私がエクリアを使徒としてから、数か月が経つ。
 だが、その程度の月日では長年の習慣はなかなか変えようがないらしい。
 言葉遣いこそ変わったが、気の強さは相変わらず。
 私が戦闘中に度々考え事をしているのも悪いのだが、何をしているのかと注意すること限りなしだった。
 まあ、そういうところも嫌いではないのだが。

 それは兎も角、エクリアとアイドスはうまくいっているようだ。
 元々アイドスが嗾けたというのもあるのだろうが、二人はどうも馬が合うらしい。
 神剣の手入れを任せられる唯一の存在であり、よく心話で言葉を交わしていたりもする。
 ただその会話の大部分が、私に対する不満というのはどういうことだろう。
 ハイシェラに相談したら爆笑されたので、思わず魔神剣を折ってやろうかと思ったくらいだ。

 とはいえ、あの二人に慕われているというのは実感している。
 だからこそ私もできる限り応えたいと思うのだが、貴方はそのままでいいと言われる。
 だからといってそれで納得できるはずもない。
 だから私は私なりに、彼女たちに何かしてやりたいと思うのだ。





「本当に街を出るつもりなの?」
「ああ、情勢も大分落ち着いたからな。それでオウスト内海を渡るにはどうすればいい?」
「オウスト内海を渡るって……まさかケレースに行くつもり? あんなところ、人の行くような場所じゃないって!」

 ――夜。
 パラダの街の宿屋で旅の支度を整えながら、私は部屋に遊びにきていたリンユに道を尋ねていた。
 マーズテリアの使節団がレスペレントを去ったという情報を耳にして直ぐ、私とセリカは事実か確認。
 実際にこの地方にはもういないということが分かったので、長居は無用と離れることを決めた。

「だから行くんだ」
『セリカ、お主……』

 セリカの言葉にリンユが怪訝な顔をする。
 人の立ち入らない場所に行きたいなどと口にすれば当然か。

「バリハルト神殿の開拓旅団に参加しようと思っている」
「ああ、なるほど」

 咄嗟の言葉ではあったが、それで納得したようだ。
 しかし思わず口にしてしまったが、我ながらひどい嘘もあったものだな。

『バリハルトが聞いたら失笑しているわね』
『ですが、対応としては適切だと思います』
『ケレースから南にはアヴァタール地方の中原諸国がある。そこならば、我も土地勘がある故問題なかろう。
 魔槍のリタに魔神ナベリウス、それからレウィニアの水の巫女。生きていそうなのはそれくらいだが、顔見知りが多くなるの』
『水の巫女様といえば、ルシファー様のかつての盟友でしたか?』
『そうだの。……他に変な名前のやつもいた気がするが思い出せぬ』
『……誰だか知らないけど、憐れね』

 アイドス、ハイシェラとエクリアが口々にそんなことを言っているが、セリカは複雑そうな表情だ。
 大昔のことだから記憶もほとんど無いだろうが、かつての悲劇を思い出したのか。
 それとも、ハイシェラが口にした名前に思うところがあったのか。
 私はそんなセリカの肩を軽く叩き、

「それで、南に行くにはどうすればいい?」
「そうね、まずいったん東に出て、サンターフから出ている船に乗るのが一番楽よね」
「あの街か……」

 大樹を臨むことができる港町。
 滞在したのは一度だけ。
 数年ほど前のことになるが、貿易で賑わっていたのを覚えている。
 別にメンフィルと敵対関係にあるわけではない。
 口約束とはいえ不可侵の約定を結んでいるのだから、選択肢の一つではある。

「ケレースっていうと、マーズテリア様の入植地がフレイシア湾ってところにあるって聞いたことがあるわね。
 そこなら船も出ているんじゃないかしら」
「……カヤとレヴェナが船での長旅が苦手でな。徒歩で南には行けないか?」

 セリカがセリーヌとエクリアの偽名を持ち出して、他に道はないか尋ねる。
 確かにサンターフからの航路は有用だが、マーズテリア神殿領など、わざわざ敵陣営に突っ込みたくはない。
 これならリオーネ王女にでも話を通しておけばと、今更ながら後悔する。

「それなら砂漠を南に突っ切って、ケテ海峡を越えるのもいいのかな。
 海峡は狭いから渡し船が出てるって、前に取った客が言っていたわ。マーズテリア様だけじゃなく、獣人も出しているそうよ」

