幽州から少し離れた荒野――“魏”の文字が印された旗が風に靡く。
その旗の元に、魏の兵士達と白装束に身を包んだ者達が巨大な陣を張っていた。
これから始まる長曾我部軍との戦に向け、彼等は黙々と準備を進めている。

陣内に数ある天幕の中、その1つに入り込む人影があった。
その人影は美しい金髪とは対照的に、漆黒の鎧に身を包む女性――
彼女はかつての袁紹軍大将、“袁紹”その人である。

袁紹は見張りである数人の兵士達に囲まれている、2人の女性に眼をやった。
2人は気絶しているのか、項垂れていて袁紹が入ってきた事にも気付いてないようだ。
それに手足が縛られているのだから、自分の事に気付いても身動き1つ取れる訳が無い。

(情けない姿です事……)

唇を軽く噛み締めるが、今は落ち着いていなければいけない。
袁紹は湧き上がる激情を抑えつつ、見張りの兵士達に言った。

「彼女達に話があります。そこを退きなさい」

袁紹に言われた見張りの兵士達は、暫く無言のままだった。
その後、ゆっくりと2人の女性から離れ、天幕の入口まで退去する。
邪魔者が居なくなり、スッキリした所で袁紹は2人に声を掛けた。

「お久しぶりですわね。文醜さん、顔良さん……」

そう話しかけるが、項垂れている彼女達に反応は無い。
袁紹は小さい溜め息を吐いた後、2人の頬を勢いよく引っ叩いた。

「私が話しているんですよ? さっさと返事をしなさい……!」
「「…………」」

袁紹の声に反応するように、2人の女性――文醜と顔良は顔を上げた。
どうやら先程から気絶はしていなかったようで、あえて彼女を無視していたみたいだった。
頬が赤く腫れている彼女達の恨めしい視線が袁紹を貫くが、袁紹はまったく動じなかった。

「何て反抗的な眼なのかしら……それが主に向ける物とは思えませんね」
「ふざけんな……あたい達はもう、あんたを主と思ってない!」

最後の言葉と同時に、文醜は袁紹に向けて唾を吐き掛けた。
袁紹の額に青筋が浮かぶ。頬に付いた唾を手で拭った後、袁紹は文醜の頬を引っ叩いた。

「文ちゃん!?」

顔良の悲痛な叫び声が天幕内に響き渡った。
頬を叩かれた文醜の身体が地面に倒れ、口から少量の血を吐く。
どうやら叩かれたせいで口内が切れたようだった。

「汚い物を付けないで下さる? 汚らわしい……!」

袁紹が倒れた文醜の身体を無理矢理起こし、彼女の首を右手で掴んだ。

「ぐはっ……ちくしょう……!!」

文醜の細い首に、力を込めた袁紹の指が無情にも喰い込んでいく。
徐々に締め付けられていく感覚に流され、文醜の意識が飛びそうになる。
しかしそんな行為も顔良の声によって止まった。

「止めて! 止めて姫!!」

声を上げた顔良へ視線を移した袁紹は、文醜の首からゆっくりと手を離した。
文醜は止まりそうだった呼吸を急いで繰り返し、体内に行き渡らせる。
どうやら意識が飛ぶ事は免れたみたいだった。

「全く……顔良さん、とても優しい貴方がどうして、私を裏切ったりしたのですか?」

袁紹は髪を弄りながら、眼に涙を浮かべる顔良に問い掛けた。
顔良は眼の前の“主だった”者に対し、問い掛けられた事に答えようとする。
だが調子を取り戻した文醜が彼女に代わって答えた。

「あたい達があんたを裏切った……? あんたが先にあたい達を裏切ったんだろ!! 公孫賛の城をあたい達が攻め落とそうとした時、あんたが殿の部隊とあたい達を置いて逃げたんじゃないか!! あたい達の事を捨てたんだろ!!!」

文醜がその時の光景を思い浮かべながら、心に溜まっていた想いを吐き出した。
対する袁紹は無言のままである。

「挙句の果てには幼い子供を人質に取って、あんたはその後ろに隠れてた。あんたは戦いもせずに逃げてばっかりだっただろ!! あたい達はそんなあんたに失望したんだよ!! あんたと一緒に死ぬなんざ、真っ平御免なんだ!!」
「――――ッ!! お黙りなさい!!!」

