「誰か呼んだ?」
ふと誰かに名を呼ばれた気がしてリィンフォースは振り返るが、そこには誰も居なかった。
「……何なんだろ?」
ここ最近、こんなふうに誰かが声を掛けてきたような不思議な気持ちになる。
しかし、振り返っても後ろには誰も居ないのでリィンフォースは落ち着かなくなる。
「イイ度胸だな。この私がワザワザ付き合っているのに」
「はぅ!」
慌てて前に向き直るとそこにはこめかみに青筋を浮かべているエヴァンジェリンの姿があった。
「どうやら座学には飽きたみたいだな」
楽しげに微笑んでいるが目は笑っていないどころか、身に纏う空気は真っ黒けだった。
「……マスター、自重してください。
先日も派手に大暴れして……後処理に苦労したのをお忘れですか?」
さり気なく注意を促す茶々丸の声があったが、エヴァンジェリンが止まらないのはいつもの事だった。
この日、ベルカ騎士団の訓練場は巨大な氷柱が幾つも乱立し……氷点下の世界になってい
た。
「あーヒドイ目に遭った」
「お前が私の講義に耳を傾けんのが悪いのだ」
訓練場の一角にある大浴場で冷えた身体を温めていたリィンフォースとエヴァンジェリン。
あの場に居た見習い騎士のうちリィンフォースだけが無事に生還し、他の面子は未だに凍結していた。
現在は職員総出で救出活動中だった。
「で、何があった?」
エヴァンジェリンが不機嫌そうな表情でリィンフォースに問う。
「よく分かんない……誰かに呼ばれた気がしたんだけどね」
「幻聴ではなく……呼ばれたか?」
「そ、絶対に忘れちゃいけないような……そんな声が聞こえたの」
自分でも分からない気持ちを隠さずにエヴァンジェリンにリィンフォースは告げた。
「フン、そんなものに気を取られるようではいつまで経っても夜天を追い越せんぞ」
湯船から出ながらエヴァンジェリンが皮肉っぽい口調で話す。
「エヴァって、本当にイジメっ子だね」
「わざわざ私が貴重な時間を作って教練している以上は真面目にしていろ」
「……ごめん」
一応自分に非があるのでリィンフォースはエヴァンジェリンに謝っている。
母親同様に忙しいエヴァンジェリンがリィンフォースの為に時間を作って訓練に付き合っているの確かだ。
それを疎かにして良いわけではないのでリィンフォースは反省していた。
「……不味いな。まさか自力で破ろうとしているのか?」
一足先に風呂から上がってエヴァンジェリンが険しい表情で呟いた。
「いつかは覚めるかもしれないと思ったが……存外に聡いみたいだな」
喜ぶべきか、心配するべきか、複雑な心境で妹の勘の良さに苦笑するエヴァンジェリンの姿を借りたヤミだった。
麻帆良に降り立った夜天の騎士 六十二時間目
By EFF
「―――ちっ!」
エヴァンジェリンは舌打ちして、自分の設定の甘さを痛感していた。
決して身内びいきしたわけではないが、それでもまだリィンフォースの実力を甘く見積もっていたと実感していた。
「ステージではイイ勝負だったんだがな!」
ほんの二時間ほど前の戦闘では優位に進めていたが、今回は既に五分に近い状況になっていた。
封印という足枷はない状況だから楽に終わると考えていたが、蓋を開けてみれば……それが如何に甘いかを知らされた。
リィンフォースは時間を空けた事で自身に掛けていたリミッターを一部だけだが……解除していた。
まだ全てのリミッターが解放されたわけではないが、それでも十分に脅威を感じさせるほどの圧力がある。
「くっ! 本当に……常識を覆すヤツだな!!」
