自分なりに決断して歩き出す
途惑い、悩み、迷いながらも歩く
自身の意志で決めた先にこそ道が見える
人に判断を委ねれば……後悔する
迷う時こそ、人は自分の理想を目指すべきだ
僕たちの独立戦争 第百三十一話
著 EFF
会長室の窓から外を眺めていたアカツキ・ナガレは、
「結局……悪い事をすれば、碌な事にならないのかな?」
隣で書類の決裁に付き合っているエリナ・キンジョウ・ウォンに聞いてみる事にした。
「…………プラスマイナスゼロ。一概にどうとは言えませんが?」
エリナはエリナで思うところがあるのか、少し間を空けてから問い返していた。
「長期的に見ると……良くないね」
「確かにそうですね。火星には相当嫌われているみたいですわ」
半年前の木連との停戦、国交の樹立から始まった地球では蜥蜴戦争などと言われていた戦争の終結。
連合議会による火星の独立承認、そして国交の正常化などの事件はメディアの過熱報道が落ち着きをようやく見せている。
各企業間でも火星への進出は始まっていたが、実のところネルガルは三社に出し抜かれた形になっていた。
コロニーサツキミドリの返還は無事に済んでいるので、火星に進出しても大丈夫かなと判断したが……甘かった。
三社は既に火星での支社運営を即座に可能な状態にまで持って行っているのに対して、ネルガルは一から再建の状態。
更にナデシコ降下事件による地元からの風当たりはキツイものがあり、現地雇用はままならない状況だった。
「雇用条件は悪くないんですが……後暗いところがありますから」
エリナ自身も裏側の事情を知っているだけに火星の住民がまだネルガルを信用していない点を鑑みて強気にはなれない。
「ま、爪弾きされていないだけ、まだマシか」
ネルガルの進出を拒否する事も可能だったが、火星はその策を採用しなかった。
しかし、状況はあまり良くないのも事実だ。
クリムゾン、アスカ、マーベリックの三社は既に火星の社会に馴染み始めている。
復興支援事業にも参入し、火星の地場産業とも協力体制を確立して新たに開発中のコロニーの建設にも係わっている。
ネルガルが出遅れたという点を挽回するには時間が掛かると判断している。
しかし、マーベリックのシェアの一部を奪い、戦時特需で儲けた分を吐き出すのは不本意だ。
多国籍企業から惑星間企業への移り変わりも視野に含んだ企業の在り方を考えると火星、木星への進出は必須だった。
「産業レベルも地球と同じくらいになっているわね」
「同レベルの製品を作れるまで……いや、医療関係では上かな?」
アカツキの意地の悪い質問にエリナは答えない。
ナノマシン治療という分野に関しては火星との差は歴然とし、ナノマシン工学でも大きく引き離されている事実がある。
体内にナノマシンを入れるという治療方法は地球では忌避される事が多いので医療に関しては受け入れ難いものがあった。
そんな点を考慮すれば、医療関係ではそう大きな問題にならないかもしれないとエリナは考えている。
ただ他の分野での差が開くのだけはちょっと困るが。
「輸送コストを考えれば、火星で作った製品と地球に材料を持ち込んで一から作る製品だから同じような物かい?」
輸送コストのおかげでちょっと火星産の製品のほうが割高だが、
「IFSインターフェイスを外した製品なら値段的には五分くらいにはなりますけど」
「そのくらいしか差はないって事だね」
「ええ、ですから火星が地球に向けての輸出製品がIFSを外したものならいい勝負になります」
「……やれやれ、と言ったところだね」
アカツキ達は知らない……火星がブラックボックス――古代火星人の遺産――の恩恵を受けている事を。
約五年に亘る歳月というものは馬鹿に出来ないし、一部を除いて断絶された環境で独自の進化を見せる事はよくある話だ。
医療、軍事を優先に解析された技術も民間に転用され始めているし、解析自体も更に踏み込んだ形になっている。
また木連との国交の樹立によって、百年掛けて古代火星人の技術を人類用にカスタマイズされた木連独自の技術も火星に入り始めていた。
人類とは違う発想から基く、異なる科学というものは科学者にとって大きな刺激にもなる。
得られた物をアレンジ、コラボレートする事で新たな物を生み出す事を積み重ねる先に独自の進歩が見えてくる。
爆発的な発展へと繋げる為に五年間の断絶は意味があったのかもしれない。
