「……“神憑るもの”という存在がいる」
二人が落ち着いたのを見計らって、私はアイドスから聞き及んでいた話を語った。
それは偶発的な事象、または精神修行によって精神が乖離し、神と同調することによって神格位を得たものを指す言葉。
この場合はおそらく、姫神の本筋を継ぐエクリアの呪いが解呪された。
その結果一時的に姫神の封印が弱まり、神の方から歩み寄られ憑依されたのだろう。
イリーナではなく、姫神フェミリンスの名を語ったのはそのため。
半ば強制的に神格位を得たものが自己を保つかどうかは、個人の資質によるようだ。
伝承でブレアードはフェミリンスを人の身に堕としたとある。
これを言葉通り、マーズテリアの寵愛まで受けていたらしい女神の肉体を人に変えたと取るには、少々無理がある。
ならばその伝承を“フェミリンス”という女神の力と精神の一部を呪いと共に子孫に宿す。
それを以て、神を人の身に堕としたと解釈するとどうだろうか。
これならば、姫神の本体は何処かにまだ存在していることになる。
そしてその本体が私の放ったミゼリコルディアによって、繋がりの深いエクリアを通じて活性化した。
そう考えれば、フェミリンス本体の意思がイリーナに宿った可能性は確かにある。
「……イリーナは、自ら望んで敵になったわけではないというのか」
「その可能性があるというだけだ。本当のところなど、実際に本人と相対して見なければ分からない。
それに、姫神が人間も魔族も関係なく無作為に攻撃したところをみると……。
どうやら呪いはエクリアだけにかかっていたわけではないようだ」
「どういう意味だ?」
ペテレーネがリウイに、私はセリカに治癒を施す。
よくもこれほど腫れ上がるまで殴りあったものだと思いながら、言葉を続けた。
「ブレアードは狡猾な魔術師だったそうだ。エクリアに聞いた話だが、フェミリンスの系譜――その呪いを継がない娘は短命。
……おかしな話だ。フェミリンスの系譜というだけで、短い生となる。
これではまるで、別の呪いでもかかっているかのようだ」
「……それで?」
「おそらくは子を成さずに直系の娘が死んだ場合。
或いは無理に解呪を行った場合。
別の娘にフェミリンスの精神が引き継がれ、それを契機として短命にさせる呪いが“殺戮の魔女”の呪いに変化する。
これならば例え一人の呪いを解呪したところで、姫神の悲しみは続いていく。正規の方法で解呪を行わない限りは……。
ただ今回はフェミリンス本体の意思が憑依したことで、変化したのだと思うが」
「だかそれは、推論だろう」
「そう、ただの推論だ。信じる意味はないかもしれない。……それでお前はどうするんだ?」
私がそう言うとリウイはセリカに目を向け、
「殴り合いの喧嘩など、したのは初めてだ」
「……そうか」
「他の王族には止めておけ。まあ、俺には関係ないが」
不適な笑みでセリカに返すリウイ。
そんな彼にセリカは近付き、手を差し伸べた。
訝しげに見ていたリウイであったが、ペテレーネを制するとその手を取って立ち上がる。
大きく息を吐き出すと、彼は部屋にいる臣下を見回して、
「ユーリエの街への侵攻と同時に、エルフの森の神殿探査を本格的に行う。……ファーミシルス」
「何でしょうか、陛下」
「采配、全てお前に任せる。エルフの森の件は、フェイエを仲介にしろ」
「御意」
「それからリオーネ。エクリア、セリーヌ両王女に面会する。悪いがシルフィアと護衛のギルティン共々、ここに連れてきてくれ」
「分かりました」
「軍議は終わりだ。イリーナは必ず取り戻す。……退室して構わないが、セリカとルシファーは残れ」
怪訝に思ったが、セリカ共々頷いておく。
改めてリウイの顔を見れば、その赤い瞳に暗い影はない。
最悪、敵対することも考えていたが、これならば大丈夫だろう。
◆
リオーネ王女によって連れてこられたエクリアとセリーヌ王女、そしてシルフィアとギルティン。
長テーブルの扉側にリウイが。
向かい合うようにエクリアとセリーヌが座る。
私とセリカは壁を背にして並び、丁度リウイと王女二人の姿が見えるように立っていた。
シルフィアはリウイの傍に控えている。
リウイは大きく吸った息を吐き出すと、二人を前にして今後の身の振り方を切り出した。
「単刀直入に言う。亡命するというのならば、セリーヌ王女は認めてもいい。
だがエクリア、お前の場合は風評のせいで現状では難しい」
「……サイモフが流した私の醜聞か」
凄惨な笑みを浮かべて、エクリアが呟いた。
私が耳にした噂は、姫将軍は王宮から逃亡する際、百人のカルッシャ兵を殺害したというもの。
そして彼女の魔力はメンフィルの魔神との淫行によって得たものであるということだった。
前者は誇張されたもので、後者はケルヴァンとの関係を利用されたのだろう。
ケルヴァンについてはすでにリウイの知るところとなっているが、判断は保留。
彼にとっては紛れも無く股肱の臣であったから、信じたくないという思いもあったのだと思われる。
それで、もしここでメンフィルが亡命を認めてしまえば、噂の真実味を高めてしまう。
そうなればメンフィルは姫将軍と結託していたと、後々の光陣営側との交渉で悪影響を及ぼすだけでなく、民や兵にも影響を与える。
確かに幻燐戦争はカルッシャかメンフィル、どちらかが勝利すれば終戦を迎えるが、むしろそれからが大変だと言っていい。
戦後処理ほど厄介なものは無い。
ハイシェラが荒らすだけ荒らして去ったケレース地方は、未だに混沌とした情勢が続いているくらいだ。
無論、僅かとはいえ関わっていながら、何もしなかった私やアイドスが言えたことではないが。
兎も角それを考えると、テネイラ事件の事実が明らかになっていないのだ。