真祖の吸血鬼として六百年以上生き抜いてきたエヴァンジェリンの本能が警鐘を鳴らし続ける。
"油断するな! 気を抜けば……死
ぬぞ!"と忘れかけていた自身の死を予感させるプレッシャーが肌を粟立たせる。
肌を突き刺すように当たるリィンフォースから漏れ出す魔力は、あのサウザンドマスターが弱者のように感じさせられた。
「大魔力と高速・並列処理は衝突するんじゃなかったのか?」
魔導師の常識らしい事を口にして目の前の状況を不審そうに見つめる。
本来ならば、強力な魔法をそう容易く連続で行使するのは難しいのが魔導師の常識らしいが、リィンフォースはあっさりとその常識を打ち破って攻撃してくる。
しかも先ほどまで魔力を押さえていたリミッターはなく、紛れもなく本来の実力を発揮している。
リィンフォースにはその常識が何故か当てはまっていない点について、ユニゾンしたリインフォースに問い掛ける。
―――あの子は例外だ
「例外だと?」
―――コンフリクト(衝突)しないようにして生まれたからな
「……欠陥を解消するように生み出したな!?」
矢継ぎ早に撃ち出されてくる強力な魔法を回避しながら、エヴァンジェリンがお前の所為かと吼える。
確かに例外というものは何事にもある。しかし、今自分の前で起きるというのは不本意なのだろう。
―――すまない。だが、あの子には不便な思いをして欲しくなかったのだ
一応、エヴァンジェリンに詫びつつ、そのフォローを行うリインフォース。
リインフォース自身が意図してやったわけではなく、最初からその身に刻まれていたシステムをそのまま使用しただけ。
どうせ、自分達の手で王を生み出すのならトコトン性能を追求しようとした愚か者の所為だった。
―――あの子は人であって……人ではない
「そうなのかっ!?」
リィンフォースが放つ魔法をリインフォース自身が展開した魔法で相殺し、エヴァンジェリンがその僅かな隙を狙って魔法で攻撃するが機動力という新たな力を
得ている少女には当たらない。
足を止めての大規模魔法という砲台ではなくなったリィンフォースにエヴァンジェリンは頼もしいやら呆れるやら複雑な気分だった。
(封印が完全に解けたら……鍛え直すか?)
年長者の意地があるエヴァンジェリンはまだ生まれたての少女に負けるわけにはいかないと考える。
―――強大な魔力を持ち、その運用を効率よく行う人に近しい種の始祖だ
「……シャレにならんぞ」
ユニゾンを行う事で多少リインフォースから裏事情を得ているエヴァンジェリンが心底呆れている。
遺伝子操作という物については全くと言って良いほど知識がなくても異常さくらいは理解できた。
「つまりリィンの子供も似たような存在になるんだな?」
―――そうだ
躊躇わずに肯定するリインフォースに百年、二百年先がエライ事になるんだろうなとエヴァンジェリンは思う。
一世代限りの突然変異ではない強大な魔力を持ち、大魔法を使用する事に特化した一族の始祖が目の前に居る。
そして、その存在をを生み出した狂人達は既に滅んでいたが、負の遺産だけが目の前の少女に押し付ける形で受け継がれた。
魔法世界のお偉方にリィンフォースの存在が知られれば……何処までも付け狙う可能性が高いが、
「……もっともアイツはそんな連中を悉く始末していくんだろうな」
―――そうだな
おおよその性格を知り尽くしているエヴァンジェリンが予測する事態の推移にリインフォースもまた肯定していた。
