――忙しい。
 メンフィル国王リウイ・マーシルンの置かれた状況は、まさにその一言に尽きた。
 幻燐戦争終結からおよそ一年。
 自身怪我から復帰して後、直轄領の復興の目途は立ったが、それ以外の領土はまだまだ不十分。
 毎日のように執務室の机に積み重なる書類。
 妻であるイリーナがいなければ、心が折れていたかもしれない。

 端的に言ってしまえば、人手不足なのだ。
 故国復興のために友邦の姫君たちはメンフィル王都ミルスを離れ、戦友の何人かはレスペレント地方から旅立ってしまった。
 ファーミシルスを初めとする将軍たちも、まだ戦場から呼び戻すことができない。
 エクリアを手放したのは失敗だったかと、半ば本気で思ってしまうリウイだった。

 問題はそれだけではない。
 先日の旧カルッシャ領訪問に際して神官長ペテレーネと共に行った、フェミリンス神殿の調査。
 そこで遭遇したエヴリーヌなる魔神の存在が、リウイを悩ませていた。
 戦闘にこそならなかったが、気配から察するにエヴリーヌの単純な力量は魔神ディアーネと並ぶかそれ以上。
 ただ、第一印象では無邪気な子供といった様子で、戦い方次第では単独でも勝てそうな相手ではあった。
 無論先入観は持つべきではないのだが。

 要領を得ない言葉を交わし、エヴリーヌが呼び出した魔物を滅した後、パイモンと名乗る魔神が現れる。
 魔神パイモン曰く、自分たちは深凌の楔魔。
 後日改めて挨拶に来るなどと告げてその場を去ったが――深凌の楔魔。
 それはディアーネがルシファーに語った、かつて魔術師ブレアードが召喚した魔神たちのことではなかったか。
 降臨したフェミリンスが敗れたことにより、その封が解けた……。
 ならば狙いは――

「あなた、そろそろ休憩に致しませんか?」
「……もうこんな時間か」

 書類整理をしていたリウイに、紅茶を運んできた王妃イリーナが声をかける。
 時は夕方に差し掛かり、もう直ぐ夜になろうとしていた。
 一つ溜息を吐き、カップを受け取って口に含む。
 ――悪くない。
 もう随分と昔のことのように感じるが、プリゾアに教えを受けていたころに比べて随分と上達したものだ。
 そんなことを思いながら、リウイはもう一度喉を潤した。

「やれやれと言うしかない。戦争が終ったと思えば次は魔神の復活。
 その上、明日にはマーズテリアの使節受け入れ。……俺には休む時間もない」
「ふふ、仕方ありません。それが私とあなたが目指した理想なのですから」
「……そうだな。人と魔の共存。一人では無理かもしれんが、俺には朋友たちが……何よりお前がいる」
「私はただ、あなたの側にいることしかできませんよ?」
「それで十分だ。俺は、お前がいるから理想を追い続けることができる。そう思っている」
「……あなた」

 イリーナとリウイが始めて出会ったのは、華やかな祝宴の場でも、厳かな神殿でもない。
 リウイ=メンフィルとなるより以前の王国に輿入れしてきたイリーナ。
 彼女の乗る馬車と護衛の一団を襲撃し、拐かしたことがそもそもの出会いだった。

 方や光のカルッシャ王国出身。
 方や闇のモルテニア出身。
 挙句、邂逅は最悪と言っていいほどのもの。
 何かが少しでも違っていれば、リウイとイリーナが夫婦になることなど決してなかっただろう。

 だが二人は出会い、そして人と魔の共存という理想を掲げた。
 自分たちができたのだから、不可能なことではないのだと。

 無論、決して楽な道ではない。
 他の者たちに言わせれば、青臭い理想論に違いない。
 それを分かっていて尚揺るがないのは、二人の強い絆故。
 リウイはそれを自覚し、今この時を噛締める。

