リウイがクラナ王国を支配下において数日後のことだ。
突如としてマルーダ城に現れた気配に、私は急ぎ神剣を手にして客室を出た。
感じた魔力からして、おそらく中位の魔神程度。
組み伏せるのは容易いが、侮って良い相手でもない。
廊下に出ると同じように察したのか、魔神剣を片手に握るセリカが部屋から出て来たところだった。
視線で会話を交わし、私はリウイのもとに。
意思が伝わっていれば、セリカはイリーナの護衛に向かうことだろう。
最後に一瞥して駆け出す。
その途中でファーミシルス将軍と合流した。
「……随分と礼儀知らずな魔神もいたものですわね。その辺り貴方はどう思います?」
「昔、似たようなことをしそうになった覚えがある」
私がそう言うと、彼女の秀麗な顔が僅かに驚愕に染まった。
飛天魔族特有というわけではないが、純白の六枚の翼を揺らしながら走る姿。
緑の魔法石を所々にあしらった、カーリアンほどではないにしろ露出の多い軽鎧。
だが、凛とした雰囲気が先立つため、今の彼女に妖艶さはそれほどない。
気位が高いなどと揶揄されることが多い種族だが、この容姿ならば仕方がないと思ってしまう。
「意外か?」
「……そうですわね。もっと穏やかな方だと思っていましたわ」
「あまり見縊るな。私は伊達や酔狂で魔神を名乗っているわけではない」
そう言うと、ファーミシルスは好戦的な笑みを浮かべ、
「でしたら、今までは避けていましたが、いつかお手合わせをお願いしても?」
「望むのならばそうしよう。魔としての血がそうさせるのか、戦いそのものは嫌いではない」
セリカとの“喧嘩”が行き過ぎてしまうのは、そういう本能的なものもあるからだろう。
私の半身は争いを憂う。
だから、私も無益な争いは好まない。
しかし戦うことを嫌っているかと言われれば、そうでもない。
戦闘の中で高揚する自分に気付き、やはり私も魔神なのだと実感することは今までに何度もあった。
「今はこの魔神をどうにかする方が先決だ。リウイも兵を失うことなど望んではいないだろう」
「残念ですが、その通りですわね」
◆
マルーダ城の謁見の間。
対峙しているのは、国王リウイとグルーノ魔族国の王。
側頭部の大きく捩れた角と、背中の灰色の翼が特徴的な魔神。
名前をディアーネという。
リウイと合流した私とファーミシルスだったが、すでに報告は行き届いていたらしい。
突如庭園に降り立った魔神を迎撃に出た近衛の兵であったが、石化の魔術と翼の一撃で返り討ちに。
最終的には、神格者であるシルフィアがその場を治めたということだった。
そしてリウイへの謁見を求めたため、シルフィアが案内し現在の状況に至っている。
魔神の来訪の意図は未だ不明。
リウイは、最悪の場合を想定してベルガラートの使者であるブラムをイリーナにつけたらしい。
だがセリカが護衛に向かったことを告げると、言葉こそ素っ気無いものだったが、険しい顔が幾分安堵したように変わった。
「噂高い魔神ディアーネ様に、わざわざご来遊を賜るとは。我がメンフィル国王も、名を馳せた王と成り申しましたか」
ファーミシルスのその一言から、しばしディアーネとの間で舌戦が繰り広げられた。
互いに退くをよしとしない性格のためだろう。
このままずっと続くのではと思われた矢先、シルフィアが割って入り、リウイを紹介する。
二人の王の間で交わされた会話を端的に言えば、要は同盟を結ばないかというものだった。
かつてリウイの父である魔神グラザと戦ったことがあり、随分と好戦的らしいディアーネ。
彼女は血と肉の快楽を求めるならば手を取れと勧誘してきたのだった。
リウイにどのような葛藤があったのかは分からない。
平穏を求める人の心と、争いを求める魔の心。
己が快楽のためではなく、恙無き世のために戦をしている。
大切な者を得るという、心の充足を知らぬお前は憐れだ。
そう告げてリウイは欲望に負けることなく、ディアーネの誘惑を払い除けた。
返答を受けて、つまらないものを見るかのようにリウイに視線を向けていた魔神ディアーネ。
やがて彼女はその金の瞳を、近衛兵の中に紛れ込んだ私に向けた。
「ならば、貴様はどうなのだ。“黒翼”の名を冠する魔神よ」
謁見の間に控え、一言も口を開かず王と魔神の会話を見ていた騎士たち。
彼らがディアーネの視線の先にいる私を中心に、二手に分かれる。
