一つの戦いが終わる
そして新たな戦いが始まる
だがその戦いに自分は参加出来るか分からない
その戦いは今まで経験した事のない戦場だからだ
僕たちの独立戦争 第百二十話
著 EFF
ナデシコを取り巻く状況は切迫していた。
後方のシャクヤクの砲撃のおかげで退路を確保する事ができたが、包囲網は縮まっている。
周囲の戦艦もその数は着実に減少し、残骸となった戦艦も見受けられる。
そんな状況下でもナデシコはコウイチロウの指揮の下に戦闘を継続している。
主砲のグラビティーブラストの連射速度は落ちたが、副砲のレールガンには問題はない。
近付く無人戦艦に対してナデシコはミサイルとレールガンによる波状攻撃でディストーションフィールドを減衰させて撃沈していた。
「主砲のチャージはまだか?」
「現在80%です!」
「よし! 広域放射で無人機の掃討を行なう……ってぇ―――!」
コウイチロウの指示にナデシコはその黒い火閃の鉄槌を以って無人機を押し潰す。
正面から襲い掛かる無数のバッタやジョロに辟易する。
個々のフィールドはグラビティーブラストの敵ではないが、数を持って傘のように展開して防壁と為す。
傘の防壁に守られた無人戦艦は自身の防壁を強化して耐え切って突入してくる。
「ミサイル、レールガン撃てぇ―――!」
コウイチロウの命令に砲撃手が即座に砲撃を開始して減衰した防壁の戦艦を撃沈するが、主砲のように一気に撃沈は出来ない。
一隻一隻を着実に撃沈しているがナデシコ一隻に対して相手は無数の戦艦。
周囲の味方艦もナデシコの砲撃に合わせて攻撃はしているが……赤い機体を中心とした機動兵器によって数を減らされている。
防空を担うはずのエステバリス隊の損耗が徐々に響き出している。
「……赤い死神だな」
ヨシサダの感想にコウイチロウは頷いて赤い悪魔を呼ばれる機体――夜天光――に目を向ける。
一騎当千という諺があるが、まさにその言葉通りの存在だった。
たった一機の機体が敵陣営の士気を高揚させて強さの底上げし、対する自分の方はその強さに恐れを感じている。
「対艦フレームの部隊はよく持ち堪えている。
あのようなパイロットがいるとは正直……想定していなかった」
「仕方ないぞ、ヨッちゃん。
あれは完全な規格外の存在だ。おそらく向こうの最大の切り札だろう」
戦場に死を撒き散らし、魂を狩り取る死神のようにその機体の前に立ち塞がる自軍の機体は撃墜されている。
「不味いな……このままでは数の優位さも向こうに傾く……コウちゃん」
「潮時か……撤退の状況は?」
コウイチロウの問いに索敵を担当していたオペレーターが即座に返答する。
「はっ! 現在我が方の撤退は約八割程です。
そしてナデシコが最後尾になっています」
その報告と正面のスクリーンに投影される情報を見ながらコウイチロウは決断する。
「徐々に後退して味方艦が安全圏に避難を完了したら最大戦速で撤退する。
それまでは現状を維持し、この場にて支えてみせる。
周囲の艦とエステバリス隊にあと少し踏ん張ってくれと通達せよ」
撤退の指示を出し、今一度の時間を稼げと告げる。
連合宇宙軍の完全な敗北ではあるが、右翼のナデシコ艦隊のおかげで全滅という事態だけは避けられそうであった。
「……いいですよ、クロノ」
アクアは困った人というか、しょうがない人と言うような顔になる。
クロノが戦いたがっているのを肌で感じる。うずうずしているというか……血が騒いでいるのかもしれない。
もう一度、怒り、憎悪、狂気をこの場で晴らさせて吹っ切るきっかけになればとアクアは考える。
「ライトニングナイトを用意していますから、ナデシコを落とす為のフォローを」
万が一の為にファントムにライトニングナイトを搭載して正解だった。
エクスでも大丈夫だと思うが、防御力、攻撃力では遥かに上の機体だから……大丈夫だと信じたい。
「……すまない。俺はやっぱりバカなんだろうな」
我侭だと理解しているが止められない感情の昂ぶりに苦笑いして、クロノはブリッジから出て行く。
「私も、クロノも……バカばっかかしら?」
自分ならクロノを止める事が出来るとアクアは自惚れではなく……確かな絆という気持ちで理解している。