 愛する妻とこうして二人、ゆっくりとした時間を過ごすのも悪くはない。
 というか、公務など放り出してこのままイリーナと――

「ええと、そういえばリオーネ様からお手紙が届いておりました」

 そう言ってイリーナは一通の手紙をリウイに差し出した。
 気付いているくせにと、内心で少しむっとしながらも手紙を受け取る。
 内容は簡単な挨拶から始まり、ブレアード迷宮、野望の間の調査が順調であること。
 マータ砂漠方面で“神殺し”と“黒翼”らしき姿が確認されたこと。

「あいつら、どうやら砂漠でマーズテリアをやり過すようだな」
「……大丈夫でしょうか。マータ砂漠といえば、ここ最近魔物の動きが活発化しているという報告が入っておりますけど」

 魔物……イリーナはそう言うが、実際は魔神という噂も耳にしている。
 だがあの規格外連中が後れを取る姿など、リウイには想像できなかった。

「大挙して攻められれば分からんが、一対一の戦いでセリカとルシファーに勝てる者などそうはいまい。
 ……姉たちが心配なのは分かるが」
「分かっています。姉様たちが決めたことですし……」

 しかし不安を誤魔化すことはできない。
 リウイはその優しさは実にイリーナらしいと思いつつも、さてと考える。

 砂漠を騒がせている魔神――おそらくは深凌の楔魔の一柱だろう。
 ディアーネという例を念頭に置けば、狙いはエクリアである可能性がある。
 当然、フェミリンスということを考えればイリーナや自分とて対象だ。

 国の巨大化に伴って、暗殺対策として護衛は増やしているが、魔神が相手では絶対に安心などということはない。
 その上で、ただでさえ人手不足な中、他所に回す人員など存在しないのだ。
 出産を終えた聖騎士シルフィアとて、イリーナ同様にまだ動けるような状態にはない。
 せめて何処にいるかも分からない、あの姉代わりの風来坊でもいれば……。

「カーリアン様でしたら、レスペラント王国でお姿を見たという話がありましたけど」
「……顔に出ていたか?」
「あなたのことなら、ある程度は分かります。……でもお戻りになるのは二、三年後という話でしたのに」

 カーリアン――リウイの姉とでもいうべきかの女魔族は、幻燐戦争後にレスペレント地方を離れた朋友の一人。
 ミオという風の国シルメキア出身の少年魔術師と共に、風鶴の神器という宝を探す旅に出たはずであった。
 それが何故に僅か一年でレスペレントに戻ってきたのだろうか。

 もちろん、リウイとしては嬉しくないわけではない。
 ただリウイは、名目上そういう旅の理由ではあるが、本当はイリーナに対する気遣い。
 そしてリウイとイリーナの関係を見続けるのが辛いという思いもあっての行動と記憶している。

 だからこそ留まって欲しいとは口にできなかったわけだが、それがどうして……。
 何れにせよ、例え迎えに行きたくとも、ミルスに来るまではリウイ自身が行動を起こすことはない。
 ――だがリウイは思う。
 もしも彼女と共に在りたいと願うのならば、動かなければならないのは自分なのだろうと。

「……私は、良いのですよ。あなたの、カーリアン様への思いも理解しています。それに王族ならば仕方がないことですし」
「イリーナ……俺は――」
「――ただ私に寂しい思いをさせないでください。……嫉妬深いのはご存知でしょう?」
「……分かっている。二度もお前を失うつもりはない」

 ぐっと抱き寄せて、口付けを交わす。
 大切だと、心の底から思う相手。
 イルイと名付けた子供まで授かった、自分の伴侶。
 一度は姫神に奪われた半身を、リウイは抱き締める。

「さて、夕飯までにもう一仕事するか。……続きはそれからだな」
「……はい」

 恥らうイリーナに愛しさを強く感じつつ、先のことを思う。
 まずは、マーズテリアの聖女来訪の歓待。
 そして深凌の楔魔への対処。
 処理すべきことは多いが、イリーナと共にならば不可能などない。
 そう思い、彼は再び書類に目を通し始めた。