未だ悪役となっているメンフィルが亡命を認めるのは難しいものがあった。
「その通りだ。それに亡命するにしても、聞いておかねばならぬことがある。
セリーヌ・テシュオス、お前はカルッシャを捨てられるのか?」
「……私の願いは、エクリア姉さまとイリーナの幸せだけです。
それを聞いて頂けるのでしたら私がどう思われようと、どう扱われようと構いません」
弱々しい声に強い意志を宿らせ、セリーヌ王女が口を開いた。
出た言葉は己の身はどうなっても構わないから、姉と妹を救って欲しいというもの。
病的なまでに白い顔と、いつ倒れてもおかしくないほど華奢な身体。
実際、メンフィルに辿り着くまでに何度も咳をしていたことから、身体が弱いというのは本当なのだろう。
立場上捕虜として扱われても文句は言えないというのに、命乞いどころか、求めたのはエクリアとイリーナの救済。
そんなセリーヌの決意を聞き、エクリアが何かを言いかけて口を噤む。
何を言おうとしたのかは分からないが、その顔は何処か悲しげに見えた。
ふと隣に顔を向けると、セリカが少し顔を顰めていた。
おそらくセリーヌ王女を心配しているのだろうが、果たしてその心に気付いているかどうか。
何しろ、自分の心の動きが分からないと常々言っている男だ。
そもそんな感情を抱くまでに、セリーヌ王女を気にしていることを、自覚しているかどうかすら……。
そんなことを思いながら視線を再びリウイに向けると、彼はセリーヌ王女の発言を受けて僅かに眉を上げた。
敵国に亡命するということは、祖国を裏切ることになる。
実際裏切ったのはカルッシャ王国であるが、そこは心情的な問題だろう。
エクリアとセリーヌ王女の話によれば、二人の母親を暗殺したのも王命だというのだから救われない。
だが彼女はそれらの感情すら押し殺し、リウイと対峙している。
「……姉と妹の幸せだけを願うというか」
「もとより私は、長くは生きられぬ身ですから」
「……分かった。ならば国賓として扱わせてもらう。カルッシャのではなく、国を失った姫としてだが。
ギルティン、護衛を任せる。そこの“神殺し”も適当に使ってくれて構わん。
どうせカルッシャとの戦にはルシファー共々出せんからな。……出るつもりもないだろうが」
リウイの言葉にギルティンがやや困惑したような顔になる。
“神殺し”を護衛にしろなどと言われれば無理もない。
当の本人は全く気にした様子はないが。
「お前もそれで構わないか?」
リウイの問いに、セリカはセリーヌ王女に目を向けた。
王女が微笑みと共に頷いたのを見て取ったのか、
「それでいい。……少し、聞きたいこともあったからな」
「ならば任せる。それで……エクリアについてだが」
その言葉に、笑みを浮かべていたセリーヌの顔が強張った。
エクリア本人はというと、毅然とした態度でリウイを見ている。
「現時点では亡命は認められない。しかし、殺す意味もない。はっきり言えば、お前は邪魔な存在としか言いようが無い」
「……当然の判断だろうな」
率直な物言いに、セリーヌが何か言おうとするのを諌めて苦笑するエクリア。
亡命を認めれば前述した問題が。
殺してしまえば口封じと思われる。
かといって、彼女の身分は王女である前に敵国の元将軍。
野に放って不穏分子になられても困る。
厄介などというものではないだろう。
ならば、考えられる選択肢は一つしかない。
「そこでだ、ルシファー。お前はエクリアと共にエルフの森の遺跡探索に行け。フェミリンスの系譜が鍵となっている可能性がある」
「……つまりそれは、私に預けるということか」
「そういうことになる」
「私は別に構わないが……」
そこで一度エクリアを見る。
やや戸惑った様子ながら、首を縦に振った。
それを確認したところで、リウイに向き直る。
「――と、いうことになったが?」
「ありがとう、ございます」
セリーヌから返された言葉に、リウイは一度だけ頷き、
「話は終わりだ。城では機密に関わる場所以外は自由に行動して構わない。
……それと最後の質問だ。イリーナ――姫神の行き先に心当たりはないか?」
「……イリーナが真に姫神となっているのならば……おそらく、フェミリンス神殿だな」
「フェミリンス神殿?」
「ユーリエの街近郊、テリイオ台地。何人も踏み入れてはならないと言い伝えられているその場所に、フェミリンスを祭った神殿がある」
「……まさか」
「姫神がどういう状態にあるかは、私にも分からない。
だがその場を去ったというのなら、狙いはそこでしか行えないフェミリンス降臨の儀式だろう」
仮にイリーナは、フェミリンスの意識だけを宿しているとする。
となれば姫神はその魔を駆逐するという目的のため、完全にイリーナに降臨することを望むはずだ。
しかしそれが如何なる方法なのかは、フェミリンス神殿に行かなければエクリアにも分からないらしい。
「ただ儀式魔術には相応の準備がいる。完全な開放には時間がかかるはず」
「つまり、今すぐ姫神が解放されるということではないわけか」
「そうだ。……しかし、何れにせよそれほど時間はないだろう」
「……分かった。ならば、早急に戦を終らせる必要が出てきたな」
カルッシャ王国は、立て続けに起こった出来事で混乱の最中にある。
ユーリエの街を落とせば、王都防衛などあってないも同然だろう。
同じことを思ったのかリウイは苦い顔をしながらも、やや表情に余裕が見受けられる。
……問題はケルヴァンがどう動くかだ。
姫将軍と手を結んでいたことが判明した今、カルッシャ王国に残っているということはないだろうが。
「……セリカとルシファーに感謝しておけ」
唐突にリウイが口に出した言葉。
それはどういう意味だ?
