冷たい地面に倒れている2人の男。その状態のまま、彼等はピクリとも動かなかった。
激闘の末に2人が辿り着いた結果――地面に流れる鮮血が戦いの壮絶さを物語っている。
そしてその場へゆっくりと歩み寄る1つの影があった。
「まさかこんな結末になるなんてね……」
歩み寄った影――貂蝉は悲しげな面持ちでそう呟く。
彼は左慈を一瞥した後、元親の元へ歩み寄った。
「貴方の力でも、この外史の運命を覆す事は出来なかったのね……」
貂蝉は元親の頬に手を当て、寂しげに呟いた。
徐に触った彼の頬は、まだ少し温かかった。
「ご主人様……私は貴方の事は決して――」
「勝手に殺すんじゃねえ。馬鹿野郎……!」
閉じていた元親の眼が突然開き、貂蝉が言おうとした言葉を止める。
あまりの出来事に貂蝉は眼を大きく見開き、驚愕の表情を浮かべた。
「ご、ご主人様ッ! 生きてたのね!! てっきり死んじゃったかと思ったわ!!」
起き上がろうとする元親の背中を支え、手助けする貂蝉。
元親は忌々しげに舌打ちをし、彼を睨み付ける。
「ふざけんなよ。俺がそう簡単にくたばるか……痛……ッ!」
左慈に蹴られた胸を押さえ、痛みに顔を歪める元親。
大丈夫そうに装っているが、かなり苦痛そうである。
貂蝉に肩を貸して貰いつつ、立ち上がった元親は倒れ伏す左慈を徐に見つめた。
「勝ったわね。ご主人様……」
すぐ横にある元親の顔を見つめ、貂蝉が言った。
「かなりの強敵だったけどな。ところでお前、何でここに居んだよ」
元親がジト眼ですぐ横にある貂蝉の顔を睨み付ける。
それに若干戸惑いつつも、貂蝉はゆっくりと口を開いた。
「私は左慈達と同じ、この外史の管理者であり、擁護する者よ。この物語の結末を見届ける義務があるからね」
「へっ……成る程な。この世界が消滅して終わるのか、それとも消滅せずに続いていくのかを見届ける、か……」
元親が自嘲気味に笑った――その時。
「み、認めるか……よ……」
今まで倒れていた左慈が血塗れの口を開き、呻くように呟いた。
碇槍によって貫かれた腹部からは鮮血が絶え間なく流れている。
口を開く度に血が流れるその姿はとても哀れで、痛々しかった。
「俺が負けるなんて……貴様が勝つなんて……認めて……たまるか……!」
「テメェも存外しぶといな……。俺の事を言えた義理かよ……」
左慈が血走った眼で、自身を見つめている元親を睨み付けた。
その眼からは憎悪、憎しみ、嫉み――あらゆる物が感じられる。
元親はあえて眼を逸らさず、それ等を全て受け止めた。
「俺は貴様を絶対認めない……運命が変えられるなど……抗うなど……世迷い言を……!」
「別に認められなくても結構だ。だがな、運命は変えられる。決まっちゃいねえんだよ!」
元親と左慈が互いに視線を交わす。決して混じり合わず、平行線を歩いた2人。
勝利した者と敗北した者、生存する者と死ぬ者――それが決まった瞬間だった。
そして交わされていた視線は、左慈の方から外した。
「長曾我部元親……俺は……テメェが……テメェなんか――」
天を仰ぎ、左慈が静かに呟く。
「大嫌いだ」
そう呟いた後、左慈が一際大きく血を吐き、地面を染めた。
そして――眠るように眼を閉じ、二度と開く事は無かった。
◆
(――――ッ! 左慈……先に逝きましたか)
愛紗達と打ち合う于吉が相方の最後を感じ取り、顔を歪ませる。
力の限り戦い、先に逝ってしまった友の顔が脳裏に浮かんでいく。
しかし――その出来事が彼に僅かな隙を生んでしまった。
「――――貰ったッ!」
その隙を見逃してしまう程、于吉が相手にしている武将達は甘くはない。
星が眼にも止まらぬ速さで槍を突き出し、于吉の右脇腹を深々と貫く。
「がっ……!?」
反撃に于吉は拳を突き出すが、星は既に槍を引き抜いて後退している。
激痛が容赦無く襲い、動きが鈍くなる于吉。愛紗の眼が光った。
「上出来だ、星!!」
愛紗が疾風の如く駆け出し、動きが鈍った于吉へ突撃していく。
彼女の持つ青龍刀が煌き、それを素早く彼に向けて振り下ろした。
(……私もすぐに逝きますよ。左慈)
立ち尽くす于吉の胸から腰に掛け、斬り傷が稲妻のように走る。
鮮血が流れ、彼が身に着けている白装束を真っ赤に染めていった。
何故かその時の彼の眼は空を見つめており、表情は清々しかった。
まるでこの時を待っていたかのように――
◆
「これが……お前の言っていた大鏡って奴か?」
「ええ。この鏡こそ、この物語を象徴する物よ」
左慈の死を見届けた元親と貂蝉の2人は祭壇奥へと進み、目的の大鏡を見つけていた。
階段を上った先にある大鏡はとても美しく、この世界全てを映しているように見える。
元親は支えてもらっていた貂蝉の肩から離れ、おぼつかない足取りで階段を上っていく。
「ご主人様、無理をしないで私に掴まった方が――」
「うるせえ……! 階段くらい1人で上れらぁ……!!」
貂蝉の言葉を一蹴し、元親は死に物狂いで階段を上り続けた。
時折倒れそうになったりしたが、己が力を振り絞って耐える。
貂蝉はハラハラしながらも、彼の後ろを付いて行く。
「へ、へへっ……着いたぜ。コンチクショウ……!」
階段を上り切り、大鏡の前に着いた元親はガクリと膝を突く。
胸の痛みが酷く、疲労も酷い。気を失ってしまいそうだった。
「大丈夫? ご主人様」
「余計な心配すんな。それよりこれからどうすれば良いのか教えろ……!」
最早意地になっている元親に溜め息を吐きつつ、貂蝉は彼を見つめた。
「鏡に手を触れ、一心に願うのよ。この世界が続く事を、愛紗ちゃん達が生きる事を……」
貂蝉の言葉を聞き、元親はふらつきながらも立ち上がる。
「…………一心に願う、か。まるで神頼みするみたいだぜ」
そう呟いた後、元親はゆっくりと大鏡に手を伸ばしていく。
手が鏡の表面に触れた時、元親は眼を閉じて願った。
外史と呼ばれる世界――
三国志を元にした世界――
そこで必死に生きる人々――
(消滅なんかさせねえ……!!)
