――中立都市・楽成城。
後方から奇襲を仕掛けてきた長曾我部軍から逃れた袁紹軍は、本拠地である南皮の途中にある中立都市の楽成城を襲撃していた。
襲撃の最中に領主である“黄忠”の愛娘を人質に取り、いずれ向かって来るであろう長曾我部軍を攻撃するように脅迫したのだ。

そんな中、元親に見逃してもらった文醜と顔良が楽成城に到着していた。
自分達を置いて行った主君に恨み事の1つでも言ってやろうと、文醜の提案で逃げる兵士達の後を付けてきたのである。
目的を果たした後は袁紹に対し、正式に自分達の脱隊を表明するつもりだったが――

「袁紹様がこんな事をするなんて……」
「名家の人間が人質を取るようじゃ終わり……か」

2人は人質を取ると言う袁紹らしからぬ行動に驚愕していた。
董卓討伐軍を解散した後の袁紹は人が変わったように好戦的姿勢を取ってきた。
群雄割拠と言う時代は、人を“らしからぬ行動”を取らせるまでに変えるらしい。
中立都市を占領、領主の子供を人質にする袁紹の暴挙は2人は酷く落胆させた。

「どうしよう……文ちゃん」
「……恨み事を言うだけで終わりにする訳にもいかないね」
「! そ、それじゃあどうするの……?」
「うん。何だか今の状況をぶち壊したくなってきた」

顔良は意地の悪い表情を浮かべる同僚に冷や汗を流した。
友人を尻目に黒いオーラを放つ文醜は静かに笑っている。

(何だか当初の目的よりも大騒ぎになりそうな気がするよぉ……)

苦労人顔良――彼女の苦悩はまだ続きそうである。

 

 

 

 

長曾我部軍は逃げた袁紹軍を追撃する為、仲間になってくれた伯珪の軍と共に進軍を続けていた。
無論追撃の提案は朱里による物だが、元親の“仲間を置いて逃げた奴等をぶっ飛ばす”と言う思いによって提案されたのが濃厚だ。

進軍の途中、朱里が事前に放っていた間者から1つの報告が入ってきた。
この先にある楽成城が袁紹の手によって占領され、その領主である黄忠の愛娘が人質に取られたらしい。
更に長曾我部軍に対して黄忠の軍は渋々ながらも、敵対の姿勢を見せているとの事。

「家族を人質に取るとはなぁ……あの野郎は何処まで落ちるんだ?」
「多分、行き着く所までだと思いますけど……」

朱里が元親の吹いた言葉を静かに返す。
更に彼女の言葉に同意の意を示すように、愛紗と鈴々と伯珪も頷いた。
恋はよく分からないのか、首を傾げている。

「何とか人質を救い出して無駄な戦を避けたいが……その愛娘の名前って分かるか?」
「はい。街の人達の話によると確か……“璃々”と言う名前だったような気がしますが」
「璃々、か……」

間者の言葉に碇槍を肩で軽く揺らし、元親は考え込む。
そんな彼を見て愛紗は静かに口を開いた。

「ご主人様……お気持ちは分かりますが、ここであまり時間を掛けると袁紹に時間を与えてしまいます」
「ああ、愛紗の言いたい事も分かるぜ? だがよぉ、楽成城の奴等の事を考えるとどうもな……」
「ねえねえ! それなら時間を稼いで、その間にその子を助ける事って出来ないの?」

鈴々の提案に朱里が苦笑する。
確かにそれは出来ない事はない。
だが肝心な事が抜けているのだ。

「鈴々ちゃん……黄忠の娘がどのくらいの年で、姿形も分からないんだよ? それが分かれば出来るかもしれないけど……」
「ふむ、それなら私が行こう。私ならその娘をよく知っている」

突如として会話の最中に聞こえてきた声――
元親達はその声に少し聞き覚えがあった。
元親達(+兵士一同)はゆっくりと声がした方へ振り向く。

「「「「あああああああ!? お前(貴方)はぁぁぁ!!」」」」

 

 

 

 

「ううう……! やはりこの格好は少し目立っているのか……?」
「何を今更。それに長曾我部殿も似合うと言っていたではないか」
「それは確かに嬉し……いや、光栄だったが……」

朱里が考えた作戦に則って、楽成城の街へと潜入した愛紗は隣に居る女性を睨んだ。
愛紗の隣に居る女性――それはかつて元親達と共に戦った“趙雲”その人である。
ここの騒ぎを聞きつけてやって来た彼女は、恩義がある元親に協力を申し出たのだ。
以前趙雲は旅の最中に黄忠の世話になった事があるらしく、愛娘の顔も覚えているらしい。

