泰山――ここの大陸では一、二を争う広大な山々である。
登りきるには余程の修練を積んだ者でなければ不可能な程に高いのだ。
とある人々は天に続いているのではないかと噂し、泰山を称えていた。
そして泰山の頂上――そこには建つ血のように赤い建造物があった。
その構造は小さな祭壇に何処か似ており、見た者には神聖な物を感じさせる
――しかし中を覗けば悲鳴を上げて逃げ出したかもしれない。
祭壇内部の中央には、大量に積み上げられた薪によって燃え盛る1つの大火があった。
そしてその前に置かれている――芸術的造形の――円形の大鏡が淡い光を放っている。
それ等の周りを囲み、怪しげな呪文を唱える白装束に身を包んだ一団は異様な光景だった。
「……儀式の進みはどうだ? 于吉」
その光景を冷めた眼で見つめていた相方――于吉に声を掛ける左慈。
于吉はゆっくりと壁に預けていた背を離し、左慈に視線を移した。
「順調ですよ。この調子ならば予定通りに実行出来そうです」
「そうか……何よりだ。後は奴を殺すだけだな」
望み通りの答えを聞き、その場から去ろうと左慈は出口に向かった。
「何処へ行くのですか……?」
「決まっているだろう。奴を……長曾我部を殺しに行くんだよ」
フンと左慈は鼻を鳴らし、当然の事だと言わんばかりに答えた。
そんな彼の後ろ姿を于吉は呆れたような眼をして見つめる。
そして一呼吸間を置いた後、再び口を開いた。
「分かりませんねえ。この儀式が終われば全ては無に帰します。なのにどうして貴方は長曾我部を自らの手で殺す事に執着なさるのです? 放っておいても奴は死ぬんですよ?」
「……………………」
左慈は一言も答えず、黙ったままだ。
その事に疑問を持ちつつも、于吉は言葉を続ける。
「この外史の物語はもう終焉を迎えつつあります。その鍵がこの儀式――」
「黙れッ!?」
左慈は自身の近くにある壁に向け、怒声と共に鋭い蹴りを放った。
その威力は凄まじく、彼に蹴られた壁は粉々に砕け散った。
「確かにこの外史の物語は終わりつつある。だが俺は奴をこの手で殺す、それだけだ」
「そんなに憎いのですか? 長曾我部元親と言う人間が……」
――刹那、左慈は不気味な笑みを浮かべた。
「ああ憎いな。奴の性格、生き方、存在、全てが……な」
そう呟くように言うと、左慈は祭壇を出て行った。
彼の後ろ姿を見送った于吉は溜め息を吐き、頭を抱えた。
「我々はこの外史の管理者、そう役目を与えられた者。決められた道しか進む事が出来ず、抗う事など出来はしない。左慈、貴方もそれを分かっている筈でしょう……?」
于吉は空へゆっくりと視線を移した。
今の泰山の頂上に雲は無く、恨めしいと思うぐらいに晴れ渡っている。
この青空も、この大陸も、人々も儀式が終われば消える。無に帰すのだ。
そして自分も、左慈さえも――役目を果たした者は消えるしかない。
「左慈……貴方は――――」
◆
幽州の町々――そこをのんびりと歩くのは元親、月、詠の3人。
日頃健気に頑張ってくれている月と詠を労い、元親が2人を町に連れ出したのだ。
月と詠は多少元親に強引に言い包められた感があったが、今では満更でもない様子である。
何より久し振りに彼と共に町へ行くとあって、嬉しいと思う気持ちの方が勝ったのだろう。
「私達が来た頃より、人や御店の数が増えましたね」
「そうだな。ここまで来るのに長かったぜ」
前に愛紗に語ったように、しみじみと言った様子で月に言う元親。
しかしそこへ詠の容赦の無いツッコミが入る。
「まあ町を纏める政務は実際のところ、愛紗や朱里達が殆どやっているんだけどね」
「ぐっ……そ、そう言う気分が盛り下がる事をサラッと言うんじゃねえよ」
元親が項垂れ、溜め息を吐いた。
そんな彼の様子を楽しげに見つめる詠を月がソッと窘める。
「もう……駄目だよ詠ちゃん。ご主人様にそんな事言っちゃ……」
「ホントの事だから仕方ないよ。僕はちゃ〜んと知ってるんだから」
彼女からニヤニヤした視線を受け、ますます項垂れる元親。
真実を知られている為、反論がまるで出来なかった。
