「太守様、御苦労様です」
「これどうぞ、貰ってって下さい」
「「太守様! これもどうぞ!」」

久々に幽州の街への警邏に参加した元親。
少しばかり仕事から離れ、民の様子を見る事にしたのである。
街に降りてみれば予想通りと言うか、何処の店も繁盛していた。

「野郎共が笑顔なのは良い事だよなぁ、愛紗」

元親が自身の前を歩いている、今回の警邏の付き添い人である愛紗へ声を掛けた。
しかし“仕事は真面目に”を信条にしている彼女からすれば、主の態度は少々不満だ。

「確かに民が笑顔なのは良い事です。ですがご主人様、警邏中に買い食いは感心しませんよ!」

不機嫌な面持ちで振り返った愛紗が暢気な態度の元親に言い放った。
対する元親は左手に抱える、民から貰った数々の食べ物を見つめる。

「いや、これは買い食いっつうより貰い食いだろ? それに食ってねえし」
「屁理屈は結構です! とにかく警邏はちゃんとやらなければ、兵士達にも示しが――」

愛紗が御決まりの説教モードに入ろうとした時、何処からか“クゥ〜”と言う音が鳴った。
それと同時に愛紗が言おうとした言葉もピタリと止まる。

「な、何だぁ? どっから鳴った?」

間抜けな音に首を傾げる元親だったが、その発生源はすぐに分かった。
眼の前に居る愛紗が顔を真っ赤に染め、お腹を手で押さえているのだ。
これで発生源が分からなければ可笑しいと言うものだろう。

「愛紗……」
「……な、何ですか?」
「腹、減ったのか?」
「だ、大丈夫です。さあ、警邏を続けますよ!」

明らかに彼女のお腹が助けを求めているのだが、愛紗自身はそれを認めようとしない。
元親は意地っ張りな彼女に生暖かい視線を送るが、愛紗はそれを振り切って警邏を続行。

彼女の後ろ姿を見つめ、元親は軽く溜め息を吐いた。

(腹が減ったなら遠慮せずに言やぁ良いのによ)

元親はそう思いつつ、民から貰い受けた桃を1つかじる。
甘い味が口内に広がり、警邏への意欲を上げてくれた。

 

 

「今度から腹が減ったなら遠慮せずに言えよ」
「うう……分かりました」

街を一通り回り終えた元親と愛紗は今評判の拉麺屋を訪ねていた。
警邏中に何度か鳴り響いた愛紗のお腹を元親が案じての事である。
――あくまで警邏を続けると言う、愛紗の意地が招いた事だが。

「この関雲長、一生の不覚です。ご主人様や民の前で腹を何度も鳴らすとは……」
「そこまで真剣に思い詰める事もねえだろうよ。次から気を付けりゃ良いだろ」
「はい…………」

武人としてか、はたまた女性としてか、恥ずかしさで愛紗の顔は未だに真っ赤だ。
店に入り、席に座った今は収まったが、彼女のあんな顔を見たのは久し振りである。

「いらっしゃい。何にしましょう」

店員が水の入った杯を置きつつ、2人の注文を取る。

「俺は拉麺。麺とメンマ、チャーシュー大盛りで。お前はどうする?」
「そんなに食べるのですか? 先程貰った食べ物を食べたばかりなのに……」

愛紗の言葉に元親がお腹をポンと叩く。

「昼飯と貰い物は別々だ。食える時は食うんだよ」
「はぁ……凄いですね。店主、私も拉麺を頼む」
「はい! かしこまりました。お願いしま〜す」

店員から元親と愛紗の注文を伝えられ、店主がせっせと作り始める。
出来るまでの間、元親は用意された水に口を付けた。

少量を飲み干した後、元親がゆっくりと口を開く。

「なあ、愛紗……」
「? 何でしょうか?」
「今更だけどよぉ、俺って三国を平定したんだよな?」

元親からの問い掛けに愛紗は柔らかい笑みを浮かべながら答える。

「ええ、ご主人様は三国を平定なさりました。まだ大陸全土が平和とは言い切れませんが」
「そうなんだよなぁ。まだ肝心な奴等が残っていやがる……」

元親と愛紗の頭に思い浮かぶのは、全ての事件の黒幕であった白装束の存在。
彼等が存在する限り、大陸全土が平和になっていくとは言い切れないのだ。

「白装束が残っている限り、我等の戦いはまだまだ終わりません。決着を着けなければ」
「ああ。その為にお前等も野郎共も必死に訓練に励んでいるもんな」

元親が微笑を浮かべ、背もたれに寄り掛かった。

「ふふ……どうされたのですか、ご主人様。何か懐かしんでいるような感じですね」
「懐かしみたくもなるぜ。お前や鈴々と初めて会った時は、ここまで来るとは思ってもいなかったからな」