本当は止めたいのだが、クロノが持つ闇を知るだけに……その闇を晴らさせたい。
自分だけではなく、家族の皆がその闇――心の傷――を徐々に癒しているが、完全に晴らすには戦う事で満足させる必要もあるとイネスは言う。
根っこの部分が元機動兵器乗りだから、提督という立場で地球連合軍に勝ってもどこか満足できないと心理カウンセラーとしても立場からイネスは分析してい
る。
この機会を逃せば、心の傷を癒すのに時間は掛かる筈だから……自身の不安――クロノを失うかもしれない――に耐えなければならない。
クロノの為なのだとアクアは必死に自分に言い聞かせていた。
ブリッジから格納庫に移動してライトニングナイトに乗り込む。
「また不安にさせたな」
自分の我侭の所為でアクアを不安にさせているとクロノは自覚しているが……この感情を抑えきれない。
なりを潜めていた黒い感情が徐々に吹き出し始めている。
ウエムラとゲイルの通信を聞いてから、自身が経験した同胞の死を脳裡に浮かべてしまった。
木連と結託した統合軍、そして後手に回り続けていた連合軍の不甲斐なさに対する怒り。
生き残った火星人の保護をしなかった地球連合に対する恨み。
それ以上に……なにも救えなかった自分自身に対する自己嫌悪を超える自己憎悪。
かなり薄れているそれらの感情をここで決着をつけ、家族との未来を築く一歩を踏み出すとクロノは決意する。
「……アクア」
『クロノ……気を付けて』
不安な気持ちを押し隠して微笑むアクアにクロノはぎこちなく微笑んで告げる。
「ケリをつける……家族と未来を手にする為に」
『いってらっしゃい』
「ああ、クロノ・ユーリ。ライトニングナイト出るぞ!」
クロノの気合の入った声にライトニングナイトの相転移エンジンが唸りを上げて咆哮する。
ジャンプゲートが輝く中に飛び込んでいくライトニングナイト。
かつて黒の王子と呼ばれた男が戦場に突入する。
……今一度、自分の心の闇に向き合う為に。
右翼ナデシコ艦隊の兵士達はこのまま無事に撤退できると確信していた。
赤い死神――夜天光――の参戦に一時は騒然となったが、ギリギリのところで旗艦を守る事が出来たと思っていた。
……その機体が出現するまでは。
艦隊の直上方向から攻撃を開始した大型の機体は木連の大型機動兵器よりも強力なグラビティーブラストを放ち、突入する。
エステバリス隊が即座に反応して迎撃に移ったが……歯が立たない。
大型機だから機動性は落ちると誰もが考えていたがエステバリスより機敏に動き、装備されたディストーションブレードで次々とエステバリスと戦艦を切り裂
く。
……ギリギリでバランスを取っていた筈の天秤が大きく傾きだしたと兵士達はおぼろげながら理解した。
「ぬぅ……できる」
夜天光の操縦席で北辰は一目でその機体の操縦者の技量に感心する。
『こちら火星宇宙軍、木連に支援する』
全周波で戦場にいる全ての兵士に聞こえるように告げると……その研ぎ澄まされた刃を解き放った。
機体の大きさは自分の操縦する夜天光の二倍以上、動きは自分と同じか、それ以上で標的を戦艦に定めて次々と沈めて行く。
IFSを使用している以上は自身の技量を操縦技術として機体に映し出すものと北辰は考えている。
その点を踏まえて見ると現れた機体の操縦者は白兵戦で自分と同程度の技量を持つと判断する。
「惜しいものだ……これほどの男が敵ではなく味方とは」
頼りになる味方というのも悪くはないが、強敵として存在すれば……自身を更に高みに押し上げる可能性もある。
「そこな操縦者聞こえるか?」
その機体の側に近付き通信を入れる。
『……聞こえるぞ』
「ナデシコを落としたい……協力を要請する」
側に付かせて相手の技量を自身の目で見てみたいという感情と重要任務を合わせる。
『良いだろう』
「感謝する。我が名は北辰」
『クロノ・ユーリだ……では行くか?』
「承知した」
『露払いは俺がしよう』
「かたじけない」
相手の技量をすぐ側で見る事ができる事に北辰は感情の昂ぶりを抑える事が出来ずに笑みが零れる。
木連最強の戦士と火星最強の戦士が手を組んだ瞬間であり……連合宇宙軍にとって現実の中にありながら悪夢が生まれた瞬間でもあった。
火星宇宙軍の機体が一機出現した……ただそれだけの事だと連合宇宙軍の兵士達は思っていた。
