それは偵察に向かわせていた斥候により、突如として長曾我部軍へ報告された。

呉の軍師・周喩公謹による反乱――捕らえられた孫権に代わる、新たな呉王誕生の報せ。

先の戦で孫権が元親によって保護されてから、まだ3日も経っていない内の出来事である。
その報せが長曾我部軍に多大な衝撃をもたらした結果、朱里による緊急の軍議が開かれた。

何時頃にガタガタになった軍備を立て直し、こちらを攻めてくるか――
このまま本陣にジッと留まり、いずれ攻めてくる呉の軍勢を迎え撃つか――
それとも一旦幽州へと戻り、こちらも軍備を立て直して再度出陣するか――

上げられた議題で皆の意見交換が次々に行われる。

「ここは1度、幽州へ戻ってはどうだろうか。残っている兵糧も新たな呉を迎え撃つまで保つとは限らん」
「しかし今の呉を率いているのは、朱里に勝るとも劣らない軍師の周喩だぞ? 奴が先手を打ち、我々が戻る道に待ち伏せをしているかもしれん」

水簾が一旦戻る事を提案し、それを愛紗が反対する。
どちらの意見も正しいと言えるのが難しいところだ。
同じような意見が何度か飛び交い、軍議は難航を極めた。

「あたしも一旦戻る方に賛成かな? 兵糧がもし尽きたら、戦えるモンも戦えないし」
「ウチも翠に賛成やなぁ。武人が戦いで死ぬんなら未だしも、飢え死には格好悪いで」
「……恋も、お腹が空くのは嫌……」

翠、霞、恋がそれぞれ呟いた言葉に朱里が口を開く。

「いえ、皆さん。兵糧を補給する手立てはありますよ」
「ふえ? 朱里、それって一体どう言う事なのだ?」

鈴々の問い掛けに朱里が小さく頷く。

「ここの近くにある小さい街が幽州の陣営なんです。そこに協力を求めれば兵糧が貰えるかもしれません」
「ふむ……近くの街に協力を求める、か」

朱里の言葉を聞いた各々の武将が顎に手を添え、考え始める。
街がこちらの協力に応じてくれれば、ここに留まっても呉と戦い続ける事は可能だ。
そうなればここは下手に動いて奇襲を受けるより、留まった方が確実に安全である。

「……主、どう致しますか?」
「元親、お前の考えは?」

星と桜花の言葉に応えるように元親は組んでいた両腕を解き、椅子から立ち上がった。

「俺の考えは……そうだな」

そして愛紗達に背を向けながらも、ゆっくりと自分の考えを述べる。

「お前等や野郎共をみすみす危険に晒す訳にはいかねえし、留まった方が良いかもな」
「ご主人様、それではここに――」
「ああ」

朱里の言葉に答えた元親は振り返り、愛紗達を見つめる。

「ここは街の奴等に協力を求める。戦いが続いて辛いかもしれねえが、今が踏ん張り時だ」

愛紗達がゆっくりと頷く。

「良いか? 俺達は辛い戦いを何回も乗り越えてきた。この戦、意地でも乗り切るぞ!」
「「「「…………ハッ!!」」」」

難航を極めた軍議もどうにか無事に纏まり、終わりを告げた。
朱里はだいぶ疲れたのか、軍議が終わった後は深々と溜め息を吐いたと言う。

その後、元親は近くの街へ遣いを出し、兵糧の提供等の協力を要請――
朱里は万が一の為、幽州の方にも遣いを出し、兵糧の補給を要請した。

街への要請は快く受け入れられ、必ず届けてくれる事を約束。
また幽州の方からも出来るだけ早く兵糧を届ける事を約束してくれた。

ひとまず元親達は兵糧の心配は無くなったのである。

 

 

 

 

満月が輝く夜――本陣の天幕で元親は布の上で横になっていた。
愛紗達も今、明日に備えてグッスリと就寝している頃だろう。
――見張りは各自交代で続けているが。

協力を要請した街から大量の兵糧が届き、部下達のお腹と気力は満たされた。
だが朱里が念の為に要請した、幽州からの兵糧は間に合わなかったのである。

しかし届けてくれる事を約束してくれただけでも元親にとっては嬉しかった。
結果的に要請した当初は兵士達の、そして愛紗達への励みになってくれたのだから。

(奴等との決戦は明日――絶対に勝つ)

