パラダの街の宿――砂猫亭。
その酒場となっている一階で、私は葡萄酒を飲んでいた。
他のものたちは、アイドスを除いてこの場にはいない。
セリカはハイシェラの助言からか、セリーヌを連れて薬品などの買出しに。
おそらく将来的にセリーヌに任せることになる役割を、体験させることで教えるつもりなのだろう。
エクリアはというと、この宿に入る前に声をかけてきたリンユという娼婦と共に部屋にいる。
今頃は化粧の仕方でも教わっているのではないだろうか。
エクリアは、流石は一国の姫というだけあって、自分では化粧をした事がなかったらしい。
それどころか、そもそも必要ないと考えている節があった。
そのため始めは渋っていたが、セリーヌに何か言われたのか、仕方なくといった様子ではあったが、教わることにしたようだった。
正直に言って、エクリアたちと同じ人間族であるリンユの存在は有り難かった。
男である私やセリカは当然として、同じ女であっても神や魔神であるアイドスやハイシェラでは教えられないことも多い。
いや、実際は教えられるのかもしれないが、招聘という形でしか肉体を構成できない二柱。
手本を見せられない以上は難しいものがあった。
リンユからすれば、男一人に女三人という組み合わせが気になって声をかけたらしいが、何であれこの邂逅には感謝すべきだろう。
セリカは自分が女と間違われたことには、何とも言えない様子であったようだが。
そのように私が思い出していると、暇を持て余したのか酒場の店主が話しかけてきた。
白髪交じりの、老年の男。
「あんた、冒険者か?」
「……そのようなものだ」
「宝が欲しいなら、この街の近隣にある岩塩坑に行ってみるといい。
大昔に魔術師が作ったらしいが、運が良ければ何か見つかるかもな」
この地方の魔術師と聞いてまず思い当たるのは、ブレアード・カッサレ。
となればフェミリンス神殿に近いこの場所にあるその岩塩坑とやらは、かつての戦の前線基地だろうか。
『ゼフィラの創りし迷宮よ。エヴリーヌが先走ったおかげで孤立し、そのまま封印された愚か者だがな』
私の疑問を感じ取ったのか、ディアーネが心話で語りかけてきた。
ゼフィラは確か第八位の魔神だっただろうか。
しかし仮に出向いてみるにしても、セリカと相談して決めたほうが良いだろう。
考えに没頭し黙っていたのだが、それを酒場の店主は、岩塩坑を教えたことを怪訝に思ったと捉えたらしく、
「気にしなくていい。これは所謂“気に入らない余所者に教える”情報ってやつだからな。咎める奴なんていないさ」
◆
外が薄暗くなってきたころ、漸くセリカたちが戻ってきた。
買ってきたものを確認し、深凌の楔魔らの話は明日にすることを決めると、二人は先に二階に登っていった。
それから勘定を終えて私が二階の部屋に戻ると、丁度エクリアがいる部屋からリンユが出てきたところだった。
露出が多く、男を誘うような服装をしているが、何処か気品を感じる。
リンユは私の姿を認めると、少し戸惑ったような笑みを浮かべて声をかけてきた。
「あの人、レヴェナさんだっけ……いったい何処のお嬢さんよ。
服の生地は良いもの使ってるし、身につけていた魔法具とかその辺で買える代物じゃないわよ。
妹さん……カヤさんの方もまるでお姫様のような品があるし……」
「想像に任せる。お前がそう感じたのならば、何処かの姫なのではないか」
「……意外ね。てっきり隠すつもりかと思ったのだけど」
「立ち居振る舞いをどうにかしない限り、まず無理だろう」
「それもそうね」
レヴェナというのはエクリアの、カヤはセリーヌの偽名だ。
名が知れている私はカムリ、セリカはそのまま名乗っている。
「だがこのご時勢では別に珍しくないだろう?」
「……ふぅん、まあいいわ。あまり、訊かないようにするわね」
「そうしてくれると助かる」
要するに訳ありということだ。
自身のかつての境遇でも思い出したのか、複雑そうにリンユが笑う。
「私もそれなりの家柄の出だったんだけど、没落しちゃって。
いきなり放り出されて、路頭に迷っていたところを娼婦のお姉さんに拾ってもらったの。それからこの仕事をしているわ。
初めのころは、化粧の仕方も分からなくて……何だか懐かしいわね」
「……そうか」
「その人は、先の戦争で亡くなってしまったのだけど。だからこんな世の中じゃ、生きているだけで幸せよ。
……ごめんなさいね、変なこと言って」
「いや、流石にメンフィル国王を殺して来いなどと言われれば困るが、愚痴くらいなら聞いてやる」
「ふふ、何よそれ」
ころころと笑うリンユ。
何かを悩むような仕草をすると、徐にしなだれかかってきた。
咄嗟に両手で抱き止めると、香水の甘い匂いが鼻腔を擽った。
薄い布地のせいか、少し高めの彼女の体温が伝わってくる。
「セリカにはカヤさんが、貴方にはレヴェナさんがいるから私のような春は不要かと思ったけど、少しだけ甘えてみようかしら」
「セリカの方は兎も角、レヴェナはただの同行者だからな。別に恋仲にあるというわけではない」
「あら、そうなの?」
「可愛らしいところもあるが、気が強く融通が利かない女だ。……だが、嫌いではない」
「……へぇー」
「何だ?」
「別に、何でも」
からかう様にリンユが見つめてくる。
多少思うところがないわけではないが、これ以上訊いても無駄だろう。
『ねぇルシファー。私ね、あまり気が多いのもどうかと思うのだけれど』
『何のことだ?』
『……実は私をやきもきさせて、愉しんでいるのではないわよね?』
『さあ、どうだろうな』
『……貴方って結構意地悪よね!』
そうだろうか?