袁紹がヒステリックな声と共に、文醜の頬を再び引っ叩いた。

「文ちゃん!? 姫、止めて!!」
「貴方もお黙りなさい!!」

袁紹は息を荒げつつ、涙を浮かべて訴える顔良を黙らせた。
彼女の瞳はどす黒い憎悪に満ちており、顔良を戦慄させる。

「単細胞な貴方には分からないでしょう? 三国一の名家である袁家は、如何なる場合においても、当主である私が生きていれば問題はありませんの。私の命をあんな戦如きで捨てる訳にはいきません。私の身代わりなら丁度良い者達が沢山居る事ですしね」

文醜、顔良の順番に袁紹は視線を移した。
視線を向けられた文醜は激しい敵意を露わにする。

「それがあたい達って訳かよ…………外道」

文醜がそう吐き捨てると、袁紹はそれを鼻で笑い飛ばした。

「主に仕える者が主を生かすのは当然です。それなのに貴方達は長曾我部を止められなかったばかりか、私の立てた人質策を潰して姿を消した……貴方達が袁家を潰したようなものですわ!!」

袁紹が憎悪の眼差しを文醜と顔良に向けた。
眼差しを向けられた2人は今まで見た事が無い主の顔に思わず身体が震える。

「しかしそれも過去の事……近い日に袁家は再興しますわ。私に忠実な家臣達が沢山居る、ね」
「……ハッ! そんな事、あんたに出来る筈が無いだろ。当てがあるのかよ」

文醜が皮肉を言うが、袁紹は特に気に留めなかった。
それどころか妙に彼女の姿は自信に満ち溢れている。
袁紹は文醜に向けて微笑を浮かべながら言った。

「ありますわ。私の命を拾って下さった、私が今仕えている御方の力があればね」
「仕えている御方…………?」
「私達をここに連れてきた、あの得体の知れない連中の事ですか……?」

顔良がそう言いながら、自分達の前に突然現れた白装束の男達を思い浮かべた。
その中に居た眼付の鋭い青年1人に、自分達は簡単にやられてしまったのだ。
そこから後の記憶はボンヤリとしており、あまり思い出す事が出来なかった。

「その通りです。あの御方の力は天の御遣いである長曾我部元親を軽く上回りますわ」
「長曾我部……あの人を軽く上回る……?」

文醜と顔良の脳裏に元親の姿が浮かび上がる。
自分達を見逃してくれた人、1つの約束の為に必死に駆け付ける人――
2人には色濃く記憶にそう残っていた。

「まあ今更あの男の事を言っても、意味無いでしょうけどね」
「…………? どう言う意味だよ?」

袁紹が吹いた意味深な言葉が気に掛かり、文醜は彼女に問い掛ける。
その問い掛けの答えは2人にとって残酷な物だった。

「ふふふふ……あの生意気な男は大怪我を負って自分の領地に逃げ込みましたわ。貴方達と、別の天幕に居るチビの曹操さんを助ける為にね」
「「――――ッ!?」」
「あの情けない姿……貴方達にも見せてあげたかったですわ。以前、私に無礼な口を利いた罰です。オーホッホッホッホッホ!」

袁紹の高笑いが天幕内に響く。
それに対し、文醜と顔良の心に激しい怒りが沸々と湧き始めた。

その中でも文醜の怒りは凄まじかった。
以前元親が自分に言ってくれた言葉が、自身に突き刺さるようだった。

<あんた……頼れる大将を探した方が良いぜ>

自分達が捕まらなければ、怪我を負わずに済んだのに――
そんな後悔と怒りが混じり合い、文醜の心の中は荒れていた。

「あんた……あんた本当に最低だよ!! どうして、どうして……!!」
「酷いよ姫!! あの人は、あの人は姫が思っているような人じゃないのに……!!」

2人の言葉を聞いた袁紹は呆れたような溜め息を吐く。
その後、腰に提げた漆黒の長剣を2人の喉に突き付けた。

「変わりましたわね。何時貴方達はあの男に飼い慣らされたんですの?」

心から哀れんでいるような眼で袁紹は2人を見つめた。
対する文醜はその眼が気に食わないのか、袁紹を睨みつける。

「一番変わっちまったのは……あんただろ!!」
「ふん……何時までもそうやって吠えていると良いですわ」

袁紹はそう吐き捨て、長剣を再び腰に提げた後、天幕を出て行った。
出て行く途中、袁紹の背中に2人から色々な言葉を浴びせられたが、袁紹は振り返ることは無かった。

 