愛紗も微笑を浮かべ、水を一口飲み干す。
彼女もまた、元親と同じ思いだった。

「そうですね。ここまで来るのに、とても長かったです……」
「長かったなぁ……本当に」

2人の席を――店内にも関わらず――穏やかな風がソッと吹きつける。
呟いた言葉の後、暫く2人は黙っていたが、雰囲気が全てを語っていた。

そしてその沈黙を元親が愛紗の頭をポンと叩いて破った。

「そんな訳でこれからも頼りにしてるぜ? 愛紗」
「あっ……こ、子供扱いはしないで下さい!」
「おっと、悪ぃ悪ぃ。ついな、やっちまった」

意地の悪い笑みを浮かべ、からかうように言う元親。
愛紗は「もう……」と呟きながらも、笑顔を浮かべた。
――その光景を見ていた店主が微笑ましい視線を向けていた事を2人は知らない。

「拉麺大盛り、お待たせしましたぁ」
「おっ、もう出来たのか。早いな」

注文した拉麺を持ってきてくれたらしい店員の声を聞き、元親が視線を向ける。
愛紗の視線も自然とそちらへ向き――2人は石のように固まった。

「「お、お前…………」」

2人が驚いている中、拉麺を持ってきた者も驚いていた。

「え、ええ……! あ、あの……」
「何故お前がここに居る! 顔良!」

愛紗が思わず立ち上がり、指を差して言い放った。
店員――顔良がどうして良いか分からず、慌てふためく。

「え、えっと……! そ、その……」

だがそのせいで彼女が持つ盆の上に乗った器が揺れ動いた。
無論、その中には出来たての拉麺大盛りが入っている。

そして――事件は起こった。

「「あっ…………!」」

愛紗と顔良がそう呟くのはほぼ同時であったと言って良い。
盆の上から器が消え、それが元親目掛けて落ちていくのだから。

「おっ…………」

元親からすれば、その出来事はゆっくりに見えたかもしれない。
自分目掛けて容赦無く熱々の拉麺が入った器が落ちてくるのだ。
――認めたくない、現実逃避からかもしれないが。

 

この日、拉麺屋で初めて幽州太守の悲鳴が上がった――

 

 

 

 

場所は変わって、ここは元親専属医の華柁が務めている医院である。
あの後、腕に火傷を負った元親を慌てて愛紗がここへ連れ込んだのだ。
無論、顔良も同行し(拉麺屋はクビ)同じ店に居た文醜も(同じくクビ)一緒に来ていた。

拉麺が顔に掛からなかったのが幸いだったが、腕の火傷だけでも愛紗の怒りは十分だった。

「顔良! 貴様一体どう言うつもりだ! ご主人様に拉麺を零すとは!!」
「御免なさい……! 本当に御免なさい……!! ワザとじゃないんです……!」
「当たり前だ! もしワザとであれば貴様はもう終わりなんだぞ!!」

愛紗に攻められ、涙眼になりながら必死に謝罪する顔良。
それを見兼ねた元親がやんわりと愛紗に声を掛ける。

「愛紗、もうその辺で止めとけ」
「……! しかしご主人様……!」
「顔良もだ。謝るのはもう止めろ」

元親の言葉に顔良は涙を拭い、コクリと頷く。
そんな彼女を慰めるように傍らに居る文醜が背中を優しく叩いた。

「でも本当に御免な。斗詩が迷惑を掛けちまって」
「別に構わねえよ。これもただの飾りって思えば楽な物だ」

包帯を巻いた右腕を見せ、元親は微笑を浮かべた。
一方の愛紗と言えば元親の対応に少し不満気である。

「しっかし久し振りだな。お前等、最後に別れた後は何をしてたんだ?」
「ああ、あたい等はあの後、各地を旅して回ってたんだよ」
「行く宛ても無かったし……それしか無かったんですけどね」

元親からの問い掛けに文醜と顔良が苦笑しながら答えた。
彼に次いで愛紗が少し厳しい口調で問う。

「だがどうしてお前達はあの店で店員なんかしていたんだ? 旅に疲れ果てたのか?」
「違うよ。長曾我部の兄ちゃんが三国を平定したって、旅してた時に風の噂で聞いてね。一回幽州ってどんな街なのか見てみたかったし、運良く兄ちゃんと会えた時には色々と御礼を言おうと思ってさ」

随分と運頼みな試みに、愛紗は頭を抱えた。

「そう決めた後、幽州まではどうにか辿り付けたんですけど……文ちゃんが拉麺屋に入っちゃって……」
「うんうん。あの時は物凄くお腹空いてたからさ、そのまま拉麺を2人で3杯ぐらい食べたんだよなぁ」

へらへらと笑う文醜に対して顔良は苦労人の表情だ。
そんな彼女達に向け、元親と愛紗は同時に溜め息を吐いた。

「それで金が足りなくて店主に咎められ、食べた分を働いて返す事になった訳か」
「文醜よぉ……猪突猛進にも程があるぞ(俺も他人のことは言えねえけどな)」

2人の行動には少々呆れたが、元親は内心安堵していた。
音沙汰が無かった者が生きていたのだから、そんな気持ちになるのは当然と言える。
更に元親はこの機会に彼女達の主だった袁紹の最後について話しておく事にした。

「文醜、顔良……ちょいとこれから大切な事を話す。ちゃんと聞いててくれ」
「え……う、うん」
「分かりました……」

今までの様子からガラリと変わった元親に文醜と顔良が密かに息を飲む。

「ご主人様……! まさかあの事を話すのですか……!」
「このまま黙ってる訳にもいかねえだろ。どうせ……何時かは分かる事だ」

元親は2人を交互に見た後、ゆっくりと語り始めた――

 

 

 

 

(ううっ……どうしよぉ……!)

