元親と恋、文醜と顔良が荒野の戦場で対峙している。
互いが相手に気圧されぬよう、殺気と闘気を身体中から放った。
しかし元々の実力の差からか、文醜と顔良が圧され気味である。
「あんたが助けに来るとはね。あたい達もトコトン運が悪いよ」
「だから俺は前に言った筈だぜ? 頼れる大将を探せってな」
対峙する元親に向け、文醜は勝つ事を諦めたように吹いた。
それに対して元親は同情的な視線を向け、彼女に返事を返す。
「やるしか……ないんですね」
「…………(コクッ)」
身体から醸し出す闘気とは裏腹に、顔良は身体を若干震わせていた。
最強の武人と謳われる恋と対峙している為か、猛将が発する気も無に等しいのだ。
互いが互いの瞳を見つめ、武器を構える。まさに一瞬即発の状態だった。
何も出来ない自分がこの場に居ては、単に彼等の戦いの邪魔になるだけ。
手助けが出来ない事を歯痒く思いつつ、公孫賛はその場から退こうとした時――
「――――ッ! ちょ、長曾我部ッ! 袁紹軍の様子が変だ!」
「……ああ?」
公孫賛が叫ぶように言った。彼女に言われ、元親が横眼で周囲の様子を確認する。
すると妙な事に、先程まで大量に居た袁紹軍の兵士達が次々と後方へ撤退していた。
急ぐのに邪魔なのか、持っていた剣や槍などの武器を捨てて退いている者も居る。
突然訪れたあまりの不可解な状況に、文醜と顔良は混乱していた。
「――――なっ!? ど、どう言う事だよ!?」
「わ、分からないよ、文ちゃん!?」
「くっ……! おい、お前!!」
自身のすぐ傍を通り過ぎていく兵士の1人を捕まえ、文醜は今の状況を問い詰めた。
彼女に捕まえられた兵士は身体を震わして怯えつつ、ボソボソと答える。
――袁紹様が殿の部隊を置いて撤退を始めたとの情報が伝えられたんです……!
――総大将が戦場から撤退したんだから、我々も撤退するしかないでしょう!?
最後に兵士が涙を零しながら、文醜の手から無理矢理離れて逃げて行った。
その話を聞いた文醜と顔良は勿論、偶然耳に入った元親と公孫賛も思わず絶句する。
「そんな……姫が私達を置いてけぼりに……!」
「ちくしょう……! やっぱり名家の立場からしてみれば、あたい達は捨て駒か……!」
必死に戦っている兵士達を置き去りにして総大将が撤退するなど、恥ずべき行為である。
今まで自分達が支えてきた主に裏切られてしまった事に、文醜と顔良は唇を噛み締めた。
血の味が瞬く間に口内へ広がる。顔良に至っては眼から涙が止まらなかった。
「…………ご主人様」
「……何だ?」
「…………戦わないの?」
「流石に戦えねえよ……」
少し拍子抜けをしたような様子を見せる恋に、元親は少々呆れ気味で答える。
そして俯く文醜と顔良の2人を見つめ、元親は小さい溜め息を吐いた。
「行きな……」
「……えっ」
「さっさと行きな。ここに居たらどうなるか分からないぜ?」
2人から背を向け、そう吹いた元親は公孫賛の元へと歩く。
文醜が呆然としつつ、元親へ真意の程を訊いた。
「あたい達を見逃すの……?」
「戦う気力の無くなった奴を相手にする程、俺は暇じゃねえんだ」
元親が後ろに居る文醜を一瞥する。
その一瞬の間に向けられた視線を受け、文醜は軽く頭を下げた。
今の状況で出来る、彼への精一杯の感謝の気持ちだった。
「……行こう。斗詩」
「……文ちゃん?」
「今のあたい達に出来る事をやろう……」
文醜は顔良の手を取り、元親達の前からゆっくりと姿を消す。
元親は2人がこの場から去って行くのを背中で感じていた。
