いつだったか、セリーヌに尋ねたことがある。
 神殺しの使徒になるということは、お前が想像しているより辛い生き方。
 それでもお前は、セリカの使徒であることを望むかと。

 それに彼女は、寸分の迷いも無く頷いた。
 命を救われたというのも確かに理由の一つだが、何より彼を支えたい。
 時折遠くを見て、寂しげにしているその姿を救いたいと思った。
 セリカが愛する“運命の人”ではない自分には、できないことかもしれない。
 それでもただ側に在りたいのだと、彼女は語った。

 揺るがぬ意志、というわけではあるまい。
 どれだけ言葉を弄しても、恋い慕う者に愛されたいと願うのは当たり前のことだ。
 時に嫉妬もするだろう。
 ただ幸いなのは、セリカがそこまで朴念仁ではないことか。

 遥か昔、彼はシャマーラという女性に慕われていた。
 しかしその時彼は、ただの人間でしかない彼女と別れなければならなかった。
 そんな出会いが、ここ数百年の間に何度あったかもう分からない。
 だが私が言えたことではないが、あの男は普段は無愛想なようでいて意外に情に厚い。
 ならば自ら望み慕った上で使徒となった彼女を、無下に扱うことはないだろう。
 それが如何なる形で成されるかは、セリカではない私には分からないが。

 では、エクリアはどうか。
 何故彼女は私たちに同行することを願ったのか。

 旅立つ前に聞いた理由は、私たちとしばらく行動を共にしてみたいと考えたからというものだった。
 魔神とは如何なる存在なのか知りたい。
 或いは呪いが消え、姫将軍としての見方でしか知らなかった世界を、自分の目で見てみたいと思ったのかもしれない。

 本当のところは何なのか、それは分からない。
 だがもしも彼女に何か目的があるのならば、それを見届けるのも悪くは無い。
 ここ最近、姫将軍であったころの冷徹さが鳴りを潜め、感情を見せるようになったエクリア。
 その姿を見ていると、私は時々そう思うようになっていた。





 酒場の店主が言った岩塩坑は、パラダの街から南西の方角にあった。
 セリカとセリーヌが、街の入り口で目撃したらしい空を飛ぶ巨大な魔獣の行き先もその方向。
 ディアーネに聞いたところ、ゼフィラの乗り物ではないかということから、魔神の復活は確実といっていいだろう。

 それで何故粛鎖の岩塩坑という遺跡に向かったかと言えば、どうせ襲ってくることが分かっている。
 ならば奇襲されるよりもこちらから打って出た方が良いと、セリカと話し合って決めたためだ。
 またかつて統治していたという理由から、エクリアがこの地の動向を気にしたというのもある。
 おそらくは、贖罪という気持ちなのだろう。
 思いつめたような表情をする彼女を見て、私は最終的に岩塩坑に向かうことを提案した。

 砂の廻廊に現れた魔物に、セリーヌの不慣れな火の秘印術が当たる。
 それをセリカが雷の秘印術で援護しながら、向かってきたもう一体をハイシェラで切り捨てた。

「お前たちに私は殺せない」

 自身を鼓舞する言葉と同時に、エクリアが氷結の魔術を行使。
 彼女の最も得意とする系統であるためか、狙い違わず残った魔物を殲滅する。

「……辛いか?」
「襲われれば刃を振るうしかないのは分かっているつもりですけど……」

 俯いたセリーヌに、セリカが問う。
 魔物といえど生きているには違いない。
 生き物を殺すという行為をしたことがない彼女にとっては、まだこの凄惨な光景はきついものがあるのだろう。

「セリーヌ、貴女は優し過ぎる。それは貴女の美点。
 だから悪いとは言わないけど、これから先“神殺し”と共に歩むというのならば、割り切りなさい」
「……お姉様は、迷うことはないのですか。殺したくない、戦いたくないとは?」