リウイに視線を向けると、やや緊張した面持ちながら、目で好きに答えろと伝えてきたのが分かった。
「……私の存在をどこで知った」
「魔族の魔術師が我に伝えたのだ。“名も無き魔術師”などと語っていたがな」
蜥蜴のような魔術師を脳裏に浮かべ、可能性の話として記憶する。
それよりも、その魔族が果たしてどこまで語ったのか。
ただこの魔神は、戯言として一笑に付した可能性も無くはない。
実在が確認されている“黒翼”は兎も角、御伽噺の“神殺し”など存在しないと。
ならば、下手に訊くよりセリカのことには触れずに会話した方がいいか。
いざ戦闘になった場合に備え、腕を組んで傲岸不遜な態度で佇む魔神の正面に出る。
そうすると丁度、リウイとディアーネの間に入る形になった。
「どうした。我の問いに答えぬか。それとも、噂通りの“腰抜けの魔神”なのか?」
冷笑と共に語る魔神の態度に、背負った神剣アイドスから不機嫌な感情が伝わってくる。
気にしていないと心話で告げ、
「語る言葉などない。答えは既に示している」
ディアーネを拒絶したリウイの側に立ったその意味。
彼女はそれを正しく理解したようで、瞳孔が猫のように細くなり、口元には嘲笑が浮かんだ。
「やはり、畜生は畜生に過ぎぬか。……恙無き世、心の充足など弱者の戯言に過ぎぬ」
「ならばお前は何を求める。快楽とは果て無き闘争のことか?
本能のまま生きる獣か貴様は。だとすれば、無様この上ないな」
『ルシファー、やっぱり気にしているでしょ……』
瞬間、ディアーネの魔力が膨れ上がった。
押し寄せる魔の圧力を、同等の魔力で跳ね返す。
ばさり、と灰色の翼を広げたディアーネ。
放たれた暗黒槍の一撃に悪寒を覚え、アイドスで受けずに回避した。
どうもこの槍、破壊力は一級品らしい。
綺麗に抉られた床を視界に捉えながら、後方の気配を確認する。
リウイとシルフィアも闘気術でディアーネの魔力に対抗しているようだった。
「口で負ければ力押しか。それで魔神を名乗るのだから嘆かわしい。ハイシェラ辺りが見たらどう思うか」
「貴様、まだ我を愚弄するか!」
「愚弄だと? おかしなことを言うものだ。馬鹿になどしていない。全て事実を告げているだけだ」
何処からともなく引き攣った笑いが聞こえたが、私の知ったことではない。
開放していた魔力を更に増やし、今度は逆にディアーネに圧力をかける。
僅か怯んだその隙に、召喚石に魔力を流し、
「ニル、できる限り強固な結界を私とあの魔神を中心に張ってくれ。
……わざわざグルーノくんだりまで出向くまでもない。ここで終らせてやろう」
「ふぇ!? ルシ、ファー? 呼んでくれたのは嬉しいんだけど、無表情でそんなこと言われると……。
それに、何か貴方怖いわよ……」
「さっさとしろ……」
「あわわわ、了解しました。……敵対対象物補足、っと」
何故か怯えたように蒼の瞳を涙で濡らし、濃い撫子色の髪を揺らすニル・デュナミス。
彼女は私の頼みを受けて、ディアーネを逃がさないように結界を張った。
ニルは能天使の階級とはいえ、実力的にはディアーネに迫る。
張られた結界を破るには、いくら魔族国の王と恐れられる存在でも時間がかかるだろう。
「おい、ルシファー! 何を勝手なことをしている!」
結界の外にいるリウイから声がかかる。
私は慌てたように近づくリウイを視界に収めながら、
「私の心配よりも、万が一結界が破られた場合吹き飛ぶのは謁見の間だ。
シルフィア辺りに二重に結界を張るようにでも言っておけ」
「誰がお前の心配などするか! いやそれより、お前は謁見の間を――」
「――それにここでこいつを討っておけば、次の戦はこちらの犠牲が少なくて済むだろう」
交渉が決裂した時点で、戦うことは確定。
ならばと、遮って告げた私の言葉に、驚いたような顔をするリウイ。
まさか私が本気で怒りに任せて、このようなことをしたとでも思ったのだろうか。
眉間に皺を寄せこちらを伺うような表情。
勝てるのかとそう告げられたように思い、
「獣などに負ける私ではない」
言葉と同時に、私はディアーネに斬りかかった。
◆
「リウイにはああ言ったが、いい加減“腰抜け”などと何度も言われ続けると、流石の私でも怒りを感じるのだ」
「我は一度しか言っておらぬ。……というか御主、いったい何者だ。
このような魔力、ラーシェナどころかザハーニウすら……」
叩きつけられた魔力に動揺したらしく、ディアーネは幾分不遜な態度を顰め、忌々しげに結界を見つめている。