「逃がしたのか……あいつ等」
複雑そうな表情を公孫賛は浮かべている。
2人が憎いと思っている自分が居り、2人を哀れだと思っている自分も居る。
逃がして良かったか、殺した方が良かったか、今の自分には判断し兼ねた。
「お前からしてみれば納得出来る事じゃないかもしれねえ。だが戦う気の無い奴を討ち取った所で、テメェの名に傷が付くだけだ」
「…………」
公孫賛がゆっくりと頷く。
彼女の答えに満足したように、元親は微笑を浮かべる。
それと同時に公孫賛は勢い良く元親の胸へ飛び込んだ。
突然の出来事に驚きを隠せない元親。
だが彼女が泣いている事に気づき、引き剥がそうとしたのを止めた。
「ど、どうしたんだよ……」
「ううっ……ひっく……嬉しかったんだ……」
「ああ?」
「お前が……えぐっ……約束を……ひっく……覚えていてくれて……」
元親が軽く息を吐き、自分の胸で泣いている公孫賛の背中を撫でてやる。
子供をあやすような元親の行動に、公孫賛は少しだけ身体を震わせた。
「俺もお前が生きててくれて良かったぜ」
「……! ば、馬鹿……ッ?!」
「おうおう。馬鹿で結構だよ」
そんな2人のやり取りを傍から見つめていた恋は、胸に僅かな痛みを感じていた。
(……痛い)
まるで小さな針を何本も刺されたような感じ――今までこんな痛みは無かった。
それもこの痛みは、眼の前に居る2人のやり取りを見る度に起こっている。
(……こんなの知らない。……恋はこんな痛み知らない)
恋がこの痛みの意味を知るのは、まだ先の話だ。
◆
袁紹軍が撤退してから暫く経った後――生き残った公孫賛軍の兵士達と、愛紗達が率いる長曾我部軍が元親達と合流した。
愛紗から詳しく聞いた話によれば、自分達が袁紹の本陣近くまで迫った頃には、既に袁紹本人は姿を消していたと言う。
虚勢だけでなく、逃げ脚も何気に素早かった袁紹に、元親はとある“おじゃる大名”を即座に思い浮かべていたりする。
「殿……! よくぞご無事で……!」
「ああ……お前達も生きててくれて何よりだ」
先頭で戦っていた白馬隊の一部と多くの歩兵達は、涙を流しながら主との再会を喜んだ。
その光景が見れただけでも、約束を守って助けに来た意味がある――元親はそう思った。
「良かったですね。公孫賛将軍が助けられて」
「おうよ。あんな良い奴は、無駄に命を落とすべきじゃねえからな」
「そうですね…………所でご主人様、少しお話したい事があるのですが」
話しかけてきた愛紗の周囲の空気が急に重くなる。
それに続くように、鈴々と朱里も元親の傍へと歩み寄った。
言うまでもないと思うが、2人の空気も愛紗と同じく重い。
「な、何だよ……話って」
3人の急激な変化に戸惑いつつ、元親は彼女達に問い掛ける。
その問い掛けへの彼女達の答えは早かった。
「先程の戦の事です! どうして恋を連れて行ったのですか!!」
「鈴々もお兄ちゃんと一緒に、前線で戦いたかったのだぁ!!」
「私もご主人様と一緒に行って、御役に立ちたかったです!!」
元親は頭を抱えた。変な痛みがあるように感じる。
それぐらい3人の言葉は無茶苦茶な物であった。
「3人とも……五月蠅い」
恋が何か言ったような気がするが、あえて元親は聞こえないフリをした。
そもそも恋を連れていったのは不可抗力であるし、自分が責められる覚えも無い。
何より3人の内、1人でも連れて行ったら本隊に影響があるのは必至である。
目の前の3人はそれを分かって言っているのだろうか。