「ボソンジャンプの研究機関は?」
「火星の政府が民間企業を交えて設立しているわ。ウチの参入も認められているのよね」
「独占主義のネルガルとは違うって言う……嫌味?」
アカツキの質問は当然かなとエリナは思っている。
先代の会長がボソンジャンプを独占する為にした行為と、アカツキが画策した行為を知られているだけに参入は無理かと判断していた。
しかし、火星は地球側の企業の参入を認めているし、木連からの参加も受け入れている。
火星政府に申請すれば、ナノマシン処理によるB級ジャンパーへの身体調整も行われている。
ボソンジャンプを安全に行う為には、ジャンプに適応した身体を得るか、高出力のディストーションフィールドが必要なのは既に各メディアを通じて報告されて
いる。
テラフォーミングに使用したナノマシンが変質、そこに住んでいた者達の遺伝子をジャンプに適応できるように変貌させた。
ジャンプナビゲートを可能にするA級ジャンパーに得るには火星で妊娠、出産する事が一番安全な手段と言われている。
胎児の状態から自然に変質させる方法以外は今のところ確立されていないらしい。
火星からの報告を鵜呑みにすればの話だが……アクア・クリムゾン以外の元地球人のジャンパーがいない点からも一概に否定できない。
アクア・クリムゾンのやり方は偶然の産物で人体実験を繰り返せば確立出来るかもしれないが……火星はそんなやり方を認めていないし、世論も許さないだろ
う。
テンカワファイル――故人であるボソンジャンプ研究の草分けとも言えるテンカワ夫妻の名を冠して作成された未来予測レポート。
ボソンジャンプの独占を考えた連中が行いかねない非合法の人体実験の可能性を否定できるほどの根拠がない。
「テンカワファイルか……実際に起きた事件の記録だなんて誰も知らないけど、現実(リアル)なんだよね」
「あれはちょっと……」
アカツキの独り言を聞いたエリナが読み終えた時の事を思い出して、翳りを含んだ嫌そうな顔で言葉を濁していた。
人の心を洗脳して生きたインターフェイスとして船に組み込んでボソンジャンプを自由に行う方法は受け入れられない。
インターフェイスが壊れれば、次の部品に取り替える……人を部品扱いするやり方はエリナも表情を曇らせている。
「親父ならやりかねないだろうけど……僕はしたくないね」
「そ、そうね」
いつものアカツキではなく、本気で嫌悪感を見せて寒気が感じられる低い声にエリナは冷たい汗を流している。
普段のおちゃらけた雰囲気ではなく、怜悧な刃物のような鋭さを感じさせられたのだ。
「まあ、しばらくは火星との関係は冷め切るけど……時間を掛けて修復するしかない。
一応、ジャンパーを確保している事だし」
「ミスマル艦長が残留してくれました。色々複雑な立場な様子ですが」
「提督が本流から外れたしね。ウチとしては本流とのラインもあるからあまり変わらないよ」
コウイチロウの降格左遷は残念な事だが、軍とのラインが途切れたわけではない。
「賄賂を請求しない御仁ですから、ウチとしては良い製品を出せば買ってくれそうです」
「頭の硬い人達は戦死したからね。こっちも評判を少々落としたのは痛いけど」
「結局シャクヤクだけが無事でした」
「ナデシコ、カキツバタは撃沈されたし、コスモスは試運転を終えた所を奪われて木連行き。
まあ資料は取り終えた後だけど、勿体無い話だよ」
「損はしていませんが……ネルガルの戦艦は落ち易いのではないかと言われるの癪ですね」
「酷いよね。一番危ない所にいたというのに」
最前線で戦った結果を忘れてもらっては困るとアカツキが憤慨気味に話す。
エリナにも苛立つ理由が分かっている。
アカツキのデスクの上に置いてあるマーベリックの新型艦の諸元表が軍から来たのが原因だ。
対ミサイル防御システムは明らかにカキツバタの撃沈を材料にして採用されたと二人は思っていた。
役に立たないと思って、外したレーザー迎撃システムを向こうは採用してきたのが腹立たしい。
一応、シャクヤクを軍に売った時に改修したシステムと同じ様なものを使われた所為で二番煎じの扱いを受けている。
「向こうも奪われたシェアを取り戻そうと必死ね」
「そう簡単に返す気はないよ」
「ウチも苦労しているけど、向こうも苦労しているわね」