「ちくしょう……俺の頭の回転がもうちっと早けりゃあな」
「頭の回転が早いあんたなんて想像すら出来ないわよ?」
「うるせえな。実らねえ努力は絶対ねえんだぞ…………」
そう言ってはみた物の、頭の回転が早くなるにはまだまだだと元親は思っていた。
未だに内容が難しい書類は愛紗や朱里、桜花に任せ、自分は簡単な書類の担当だ。
かと言って無理をして字ばかりの本を読めば、3分も保てずに眠ってしまう始末。
やはり自分は根っから身体を動かす性分なのだ、机仕事は合わない。
――こんな事を愛紗達の前で言えば雷が落ちるのは間違いないが。
「で、でもご主人様は頑張っていますよ。魏と呉の復興に関する書類は、ご主人様だけで読み進めていましたし……」
落ち込み気味の元親を励ますように月が言った。
彼女の言う通り、元親は華琳達の魏、蓮華達の呉の復興については自分だけでやっていた。
時折愛紗達に詳しい説明を求めてはいたが、任せたりせず、元親1人だけでこなしたのだ。
――そしてその結果、魏と呉は復興が大方完了したのである。
その様子を見に行く為、数日前に華琳達と蓮華達は一時帰国したので今は幽州に居ない。
「月……お前って奴はやっぱ優しいなぁ」
月の言葉が身に沁みたのか、嬉しそうに彼女の頭を撫でる元親。
「あ……う……えへへ」
照れ臭そうに顔を赤らめる月だが、その表情は嬉しそうだ。
そんな2人の様子を複雑そうに見つめつつ、詠が吠える。
「ちょっとあんた! 月の頭を気安く撫でてんじゃないわよ!!」
「……へえへえ、意外に嫉妬深いこって。怖いねえ」
元親はクックッと笑いながら月の頭から手を離してやった。
彼が手を話す時、月が一瞬残念そうな表情を浮かべたが、誰も気付かない。
そんな他愛の無い会話を続けながら町を歩く3人だったが、その前に――
「あらん♪ 3人揃って、お・で・か・け? どぅふふ……」
自称“漢女”である筋肉妖怪・貂蝉が姿を見せた。
突然現れた彼を前に、元親と詠は露骨に嫌な顔を浮かべる。
そんな2人の反応を眼にして貂蝉はかなり不満そうだ。
「もうもう! どうして2人はそんなに嫌な顔を浮かべるのん? あたし泣いちゃうわよ」
「勝手に泣いてろ……鬱陶しいな。ところでテメェはこんなとこで何をしてんだよ」
「あらん、私だって町を散歩したりはするわよん♪ 品定めにね。どぅふふ……」
(た、食べる気だわ……!? こいつ、他の男を絶対に食べる気だわ……!?)
彼が驚かすように現れたら即鉄拳を叩き込む! 元親はそう心に決めていた。
しかし最近は強固な耐性が付いてきたのか、今では鉄拳は無くなっている。
詠と共に嫌な顔を思い浮かべるだけに留まっているところを見れば分かるだろう。
だがそんな2人を尻目に、月は貂蝉とのんびり挨拶をしていたりする。
「どうもこんにちは。貂蝉さん」
「あら月ちゃん。ご主人様達と違って、貴方は礼儀正しいわねえ」
月の優しさは皆に気味悪がられている貂蝉にも分け与えられるらしい。
その様子を見た詠は慌てて月を貂蝉から引き離した。
「何してんのよ月! あいつと話したら筋肉が伝染するわよ!?」
「そ、そんな事無いよ詠ちゃん。貂蝉さんには色々と……相談に乗ってもらっているから」
――刹那、詠が石のように固まった。
そしてそんな彼女に貂蝉は誇らしげに言い放った。
「そうよん♪ 月ちゃんからは色々と女の子特有の相談を受けているの♪」
「そ、そんな……月と……こんな筋肉妖怪が……相談をする仲だなんて……」
先程の元親に続き、今度は詠が絶望したようにガックリと項垂れた。
哀愁漂うその背中を見つめ、元親は優しく彼女の肩を叩く。
「まあ何だ……月には活発で個性的な友達も必要なんじゃねえか?」
「それが慰めの言葉になるかぁぁぁ!! 同情するなら月を返してぇぇぇ!!」
こんな小さな珍騒動も、幽州にとっては日常茶飯事の物である。
特に周囲の人々には笑みを誘う程度の物であった。
――そんな中をゆっくりと歩く白い人影。身体は白い装束に身を包んでいる。
彼は標的を瞳に捉えると、憎々しげに唇を噛み締め、拳を握り締めた。
(貴様だけは必ず俺の手で殺す……!)