 厳しいことを言うのは、セリーヌを思ってのことだろう。
 しかし迷うことはないのか、か。
 それは中々に難しい質問だ。
 無論私や、アイドスにとっても。

「迷わない……と、以前はそう思っていたわ。でも、ね……」

 言葉を濁して、口を閉じたエクリア。
“フェミリンス”であったころは、疑問にも思わなかったのだろう。
 それに僅かな変化が出てきたのは、リウイという闇夜の眷属を知ったが故か。

「難しい問いだが、言葉が通じなければ取るべき対応も限られてくる。
 何より、殺したくないからといって自分自身が殺されてはどうしようもない。
 ……私の場合は、向かってくるならば剣を振るう。そう決めている。……セリカも似たようなものだろう」
「……そうだな。だが、争わなくていいのならば、それに越したことは無い」

 アイドスがその戦わずに済む可能性を示すように、言葉を続ける。

『人間族は変化し、成長する。そして、運命を切り開く力を持った唯一の存在。
 でも、思考を止めてしまっては、その力は容易く失われてしまう。……私が言えたことではないのだけれどね』
『経験者は語る、だの』
「ハイシェラ」
『分かっておる。この過保護が』

 現神は迷うことはない。
 請われれば力を貸し与え、自らが司る権能によってその生死を決定するのが彼らだからだ。

 逆に古神は判断に迷い、請われたとしても必ず力を貸すわけではなかった。
 人の可能性を信じ、水の巫女がそうしているように、人の意志を尊重していた。
 だが確かにそういえば聞こえは良いが、それが人間にとっては厳しいものであったのだろう。
 故にこそ心の隙を現神に突かれ、人間族に裏切られて古神たちは消滅していった。

 では人間はどうなのだろう。
 意思の強い人間は迷わないかもしれない。
 しかしそういう者ばかりではないし、必ずしも迷わないことが正しいわけではない。

 セリカやアイドスの言葉を聞いて、セリーヌとエクリアは何を感じたのだろうか。
 そして、それは彼女たちをどう変えていくのだろうか。




 
 洞窟のような入り口から中に入り込み、一階から二階に降りる。
 ふと、何者かの視線を感じて神剣へ手を伸ばして周囲を見回すが、姿は見えない。

「――何者だっ!?」

 エクリアの叫ぶ声。
 どうやら、彼女も誰かの気配を感じ取ったらしい。

「魔術的な力によるものだな。魔神か、その配下かは分からないが」
「……貴方も感じたようね」

 そこでセリカに目を向ければ、首を横に振った。
 とすれば、視線の主の目的は私とエクリア……いや。

「私も感じました。……武術を嗜んでいたわけではありませんが、あの王宮では必要なことでしたので」

 暗殺か、或いは良からぬことをしようとする輩を察知するためだろう。
 戦闘は兎も角、セリーヌも人並み以上に気配を感じ取れるようだ。

「相手の狙いは、ルシファーとフェミリンスの末裔か……」
「ならば、相手にしてみれば、差し詰めセリカは従者だな」

 私がそう言うと、セリカは少し嫌そうな顔をした。
 尤もこんな無愛想な従者を好き好んで侍らせる者などいまい。

『誰が従者だ馬鹿者。セリカが従者なれば、我は奴隷とでも言うつもりか』
「お前は、セリカの日記帳か何かだろう」
『この戯けっ! 微妙に的確なことを言うでないわ』
「……ここで悩んでいても仕方がない。先を急ごう」
『ええ、そうね。ほらルシファー、ハイシェラと下らないこと言ってないで、行くわよ』
『待て女神よ、ここははっきりとさせておかねば我の威厳がだな――』
「……ハイシェラ様に威厳なんて在りましたか?」

