ふわり ふわり
まるで海を漂うかのように、まるで見えざる手によって抱き上げられているかのように、ラウラの体はどことも知れぬ空間に漂っていた。
その空間は暗く、ところどころに粒のような光がともっている、まるで星空のような空間。
そこに、彼女は何をするでもなく漂っていた。
彼女の目はぼんやりとしており、目の前の擬似的な星空など目にも入っていない。
それもそうだろう。
なぜななら、今彼女が見ているのは目の前に広がる光景ではなく、己の内側なのだから。
−−−なぜだ?
声なき声で彼女は自身にそう問いかける。
−−−なぜ私は負けた?
あの時、ラウラは途中で気を失ってしまい何が起こったかはわからなかったが、確かに力がみなぎるような感覚を感じてはいた。
そう、ともすれば自分の体さえバラバラにしてしまいそうなほどの、すさまじい力が自身の体に宿っただろうと言うことを確かに感じてはいたのだ。
しかし、うっすらと戻った意識の中で見た光景は、徐々に地面に倒れていく自分と、それを見下ろす一人の男という物。
−−−あれほどの力さえあれば、負けることは無いはずだった。なのになぜ……
「なぜ」と言う思いが彼女の中で渦巻く。
確かに、確かにあの時、自分は力を手に入れたはずなのに、なぜ自分は負けたのだろうか?
うっすらと戻った意識が再び暗闇に沈んでから、彼女はこの星空のような空間で、ただただそれだけを考えていた。
「力だけあっても、意味は無いって僕は思うんだ」
ふと、ラウラだけが存在していたはずの空間に、何者加の声が響く。
その声は優しく、暖かく、ラウラに響く。
「ようはさ、力っていうのは方向性を与えてあげなきゃ完全に発揮できないものなんだよ、きっと」
ラウラの目の前に、一人の男が現れる。
それは紛れも無い、東堂あかりその人。
「君は確かに力は手に入れてたけど……その力を使って何をしたかったんだい?」
「……わからない。私は何がしたかったんだろうな」
織斑一夏を叩きのめしたかったのかもしれない。
ただ単に負けたくなかったのかもしれない。
そのどれもが正しくて、しかしラウラはそのどれもが違うと感じていた。
もっと違う、もっと大きな理由があったような気がしているのだ。
しかし、その理由はまるで霧の中にあるようにあやふやで、はっきりとした形が見えてこなかった。
「織斑一夏をこの手でねじ伏せたかったような気がする。お前に負けたくなかった気がする。でも、そのどれもが違う気もするんだ」
無意識のうちに、先ほど思ったことを口に出していた。
あかりに何をしたかったのかを言われ、しかしそれに答えられない。
自分はしっかりとした足場に立っていたと思っていたのが、その実たっていたのは不安定な足場だったとしり、何かを口に出していなければ、誰かに聞いていてもらわなければ不安だったのだ。
今この瞬間、ここにいるラウラはドイツ軍特殊部隊の隊長でもなく、ISドイツ代表候補生でもなく、ただ一人の少女、ラウラ・ボーデヴィッヒだった。
「……残念だけど、君が本当は何をしたかったのかを教えてあげることは出来ないよ。だって知らないから。知らないことは、教えられない」
でも、とあかりは一旦言葉を区切り、一呼吸置いてから続ける。
「一緒に探してあげることは出来るよ。そして、探す手助けをしてあげることも出来る」
「……探してくれるのか? 一緒に? お前に、お前達に恨まれてもおかしくない、この私の手助けを?」
「ああ。君がそれを望むならね」
そう言って、あかりはその手を差し出す。
迷い無く、まっすぐにラウラに向かって。
ラウラはその手をとろうとして、しかし直前で躊躇してしまう。
「何故だ、何故お前はそこまで私のために……?」
「……なんでだろうね? 自分でも良く分からないよ。人生の後輩を導いてあげたいって偉そうな思いがあるのかもしれない……でも、そうだな……泣いてる子、特に女の子はほっとけないからかな?」
「泣いて……?」
ふと気づく。
頬につめたい筋が流れていることに。
ラウラは、泣いていた。