 

「やれやれ……戦が始まる前だと言うのに、言い争いとは暢気ですねえ」
「今更だが、あの女を加えて本当に良かったのか? どうせ奴も最後は……」

今までの袁紹達の様子を覗き見ていた于吉と左慈が呆れたように吹く。
特に左慈は袁紹を自分達の側に加えたことが不安のようだった。

左慈の言葉に対し、于吉は眼鏡に指を添えながら言った。

「確かに最後に始末する事に変わりはありません。ですが手駒は多いに越した事はありませんよ。それに復讐心は無能な者にも大きな力を与える……せっかく私が己の復讐心を力に変える『狂』の術を掛けてあげたのですし、戦果を挙げてもらわないと困ります」

淡々と語る于吉に対し、左慈は微笑を浮かべる。

「お前も酷い奴だな。それにその術が掛かった者の辿る末路は……」
「おっと……左慈、その辺りは言わないお約束ですよ……」

于吉の瞳は冷酷な光に満ちていた――

 

 

 

 

向かい側に陣を張る偽りの魏軍を睨み据えるかのように、長曾我部軍は陣を張っていた。
自分達の後ろには敬愛する主の元親と、元親が愛する街の人々が大勢居る。
己の力が続く限り武を振るい、何としてもこの戦には勝たなければならないのだ。

「もうすぐ戦が始まる……」

左手に青竜刀、右手を自身の胸に置き、愛紗はそう吹いた。
幽州に迫る魏軍の報せが入ったのは、元親が療養を始めてから5日後の事だ。
自分達が幽州に辿り着く前に助けてくれた援軍の呉軍もだいぶ保った方だろう。

元親が療養を始めた時から戦支度を怠らなかった愛紗達はすぐに陣を張る事が出来た。
戦へ出陣する前、屋敷で眠る元親に対し、愛紗も含めた家臣の1人1人が言葉を掛けていった。
生きて帰ります、心配しないで下さい、ゆっくり休んでいて下さい等――色々である。

愛紗は最後に元親に言葉を掛けた。
最後ならば後に控える者達を気にする事が無く、元親に言葉を掛けられるからだ。
愛紗は元親の手を固く握り締め、必ずこの戦に勝つと誓った。

「ご主人様…………」

彼の静かに眠る顔が脳裏に浮かぶ。
愛する主を守る為、負ける訳にはいかない。

「貴方を守れるのなら、この関雲長……修羅になる事も恐れません」

愛紗は人知れずそう吹いていた。
その言葉に応えるように、一陣の風が愛紗の髪を撫でていった。

 

 

それから暫くたった後、長曾我部軍と偽りの魏軍が再び激突した。
両軍は自分達が戦に臨むのに十分な大義を胸の内に掲げている。

「怯むなぁ!! 我等が主は、我等と共に戦って下さっているぞ!!」
「「「「オオオオオオオ!!!」」」」

一方は愛する主と街の人々を守る為、人質を無事に救う為に――

「弱兵ばかりぞ……皆の者!! 奴等を完膚無きまでに殲滅せよ!!!」
「「「「オオオオオオオ!!!」」」」

もう一方は自身が憎む者と、その家臣達を殺す為に――

両軍の掲げる大義は決して交わる事は無い。
どちらの大義が上か、それは戦の結果のみが知っている――

 

 

 

 

耳内に薄らと聞こえてくる音――それに反応し、元親は自身の部屋の寝台で眼を覚ました。
まだ少し痛む上半身をゆっくりと起こし、まだ少しボンヤリとしている頭を抱える。

「……どのくらい寝てたんだ、俺は」

あの時――怪我を推して出陣しようとした時、背後から紫苑の声が掛かった。
その後に首筋に強い痛みを感じ、力が抜けていった所までは覚えている。
しかしそこから今までの間の記憶がまったくと言って良い程に無いのである。