他者を利用し、自分達の都合の良い正義ばかりを訴える存在などリィンフォースは拒絶する。
「……お前が原因だがな」
―――耳があれば、痛かったな
世界を自分達の正義で管理していた連中に母親を消滅させられた娘が同じような存在に味方する理由がない。
キレイ事を口にする分には顔を顰める程度かもしれないが、その正義を押し付けようとすれば、間違いなく敵対するだろうとエヴァンジェリンもリインフォース
も理解していた。
暗い森の中で一つの戦いの決着が付こうとしているように見えた。
返り血を大量に浴びた青き狼が身体中のあちこちから血を流しながらも立っていた。
「ハッハッハッ……」
息を乱し、ふらつきそうな身体に活を入れて目の前の死体が再び動かないかと注意して見つめていた。
今まで何度も致命傷を与えてきたのに、身体を変えて目の前に立ち塞がってきただけに油断なく周囲を警戒している。
だが、それも終わりを迎えたかのように森の中は静けさに満ちていた。
「グルゥ……」
盾の守護獣はこれでようやく主の守護に回れると判断して傷付いた身体に鞭打って走り出した。
森の中を駆けながら、開かれた場所に出た瞬間、
「ッ!?」
自身の前方の森の中から紅い光源が二つ出現すると同時に大きな棘が飛んできた。
盾の守護獣は慌てて後方に下がりながら防御の盾を展開してその大きな棘を弾いた。
「グ、グゥルルル」
真暗な森の中に何かが居る。
時折現れる紅い光源が静寂に満ちた筈の森の中を怪しく彩り飾る。
まだ姿を見せていないが盾の守護獣の生存本能が警戒を促すように警鐘を激しく鳴らす。
……容易ならざる存在がすぐ側に居ると。
僅かな月の灯りが翳た瞬間、盾の守護獣は首を空に向けた。
そこには巨大な影が徐々に大きくなり、何かが降りてくるのが視界に入った。
―――ズ、ズズズンンン!!
土煙を激しく撒き散らしながら落下してきた敵。
黒い毛に覆われ、強靭な四肢を持ち、煌々と輝く紅い目のドラゴンが土煙の中から出現する。
「いやはや……なかなかに取り込むのに時間が掛かってしまったよ」
「グッグルルゥゥ」
盾の守護獣はその声に舌打ちするような唸り声をを上げて威嚇する。
またしても自身の前に立ち塞がる存在が現れただけではなく、危険な存在として明確な姿を見せてきた。
自身が持つ記録にはない……竜種らしい巨大生物。
しかも自身のダメージ、魔力は回復しておらずに戦わねばならない。
逃げるという選択肢はなく、一歩も引けぬ戦いの最終章の幕が開いた。
盾の守護獣は知らないが、目の前に居るドラゴンは迅竜と呼ばれ、俊敏さと獰猛さで恐れらている異世界の飛竜だった。
絶望的な状況だと盾の守護獣は感じているが、それでも四肢にしっかりと力を込めて迅竜に相対する。
逃走するという選択肢はなく、ただ主を守るというプログラムかもしれないが、
「……命令された行動かもしれないが、その意思は立派ではあるな」
仮初の存在としても命を懸けて守ろうとする姿には感じ入るものがあるとゾーンダルクは思う。
「手加減する事は失礼に当たると判断し……手を抜かずに戦おう」
ゾーンダルクは威嚇の唸り声を上げる盾の守護獣を強敵と認めて相対する。
仮初の命、プログラムであろうとも主のために命を投げ打つ姿は立派だと感じ入るものがある。
そして本物の盾の守護獣と相対して……戦ってみたいという気持ちがあり、そんな気持ちにさせた目の前の存在に苦笑いする。
(こんな気持ちにさせられたのは……何年振りだったかな?)