周喩が率いる呉との決戦は明日――危険を冒してまで偵察してくれた斥候からの報告だ。
きっと明日はこれまで以上に辛く、激しく、血生臭い戦いに発展するだろう。
なんせ呉には毛利元就と、彼に従う冷酷な白装束の一団が協力しているのだ。

軍勢を裏で意のままに操っていた今までとは違う――積極的な協力だ。
激しい戦いに発展しない方がおかしい。

(テメェも出るのか……? 毛利元就……)

元親はふと、長年の因縁で結ばれた宿敵の顔を思い出す。
自分を殺す為だけに月、華琳、そして和平を結んだ孫権をも利用した策士。
人を人とも思っていない氷の面を被り続ける彼が元親は気に入らなかった。

(あんたのやり方は理解出来ねえ……認める訳にはいかねえんだよ)

長年の因縁を断ち切る為、明日の戦で必ず決着を着けてやる――
それが例え、自身の命が絶対の危険に晒されようとも――必ず。

元親が決意を新たに宙に上げた右拳を強く握り締めた。
その時――

「長曾我部…………起きてる、か?」

本陣に顔をおずおずと出す女性――数日前に保護した孫権だ。
元親はゆっくりと起き上がり、彼女に視線を移す。

「ああ、起きてるぜ。どうしたんだ?」
「う、うん。その……寝付きが悪くてな。少し話でもしないか?」

元親はゆっくりと首を縦に振る。

「そりゃ良いな。俺もなかなか眠れなかったところだ」
「そ、そうか。良かった……」
「小蓮はもう寝たのか?」
「ああ。良く眠っている」

孫権はそう言うと元親のすぐ傍に腰を下ろした。
元親は胡坐を掻きつつ、孫権を一瞥する。

「やっぱ……悲しかったか?」
「えっ……?」
「ああ、ほら、周喩が反乱を起こして」

元親の言葉に孫権はゆっくりと首を横に振った。
表情は心なしか、自嘲気味に笑っている。

「確かに悲しかった……だけどそれ以上に私は私自身が許せない」
「…………どう言う事だ? そりゃあ」

元親が孫権へ静かに訊いた。
彼女は頭を押さえ、ポツリポツリと吹く。

「周喩の言葉に耳を傾けなかった自分が、周喩を白装束の奴等と手を組ませるまでに追い詰めていた自分が、周喩から逃げていた自分が…………許せない」

孫権の表情は激しい後悔の念で染まっていた。
元親は何とも言えない表情を浮かべつつ、頬を指で掻く。

「その、何だ。あんたの姉ちゃんて一体どんな奴だったんだ?」
「…………姉様の事が気になるのか?」
「まあ気になるな。周喩の行動は全部、姉ちゃんに関係してんだろ?」
「………………………」

孫権を保護した際、元親は彼女から呉の話や今までの周喩との関係の話は聞いている。
しかし周喩の行動の源になっている――孫策については何も聞いていなかった。

「姉様は……とても優しくて、強かった」

暫く黙っていた孫権がゆっくりと語り始める。
それを元親は一言も喋らず、真剣に耳を傾けて聞いた。

「“江東の虎”と恐れられた初代呉王の孫堅――母上が死んだ後、それを継いだのが姉様だ。母上が死んだ時の呉は、崩壊寸前にまでバラバラになったんだ。しかし姉様はそれをまた1つに纏め上げ、呉を立派な物に立て直した。その姉様の手腕に敬服し、従う者達は沢山居たんだ。姉様は何時しか、“江東の小覇王”と謳われるまでになった。今思えば、呉が一番輝いていたのはその時だったのかもしれない…………」

黙って聞いていた元親がゆっくりと口を開く。

「その姉ちゃんに敬服した奴の中に周喩も居たって事か……」
「ああ。周喩は寧ろ姉様には崇拝にも近い感情を抱いていた」

元親は眉を顰めた。
そこまでの感情を抱いているなら大胆な行動も取れると思ったからだ。
孫策の為に、孫策の為にと、彼女の名を大義名分として掲げて――

「周喩は姉様が死ぬ直前、姉様から夢を託されたらしいんだ。大陸統一の際に叶えようとした夢を……」

元親は顎に手を添え、ゆっくりと頷く。

「…………成る程ねえ。敬服する主からテメェに夢を託されりゃあ、嫌でも叶えてやりたい気になるわな」
「その夢の内容は私も知らない。だが姉様が死ぬ前に叶えようとしたんだ。きっと……大きな物だろうと思う」