どのくらいまで意識を失っていたのが気に掛かったが、周りに誰も居ないのも気になった。
将軍である愛紗達の姿はおろか、一般兵士達の姿も見えない。

「…………まさか!」

先程から聞こえてくる、外から響いてくる音。
元親は不安な面持ちで窓から外を覗くと、そこには信じられない光景が広がっていた。

「あいつ等……! 俺を置いて行きやがったのか!!」

一方は“七つ方喰”を印した旗を掲げる軍――
もう一方は“魏”の文字を印した旗を掲げた軍――
それ等の軍勢が雄叫びを上げながら激しく戦っているのだ。

「こうしちゃいられねえ……!」

元親は寝台から飛び退き、近くに畳んで置いてあった自身の上着を羽織った。
包帯に巻かれている身体の上から羽織るのは妙な感じがしたが、そうは言っていられない。
それから壁に立て掛けてあった碇槍を持ち、元親は部屋を飛び出した。

「ご、ご主人様!?」
「あんた! 何やってんのよ!!」

元親が部屋から飛び出した直後、月と詠の2人と鉢合わせてしまった。
見ると月の手には濡れた布、詠の手には新しい包帯が握られている。
どうやら自分の容体を今から見ようとしていたらしい。

「月……詠……」
「その格好……あんたまさか、戦に出る気じゃないでしょうね?」
「だ、駄目ですよご主人様! お医者様が言ってました、無理に動いたら傷口が開くって!」

詠が元親を睨みつけ、月が必死の形相で元親を止める。
元親は部屋を出る間が悪かったと、内心頭を抱えた。

「お前等分かってるだろ? 俺はこのまま黙って寝てる訳にはいかねえ男だって」
「そんな事は分かってます! けれど駄目です! またご主人様が大怪我したら……私……私……!!」

月が涙を流し、元親の腰に組み付いた。
そんな月の様子を見た詠は、元親に指を指して言い放つ。

「月の言う通りだわ! あんたまた大怪我負ってみなさいよ! 今度こそ、今度こそ本当に死んじゃうかもしれないのよ!!」

元親は詠の言葉を一字一句噛み締めるようにゆっくりと頷く。
そして腰に組み付いている月を優しく離した。

「言った筈だぜ? 俺はお前等を置いて死のうと思った事は1度もねえって」

碇槍を置き、元親は2人の身長に合わせるようにしゃがんでから言った。
元親の真っ直ぐな瞳に、月と詠は思わず瞳に吸い込まれるような感覚に襲われた。

「約束する。今度はもう意識無くして帰ってくるヘマはしねえってな」
「そんなの……信じられません……! もう1回約束を破ったじゃないですか……!」
「安心出来るのか……あんたが無事に帰ってくるのか……もう信じられないわ……!」

項垂れ、身体を震わす月と詠。
元親は2人をここまで不安にさせた自分を恥ずかしく思った。
だからこそこの約束は何としても守ってやりたいのだ。

「必ず約束を守る……! 絶対に守る……!」

元親は2人の頭に優しく手を置いた。
瞬間、2人の身体が大きく震える。

「愛紗達を助けて、曹操達を助けて、毛利の野郎をぶっ飛ばして、無事に帰ってくる。その後の愛紗達の説教も、お前等の言いたい事も好きなだけ聞いてやる。だから……行かせてくれねえか?」

元親がそう言った後、月が突如として元親の胸に飛び込んだ。
元親は月の頭に置いていた手を、ゆっくりと彼女の背中に当ててやった。

「本当に……約束を守ってくれるんですね……?」
「ああ。1回破っちまったし、もう破ったりはしねえさ」
「…………信じます。ご主人様」

元親は月の背中を優しく摩ってやった。
月の嗚咽は聞こえないが、元親は胸に涙が流れているのを感じていた。

「馬鹿……大馬鹿……バカチカ! もう勝手にしたら良いわ!!」
「詠…………」

詠は元親から背を向けて1歩離れた後、そう言い放った。
元親は参ったと頭を掻いたが、その後に聞こえてくる嗚咽に眼を丸くする。

「また破ったら……本当に……承知しないんだからね……!」
「ああ。破ったりしねえ」

詠が元親の方に振り向く。
彼女の顔は涙でグシャグシャになっていた。

「絶対に死なないでよ……! 絶対に……死ぬんじゃないわよ……!」

月と同じく、詠も元親の胸に飛び込む。
元親の広い胸は、2人の小さい侍女を何なく受け止めた。

その後、泣き止んだ2人は元親の身体の包帯を新しいのに交換した。
元親の傷口が開かないようにと、2人で密かに願掛けをしたのは秘密だ。
包帯を変えてもらった元親は、意気揚々と戦場に向けて駆け出して行く。
身体の痛みは不思議と感じなかった。

