幽州の町々――多くの人々が商売や仕事に励んでいる賑やかなところである。
露店を構えているところもあれば、何処からか商売の為に遠路遥々やってきた者も居た。
黄巾党に襲われ、酷く寂れていた頃と比べれば、今の町の模様は雲泥の差と言って良い。
そしてそんな中を太守である元親が普通に歩いていても、騒ぐ程の事では無かった。
「これはこれは。御元気ですか? 太守様」
「まあボチボチだな。仕事が終わって抜け出してきたとこなんだよ」
「たいしゅさまぁ。おしごとをほうりだしちゃいけないんだよぉ!」
「おいおい、人聞きの悪い事を言うなよ。ちゃんと終わらせたぜ?」
ここに住む人々からすれば、太守が出歩いている様子は最早日常的な光景なのである。
彼の人柄故か、はたまた元親の豪胆な性格を分かっている住人の慣れか――それは不明だ。
幼い子供まで気軽に声を掛けているのは不謹慎かもしれないが、元親は特に気にはしない。
「ふう……参ったぜ。これじゃあ息抜きにもなりゃしねえ」
溜め息を吐きながらそう呟く元親だが、彼の表情は笑顔を浮かべていた。
内心では会う人々に声を掛けられるのは悪い気はしないし、良い気分だった。
だが――この賑やかな町々も、元気な人々も、後少しで見納めになるのだ。
(しっかりと家族の姿を眼に焼き付けておかなくちゃな……)
右腕で両目を軽く擦り、観察するように辺りを見回す元親。
眼に映る人、店、物――その全てが掛け替えのない物に思えてくる。
(こいつ等は強くなった。最初に会った時より何倍も、何十倍も……)
貂蝉から話を聞き終わった際、町の住人達は自分が居なくなっても大丈夫なのかと思った。
それは只の強い自惚れかもしれない。だが自分が居なくなった後の事がとても心配だった。
しかしそんな心配は無用な物だったと、元親は今日改めて思い知らされたのだ。
何の気なしに空を見上げてみた。憎らしくなる程の青空が広がっている。
まるで心の底で悩んでいる自分を嘲笑っているかのようだった。
(守ってやるさ……絶対に、何が何でも)
彼等は元気に暮らしている。笑顔で、強く、希望を持って生きている。
そんな彼等の命を奪い、世界を壊して良い権利は誰も持ってはいない。
自分が太守としてやる最後の仕事――彼等を絶対に守ってみせるのだ。
「ちっ……ウジウジすんのは“らしくない”って、誰かに言われたっけか」
自嘲気味の笑みを浮かべつつ、元親は何時の間にか止めていた徒歩を再開する。
特に目的地がある訳でもない。町を隅々まで見て回り、眼に焼き付けるのだ。
永久に忘れないよう、しっかりと。
「チッカちゃ〜ん! こんなとこにおったん?」
元親が徒歩を再開した直後、元気な声が彼の耳に届いた。
自分の呼び方からして正体が分かった元親はゆっくりと後ろに振り返った。
すると声の主はもう目前まで来ており、抑え込むように元親を押し倒した。
「ぐげっ!?」
カエルが潰れたような悲鳴が辺りに響いた。
そんな悲鳴を出させた張本人は、元親の上に乗って苦笑している。
「あははは……ちょい勢いが強すぎたわ」
「あのなぁ……もうちょい加減を考えやがれ」
元親は不機嫌な顔を浮かべつつ、ゆっくりと上に乗る声の主――霞を押し退けた。
「ちっ……ったく、一気に周りの注目を集めちまったじゃねえか」
パンパンと服に付いた砂を叩きながらボヤく元親。
「まあまあ気にせんでええやんか。チカちゃんは元々有名人なんやし」
「そう言う問題でもねえだろ……」
そう言ってヘラヘラ笑う霞に対し、元親はガックリと首を落とした。
元来底抜けに明るい性格の彼女にこれ以上反省を求めても無駄だと思ったのだ。
戦場に出れば“泣く子も黙る”と言われている武将なだけに、日常の差が激しい。
「ところでチカちゃん、こんなとこで何してたん? 今の時間は仕事中やなかった?」
「仕事を一通り終わらせたから、休憩がてら町を見て回ってたんだよ。見回りだな」
