペレント統一は達成される。

『姫将軍の思惑は、そんなところか』
『……城を空けることが多くなったなんて話もあったけど、本人に聞いてみなければ分からないわね』
『その通りだな』

 レスペレント都市国家領――辺境の村。
 この村は、商業の街として発展している大都市ルミアからほど近い場所にある。

 夜の暗闇を照らし出す生活の灯り。
 それは先の大封鎖で苦しくなった生活の中、必死に生き抜く人々の姿を想像させる。
 そんな村の小高い丘の上。
 一本だけ立つ大きな木の根元に神剣を立てかけ、私とアイドスは星空を眺めていた。

 セリカも先ほどまでいて少し剣の手合わせをしていたのだが、今は宿に戻っている。
 しばらく魔神剣の手入れをしていなかったことを思い出したらしく、今頃はハイシェラを磨いているだろう。

 それでカルッシャ行きを考えていた私とセリカであったが、一月経ったにも関わらず、未だに都市国家領に留まっていた。
 何故かというと、単純にミレティア保護領との国境が封鎖されているためだ。
 正確には先の大封鎖が原因で起こった内乱が今でも尾を引き、保護領と都市国家群の二国間で小競り合いが続いている。
 それがこの戦争の気風の高まりによって治まる気配が無く、国境を抜けることができない。
 メンフィルとカルッシャの戦の影響は、そんなところにまで及んでいた。

 ミレティア保護領を通過できなければ、カルッシャに入ることはできないためどうしようもない。
 仮に封鎖が解けたとしても、しばらくは検問が強化されるだろうから、更に時間がかかる。
 だが、その問題も漸く解決の目途が立った。

 視線を降ろした先に映る、メンフィル王国軍の姿。
 複数人いる彼らに護られるように、夜になってもまだ村人の話を熱心に聞いている一人の人間。

 戦線に出ているという噂はあったからおかしなことではないが、出会いは間違いなく偶然。
 当初は一般兵に“お願いする”予定だったのだが、馬を射るつもりが将を討つことになろうとは。
 神剣を背負い直し丘を降り、わざと気配を表に出して彼女の前に進み出る。

「……自ら視察に出向くような王妃に会うのは初めてだぞ」

 私の言葉に警戒を顕にするメンフィルの兵たち。
 それをさっと手で制し、堂々とした佇まいで対峙する金の髪と瞳の女。
 私の魔力を感じ警戒はしているようだが、それでも毅然とした姿を見せる彼女は、いつかのイソラの姫君を思い出す。

 カルッシャ王国より、同盟強化のための政治の道具として送り出された姫君。
 今はメンフィル王――リウイ・マーシルンの正妻。

「私に何か御用でしょうか?」
「単刀直入に言う。エクリア・テシュオスについて話がある」

 余程予想外だったのか、彼女――イリーナ・マーシルンは意表をつかれたような顔をした。

「あの――」
「魔神ルシファーだ。リウイ・マーシルンから聞いていないか?」





 質素な作りをした村の宿屋。
 異質な空気を感じ取ったのか、控えるようにしているメンフィル兵を除いて、人間族の姿はない。

 客がいなくなってしまったことをイリーナ王妃と揃って店主に謝罪したが、なぜか呆然としていた。
 私は見た目傭兵だから兎も角、メンフィルの王妃が謝るというのは想定外だったのだろう。
 しかし別に下手に出ているわけではない。
 丁寧ではあったが、必要だから行っただけのこと。
 その辺り、一国の王妃としての振る舞いを心掛けているのは好感が持てた。 

 まあ、王ならば堂々とした振る舞いを求められるのだろうが、王妃の場合はそうではない。
 むしろ少し甘いのではないかというくらいに振る舞って、国民の人気を適度に得て貰った方が国家としては都合がいいだろう。
 メンフィルの王妃は魔王の妻で在りながら、民に気をかける優しい人間。
 このような者がいるのならば、メンフィル王国は実は噂ほど恐ろしい国家ではないのかもしれないと。

 もちろん支持を得過ぎるのも、それはそれで問題ではある。
 ただメンフィルの場合は、そもそも国内でのリウイの評価が高いので、それほどあの男も気にしていないのかもしれない。

「……それで、お姉様のことというのは?」

 長テーブルの一つの椅子に私が座ると、イリーナ王妃も体面の椅子に腰を降ろした。
 ……それにしても、この場を設けるのに随分と時間がかかってしまったな。

 私が名乗った後の彼女は、眼に見えて怯えるようなことはなかったように思う。
 それは闇夜の眷属を知っているというのが大きいのだろう。

 しかし“黒翼”の名は“姫将軍”並みに知られているらしい。
 それならば警戒するのも当然だ。
 そのためこちらの事情を話して、戦闘の意思はないことを理解させる。
 それで漸くこの場を設けることができた。

「……これは厭くまで可能性なのだが」
「構いません。私もエクリア姉様のことで気になることがありましたので」
「気になることか。……まあいい」

 彼女の態度が僅かに焦燥しているのは気になったが、どの途彼女の協力は必要だ。
 私は彼女に、姫神にかけられたとされる呪いについて話すことを決めた。

 数年前に、フレスラント近郊で姫将軍を“見た”際、彼女がその末裔ではないかと感じたこと。
 私には、その呪いを解く可能性のある魔術が扱えること。
 現在の姫将軍の状態に関する推測。
 エクリア・テシュオス自身の有り様に興味を持ったこと。
 そして――神剣アイドスのこと。

