2月のとある一日、ブリタニア本国
「アーニャ、突然こんなところに呼び出すなんてどうしたんだよ。まぁ俺も今日は休日だし特に予定は入ってなかったからいいんだけどさ」
久しぶりの休暇である一日の始まりに、自らと同じくナイトオブラウンズの一員であるアーニャ・アームストレイムに呼び出された俺は、初めて女の子の部屋にお邪魔させてもらっていた。
今俺はアーニャの部屋にあるテーブルにアーニャと向かい合うように座っており、眼前のアーニャは無愛想な表情を浮かべている。だが実際はアーニャは表情を表に出すのが苦手なだけであることは長い付き合いで分かっている。
「ジノ、今日は何月何日?」
唐突にアーニャに尋ねられ、俺は慌てて日付を確認する。しかし、今日は特に何か大事な用事があるわけでもなく、誰かの誕生日や記念日という記憶もない。
「何日って今日は2月……13日だろ。それがどうしたんだよ」
そういう俺の前に、アーニャはすっと情報端末を滑らせる。そこには俺たちの親友であるレイス・リンテンドが現在派遣されているエリア11に関する風習について書かれたホームページが開かれていた。
「エリア11では2月14日に男性にチョコレートを贈るというのが一般的、だから私もレイにチョコレートを贈りたい」
そういうアーニャの視線の先には何処からか仕入れてきたのだろう、大量のチョコレートの山と調理器具が用意されている。
「確かに14日はバレンタインデーで恋人や親しい人に贈り物を送るっていうのが一般的だけど、へぇ〜エリア11ではチョコを贈るのが一般的なのか」
バレンタインデーに贈り物を送るという風習はエリア11だけにとどまらず、世界中に広まっている有名な祭日である。俺も小さなころからこの日には母から色々なものを頂いた。それ以外にもいろんな人から贈り物をもらっていた。その中には様々なお菓子を送ってくれた人もいたが、エリア11ではチョコレートという風に決まっているのか。
「今日は珍しく私とジノの休日が重なった。そこでジノにはチョコレート作りの手伝いをしてもらう」
そういうと、アーニャは俺に緑色のエプロンを差し出してくる。もう片方の手にはピンク色のエプロンが、それはアーニャが身につけるエプロンなのだろう。
「お菓子をもらったことや食べることは何度もあるけど、自分で作るっていうのは今まで経験したことがないな。よし! 二人で挑戦してみるか!」
本当ならレイにも参加してもらいたいところだが、レイは今遠く離れたエリアにいる。ならせめて俺たちがこれから作り上げるチョコレートを食べてもらおう。
俺とアーニャは席から立ち上がると用意されている調理器具の前に意気揚々と立ち向かっていった。……が、俺もアーニャもお菓子作りは全く経験のない素人だったので、すぐに席に戻り、まずは簡単なチョコレートの作り方を調べ始めるのだった。
2月14日、エリア11
今日はバレンタインデー、旧日本国領であるここエリア11では、ブリタニア本国の属領になって以来失われていった数々の風習の中でも、姿かたちを変えることなく残り続けている風習というものがある。その一つがこのバレンタインデーというものだ。
旧日本では女性が好きな男性にチョコレートを贈るという風習が一般的であったが、その風習は姿を変えることなく残っており、バレンタインデー前日までは多くの商店でバレンタインデーのためのセールが開かれていて、エリア11に居を構えるブリタニア人女性もこのエリアの風習に従い、こぞってチョコレートを買い求めていた。
ナイトオブラウンズの一員である俺も女性から憧れの対象として見られているのか、政庁で働いている女性の数名からチョコレートを手渡されていた。ただし頂くのは気持ちだけにしておく。ブリタニア軍でナイトオブラウンズという最高位についている俺の命を狙う人間も多い。チョコレートを食べて毒殺されました、なんて言うのはブリタニア軍史上最低の死に方になるだろう。万が一という可能性がある以上、確実に信用できる人間から以外の贈り物は杭にすることはできない。なのでこれらを口にする機会は失われるが、チョコレートをもらった感謝の気持ちだけは忘れないでいよう。
「リンテンド卿……またですか」
俺の副官であるヴィレッタが俺の前に現れるが、俺の手に抱えられたチョコレートに目を向けると、呆れた顔を向けられる。
「渡されても食べないのですから断ればいいでしょう」
ヴィレッタの言うことももっともだが、せっかく気持ちを込めて贈ったチョコレートを受け取らずにつき返すというのは心苦しい。
「女性から贈り物というのは嬉しいものがあってね。どうも断りにくいんだよ」
苦笑いを浮かべる俺に、ヴィレッタは大きくため息をつくと手に抱えていた書類を俺に渡してくる。
「これが報告書になります。目を通しておいてください。それでは私はKMFの訓練がありますので」
そういうとヴィレッタは踵を返して歩いていこうとする。