孫権は天を仰ぐように顔を上へ向けた。
元親はそんな彼女を一瞥し、深い溜め息を吐く。

「周喩……亡霊に憑かれた女、か」
「えっ…………?」
「多分周喩はあんたの事、姉ちゃんと重ねて見てんだよ」
「私と、姉様を……?」

元親は確信したように言った。
孫権はその言葉に少し戸惑っているようだ。

「でなけりゃあんたに色々と言ったりしなかったと思うぜ? 本来姉ちゃんの夢を叶えんのは妹のあんただ。大陸統一をしてもらって夢を叶えてもらいたかったんだろ」

孫権は気まずそうに顔を俯かせた。

「でも私は耳を傾けず、逃げていた……。守ることに徹していた」
「でももう逃げたりはしねえだろ?」

孫権が俯かせていた顔を驚いたように上げた。
元親は微笑を浮かべた後、ゆっくりと口を開く。

「あんたは強くなった。幽州から戻った時、周喩と真正面から話そうと決心しただろ?」
「あ、ああ…………結局は白装束に操られ、話す事は出来なかったがな」
「話そうと決心しただけでも大きな成長さ。逃げてた頃と比べりゃあな」

屈託の無い笑みを浮かべ、元親は孫権の肩を叩いた。

「こうなったら意地でも周喩をとっ捕まえて、話の場を設けてやらぁ」
「話の場……? …………お前、あの時の事をまだ?」

孫権はフッと思い出していた。
妹の小蓮を迎えに幽州を訪れた際、元親が自分に提案した事である。
周喩と自分の仲を修復する為、周喩の考えを知るための場を作ると――

「ったりめえだ。それに大喬と小喬も奴を心配してんだ。無事にとっ捕まえなきゃな」
「……………………」

孫権は元親の言葉をゆっくりと噛み締めた。
和平を結んだとは言え、他国の自分達をここまで想ってくれている。
改めて孫権は彼が大きな信頼に値する男だと思った。

孫権はゆっくりと立ち上がり、天幕の出口へ歩いて行く。

「……時間を取らせた。もうお互いに寝なければ明日に差し支えるな」
「そうだな。でも良い時間だったぜ。色々とあんたの事が聞けたし」

元親の言葉に孫権は微笑を浮かべた。

「ふ…………馬鹿」
「言われ慣れてる。明日はここで小蓮と一緒に大人しくしてろよ?」
「……………ああ」

天幕から出た孫権は後ろを一瞥した後、1人呟く。

「ありがとう……頑張って、長曾我部」

孫権が呟いた言葉は誰にも聞こえる事なく、夜空へと吸い込まれていった――

 

 

 

 

決戦の日――再び両軍は、大量の兵士を以て対峙する。
軍旗が一陣の風で揺れ、互いの緊張感を高まらせていく。
戦場もまた、両軍の殺気と闘気で震えているように感じた。

(ちっ……それにしても奴等――)

元親は対峙する呉軍を見つめ、驚愕に眼を見開いていた。
それは多分、愛紗達も自分と同じ気持ちだろうと思う。

(呉の兵士と白装束の混合部隊か……嫌な予感がするぜ)

騎馬兵は呉の兵士を中心に組まれ、歩兵は白装束の集団で組まれている。
特に白装束はその中で異彩を放ち、嫌な予感を元親達に感じさせた。

「野郎共ッ! 踏ん張りどころだ!! 奴等の波に絶対に飲まれるな!!」
「「「「オオオオオオオッ!!!」」」」

元親が激を入れ、兵士達の士気を高める。
愛紗達もまた、自然と彼の声に闘気を高ぶらせた。

「敵が駆け出すと同時に、弓矢を放て! 足止めしたところを攻めます!」
「「「「応ッ!!!」」」」

長曾我部軍の正面、右翼、左翼で組まれた弓兵隊が、紫苑の指示に気合いの声で答える。
弓矢を少し上に構え、敵の出鼻を挫いてやる準備は終わった。

後は――弓矢を放つだけ。
弓の達人である紫苑に鍛えられた弓兵だ。
敵への狙いを外す事は少ないだろう。

そして――

「よしッ! 行けぇぇぇぇ!!」
「奴等を徹底的に殲滅しろぉぉぉぉ!!」

混合部隊の正面に立っている、鎧に身を固めた兵士達が叫ぶ。
その声と同時に一斉に元親達の元へ混合部隊が駆け出した。
殺気と闘気に溢れた兵士の顔は悪鬼を想像させた。

「今だ!! 放て!!」
「撃てぇぇぇぇ!!」

紫苑と水簾の掛け声に弓兵は一斉に弓矢を放った。
上空に勢い良く放たれた弓矢は途中で下へ曲がり、駆け出してきた混合部隊へと落ちる。
それはまるで大量の命を奪い去る豪雨のように思えた。