そして彼――左慈は心内に憎しみを押さえながら言った。
「女を連れて談笑か。相変わらず能天気な奴だ」
聞き覚えのある声が耳に届き、元親は項垂れている詠を自分の後ろへと下がらせた。
そしてゆっくりと声がする方へ視線を向ける。周囲の人々も何事かと足を止めていた。
「テメェか……」
元親は左慈を瞳に捉え、思い出すように言った。
貂蝉も2人の雰囲気を感じ取ったらしく、月を詠の元へ下がらせる。
「俺の顔を忘れたとは言わせんぞ。長曾我部元親」
「忘れちゃいねえよ。テメェの強烈な蹴りは顎が覚えてらぁ」
左手で顎を触り、傷を確かめる元親。
それを見た左慈は満足そうに微笑を浮かべた。
「それにしてもまあ、よく衛兵に気付かれずに来れたじゃねえか。褒めてやるぜ」
「俺がそんなヘマをやらかすとでも思っているのか? この俺をナメるなよ……!」
そう言った後、左慈は月と詠の方へ視線を向け「くたばりぞこないが」と罵った。
視線を向けられた2人は左慈の顔を思い出したのか、顔を恐怖に強張らせている。
――董卓連合の時の、忌わしい思い出が月と詠を支配していた。
「今日こそ貴様を殺してやる! 死ねよ、長曾我部元親ぁ!!」
刹那、左慈が構えを取ったかと思うと、既に彼は蹴りを放っていた。
驚異的な速さに元親は驚愕するが、護身用に持ち歩いていた碇槍で辛うじて防ぐ。
人の怒りに満ちた力はとても恐ろしい――時には驚異的な力さえ発揮させるのだ。
左慈はまさに怒りの全てを己の蹴りに込めていた。
「ご主人様ぁ!?」
「元親ッ!?」
月と詠が悲鳴のような声を上げた。
貂蝉は自身の背に2人を隠し、遠ざける。
彼の表情は今までと違い、真剣な物だった。
「ぐっ……くっ……長い間、姿を見せなかった割にはやるじゃねえかよ」
「ふふふ……力を蓄えていたんだよ。貴様を殺す為にな」
様子を見ていた人々の悲鳴が上がり、遠ざかっていく。
中には警邏の仕事をしている将軍達に事態を伝えようと走っていく者まで居た。
「言うじゃねえか。だがな、やられっぱなしじゃあ気分が悪くなんだよ!」
元親は右腕に渾身の力を入れ、碇槍を振るった。左慈が顔を強張らせる。
受け止めていた左慈の蹴りを弾き、元親は反撃に左拳を頬へと打った。
――しかし紙一重の差で避けられ、元親が内心で舌打ちをした。
「馬鹿がッ! 素手の勝負で俺に敵うか!」
不適に笑い、左慈は反撃に元親の腹部へ蹴りを見舞った。
避けきれず、鋭い蹴りが吸い込まれるようにして胸部へと突き刺さる。
元親が少量の胃液を吐きながら背後にあった小物屋へと勢いよく吹き飛ぶ。
そのせいで売り物、椅子がバラバラに壊れ、倒れた元親へ降り掛かった。
「嫌ぁ!?」
「そんな……元親ぁ!?」
月と詠が駆け寄ろうとするが、貂蝉に固く止められた為にそれは叶わない。
町の人々の顔は恐怖に引きつり「将軍を早く呼べ!」と辺りに叫んでいる。
左慈はそれを鬱陶しく思いつつも、動かない元親へ向けてゆっくりと歩いた。
「トドメだ。貴様の愛する町で死ね、長曾我部」
そう左慈が悪態を吐いた瞬間、倒れていた元親がゆっくりと起き上がった。
左慈を睨み、血が混じった唾を地面へと吐く。まだ微かに血の味が感じられた。
元親は首をコキコキと鳴らし、碇槍を向けて言い放った。
「ホントに前とは違うなぁ。正直驚いたぜ」
「ちっ……しぶとい奴め」
左慈が再び構えを取った。元親も2度目は喰らわないと、ゆっくりと構える。
辺りに緊迫した空気が流れ、人々のざわめきも釣られて止まり始めた。
「来いよ……」
「そのつもりだ……」
そう一言呟き、2人が動こうとした――その時だった。
「よいしょっと♪」
「「な――――ッ!?」」