だが、現実は彼らの想像を上回る事態へと移行する。
エステバリスより二回り以上大きな機体は只の的にしか過ぎないと誰もが安易に考えていた。
木連の大型兵器の様に支援する機体が無い以上、楽勝だとエステバリス隊は判断して攻撃を開始した。
しかし、現実は最悪の結果に終わる。
単機でありながら俊敏、そして桁外れの対艦攻撃。
誰が戦艦を輪切りにするような兵器があると想像していただろうか……。
しかもその機体は自分達を苦しめていた……赤い機体と手を組んだ。
連合宇宙軍の兵士達の心に恐怖、絶望が宿った瞬間だった。
クロノ自身は北辰との事は決着が付いたものと割り切っていた。
機動兵器戦とはいえ、自分の手で倒したという結果に満足しているし……この世界での人物は知らない人物、または同じ顔の別人と思うようにしている。
あの世界で草壁の行った行為は赦せないが、全ての元凶は地球側にあったのだと自分なりに判断していた。
百年前の過ちを正す事もできずに隠蔽し、火星を見殺しにしたのは地球側。
草壁達、木連は事前にきちんと手順を踏んで宣戦布告して、戦争に突入した。
臭い物に蓋をしたのは……地球だったのだ。
今のクロノにはそれが真実であり、自分達の同胞がいる火星を守るのが最優先の課題だ。
地球に対して手加減する理由は存在していない。
遠慮なく、黒い王子と呼ばれた真価を見せる事を躊躇う理由はなかった。
徐々に封印していた闇が目覚めようとしていた。
我の目の前で戦う機体の操縦者に恐れを抱く。
この男が放つ殺気を感じた時、我以上に深い闇を抱えていると気付いた。
修羅である我の感覚が告げる。
この男は紛れもなく……自分以上の修羅となった事があると勘が告げる。
効率良く人を殺す事に慣れ、動きに無駄がない。
「惜しいよな……これほどの男と戦う機会がないというものは」
強くなったと実感していた。自分は木連では頂点に立った事で何処かで自惚れていたのかもしれない。
自身の甘さをはっきりと自覚する……井の中の蛙になった気分になる。
世界は広く、お前より上の存在は幾らでもいるのだと見せつけられた。
「クロノ殿、時間があれば手合わせを願おう」
『……いいだろう。いずれ月に行くからな、その時になら』
「承知した」
『その代わりと言ってはなんだが……ナデシコのエンジンを破壊する方向で頼む。
あの艦には昔の知り合いがいるんでな。
お前さんなら出来るだろう? それだけの力量があると見たが』
「買いかぶられても困るがやってみよう」
どうしようもなく笑みが浮かんでしまう。
この男との戦いに心が躍る。どれ程の技量を見せてくれるのか……思いは其処に馳せてしまう。
ナデシコを落とすのは容易になった礼という訳ではないが、ナデシコを落とす協力の駄賃代わりにして見せると北辰は思った。
ナデシコの防空網は完全に崩壊へと進んでいると連合宇宙軍の兵士達は理解していた。
周囲の戦艦は火星宇宙軍の機体によって次々と撃沈し、無人戦艦への圧力は徐々に減少している。
機動兵器部隊も木連の機動兵器の徐々に押され始めている。
「……限界だな」
ナデシコのブリッジでコウイチロウは戦況の流れを確実に把握していた。
「コウちゃん」
ヨシサダが険しい顔で決断を促す。
「周囲の艦に告げる。これよりナデシコは相転移機関を暴走させて、自動操縦で敵陣に突入させて自沈させる!」
ブリッジのクルーはコウイチロウの決断に従い、ナデシコの航行システムと自動防衛システムの調整を変更する。
「提督、ナデシコの相転移エンジンの安全装置を解除しました」
オペレーターの報告を聞いてコウイチロウは告げる。
「ブリッジを切り離し……戦場を離脱する」
内心忸怩たる思いもあるが、これが最善の手段だと思う事にする。
連合政府の一部が行った身勝手な行為が全ての元凶にある以上、非は地球側にある。
戦力的に勝てる可能性は低いのに戦うなど、コウイチロウにとっては無意味だと感じられる。
自身の保身の為に将兵の命を使い捨てにしているのだ。
この決戦自体がコウイチロウにとって……何も得る事のない戦いだった。
切り離したブリッジは周囲の味方艦の護衛の下で全速力で撤退している。