北米と南米の捩れを知っているだけにエリナもアカツキも複雑な表情でいる。
「来年辺り……気を付けないと」
「不況なんて起こさないで欲しかったわ。あの司令官も死ぬ前に呪いでも掛けてくれたのかしら?」
北米と南米の対立は世界経済に暗い影を落とし始めている。
「マーベリックと一部の企業を残して、北米企業はガタガタになるかもしれない」
「散々搾取してきたから恨みもあるんでしょうね」
「僕達もそうならないように気を付けよう」
連合政府の体力に余裕があるので、世界恐慌になるほどの事態には発展しないとアカツキは予測している。
しかし、当分は政情不安もあるとも考えている。
地球も内側に不安を抱えているので、火星、木連だけに目を向けるわけにも行かない。
内乱はあっても、戦争は起きないというか起こせないとアカツキは判断している。
「昔の月みたいな内政干渉は出来ないだろうな」
「そんな余裕があれば良いけど……今戦争しても勝てるの?」
「難しいだろうね」
苦笑して、平和が一番と嘯くしかないアカツキだった。
「言っておきますけど……コレ、早く片してね」
目の前に詰まれた書類にエリナがジト目で睨みつける。
エリナと話す事で現実逃避しようとしていたアカツキだが……失敗した様子だ。
色々不安を抱えているようだが、概ね地球は平和な様子だった。
ミスマル・ユリカは軍に復帰しなかった。
プロスが提示した就職先を聞いたアオイ・ジュンの勧めもあってネルガル系列の民間船の艦長に就任していた。
「た・い・く・つ〜〜た〜い〜く〜つ〜」
「……船に乗るというものは勤務時間外の退屈を如何に過ごすか、これが重要なのです」
地球−火星間の旅客船の艦長として、ミスマル・ユリカは今日も仕事に励んでいる?
ブリッジのクルーはいつものブーたれに、ヤレヤレという表情で苦笑している。
だらけた様子で艦長席に座っているが、一応仕事は真面目にこなしているので文句は言えない。
ただ気合いが抜けるのは頂けないが……四六時中緊張するのも疲れるのでもう少しだけシャンとして欲しいが。
こんな姿を見る限り、目の前の女性が先の艦隊戦で連合宇宙軍の壊滅をギリギリの処で防いだ人物の一人とはとても思えない。
しかし、緊急時の手際の良さはそれを裏付けるだけの力量があった。
クルーに対してもフランクに接しているので威厳はあまりないが、信頼はされている。
「……困った人ですね」
艦長の補佐役の副長が出来た人物なので……彼の負担は増えているが。
(本社の意向もある。私の役目は子守という事ですか)
本社が次の時代に使われるであろうと考えているボソンジャンプのキーマンであるA級ジャンパーの一人が目の前にいる。
彼の隠された役割の一つにミスマル・ユリカの確保という仕事が含まれている。
『くれぐれも丁重に扱って下さい』と本社から言われた以上……拒否出来ない。
(その分、給料は上がっているが……割に合わんな)
子供っぽい部分がまだ残っているユリカを一人前の船乗りにするというのは非常に厳しいものがある。
艦を預かる者としても資質は十分にあると思うが、開花するのは何時になるやら。
彼の苦労はまだ始まったばかりであった。
シャクヤクのクルーはネルガルに残る者と、ネルガルから離れていく者に分かれていた。
条件が折り合わずに降りるというクルーは意外に少なく、自分なりに新しい生き方を模索しようとする者が殆んどだった。
ハルカ・ミナトもその中の一人だった。
シャクヤククルーの中で一番の資格所持者の彼女は持っていた資格の一つである教師の職に就いていた。
シャクヤクに乗艦してから、クルーの相談役に徹していた所為か……教師という職業を彼女は選択したみたいだった。
「ミナト先生〜聞いてよ!」
彼女の教え子の一人で、木連から来た白鳥雪菜が担任を任されているミナトに声を掛ける。
「またお兄さんと喧嘩したの?」
木連駐留武官として地球に滞在中の兄、白鳥九十九とよく喧嘩する雪菜にミナトは苦笑しながら聞き役に徹する。
生真面目な兄に要領いい妹が、兄の不器用さに苛立っては喧嘩するパターンが絶えないらしい。
微笑ましい兄妹の喧嘩話を聞くのはミナトは嫌いじゃないし、時々雪菜から木連の日常生活を聞かせてもらうので二人の仲は良好だった。
「そうなんですよ! うちの兄貴ってば、仕事が忙しいって言って何処にも連れてってくれないんです!
