何とか幽州へと辿り着いた長曾我部軍は、重傷を負った元親の手当ての為にすぐさま医師を呼んだ。
太守である元親が怪我を負って戻ってきた事で、あらゆる街々が大騒動に発展し掛けたが、愛紗達が手を回して何とか治めた。
大騒動は何とか治まったものの、屋敷の前に並ぶ――お見舞いの品を持ってきた――大勢の人々は兵士達が対応中である。

そして屋敷に呼ばれた医師は現在、元親の部屋で――侍女である月と詠が付き添いで――彼の手当てをしている。

 

 

謁見の間――この部屋に集まっている名高い猛将達は部屋中に重い空気を漂わせていた。
部屋に居るのは長曾我部の猛将達は言わずもがな、投降してきた魏の将達も一緒である。
それぞれ椅子に座って顔を伏せている者、壁に寄り掛かっている者等――色々だ。

「…………ご主人様、絶対に助かるよな?」

最初は大丈夫だと思っていたが、今は医師が具合を診ていると不安になったらしい。
重い空気が漂う部屋の中で、翠がそうポツリと吹いた。
しかしその言葉に答える者は誰1人として居ない。

「…………なあ星、助かるよな?」
「…………」

翠は続けて隣に座っている星に向けて問い掛ける。
だが星は腕を組み、眼を閉じたまま答える事はなかった。

「……なあ、星!」
「……煩い! 少し黙っていろ!!」

しつこく問い掛けてくる翠に腹が立ったのか、星が彼女を睨みながら怒鳴った。
そんな星の反応は予想していなかったのか、翠が少しだけ圧倒される。

「何だよその態度! お前、ご主人様が心配じゃないのかよ!!」
「馬鹿者がッ! 心配していない訳がないだろうが!!」
「じゃあ心配しているのに、どうしてそんな落ち着いてるんだよ!!」
「――――ッ!!」

星が椅子から勢いよく立ち上がり、翠の胸倉を乱暴に掴む。

「では慌てていたら、主の身体がすぐにでも良くなるのか……?」

まるで地の底から響くような星の声。
その声を聞いた翠は思わず押し黙った。

「お前だけが主の身を案じていると思うな……!!」
「――――ッ!」

翠が咄嗟に周囲を見た。
皆の表情は先程の自分と同じように、暗く沈んでいる。

「我等とて主の身を心配している。戦から無事に帰ったとは言え、まだ主は安心出来る状態では無い。皆はそれを分かっていて口に出さないだけだ……!」
「だからって! だからってこのまま黙って待ってろってのかよ!!」

このままでは何時頃喧嘩に発展するか分からない。
そんな2人を見兼ねた伯珪が仲裁に入った。

「もう止めろ2人共! 私達が喧嘩をしてもしょうがないだろう!!」
「「…………」」
「伯珪ちゃんの言う通りよ。翠ちゃん、星ちゃん、座りなさい……!」

伯珪の仲裁に続き、紫苑も静かに仲裁に入った。
2人の説得により、星は翠の胸倉から手を離して座る。
翠も唇を噛み締めつつ、次いで椅子に座った。

それから数分後、医師を連れて月と詠が謁見の間に入ってきた。
皆が一斉に医師に注目する中、愛紗が代表して元親の具合を聞く。

「御苦労様です……我等が主の具合は如何ですか?」

愛紗からの問い掛けに医師は1度咳払いをしてから答えた。

「今はだいぶ落ち着いています。ここに来るまでの手当てが良かったのでしょうね」
「そうですか……では、命の危険はもう無いと考えて良いのでしょうか?」
「そう考えても良いと思います。ですが戦に出る事は当分避けられた方が良いでしょう。塞がり始めた傷が激しい動きのせいで開いてしまう事は十分に考えられる」
「そうですか……」

愛紗が苦渋を噛み締めるような表情を浮かべた。

「それに大量の血を流しています。思うように身体が動かせないと言う時もあるでしょう。暫くは貴方達が支えてあげて下さい」
「分かりました……御診断、本当にありがとうございます」