「誰かが泣いてる姿って、僕は嫌いなんだ。どうせなら笑顔でいてくれたほうがいいよ。……胡散臭い笑みは勘弁願いたいけどね」
そういうと、あかりは自らラウラに近づき、その手を握る。
「あっ……!」
「だから大丈夫。さぁ、行こう」
−−−ここにいたって、答えは見つからないよ。
その言葉とともに、世界が光に包まれる。
その光は強く、やがてラウラの視界も、姿も飲み込んでいく。
しかし、ラウラはそれを怖いとは思わなかった。
むしろ、暖かさを感じ、その光に身をゆだねていた。
(……暖かい)
それは優しく、暖かい光。
まるで彼のような、やさしい『あかり』だった。
※ ※ ※
目が覚めると、白い天井がラウラの目に入り、薬品の匂いが鼻に入り込んできた。
自身がベッドに寝ており、周りがカーテンで覆われていることを確認すると、ラウラはベッドからのそりと這い出て、カーテンを開けた。
そこには……
「……で? なにか申し開きはあるか? この馬鹿兄弟子よ」
「い、いひゃいいひゃい! いひゃいよひふゆ! (い、痛い痛い! 痛いよ千冬!)」
「……なんだ、これは」
保健室で、千冬があかりの頬をこれでもかというほど引っ張っているという光景に出くわした。
あまりに予想外すぎる光景に、ラウラの思考が停止する。
そんなラウラの存在に気づかないまま、千冬はあかりの頬をつまむ指にさらに力を加えた。
「あるわけがないだろうな。いくら皆を守るためとはいえ、左腕を盾にしたのはお前だ。そしてそのせいであわや左腕が使えなくなるかもしれない状態になったのもお前だ。それで皆に心配をかけさせたのもお前だ。異論は?」
「な、なひでふ(な、ないです)」
「そうだろうそうだろう。そういうわけだ。すぐに楽になれると思うなよ?」
千冬は笑顔を浮かべていた。
しかし、その目は笑っておらず、しっかりとあかりを睨みつけている。
元より笑顔とは相手を威嚇する際に口角がつりあがるというところから来ている物だということは言われているが、それが良く分かる図である。
ラウラはしばらく思考停止から復帰すると、目に飛び込んできた、今まで見た事がないほど恐ろしい千冬の表情に怯えながらも、千冬に声をかけた。
「あ、あの、教官、それ以上人間の皮膚は伸びないと思うのですが……」
「む? ボーデヴィッヒか。目を覚ましたならそこで待っていろ。後でお前にも説教だ……逃げるなよ?」
「や、jawohl!」
表情そのままにラウラに向き直った千冬は、その表情をよりすさまじい物にしながらラウラにそう言い放つ。
その表情たるや、一夏が見ていたら「ま、魔王が降臨召されたぞ!!」といい、その傍に鈴音がいたら「世界の終わりだわ!!」などと合いの手をいれ、恐らく二人とも出席簿の一撃を食らうであろう、そんな表情だった。
思わず軍隊式に返事をし、気をつけ状態になるのも無理はなかった。
このときの事を、ラウラはこう語る。
「一ミリ……いや、十分の一ミリ動いただけでも殺されそうだった……」と。
「ふむ。まぁこの馬鹿兄弟子への折か……説教はこの程度にしておこうか」
「千冬、今絶対折檻って言いかけたよね? 説教って言い直したよね?」
「黙ってろ、ラウラと話が出来ん……さて、ボーデヴィッヒ。状況は分かっているか?」
「試合中、何かがあったことは分かります。ですが、何があったのかは……」
「ふむ、記憶がないか。まぁあの時点で意識はなかったと推測されるからな、ならば説明してやろう。VTシステムは知っているな?」
千冬の言葉に、ラウラは頷きながら千冬の言葉に続ける。
「過去のモンド・グロッソで各部門で優秀な成績をおさめた選手、ヴァルキリーの動きを再現しようと作られた、だからVTシステム。しかし、身体能力が動きについていけていない人間にもその動きを強要するため、怪我人が続出。非人道的なプログラムと言うことで研究開発は禁止されている……これであっているでしょうか」