そのくせ、私が友達と遊びに行くって話すと門限を勝手に決めるし!」
憤慨するように雪菜がミナトに愚痴を零している。
クラスメイトとは入学当初はぎこちない点もあったが、今では馴染んでいた。
ミナトも担任として雪菜が他の生徒からイジメを受けないか心配していたが、その心配も杞憂に終わったので安心していた。
「門限が五時なんですよ!」
「困ったお兄さんね〜。せめて七時くらいにすれば良いのに」
妹が心配な兄なんだろうな、とミナトは思っているが少々過保護にも思える。
ちょっと気が強くて、一言多い性格の雪菜がトラブルに巻き込まれないように心配しているのは分かるが、今時門限が五時では話にならないとミナトは思ってい
る。
遊びたい盛りの少女だし、たまの休日に遠出したいというのも理解出来る。
木連という閉塞気味の環境で暮らしていただけに、今の環境は見る物全てが新鮮に映っているのだともミナトは考える。
意固地にダメだ、ダメだと叫んでも反発するだけなのだ。
「一度、お話しするべきかしら?」
頬に手を当てて、家庭訪問を考えるミナト。
地球と木連の生活様式の違いを話しながら、せめて門限の五時はないだろうと一言アドバイスでもするべきかと判断する。
「お願いします! ミナト先生からも、バカ兄貴に一言言って下さい」
「しょうがないわね〜。時間を作って行くことにしますか」
これで少しはマシになるかと思った雪菜は嬉しそうにミナトを見つめている。
この後、白鳥九十九とハルカ・ミナトは出会う事になる。
『うちのバカ兄貴には勿体ない人よね』と二人の結婚披露宴で自分がスピーチする事になるとは雪菜は想像していない。
木星、地球での最初のカップルとして好意的な報道で祝福される事になる二人の出会いのきっかけはこの世界でも雪菜だった。
宇宙港でリョーコ、ヒカル、イズミの三人娘は同僚であったダイゴウジ・ガイの火星行きを見送りに来ていた。
「本当に行っちゃうんだね?」
「当然だろ。ライトニングが俺を呼んでいるんだよ♪」
足が地に着いていないという様子でガイは浮かれきっている。
テストパイロットとしてネルガルで勤務していたガイだったが、その条件は火星が移民を求めた時は即座に退社させて欲しいとプロスと交渉していたのだ。
その条件に難色を示していたプロスだったが、「給料の30%ダウンでどうだ?」と言われてあっさりと手の平を返していた。
「イツキは任務で来れなくて、残念がってたよ」
「再編が始まっていたからな」
リョーコがこの場に居ないもう一人の同僚の近況を話す。
シャクヤクのメインパイロットの内、リョーコとイツキは軍に所属していた。
イツキは出向から原隊に復帰、リョーコは軍属から軍に入隊という形であった。
急いで艦隊を整えるような行為は木連、火星を刺激するのでゆっくりと再編が始まっている。
二人は教導部隊として、新米エステライダーの教育がメインの勤務を任されていたのだ。
エステバリス帰還率18%という敗戦のおかげで極東アジアの機動兵器乗りは激減した。
これを期にEOS(イージーオペレーションシステム)機の導入も考えたが、ネルガルが慌てて新型のエステバリス2を発表する事で辛うじてシェアを維持し
た。
しかしながら、IFS持ちのパイロットが増えたわけじゃない。
IFSを忌避する地球側ではなかなか人が揃うわけではなく、集まった新兵を一から育てるしかない。
すぐに戦争を始めるわけではないが、備えは必要と現場は判断している。
リョーコの移籍に関してはエースクラスのパイロットが軍に入る事になるので文句はなかった。
「ヒカルも夢を叶えて漫画の連載が始まったし、イズミは店始めてたな」
「まあね♪ 人気作家になってみせるよ〜」
「……たまには、飲みに来なさい。サービスするわ」