元親から理由を聞いた霞は「ふ〜ん」と顎に手を添えながら小さく何度も頷いている。
彼女の行動に内心首を傾げつつ、元親は町の見回りを再開しようとした――時だった。
「そんならウチもチカちゃんと一緒に回る! その方が楽しそうや」
彼女の突拍子も無い発言に、元親は思わずその場で転びそうになった。
何とか踏み止まったので転ぶ事は避けられたが、霞の発言には驚いたままだ。
「楽しそうって……あのなぁ、見たところお前警邏の途中だろ? 良いのかよ」
「警邏の仕事は本来町の見回りや。同じ事してるチカちゃんと一緒に居ても、何の問題も無いと思うけど?」
確かに彼女の言っている事は正論である。元親としては反論のしようがない。
霞の顔をソッと一瞥してみた。眩しいくらいの満面の笑みを浮かべている。
深い溜め息を1度吐いた後――元親は折れた。
「わぁーったよ。付いてくるなら好きにしな」
「やったぁ! 大好きやで、チカちゃん」
「ああもう! んな事ぐらいで抱き付くなって!」
嬉しさに抱き付いてくる霞を引き剥がしつつ、元親は見回りを再開する。
少し騒がしくなるかもしれないが、賑やかなのも悪くはないと思った。
◆
「何処も以上無し。幽州の町は今日も平和やなぁ」
「…………あのな、霞」
2人が行動を共にしてから1時間後――町の賑やかさも益々増してきていた。
見たところ行商人の数も増えてきており、多種多様な商品が並んでいる。
その中を並んで歩く元親と霞だが、元親の方は呆れたような表情を浮かべていた。
「どしたん? 何か問題があるん?」
「……これじゃあ歩き難いだろうがよ」
元親が空いている右腕で自身の左腕を指し示す。
現在そこは霞の右腕に絡められ、自由を失っていた。
「別にええやないか。腕を絡ませて仲つむまじく歩く2人……1回やってみたかったんや」
頬をほんのりと赤らめ、嬉しそうに話す霞。
そんな彼女の様子を見て元親は呟く。
「少なくとも警邏中にやる事じゃねえだろうに…………」
「細かい事は気にせんでええの。ほら、ドンドン行こうや」
霞に引っ張られ、強制的に進まされる元親。
行動を共にしてからと言う物の、丸っきり彼女のペースに嵌っている。
少しは自分に行動権を移してほしい――元親は秘かにそう思っていた。
(ん? ありゃあ……)
そんな時、元親は前を歩く小さな屋台に眼が行った。
そしてすぐ横を通り過ぎた時、元親は足を止めた。
「おっとと! チカちゃん、急に止まらんといてよ」
「悪いな。少し気になる物があったもんだから」
元親はそう言って屋台を引く男に声を掛けた。小柄で優しげな人物である。
店主の男は屋台を止め、声を掛けた元親に売っている商品をソッと見せた。
「ん? 何やのコレ」
「こちらはねえ御嬢さん、ありがたい水晶の御守りですよ」
店主はそう言って商品の1つを霞に手渡して見せた。
綺麗な花の形をした装飾品の真ん中に小さな水晶が2、3個ほど埋め込んである。
水晶の御守りと名を打っている割には小さいが、十分に見事な商品であると言えた。
「へえ。ウチこう言うの好きやで」
「ありがとうございます。褒めて頂くのは何よりですよ」
霞と店主が話している間、元親は商品の棚をジッと見つめていた。
多種多様な花と色、何より御守りと言うのに思わず心惹かれた。
最後の戦に向けて――買っていってやるのも良いかもしれない。
「親仁……」
「へい?」
「1つ1つ全部違う物、27個くれねえか? 金はちゃんと払う」
元親の突然の要求に対し、店主は思わず度肝を抜かれてしまった。
自分が商売を始めて数年――そんな沢山に買ってくれる客は居なかったのだ。
度肝を抜かれたのは霞も同じだったようで、元親と店主を交互に見ている。
「どうした? もしかして27個も花の種類や形が違う物はねえか?」
「い、い、いえ! ちゃんとございます! すぐに御用意致します!」