 しかし確かケテ海峡は、悪霊の類が跋扈する場所だったように思う。
 私やハイシェラはまだしも、セリカやアイドスのような光の神の肉体を持つもの。
 エクリアやセリーヌのような人間にとっては厄介なところだ。

 サンターフの港か、それともマーズテリアか獣人の渡し船を利用するか。
 マーズテリアとは関わりたくはないので、実質渡し船ならば獣人ということになるのだろうが……。

「サンターフの方に行ってみようと思う。カヤとレヴェナには辛いだろうが、我慢して貰うしかない」
「それが一番安全だと思うわ。……何だかケテ海峡の様子もおかしいって聞くし」
『それで構わないか?』

 セリカからの心話による打診。
 彼が何を思ってその選択をしたかは分からないが、深凌の楔魔が出現している昨今だ。
 イリーナに姉妹の無事を伝える意味も込めて、サンターフの港を利用するのもいいだろう。
 マーズテリアに関しては、どうせ海峡を渡るにしても危険は伴う。
 どちらにせよ同じことには違いない。それに――

 気が付けば、私以外の面々が了承の意を伝えていたようだ。
 ふとセリカの視線を感じ、頷く。

『行先が決まったのならば、長居は無用だな。明日の朝にはここを出よう』

 私の言葉にセリカが首を縦に振る。
 同時にエクリアとセリーヌが、ならばと先に休むことを申し出る。
 二人にとっては幾分穏やかな船旅とはいえ、確かに楽ではないだろう。
 休めるうちに休んでいてもらった方がいい。

「それじゃあたしは帰るけど――」
「下まで送る」
「ふふ、ありがとう。レヴェナさん、ごめんね。またね」
「っ……いえ、お気遣いなく」
「そっか」





 セリカに入用のものを尋ね、傷薬とセリーヌ用の魔導銃の弾の調達を頼まれる。
 魔導銃というのは、中原諸国の一つであるメルキア帝国が開発した兵器だ。
 扱い方さえ覚えれば、力のないものでも強大な力を得られる武器。
 しかし使用には、魔弾と呼ばれる魔力が込められた鉄球を必要とする。

 中には特殊なもので、使用者の精神力を糧として氷の弾丸などを生成するものもあるらしいが、流石に高価だ。
 メンフィル軍においてもシェラ・エルサリス率いる機工軍団が扱っていたが、一番金がかかるとリウイが嘆いていた。

「彼女とうまくいっているみたいね」
「どうだろうな。私はどうにも不器用らしいから」
「それは否定しないわ」
「…………」
「ふふ、レヴェナさんの口調が突然変わったのには驚いたけど、貴方を嫌ってるわけじゃない」

 宿の外に出て直ぐ、リンユが話しかけてきた。
 夜の砂漠は相変わらず肌寒い。

「分かるのか?」
「そりゃ、同じ女ですもの」

 艶やかにリンユは笑う。
 ……本当に、彼女に出会えたのは幸運だったかもしれないな。

「今日はいつにも増して冷える。……体に気を付けてな」
「本当に貴方は……そう、ね。また会えるといいわね」

 私の言葉を待たず、彼女はその場を去って行った。
 心話など聞こえずとも分かってしまったのだろう。
 今日この日が最後の出会いになることを。
 出会い、そして別れ。
 数百年の中で何度となく経験してきたことだが、どうにもこればかりは慣れないものだ。

「行くか、アイドス」
『彼女……いいえ、何でもないわ。行きましょうか』

 暗い夜空を星々が照らしている。
 こうして見上げていると自然と心が落ち着いてくる。
 それはきっと世界が何度となく姿を変えても、大空だけは不変だからなのだろう。





 フレスラント王国のサンターフの港は、パラダの町の東にある。
 王都ザイファーンからは南の方角にあり、南方のアヴァタール諸国家との貿易拠点でもあるはずだ。
 他に船が出ている場所となると、私が知る限りではセルノ王国王都レティカぐらいなので、大いに賑わっている。
 その外観は風光明媚な水の都と呼ぶに相応しい。

 戦争の影響はというと、王国の生命線でもあるためか、その傷跡は表立っては見えない。
 王女であるリオーネ・ナクラの手腕なのだろう。

 またこの地は、最後まで敵対関係にあったカルッシャ王国と面している。
 戦時中から復興を支援し、反逆の芽を摘むため民衆の支持を得たいというリウイの思惑もあったのだと思う。

