ユーリエの街の北に存在するテリイオ台地。
 切り立った垂直に近い断崖の上部に、厳かな神殿があるなどと誰が想像できただろう。
 実際私達も飛竜で上空から確認しなければ、神殿の姿を見ることはできなかった。

 降り立った大地には、手付かずの自然が広がっていた。
 生い茂る草原と、肌を撫ぜる穏やかな風。
 とても“殺戮の魔女”などと言われている存在がいるとは思えない。

 人によって踏み固められたというよりも、圧倒的な魔の力を避けるように奥へと続いている道。
 ここに集った面々は、清めを受けた短剣を手にするリウイに従うように神殿への道を歩く。

 神殿の入り口に辿り着いたところで、リウイがここまでの案内を買って出たサイモフに言葉をかける。
 国王不在の間、レスペレントのことを任せると。
 粛々と頷くサイモフに、私の隣を歩いていたエクリアが声をかけようとして……目を閉じた。

『何も言わずとも良いのか?』
『……互いに干渉しない方がいいのだろう。あの者は確かに私の母を殺した。
 だが、あの者が守ったカルッシャを崩壊させたのは私なのだ。復讐というのならば、その時点で完遂されている。
 それに……今は妹たちさえ無事ならば、それでいい』
『……そうか。ならばいい』

 心話での会話でエクリアの意思を聞いている間に、リウイは神殿の厚い扉に手をかけ、瞼を閉じていた。
 何かを感じ取ったのか、エクリアもリウイ同様に瞳を閉じる。
 フェミリンスという単語が頭を過ぎり、セリカの側にいるセリーヌ王女に視線を向ければ、やはり同じ様子であった。
 そんな中、エクリアがリウイの隣に移動し、リウイから向けられた視線に一度だけ頷く。
 それからおそらくは扉を開くためであろう呪文を唱えた。

「呼びし眼に映るる詞、汝、姫神の系譜の証を示し表すならば、暗き海への扉を開きたもう」

 神殿への侵入を拒んでいた重い扉が、エクリアの言葉と共に開いていく。
 私の目に映り込んだのは、暗闇に閉ざされた神殿内部。
 冷たい風が吹き、水の流れる音が聞こえてきた。

 ここからでは邪悪な魔力は特に感じられない。
 姫神はもともと人間とはいえ、地方神にまで至った存在なのだから、それも当然かと思い直す。

 リウイは瞬時に光の精霊を集めると、護衛の騎士たちを伴って神殿に入っていった。
 だが生憎と私は光の精霊魔術は扱えない。
 苦手だとかそういう問題ではなく、根本的に精霊魔術と相性が良くないらしい。
 そこで使い魔であるニル・デュナミスに頼むことにする。

『悪いが、光の精霊を集めてくれないか。明かりになる程度でいい』
『……そんなことのために、ニルを呼んだの? まあ、いいけど』
『ああ、頼む』

 不満そうにしていたが、どうやら納得したようだ。
 召喚石に魔力を流し、光の精霊に語りかけ易いように実体化させる。
 やがて私の周囲に光が満ちたことを確認したのか、激励の言葉を残して召喚石に戻った。
 ――と、ニルの姿を見たらしいエクリアが、胡散臭そうにこちらを見ていることに気付く。

「灯りのためだけにあれほどの天使を呼ぶ者など、初めて見たわ」
『そういう人だもの。洗濯とか料理とか、ほとんど人並にはできるくせに、変なところでおかしな行動をとる人だから』
「……貴方は本当に魔神なの?」
「よく言われるのだが、何かおかしいのか?」

 呆れたような顔をするエクリア。
 そういえば、昔似たような顔をした女騎士がいた。
 今は騎士団を率いているらしいが、壮健だろうか。

「……先を急ぐぞ。セリカもリウイたちも、すでに内部に入ったようだ」




 
 神殿の内部には、古代の文字が刻まれた青い水晶柱が浮いていた。
 漂う空気に感じられるのは、イリーナ――姫神フェミリンスの深い悲しみと、魔族に対する殺意。
 流れる水の音は、太陽の光溢れる外であるならば安らぎを与える音色だっただろう。
 しかしここではただ重苦しさを増すだけであった。

「合成兵……魔族を憎む姫神が、その魔族を従えるとはな」

 いったいどこから召喚されているのか。
 神殿に入った私たちに襲い掛かってきたのは、ブレアードの作り出した合成兵たちであった。
 だがいくら姫神がそれを許容したのだとしても、かの神に彼らを生み出す力はない。
 これはおそらく――

「……お待ちしておりました、メンフィル国王陛下。そして、魔族に敗北した姫将軍殿」
「ケルヴァンッッ!」

 リウイの叫びと、深い憎しみを感じさせる声に振り向く。
 奈落を挟んだ対面の回廊に立っていたのは、赤い髪に猛禽類のような目をした魔族。
 四年前、イパラ遺跡でその姿を見た男――ケルヴァン・ソリード。