「ヴィレッタ!」
背中を見せて向こうへ歩いていくヴィレッタに俺は声をかける。
「このストラップ、大事に使わせてもらうよ」
そう言って、自分の携帯につけられたストラップを見せる。これは今朝、俺の執務室の机の上に置かれていた誰かからの贈り物だ。ブリタニア本国でも有名なブランドのストラップで、正確な値段は知らないが高価なものであるというのは容易に想像できる。しかし、俺の部屋に許可なく入ることはできないし、俺が不在の際は電子ロックで鍵がかけられている。それの解除方法を知るのは限られた人間しかいない。それを知る人間から逆算すれば、個の贈り物の主が誰であるかは容易に推測がつく。
「何のことでしょうか、私にはわかりかねますが」
そう言ってとぼけた様子を見せるヴィレッタであるが、頬はわずかに紅潮している。
「じゃあ俺の勘違いか、それじゃあただの独り言だと思っておいてくれ。ありがとう」
「わ、わかりました。それでは失礼します」
俺の言葉にヴィレッタは足早に俺の元から離れていく。あの様子からやはりこの贈り物はヴィレッタからのものであるということが判明した。きっと日ごろの感謝の気持ちなんだろう。これからもありがたく使わせてもらおう。
それからも数名の女性からチョコレートを手渡され、そのたびに申し訳のない気持ちを抱くことになるのだったが、ついに一日の執務も終了の時間がやってくる。
今日は定時で上がらなければならない。それはこの後ミレイさんと食事の約束があるからである。名目上は婚約者である以上、このような特別な日にはこうやって一緒に食事を取るようにしている。
政庁の前に出ると、黒塗りの高級車が一台停車している。俺が出てくると待ち構えていたように運転席から人が出てきて、俺の方に頭を下げる。
「お待ちしておりました、リンテンド様。私はアッシュフォード家の使いの者でございます」
この男性は何度も顔を合わせている。アッシュフォード家が雇用している使用人の一人であるらしく、このようなときにはいつもこの男性が俺を迎えにやってくる。
男性が車の扉を開くと、俺はそれに従うように車内へと脚を進める。車に乗り込むとそこには俺を待っていたかのように手を振るミレイさんの姿があった。
「久しぶり、レイ」
「久しぶり、ミレイさん」
俺たちがあいさつを交わすのもそこそこに、車は目的地のレストランへと走り始める。
「最近は全然連絡をくれないから私さみしかったのよ」
笑顔で冗談を言うようにそう話すミレイに、しかし確かにここ最近は忙しさを理由に連絡を怠っていた俺は罪悪感を覚える。
「すいません。こんな男は婚約者として最低ですね」
「冗談よ、レイが忙しい身であるというのは私も理解しているし、それに今日みたいな日はちゃんと忘れずに会ってくれている。それだけで十分よ」
苦笑いを浮かべる俺に対し、ミレイさんはいたずらが成功したように舌を出して、俺の肩にもたれかかってくる。
「今はこうしてくれるだけで十分、それよりももっと別の話をしましょう」
そう言うとミレイさんは最近の出来事を面白そうに語りだした。主にミレイさんが話をして俺がその話を聞くというようになる。軍人である俺が持つ情報はどれも機密情報で外部に漏らすわけにはいかない。そして日々の多くを軍務に費やす俺をミレイさんは気遣ってくれているのだろう。
話の中では学園での出来事も出てくる。それでも彼女の口からルルーシュやナナリーに関する情報は一切口から出てこない。そんな彼女の二人への気配りとやさしさに俺は感心させられていた。
二十分ほどでレストランに到着し、俺はミレイさんを伴って予約していた席へと向かう。依然ダールトン将軍に教えられたマナーを守りながらミレイさんをエスコートし食事を楽しむ。
「これ、私からのプレゼントよ」
食事が終わり、二人で歓談を楽しんでいると、ミレイさんは俺の前にすっと綺麗に包装された長方形の箱を差し出す。断りを入れてから開けてみると、中には綺麗な十字架のついたネックレスが入っていた。
「お守り代わりに身につけてくれたらうれしいわ。私が心をこめて選んだ一品なのよ」
俺はその言葉に従うようにネックレスを身につける。
「ありがとう。きっと俺が危ないときはこのネックレスが俺を守ってくれると思う」
「そうよ、絶対守ってくれるわ!」
そう言って二人して面白そうに笑う。本当にそんな効果があるかは定かではないが、これはそういうものだと信じ込む。その作業がおかしくて思わず笑みがこぼれたのだ。
「それじゃあ俺からはこれ、ネックレスにできるようにチェーンも用意してもらったから」
俺はそう言ってミレイさんの前にシンプルな作りの指輪を差し出す。宝石などはついていなく、それほど価値のあるものでもない。指輪の内側に俺からミレイさんに贈ったことを表すR to Mという文字が彫られているだけだ。
「うれしい、はめてくれる?」