「懐かしい。確か以前訪れたのは八年ほど前だったかな」
「そうだったか?」
『……相変わらずお主は忘れっぽいの」
『でもあれから大分様変わりしているから、私もちょっと実感がないわね』

 会話する私たちとは別に、物珍しそうに周囲を窺うセリーヌ。
 そしてそれを嗜めるエクリア。
 しかし彼女自身も外遊したことはあっても、ゆっくりと見て回るほどの機会はなかったのだろう。
 注意はしたものの、ちらちらと視線が大通りの露店の装飾品に向いている。
 ……アイドスやエクリアもこういうものに興味があるのだろうか。

「――テリアの姿がないのはいいが、次の船がいつ出るにしても、準備は必要だろう」
「……」
「ルシファー?」
「そうだな。似合うかもしれないな」
「……何の話をしている?」
「ん? 何がだ?」
「……いや、もういい」

 表情に変化はないが、声の質から呆れているのが分かった。
 セリカにしては珍しい反応だが、いったいどうしたのだろう。

「少し大通りを外れたところですが、小奇麗な宿がありました。……どうしました?」
「いや、何でもない。案内を頼む」
「畏まりました」

 いつの間にか宿を探しに行っていたらしいセリーヌとエクリア。
 二人とセリカの会話を聞きながら、何だったのかと考える。
 しかしセリカの態度を見るに、話す気はなさそうだ。
 ……まあいい。

「店主、すまないが――」

 エクリアがセリーヌと並んで歩くのを視界に納めながら、気付かれないように店の主人と商談をする。
 必然、アイドスには会話がただ漏れだが仕方がない。

『私としてはむしろ買ってくれることよりも、まず貴方がそういう細かいことに気付いたのに驚いたわ』
『……嫌か? お前の服に似合うと思ったんだが』
『そんなことない。貴方が初めて選んでくれた贈り物だもの。……青水晶の首飾りか。気に入ったわ』
『渡すのは、もう少し先になるがな』
『それでも嬉しい』
『……』
『ふふ、エクリアには耳飾り?』
『……ああ、戦闘の邪魔にはならないだろうし、あいつの金の髪には緑が合うと思った』
『ん、ならいいと思うわ。彼女も気にしていたみたいだけど、何より貴方が選んだというのが大事よね』
『……そういうものなのか?』
『そういうものよ』

 代金を支払い、箱に収められた装飾品を受け取る。
 大分値段の張る代物だったが、どうせ私個人の資金から出したのだ。
 後々大変にはなるだろうが、その分依頼を熟せば問題ないだろう。

『ありがとう……』

 嬉しそうにアイドスが呟く。
 それが何だか照れ臭くて、私は何も言わずにセリカの後を追った。





 エクリアたちが見つけた宿は一階が酒場になっているのは同じだが、パラダの街より幾分小奇麗な外観だった。
 他国の要人が訪れる、そんな土地柄というのも影響しているのだろう。
 リウイやイリーナはもちろん、最近友好関係にあるスリージの姫なども訪れることがあると聞いている。
 宿泊することはないが、外聞を気にして見栄えだけでもという考えがあったのだと思う。

「いらっしゃい! お食事ですか?」
「いや、それより部屋は空いているか?」
「生憎一部屋しか……」

 流石に港町ともなると都合よくはいかないか。
 一部屋では聊か窮屈だが、無理を言ってもどうにもならない。
 仕方なしに了承の意を伝えたが、まあそう長くいるつもりもないので大丈夫だろう。

「ええっと、男性お一人に女性が――」
「男二人に女二人だ」
「なら全部で四人、と。え? 男二人?」

 相変わらず間違えられ易いやつだ。
 そんなに男に見えないのだろうか?
 