 翌日、マーズテリアの聖女との会談を終えたリウイ。
 彼は執務室の机で一人、思案に暮れていた。
 会談の内容は、予想通りカルッシャ王国の最終的な扱いに関するものだった。
 具体的には西方諸国との貿易の要でもある、大陸行路を含めた西カルッシャの支配権の譲渡というもの。
 光の神殿、および西方諸国の意思を代弁しているだけとは理解していても、憤らずにはいられない。
 なぜなら大陸行路を押さえられるということは、こちらの生命線を握られると同時に、友邦以外の軍の駐留を認めたも同じだからだ。

 しかし確かに聖女の言のとおり、短期的には自国に利はないが、長期的に見れば秩序を維持できるという利がある。
 無論、神殿側が意見を変えるようなことになれば、全く意味のないことになってしまうが、その間に国内の安定化と国力を増強。
 下手に光陣営の不況を買うよりも、今はこちらが譲歩すべきか。
 そう判断して、聖女にはカルッシャの意思を尊重する形で検討すると伝えた。

 断言したわけではない。
 実際はリウイの言葉一つでほぼ確定するとはいっても、臣下の言葉を聞かないわけにはいかない。
 会議に掛けた上で、最終的な決定をすることになるだろう。

 そして――

 シルフィア・ルーハンスの神格位剥奪。
 今回はその目的で訪れたわけではないと聖女は語っていたが、シルヴァンという子が生まれた以上、そう遠い未来ではないだろう。
 メンフィル王国としてはその裁定をすでに受け入れている。
 だがリウイ個人の感情としては複雑なものがあった。

 シルフィアが悪いわけではない。
 彼女はただメンフィル王国のためにという、当初からの志を貫いただけだ。

 では神殿側に非があるかといえば、否と答えるしかない。
 どれだけ否定したとしても、自国メンフィルは闇陣営の国家。
 光の神であるマーズテリアからすれば、それは背信行為以外の何物でもないだろう。
 今後互いの理解が進めば或いは打開できたかもしれないが、そうなるにはあまりに時間が無さ過ぎた。――っと、

「陛下、シルフィアです」

 コンコンという扉を叩く音と共に、澄んだ声が響いた。
 丁度思っていた人物の来訪に僅かに動揺する。
 息を吐き出し、気持ちを落ち着かせてから入室を促した。

「……体調に問題はないか?」
「はい、お気遣い感謝致します」

 クスリと笑うシルフィア。
 リウイは彼女のそんな姿に、失うことへの恐れを感じる。
 同時に抱くのは、自分がもしも人間族であったならば、彼女を死なせることはなかったのではないかという憤り。

 そして更に思う。
 シルフィアが相手でこれほどの焦燥を抱くのだ。
 ならば半身であるイリーナを失うようなことになったら、果たして自分はどうなってしまうのだろう。

 ――人を憎みながら、人を愛する狂った魔王。

「――陛下?」

 シルフィアの声にハッとして、リウイは思考を止めた。
 怪訝そうな顔をしてはいるが、どうやら内心を読まれた様子は無い。
 安堵の溜息を漏らしそうになるのをぐっと堪えて、リウイは来訪の意図を問う。

「お伺いしたいことが在ります。天使モナルカを主導者としたカルッシャ残党の抵抗……陛下はどのようにお考えでしょうか?」

 個人的な意見を訊いているわけではないだろう。
 要するにどのような対処をするつもりかと言いたいのだと思われる。

 そこでリウイは、改めて国内の敵対勢力について思い返した。

 現在、メンフィルが動かしているのは大将軍ファーミシルス率いる第二軍と、機工戦姫シェラ率いる機械化軍団である。
 ファーミシルスの軍勢は、シルフィアが話題に出したモナルカの滝の包囲を行っている。
 一方シェラの率いる軍勢は、かつてリウイが滅ぼした魔神グレゴールの根城。
 その近郊にあるブレアード迷宮の一つ、海雪の間に集う魔族の包囲を行っているはずだ。

