腰まで伸びた金の髪を揺らし、姫神はその力を解放し、戦いの始まりを告げた。
それに呼応するかのように、召喚されるブレアードの魔物。
確かに従えるものこそ違うが、その姿は紛れも無く古の時代レスペレントに君臨した女帝を想起させた。
迫る光弾を私とセリカが切り払い、リウイがその隙を突いて攻撃。
だがそれは、フェミリンスの手に握られた杖によって防がれてしまう。
エクリアは連接剣での攻撃を行いながら、リウイの進撃を援護していた。
リウイの臣下たるファーミシルスを始めとする面々は、ケルヴァンの置き土産と思われる合成兵の相手で手いっぱい。
つまり私とセリカ、エクリアとリウイで姫神を止めなければならない。
フェミリンスが繰り出す数多の光弾に、セリカが皆を制し、魔力と闘気を爆発的に高めた。
――瞬間、その姿が分裂したかのように歪む。
常人には消えたようにしか感じられないであろうその動きは、紛れも無く身妖舞系のもの。
しかし、魔神剣が発する魔力量は、一撃重視の衝撃波を伴う斬撃系に匹敵する。
放たれた剣圧は、念動によって拡散し光弾全てをなぎ払う。
それどころか、終には姫神の障壁へと達し、幾重にもあるそのうちの一枚を完全に破壊した。
「――馬鹿なっ!」
流石の姫神もこれには驚いたらしく、僅かではあったが攻撃の手が止まる。
それを見逃すことなく、私とリウイは間合いをつめる。
セリカが放った技を、枢孔飛燕剣という。
飛燕剣の極意を集約した結果辿り着いた剣技には、相応しい名前だ。
おそらく、神格者であろうとも再現は困難。
女神の肉体を持つセリカだからこそできる動きだろう。
長い旅の間、私もセリカもただ平穏に過ごしてきたわけではない。
気を払う必要のなかった数年もあれば、襲撃を受け続けたこともあった。
そんな中で身に付けなければならなかった力。
尤も魔力を多量に使うため、このような状況でなければ彼も使うことはなかったが。
接近した私とリウイに、フェミリンスは僅かに顔を顰め、何とか距離を取ろうと光弾で牽制する。
それでも肉体を借りているだけの姫神では、如何に神の位にあろうと対応し切れない。
これがエクリアであれば問題はなかったのだろうが、イリーナは後衛型。
私とリウイは、姫神の力の基点となっているであろう仮面に刃を振り下ろし、次第に追い詰めていった。
「来い、イリーナッ!」
「私はイリーナなどではない!」
だが僅かでも油断すれば、強大な神気を伴った神聖魔術を見に受けることになる。
案の定、姫神はリウイの呼びかけに苛立ったように立て続けに魔術を放つ。
極大の光の柱――“神域の光柱”
「さがれ、リウイ!」
叫んで――即座に左手に魔術印を組む。
何という苛烈な輝きだろう。
この美しくも圧倒的な脅威を前に、私は――
「これは――?」
組んだ魔術式は、普段私が魔法剣スペルビアに用いる神聖魔力を用いた広範囲殲滅魔術。
だから私の左手に宿っているのは、当然“烈光流星”《ルーアハ・カドシュ》のはずだった。
だが今、この左手にある魔力は……
「――っ、迷っている暇はないか!」
無意識のうちに形成したらしいその魔術を“神域の光柱”目掛け解放する。
幸いにして発動した魔術の属性は神聖の対極にある暗黒。
相殺するのならば“烈光流星”よりも効果が高い。
「なに――っ!?」
――姫神の驚愕の声。
流星の如く相手に降り注ぐ無数の“闇の魔力”は、線ではなく面の攻撃となって光柱を迎え撃つ。
だが困惑しているのは私も同じだ。
本来ならばこれは光の属を帯びた魔術なのだが……。
『……“闇界流星”《ディエス・イレ》ってところかしら』
アイドスの即席の名付けを耳にして……少し落ち着く。
そして改めてその“名前”を、次に組む魔術印の助けとする。
しかしこの魔術、アイドスの示した名の通り、属は違うが特性は“ルーアハ・カドシュ”と変わっていないらしい。
魔法剣よりも格段に威力は落ち、範囲こそ広いがその分魔力制御時間も最上位秘印術並みに長い。
「良くやった。後は任せろ!」
リウイのやつ、言ってくれる。
これ以上私に魔力を消費させまいとでも思ったのかはしらない。
エクリアから強化魔術の援護を受けると、彼はフェミリンスに生じた隙に乗じて一気に攻め込んだ。
「陛下!」
それを察した捕縛の術式の準備に入っていた魔術師たちが、完成した魔術を解き放つ。
「――っ、小賢しい真似をっ!」
それでも姫神の動きは止められない。