勝ち目が無いと判断しながらも、仲間の為に少しでもダメージを与えておこうとする盾の守護獣に感心しつつもゾーンダルクは手を抜かない。
相手が負けられないように、自分もまた負けるわけには行かないし、手を抜く事自体が礼を失する行為だとも考える。
睨み合いながらもゾーンダルクは次の一撃で終わらせようと決意する。
苦痛を与え続けても、目の前の存在の心は折れる事がない。
ならば、全力で早々に倒すのがベストだと判断する。
敵であろうとも敬意を払える相手に出会えたのは本当に久しぶりだった。
放たれた矢が激しい轟音を響かせ、大地を震わせる。
キノコ雲はでなかったが、ドーム状に広がる破壊の光が大地に傷を植え付ける。
爆風が唸りを上げて木々を揺らし、大地の欠片がその樹身を削った。
―――チャキッ
烈火の将は構えていた弓を下ろし、自身が相手をしていた敵をようやく倒したかと感じていたが、
「―――鬼流禍旋斬!!」
周囲に浮かび上がっていた土煙が爆発の中心で渦を巻いて集束されながら、自身を切り裂こうとする竜巻へと変化する様を見て再度弓を放とうとしたが……間に
合わずに防御に回る。
全身を包み込むように展開された障壁が襲い掛かる風の刃を防ぐが、荒れ狂う気流の渦に防御に徹するしかない状況に晒される。
障壁を展開するのがやっとで押し潰すが如くの勢いの風圧の濁流に飲み込まれた。
暴風と吹き上げられた土砂に視界を閉ざされ、敵――ソーマ・赤――の位置をロストする。
本来の烈火の騎士ならば、アームドデバイスのレヴァンティンが敵の位置をレーダーのように追尾しているが、今所持している物はレプリカみたいな物故にその
AIは反応が鈍かった。
おそらく時間を掛ければ、烈火の将、デバイスともに本来の強さを発揮できたが……。
―――ビキィィィンッ!
甲高く澄んだ金属が砕ける音が暴風が途切れた瞬間に烈火の将の耳に入った。
暴風に動きを制限されながらもその音源に視線を向けると、
「……悪いな。だが、お前たちは十分に頑張ってくれたぜ」
砕けた双剣の片方に申し訳なさと感謝の感情を見せる剣士が新たな斬撃を放つ姿があった。
大きく足を開き大地に根を張るような力強さを見せながら、上段に構えた剣に魔力ではなく……自身の気の全てを集束させる。
先ほどのような螺旋を描く集束ではなく、ただひたすらに刀身に気を研ぎ澄ます。
「とっておきだ。遠慮なく受け取んな!!」
振り下ろされ、放たれたその斬撃は先ほどの一撃と同じ速さを持ちながら……ゆらゆらと不安定に揺れていた。
荒れ狂う暴風に身動きを封じられていた烈火の将はパンツァーガイストを更に展開して守りに入ったが、
―――ギィィィンンッ!!
「そいつぁ、俺のとっておきだぞ。防御なんぞ……役にたたねえよ」
粉々に砕ける剣の音をBGMにソーマ・赤が勝利を確信した声で告げる。
その宣言通りに放たれた斬撃は展開された守りごと……烈火の将とその空間を斬り裂いた。
斬り裂かれた空間は真っ黒な穴を開けて傷付いた烈火の将を闇の底へと誘うように引き込んでいく。
烈火の将は黒き穴に飲み込まれないように耐えようとするが、斬り裂かれた空間は元に復元しようとして烈火の将を復元を邪魔する異物として……握り潰した。
「……鬼流虚空斬。俺のとっておきの中でもとびっきりのやつだ」
復元された空間を見ながらソーマ・赤が複雑な気持ちが入った声で呟く。
ソーマ・赤にしてみれば、本来の全力ではなくとも今出せる力の限りを出し切って戦えた事には満足しつつもプログラムされた人形みたいな烈火の将ではなく、
生きた烈火の将と剣を交えて戦いたかったという気持ちも少なからずあったのだ。
「すまねえな。それでも良く頑張ってくれたぜ」
刀身が砕け、柄だけになった双剣に目を移して感謝の言葉を投げる。
ほんの僅かな時間とはいえ、自身の力を受け止め、一緒に戦ってくれた相棒が砕けただけにソーマ・赤の口から出た声にどこか寂しげな響きが混じっていた。
「さてと、姫さんの救助に向かうべきなんだが……やってくれたな」
苦々しい声で自身の状態が芳しくない事を吐露する。
相棒とも言える双剣は砕け、自身の身体もそれなりのダメージがあった。
「やっぱ万全の状態じゃない分……言っても詮無き事か」