 もしここで国王自らが動くことになれば、その影響は大きい。

 天使モナルカの方は言うまでも無い。
 彼女は風の女神の使徒であるため、害した場合、聖女クリアに口にした言葉が意味を無くす。
 だが聖女から盟約の短剣という、カルッシャとモナルカの間で交わされた契約の証を受け取っている。
 そのため、これを示せば害することなく退けることは可能だろう。

 では海雪の間の方はどうかというと、こちらは深凌の楔魔との関係が疑わしい。
 先ごろ幻影にて魔神パイモンが忠告に現れたのだが、ほぼ確定と見ていいだろう。
 となればリウイ自身が動くとなると、深凌の楔魔との敵対は決定的なものとなる。
 それだけならばまだしも、王自らが動くことによって、国内の闇夜の眷属に動揺が奔る可能性は十分考えられる。
 王は人間族の味方であり、魔族を危険視しているという類の……。

 だが戦争からの早期復興を考えれば、いつまでも放置しておくわけにはいかないのも事実だ。
 双方に対してリウイは動かないという選択もないことはないが、それでは悪戯に国を疲弊させるだけ。
 あくまで人と魔の共存を掲げる以上、光にも闇にも弱みを見せるわけにはいかない。
 難儀なものだとリウイは思いつつ、シルフィアに考えを告げた。

「聖女より、彼の天使がカルッシャと結んだ契約の証を受け取っている。
 それを提示して天使モナルカとは争わず、かの地を離れてもらうつもりだ」
「……ご英断、感服致しました。しかしながら、私から一つ提案がございます」
「言ってみろ」
「私にそう遠くない未来、マーズテリア様の審判が下されるのはご承知のことと思います」
「……そうだな」
「はい。そこで現状を鑑みれば、メンフィルの掲げる理想――人と魔の共存は、深凌の楔魔らとは相容れない思想となりましょう。
 ですが今のメンフィルには、彼の魔神らに対抗できる人材が希少です」
「……続けろ」
「そこで私に、天使モナルカの協力……その説得を任せては頂けないでしょうか」
「……」

 深凌の楔魔。
 その思惑は全くといっていいほど分かっていない。
 しかしながらシルフィアの言の通り、必ずしも相容れないだろうとはリウイは考えていない。
 無論それはシルフィアも同じだろうと思う。
 その上で、シルフィアがこのようなことを口にした理由。
 ――考えるまでもない。

「建前はいらない。要するに、自分の代わりと言いたいのだろう?」
「……はい、その通りです」
「メンフィルの新たな守護神として天使モナルカを引き入れる。――本当にそんなことができると思っているのか?」

 風の女神《リィ・バルナシア》といえば、光陣営の神だ。
 モナルカが納得したとしても、神殿側がどう出るか分からない。
 現状、メンフィルが闇も光も受け入れる中立だとしても……。

「光陣営の監視役という名目で引き入れます。彼女にメンフィルの在り方を知ってもらった上で、どう行動するかを判断して頂きます」
「俺にいつ弓引くとも分からぬ獅子身中の虫を、自ら受け入れろと言っているのか?」
「それは陛下の御振舞い次第かと。かの天使は高潔な人物と伺っております。
 陛下の理想が真に正しきものならば、必ず陛下のお力になりましょう」