それから医師は痛み止めの薬等、複数の漢方薬を愛紗に手渡す。
愛紗は深く感謝しつつ、兵士の1人に医師の見送りを命じた。

「うっうっ……ご主人様ぁ……!」
「月ちゃん、そんなに泣いたらアカンよ。チカちゃんが心配するで」
「霞ちゃん……!」

すぐ傍で大粒の涙を流す月を見兼ねた張遼が優しく背中を摩る。
正直張遼は2人と再会出来るとは思っていなかった為、内心少し驚いていた。
しかし今の重い状況がそんな事を忘れさせ、会えて良かったと言う感情しか無い。

「訊きそびれたけど、あんたはどうしてここに居るの? 曹操に投降したって事は聞いていたけど……」

2人の光景を複雑そうな表情で見つめていた詠が張遼に向けて言った。

「ウチはチカちゃんと戦って負けて、助けられたんや。言うなれば捕虜やね」
「……成る程ね。お人好しのあいつらしいわ」
「そう言う賈駆っちと月ちゃんも、チカちゃんの所に居たんやな。また会えて嬉しいで」
「…………私と月もあんたと同じように、あいつのお人好しに助けられたからね」

詠がその言葉と共に自嘲気味の笑みを浮かべる。
張遼は首を傾げるが、彼女の瞳が潤んでいる事に気付いてハッとした。
ずっと泣くのを我慢していたのだろうか、今にでも涙が零れそうだ。

「元親って本当馬鹿よね。人質助けるのに自分が怪我してどうすんのよ……」
「賈駆っち……」
「無事に帰るって約束しといてさ……私達を安心させておいてさ……あんな大怪我して……意識無くして帰ってきて……本当に馬鹿……」

最後の言葉と共に詠の瞳から涙が一筋零れ落ちた。
張遼は月と同じく、詠の背中も摩り、少しでも悲しみを癒してやろうとする。

「大丈夫やって。チカちゃんは元気になるよ」
「何よ……捕虜の……くせにさ……」

言葉が途切れ途切れで続かず、詠はしゃくりを上げた。
一筋だった涙が徐々に増え、月と同じく泣き顔へと変わる。
張遼は子供を慰めるように2人を優しく自身の胸へと抱き込んだ。

「鈴々……お兄ちゃんの様子を見てくるのだ」
「鈴々ちゃん……私も一緒に行く」

未だに重い空気が漂う部屋の中で鈴々と朱里が元親の様子を見る為、椅子からソッと立ち上がる。
愛紗達も後から続こうとするが――扉が勢いよく開いた事によって皆の動きが止まった。

「おかあさん! おねえちゃんたち! たいへん、たいへんだよぉ!」

扉を開けたのは紫苑の愛娘である璃々だった。
皆が少し呆然とする中、紫苑が落ち着いた様子で彼女に訊く。

「どうしたの璃々。落ち着いて話しなさい」
「う、うん。ごしゅじんさまが、ごしゅじんさまがね……」

璃々の言った言葉によって部屋の空気が一変した。
不安な表情を浮かべた愛紗が璃々に詰め寄って問い質す。

「どうしたのだ璃々!? ご主人様の身に何か起きたのか!!」
「ふえ……! あの……あのね……ごしゅじんさまがしゅつじんするって……」
「「「「――――ッ!?!?」」」」

彼女がそう言った瞬間、皆が一斉に部屋から飛び出した。
紫苑は報せに来た璃々を胸に抱え、皆の後に続いた。

 

 

 

 