「おめえの寒いギャグ聞きながらじゃ酔えねえよ」
リョーコが心底嫌そうな顔で話していたが、コアなマニアからは意外と評判が良い事をこの三人は知らなかった。
「――んじゃ、行くぜ。また会おうな」
搭乗時刻が来たのでガイは三人から離れて歩き出して行く。
「元気でな!」
「まったね〜〜」
「……船、落ちない事を祈るわ」
「「「縁起でもない事いうな!!」」」
ピッタリと息の合った三人の声がイズミに向かっていた。
ガイは火星に移住し、イツキを含む四人は地球に残る。
それぞれの道行きは変わるが、戦友として生きて来た時間はかけがいのない時間として胸に残るかもしれなかった。
「ここはいつも静かな場所ですね」
叔父の墓参りに来ていたカスミ・アリマは自身の近況を語る。
「今度、火星に移住する事にしました。どうも、地球人は命の尊厳を軽視する方が多いみたいです」
静かな怒りと悲しみを込めた声で叔父の墓石の前でカスミは手の平を墓石に見せる。
「IFS……知ってましたか? これを持っているだけで改造人間なんて誹りを受けるんですよ?
地球で開発された便利な物ですけど、人体実験の果てに出来た物でもありますが……その事を誰もが忘れている。
そのくせに使っている人間だけを化け物扱い……おかしな話です」
シャクヤクオペレーターとして配属された際に、アクセス権限が増えて幾つか知る事が出来た。
同僚のグロリアは話したがらなかったが、無理を言って人体実験に関する裏話も聞かせてもらった。
あまり気分の良い話ではないがと前置きされて聞いた……本当に気持ちが悪くなるくらい、人の醜さを前面に出した話だった。
「火星に新たに創設されるボソンジャンプ研究機関に入る事にしました。
所属は内部監査及び外部監査です。どうも裏で動きそうな人達が居そうなので警告と監査、逮捕権も与えられています。
私なりに決めたんです。
誰かを犠牲にしてまで便利な力が欲しいとは思いません。時間が掛かっても犠牲を出さずに得られるのが一番だと思います」
カスミは声こそ穏やかで静かだが、これだけは譲れないという意思を込めての決意表明を亡き叔父の前で誓う。
「アリシアさんとセリアさんはネルガル火星支社に勤務するそうですので、また向こうで会う時は仲良くしたいと思います。
グロリアさんはマーベリックに行かれました。なんでも恩人が困っているのでちょっと手助けするそうです。
厳しい方でしたが、私には色々教えて下さいました」
人を裏切る悪辣な手口や人を罠に嵌める手段をグロリアから自身の身を守るために聞かされている。
汚いやり口を知る事で身を守る事も出来るだろうと忠告めいたアドバイスだった。
人の裏表というものはそう簡単に見えるものじゃないとも言われたので、気を付ける事にしている。
「理想と現実のギャップも今では理解できる時もあります。
だからこそ理想があって、希望が持てるという事も知っていますので……見守って下さい。
しばらく来れなくなりますが……叔父さんのような犠牲者は出さないように頑張ります。
また……必ず来ますね」
カスミは振り返る事なく、墓地から去って行く。
ゆっくりとした足取りだが、自分の意志で着実に一歩ずつ歩み始めていた。
「ミスマルの叔父さんが左遷されて……大変ですね」
アオイ・ジュンは軍に仕官していた。
コウイチロウの事を兵達は特に嫌っていないが、それでも責任は誰かが取らねばならない事も承知している。
主だった士官が戦死した以上、最上級の士官であるコウイチロウにその役目が来る事は自明の理であった。
「フクベ提督に比べればまだマシよ」
自身の上官に当たるムネタケ・サダアキ大佐の言い分にも一理ある事をジュンは知っている。
敗北するように仕向けられて、しかも敗北したにも拘らずに英雄扱いという針の筵を強いられた点は同情する。