 ぼそりと呟いたセリーヌの一言に、それまで口を荒げていたハイシェラが絶句する。
 何とも言えない沈黙の後、取り繕うように何かを言おうとするセリーヌを遮って、

『……セリーヌ嬢ちゃんも言うようになったものよ。えぇい、ルシファー貴様のせいだのッ!』

 ……何故私のせいになる。
 そう思って、ふと視線をエクリアに向ける。
 僅かに困惑したような表情をしている彼女が、ひどく気になった。





 五階へ下りた先の幅の広い谷にかかる橋を渡りながら、私とエクリアは並ぶようにして歩いていた。
 両横の壁を見れば、滝が谷底へと落ちていっている。
 ただし、流れているのは水ではなく砂だが。

 先ほど感じた視線は、あれ以降その気配さえ見せていない。
 だがこの遺跡に満ちた魔力のせいでどうもはっきりしないが、魔神と遭遇するのはそう遠くないだろう。

「……私のせい、ね」

 唐突にエクリアの口から零れた言葉に、思わず首を傾げる。

「私がいなければ、貴方たちを巻き込むこともなかった」
「……そんなことか」

 私の言葉に、エクリアがやや顔を顰め、

「貴方にとってはそんなことかもしれないが、魔神の力は――」

 そう彼女が口にした時だ。
 突然現れた魔物の気配に、背中の神剣に手を伸ばす。
 だが、どうやら狙いは私ではなかったらしい。

「――ッ、エクリア!」

 響く刃の音と悲鳴。
 流砂の中から出現した巨大な魔獣の尻尾にエクリアが絡め取られる。

 油断……なのだろう。

 セリーヌは兎も角、エクリアならば個人である程度のことならば対処できると思っていた。
 いや、事実そうだということは間違いない。

 ただ彼女でも対応し切れないことも当然あるということを失念していた。
 彼女は魔神であるわけでも、姫神化しているわけでもない。
 どれほど魔力があろうと油断もするし、奇襲にかかることもある。

「ルシファー……ッ!」

 エクリアの叫ぶ声を聞き、魔術印を組んでエイと思われる魔獣に氷結の魔術を放つ。
 しかし牽制程度の威力しかなかったため、容易く障壁によって防がれてしまった。
 それを見たのかどうか知らないが、セリカが接近して魔神剣を振るう。
 だが今度は、新たに現れた睡魔のような格好をした魔族に防がれてしまう。

「姫神フェミリンスに封じられて幾星霜。よもや、復活直後にその本筋を受け継ぐ娘に出会うことになろうとは。
 ――我が名はゼフィラ。フェミリンスより受けた屈辱晴らすべく、この地を貴様の地獄としてくれようぞ」

 紡がれていく言葉が言い終わるか否かといったところで、アイドスを片手に握って一閃。
 魔神と思われる女を両断しようと振るうが、邪魔をするように吹き出た砂によって視界を塞がれ、姿を見失ってしまう。
 続けざまセリカと目で合図を交わし、ほぼ同時に刃を振るって、遮っていた砂をなぎ払う。

「そう焦るな。貴様はルシファー、とかいうらしいな。お前の相手をしたいという輩が地下で待っている。
 いったいどのような因縁があるかは知らぬが、奴は強いぞ。この私が認めるほどにな。
 生き延びたければ――ふっ、神にでも祈るのだな」

 皮肉と共に、それで話は終わりだというように、魔神は砂の中に魔獣共々消えていった。
 その間際、どうにかもう一閃と神剣を振るったが、おそらくは掠った程度だろう。

『……逃げられてしまったわね』
「あの口振りからして、放って置けば碌な事にはならないだろう。――セリカ」
「分かっている。……セリーヌ、俺と行動を共にするということは、このようなことが何度もあるということだ。それでも――」
「私は、貴方と共に。それより……お姉様を助けにいきましょう」
「……分かった」

 使徒としての矜持か。
 姉が魔神に連れ去られたにも関わらず、毅然とした態度でセリーヌは言ってのけた。
 その姿を視界に収めながらも、心のうちでは全く別のことを考えていた。
 何故あの時、私は咄嗟にエクリアの名前を呼ぶという行為をまず行ったのか。
 叫ぶ前に詠唱をしていれば、或いは――。