「あらん♪ 私も少しぐらいはご主人様のお役に立とうかしらね」

その光景を影で見守っていた巨体の男も、密かに戦場へと出て行った。
それに気付いた者は誰1人として居ない――

 

 

 

 

「愛紗さん、鈴々ちゃん、恋さんは正面から吶喊して下さい! 翠さんと水簾さんは右翼から攻めて下さい。紫苑さん、星さん、伯珪さんはその援護をお願いします!」

戦場に響く少女の声――その声は長曾我部が誇る軍師、朱里の物だ。
また、傍らに居るもう1人の軍師である(こちらは魏の側)荀ケも朱里に負けていない。

「春蘭と張遼は左翼から攻撃を! 秋蘭と季衣はその援護をして! 押し負けちゃ駄目よ!!」

同じくらいの知力を持つ朱里と荀ケの指示は的確な物だった。
各将軍に付いている兵士達は、将軍の指示の元に行動し、的確に敵兵を倒している。
戦場より少し離れた場所に居る2人であるが、自分達が持つ知力で激しい戦をしていた。

 

 

「退け退けぇーッ!! 早々に道を開けろぉぉぉ!!」
「鈴々達は負けられないのだ!! もっともっと掛かってこーい!!」
「…………邪魔!!」

正面を担当する愛紗、鈴々、恋は自身の持つ武力を遺憾なく発揮していた。
虚ろな眼をした魏の兵士達を、3人の持つ武器によって次々に吹き飛ばされていく。

 

「愛紗達には負けられないね。あたし達も意地を見せようぜ!」
「ふ……無論だ!」

右翼を担当する翠と水簾は会話を交わしながらも、敵兵を斬り倒していた。
槍を突き出してくる兵は得物を弾き、剣を振り上げてくる者は強引に斬り倒す。
力だけなら何物にも引けを取らない、2人が繰り出した戦法だった。

 

「あらあら……大丈夫かしら」
「熱くなりすぎだ。仕留めきれていない奴等が居るぞ」

右翼の援護を任された紫苑と星は、数人の長曾我部兵士に囲まれながら言った。
無論、兵士達が囲んでいるのは弓矢を扱う紫苑を守るためである。

「ちっ……後始末は面倒なのだがな!」

星は愛用の槍で翠と水簾が仕留め切れていなかった敵兵のトドメを刺す。

「星ちゃん、我が儘を言っちゃ駄目よ。与えられた役割はちゃんと果たさなくちゃね」

傍らの紫苑は矢を放ち、翠と水簾に不意打ちしようとする敵兵を仕留めていく。

「白馬隊も右翼の援護だ! 我等の力を見せるぞ!!」
「お任せ下さい!!」
「殿、我等も長曾我部殿の仇を討ちます!」

紫苑と星のすぐ横を白馬に跨った伯珪と、同じく白馬に跨った遼西の兵が駆け抜ける。
白馬の扱いは一級品である伯珪と遼西の兵達は、他の者達に負けないぐらい敵兵を蹴散らしていった。

 

「戦況はこちらが若干有利、か」
「せやな。けど、何だか呆気ない気がするわ」

左翼を担当する夏候惇と張遼の2人。
2人も他の組と同じく、敵兵を次々に蹴散らしていく。
かつては頼もしい味方だった魏の兵士達も、今では操られた立派な敵だ。
斬る時は複雑な気持ちに襲われるが、戦場の空気がそれを忘れさせた。

「なんやろなぁ……? この呆気なさ」
「どうしたんだ? ボケッとしていると、やられるぞ!!」

張遼は竜槍を振るいつつも、何か考えている様子である。
夏候惇は多少苛々しながらも、敵兵を斬り倒しながら問い掛ける。

「何だか違和感を感じるんや。こう呆気ないと」
「違和感だと? そんな物、戦場では感じる事ぐらいよくあるだろう!」
「それはそうやけど……(何かヤバい感じがするのは、ウチの気のせいか?)」