敗戦続きだった戦闘を誤魔化す為という作られた英雄など間違っているし、そんな道理が罷り通る軍にも好意が持てない。
ジュンが軍に仕官した理由の一つには間違いを正す事が挙げられる。
ムネタケがそれを行おうとしているので協力する事はジュンにとってはとても重要だった。
「やる事は山ほどあるわよ。目指す先は遠いけど……踏み出さなければ始まらないわね」
「はい!」
「そうやって気合入れるのも悪くないけど、気楽にやんなさい。
長丁場の仕事ってやつは、どっしりと足場を固めてやるものなのよ」
ムネタケはさりげなく時間が掛かる仕事だと告げて、ジュンに注意を促す。
軍の改革、そして平和への道筋をきちんと作り……維持するのが二人の目的だった。
「まずは同じ志を持つ仲間探しかしら?」
「そうですね。一人で出来る事は限られていますから」
一人で出来る事、出来ない事をキチッと見定めて、同志を作って出来る事を増やす。
その先にこそ、自分達の目指す頂が見えてくる。
二人はその為の第一歩を踏み出していた。
ホウメイは自身の店を持つ事に決め、シャクヤクを降りて"日々是平安"という名の店を構えていた。
こじんまりとした小さな店だが、街の評判は上々で常連も増え始めている。
「おっ、みんなも頑張っているね」
店に備え付けてあるテレビから、ホウメイガールズと言われていた少女達の歌声が流れている。
「サユリは火星に行っちまったけど、まあ報せがないのは元気な証拠かね」
五人一緒だったホウメイガールズだったが、テラサキ・サユリの姿はなく……四人組だった。
四人はメグミ・レイナードと共にアイドルデビューを果たして、お茶の間の人気者として、歌手として活躍していた。
そしてサユリはシャクヤクを降りて、アスカインダストリーに再就職して火星支社に配属になっていた。
アスカに再就職と聞いて、プロスは顔を顰めていた。
だが、火星が提示したジャンパー条件に該当するA級ジャンパーでもなければ、生活班の一員で重要なスタッフではないので特に情報漏れもないと判断して介入
はしなかった。
まあ、へんに介入してアスカと敵対するという不安要素のほうが大きいとも判断した様子だった。
「今頃、アキトのやつと仲良くやっていると良いんだけど」
サユリが不肖の弟子みたいなテンカワ・アキトの暮らしている火星に行く事はホウメイは反対していなかった。
「命短し恋せよ乙女って言葉もあるし、惚れた腫れたというのは人生の華でもあるしね」
別れの挨拶に来た時に、テンカワ宛てに自分のレシピを渡すように手配していた。
「あたしとしては一から手解きしたかったけど」
不器用だが、誰よりも楽しそうに料理していたアキトが気に入っていた。
これからもっともっと伸びると思っていた矢先に手放してしまった。
自身の手でいっぱしの料理人にしてみたかったのが出来なかった点が少し残念な気がしてならない。
「ま、元気に美味い飯を作って客を喜ばすんだよ」
ここにはいない弟子の成長を期待する師匠の姿がそこにはあった。
日々是平安、その言葉通りに街は今日も穏やかな日常が営まれていた。
「アキトさん、さばの味噌煮込み定食お願いします♪」
「あいよっと」
再建が進み、都市化が見え始めた火星ユートピアコロニーの一画で評判の料理店のテンカワ夫妻の元気な声が今日も響く。
店の規模自体は大きくはないが、火星産の材料を巧みに扱い、美味い飯を食わせてくれる料理店として人気を集めている。
もっとも店主のテンカワアキトは男の敵としてある男性常連客から憎まれていた。
「う、羨ましいぞ、アキト! 両手に花かよっ!!」
「な、なに言ってんっスか、ウリバタケさん!?」
「サユリちゃんにカグヤちゃん……タイプの違う美人と結婚しやがって!