「分かった分かった! 近い内に埋め合わせしてやるから落ち着け!」
元親のこの言葉に皮切りに、重かった空気は一気に解消された。
苦し紛れに放った言葉が思いのほか意外な効果をもたらしたようである。
ちなみに何を想像しているのか、彼女達は物凄く嬉しそうな様子だった。
「あ〜……長曾我部?」
何処か落胆している元親を気にしつつ、公孫賛は彼に声を掛ける。
元親は伏せていた頭をゆっくりと上げ、声を掛けてきた彼女に視線を移した。
「ん? 部下達との話は終わったのかい?」
「うん。お前の所で世話になる事に決めたよ。部下達も承知した」
「……そうか。盛大に歓迎するぜ」
公孫賛が頷いた後、元親にゆっくりと跪く。
それに続き、公孫賛軍の兵士達も跪いた。
その行動に浮かれていた3人は一気に眼を覚ました。
「ご主人様……これは一体どう言う事なのですか?」
「前に俺が言ってただろ? 公孫賛と同盟を組むって言う話」
「ああ」と、愛紗は少し前に元親がボヤいていた話を思い出した。
反董卓連合解散の後、元親は公孫賛と同盟を結ぶ事を望んでいたのだ。
そしてその望みが今叶ったのである。
「はわわっ……! 公孫賛将軍が了承したんですか?」
「ああ。でも同盟と言うより、俺から言わせれば保護って感じだけどな」
「わぁ〜〜〜〜! 何だかとっても凄いのだ!!」
朱里と鈴々が感動したような声を上げ、元親に跪く公孫賛と兵士達を見る。
公孫賛がゆっくりと跪いた際に伏せた顔を上げ、元親を見上げた。
「この公孫賛伯珪……非才の身ながら、これより長曾我部元親殿の下で忠節を尽す事を誓います。この誓いは我が持つ剣に懸けて……」
「「「「我等も誓います。殿の為、長曾我部殿の為、この命を懸ける所存にございます!」」」」
今まで同じ位置で話してきた彼女の丁寧な姿勢に、元親は戸惑いを隠せない。
何と表現して良いのかは分からないが、とにかく落ち着かないのである。
「おいおい……そんなに畏まる関係じゃねえだろ。もっと気軽に行こうぜ?」
「馬鹿を言うな。いくら相手がお前でも、命の恩人に対する礼儀は心得るぞ」
「それは嬉しいんだけどな……なんつーかこう、お前に似合わないんだよ」
元親の言葉に公孫賛が「ではどうすれば良い!」と、拗ねた表情を浮かべた。
そんな彼女の様子を見て、元親は気さくな感じで口を開く。
「“元親”って名前で呼んでも良いんだぞ? その代わり、俺もあんたの事を伯珪と呼ばせてもらうぜ」
その後に「あんたの真名を知らないからな」と、元親は付け加えた。
元親の言葉に公孫賛が頬を赤らめながらも、何かを悩むように唸る。
そして――
「……じゃあ元親と呼ぶ」
「ああ? 何か言った?」
「元親と呼ぶと言ったんだ! ちゃんと聴け!!」
「へいへい……」
顔を真っ赤に染めて吠える公孫賛を宥めつつ、元親は「歓迎するぜ、伯珪」と言った。
それに対し公孫賛――伯珪も「……うん。元親」と、笑顔で返事を返す。
そんな2人の様子を見ていた周囲の者達は――
「また……またですか? ご主人様……」
「むぅ〜〜〜〜何だか複雑なのだ……」
「うふふふ……うふふふ……」
「………………………………」
また、公孫賛軍の兵士達は――
「殿にも、殿にもついに御相手が……」
「輝いてます! 輝いてますぞ、殿ッ!」
「おめでとうございます! 殿ッ!!」
明るかったり黒かったり、大変な光景を生み出していた。
そんな中、長曾我部軍の兵士達は兄貴に向けて助けを求める眼差しを送り続けるのだった。