――が、鈍らせることはできたようだ。
襲い掛かってきたブレアードの魔物を始末する中、私の視線の先でリウイは姫神目掛けて突進する。
攻撃を受けて傷つき、流れ出る赤い血。
それがどうしたとでもいうように、リウイは気にも留めずフェミリンスに迫る。
「返してもらうと言ったはずだっ!」
気迫の込められた刃が一閃――
「……そんな……私が、敗北するというのですか……」
――リウイが、ついに姫神の力の源を砕いた。
◆
舞い散る白き羽が空気に溶け、消えていく。
翼が折れ、終に姫神フェミリンスはその身を屈した。
徐々にイリーナから、姫神の力が失われていくのが分かる。
そして、その意思も再び本体で眠りについたのだろう。
「……イリーナ」
リウイは祭壇に倒れ伏す存在に、一歩一歩と近づいた。
その気配を感じ取ったのか、もはや姫神の意思が存在しないはずの身体が動く。
「来ないでっ!」
俯いた顔をそのままに、泣きそうな声で叫ぶ姫神……いや、イリーナ。
彼女の拒絶の言葉にリウイは僅かに震え、足を止める。
「……私は、姫神を通じでずっと見ていました。
ブロノス砦で祖国の民を殺したことも、陛下と戦ったことも。そして……呪いを解く方法も」
金の瞳に涙を浮かべ、何かに怯えるようにイリーナが口を開く。
……恐れているのは何なのか。
フェミリンスに乗っ取られていたとはいえ、カルッシャの民を殺したということもあるだろう。
けれども、それより彼女の心を占めるのはおそらく……。
「陛下が死ななければ、呪いが解けないなど、私は認めませんっ!」
「……だがイリーナ、そうしなければ悲劇はずっと続いていくことになる。……我が侭を言わないでくれ」
「嫌です……。私は……私は大切な人を失いたくない」
「それは俺も同じだ。……俺は、お前を守りたい」
止めていた足をゆっくりと進め、リウイはイリーナの側へ。
この場に、それを止める者はいない。
ただ静かに、二人の動向を見守っている。
「お前は、孤独ではない。俺がいなくなっても、お前の姉たちがいる。……国も、今のエクリアなら良く治めてくれるだろう」
「……分かっています。分かっています、でもっ!」
何処か困った様子で、リウイはイリーナを見つめていた。
やがて彼は懐から一つの短剣を取り出すと、その刃を自分に向ける。
「……お前は、孤独の中にあった俺を救ってくれたんだ。だから、今度は俺にお前たちを救わせてくれないか?」
鋭い切れ長の瞳に澄んだ光を宿らせ、リウイはイリーナに告げた。
それを見て、例えどんな言葉であろうともその決心を揺るがすことはできないのだと、彼女は悟ったのだろう。
「……死なないで、ください」
その言葉に安心したかのように、リウイは心臓に刃を突き立てる。
同時に、紡がれていく呪文。
氷を抱く半魔人の王の赤き血潮が、暗き海の底へと流れ落ちる。
呪文が続く中、イリーナとリウイを淡い光が包み込んだ。
やがて光は周囲に広がり、温もりとなって全てを包む。
「ただひとつ、遍くこの地に生きとし生ける者達の、安らぎたるや光の温もりたるや」
「姫神と魔と人の末裔より、平穏なる和の願い、遍く空へと舞いそうらわじ」
セリーヌ王女とエクリアによって最後の言霊が紡がれた瞬間、リウイの身体がゆらりと、大きく傾いだ。
彼の手から零れ落ちた血に濡れた"刃"が、祭壇の床に当たって砕け散る。
それを見て取った私は、アイドスに温存していた魔力を込めた。
「……イリー、ナ」
「……陛下、呪いは全て解けました。……だから……だから死なないで、リウイ……」
◆
――幻燐戦争。
フェミリンス神殿での最後の戦いから、二月が経とうとしていた。
あの戦いで魔力の大半を消費したセリカの回復。
それと諸々の事情によって、私とセリカは未だにメンフィル王国に滞在している。
「セリーヌ、本当にいいのか?」
「はい、エクリア姉様もルシファー様に着いて行かれるとのことですし、私の命はセリカ様に救われたようなものです。
……それに、私はセリカ様の使徒ですから」
王都ミルスの城の一室。
私の問いかけに、今では顔色も良くなったセリーヌ王女が、やや頬を赤らめて答えた。
……いや、もう王女ではないか。
魔力を失ったセリカを介抱していたのが、彼女であったことから予想はしていた。
どうやらセリカは、何を思ったのか彼女を使徒にしたらしい。
はっきり言ってしまえば、足手纏い以外の何ものでもないというのにである。