 監視役という名目ならば、神殿側も下手に動くことはあるまい。
 仮にマーズテリアが介入しても、モナルカが仕えているのは別の神だ。

 リウイは、シルフィアの不安そうな微笑と視線に思わず苦笑する。
 そしてその澄んだ瞳を見て思う。
 ああ、この女はやはり気高き聖騎士なのだと。

 ただ只管に、メンフィル王国の民の平穏を願う。
 同時に主君を――慕う者を危険に晒すようなことを言い出す自分を嫌悪している。
 その意思を強く感じることができた。

「会ってみなくては何とも言えん。顔も合わせず頷けるほど、俺はお人好しではない。だが――」

 シルフィアの心中は、どのようなものなのか。
 リウイに仕えることが無ければ、神格位剥奪などという不名誉なことにはならなかっただろう。
 それでも尚、恨み言の一つも言わず、それどころか自分を慕ってくれさえいる。
 最後の奉公――それがバルナシアの天使を味方に引き入れる手助け。
 ならばその意を組むのも、王であり、夫である者としての責務ではなかろうか。

「確かに深凌の楔魔との対立は避けられないものだ。理想云々の前に、イリーナを我が半身とした以上は……。
 となれば諸刃の剣だとしても、勧誘する利はあるかもしれん」
「では……」
「しかし、遣るからには必ず引き入れろ。
 万が一にも失敗して勧誘したなどという事実だけが残っては、諸刃の剣どころか自傷行為となってしまう。失敗は許さん」
「御意に」
「……それと当然だが、その場には俺も立ち会う。向こうも、顔も見せぬ者の言を信じるほど愚かではないだろうからな」

 そう告げて、リウイはシルフィアに退室するように促した。
 最後にイリーナを執務室に呼ぶように命ずる。
 元とはいえ、彼女もカルッシャ王族。
 本音は別でも、モナルカとの会談では彼女もいた方が都合がいい。

 結果を言ってしまえば、モナルカの引き入れには成功した。
 天使モナルカは、メンフィル国王の監視として暫くは行動。
 後、その本質が知れた時点でどうするか決める。
 それに伴い、モナルカを頼りにしていた残党軍は崩壊し、先導していた貴族は処罰されることとなる。

 これに関してモナルカが口を挟むかと思われたが、そうはならなかった。
 そもそもカルッシャ王国のために戦った者たちは、王都ルクシリアでの最終決戦で亡くなるか降るかしている。

 当時、カルッシャに存在していた派閥の一つである姫将軍派の代表、ルクレッティア・ローバント。
 彼女を初めとする幾人かは、エクリアの進言と説得によって、旧カルッシャ領統治のために登用されてもいるのだ。
 モナルカ自身も制約があったから従っていた。
 しかしシルフィアをして高潔と言わしめる性格のためか、率いていた貴族は利権のために後には引けなくなった者たちばかり。
 兵は兎も角、下らぬ言い争いをする者たちばかりで、辟易していたらしい。
 そのような理由もあって、モナルカの滝の問題は一応の解決をみせた。

 しかしながら、リウイとシルフィアのこの判断が正しかったのかどうかは分からない。
 だが今後の情勢に多大な影響を与えたのは間違いないだろう。





 それから数日後のことだ。
 発端は各国の情勢の経過報告を行った同盟国会議の後、伝令が届けたブレアード迷宮の調査報告だった。

 フレスラント王国王女、リオーネ・ナクラ。
 リウイは彼女に野望の間の調査を依頼していたのだが、最深部に近い階層まで到達したとのこと。
 それに伴い、視察団を派遣。
 リウイもそれに同行し、自分の目で確かめることを決定した。

 理由はいくつかある。
 一つは幻燐戦争後の療養で鈍ってしまっただろう腕を取り戻すため。
 光の神殿の動向や、魔神の復活など、近い将来レスペレント地方が戦乱の渦に巻き込まれるのは必至。
 その上で、常に戦場に身を置いた覇王としての自分を思い出す必要があった。

 また一つは、リウイ自身興味があるというのもあった。
 モルテニアの地下遺跡で幼少を過ごしたリウイにとって、迷宮の全容を解明したいという欲求が生まれたのは自然なこと。
 無論、王としての立場もあるため好奇心のみで行動することは許されないが、今回は公私が合致している。