これだけ狭い空間では、大規模な魔術は自分にも被害を及ぼすために使えない。
結界を破壊しようにも、隙を見せればそこで終り。
ならば、純粋な接近戦の勝負。
「ラーシェナだと? お前はラーシェナを知っているのか」
「何だ、知り合いか。……ふん、まあいい。我に勝つことができれば教えてやろう。勝てればの話だが、な!」
暗黒槍を縦横無尽に駆使し、一転して猛禽類のような笑みを浮かべ仕掛けてきたディアーネ。
気に食わない様子であったにも関わらず、この変わり様。
余程戦うこと――他者を蹂躙するのが好きなのか。
「腰抜けと侮ったが、何ぞやるではないか。これで貴様に快楽を享受する心があれば……」
「私の方こそ悪かったな。獣ではなく戦士だとは思わなかった。多少、狂戦士の傾向があるが、嫌いではない」
「ほぅ、ならば我と共に来るか?」
「まさか。一度口にした言葉を違えるつもりは私にはない。それに、私の半身はそれを望まないだろうからな」
虚実を織り交ぜ槍を振るう姿は、流石は力と恐怖で国を支配してきた魔神といったところか。
本分は石化の魔眼と、空中での雷による攻撃なのだろうが、接近戦も中々のものだ。
「……貴様も、半魔人と同じように心の充足などという戯言を言うのか」
「常に飢え続けるだけでは、後に残るのは荒野だけだ。
もちろん、そこに居心地の良さを感じる者もいるだろう。だから私は、お前を否定したりはしない。
……だがな、自己ではない誰かによって、心が満たされるというのは心地よいものだ。そう考えれば――」
だが破壊力は兎も角、敏捷さに関して言えば、私が常に相手をしているセリカには遠く及ばない。
魔力と闘気で強化した神剣で暗黒槍を受け止め、そのまま弾く。
勢いに流されたディアーネに右肩を当て、神剣アイドスを倒れた彼女目掛けて振り下ろす。
「リウイはどうかしらないが、少なくとも私は“魔神らしく”快楽を求めているのかもしれない。
……お前の趣向と交わることは無いだろうがな」
「……惰弱な。だから貴様は下級の魔族如きに“腰抜けの魔神”などと蔑まれるのだ」
「それでも構わん。私にとっては大切な者と在り続けることこそが、欲望なのだ。
……あまり言い続けられれば、流石に憤りもするが」
「面白い男だな、お前は。……だが、まあいい。我の負けだ」
「嘘をつけ。お前の目はそうは言っていない」
「……クク、ならばどうする。我を殺すか?」
「いや――」
固唾を飲んで見守っていたリウイたちを一瞥し、わざと聞こえるようにして、
「お前を私の支配下においてやろう」
何を言われたのか分からないという様子のディアーネに、私は言葉を変えてもう一度告げる。
「心の充足を知らぬというのならば、それを教えてやると言ったのだ」
◆
性魔術による精神支配。
無論、精神戦に敗北すれば、私がディアーネの従者になる。
彼女もそれを理解したのか、挑戦的な笑みを浮かべて応じた。
魔神の誇りを捨てることになるとでも思ったのか、結界を解いても逃げ出そうとはしない。
場所を変えると告げると、
「ここでも我は構わぬぞ」
「お前が良くても、他の者が良く思わない」
セリカならば兎も角、私には衆人監視のもと謁見の間で性儀式を行う気はない。
一部、漸くどういう状況なのか把握して、真っ赤に頬を染める者たちを視界に収めながら、私の部屋に向かった。
そして翌日――
「おい、ルシファー。そいつは何だ?」
「いや、魔神ディアーネだが」
「半魔人の王よ、我を見下すでない!」
幾分高くなった声で、憤慨してみせる小柄な魔神。
背丈は丁度、冥き途の番人であるナベリウスくらいだろうか。
昨日まであった絶大な魔力は、ほぼ失われている。
尤も私が魔力を供給すれば、もとの姿にも戻れるだろう。
しかしこいつで使い魔は三柱になる。
うち二柱がもともと神の眷属。
その上、全員が神核持ちというのはどうかと思うわけだが。
「まあ、無力化できたのだから問題ないだろう。もうお前に襲い掛かることもない」
「よく分からぬが、我が襲ったのはルシファーではないのか?」
「……」
「なんだリウイ? 必要なら貸してやってもいいぞ」
「こらルシファー! 我をモノ扱いするな!」
「……ふざけろよ、お前たち」
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