ただ、本人もそれは自覚しているらしく、ここ一ヶ月の間にエクリアから最低限身を守れる程度の魔術を学んでいた。
元々姉の呪いを解く為に知識だけは豊富だったらしく、使徒化して半不老不死になった今、戦えるようにはなったと思う。
アイドス曰く、愛の力らしいが。
……それは兎も角、セリカ自身も守るものができたと言っていた辺り、悪くないことなのかもしれない。
ハイシェラやアイドスの言葉も聞こえるらしく、相性は悪くないなどとセリカは言っていた。
ただ姫神化した後も、イリーナには剣の声は聞こえないようだ。
何故聞こえるのかは血筋などではなく、本当にセリカのいう相性の問題だとしか言いようがなくなったわけだ。
「ギルティン殿、本当にイリーナのこと、お頼みしても良かったのですか?」
「構いません。……おそらくは、これが最後の奉公となりましょう。
私の忠義はいつまでも姫様方と共に。どうか、セリーヌ様もお元気で」
「……ありがとう。貴方もどうかお元気で」
心からの礼と共に頭を下げるセリーヌ。
病に苦しみそれが治ったのだから、平穏に暮らす途もあっただろうに。
そう例えば、ラバラ山の麓で生涯を終えるようにという処分が下されたテシュオス親子のように。
だがセリカと共に歩むことを選んだのならば、私はそれを影ながら支えよう。
確かに思う所はあるが、あの不器用な男に慕うものができることは、嬉しくも思うのだ。
「……やれやれ、どうしてこうカルッシャの王族というのは、思い切った行動をする者が多いのだろうな」
「陛下。それは私のことも仰っているのでしょうか?」
「当たり前だろう。いくらエクリア義姉さんと同じだけの魔力を得たとはいえ、兵と一緒になって訓練するやつがあるか」
「そ、それは……。そ、そんなことより陛下、またこんなに古文書を持ち出して……。
戦争の記録を後世に残すのも宜しいですが、少しは――」
ベッドで寝ている男――リウイ・マーシルンと、甲斐甲斐しく世話をするイリーナ。
あの儀式が終った直後、私は彼に“ミゼリコルディア”の魔術を施した。
だがそれでも助かる可能性は人であれば限りなく低く、如何に神の力といえど、完全に死を迎えた者を生き返らせることはできない。
そんなことをすれば“世界の律”を乱し、冥界の管理者ですら何が起こるか予想できなくなってしまう。
だから彼がこうして生きているのは、皮肉にも半魔人という生まれのおかげだった。
つまりこの結果は、決して私やアイドス――神の奇跡によるものなどではない。
リウイの生きようとする意思が、運命を切り開いたのだろう。
「あら、何か言い分でもあるのですか?」
小言に対するリウイの言い訳に、イリーナが満面の笑みを返していた。
冷笑というわけではないというのに、あの笑みを見ると寒気がするのは何故だろうか。
正直、イリーナの実力を見誤っていたかもしれない。
そんな二人の様子を見ていたセリカが、
「起き上がって大丈夫なのか?」
「……まさか“神殺し”に心配されるとはな。お前の方こそ、魔力はもう十分なのか」
そんな挑戦的な言葉が言えるのならば、もう大丈夫だろう。
セリーヌの付き人のように立っていたセリカも、そう思ったかどうかは分からないが眉をひそめた。
「ちょっとっ! 心配されてるのに、何て口の聞き方するのよ」
「……それは、悪かったな」
カーリアンの言葉にもリウイは動じない。
だがセリカとリウイの関係は、これ以上良くも悪くもならないのではないかと思う。
盟友というには受け入れられず、敵というには関わり過ぎた。
せいぜい、好敵手といったところか。
「失礼します。……おや、皆様お揃いでしたか」
リウイの病室に入ってきたのは、ファーミシルスであった。
それに追従するように、簡素な私服姿のシルフィアが入ってくる。
「カルッシャでの臨時宰相、ご苦労だったな。……シルフィアも身重なところすまない」
前半は笑みを浮かべ、後半は隣の人物の気配を意識したのか、やや引き攣ったような声でリウイが言った。
隣の人物とは他でもない、イリーナである。
リウイが言ったように、現在彼女にはエクリアに匹敵する魔力がある。
どうやら姫神化した際に神格位を得たらしく、信仰に寄らない神格者となった。
リウイにとっては、ミラ・ジュハーデスという身近な存在がいるためか、然程驚くことではなかったらしい。
ただよく分からなかったのは――“姫将軍と同等の魔力など、冗談ではない”――と頭を押さえていたこと。