「ああ。それがお前のシュヴァルツェア・レーゲンに搭載されていた。それもヴァルキリーではなく私の動きをプログラミングした物だ……お前はVTシステムの存在を知っていたのか?」
「いいえ。信じてもらえないとは思いますが……それが搭載されていたなどとは知りませんでした」
「だろうな。その様子では、望んでつけたものとは思えん。ともかくそれが作動した。おそらくISのダメージレベルが一定以上になった際に作動するようにプログラミングされていたのだろう」
千冬はラウラにそう声をかけるが、しかしラウラはそれは違うと感じていた。
確かに、確かにそうプログラミングされていたのかもしれない。
しかし、自分はそれを完全に作動させずにいることも出来たはずだ。
あの時聞こえた声。
あの声を拒否していたら、こうはならなかったのでは無いのだろうか。
自分が、それに答えてしまったから……
「……私が、望んだからです」
「む?」
「私が望んだから、VTシステムは完全に作動してしまった。力を、誰にも負けない力を望んだから……」
口に出来たのはそこまでだった。
ラウラは俯いてしまう。
情けない。あまりにも情けなさ過ぎる。
軍人である自分が、知らなかったとはいえそのような危険な代物を使ってしまったなどと。
「私は……私はいったい何をしているんでしょうか。この学園にやってきて、結局私は教官に迷惑をかけている……何たる間抜けでしょうか」
「ボーデヴィッヒ……?」
「私が来てからやったことといえばなんですか? 織斑一夏に手を出し、英国と中国の代表候補に手を出し、あまつさえ禁止されているプログラムを暴走させた!? 違う! 私はそんなことがしたくてここに来たんじゃない!!」
「ボーデヴィッヒ、落ち着け!」
「教官! 私は、私はこんなことがしたかったのではないんです! でも、でも……! 何がしたかったのか思い出せないんです! 来る前は、したかったことがあったはずなのに!!」
織斑一夏を痛めつけるためではなく。
代表候補に自身の力を知らしめるためでもなく。
もっと別にやりたいことが、学園に来る前のラウラにはあったはずなのだ。
それが、まだ思い出せない。
「確かにあったんです! 織斑一夏を羨むよりも、誰かに力を見せ付けるよりも、もっと大事な……!?」
そこまで言って、ラウラはふと言葉を止める。
今、自分は何と言った?
織斑一夏を『羨む』?
何故、自分が織斑一夏を羨むなど……
「……あ」
何も考えも、しがらみもなく、自分の心の叫びをそのまま吐き出した言葉。
その言葉をきっかけに、ラウラはそれを思い出した。
そう、それは取るに足らない、しかし、自分にとっては何より大事だった『やりたかったこと』
「私……私は……っ」
そうやって再び俯くラウラに、今まで黙っていたあかりが口を開いた。
「君は……一夏が羨ましかったんだね? 千冬にいつも目をかけられている一夏が……羨ましかったんだね」
「そうだ……私は……っ」
思い出した。
自分がやりたかったことを、完全に。
私は、ラウラ・ボーデヴィッヒは……
「私は、ただ見て欲しかった……あなたの教えによりここまで育った、私を……」
そっけない態度でもいい。
ただ一言が欲しかったのだ。
あの日、自分にISについて教えていた千冬が、課題をこなすたびにラウラに言っていた、あの言葉を。
−−−よくやったな。
−−−立派になったじゃないか。
胸を張りたかったのだ。
あなたの教えで、自分はここまで強くなった、立派になったのだ、と声高らかに宣言したかったのだ。
しかし、千冬は一夏をいつも気にかけていた。
一夏がいればそれとなく見守るのは当然。
その場に一夏がいなくても彼を心配していた。
当然だろう。
彼は世界で最初の男性IS操縦者であり、何より彼女の弟なのだから。
それがラウラは気に食わなかったのだ。
あの日、千冬がドイツ軍を去るときも、千冬が話したことは弟の事と兄弟子の事だった。
そんなことは当然無いのだが、ラウラは、それは自分を見てくれていないと捉えてしまったのだ。
それでも、ラウラはその時点では割り切っていたのだ。