張遼を襲う妙な違和感――それは的中していた。
その結果は、最悪の形で彼女達に迫ってきていた。

 

「…………」
「? 秋蘭様、どうしたんです?」

左翼の援護を任された夏候淵(秋蘭は真名)と許緒は、果敢に敵兵を倒していた。
夏候淵の矢が敵兵の胸を射抜き、許緒の鉄球が敵兵を押し潰す。
そんな中、夏候淵の様子に気付いた許緒が彼女へ問い掛けた。

「…………嫌な予感がする」
「へっ? どう言う事ですか?」
「分からないが……私のこう言った予感は当たるんでな」

夏候淵の意味深な言葉に首を傾げつつ、許緒は敵兵の撃破に専念する。
夏候淵自身、何を言っているのだと思いつつも、嫌な予感は抜けなかった。

 

 

 

 

「ここまでは完璧……」

眼の前の戦場を見据えつつ、元就はそう吹いた。
脅威の速さでこちらへ迫ってくる長曾我部軍に対し、元就は一切慌てていない。
寧ろ、彼にとってこの程度の進撃の速さは十分に計算の内だった。

「干吉……」
「はっ、何でしょうか?」
「そなた自慢の傀儡、そして魏の駒共に指示をそれぞれ出しておけ」
「分かりました。それでどのような指示を?」

元就は冷たい瞳を干吉に向けた。

「傀儡には我が合図をするまで持ち場から動くなと言え。そして魏の駒共には……」
「魏の駒達には……?」
「死しても目的の場所に誘導しろ、そなた等の死の先に勝利がある……とな」
「…………御意」

言われた通り、干吉は両手で印を組み、傀儡と魏の兵士達にそれぞれ指示を出し始めた。
元就は自分の立てた策が順調に進んでいる事に満足していた。

 

 

 

 

「ハアアアアッ!!」

愛紗が青竜刀を振り下ろし、敵兵を頭から両断した。
死体から吹き出る血飛沫を気にも留めず、愛紗は突き進んでいく。

「鈴々! 恋! 遅れを取るな!」
「分かってるのだ!!」

鈴々と恋も若干遅れながらも、愛紗の後を付いていく。
無論、襲い掛かってくる敵兵に対応しながらだ。

「このぉぉぉ!! 逃げるな!!」
「…………鬱陶しい!」

鈴々と恋が苛々した声を上げた。
敵兵が何故か斬り掛かってきたと思うと、後ろ後ろへと徐々に後退していくのである。
一撃で仕留める事を目標にしている2人にとって、その敵の存在は意外に煩わしい。

2人よりも少し先に進んでいた愛紗は後退する隙だらけの敵兵をすかさず斬り倒した。
目的が分からなくて不気味だが、倒しておくのに越した事は無いだろう。

「あっ、愛紗、ありがとうなのだ」
「…………ありがとう」
「礼など構わん。それよりも先に……」

愛紗がそう言って正面を向いた時、眼の前に信じられない光景が広がっていた。
何と右翼とその援護部隊、左翼とその援護部隊、そして軍師隊が居たのである。
ここは正面の筈なのに、何故かそれぞれの役割に分かれていた部隊が眼の前に居るのだ。

無論、それぞれの部隊に従う兵士達も一緒である。

「な、何をやっているんだお前達! 自分達の持ち場はどうした!」
「そ、それがさ……逃げる奴等を追い掛けてて……気が付いたら正面の方に居たんだよ」

翠がオドオドした様子で愛紗に説明した。
傍ら居る水簾と、その援護を担当していた紫苑達も頷く。

「私も馬超達と同じだ。剣を向けながらも、後退していく奴等が気になってな……」
「ウチは何だか嫌な予感がするから止めとこうって言ったのに……」

夏候惇と張遼がそれぞれ自分達の部隊に起こった事を言った。
その後の夏候淵と許緒の話も同じような物だった。

「朱里に荀ケ……お前達もか」
「す、すいません。敵が後退していくのを見て、皆さんが撃退したのだと思って……」

朱里が申し訳なさそうに謝る中、荀ケは頭を抱えて言った。

「私とした事が……一生の不覚だわ。まんまと私達は敵の策に嵌り、正面に集められてしまった。何が起きても不思議じゃないわよ」

荀ケがそう言った瞬間、地面の砂が勢いよく宙に撒きあがった。
思わず愛紗達は眼を瞑り、砂で眼が見えなくなるのを防ぐ。
砂埃が収まると、そこには――

「「「「――――なっ!?」」」」

全員の眼が驚愕に見開かれた。
自分達の正面に剣、短剣、鉄球、鎌等、多様な武器を持った白装束が何百人と立っていたのだ。
更に背後には弓矢を構えた白装束が数百人も立っている。
弓矢を構えている者全てが狙いを愛紗達に定め、命を奪おうとしていた。