「大変残念です。私が目を付けたお二方とも、レスペレント――ディル=リフィーナを支配するには相応しい方ではなかった」
「……ディル=リフィーナを支配するだと?」
「その通りです、神殺し殿。人間との共存など虫唾が走るというもの。そのような戯言を仰るから私は貴方を見限ったのです」

 金色の瞳で相対するリウイを睨み、嘲るケルヴァン。
 ふとその視線が私の方に向けられた。

「“黒翼”殿。私は貴方にも期待していたのですが、どうやら貴方にもそれを邪魔する輩がいるようで」
「……貴様の望みは、恐怖による人間族の支配というわけか」
「ええ、その通りです。殺戮と混沌の果てにある、絶対的な力による支配。
 ……人間共など我らの奴隷にしてしまえば良いのです」
「だから、父を裏切ったのか」

 静かにリウイは告げた。

「おや、ご存知でしたか」
「あまり俺を見縊るな。この俺ですら殺せた相手に、父が容易く敗れるわけがない。
 ……考えられるとしたら、手引きした者がいた。それもごく身近に」
「その通りです。ですが、あれは私の期待に沿えなかった野心無きグラザ様が悪いのですよ」
「貴様……」

 それが当然の理なのだというように、ケルヴァンは言葉を紡いでいく。
 魔神グラザ殺害にケルヴァンが関わっていたという事実に驚く、リウイを除くメンフィルの者たち。

 そこで私は、おかしな違和感を覚えた。
 こちらの兵は少数とはいえ、古神や魔神をも含めた精鋭。
 にも関わらず、このような場にたった一人で出てきた理由はなんだ……?
 ケルヴァンは狡猾な存在だと聞いている。
 時間稼ぎというわけでもあるまい。
 ……まさか、すでに敗北を承知で出てきたとでも言うのか。

「しかしそれも良しとしておきましょう。まだイリーナ様がおられますから」
「貴様がイリーナの名を口にするなっ!」
「これは失礼を。あの方はイリーナなどという小娘ではありませんでしたね。
 偉大なる“殺戮の魔女”姫神フェミリンス。まさに、この世界を支配するに相応しいお方」
「……貴様ごときに姫神が御せるわけがなかろう」
「御す必要はないのですよ、姫将軍殿。私の望みはただ――」

 ケルヴァンの手が横に振られた瞬間、魔法陣と共に次々と召喚されていく魔物たち。
 それを見て取ったメンフィルの騎士や魔術師が戦闘態勢になる。

「恐怖と絶望で世界を支配するお方に仕えること。それを邪魔するというのならば、我が手で死ぬがいい、リウイッ!」





 冷たい瞳を膝を屈して血を吐くケルヴァンに向けながら、リウイは何かに耐える様に歩を進めた。
 裏切り者とはいえ、今のメンフィルがあるのは外交に動き回った彼のおかげなのだということは聞いている。
 だからこそ、リウイは最後の最後まで信じたくはなかったのかもしれない。

「……ククク、ご満足……して頂けたでしょうか」

 ケルヴァンの言葉にリウイは何も答えない。
 ただ無言のまま、血に濡れた突剣を手にケルヴァンに近づいていく。

「……反逆した者への、制裁……貴方の、情が……魔神の渇望に、犯されていくのが、手に取るように……」
「満足か、この俺に殺されて」

 どうあっても相容れない思想。
 ケルヴァンとリウイの道は、私でも分かるほどに違えてしまっている。
 心の臓目掛け振り下ろされる刃。
 それがケルヴァンの命を刈り取る寸前、

「……この上なく……ぐ、うっ……」

 呆気ない断末魔と共に、ケルヴァン・ソリードは絶命した。
 今になってようやく分かった。
 この男はこの戦で生き残ることを考えていたのではない。
 ただ自らの命をリウイの手で絶たせる。
 それを以て一度は奥に眠らされた氷のような魔神としての情を、呼び起こそうとしたのだ。