 そして、地下で私を待っているという存在。
 思い当たるのはパイモン同様、かつて古の魔王に仕え、今は深凌の楔魔と呼ばれている一柱の魔神。

 思い描く姿――黒い翼に黒の甲冑。

 恐らく避けられない戦いであることは間違いない。
 そう思い、私はセリカたちと共に最下層へ急いだ。





 果てが無いと思うほどに長い階段を降る。
 谷底――砂の溜まった地面から聳える柱。
 それらを繋ぐ石の床を通って深部へ。
 途中崩壊している場所もあったが、魔術的なものによって隠された道を見つけ出す。
 その道を渡った先――壊れた祭壇のような場所に、魔物の触手によって捕らわれているエクリアの姿を認めた。

『どうやら、間に合ったようだの』
「お姉様……」

 祭壇の周囲は底の見えない堀が作られており、辿り着くには反対側に回って、唯一の道を渡らねばならないようだ。
 ……私は、意識を自分の内に埋没させ気配を探る。
 知らないはずなのに懐かしい。
 ゼフィラと名乗った魔神以外に、そう感じさせる者の力を感じ取った。

 ――間違いない。

「……だが」

 今はそれよりも、エクリアの安否が気になる。
 意識を失っているらしく、心話で呼びかけても反応がない。
 ならば彼の魔神の相手をしつつ、エクリアの救出を優先するべきか。
 
 ――そんな甘い考えは、彼女の眼差しを見た瞬間に消え失せた。

 祭壇に佇む者を眼にする。
 腰に珍しい剣……確か“刀”という武器を挿した女魔神。
 彼女の翼、髪、纏った甲冑――それら全てが黒で統一されていた。
 彼女の名は、

「我は魔神ラーシェナ。パイモンから話は聞いている。貴様が、我が古き主の名を僭称する者か」

 威風堂々と告げられた言葉。
 地に足を降ろし、切れ長の鋭い目でこちらを威圧する様は、怒りを抱えた戦士そのものだ。
 ……このような者を相手にして、ついでで救出などできようはずもない。
 何よりここで引き下がれば、私はもはやルシファーとは名乗れない。

「僭称か否か、その刃で確かめてみるといい」
「……萎縮せずに返してくるか。中々に剛毅な男だ」

 凛々しい顔に喜悦を浮かべ、その琥珀の瞳で睨むラーシェナ。
 彼女の猛る剣気に影響を受けたのか、私の奥底から強い欲求が湧き上がってくる。
 それを何とか押し殺し、傍観していたセリカに心話を送る。
 祭壇にいるのはラーシェナとエクリアばかりではない。
 忌々しそうにしながら私とラーシェナの会話を聞いている、ゼフィラなる魔神もいるのだ。

『セリカ、私がラーシェナと戦っている間、魔神ゼフィラの相手を頼めるか?』
『……加減はできない。殺してしまうかもしれないが』
『それで死ぬのならば、魔神は名乗れまい。……お前の方こそ油断してやられるなよ』
『……その言葉、そのまま返してやろう』

 戯言を言い合った後、召喚石の一つに魔力を込める。
 呼び出すのはディアーネではない。
 あいつを召喚などしたら、面倒なことになる。
 
 私が召喚石に魔力を込める間、ラーシェナもゼフィラも行動を起こすようなことはなかった。
 おそらくこちらの意図を察したのだろう。
 やがて溢れた光の中から、ラーシェナと対極を表すような純白の翼を持つ天使が現れる。

「ニル、セリーヌの護衛を」
「御意に。愛のためだものね。ニルに任せなさいっ!」

 相変わらず元気なやつだ。
 ……まあいいだろう。

 改めてラーシェナらと向き合う。
 顔を向けると、僅か困惑したような表情が視界に入った。
 理由は分からない。
 私が“天使”を使い魔としていることが、気に食わなかったのだろうか。