「そんなッ!? 気配も出さずに隠れているだなんて!?」
「奇怪な…………奴等、本当に人か?」
「そんな事を言ってる場合かよ! 完全に囲まれたぞ!!」

翠の言う通り、完全に愛紗達は退路を断たれてしまっていた。
正面には武器を構える白装束、背後には弓矢を構える白装束。
何処へ逃げようと、斬られるか射抜かれるか、どちらかの結末しか待っていなかった。

「くっ…………! どうする……!」
「一か八か、どちらかに突撃するしかあるまい。運が良ければ生き残るかもしれんぞ?」

愛紗の言葉に、星が微笑を浮かべて言う。
星の笑みは覚悟を決めた笑み、愛紗にはそう取れた。

「元就様の為に……」
「元就様の知略には敵わん……」
「悪の長曾我部に従う者達に正義の鉄槌を……」
「全員死ぬが良い……」

白装束の男達が無感情な声でそう言い、それぞれの武器を構えた。
弓矢を絞る音が愛紗達の耳に届く。狙った者に死を与える音だ。
愛紗達が苦し紛れに武器を構えた、その時――

「うおおおおりゃあああああああ!!!」

突如として響いた雄叫びと共に、弓矢を構えていた白装束が一気に何人も吹き飛ばされた。
攻撃を仕掛けられた弓矢を持つ白装束は反撃する間も無く、次々に倒されていく。
愛紗達が呆然とする中、弓矢を構えていた白装束はあっと言う間に全員倒されていた。

「俺を置いて戦に臨んだ割には、随分と危なかったな」

愛紗達の前に立つ人影――それは碇槍を肩に掲げる元親だった。
元親は微笑を浮かべ、愛紗達に言う。

「「「「「ご主人様(お兄ちゃん)、(元親)!!!」」」」」
「「「「「長曾我部殿(兄ちゃん)!!!」」」」」
「「「「「あ、アニキィィィィィッ!!!」」」」」

元親は愛紗達の顔を見渡した後、ゆっくりと前へ進んでいく。
そして正面で武器を構えていた白装束の前に立ちはだかった。

「ご主人様……何と言う無茶を……!!」

愛紗が皆を代表して元親に言う。
当の元親は愛紗達に背を向けたまま口を開いた。

「お前等からの説教は覚悟の上だ。だが説教を聞く為には早く帰らなくちゃいけねえ」
「…………?」
「俺は人質を助ける。だから後ろはもう振り返らねえ……この背中、お前等に預けた」

元親の力強い言葉が、愛紗達の耳に響き渡った。
愛紗達の心の中に段々と嬉しさが広がる。
元親の身体は確かに心配だ、けれどその心配を上回る何かがあった。

「「「「「「…………ハッ!!」」」」」」
「「「「「「…………御意!」」」」」」

愛紗達、元親の家臣達が力強く返事を返す。
夏候惇達も愛紗達に釣られ、思わず返事を返してしまった。
それ程までに元親の言った言葉には力強さがあったのである。

元親は皆の反応に満足したように頷き、そして言い放った。

「良い返事だ!! 野郎共、付いてきな!!」
「お任せ下さい!! 我等、全てを懸けて!!」

愛紗が元親に向け、自信に満ちた声で言った。
鈴々達も満足そうに頷く。

「兄貴ッ! 俺等、信じてたぜ!!」
「兄貴の復活だぁぁぁ!!」
「「「アニキーーーーーーッ!!!」」」

長曾我部軍がまるで水を得た魚のように生き生きとし始めた。
それが全て元親が現れた事によって起こった物である。
夏候惇達、魏の猛将達は改めて長曾我部元親と言う男の大きさを知る事となった。

武器を構えた白装束に元親が率いる長曾我部軍が迫る。
逆襲戦はまだ始まったばかりだった――




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