店主は屋台をあさり、自分の元にある御守り全てを探し始めた。
元親はその間に金を払う準備をしようと、財布の紐を緩めていた。
「ちょ、ちょっとチカちゃん! 急にどないしたん? こんな大層な買い物して……」
「……もうすぐ白装束との戦が始まるだろ? しいて言えばお前等の士気の高揚だな」
微笑を浮かべながら答える元親に思わず霞は胸を高鳴らせる。
それはいくら何でも卑怯だ――熱い頬を押さえながら霞は思った。
「これは俺の奢りだ。だから好きなのを選んで良いぜ」
「え……あ……うん。ありがと」
ぶっきらぼうな御礼を言いつつ、霞は花形の御守りを選び始めた。
彼がせっかく買ってくれる物なのだ。慎重に選ぼうと思った。
屋敷への帰り道――元親と霞は並んで歩いていた。
元親の手には26個の御守りが詰まった袋が握られている。
そして霞の首には買ってもらった御守りが掛けられていた。
「ホンマありがとなチカちゃん。ずっと大切にするで」
紫色の花の御守りを握り締め、霞は横に居る元親を見つめる。
対して元親は気さくな笑みを浮かべながら返事を返した。
「礼はいらねえ。俺なんかお前等に世話んなりっぱなしなんだからな」
「ふふふ……そう言う謙遜した態度はチカちゃんらしいわ」
霞も彼の笑顔に釣られて笑った。
「みんなきっと喜ぶでえ。大好きなチカちゃんからの……ご主人様からの贈り物やしな」
「喜んでくれなきゃ困るぜ。一応俺なりに色とか花の種類とか、考えて選んだんだからな」
そう言うと元親は照れ臭そうに頭を掻いた。
そんな何気ない彼の仕草も、霞にとって微笑ましい物だった。
◆
幽州・元親の屋敷――外はもうすっかり暗く染まり、空に輝く月が闇夜を照らしている。
ここが人々の空想の中で作られた世界などと、信じられない程に月は美しく輝いていた。
そんな中、元親は自室で窓から差し込む月の光を浴びながら、空をぼんやりと眺めていた
「あいつ等……喜んでくれたな」
あの後屋敷に戻った元親は早速買ってきた御守りを愛紗達に1個ずつ手渡して回った。
その時の彼女達の驚きよう、そして嬉しさと言ったら――元親は思わず笑顔になった。
『こんな素敵な物を……ありがとうございます! ご主人様』
『にゃははは♪ お兄ちゃんから鈴々達への贈り物なのだ!』
『はわわ……! と、とっても嬉しいです。ご主人様』
『ふむ……せっかくの主からの贈り物だ。ありがたく受け取っておこう』
『あ……ありがと。凄く嬉しいよ、ご主人様』
『…………ありがとうございます。ご主人様』
『…………りりもうれしい。ありがとう、ごしゅじんさま』
愛紗、鈴々、朱里、星、翠、紫苑、璃々――皆が嬉しそうに御守りを受け取ってくれた。
そして月、詠、恋、水簾、桜花、糜竺、糜芳――彼女達も同様に受け取った。
残る華琳達と蓮華達の御守りは、朱里に頼んで文にそれぞれ同封してもらう予定だ。
来たる決戦に向け、彼女達には自国で兵を整えて待機してもらっているのである。
故に直接は渡せないが、自分が御守りに込めた思いは伝わるだろうと思った。
「華琳や蓮華達も喜んでくれると良いけどな――」
「失礼します。ご主人様」
元親が1人で呟いている途中、自室の扉を叩く音が部屋に響いた。
同時に聞こえてきた声はすぐに正体が分かった。紫苑である。
「おう。取り込み中じゃねえし、入ってきても良いぜ」
元親がそう言うと、紫苑は「失礼します」と言いながら扉を開けた。
寝転んでいた元親は起き上がり、部屋に入ってきた紫苑と向き合う。
心なしか、彼女の表情は何処か暗い感じがした。
「どうした紫苑。こんな時間によ」
「…………少しご主人様に御尋ねしたい事がありまして」
こんな夜中に部屋を訪ねてくるのだ。きっと重要な事だと元親は思った。
元親が「何だ?」と訊くと、紫苑は顔を少し俯かせながら口を開いた。
「…………白装束との戦いの後、ご主人様が消えてしまうと言うのは本当なのですか?」