 だがそんな彼の最後の望みが果たされることはないだろう。
 リウイと、イリーナを始めとした臣下の絆。
 それが残っている限りは。

「これで終わりではない。この先に、イリーナが……姫神が待っている」

 告げられた言葉に、静かに見守っていたメンフィル兵が動き出す。
 向けられたリウイの表情には、不退転の決意が感じられた。





 階層を降りた先の浮遊する祭壇の上に、純白の一対の翼を生やした女性が佇んでいた。
 何かを待ち望んでいたように目を閉じたまま、そこから動く気配がない。

「……イリーナ」

 リウイの呟きに漸く女性は反応を示し、ゆっくりとその目を開いた。
 一切の感情を廃したかのような無表情。
 声をかけたリウイに金の瞳を向け、

「以前も言ったはず。この身はイリーナなる矮小な存在ではないと」
「イリーナッ!」

 エクリアとセリーヌが耐え切れないといった様子で叫ぶ。
 その声に、彼女は嘲笑を浮かべた。
 それから私を一瞥して顔を顰め、再びエクリアを見据えて口を開く。 

「待っていました、エクリア・フェミリンス。魔神――古神に連なる者に敗北した愛しくも愚劣なる我が分身よ。
 今こそ、我が力の解放のための神器を差し出すのです」
「――っ、何を!?」

 姫神の言葉と共にエクリアの鎧の間から、彼女が姫将軍であったころに付けていた仮面が飛び出す。
 それは嘆きの仮面と狂戦士の仮面と呼ぶ二つを合わせ、相反する力でブレアードより受けた呪いを制御するためのもの。
 そう、エクリアから聞いている。
 しかし――

「気付いたようですね、半魔人の王よ。そう、この仮面こそは最後の鍵。呪いと等しく我が力と意思を封じていたもの。
 ……今この娘に宿る我が魔力と意思は、一時的に解けた封印によって齎された、脆弱なものに過ぎない。
 故にこの儀式を以て真に封じられし我が力と記憶を開放し、確たるものとしよう!」

 紡がれる言葉は、おそらく姫神降臨の呪文。
 女神の意思を以て、仮面に封じられていたフェミリンス本来の力と記憶が解放されていく。

 リウイはその光景を見て、瞬時に剣を構えた。
 付き従った魔術師たちが、捕縛のための魔術の準備に入る。
 それを見て取ったセリーヌは、悲しげな顔をしながらも、その場から下がりギルティンのもとへ。
 病弱な体質が幾分改善されたとはいえ、彼女は戦えるだけの力を有していないのだから仕方が無い。

「戒め解き放たれし大いなる力よ。今再び我が手にっ!」

 紡がれた言霊と共に白と黒の二つに分かれた仮面。
 片方には姫神の精神を、片方には姫神の魔力を封じていた神具。
 姫神より発せられていた力が、更にその大きさを増し、魔力だけで全てを圧殺せんと迫る。

 私はセリカを手で制し、それに対抗するように自身に施した魔力の枷を一時的に外していく。
 私の成すべきことを考えれば、あまり多くの力を使うわけにはいかない。
 熾天魔王たる証、黒き十二枚の翼を顕現。
 自身に宿る古神としての力を解放し、姫神の魔力を相殺すると再び魔力を押さえ込む。

「青太陽の女神《パルシ・ネイ》に匹敵すると謳われるだけのことはあるな」
『全盛期……まだ信仰する者がいたころのお姉様には及ばないけど、今の私や貴方と同じくらいかしら』

 白き翼が姫神の肉体を覆い、継いで広げられる。
 姫神は閉じた瞳をゆっくりと開けると、

「魔を統べる者たちよ、あなた方が何を企もうと、我が力の前では意味はありません。魔に誑かされた人間たち共々、消えなさい」
「……姫神フェミリンス。お前の憂いがどれほどのものかは知らん。だが、お前のその肉体は俺が誰より愛するもの」
「だから何だというのです、唾棄すべき我が半身よ。貴方が何を言おうと、もはやこの者が貴方の手に戻ることはありません」
「……何?」
「この娘は、全てを知りました」

 故にあなた方の前に現れることはないのだと。
 そんなフェミリンスの言葉の意味を理解したのか、リウイは動揺をみせた。

「……俺にイリーナの心を完全に理解できるはずはない。俺はイリーナではないのだから」

 揺らいだのは、ほんの僅かな時間。
 一呼吸置く間も無く、キッとリウイは姫神を見据えていた。

「俺は……いいや、誰もが自分とは別の誰かを完全に理解することなどできない。それは魔であろうと人であろうと同じだ」

 例え神と呼ばれるような存在であろうと、自分とは違う誰かを完全になど理解できない。
 もしそんなことが出来ていれば、人と魔の共存など掲げずとも、自然と達成されるはずだ。

「それでも、少しずつでも知っていくことはできる。だからこそ、俺はイリーナが必要だと思えたのだ。
 氷を抱いた心を溶かし、俺を導き、復讐に染まった道より救ってくれたイリーナが。故に今度は、俺が彼女を救うのだ。
 ……姫神フェミリンスよっ!」

 フェミリンスとリウイ。
 高まっていく魔力に釣られるように、私とセリカ、エクリアがそれぞれの武器を構える。
 これが、おそらく最後の戦いになるだろう。

「イリーナを返してもらうぞッ!」



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