リィンフォースによる調整を何度も受けて、それなりになってきたつもりだったが、まだ不十分なんだと痛感させられた。
身体が重いと言うか、自身が思うほどに反応がついて来ない。
「ま、今回の戦いで得た問題点を改善すれば、なんとかなるけどな」
おかしな点、改善が必要なところが判明した以上は次の調整でしっかりと見直されるだろうとソーマ・赤は思う。
「後は真祖の姐さん次第ってとこだな」
手助けがいるかと聞けば、例え窮地に居ようが絶対に要らんと言いそうなほどの誇り高い意地っ張り。
しかし、面倒だと思いつつもソーマ・赤は独りで生き抜かざるを得なかった事を鑑みれば、文句を言い難い。
「人は何処まで経っても……排斥したがる臆病者が多いからな」
闇を恐れる者は大勢居る反面、利用したがる者も少なくない。
異形の者を蔑むくせに彼らを利用して、同族を傷つけてまでのし上がろうとする野心家も存在する。
「まあ、そういうのが悪いとは言わんけどな」
持ちつ持たれつというのが魔との付き合い方ではあるが、流石に知り合いを巻き込んだ事件に発展するのは勘弁して欲しい。
「またあの小僧はウジウジ悩みまくっているんだろうな」
自分の所為と思い込んで、どんよりと暗い感情に囚われているだろうネギ・スプリングフィールドの生真面目さに呆れる。
まだ数えで十歳の子供に何が出来ると言いたいし、あれこれ悩むのも悪くはないと思うが、
(結局のところ、負の感情を抱え込みすぎて……自爆しそうだ)
生真面目さばかりが前面に出ているが、実際のところは心の深い場所に復讐の感情が根を張っているみたいに感じられる。
(自覚してねえところが更にやばい……)
無自覚っぽいところが輪を掛けて危険だと思うが周囲の大人達は真直ぐに生きている部分に騙されている。
(自爆すんのは構わねえが、姫さんを巻き込むんじゃねえぞ)
魔法使いの問題に首を突っ込む気はソーマ・赤にはなく、自分の主みたいな少女を巻き込むのはやめて欲しいと切に思う。
「まだ早いんだよ……もうしばらくは子供で居させて欲しいんだがな」
他人がどうなろうと知った事ではないが、情が移った身内が悲しむのは嫌だ。
情が深い者ほど鬼と化しやすいからこそ、ソーマ・赤はリィンフォースが幸せになる事を望んでもいる。
「そのくせ……厄介事が起きるのを期待している。
ホント、鬼というのは因果なものだぜ」
自重しなければならないと思いつつも、乱を望む自分が居る。
自己嫌悪とまでもいかないが、困ったもんだとソーマ・赤は自身の性分に苦笑いする。
「で、そっちも終わったのか?」
虚空に向けて問うソーマ・赤の声に反応して、巨大な質量を伴った大きな黒い影が舞い降りてくる。
着地の瞬間、派手な地響きを立てた黒い毛で覆われたドラゴンはソーマ・赤に紅い目を向けて返事をする。
「終わったさ……最期の最期まで主の為に抵抗したがね」
「与えられた命を最期まで全うしやがったか?」
「そんなところだ」
ゾーンダルクの何処となく敬意を払ったような気持ちを滲ませる声にソーマ・赤は納得して何度も頷いていた。
「……苦戦したのかね?」
「苦戦つーか……俺の馬鹿力に剣が持たなかったってとこだ」
刀身が砕けて、柄だけになった剣を見せて、ソーマ・赤がさっきまで相手をしていた烈火の将を褒めるような意見を呟く。
例え仮初の形であってもベルカの騎士の意地を二人に見せつけた。
敵であれば、十分な脅威であり、味方であれば、その背中を預けられるほどの意思を感じさせられる存在。
リィンフォースが誇らしげに語ったベルカの騎士に敬意を払いつつ、二人はエヴァンジェリンがカタを着けるのを信じて、手を出さずに見届けようと思った。
「やっぱ、あれだな。なりは小さいが親が娘を助けるのを邪魔すんのは野暮ってもんだろ?」
「そういう事だ」
激しい魔法がぶつかり合う音を聞きながら、エヴァンジェリンとリインフォースが幼い娘を必ず解放するのを待っていた。
「っちぃぃぃ!!」
苦々しい声を上げてエヴァンジェリンはリィンフォースの頑丈さに舌打ちする。
吹き荒れる魔力が駄々漏れにも見えるが、実際には強力な魔力障壁になっているおかげで自身の放つ魔法の威力が削り取られ……減衰していた。
意識が混濁気味のリィンフォースの隙を突くのは容易かったが、その守りを撃ち破れない。
「…………」
―――エヴァンジェリン! 来るぞ!!