「ご主人様! お部屋に戻って下さい!」
「お願いしますご主人様!」
「悪いな……そう言う訳にはいかねえんだよ」

元親の部屋の前――糜竺と糜芳が必死に元親を説得していた。
対する元親は碇槍を持ち、それを使って2人を優しく退かす。

「この娘達の言う通りよご主人様。早く部屋に戻って横になってないと……」
「テメェも黙ってろ……! そう言う訳にはいかねえって言ったろうが……!!」

糜竺と糜芳と同じく、貂蝉も元親を止めに入るが、効果はあまり無い。
それどころか貂蝉に対して元親は数倍の敵意を向けていた。

その刹那――謁見の間から飛び出した将達が元親の元へと到着した。
皆は眼の前で繰り広げられている光景に驚愕したが、愛紗はゆっくりと前へ出る。

「何をしていらっしゃるんですか……? ご主人様」

愛紗の声は静かな物だった。
しかしその声色は怒りに満ちている。

「出陣の準備に……決まってるだろ。人質を……助けるんだよ」

元親が傷口を手で押さえつつ、愛紗に向けて言った。
痛みを我慢しているのは見ただけで分かるが、包帯に巻かれている身体も痛々しい。
そんな元親の言葉を聞いた愛紗はゆっくりと跪いた。

「お止め下さい。部屋に戻り、怪我の治療に専念して下さい」
「…………! それは出来ねえな。俺は人質を助に行くんだ」
「ご主人様……大将とは如何なる戦においても、生き延びなくてはならぬ物。貴方の大陸統一を夢見る民を思えばこそ、幽州へと戻ったのです。貴方は我等の気持ちを裏切るおつもりですか?」

愛紗の力強い瞳が元親を射抜く。

「…………お前の言う事は最もだ。だが聞き入れる訳にはいかねえ。退け、愛紗」
「今回ばかりは、無茶を通す事は出来ません……」

しかし元親は動じない。

「愛紗…………お前なら俺がこう言う事を分かっていた筈だぜ?」
「ならば何度でも申し上げましょう。貴方は決して死んではならぬのです。傷を負い、大地をその血で濡らそうとも……」

元親が1歩踏み出す。

「このまま奴等に俺を、お前達を馬鹿にされたまま黙っていろってのか!」
「自身の立場をお忘れですか! お分かりの筈です! 子供じみた考えは控えねばならぬ事を!」

愛紗が立ち上がり、元親に言い放つ。
元親は唇を噛み締めた。

「そんな事はよ……そんな事は俺が一番分かってる!!」
「ならば尚更、民の事を思って下さい! 貴方の責の重さを考えるのです!」
「愛紗…………!!」
「どうか……ご自重なさって下さい! 貴方の傷は、まだ癒えていません!」

元親と愛紗の言い合いは続いた。
その光景を他の皆は静かに見守っている。

元親は暫く顔を伏せた後、ゆっくりと顔を上げて言った。
唇からは薄らと血が滲み、眼付は鋭くなっている。

「俺は死なんざ恐れねえ……そんな物を恐れてたら、今まで戦に身を置けなかった」

元親の視線が愛紗、それから見守る皆へと移る。

「だが、俺はお前等を置いて死のうと思った事なんざ1度もねえ!!」
「「「「――――ッ!?!?」」」」

元親の雄叫びにも似た言葉に、全員の身体が一瞬だけ震えた。
眼の前に居た愛紗は驚愕の表情を浮かべ、元親に問い掛ける。

「ご主人様、それは……?!」
「そう……仲間が増えて、家族が増えて、俺が改めてテメェ自身に誓った言葉だ!」

元親が胸に手を置き、一句一句噛み締めるように呟く。

「助けられる命を食って、テメェの命が助かって喜ぶような……人質になっている奴も救えねえような……女との約束1つも守れねえような……!」

元親の鋭い視線が愛紗を射抜いた。

「俺はそんな無責任な大将になるつもりはねえ!!」
「――――ッ! ご、ご主人様……!!」

元親の言葉と気迫に圧倒され、愛紗が1歩、また1歩と後ずさる。
それを見た元親がゆっくりと1歩踏み出した。
しかし――

「お許しを、ご主人様」

何時の間にか元親の背後に立っていた紫苑が、元親の首筋に勢いよく手刀を振り下ろす。
まだ完全な状態では無い元親にとって、その不意打ちの攻撃には耐えきれなかった。

「し……おん……!」

碇槍を落とし、意識を刈り取られて崩れ落ちる元親を紫苑が優しく抱き止める。
愛紗も、他の者達も突然の出来事に呆然としていた。

「貴方様の想い……私達が確かに受け取りました。ですから今は休んで下さい」

気絶している元親の顔に、紫苑の瞳から流れた涙が零れ落ちた。

「貴方が居たから、私達はここまでやってこれました。私達が貴方を支え、貴方が私達を支えているのです。貴方が死んでしまったら、私達はきっと崩れてしまう……壊れてしまいます。ですから……無茶は止めて下さい……!」