ナデシコは赤い機動兵器によって……火球と化して撃沈していった。
シャクヤクのブリッジからクルーはかつて自分達が乗艦していた船が炎上する光景を見つめていた。
「……負けたわね。
まあ、分かりきっていた事だけど……ナデシコクルーは無事かしら?」
通信士のメグミにムネタケは問う。
「えっと……無事です。クルー全員の避難は完了していたみたいです」
「そう」
スクリーンに映し出される映像はナデシコの撃沈を以って戦闘の終結と決められていたように木連艦隊が後退して行く。
その姿は整然として勝利に浮かれている様子を感じ取る事は出来なかった。
「メグミちゃん、周囲を警戒しつつ後退するってみんなに伝えて」
ユリカが一息吐いてからメグミに告げると周囲を航行している連合宇宙軍の残存艦も徐々に後退する。
その姿は紛れもなく……敗者の姿だった。
三千を超える大艦隊だったが、終わってみれば実に八割を超える艦艇が撃沈され、右翼ナデシコ艦隊だけが辛うじて艦隊として機能しているだけだった。
特に左翼と中央の艦隊は壊滅状態で両艦隊の残存艦の総数は百隻にも満たない。
「アキト……お父様の敵に回っていた」
ユリカの呟きを聞いたブリッジクルーは暗い表情になっていたが、
「あれはテンカワ・アキトじゃないわよ。
彼は火星人クロノ・ユーリであって私達が知るテンカワ・アキトではないわ」
このムネタケの意見に何とも言えない顔になっていた。
頭では理解しているが、感情が追い着いてこなくて……別人だと割り切れない様子だった。
さくらづきの艦橋で高木は仁王立ちの状態で大作の報告を聞いていた。
「ナデシコの撃沈を確認、よって我々の勝利だと判断します」
「……後は政治による解決になれば良いな。
人的被害は最少に済ませた心算だが……いや、止めておこう。
今の自分に出来る最善の方法を選択したんだ……後悔はない」
今更作戦の是非を論じても仕方がない。今回の作戦の結果から次に活かす手腕を得る方が大事だと高木は考える。
「月へ……還りますか?
次がない事を祈りながら」
「ああ、それが一番だな」
高木は強張っていた顔を軽く叩いて解して、笑みを浮かべる。
「月へ還るぞ! 俺達の勝利だ!!」
高木の勝利宣言を聞いて艦橋の乗組員もようやく笑みを浮かべて艦隊に指示を伝える。
犠牲を出しながらも木連と火星の共同戦線による艦隊決戦は勝利に終わった。
右翼分艦隊旗艦しんげつの艦橋で三原と上松は複雑な思いで一杯だった。
一応ナデシコの撃沈を成し遂げたが、自分達の手で任務を完遂した訳ではない。
増援として本隊から来てくれた北辰殿と火星の機動兵器のおかげという結果だった。
しかも地球側の新型艦のおかげで完勝という結果にはならなかった事も不機嫌な表情の一因であった。
「ま、勝ちは勝ちという事にしておくか?」
「……そうだな」
三原の意見に上松も納得したような顔になって答える。
まだ戦いが終わった訳ではないと二人は理解しているので気持ちを切り替えようとしていた。
「さて、周辺の警戒をしつつL3コロニーへ帰還する。
この決戦は俺達の勝利だ!」
三原の声に乗組員達は笑みを浮かべて艦隊に三原の勝利宣言を通達する。
その内容を聞いた将兵はようやく緊張を解きほぐして一息を吐いていた。
火星宇宙軍もまた周辺宙域の警戒を怠る事なく艦隊を退かせ始めていた。
「後は政府の話し合い次第だな。
尤も地球側の政変が終わるまでは警戒態勢の維持は当たり前だが」
旗艦ランサーのブリッジでゲイルが今後の展開をクルーに話していた。
クルーはとりあえず和平への条件の一つをクリヤーした事に安堵しながら、地球側の対応の行方を気にしていた。
現政権はこれで終わりだと思うが、往生際の悪い連中だけに不安もある。
今回は勝てたが、今後も勝てるとは限らない。
何故なら、火星の戦力を見せたので次の戦いには今回の戦闘を元に戦力を整えてくる可能性が十分にある。
楽観視出来るだけの要素は無くなったのだ。
「全てを見せた訳でもないが……次は楽に勝たせてはもらえんだろうな。
まあ、負けない為の算段は考えているから心配する必要もないが。
要は正面から戦う前に戦力を奪うようにすれば良いだけだ。
幸いにも火星にはそれが出来るだけの手段がある」