 ともあれ戦いだ。まずは、神剣アイドスを構える。
 それを見て取ったラーシェナもまた、鞘から刀を抜き放った。

 視線を側らに向ければ、セリカは魔神剣を握ったまま両手を下ろしている。
 一見すると隙だらけだが、これが彼の構えだ。

 対するゼフィラは、セリカに敵意を向けられているにも関わらず、未だに構えることなく私を睨むだけ。
 セリカほどの相手を前にしてあの様子。
 ……目覚めたばかりで寝ぼけているのかもしれない。或いは“若い”のか。

『セリーヌ嬢ちゃん、この戦いよくその目に焼き付けておくだの。何れ御主が到達しなければならない領域ぞ』
『……はい』

 セリーヌの強張った声は、これから起こる激戦を予想してのものか。
 しかし神殺しの使徒は修羅の道。
 厳しいが、これくらいの“圧”は克服しなければならない。
 
 セリカは何も口にはせず、ただ前を見ていた。
 その胸の内は如何なるものだろう。
 分からないが、セリーヌを気にしていることだけは感じ取れた。

「フェミリンスの娘を八つ裂きにしてやろうと思ったものを。挙句、この私の相手が従者風情とはな」
「黙れゼフィラ。敵とはいえ、そのような振る舞いは許さぬと言ったはずだ」
「私が命令される筋合いはない。……ないが、魔神相手に油断する気もない。
 ……相手が人間というのは聊か不満だが、フェミリンスの代わりに貴様を甚振ってくれる」
「…………」

 そんなセリカであったが、魔神ゼフィラの言葉に僅かではあるが反応した。
 従者――やはり結構気にしているのかもしれない。

『アイドス、悪いが力を借りる』
『……いいの?』
『確かに私の力のみで戦いたいと思う気持ちもあるが……』

 触手によって、四肢の自由を奪われたエクリアを見る。
 彼女は私の使徒というわけではない。
 しかし――

『難しく考えなくてもいいのではないかしら。要はエクリアを早く助けたいのでしょう?』
『……ああ、そう感じている』
『なら、何も悩む必要はないじゃない。彼女はきっと貴方の助けを待っています。だから力を貸してあげる』
『……お前には敵わないな』
『あら、今頃気付いたのかしら』

 魔神ラーシェナ。
 彼女は確かに熾天魔王の使徒であった者だ。
 だがそのような存在は数え切れないほどいる。
 極論を言えば、悪魔族はその悉くが熾天魔王の信者。
 一々彼らと戦う度に、アイドスの力は借りないなどとしていてはキリが無い。

 そして今優先したいのはエクリアの救出。
 ならば、私のすべきことなどすでに知れている。

「話し合いは済んだか?
 ならば深凌の楔魔第三位、魔神ラーシェナ。貴様が真にあの方の名を名乗るに相応しいか、確かめさせてもらおう。
 引くことは許さぬ。生き延びたくば貴様の力、我の前に示し証立ててみせよっ!」




 
 身の内の枷を外す。
 深い闇と共に魔力が溢れ出し、やがて私の背に黒き翼を形作った。
 その光景に驚いたのか、しばし呆然としたようなラーシェナであったが、笑みを浮かべると即座に空に舞い上がった。
 後を追うように、私も地面を蹴る。
 真の姿を現すのはフェミリンスと戦ったとき以来になるだろうか。

「――はっ!」

 気合と共に一閃された刃。
 ――鋭い。
 速さは兎も角、技としてならばセリカを越えている。
 だが、それゆえに避け易い。

 どれほど綺麗な技であっても、所詮は死という果を成す技術でしかない。
 そこに正道を求めるのは間違いとは言わないが、戦いにおいては不必要。
 剣の美を追求したいのならば、剣舞だけを極めればいい。
 逆に無骨でも急所を狙った一撃必殺の方が戦い辛いし、その方が“美しい”こともある。