 そして何よりの理由は、リウイの性格。
 引き篭もるよりも、前線で戦うことを好む。
 一概には言えないが、それこそはリウイが魔神の血を継ぐ証。
 配下を導きその手で勝利を勝ち取る、覇王としての気質。
 それを自覚し度し難いと感じながらも、リウイは行動したのだった。

 同行を許可したのは、まずはイリーナ王妃。
 本来ならば反対すべきなのだろう。
 だがどうしてもとイリーナは譲らなかった。
 リウイとイリーナが迷宮探査を行ったことが、過去になかったわけではない。
 しかしやはり王妃という立場を考えれば、あまり好ましいことではない。
 
 最終的にはリウイは認めたのだが、それは他二人の同行者の存在もあったからだ。

 一人はシルフィア・ルーハンス。
 国内のことに関しては、前線から帰還したファーミシルスとシェラに任せ、王の護衛の任についた。
 出産から二ヶ月ほど経過したとはいえ、まだ本調子ではない。
 だが先日メンフィルを発ったマーズテリアの一行から何らかの影響を受けたのか、イリーナ同様引き下がることはなかった。
 或いは、もう一人の同行者に対して責任を持つつもりなのかもしれない。

 第六位天使《パワーズ》に属するへルテ種。
 上半身には聖なる甲冑を纏い、腰から下が蛇のようになっている風女神《リィ・バルナシア》の使徒。
 天使モナルカ――シルフィアの進言によって勧誘を行った実力者の同道。
 諸刃の剣である彼女の存在が、皮肉にも二人の言い分を認める要因となっていた。





 視察団を引き連れ迷宮に到着後、転移門でリオーネの敷いた陣に飛び対面。
 リウイは早速、彼女から現状を聞き出した。
 九十層手前までは順調であったが、それ以後、突如として強力な魔物が現れ出したらしい。
 肩や腕に包帯が巻かれたリオーネの姿は痛々しい。
 同時に幻燐戦争を生き抜いたこの王女をして苦戦する魔物に、リウイは気を引き締める。

「陛下、どうぞお気をつけください」
「案ずるな。それより、俺たちが相手をしている間に立て直しを図れ」
「……はっ!」

 一軍団預けて攻略が難航していた以上、たった四人で全ての調査ができるはずはない。
 そのような考えも含めて、リウイはリオーネを激励する。
 ――と、リオーネの目が、信じられないものでも見たように大きく開かれる。
 視線の先を辿れば……なるほど、会議に出席していなかった彼女には、まだ報告していなかったか。

「紹介する。先ごろよりメンフィルに力を貸して頂けることになった、天使モナルカ殿だ」
「……呼び捨てで構いませんわ。それと、私はあくまでメンフィル国王陛下の動向の監視。
 そして、その代わりに力を貸しているだけ。軍門に下ったわけではございませんので、お間違えのないように」

 不機嫌そうにそう告げるモナルカ。
 思わず苦笑しそうになるのを堪え、リウイはリオーネに視線を戻す。
 純白の翼を大きく広げたモナルカの両脇。
 そこに微笑する二人の女性の姿を認めたのだろう。
 それでも動揺はあるようだが、納得した様子になった。

「モナルカ様、陛下のことどうか宜しくお願いします」
「……言われるまでもありませんわ。目の届かぬ所で不帰の客となるのは構いません。
 ですが私が護衛をする以上、ここで亡くなられては私の誇りを汚すというもの。
 それに元より、剣と盾を扱うしか能がございません。我が誇りにかけて、陛下をお守り致しましょう」

 やや棘のある言葉ではあるが、彼女のその言葉は間違いなく本心。
 正義を掲げる以上、一度口にした言葉を違えることはあるまい。
 その優雅な立ち居振る舞いと、そして会話を交わした印象からリウイはそう思い、一度だけリオーネに頷く。
 無論、敵となれば容赦はしないだろうが、今ここでの心配は必要ないと。