セリカは分かるが、私は何もしていないはずだ。
どんな表情をしていたのか分からないが、リウイは私に視線を向けると何か面白いものでも見るように、
「何だ、気付いていなかったのか。
お前、エクリアを殺すと俺が口にした時、異常なほどの殺気をぶつけてきたのだぞ。
おかげでファーミシルスが警戒していた。……これは、義兄上とでも呼ぶべきかな」
◆
エルフ族北の森、リークメイル。
静かな風の音色の中に、時折鳥の鳴き声が響く。
数百年の時を外部との接触を経って存在してきたためか、ここは未だに“自然”のままであった。
私の傍らには、エクリアが控えるように付いて来ている。
やや憮然とした表情ながら、王都の一室での会話のときよりは落ち着いたようだ。
――あの後のこと。
リウイの最後の一言を聞いた面々を落ち着かせるのに、時間がかかってしまった。
セリーヌは時折セリカの方に顔を向けながらも、姉の様子にやたらと嬉しそうに微笑んでいた。
リウイはしてやったりという顔していた。
……その表情に少し苛立ちを覚えたのは仕方がないと思う。
シルフィアやギルティンは、リウイの言葉の意味が分かったのか、唖然としていた。
ハイシェラは馬鹿になったように笑い、セリカは意味が分からないという雰囲気。
問題だったのはエクリアで、思わず耳を押さえそうになるほどの驚きの声を上げ、リウイに突っかかっていた。
そんな面々の行動を視界に収めながら、思い返してみたのだが、確かに威圧していた気がしないでもない。
しかしだとすれば私は何故そのような行動をと思い、ふとアイドスのことを思い出した。
そうして思い至ったのは、エクリアに私が向けているのは、アイドスと出会ったころの感情だということ。
つまるところ、気になる存在に危害を加えられることを不快に感じ、結果として取った行動だったのだと思う。
その場は結局、カルッシャ遠征への従軍を命じられたシルフィアが苦笑しながら治めたが、エクリアは以来私を睨むようになった。
魔族が嫌いなのは分かるが、リウイの前ではこのような様子ではなかったはず。
……少しからかい過ぎただろうか。
そう思ってアイドスに訊いてみたが、素っ気無い態度で相槌を打つばかり。
一度だけ深い溜息を吐く。
気持ちを切り替え、私はエクリアを伴って、他の兵と同じようにこの森に無数に存在する遺跡の調査を開始した。
“殺戮の魔女”の噂はすでにレスペレント全域に広がっており、探査の許可は特例としてすでに下りている。
非常事態にならなければ腰を上げないエルフには呆れたが、もともとそういう種族だったかと思い出す。
それはエルフにはエルフの考え方があるのだから、仕方がないことではあるのだが。
「エクリア、余計なことを考えるのは後にしろ。今はフェミリンスの遺跡を探すことに集中してくれ」
「余計なことだと!? 貴方は――ッ」
『無駄よエクリア。この人は偶に鋭いけど、基本は鈍感だから』
「……苦労しているのだな」
『ええ、全く。……貴女がどういう選択をするか分からないけど、選ぶのなら覚悟はしておいた方がいいわ』
「……どういう意味だ?」
『彼は全然優しくないけれど、欲しい時に欲しい“繋がり”をくれるヒト。
でもそれに自分では気付かない不器用なヒト。貴女も一緒に来るのならば、苦労するわよ』
「――なっ!」
『あら、違ったかしら。よく考えたのだけどね、私は貴女なら別に構わないわ。本当は嫌だけど……』
「わ、私は別に……」
いつの間に仲が良くなったのか。
そんな二人の意味不明な会話を聞きながら、私はリークメイルに入っていった。
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