ゲイルの考えにクルーは得心がいったかのようにホッとした顔になっている。
ボソンジャンプ――自分達にはこの古代火星人に押し付けられた力があるのだ。
不本意な事だが、そう易々とは負ける事はないと気付いた。
「さて、ワタライ。部隊の損害はどうだ?」
「小破したエクスが数機ありますがパイロットの軽傷で済んでます。
無人艦隊には若干の損害はありますが、当初予定していた損害より少ない事が判明しました」
今回の艦隊決戦にエクスストライカーは艦隊の防空しか使用していない。
連合宇宙軍、左翼艦隊はナデシコ級を含む艦隊の艦砲射撃によって壊滅させた。
ボソン砲を含むボソンジャンプ関連の兵器は殆んど見せていない。
NS弾を使用する際の転送だけに留めておいたし、クロノもその点を理解しているのでボソンジャンプを読ませないように索敵範囲外からのジャンプで済ませて
いた。
「バリスタは十分使えそうだ。
地球側も同じような物を造るだろうから、レーザーによる対空迎撃システムは復活させても問題はないか」
「そうですね。ミサイル迎撃にレーザー砲台はあると便利です」
ワタライも迎撃システムの変更に関しては文句を言わない。
エステバリスのようなフィールドを展開する機動兵器には対応出来ないがミサイルには十分通用する。
次の艦隊戦には必要になると思うので上申書を作成しても問題はないとゲイルは考えていた。
「さて、L5に帰還するぞ。
当面は地球との睨み合いと月の木連軍との交流だ。
どういう形で終わるかはまだ読めんが……備えは必要だからな」
ゲイルの言葉を聞いたクルーは艦隊に通達してゆっくりと臨時の橋頭堡であるL5コロニーへと帰ろうとする。
勝利に浮かれるのは無事に帰還してからだとクルーは考えていた。
「さて俺も艦に戻るか」
クロノもナデシコの撃沈を確認してライトニングナイトをファントムに帰還させようとしていた。
「その前に一つやっておく事があったな」
一応約束した以上は話をしておく必要があったと思い、通信を繋げていた。
「約束は守ろう……いずれ月で会おう」
『承知した。その時を楽しみにしている』
かつて殺し合った男――北辰――に一言告げるとクロノはライトニングナイトからライトニングホークへと変形して離脱した。
それを見ていた木連の操縦者達は乗ってみたいという気持ちにさせられていた者が多かった事は言うまでもなかった。
一応、現実の戦争を経験しているが、ゲキガンガーのような機体に対する憧れはあったみたいだ。
クロノは所定の位置で待機していたファントムに無事帰還した。
『お帰りなさい、クロノ』
「ああ、ただいま」
『満足しましたか?』
何処となく不安な表情で尋ねるアクアにクロノは、
「満足したよ。訓練は続けるけど……機動兵器乗りとしては引退する。
これ以上……心配させたくないからな」
穏やかに微笑んで答えた。
会話を聞いていた一部のクルーは少し寂しい気もしたが、さすがに提督がちょこちょこ戦場に出られるのも困るので納得した。
『……バカ』
困った人というような表情でアクアが返事をするが、言葉にはどこか嬉しさを含んでいた。
「ブリッジに戻ったらファントムを離脱させる。
この戦いは俺達の勝ちだ。後はエド達に任せよう」
『ええ』
周囲を警戒しながら待機していたファントムも戦場を離脱する。
こうして月攻防戦の幕が下り、次の戦いの場は政治の場所へと移行する。
火星と木連の合同艦隊によって勝利したという報告が第一報として火星に流れた。
「……良かった。ジュールさんが無事で」
ジュールは無事だとアクアから連絡が入って、ホッと胸を撫で下ろすルリ。
周囲のスタッフも火星宇宙軍の勝利を聞いて肩の荷が降りたかのように安心していた。
火星への帰還はまだ先の話になるが一先ず安堵できるのはありがたかった。
パンと手を叩く音が聞こえて、全員の目がその音が鳴った方向に向かう。
「さあ、仕事を再開しますわよ。
火星宇宙軍の皆さんは私達の期待に応えてくれました。
今度は私達が応える番ですわ」
カグヤが笑みを浮かべて告げるとスタッフ全員が自分達の仕事に目を向けて作業を再開する。
ユートピアコロニーの再建という戦後を見つめた大事な職務を自分達は任されている。