俺も十年遅く火星に生まれていたら……!」
嫉妬に狂うウリバタケ・セイヤの叫びが店中に木霊する。
その様子をニヤニヤと笑う常連客はこの二人の口論はお昼のイベントとして認知して見物している。
店の看板娘と評判のテンカワ・サユリに、火星再建事業に奔走中のテンカワ・カグヤの美人の奥様方と結婚したアキトはある意味――流され婚の代表とまで言わ
れ、近頃では別の意味で世間の注目を集めている。
二人の押しの強さに負けたというか、よくもまあ修羅場にならなかったものだと周囲の者は思っていた。
花嫁二人が仲良く共謀して、花婿を嵌めたというのが真相かもしれない。
アキトがどちらかのプロポーズに応えきれずに……延ばした所為ではないかとも囁かれている。
または火星の紅の魔女が裏で糸を引いたとも噂されていた。
まあ、本人達は幸せなので周囲の雑音もすぐに消えるだろう。
「今は優柔不断が時代の流れというのか?」
ウリバタケが血の涙を流しながら、アキトのモテモテぶりに嫉妬している。
「そんな事ないっスよ……これでも苦労してるんスよ」
「はん。美人の嫁さん二人も貰った時点で元は――グワッ!!」
「はいはい。ウリバタケさん、元を取ったなんて言ったら叩きますよ」
サユリは躊躇もせずに手にしたトレイで既に叩いている。表情は恥ずかしいやら、嬉しいやらという感情が出て若干赤かった。
「ウリバタケさんも変わりませんね」
「俺は何処まで行ってもマッドよ!」
マッドエンジニアと自身を標榜するウリバタケに同僚のスタッフは苦笑しているが、どこか憎めないユーモラスがあるのはアキトが知るナデシコ時代と変わって
いない。
「ま、アキトが尻に敷かれてるって、判っているから面白いんだがな」
「そりゃ、言いっこなしです」
どこか哀愁じみた空気をまとって話すアキトに、ウリバタケも自身の事は棚に上げて頷いている。
「分かる、分かるぞ、アキト! かみさんってやつは男のロマンの天敵だからな!!」
「……またおかしなもの作って怒られたんですか?」
呆れた様子でアキトが尋ねる。
ウリバタケが男のロマンと称して爆発イベントを起こすのは日常茶飯事だったから。
「バカ野郎!! 男ってやつはロマンがなければ生きていけねえんだよ!」
まったく反省せずにウリバタケは反論していたが、周囲のスタッフはなんだかんだ言っても結果を出しているのには感心している。
アスカインダストリー技術部社外顧問――これが今のウリバタケの立場だった。
現在、火星が開発した小型相転移エンジンの基礎を作ったのは未来のウリバタケだった。
それを知っていたカグヤはウリバタケをアスカインダストリー火星支社に招聘した。
未来の自分が作った物だけに、負ける訳には行かないとウリバタケの技術屋魂は燃え上がっていた為に、プロスの引き止め工作は失敗して、アスカ経由で火星に
家族共々移住した。
エステバエックスのパテントを放棄するとはっきりとウリバタケが宣言し、書類にサインした経緯もあったが。
円満退社とまでは行かなくても、一応の決着がついたのでトラブルの可能性はないだろう。
ウリバタケ本人も企業に組み込まれる形は好きではなかったので社外顧問として活動できる点も気に入っているし、軍事部門ではなく、民生品主体の形も悪くは
思っていなかった。
「なあアキト〜、カグヤちゃんに言ってくれよ〜。
俺に予算を回してくれってさ〜」
「なに言ってんスか? ウリバタケさん趣味に走り過ぎですわって、カグヤが怒ってましたよ」
「そうそう、結果は出してくれますが……遊び過ぎですわって」
「男のロマンってやつはー世間には理解されないものなのさ」
フッと黄昏ているが、ウリバタケを知るスタッフは全員目を逸らしている。
ウリバタケ教、もしくは男のロマン教は確実にアスカの内部に浸透しつつあった。
だが、この男がアスカの技術開発史に名を遺すだろうと誰もが思っているのも事実だった。
クリムゾンに並ぶ、火星の技術レベルの高さを示す企業としてのアスカの一役に貢献する男ウリバタケ・セイヤ。
後の火星史には偉大な技術者と称されるが、実際には趣味に走る男とは書かれていなかった。
ナデシコ、シャクヤククルーの主要な人物は概ね自分の新しい生き方を見つけて歩き出していた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
EFFです。
とりあえずナデシコクルーのエピローグ編でしょうか?
残りの三名? プロスとゴート、そしてグロリアは次の話って事で。
それで次回でお会いしましょう。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m
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