織斑一夏は織斑千冬の弟なのだし、兄弟子は自分よりもずっと長く彼女の傍にいたのだから、と。
しかしIS学園にきて、一夏を見たとき、自らの立場を理解していない彼の暢気さを見てしまったとき、ついにラウラは……
なんてことは無い。
つまり今までの自分は、どうしようもない子供だったということだ。
ドイツ軍人だ何だといえ、一皮向けばこのザマか。
ラウラがそう自嘲めいた考えを浮かべたとき、ふと、何かに包まれるような感覚が生まれた。
「……きょう……かん?」
それは、千冬がラウラを抱きしめたために生まれた物だ。
千冬のいきなりの行動に、ラウラは軽く混乱する。
何故教官はいきなり自分を抱きしめているのだろうか、と。
「そうか……やはり私のせいだったか」
「な、なにを……」
「薄々感づいてはいた。お前がこうなってしまったのは私のせいだと。お前の私を見る目は、他の奴等と違ったからな」
千冬は、ラウラの言葉を聞いて後頭部をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。
まさかそんな事を考えていたとは思っていなかったのだ。
彼女が知っているラウラは、軍人であるラウラだけだ。
故に、そんなごく普通の子供が思うようなことを思っているはずがないと思っていたのだ……先ほどまでは。
ラウラの心から出た叫び。それを聞いて、千冬は自身の認識が大間違いであることにようやく気づいたのだ。
「なのに、そんな事があるはずが無い。そう思い込んで……今回の件は、私にも責任がある」
「そんなっ、今回は全て私の責任です! 教官が負う責任などどこにもありません!!」
「いいや、お前の教官だった者として、負うべき責任はある」
教え子の事を正しく見てやれなかった責任。
そのせいでこの一件を起こしてしまった責任。
千冬はその責任は自分にあると考えている。
「そうだな、だが責任云々言う前に、お前にいうべき言葉があったな」
そういうと、千冬はラウラを胸から離し、まっすぐラウラの目を見て口を開いた。
「強く……なったな。お前を教えた身として、鼻が高いよ」
ラウラは、その言葉が何を意味しているか、最初認識できていなかった。
しかし、しばらくの後、その言葉の意味を理解すると、戸惑い、視線を右往左往させ、そして最後に自分をまっすぐ見つめる千冬の目を見て……
「教官……きょうかんっ!!」
大きな声を上げて泣いた。
部屋の中にはまだあかりがいたが、そのことさえも忘れ、ラウラは大声で泣いた。
「私は、わたしはっ! 教官がいなくなっても、ずっと、ずっとがんばりました!! 教官に恥じぬよう、がんばりました!!」
「あぁ、そうだな。そうだよな……!」
ラウラは堰を切ったように言葉を放つ。
そして千冬は、その全てをしっかりと受け止めていた。
「……よかったね、ラウラ・ボーデヴィッヒ」
あかりはそう呟くと、二人に気づかれないようにこっそりと保健室を後にした。
部屋を出る直前、少しだけ二人のほうへ振り向きながら思う。
もう、二人は大丈夫だろう。と。
そのまま保健室を出たあかりは、その足で食堂に向かう。
自分を心配してるであろう彼らに、自分が無事だと伝えなければならないから。
その時、ふと左腕に痛みが走った。
とっさに左腕を押さえ、しかしあかりは笑みを浮かべる。
あの二人がああなる為に負ったこの傷の痛みも、彼にとっては勲章のようなものだから。
あとがき
ラウラだって、ほめてもらいたいときもある。
軍人である前に、彼女は女の子だから。
というわけで数ヶ月ぶりのシルフェニアへの投稿。
皆様、覚えていらっしゃるでしょうか? クラッチペダルです。
最終更新日が去年の9月……半年も間が開いてしまいました。
今回は……はい、自分の妄想です。
きっとこうだろうなぁと思ったことを文章にしてみました。
結果、ラウラと千冬が誰てめぇ状態に……
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m