リインフォースの声に合わせるように宙に浮かぶリィンフォースの足元に魔法陣が浮かび上がり、更に前面にも出現する。
「ちっ!」
エヴァンジェリンは忌々しい舌打ちを一つして、大地へ向かって急降下を行う。
自身の属性の一つである影の中に潜っての短距離転移。
影の中に潜り込むと同時にリィンフォースから放たれた複数の魔力弾が大地に着弾し……過剰なまでの爆発と衝撃を生み、地形を大きく変化させる。
フレースヴェルク――リィンフォースが得意とする広域面制圧の魔法が炸裂した瞬間だった。
「……シャレにならん威力だな」
影を使った転移で安全圏に避難出来たエヴァンジェリンだが、着弾後に生じた衝撃波が彼女の髪を激しく揺らす。
広域面制圧という文句に偽りない破壊力を生み出すベルカ式魔法に否応なく冷や汗が浮かぶ。
自身の身体を霧化や無数の蝙蝠に分裂しての回避が今は出来ないだけに焦るとまでは行かなくても……不味い方向に向かう予感をヒシヒシと感じさせられる。
「だが、この程度で勝てると思われるのもシャクではあるがな」
十分な危機感を覚えてはいるが、勝てないと感じさせるほどの崖っぷちに立っているとはエヴァンジェリンは思っていない。
久しく感じなかった命懸けの実戦に高揚する気持ちがあるのも確かだった。
「先に切り札……いや、随分使っていない錆び付きかけた技を出してやるか」
苦々しさを表に出しながらも、何処か嬉しげにも見える空気を纏うエヴァンジェリン。
「……リク・ラク・ラ・ラック・ライラック」
魔法の起動キーを呟き、咸卦法に匹敵すると言われながらもその運用方法に問題があり、使い手を選ぶ為に歴史の影に埋没していった自分が編み出した技法を再
びその手に取る。
生まれたての真祖の吸血鬼だったエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルを僅か百年たらずで最強の位置へと押し上げた恐るべき究極の技法。
「来たれ氷精、闇の精……闇を従え、吹雪け、常夜の氷雪」
エヴァンジェリンの詠唱に氷の精霊と闇の精霊が右手の掌の中に集う。
「……闇の吹雪」
掌に収まっている呪文が解放の時を待ち望むように激しさを増すが、
「……固定……掌握!」
その秘められた力を逃さないようにギチギチと音を立てて、エヴァンジェリンが締め付ける。
「魔力充填!!」
締め付けられた魔法を握りつぶような形で体内に取り込む。
エヴァンジェリンの両手に紋様が浮かび上がり、周囲の空気が急速に下がっていく。
「術式兵装……虚空氷刃」
久しぶりに現れた強敵にクツクツと楽しげに喉を震わせるエヴァンジェリン。
「さあ……狂い踊ろうか」
退屈こそが自分を死に追い立てるものと自覚し、久方ぶりに血が滾るほどの楽しい時間がやって来た。
リィンフォースを救うという大事な目的があると分かっていても心の片隅では楽しいという感情が湧き上がっていた。
「まだまだ小娘に負けるほど老いてはおらんよ」
闇の魔法――闇の福音と恐れられてきた所以の一端を見せつけてやろうと楽しげに微笑むエヴァンジェリンだった。
絡繰 茶々丸は魔法による輝きと轟音のする方向に視線を向け、主エヴァンジェリンと家族リィンフォースの身を案じていた。
「マスター…………リィンさん……」
茶々丸にとって二人はとても大切な存在であり、このように戦い合う事自体……想定外だった。
"あり得んと思う事は多々あるものだ"
エヴァンジェリンが自身の経験を踏まえて苦笑しながら漏らした言葉を思い出す。
何処か寂しげで、忘れ去ってしまいたい常々感じているらしい過去の出来事。
悪意によって簡単に崩れていくありふれた幸せな現実。
(…………ここでの生活もいずれは幕を下ろすのでしょうか?)