「イリーナ、シルフィア。お前たちも準備は出来ているか?」

 リウイの問いに、二人は首を縦に振ることで返す。
 それを見て頷くと、リウイは迷宮最深部への道に足を踏み入れた。





 迷宮内部は赤銅色の壁に覆われ、灼熱の溶岩の流れるおぞましい場所であった。
 仕掛けられた罠や襲い掛かる魔物。
 リオーネが苦戦するのも無理はないと、思わず納得する。

 しかしながら、流石はマーズテリアの聖騎士と風女神の使徒といったところか。
 人間では容易ならざる魔物を、その大剣で、その槍で、次々に葬っていく。

 一方で、イリーナも負けてはいない。
 言うまでもなく体捌きでは二人には及ばないが、姉と同じ膨大な魔力を惜し気もなく使い、大規模魔術で迎撃していく。
 時折見せる苦悶の表情は、彼女の優しさ故だろうが、それをリウイは悪いとは思わなかった。
 イリーナのその思いがあるからこそ、人と魔の共存を掲げる自分がいる。
 ならば彼女の抱く感情を擁護こそすれ、どうして忌避できようか。

 そして、そういえばと思い出す。
 以前、協力関係にあった二柱の神々の在り方。

 ルシファーの冷酷さをアイドスが諌め、アイドスの甘さをルシファーが正す。
 だから彼らは共に在り、決して揺るがぬ絆で繋がっている。
 ならば、自分たちもまたそう在りたいものだ。
 リウイはそう思いながら、イリーナに襲い掛かろうとしていた悪魔族を切り捨てた。

「油断するな」
「も、申し訳ありません。……それと、ありがとうございます」
「いや、いい。お前が無事ならそれでいいんだ」

 視線の先に、シルフィアとモナルカが苦戦している姿を認め、リウイは直走る。
 自分はこれでいい。
 大切な者たちを害する輩を、この手で屠る。
 その過程で忘れてしまいそうになる人としての心は、きっとイリーナが思い出させてくれるだろう。

「リウイ、どうやら終わりが見えたようですわよ」

 前方の上級悪魔を退けたモナルカの言に遠くを見ると、溶岩の川にかかった橋の先――そこに、巨大な何かがいる。
 その禍々しい気配は、この世の者とは思えない。
 暗く、陰惨で、しかし何処か懐かしいような……。

「話が出来る相手ならばいいのだが、出来たとしても相容れるとは思えんな」
「是非もありませんわ。悪しき者ならば、その歪を断ち切るまで」
「あなた、私はアレが何であるか知っている気がします。あれは……」
「イリーナ様、戦闘になった場合は、援護に集中してください」

 勇ましく返すモナルカに対して、イリーナは何処か怯えを感じているようだ。
 魔物討伐の専門家である聖騎士シルフィアが注意する辺り、相当の相手らしい。
 ……この地はブレアード迷宮。
 信じられないが、どうやらこいつは――

 ――我が名はブレアード。汝ら、よくぞ参った。

 リウイは、突如頭に響いた声に“やはり”と思いつつ、もはや人であったころの面影すら残されていない化け物を睨む。
 己が野望の果てに様々な生物を取り込んで、何とか生き長らえているという惨めな姿。
 ……自分はこのような醜いモノにはならない。
 そして我が覇道と理想の前に立ちはだかるというのならば……。
 例えレスペレントの闇夜の眷属にとって神のような存在であっても、散ってもらおう。

 互いに敵と認め刃を交える瞬間に、リウイはふと思いつく。
 熾天魔王の息子ともいうべきあの男。
 ルシファーが魔王とならずにいるのも、おそらく半身である女神アイドスの存在故なのだろう。
 そこで思わず、頬を緩める。

 ――ああ、魔王に慈悲はないのだったな、と。 



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