「確かに美しいが――単調だ」
「なっ!?」

 刀の特徴は受け止めるのではなく、受け流すことにある。
 あのような細い刀身では、鉄の塊のような大剣と刃をぶつけた瞬間折れてしまう。
 それを防ぐには担い手の技術が必要だが、強襲した私の剣を咄嗟に逸らしたことを見れば……。
 やはりラーシェナの技術は相当なものなのだろう。

 しかしラーシェナの戦い方は本来、柔よりも剛にこそ重きを置くはず。
 しばらく防戦に徹していた彼女であったが、このままではまずいと考えたのか、闘気を纏って攻撃に転じてきた。

「いいだろう、来い!」
「だぁっ!」

 大したやつだ。
 初手に繰り出されたのは斬撃ではなく――刺突。
 最速の攻撃ではあるが点の攻撃であるため見切られ易い。
 しかしそれが初手となれば奇襲となって、見切られる確率は格段に下がる。

「――、っ」

 咄嗟に弾いたが、左肩に刃が突き刺さる。
 引き抜き、更にラーシェナは追撃を仕掛けてくる。

「今のはいい攻撃だったぞ」
「……仕留めたと思ったのだがな」

 即死狙いの一撃。
 だがそう易々と倒れてやるつもりはない。
 私は遺跡の側面すれすれを飛翔し、ラーシェナを引き付ける。

「っ!?」

 ラーシェナの驚愕を尻目に、ここぞというところで身を反転。
 それが彼女の攻撃の“間”を外すことに成功したらしく、まさに狙っていた一撃に力を込めた。

「うあっ!」

 至近で受け止めたラーシェナは、投石器から放たれた石のように反対側の壁に激突する。
 濛々と粉塵が上がる中、しかし彼女は障壁を張ったのかほぼ無傷の状態で姿を現す。

「――っ、この力、まさか本当にあの方の……」
「私は私だ。あいつは関係ない」

 ――狭き空間で繰り広げられる空中戦。

 そういえば、かつては彼女に戦い方を教わろうと考えたこともあったか。
 だが今こうして彼女と互角以上に戦えている。
 そう思えば、私も幾分成長していたのだろう。
 
 そのようなことを考えるだけの余裕が生まれ初め、改めて私は集中する。
 経験上、油断こそが私の最大の弱点だ。
 ここで気を抜くわけにはいかない。

「……一つ聞く。何故貴様は魔と戦うのだ。その力があれば、光の者共を滅することもできように」
「お前は勘違いをしている。私はただ、自分の願いと欲のために刃を振るっているだけに過ぎない。
 命を狙ってくるのならば、それが魔であろうと人間であろうと、この剣を振るうことに躊躇いはない」

 語る中、攻防が途切れることはない。
 ラーシェナが技で魅せれば、それを私が力でねじ伏せる。
 私が斬撃を繰り出せば、ラーシェナは見事な刀捌きで受け流す。 

「その割には天使や人間を連れているよう、だがっ!」
「っ、敵だからといって、こと如くを滅ぼしていては、単なる獣と変わらない。
 気に入らない、その考えだけで行動してはあまりに狭量というもの。
 ――お前は、お前の古き主は、それほどまでに小さき器だったか?」
「断じて、否だっ!」

 咆えると同時に刀を構え、鋭く横に一閃。
 私は“ヴァニタス”でそれを相殺しながら、身を傾けるようにして前に飛ぶ。

「ふっ!」
「これは――っ!?」

 ――“真実の炎剣”《スティルヴァーレ》

 それはアイドスの炎を宿した渾身の斬撃だ。
 神をも打ち倒す紅蓮の炎。
 受ければ無事では済まない。

「ちいっ!」

 舌打ちと同時に奔る爆発音。
 どうやら彼女は至近距離で爆発魔法を炸裂させ、その反動を利用して横に回避したらしい。
 直後、ラーシェナが先ほどまでいた場所を“スティルヴァーレ”が蹂躙。
 その後方の壁を薙ぎ払い、隣の部屋まで続く巨大な穴を創り出した。