茶々丸にとっては今の生活自体が何もかも初めて目にして体験する事ばかりだった。
少々癇癪持ちっぽいが本質は善い人みたいな主に仕える事はとても楽しいと判断する。
時折学園長から面倒事が持ち込まれてはするが、それ自体は主の退屈な日常をほんの少し変化させるスパイスに過ぎない。
(マスターを縛り付ける呪い……)
花粉症を初めとした主の肉体の弱体化が原因の数々の諸問題。
それが発生するたびに不機嫌さを露にして苛立ちを隠さない主を見るのは不愉快な気持ちにさせられるが、その問題を解決させる事が自分には出来ない。
(魔法とはもっと便利な物だと考えていたんですが……)
自身が魔法と科学によって誕生したが故に魔法という物が優れた力だと考えていた。
しかし、主を取り巻く状況を見る限り、魔法という物も人が扱う以上は……不条理なものだと気付かされた。
(……リィンさん)
それが大きく変化し始めたのは新しい同居人――リィンフォース――が現れてから。
風変わりな同居人となり、自身の日々の生活に新たな輝きが加わった事を茶々丸は気に入っていた。
仕える事が常である主とは違い、純粋に甘えて懐いてくれて、何処か気まぐれな猫みたいなところも好きだった。
そんな彼女が魔法使いのゴタゴタに巻き込まれて、笑顔を失ったのはとても不愉快な事であった。
「良しネ。とりあえず熱暴走による機能停止は回避したヨ」
これが苛立ち、怒りなのだと茶々丸が自覚していた隣で応急処置を行っていた超の声が聞こえた。
「ではマスターの支援に「無理ネ。あくまで応急処置しただけダヨ」……」
すぐさまマスターであるエヴァンジェリンの盾となって、リィンフォースを呪いから救おうと立ち上がった茶々丸に超が制止の声を掛けてくる。
「―――ですが! 私はマスターの盾となってリィンさんを救いたいんです!!」
茶々丸は普段見せない不満がありありと篭った大声を出して立つ。
「今、役に立てずに……いつ、無茶をすれば良いというのですか?」
無理を通せば、道理が引っ込むと言う言葉のニュアンスを茶々丸が滲ませて超に告げる。
茶々丸自身も無謀、無理という気がしないわけでもなかったが、心が逸り……感情が動くべきだと告げていた。
「たった一度でも構いません……この身を盾にしてみせます!!」
自身がエヴァンジェリンの盾となって、リィンフォースを助けられればと切に思う。
「時間がないのです! もう……夜天さんが」
この戦闘を少しでも短く終わらせる事が何よりも重要だと茶々丸は感じていた。
夜天の残された時間がこの瞬間にも削られてしまっている。
「後、どれだけに時間があるか分からないのです!」
そう超に告げて、茶々丸はエヴァンジェリンとリィンフォースの元に馳せ参じようとするが、
「……無茶をするネ」
ギシリと軋む音を立てて膝を地面に着ける。
「自己診断しているクセに……知らぬフリはダメネ」
慣らし運転も完了していない新しいボディで全力戦闘のツケが表面化してきた事に超が複雑な表情を見せる。
茶々丸が人間らしい感情を見せてくれる事は嬉しい反面、無茶、無謀と言った行動を取るのは心配な気持ちになる。
「動いて! 今、動かずに!!」
茶々丸の気持ちとは裏腹にギシギシと悲鳴を上げる関節と自身の状態を告げる自己診断プログラム。
瞬動法を用いた高速移動を連続で行う事で距離を詰めて、AMFの範囲内に相手を押さえ込んでの無力化させる戦闘は想定以上に関節部とシステムに負荷を掛け
ていた。
自己診断で最も危険なのはAMF発生システムの熱暴走だった為に茶々丸は知らないフリをしたかった。
一刻も早くお二人の元へ!