物影に隠れつつ、元親達の様子を伺うのは、この医院に勤める華柁その人。
そして彼女の後ろには溜め息を吐いている彼女の師匠が居た。

(太守様の包帯を固く留めたいんだけど……出ていけないよぉ……!!)
(ふう……太守様よ、重い話は別のところでやってくれんかのぉ)

元親達の知らないところで苦悩する2人の影があったのだった。
無論、元親達は彼等に気付く筈も無い――

 

 

 

 

全てを語り終えた後、医院の室内は重い空気に満たされていた。
元親と愛紗は気まずい表情を浮かべ、文醜と顔良は顔を俯かせている。
暫く暗い沈黙が続いたが、それを破ったのは――意外にも文醜だった。

「そっか…………ありがとう、兄ちゃん」
「文ちゃん……!!」

文醜の思いも掛けない一言に元親と愛紗の眼が驚きに見開く。

「変な意味じゃないよ。ただね、あの人を最後に見取ってくれたのが兄ちゃんで良かった」
「俺で良かったって……」
「うん。何となく他の奴等に見取られるよりかは良いなって……思ったんだ」

刹那、文醜が自嘲気味な笑みを浮かべる。
そして――彼女の眼から一筋の涙が零れ落ちた。

「あ、あれ……? 何でだろう……」
「文ちゃん……ぶんちゃあん……」

文醜は涙を拭うが、止まるどころかドンドンと溢れて出てくる。
それに触発されたように顔良の眼からも涙が溢れていた。

「何で……涙が……と、止まらない……とまらないよぉ……」
「うっ……うっ……ヒック……えぐ……」

2人が大粒の涙を流して泣いている中、元親と愛紗はその光景を黙って見つめていた。
彼女達が思う存分泣いて、泣いて、泣いて、泣き抜くまで――

 

 

「ぐすっ……御免。情けないとこを見せちゃって」
「何だか……今日は長曾我部様に御免なさいを何回も言っていますね」
「情けなくねえし、気にするな。泣きたい時は思い切り泣きゃあ良い」

微笑を浮かべ、文醜と顔良の肩を叩く元親。
2人は残った涙を拭いながらも、少しの笑顔を見せた。

「お前達……これからどうするんだ? また別のとこで働くのか?」

愛紗が2人へ唐突に質問を投げ掛ける。
あまりに突然だったので2人は答えに詰まった。

「もし良けりゃあ、俺のところへ来な。お前等2人くらい受け入れてやらぁ」

元親が屈託の無い笑みを浮かべながら、胸をドンと叩いて言う。
彼の言葉に文醜と顔良が顔を見合わせた後、ゆっくりと首を横に振った。

「兄ちゃんの誘いは嬉しいけどさ……乗る訳にはいかない」
「どうしてだ? 別に俺はお前等が来たって良いんだぜ?」
「長曾我部様の御言葉は本当に嬉しいです。けれど……すぐにそれに甘えるのは私達自身が許せないんです」

顔良がガンとした姿勢で元親に言った。
元親は真剣な表情で彼女の決意を受け止める。

「もう少しだけあたい達は大陸を見て回ろうと思う。旅を続けるよ」
「仲間に誘ってくれて、本当にありがとうございます」

顔良がそう言った後、彼女と文醜が同時に頭を軽く下げた。
彼女達の固い決意を受け止めた元親は再び彼女達の肩を叩く。
今度は優しく、撫でるように叩いた。

「そこまで言われちゃあ俺はもう止めねえ。頑張りな」
「「はい!」」

元親に激励され、元気な声を上げる2人。
その後、愛紗の明らかに大きい咳払いが響いた。

「ご主人様の屋敷に少し寄って行け。旅に必要な物をやる」
「えっ……! ほ、本当ですか!?」
「ああ、嘘は吐かん」

愛紗からの思わぬ言葉に文醜と顔良は喜んだ。
元親はすぐさま愛紗に駆け寄り、肘で突く。

「なかなか粋な事をするじゃねえかよ。え? 愛紗」
「勘違いしないで下さい。このまま行かれて倒れでもしたら感じが悪いだけです」

照れていると、元親は彼女の態度からすぐに感じた。
まあ、こう言うところが愛紗らしいと言えば愛紗らしい。

2人の新たな旅立ちを祝うように、穏やかな風が外に吹いた――





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