「……ふざけた奴だ」
「この程度のこと、お前とて容易いだろう」

 言葉とは裏腹に、ラーシェナの顔に浮かぶのは喜悦。
 その気持ちも何となく分かる。
 ……私も少し楽しい。

「私は、私自身が守りたいと願ったがために剣を取っている。
 例えその対象が使徒で無くとも……。そして行動を共にするというのなら、元は敵であろうと受け入れよう。
 それが邪道だとしても、関係ない。なぜならこの身は中立だが、その起源は闇の古神だからな」
「……それが貴様の考えか」
「私の心だ」

 私が話し終えてからしばらくして、不意にラーシェナが刀を納めた。
 訝しむ私に穏やかに笑って見せ、

「パイモンがやたらに気にしていた理由が分かった気がする。貴様は何処かあの方と、かつてのあいつ自身に似ている。
 あの方は闇の奥底に座する真なる竜で在りながら、その意志は正しく我らにとっての“光を掲げる者”であった。
 ……パイモンもそんなところに惹かれたのだろう。――同志ゼフィラ」

 ラーシェナの言葉にその視線の先を辿る。
 未だにセリカとゼフィラは交戦していたが、ラーシェナの言葉で双方動きを止める。

「事は済んだ。我は拠点に戻る。……貴様はどうする」
「――っ、勝手なやつめ! 私を馬鹿にしているのかっ!」
「どうするのだ」
「……こやつ聊か手強い。不本意だが、貴様に同行してやろう。
 セリカとか言ったな。貴様の名、覚えておいてやる」
「必要ない。……どうせ俺は直ぐに忘れる。それより、フェミリンスを諦める気はないか」
「貴様……よほど私を怒らせたいらしいなっ!」

 魔神ゼフィラの様子を伺うに、フェミリンスへの憎悪は相当なものなのだろう。
 そういえば、ディアーネもまた同じだったか。

「フェミリンスはお返しする。だが遠き世、或いは近き世。いつになるかは分からぬが、次は全力で戦って頂きたいものだ」
「……気付いていたか」
「当然だ。真に貴様があの方の後継者ならば、最初の一太刀で我など跡形もなく消え去っている」
「だが今の私にはこれが全力だ。真に魔王にでも覚醒すれば、話は別なのだろうが」
「……だろうな。その、何だ。あの方の名を呼び捨てにするのは躊躇われるが……ル、ルシファーよ、一応は認めてやろう」
「そうか」
「……感謝の一つもなしか」
「ならば、礼を言う」
「貴様という奴は……いや、どちらにせよ今は敵。馴れ合いは必要ない、か」

 そう何処か寂しそうに告げると、彼女は憤懣遣る方無しといった様子のゼフィラに撤退を促す。
 ゼフィラは口惜しそうに捕らわれたエクリアを一瞥すると、先にいずこかヘ転移した。

「貴様らとは何れまた戦うことになるだろう。深凌の楔魔の名、覚えておくがいい」





「その、ありがとう……」
「いや、私がそうしたいから行動しただけだ」

 ラーシェナたちが去った直後、エクリアを捉えていた触手が崩れ落ちるように消え去った。
 地面に降り立つと、倒れた彼女の無事を確認する。
 どうやら私とラーシェナが戦っている間に意識が戻っていて、一分始終見ていたらしい。

「それで、貴方があの魔神に言った言葉だけれど……」
「私の言葉がどうかしたか?」
「……いいえ、何でもないわ」

 少しばかり頬を赤くし、不機嫌そうなエクリア。
 私は何か、怒らせるようなことでも言っただろうか。

『“私自身が守りたいと願ったがために剣を取っている”か。それって結局、私やエクリアを――』
「それ以上言うなっ!」

 騒ぎ出した二人を怪訝に思いながら、セリーヌのところへ向かったセリカに目をやる。
 あいつをまた余計なことに巻き込んでしまったと感じながら、ニルを労うため私もセリーヌの元へと足を向けた。



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