 神剣については正直アイドスの安全を考えると話したくはなかった。
 しかしイリーナ王妃の信頼を得るためには、私が姫将軍の呪いを解く動機を教えることは、必要不可欠だと思う。
 妥協しなければならないのだろうな。
 そう思い、アイドスに心話で断りを入れてから、彼女の存在をイリーナに明かした。

 私が受けた印象では、他でもない実の姉に関することであるせいか、彼女は真摯に聞いてくれたように思う。
 闇夜の眷属とはいえ、魔神である私の言葉を人間族の王妃が、だ。

 彼女自身、姉が何かに苦しんでいるのは分かっていたが、呪いの存在自体は知らなかったらしい。
 真実だとするならば止めたいが、彼女個人で判断できることではない。
 血の繋がりはあるが、敵対関係にあるのは事実。

 最終的にリウイとの面会を求められたが、当初の予定通り応じることにした。
 それはメンフィル軍がこの村を訪れた際に、すでにセリカに提案していることなので問題はない。
 ただし万一にも同行者に危害を加えようとした場合は、命の保障はできないと彼女に告げる。

「私を信用して大切な方の事まで明かして下さったのです。
 神に……いえ、イリーナの名に誓ってそのようなことはさせません」

 芯のしっかりとした女だと思う。
 実際は彼女の権限など微々たるものだろうが、それでも一応信は置いていいだろう。
 神に誓っても私達には意味が無いと気付いて、わざわざ言い直すくらいだからな。

 そして話題は、その私の同行者のことに移る。

「もう一人紹介したいやつがいるのだが」
「……やはり“神殺し”は実在するのですね」
「そうだ。……恐ろしいか?」
「それは……会ってみなければ分かりません」

 期待した通りの答えに、私は知らず頬を緩めた。
“神殺し”と聞いて忌避感を抱かない人間族はいない。
 例外は存在するが、多くの場合は災厄を招くとして恐れることの方が多いのだ。
 姿も知られているわけではなく、場合によっては化生の類を想像する者もいる。

「……話していて感じたが、お前は変わった人間だな」
「そうかもしれませんね。かつての私ならば、今のようには答えなかったと思います」

 出会うことで変わったのは、リウイ・マーシルンだけではないということか。
 だとしたら、彼女を変えたリウイにもう一度会うのも楽しみだな。

「今あいつは二階にいる。……寝ているかもしれないが、少し待っていてくれ」
「……貴方がいない内に、ここを去るとは思わないのですか?」
「そのつもりなら、それでも構わない」
「……申し訳ありません。ここでお待ちしております」

 立ち上がって背中を向けたまま答えた私に、彼女がいったい何を思ったかは分からない。
 ただ本心から謝罪しているのだということだけは、理解できた。

 本当に不思議な人間だ。
 アイドスとはまた違った意味で惹きつけられる。
 いや……惹きつけられるような人間に成長させたのか、あの男が。

「……お前とリウイは、出会うべくして出会ったのかもしれないな」

 ――私とアイドスのように。

 そこまでは言わず、僅かな動揺の気配を背中に感じながら、私は二階に向かった。





「女の方だったのですね」

 セリカの姿を見て、イリーナ王妃が開口一番呟くように言った台詞。
 私が男だと指摘すると、彼女はさも信じられないといった様子で目を白黒させる。

「本当だ」
「……え? あ、男の方……なのですか?」

 頷くセリカに、まだ困惑した様子のイリーナ王妃。

『セリカの性別を、一目で判断できたルシファーがおかしいのだと思うけど』

 そんなことはないと思うが。

「……セリカ・シルフィルだ」
『ふはははっ! なんだ御主、女と間違われて拗ねておるのか?』

 ハイシェラの哄笑が癇に障ったらしい。
 セリカは抗議する魔神剣――短刀を無造作に道具袋に放り込んだ。
 そんな一連のセリカの行動にイリーナ王妃が驚く。
 どうやら彼女にはアイドス同様、ハイシェラの言葉も聞こえないらしい。
 まあ、それが普通なのだが。

「気にするな。話し合いの場に武器は無粋だと思っただけだ」
「……はあ」

 気の抜けたような返事をするイリーナ王妃。
 ここまできたら同じだろうと、私はハイシェラのことも教えることにした。
 セリカから妙に視線を感じたが、先のやり取りもついでに言ったせいだろう。
 更にからかうように私は話を続ける。

「セリカ、折角血の繋がる人間に会ったのだ。
 ぼうっとしていないでセリーヌ王女のことを訊いたらどうだ?」
「……セリーヌ姉様のことですか?」

 余計なことをという顔をしたセリカを無視し、私は頼んだ紅茶を口に含む。
 
 私は兎も角、セリカと関わるということは、諸刃の剣を持つようなものだ。
 もとより敵対する気はないが、さてリウイ・マーシルンはどんな判断を下すか。
 嬉しそうに姉のことを語るイリーナ王妃の姿を視界に収めながら、似た顔をしているであろう仮面の将軍を思う。
 ある意味私と同じ境遇にある女――エクリア・テシュオス。
 実の妹の人となりは知った。
 ならば、お前はいったいどのような人物なのだろうかと。



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