紫苑が元親を抱き締める腕の力を強くする。

「私はもう……これ以上大切な人を失いたくないのです……!!」
「おかあさん……!!」

号泣する自身の母に璃々が駆け寄る。
この場に居る全員も紫苑と同様、眼に涙を浮かべていた。

「…………糜竺、糜芳、ご主人様をお部屋に運んでくれ」
「は、はい……」
「分かりました……」

今まで黙っていた愛紗が口を開き、糜竺と糜芳に指示を出す。
それと同時に侍女である月と詠も動き、2人を手伝った。

「ご主人様は重いから気を付けて……」
「はい」

紫苑の手から元親を離し、4人は運び易い体勢を作る。
そして4人掛かりで元親を支え、部屋にゆっくりと運び込んだ。

「紫苑…………」
「愛紗ちゃん……どんな理由であれ、私が自分の主へ乱暴した事に変わりは無いわ」

愛紗には紫苑の言っている事の意味は分かっていた。
如何なる罰でも受ける覚悟は出来ていると言う事だ。
その覚悟を示しているかの如く、紫苑は姿勢を正している。

「…………紫苑」

愛紗が紫苑の肩に手を置く。

「罰には問わん。ああでもしなければ、ご主人様は止まらなかった。お前のやった事は、ご主人様の身を守った事と同じだ」
「愛紗ちゃん…………」
「それにお前はご主人様の想いを我等が受け取ったと言った。ならばやる事は1つだろう?」
「…………」
「私達と共に再び戦ってくれ! ご主人様の無念を晴らす為に……!」

愛紗は紫苑に背を向け、他の者達の方へ視線を向ける。

「お前達も紫苑の言葉は聞いたと思う。我等はご主人様の想いを胸に刻み、我等だけで毛利元就率いる魏軍と戦うのだ!! 皆、異存はあるか!!」

愛紗の言葉を聞いた将達が闘志を漲らせた。

「よ〜しッ!! 鈴々、お兄ちゃんの分まで頑張るのだ!!」
「あたしもだ!! ご主人様の分まで戦うよ!!」
「ふふ……主の想いを胸に刻む、か。悪くは無い」
「わ、わ、私も思いつく限り、策を考えます!!」
「この戦斧で……ご主人様の仇を取ってやる!!」
「……恋、敵を沢山倒す! ご主人様に喜んでもらう!」
「私も……出来るだけの事をやってやるか!!」

鈴々が、翠が、星が、朱里が、水簾が、恋が、伯珪が自身の思いを口にする。
それを聞いた後、愛紗は彼女達の傍らに居る夏候惇達に視線を移した。

「お前達も……戦ってくれるか?」

愛紗からの問い掛けに、夏候惇達はゆっくりと頷いた。

「当然だ。華琳様を救う為、長曾我部殿の心を無駄にしない為、私は戦う」
「姉者も同じ思いか。私も共に戦うぞ、関羽殿」
「兄ちゃんのあんな言葉を聞いたら、動かずには居られないよ!!」
「ウチもいっちょやったるか。チカちゃんの為にも」
「ま、まあ……長曾我部って他の男と少し違うみたいだし、春蘭達がやるなら私も……」

夏候惇、夏候淵、許緒、張遼、荀ケがそれぞれ戦う意思を口にする。
愛紗は独りでに頷く。皆の意思は固まった、後は戦の準備のみ。

(必ず……次は勝つ!)

愛紗は左の掌を握りしめた。
元就率いる魏との再戦は近い――




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