これからが本番なのだとスタッフの意識が向かっていた。
火星コロニー連合政府はいよいよ自分達の出番が来る事をヒシヒシと感じていた。
今までは裏から手を回していたが、この戦いの勝利で地球側の政変が始まると考えている。
主導権は軍から政府に変わり、自分達が未来を築き上げると自覚していた。
「エド、いよいよわしらの出番じゃな」
「ええ、これからが私達の真価が問われる事になります」
二人が言うように自分達の戦いが始まると議員達も真剣な顔つきで今後の推移を予測し、意見交換を始めている。
「まずは地球連合政府の政変を見守りながら木連との国交の樹立という所が第一幕じゃな」
「ええ、移民を含む国同士の交流を活性化を始める所からですね。
では、始めましょうか……完全なる平和とは行きませんがそれなりに安定した世界を作る為に」
エドワードの少し皮肉が混じった言葉に苦笑しながらも議員達も懸案事項の意見調整を開始する。
束の間の平和を永く維持出来るかは自分達の手に懸かっている。
時に厳しい意見が出ながらも会議は続いて行った。
月攻防戦は地球側の敗戦という結果に終わった。
地球側の敗戦の第一報を聞いたクリムゾン本社ではロバートを中心に本格的な和平工作の準備を計画していた。
そして、ロバートはピースランド国王との電話による会談を始めていた。
地球側で火星コロニー連合政府との接点がある国は表向きそう多くはない。
軍部では欧州軍、オセアニア軍、アフリカ軍が交流があり、後は地球を代表する四大企業くらいだった。
『予定通り、我が国が仲立ちする形になりそうですな』
「はい、ご苦労をお掛けします」
ピースランドとて幾つかのリスクを抱える事になるのでロバートとしても心苦しい点がある。
しかし、地球側で窓口になりそうな国は限られている。
地球全域で無人機による戦闘行為があったので、どの国も大なり小なりの被害が出ている。
中立国のスイス辺りなら対応も出来るが……欧州で被害に遭った国だけに色々と不満もあるかもしれない。
ピースランドは木連の攻撃目標としては重要視されていなかったので比較的被害は大きくなかった。
他国に比べるとまだ平和な状態を維持していた国だったのだ。
大きな被害に遭った国にすれば、ピースランドの仲立ちはあまり好意的に受け入れられないかもしれない。
経済を押さえている国だけに表立って動く真似はしないかもしれないが裏から嫌がらせをする国も出るかもしれない。
ロバートが懸念する点はテロ事件が起きないかの一点だった。
テロ事件が発生して、国民から仲裁から手を退くべきだとの声が出る事が怖い。
仲裁する国がなければ、再び戦火が吹き荒れる可能性があるのだ。
「今現在は戦争継続を望む国はないと思われますが……まだ予断を許しません。
今後の見通しはまだ不透明な部分もあります」
『確かにその点は注意する必要がありますな。
ですが、北米の住民感情は沈静化して厭戦感情も表に出てきてますし……一先ずは停戦へと進むでしょう。
軍に関しても問題の人物が死亡した事で少しは落ち着くと思いますが』
ドーソンの死亡は二人とも火星からの連絡で聞いている。
軍からの情報はまだ入っていないが確定だろうと判断していた。
『北米一国が戦争継続を訴えても他が賛成しなければ孤立するだけです。
政府が何を言おうとマーベリックが孤立を許す事はないと考えますが?』
「確かにその点は大丈夫でしょう。
今の会長は先を読むことの出来る人物でした」
『やはりネックは極東アジアかもしれませんな。
ネルガル……あの会社がどう動くかが今後の出来事を左右する』
「そうかもしれませんな」
この後、二人は幾つかの懸案事項を相談して会話を終える。
国王陛下はネルガルに対して少し声に険があるとロバートは思うし、その理由も知っている。
長女ルリの一件が響いているのは間違いないと考える。
利発で聡明な少女であり、王妃が殊のほか気に掛けている。
贔屓目に見なくても一国の王女として十分な力量を持っているのは間違いない。
おそらくマシンチャイルドでなければ、手元に置いて一緒に暮らしたいと考えているはずなのだ。