この感情を優先する事が今の茶々丸の全てだった為に。
大事な主のためと家族と言ってくれた少女が悲しい思いをしないように。
「……大丈夫ネ。この別れは辛いモノだけど、上手く行けば……また逢えるヨ」
諭すように告げた超の言葉に茶々丸は唖然として動きを止めた。
「ほう……そいつはどういう事だ?」
別の方向から掛けられた声に超達が慌てて振り向くと、そこには戦闘によるダメージで多少傷を負っていたソーマ・赤と黒く柔らかそうな羽毛を持ちながら獰猛
さを隠さずに見せる巨体の飛竜が居た。
「ソーマさんに……ナンでナル○クルガ?」
若干動揺で拍子のズレた声で冷や汗を浮かべる超の姿があった。
「姫さんに貰ったんだと」
「その通りだ。この身体はなかなかに使えたよ」
「そ、そうカ(飛竜をプレゼントするとは……ナニ考えているヨ、師父)」
肩を竦めるソーマ・赤と巨体を楽しげに揺らして答えるゾーンダルクに代表して聞いた超がリィンフォースからの貰い物発言に呆れた様子で居る。
「んで、さっきの発言はどういう意味なんだ?」
視線を鋭く変えてソーマ・赤が再度問う。
「言葉通りネ。私が聞いた話では……上手く行ったらしいヨ」
「誰から聞いたんだ?」
超の返事に珍しく龍宮 真名が聞いてくる。
「ウ〜ン……ま、イイカ。百年後のエヴァンジェリンと本人からネ」
場の空気を読んで、余計な一言を漏らしたかなと思いながら超が自身の失言にため息を吐きながら答えた。
「マスターからですか?」
「そうダヨ。これ以上はまだ言えないが……ネ」
「何故ですか?」
「必要以上に情報を出して、因果を狂わすわけには行かないんだヨ」
何処か飄々とし、普段の何が起きても余裕っぽい様子を一切見せずに超が話し続ける。
「……情報を出し過ぎると因果関係が狂い、未来が変動し過ぎる可能性も否定できない点を考慮して欲しいヨ」
これ以上は触れないで欲しいと告げる超に一同は顔を見合わせて聞くべきか迷いを見せた。
「一つだけ言えるのはリィンフォース・夜天は再び母親であるナハトさんと再会できるネ」
一切の迷いなく断言する超の発言はまるで外れる事のない神託めいた響きがあった。
茶々丸はその言葉に安堵するべきか、虚偽ではありませんねと確認する声が出せなかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
EFFです。
最後の最後で超のうっかり発言が出ました。
まあ、これに関しては学園祭編への布石であります(現在構想中、まだ一行も書いてませんが)
とりあえず書く為の時間を頂戴というのが今の心境。
それ以上にストック切れが間近に迫っているので大慌て中でもあります。
それでは次回でお会いしましょう。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m
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