「――――ッ!?」
紫苑の言葉を聞いた瞬間、元親はまるで鈍器で後頭部を殴られたかのような衝撃を受けた。
前の日、貂蝉と自分の会話を彼女に聞かれてしまっていたのか――元親は唇を噛み締めた。
彼と話している最中、細心の注意を周囲に払っていたと言うのに。
「…………はは、何だそりゃ。そんなデタラメ、どっから湧いたんだ?」
だが元親は平静を装い、紫苑に言い返した。
しかし紫苑は納得していない様子である。
「数日前……璃々から聞きました。舌足らずで少し要領を得ませんでしたが……」
「――――ッ! 璃々から……だと?」
元親はまたもや衝撃を受けた。聞いていたのは紫苑ではなく、璃々だったのだ。
紫苑ならともかく、璃々のような小さい気配には流石の自分も気付けないのも無理はない。
一体何処から貂蝉と自分の話を聞いていたのか――元親は思わず舌打ちをしてしまった。
「璃々はまだまだ幼い子供です。ですが……嘘を吐くような子ではありません」
「……………………」
元親は言葉が見つからず、黙ったままだ。
「どうして黙っているのですか……? 璃々の話が真実だからですか……?」
「……………………」
「ちゃんと私の眼を見て、ハッキリと仰って下さい! ご主人様!」
紫苑が強い声で元親に言った。元親の耳にも、その声はハッキリと届いた。
室内に元親の溜め息が響く。そして――彼はゆっくりと立ち上がった。
「天の御遣いの役目を果たしたら、この世界から消える……貂蝉にそう言われたんだよ」
「ご主人様……!」
「大陸に平穏をもたらす為に俺は来た。白装束を倒せば決着だ。俺の役目は終わるんだ」
元親の辛そうな表情を紫苑は暫く見つめ続けた。
それから彼女は顔を俯かせ、ポツリと呟く。
「やっぱり……そんな理由があったんですね」
「紫苑……?」
「ご主人様が私達に贈り物をしてくれる……そこには必ず深い理由があると思いました」
紫苑が胸元から、元親から送られた御守りをソッと取り出した。
その瞬間、元親は思わず自嘲気味の笑みを浮かべてしまった。
紫苑――彼女には全てお見通しだったらしい。
「璃々から話を聞いた当初は流石に信じられませんでした。いいえ、信じたくありませんでした。ご主人様が私達の前から居なくなるなど……考えたくもありませんでした。ですが今回の事で確信を得ました。璃々は信じたくない真実を語っていると……」
元親が紫苑を見つめる。
彼女は大粒の涙を流し、泣いていた。
「……愛紗達には言うなよ。もうこれ以上泣き顔は見たくねえ」
「最後には……全て……知られてしまうのに……ですか?」
「ああ。泣き顔を見たくねえって言うのには、矛盾しちまうかもしれねえがな」
「…………承知しました」
紫苑が了解したすぐ後、元親は彼女の肩に優しく手を掛けた。
「だから早く泣き止みな。そんな顔してたら、部屋で待ってる璃々を不安にさせちまうぞ」
「……ご主人様が……いけないんですよ。こんな大切な事を……今まで黙っていて……」
紫苑が嗚咽を漏らした。彼女がこんなにも動揺して泣くところは見た事がない。
そんな彼女の姿が元親の心へ無数の針のように突き刺さった。
「……悪かった。俺なりに心配を掛けまいとしたんだけどよ……」
「真実を知らなければ……余計に悲しむ者も……居るのですよ……」
刹那、紫苑が元親の胸に飛び込んだ。変わらず彼女は泣き続けている。
元親は壊れ物を扱うかのように、彼女をソッと抱き締めた。
「すまねえ……本当にすまねえ……」
「う……う……うああああ……!」
月は輝いている。闇夜を、そして2人を照らす。
まるでその様子を見守るように――
後書き
第61話をお送りしました。次話で白装束との決戦模様です。
結末は一体どうなるのか――それはもう少しで明らかになります。
最後まで御付き合い下さるよう、宜しくお願いします。
では、また次話で!!