実際に国内事情を聞く限り「ルリを女王に」という声が臣下の中にも出ていたが、ネルガルの違法な遺伝子改造によって……その道は絶たれている。
遺伝子操作された王女というのは対外的に良い印象がないし、ナノマシンに抵抗がある他国の市民が好意的に見る事はないだろう。
それさえなければ……その方向で進む可能性が極めて高かったので、ピースランド国内でのネルガルの評判は最悪だった。
内心ではネルガルとの関係は断ち切りたいが……金融関係という点で切る訳にも行かない。
あれでもピースランドに利益を齎している以上は迂闊に切る事も出来ない。
ルリ自身が嫌悪していれば、話は変わっているが本人自身はどうでも良いらしい。
状況から考えると出生出来なかった可能性もあったので結果オーライという事で割り切ったらしいとアクアが話していた。
女王なんて柄じゃないとも話しているのでルリが王位を継承する事はないからロバート自身はホッとしている。
ロバートの目から見ても大器である可能性はかなり高いし、アクアが教師役で帝王学を教授している。
もう一人の孫であるジュールの事を気に入っているので上手くまとまれば良いと考えていた。
殺伐な世界だけに孫を支えてくれると助かるとロバートは思っていたのだ。
密かに心配していたアクアの問題もクロノとの出会いによって安心できるようになっていた。
アクア自身は望んではいなかったが正直に言えば……才幹はあった。
本人は嫌々ながらに学んでいたが、元教師役のレイチェルが言うには「何年か先に私の最大の敵になるかも」と最大の賛辞していた。
優しい性格故に非情に徹する事が出来なかったのでその真価を見せた事がなかった。
しかし、クロノとの出会いによって自分の手で未来を作るという意思を持ち行動している。
まだ甘い部分はあるが割り切れる事も出来るようになり、結果をきちんと出している。
社交界では悪名が鳴り響いているが、クリムゾン本社内ではアクアの出した結果を高く評価されていた。
ネルガルの軍需の独占を阻止し、クリムゾンの巻き返しの急先鋒というのが今のアクアの評価だった。
またピースランド国王の夫妻の娘の教育係兼火星での保護者という役割もとても重要視されている。
それはアクアがとても強力な外交カードを一枚……個人的に持った事に繋がる。
もしの話だがルリが王位を継承した場合、ピースランドとクリムゾンの関係が蜜月になる事を約束された物かもしれないのだ。
実際にはその話は立ち消えになるかも知れないが、ルリとジュールが婚姻すれば結果的にそう変わらない。
地球圏の金融を一手に押さえているピースランド王家と縁戚になる事は悪い事ではないのだ。
尤も火星コロニー連合政府との実務レベルでのコネはシャロンの方が上かもしれない。
シャロンは火星コロニー連合政府の一員として独立国家火星の基礎を作り上げるのに協力している。
特に経済面に関しては誰よりも貢献しているので、火星にすれば必要な人材として重宝されていた。
人身御供という訳ではないが、クリムゾンが火星に打ち込んだ楔であり……火星との関係を良好にしている一因でもある。
木連との関係も良好であり、クロノから教えてもらった前史とは違うが犯罪に加担する事もなく付き合える関係に移行できそうである。
まだ完全にこの戦争の行方が見えないが……最悪の事態には発展しない方向に向かっているとロバートは思う。
望むものはそう多くはない。
孫達が仲良く幸せに暮らせてくれると良い……というごくありふれた願いだった。
もう半年もすれば、曾孫の顔を見る事が出来る。
写真を見せて……シオンを羨ましがらせようと少々意地の悪い事を企んでいたロバートであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
EFFです。
ここから少し政治の話が出る事になりそうです。
地球側の混乱を書きながら戦争の終結をまとめようかと考えています。
クロノの月訪問も本編で書く予定です。
それでは次回でお会いしましょう。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m
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