「……俺の事だ」
「す、すいません、男の方だったんですね」

 宿に入ってから応対をしていた給士の女が、不思議なものでも見たような顔でセリカを見つめる。
 しばらく固まったままだったが、はっとしたように、

「え、えっと、じゃあこちらへ。それから、この宿帳に名前をお願いします」
「分かった。それから……」

 食事についてはどうするか、心話で尋ねる。
 私とセリカは別に取らなくても問題ないが、エクリアたちはそうはいかない。
 返事はなかったが、少し頬を赤らめた二人の様子をみると……

「食事の方も頼む」
「畏まりました。ではまず、部屋の方からご案内しますね」

 多少戸惑った様子ながら仕事を熟す様は、堂に入っている。
 年若いまだ少女といっていい外見だが、おそらく親の手伝いをして覚えたのだろう。

「お父さん、一階の方はお願いね」
「分かった分かった。お客様に失礼のないようにな」

 トントンと、軽快な足取りで階段を上っていく。
 私とセリカたちはその後に続いた。





 荷物を部屋に置き、鍵を占めて一階に降りようとする。
 だが、部屋の前でどういうわけかエクリアが立ち止まっていた。
 自分でも自身の行動に戸惑っているのか、困惑した様子だ。

「そ、その、お待ちしていた方が宜しいかと思いまして」
「そうか、悪いな」
「……いえ」

 素気ない受け応えだが、使徒として自分なりに務めようとしているのが感じられた。
 従者を侍らせたことはあっても、その逆の経験などないだろうに。
 しかしここで無理をする必要はないと言っても、エクリアは首を縦には振らないか。

「セリカたちは下か?」
「はい。先にお食事を召し上がられています」
「分かった。私たちも行こう」
「承知致しました」

 ……やはり気になる。
 姫将軍としてのエクリアや、妙に私に突っ掛る彼女を知っているからだと思う。
 何れ気にならなくなるとは思うが、こう慇懃な態度を取られるとどうも調子が狂う。
 まあ、慣れるしかないか。

 階下に降りると、セリカがセリーヌと共に食事を取っていた。
 常と変らぬ無表情だが、セリーヌが言葉を発する度、幾分表情が柔らかくなっている気がする。
 あの男を本当に笑わせることができるのは、この世界にたった一人しかいない。
 しかしセリーヌと旅をするようになってから、ああいう光景が増えたように思う。
 それだけ心を許しているということだろうが、喜ばしいことだ。
 これで後は、セリカの半身がいれば言うことはないのだが……

「……そこまで世界は優しくない、か」

 思わずそう呟いてしまう。
 ……そもそも現神の支配するこの世界が、古神に優しいわけがなかった。

 そんなことを思いながらエクリアを促し、セリカの隣の席につく。
 食卓に並んでいるのはパンとスープ、それから焼き魚という質素なもの。
 まあ、レスペレントは元々格差の激しい国家だったのだから無理もない。
 尤も、一般的な民の食事などそれほど変わらないのだが。
 だから今でこそ何でもないようにしているが、当初はエクリアとセリーヌは物足りなさそうにしていた。
 二人とも王宮暮らしをしていただけあって、食事の質の変化に困惑していたように思う。

「もう、こういう食事には慣れたか?」
「はい。……それに、本当に私は何も知らなかったと思わされました」
「そうね。でも王や貴族には負うべき義務があるからこそ贅沢が許されていた……」

 スープを掬っていたスプーンの動きを止め、目を閉じるエクリア。
 思い出しているのはいったい何なのか。

「……それはそうと船の方だが、厄介な連中と関わらないようにするには、一度リオーネ王女に話を通すべきだと思う」
「セリカ……そうだな。エクリアの名前で話を通せないだろうか?」
「……どうでしょう。リオーネ王女は私を慕っていたようですが、現在は立場というものもありますし」

 雰囲気を変えようとしたのか、割って入ったセリカの言葉で沈んでいた空気が持ち直す。
 セリカの場合、ただの偶然という可能性も捨てきれないが。

 ともあれセリカの提案が重要なのは確かだ。
 厄介な連中――マーズテリアは独自の航路を持っているようだが、万一ということもあり得る。
 遭遇して騒ぎなど起こしたくはない。
 しかし私たちが王女に連絡を取ることで逆に……という可能性もある。さて……

「お困りのようね。良かったら、私が取り次いであげましょうか?」

 唐突に背後からかけられた声。
 ゆっくりと振り返り、その主を確認する。
 敵意が無かったため気にしていなかったが、どうやら声をかける機会を窺っていたらしい。

「……なぜ、お前がここにいるカーリアン」
「随分な挨拶ね」

 私の方に背を向けて、同じように食事を取っていた女剣士。
 握っていた葡萄酒のグラスを食卓に置き、顔を向けてくる。
 やや困ったような微笑を浮かべた、先の戦争の英雄がそこにいた。



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