人質救出に趙雲だけでは心許無いと、一緒に戦った事がある愛紗も同行を申し出た。
妙に息の合う彼女達になら任せられると、元親は2人に人質救出を託したのである。
そして今に至るのだが――2人は目的を忘れているのではないかと思うぐらい目立っていた。

「ふむふむ……この独特な衣服、長曾我部殿の匂いが染みついていますな」
「わっ!? ば、馬鹿ッ!? そんなに触るな!?」

趙雲の両手が愛紗の身体を舐め回すように触った。
愛紗が身に着けているのは、元親がいつも羽織っている上着である。
更に右目には元親が予備に持ち歩いていた布製の眼帯を付けていた。

これ等は元親がかなり有名である愛紗の身を案じて貸した物だ。
身に付けた姿は一目で愛紗と分からないが、少し怪しい身なりである。

「そんなに怒鳴らずとも、服を触るぐらい良いではないか」
「駄目だッ!! これはご主人様が私の身を心配して貸し付けてくれた物だ! 破れでもしたらどうするつもりだ!」

少し大きめのサイズである元親の服を握りしめ、愛紗は趙雲を睨み付ける。
頬をほんのり赤く染めるその姿は、通り掛かる街の人達を振り向かせていた。

「やれやれ、純情で頑固な方だ。長曾我部殿も苦労しているだろうな」
「な……!? そ、それはどういう意味だ!!」

趙雲の意味深な言葉に愛紗が噛み付く。
最早2人の頭に人質救出と言う言葉は――現時点で――無かった。

 

 

 

 

一方その頃、時間を稼ぐ為に長曾我部軍は楽成城前で布陣を布いていた。
黄忠軍の様子を窺っていた元親達は、黄忠の指揮する部隊を目前に見据えている。

「黄忠ってのは、かなりやり手の将だな。少ない兵数で隙がない布陣を布くとは驚きだぜ……」
「でもそのお陰で時間が稼げてます。後は愛紗さんと趙雲さんが璃々ちゃんを無事に助け出してくれれば……」

元親の言葉に朱里が呟く。
ちなみに元親は上着を愛紗に貸した為、本来は腰巻にしている布を羽織っている。
そんな中、後ろからやって来た恋が元親にポツリと言った。

「…………ご主人様。恋、敵を沢山倒す。頑張る」
「おっと恋。そいつは駄目だ。今回の敵は出来るだけ武器を落として意欲を無くすんだ」
「…………あまり頑張っちゃ駄目?」
「ああ。あいつ等は人質を取られて無理に駆り出されてるんだ。そんな奴等を倒しちゃいけねえ」

元親の言葉を聞き、恋はゆっくりと頷いた。
微笑ましさを感じ、元親は「よし」と恋の頭を優しく撫でてやる。
恋は眼を閉じ、元親の大きい手の温もりをしっかりと堪能した。

「あ〜〜〜!! 恋ばっかりズルイのだ!! 鈴々もお兄ちゃんに撫で撫でしてもらいたいのだぁ!!」

何処から見ていたのか、鈴々が頬を膨らませながら元親に向かってくる。
元親はそれに苦笑しつつ、鈴々の頭も恋と同じく撫でてやった。

「はわわ……戦が始まる前なのに緊張感が無い。でもご主人様には撫でられたいかも……」

場の雰囲気に落胆しつつ、朱里は自身の欲望と戦っていた。
何をと言おうと、彼女は鈴々と恋が羨ましいらしい。
その影で伯珪も少し羨ましがっていたのは誰も気付かなかった。

 

 

 

 

「街の者達の情報によれば、この一角にある屋敷に黄忠の娘が捕らわれているそうだ」
「黄忠殿が民に慕われる方で良かった。お陰で我々への協力者も多かった事だしな」

その頃、人質救出の任に当たっていた愛紗と趙雲はとある屋敷に向かっていた。
街の片隅にある屋敷に璃々が捕らわれていると、協力的な街の人々から情報を得たのである。

2人は目的地に赴き、その周辺で気配を探った。
しかし予想に反し、見張り等の姿が何処にも見当たらないのである。
それどころか付近で倒れている袁紹軍の鎧を纏った男を数人見つけた。