しかし今ならその理由も分かる気がする。
この威圧感は、尋常ではない。
「あらあなた、何をそんなに怯えているんです?」
「い、いや、怯えてなどいないぞ。……それより、二人を呼んだのは国内外の情勢を教えて欲しいと思ってな」
幻燐戦争終結後、レスペレント地方一体の国家は今、その復興に力を注いでいた。
バルジア、セルノ両王国は、王族が主体となって統合の交渉を行っているらしい。
クラナやグルーノといった、治める者がいなくなった領土は、メンフィルの保護下に。
ティルニーノやスリージ、フレスラント、レスペレント都市国家はメンフィルの影響下にありながら、着々と復興に向かっている。
そして、宰相が追放となったカルッシャ王国であるが、
「復興には今しばらくかかるものと思われます」
「……仕方あるまい。そう簡単に闇夜の眷属が受け入れられるとは思っていない。
これまでもそうだったのだ。時間をかけてやっていこう」
ファーミシルスはリウイのその言葉に頷くと、隣のシルフィアに視線を送った。
続くようにシルフィアが一歩前に出る。
「国内はほぼ安定しております。
皮肉なことではありますが、先の内乱が結果的に不穏分子を排除することになったためかと」
「……そうか」
リウイの心に去来する思いは何だろうか。
推察しようとして――止めた。
それを理解する役目は私ではなく、きっと彼の半身だろうから。
◆
「準備はできたのか?」
「……ええ、平気よ」
『でも、本当に良かったの? 王族に復帰しないかという話もあったのに』
――エクリア・フェミリンス。
騎士としての服装では目立つからと、セリーヌ共々街娘のような格好に着替えた姫神の末裔。
その呪いはすでに解けているが、砕けた仮面をリウイより譲り受けていた。
確かに仮面は悲劇の象徴でもあるが、母親が残した唯一の形見でもある。
そんな思いが彼女にそうさせたのかもしれない。
「国を滅ぼし無用な戦を招いた私に、人の上に立つ資格はないもの。
それにどの道国政には関われない。それと――」
それ以上をエクリアは語らなかった。
ただ肩の荷が下りた様な、穏やかな微笑を浮かべている。
「おそらく長い旅になるだろう。もちろん私やセリカと関わるということは、危険を伴うことになる」
「今までもそうであった。敵が増えただけよ。……代わりに得たものもあるし」
「……ならば、いいんだ」
マルーダ城の城門の前に辿り着き、そこで待っているセリカとセリーヌ――フェミリンスの姿を見つける。
私は二人の姿を視界の片隅に入れながら、この地で過ごした十数年の月日を思い返した。
――リウイとの邂逅。
もしもこの先縁があれば、また出会うこともあるだろう。
何しろ彼は半魔人で、その妻は神格者なのだから。
「……エクリア姉様、セリーヌ姉様、どうぞお元気で」
別れを惜しむような声に振り返ると、見送りに来たのかリウイとイリーナの姿があった。
エクリアとセリーヌは、妹の言葉に頷くことで返す。
「世話になった。……生きていたらまた会おう」
「最後の言葉がそれか、貴様は。……まあいい、命を助けられたのはこちらも同じだ。
そうだな、他の勢力がもしもお前たちを狙ったとしても、俺が生きている間はメンフィルは中立。
――礼は、そんなところでどうだ」
「……十分だ」
不干渉。それだけでも、有り難い。
如何せん私たちには敵が多過ぎる。
『……あの二人の理想、人と魔の真の共存。うまくいくといいわね』
『そうだな』
言うは易しというが、確かに簡単なものではないだろう。
そもそも前提に光と闇は相容れないという理がある。
リウイの理想は、その理に挑むこと。
ある意味“神”への挑戦と言ってもいい。
だがそれは、アイドスの願いにも繋がる理想。
もしもこの先彼らと邂逅することがあれば、協力するのも悪くないかもしれない。
リウイと視線で会話しているセリカを呼び、そろそろ出立する旨を告げる。
一先ずは都市国家郡のラクの街へ向かう予定だ。
そこから先は、気分次第。
充ての無い私とセリカの旅は、随行者は増えたがこれから先も続いていくだろう。
アイドスの姉――正義と裁きの神に再び出会う、その日まで。
だが苦しい旅の中にも今回のような出会いがあるのならば、それは決して――
――決して、意味のないものではないのかもしれない。
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