そんなことはないと思うがな。
「じー……」
急に黙り込んだ私を不思議に思ったのか、リンユが見つめていた。
「すまない。考え事をしていた」
「……貴方、ずいぶん女の人泣かせてきたんじゃない?」
「どうしてそう思う?」
「女の感よ。貴方の相方も何となくそんな雰囲気だし。……まあいいわ。それで、どうするの?」
今日は青き月の夜。
紅き月ではないため、儀式を行うにしても効率はあまり良くない。
しかし今後のことを考えれば、魔力を得ておいて損はない……。
『……』
聞こえてきたのは、部屋にいるはずのエクリアからの心話。
だが伝える意思がないのか、唸り声にしか聞こえない。
「……今日は止めておこう」
「あらそう、残念ね」
分かっていたとでもいうような顔でリンユは告げて、私から離れた。
少し残念そうにしていた気もするが、おそらく私の気のせいだろう。
「だがお前のおかげで助かった。感謝する」
「何のこと?」
本人は自覚していないらしい。
それをわざわざ指摘する必要もあるまい。
「いや……できればこれからもレヴェナとカヤの相手をしてやって欲しい」
「……分かったわ。仕事の合間になるけど、それでもいいかしら」
「ああ、構わない。それと、私の相手もしてくれると助かる」
「……ふふ、いいわよ。でも貴方も頑張ってね、いろいろと」
セリカたちに宜しくと告げて、彼女は廊下を階段の方に歩いていった。
彼女が最後に口にした言葉。
あれはいったいどういう意味だったのか。
そんなことを考えながら、私は部屋の扉を開けた。
◆
宿の部屋の中は、老朽化していて草臥れた様子だった。
しかし、掃除が行届いているだけ良い方だろう。
そんな部屋のベッドに、エクリアは腰掛けていた。
彼女の直ぐ横には、リンユが用意してくれただろう服が何着か置いてある。
俯いているのは、何か理由でもあるのだろうか。
「エクリア、先ほどの心話は何か用だったのか?」
「……っ……ない」
「よく聞こえないのだが」
「何でもないと言っているッ!」
……何故怒鳴る。
訳が分からず、用意されたもう一つのベッドに腰を降ろす。
ちなみにセリカとは部屋は別にしている。
いくらあいつでも、人前で性儀式をする趣味はないだろう。
「……かわ……し……と……きら……で……か……」
呟くように何かを口にするエクリア。
途切れ途切れにしか聞こえないが、頬を赤くしているのは何故なのか。
『少なくとも病気ではないわよ』
何を当たり前のことを。
神族に連なるものには基本的に神核が存在している。
私やアイドス、セリカのような古神の肉体を持つ者。
地方神である水の巫女にも。
ディアーネを始めとする魔神さえもその範疇に入る。
半魔人であるリウイも、魔神グラザと姫神の力を受け継ぐ神核を保有しているようだった。
ただ彼自身は、神核があることを知らなかったようだが。
それも、たった二十数年の知識では仕方が無いことだろう。
魔神と人――神族の末裔の間の子供が如何なる存在なのか、あまり知られていないというのも影響していると思われた。
またセリーヌやイリーナは別にして、姫神の本筋を継ぐエクリアにも神核は存在している。
アイドスの遠縁の姉であるレアという古神も元は人間だったそうだ。
だから神の末裔であるエクリアが神核を有しているのは、別に可笑しなことではない。
逆にあれほどの魔力があって、核がないという方が無理がある。
そして、神格位にある者は半不老不死。
だからこそ、言うまでも無く彼女が病気になるわけがない。
「さ、先に寝るぞッ!」
「……それは構わないが」
言いたいことがあるのならば、はっきり言えばいいと思う。
それにしてもあの顔色……もしかして照れていたのだろうか?
だが何に対して?
『……私も昔はこんな感じだったのかしら』
『何がだ?』
『ルシファーには内緒よ』
それ以上聞いてもアイドスは何も答えない。
仕方がなく、私もそのままベッドに横になることにした。
◆
ベッドに入り込み、エクリアは一人悶々としていた。
なんて嫌な奴だろうと。
気が強くて融通が利かないだの、散々言われたのも勿論耳には入っている。
しかしそれ以上に可愛いだの嫌いではないだの。
そんなことを言われたのは初めてだったから、そっちの方が耳に残ってしまった。
どうしてそんなことを、魔族のくせに言うのか。
(嫌な奴だ!)
だいたい可愛いとはなんだ!
姫将軍に言う言葉ではないだろう!
内心でそう叫びながら、その言葉が本心であろうことも察していた。
ルシファーは人をからかうことが好きなようだが、その手のことに関しては嘘は言わない。
だが、だからこそエクリアは思うのだ。
(本当に嫌な奴だ!)
どうしてこうもあの男は……。
そこまで思い、それ以上を“認めたくなくて”エクリアは更に内心で繰り返す。
そんな彼女を女神が一柱、微笑ましげに見守っていた。
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