「これは一体……?」
「ふむ……反乱でも起きたか?」
「……だとしたら好都合だ。このまま一気に乗り込めるぞ」

愛紗と趙雲は好機と思い、一気に屋敷の中へと乗り込んだ。
しかし何か言い争っている声が所々で聞こえてくる。
周囲を警戒しつつ、一番奥の部屋に辿り着いた時――

部屋の扉が勢いよく吹き飛ばされ、室内が丸見えになった。
2人が呆然としつつ、部屋の扉を吹き飛ばした物へと視線を移す。
視線の先には白眼を剥いて気絶している袁紹軍の兵士の姿があった。

「へへんだ! あたい達に適うと思ってんのか?」
「ぶ、文ちゃん……! やり過ぎだよ〜〜〜!」

室内からは軽いノリの声が響く。
愛紗はその中で聞き覚えのある声に顔を顰め、変装を解いて青竜刀を構える。
趙雲も愛紗の姿勢を一瞥しつつ、愛用の槍を構えた。

2人は無言で頷き、一斉に室内へと入った。
そして眼の前に居る2人の女性に武器を突き付ける。

「やはり……!」
「何だ……あんた達か」

武器を突き付けられた1人の女性――文醜は自嘲気味の笑みを浮かべた。

「どう言う事だ。何故自分達の味方の兵を攻撃した」

愛紗の問い掛けに文醜は溜め息を吐きつつ、答える。

「もう今の姫に……袁紹に従うのが嫌になっただけさ。せめて脱隊する前に痛い手土産でもと思ってね」
「ほう……確かに袁紹にとっては痛い手土産だな。部下の反乱に計画の総崩れ……驚く顔が眼に浮かぶ」

趙雲が感心したように頷く。
そして文醜の傍らに居るもう1人の女性――顔良は右にある扉に指を指した。

「向こうの部屋に人質の娘さんが居ます。ここに潜伏している兵士達は全て倒したので安心して下さい」

顔良がそう言い終わると、文醜は屋敷の出口へ向けて歩き出した。
顔良も急いで彼女の後へと続く。
2人の隙だらけの体勢見て、愛紗と趙雲は構えていた武器を下ろした。

「あ、そうそう。あんた達の主に伝えてくれる? これで借りは無しだってね」
「…………分かった。しっかりと御伝えしておく」
「ありがと。あんた達は良いね、1つの約束の為に駆け付ける大将が居てさ。正直羨ましいよ」

称賛とも、皮肉とも取れる文醜の言葉――
立ち去る2人の背中を愛紗と趙雲は静かに見送った。

 

 

 

 

人質救出が順調に進んでいる頃、楽成城前の郊外にて対峙する長曾我部軍と黄忠軍。
楽成側は現状を優位にする事を選んだのか、長曾我部軍に対して一騎打ちを申し込んできた。

将同士が己の技量を武器に戦う、言わば戦いにおける最大の儀式だ。
長曾我部軍はそれに応じ、両軍の中央部に互いの軍から騎馬に跨った大将が出てくる。

長曾我部軍からは天の御遣いである長曾我部元親。
対する黄忠軍からは1人の貴婦人が進み出てきた。
この貴婦人こそ、黄忠軍の大将“黄忠”その人である。

「私は楽成城領主の黄忠と言います。まずは一騎打ちの申し出を受けて頂いた事に感謝します。私は民の安全を守る為、徹底抗戦することを申し上げます」

黄忠は腰まで伸びた艶やかな紫色の髪に胸元が開き、腰までスリットの入った服を身に着けていた。
更にその上からは豪華な装飾が施された鎧を身に着けている。
誰が見ても“途方も無く美しい”と感じる程の美貌の持ち主だった。

黄忠は馬から降り、白銀の弓を手にして元親と対峙する。
元親は静かに舌打ちをしつつ、黄忠を見つめた。

「俺は長曾我部軍大将の長曾我部元親だ。あんたとは出来るなら無駄な戦いはしたくねえ。俺達の目的はあんた等の背後に居る奴等なんだ」
「それでもここを通る事はなりません。通るならば、私の屍を越えていきなさい……!」

黄忠の苦しげな表情に対し、元親はそれ以上言わずに馬から降りた。
肩に掲げた碇槍をゆっくりと構える。

「行きます……!」
「あんたみたいな女とは戦いたくねえんだがな……!」

2人の言葉を合図に、元親が黄忠に向かって突進した。
黄忠が常人を超えた速度で弓から矢を射る。
元親はそれを碇槍で弾き、間合いを一気に詰めて攻撃に移った。

無論、元親は黄忠を傷付けるつもりは全く無い。
唯の脅しに過ぎない攻撃を繰り返すだけだ。

元親の攻撃を黄忠が寸前の間合いで避けつつ、弓を構える。
矢を放てば元親が碇槍で弾き、脅しの攻撃を放つ――

互いの得意とする空間で続く、終わりの無いエンドレスワルツ。
両軍の兵士も将も、戦いの行方を見守っていた。

特に長曾我部陣営の鈴々と恋は今にも飛び出しそうな勢いだ。
元親が矢を受けそうな時は身体を震わせて武器を構えるぐらいである(その暴走も伯珪と朱里が全力で止めたが)。