「うわぁぁぁぁぁ!?」
「ギャアアアアア!?」
「うおっ…………!?」

呉兵、白装束達の断末魔の悲鳴が戦場へと響き渡る。
騎馬兵は馬から落ち、歩兵はゆっくりと倒れていく。
死に顔はまるで自分が死んだ事に気付いていないように見えた。

「野郎共、敵の進行が遅くなった!! 今の内に攻めるぞぉぉぉぉ!!」
「ご主人様に続けぇぇぇぇ!! 決して敵の思う通りにさせるな!!」
「「「「オオオオオオオッ!!!」」」」

弓矢で牽制した後、元親率いる長曾我部軍が一斉に駆け出した。
正面、右翼、左翼の部隊が武器を構え、一意専心の心掛けで向かう。

崩れた混合部隊は急いで自分等の体勢を立て直し、再び駆け出す。
そして――両軍は激突した。

 

 

 

 

「おおおおりゃああああ!!」

正面の部隊――碇槍を振り回し、元親は向かってくる敵兵を薙ぎ払った。
自分に飛び掛かってくる者に対しては拳で、又は蹴り飛ばして対応する。
海と碇槍によって鍛えられた元親の腕力は時に短剣以上の威力を見せた。

「ご主人様はやっぱりやるね! 頼もしいや!」
「当たり前だ! 鬼をナメるなよ!」

元親の近くで戦っている翠が、十文字槍を振り回しながら言う。
元親もまた、十文字槍で敵を華麗に薙ぎ払う翠が頼もしかった。
姿はまだ確認出来ないが、愛紗と鈴々も負けないぐらい戦っているだろう。

(…………それにしてもこいつ等、顔色を変えやしねえ)

元親は敵を倒しつつ、混合部隊に吐き気を覚えた。
碇槍で貫かれようが、殴られようが、蹴り飛ばされようが、顔色を変えないのである。
これは白装束の一団に限った事では無く、一緒に攻めてくる呉兵も同じだった。

恐らく孫権が操られていたように、自分の意思と言う物を取られているのだろう。
白装束なら、兵を駒と見ている毛利元就なら、そんな指示を迷いも無く出す筈だ。
只――それは周喩も同じ考えなのか気になった。

「うおおおおおおッ!!」
「正義の鉄槌だぁぁぁぁ!!」

狂人のような声を上げ、元親に向かって2人の白装束が駆けてくる。
対する元親はうんざりした表情を浮かべ、白装束を迎え撃つ。

(周喩をとっ捕まえるまでの辛抱か……)
「「死ねぇぇぇぇ!!」」
「テメェ等なんかに殺されるか!」

真正面から突撃してきた2人の白装束を元親は碇槍を前に振るって薙ぎ払った。
身体から大量の血が吹き出し、絶命して倒れ伏す白装束を一瞥する元親。
すると――

「貰ったぁぁぁぁ!!」
「油断したな、長曾我部!!」

背後から殺気を感じ、元親は急いで振り向く。

「――――ちッ!!」

するとそこには鋭い光を放つ短剣を持ち、飛び掛かろうとしている2人の白装束の姿。
元親は急いで碇槍を構えようとするが、どうにも受け止めるのが間に合いそうにない。
短剣に刺されるのを覚悟で元親は白装束を迎え撃とうとする。

「うりゃりゃりゃりゃ!!」
「ハァァァァァ!!」
「「――――ッ!?」」

気合いの声と共に2人の白装束がゆっくりと倒れた。
彼等が倒れた後ろには武器を構える鈴々と愛紗の姿があった。

「お兄ちゃん、油断大敵なのだ!」
「ご主人様、くれぐれもお気を付けて!!」

そう注意を促し、再び自分達に掛かってきた呉兵を迎え撃った。
元親はそれを見送った後、微笑を浮かべる。

「ああ……助かったぜ」

その言葉と共に自分の後ろへ迫っていた呉兵を薙ぎ払う。
彼女達からの注意はしっかりと胸に刻み込んだ。

戦いはまだ始まったばかりだ――



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.