今まで月と詠を守っていた貂蝉が突然動き、背後から左慈を襲った。
殺気を感じ取った左慈は瞬時に跳び退き、貂蝉の攻撃を回避した。
構えていた元親は呆気に取られ、その場で固まったままである。
「くっ……! 邪魔をするな貂蝉!!」
「あらん……それはダメダメダメダメなのよん♪ 左慈ちゃん」
「貴様ッ! 俺達と同じ作られた存在のくせに、この世界を認めると言うのか!!」
「認めるも認めないもないわ。この世界はこうして存在している。それが全てよ♪」
2人が交わす会話――まるで左慈と貂蝉は昔からの知り合いのようだった。
元親が覚えている限りでは、2人は少ししか顔を合わせていない筈である。
元親の頭は今、混乱の渦に飲まれていた。
「ぐっ……この薄汚い裏切り者がぁぁぁぁぁ!!」
左慈が怒声と共に蹴りを放った。
しかし貂蝉は巨体とは思えない程の身のこなしで、軽やかに避けていく。
この場で見守る誰もが、その光景に驚愕の色を隠す事が出来なかった。
「何故だ貂蝉! 貴様と初めて対峙した時もそうだった。貴様も俺達と同じ存在、役目を与えられた者だ! どうしてこの張りぼての世界を許容する!」
左慈の怒声に一切怯む事なく、貂蝉は口を開く。
「例え張りぼてでも、この世界は既に1つの物語を持ってしまったわ。それを潰そうだなんて、おこがましい事。……世界は広がる物よ。何処までも果てしなく……それこそご主人様が育ったと言っていた、海のようにね♪」
元親の表情がハッとした物に変わる。
奴は――貂蝉は――何者なのだろうか。
「あくまでこの世界を守ろうと言うのか……?」
「貴方も于吉も、あくまでこの世界を壊す気……?」
貂蝉の言葉に左慈が微笑を浮かべ、すぐに後退した。
「それが俺達に与えられた役目だ。最早この世界が滅ぶのは止められん。既に于吉が準備を始めている。筋の出来た舞台劇……この世界は終わるのさ」
「まだ準備の段階って事は……止められる時間があるって事ね。良い話を聞かせて貰ったわ、左慈ちゃん。ありがとねん♪」
左慈が舌打ちをした。余計な事までペラペラと話し過ぎたかもしれない。
貂蝉に背を向け、左慈は空高く跳び上がった。
「裏切り者に邪魔された御陰で興が醒めた。長曾我部元親……次に会う時までその命、預けておくぞ」
そう言い終わった後、左慈の姿は周囲に現れた白い煙の中へ消えた。
白装束お得意の、煙幕である。元親はそれを見届けた後、貂蝉に視線を移した。
彼もその視線に気付いたのか、ゆっくりと元親の方へ向いた。
「貂蝉……テメェは一体――」
「おっと、そこまでよご主人様。問い詰めたい事があるのは分かるわ。でも今は――」
貂蝉が元親から月と詠へ、そしてこちらへ向かって来ている愛紗達へ視線を移した。
「みんなが揃ってから話しても遅くはないわ。ね?」
まるで自分の心を見透かされたようで、元親は顔を強張らせた。
自分を心配して駆け寄ってきた月と詠に礼を言いつつ、元親は貂蝉を睨む。
左慈が彼と戦っている時に言い放った――あの言葉が頭から離れないのだ。
『貴様ッ! 俺達と同じ作られた存在のくせに、この世界を認めると言うのか!!』
『ぐっ……この薄汚い裏切り者がぁぁぁぁぁ!!』
その言葉が何を意味するのか――この時、元親はまだ何も分かっていなかった。
後書き
どうも! 最新話の第59話をお送りしました。本当に御待たせしてすいません。
そして沢山のWEB拍手にメッセージ、メールの感想をありがとうございます。
中には厳しい指摘等もありましたが、私にとっては良い薬であり、感想です。
これからも宜しくお願いします。
最終話までは後もう少し。
オリジナル路線全開でいきます。
では、次回の御話でまた会いましょう!