そのワルツを破ったのは、楽成城の門から届いた1人の女性が放った大音声であった。
その場の全員の動きが止まり、視線が楽成城の門へと注がれる。

「双方それまで! 袁紹に捕らわれし、楽成城領主黄忠殿の一人娘であらせられる璃々殿は私達が救い出した! よって両軍がこれ以上争う必要はない! 互いに矛を収められよ!」

女性――趙雲の宣言と共に黄忠軍はざわめき始める。
その事態を不味いと感じたのか、袁紹軍の兵士達が一斉に逃げ出した。

「へへっ! あいつ等、上手くやったみたいだな」
「――――ッ!? まさか貴方が璃々を……!」
「おう。事前に楽成城に人質救出の奴等を送り込んでおいたんだ」

黄忠の表情が驚きに染まり、それからゆっくりと笑顔へと変わった。
余程嬉しかったのだろう、眼には少しだけ涙が溜まっている。

「これでもう俺達が敵対する理由は無いよな?」
「…………はい」

黄忠が頭をゆっくりと下げる。
元親はそれに対して照れくさそうに頭を掻いた。

 

 

 

 

「おかあさ〜ん!」
「璃々!」

一時は離れ離れになりながらも、無事に再会を果たした親娘。
2人は互いにしっかりと抱き合い、喜びを分かち合った。

「お疲れ様でした。ご主人様」
「ああ、愛紗も趙雲も頑張ってくれたみたいだな」
「いえ、臣として当然の責を果たしただけです。それとあの……これをお返しします」
「おお、ありがとよ。やっぱこれが無きゃ俺じゃねえよな」

元親は懐かしそうな眼をしつつ、愛紗から自身の上着を受け取る。
手渡す際、妙に残念そうな表情を浮かべる愛紗。
そんな愛紗の態度に見て『素直になれば良いのに』と、趙雲は微笑した。

「長曾我部様!」

そんな中、璃々を抱いた黄忠がやって来た。
元親の傍に居た愛紗が一歩下がる。

「今回の事……娘を助けていただいて、何と御礼を申し上げれば良いか……」
「ははははは! そんな物はいらねえよ。家族が居なくなる寂しさは分かるからな」
「まあ…………」
「それにお礼を言うなら、ここに居る愛紗と趙雲に言ってくれ。俺は何もしちゃいねえ」

礼を言う黄忠に対し、元親は気さくな態度で手を横に振る。
そんな彼の様子を見て――好感を持ったらしい――黄忠はにこやかに微笑んだ。

「ではせめてもの御礼として申し上げます。この楽成城の領地と民を貴方にお願いしたいのです」
「は…………お、おいおい! そりゃ……!」

突然の黄忠の言葉に対し、元親は驚きの声を上げる。
他の皆も同様に驚いていた。

「中立都市として何とか今までやってきましたが、今は群雄割拠の乱世。なれば民の為にも信頼に足る御方にここをお譲りするのが一番だと思います。それにこの御恩に報いる為、私は貴方様の弓となり、共に戦いたいと願います」

璃々を降ろし、深々と頭を下げ、元親に対して黄忠は臣下の礼を取った。

「これから私の事は“紫苑”と、真名で是非お呼びになってください。ご主人様」
「ごしゅじんさま。りりもおかあさんといっしょに、よろしくおねがいします」
「あ、あ、……ああ。分かったぜ」

どう答えて良いのか分からず、元親は混乱していた。
1つだけ言うならば、紫苑の微笑む姿はとても美しかった。
その影で趙雲は口を押さえて笑いを堪えていたりする。

 

こうして、楽成城は長曾我部軍の領地となったのである。

その後、増軍した長曾我部軍は逃げ出した袁紹軍を再び追撃。
領地に辿り着く前に追い付き、見事に袁紹軍を撃破したのだった。

その中で袁紹の物と思われる長剣が発見された。
しかし肝心の袁紹の姿が何処にも無く、結局は死亡と言う判断が取られた。
この後、元親達に大きな災いをもたらすまでは――――





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