そう言ってミレイさんは俺に右手を差し出す。左手はきっと本当の相手との時に取っておくのだろう。俺はすぐに指輪を彼女の薬指にはめる。
「サイズもぴったり、よくわかったわね」
「実を言うと事前にアッシュフォードの家の方に探りを入れていたんだよ。聞いたらすぐにうれしそうに教えてくれたよ」
「そこは嘘でも「君のことならなんでも分かるんだよ」って言った方が、女心が掴めないわよ」
笑いながらそう話すミレイさんは、しかし嬉しそうに指輪をなでている。
そしてこの後も談笑を続けたが、ミレイさんは明日も学園があるというので分かれることになった。彼女は家の車で、俺はレストランに頼んで車を回してもらった。
ミレイさんは俺を送っていくと言ってくれていたが、俺を送ってからでは家に帰るのは遅くなるだろうと言ってその申し出を俺が断った。先に帰っていった彼女は申し訳なさそうだったが、最後に指輪を大事にすると言って去っていったときは、俺も贈り物をしてよかったと思った。
レストランが用意してくれた車で今俺が生活をしている宿舎へと帰ってくると、俺の携帯が突然鳴り響く。
「レイですか、私です」
電話の主はユフィだった。
「今日はどうしても渡したいものがあったんですが、お姉様が今日は一日中私のそばにくっついていて、レイにお会いする時間が作れなかったんです。明日必ずお渡ししますのでよろしければ私の部屋に訪ねてきてくださいますか?」
「わかったよ、必ず時間を作って副総督室の方に寄らせてもらうよ」
「ありがとうございます!」
俺の返事にユフィは嬉しそうに声を上げる。それからしばらくはコーネリアに対する愚痴であったりを話していたユフィだったが、電話越しにユフィを探すコーネリア殿下の声が聞こえてくると、ユフィは申し訳なさそうに挨拶をして電話を切った。
俺はコーネリア殿下の溺愛ぶりに苦笑いを浮かべながら、眠りについた。
2月15日
朝を迎え、今日も軍務のある俺は政庁にやってくる。すると俺を待っていたのは想像を絶するほどの資料の山と文官だった。
「コーネリア殿下よりリンテンド卿に早急に目を通していただきたいとのことで、今日中にこちらの資料を必ずお読みください。なお資料をすべて読み終わる前では必要以外部屋から出ることを禁ずるとのことです。最後に伝言が一つ、そう簡単にはいかんぞ、だそうです。それでは必要事項はお伝えしましたのでよろしくお願いいたします」
それだけ伝えると文官は逃げるように俺の部屋から去っていった。
これはきっと俺がユフィのところに行けないようにするための嫌がらせだろう。というか何処からその情報を手に入れたんだ。ユフィに断わりの連絡を入れようとするが、副総督室にだけなぜか連絡がつかなかった。
「ありえん」
俺はそうつぶやくことしかできなかった。
それからヴィレッタと手分けをして資料の山を読み潰していき、昼ごろに俺の部屋に一人の軍人が荷物を持ってやってきた。
「リンテンド卿、本国よりお荷物が届いておりますが」
資料の山に顔をひきつらせながらも、わずかに空いた机のスペースに小さな箱を置く。
俺はそれを開くと中にはメッセージカードと数枚の写真、そしてチョコレートが入っていた。メッセージカードの送り主を見るとジノとアーニャの名前が、そして写真には楽しそうにチョコレートを作っているのだろうジノとアーニャの姿があった。
「エリアでの仕事を早く終わらせて、今度は3人でお菓子を作ろう……か」
俺はメッセージカードに目を通しながらチョコレートを一口つまむ。ほんのりと苦みを残した俺好みの味だった。
すぐに感謝の気持ちを伝えるために本国へと通信をつなぐ。幸い、ジノとアーニャは一緒にいたようですぐに連絡がついた。
「今日チョコが届いたよ。おいしかった、ありがとう」
「はは、実は時差のことをすっかり忘れていて、急いで配達させたんだけどやっぱり間に合わなかったか」
ジノは可笑しそうに笑うが、アーニャはわずかに落ち込んだ様子だ。
「アーニャ、このエリアにはバレンタインデーとは別に変わった風習があってね。3月の14日にお返しをするっていう日があるんだ。だから今度は俺がその時に何か送るからそれを楽しみにしておいてくれ」
そう告げると、アーニャは顔をあげて嬉しそうに頷いた。
「レイ、俺の分も忘れないでくれよな!」
「ジノには適当にそこらのコンビニのお菓子を詰め合わせるよ」
「なんだよそれ!」
そう冗談を言って場を和ませる。そのおかげでアーニャも最初より機嫌が良くなったようだ。
通信が終わると俺は再び書類の山に取り掛かった。結論から言うと何とかユフィの部屋には行くことができて、ブリタニア皇室御用達の高級店のチョコレートを受け取った。
後日コーネリア殿下に盛大な舌打ちを受けたことだけを追記しておく。
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