自分を信じ、付いてきてくれた彼女達――
時には戦い、時には協力し合った彼女達――
笑い合い、共に日々を過ごした彼女達――
(生きろ……! 生きてくれ……!!)
――生きろ!!!
心の中でそう強く願った――その時、大鏡が思わず眼を瞑ってしまう程の光を放った。
貂蝉は咄嗟に腕で眼を覆う。元親は何もしようとせず、鏡の光に身体を飲み込ませた。
「ご、ご主人様……」
貂蝉が眼を覆っていた腕をゆっくり退けると、鏡から放たれた光は既に収まっていた。
しかし光に飲み込まれた元親は仰向けに倒れており、苦しそうな表情を浮かべていた。
貂蝉は元親の身体を抱き起こし、声を掛ける。
「ご主人様ッ! しっかりして、ご主人様ッ!!」
「へへっ……やったぞ。ちゃんと願ったぜ……!」
「ええ、私も感じるわ。この世界が消滅を逃れた事を……!」
感激のあまり、貂蝉の眼から一筋の涙が零れ落ちる。
彼が逃れられない運命を変えた。この外史の運命を変えたのだ。
運命は変えられる――彼はそれを見事に成し遂げたのである。
「ついでにテメェも生きるよう願っといてやったぜ。感謝しやがれ……」
「ふふ……ありがとう。ご主人様」
元親に礼を言いつつ、貂蝉は何の気なしに彼の右手に視線を移した。
そして驚愕に眼を見開いた。貂蝉は思わず「あ……」と息を漏らす。
元親の右手が――薄らと消えかかっていた。
◆
泰山・城塞――先刻まで繰り広げられていた戦は鳴りを潜め、静寂に包まれている。
于吉が愛紗の一撃によって倒れたと同時に、白装束の軍勢は煙のように姿を消した。
それは彼等と別の場所で戦っていた魏軍、呉軍の方も同じ状況にあった。
「御見事……です。貴方達の大勝利ですよ……」
周囲で兵士達のざわめきが聞こえる中、于吉の声は不思議と愛紗達の耳に届いていた。
身体から流れる鮮血に身を沈める彼の姿に対し、愛紗達は何とも言えない視線を送る。
それから少し経ってから別動隊の鈴々達も愛紗達と合流し、于吉の姿を見つめた。
「さあ約束だ。ご主人様が居られる場所を教えてもらうぞ」
愛紗がソッと屈み、倒れる于吉へ声を掛ける。
「くくくくく……そうでしたね」
低い声色で不気味に笑い、于吉はゆっくりと泰山の頂上を指で示した。
その場に居る愛紗達の視線が一斉にその方向へと移る。
何時の間にあんなところに――彼女達が思った事は同じだった。
「私の大切な相方に……頼まれたのでね。長曾我部元親は……一足先に案内したのですよ」
「相方……左慈と名乗っていた男の事か。そうなんだな?」
「ええ、そうですよ。彼がどうしても長曾我部元親と戦いたがっていたので……ね」
刹那、于吉が咳き込み、少量の血を吐いた。
どうやら彼の身体は限界が近いらしかった。
「じゃあ早くお兄ちゃんのところへ行くのだ!」
「ああ! 山なんかサッサと登ろうぜ!」
鈴々と翠の提案に誰もが同意し掛けた時、于吉が再び笑い始めた。
傍に居た愛紗が彼をキッと睨み付け、怒声を上げる。
「貴様ッ! 何がそんなに可笑しいのだ!!」
「いえ……随分と悠長な事を仰っているのでつい、ね」
彼の言葉がどう言う意味なのか――愛紗達は顔を顰める。
そんな彼女達の表情を見つめ、于吉はポツリと呟く。
「早くしないと、彼と最後の言葉を交わせませんよ……? 長曾我部元親と……」
「「「「――――ッ!?」」」」
誰もが于吉の言った事に動揺し、驚きを隠せなかった。
中でも動揺が激しい愛紗が彼の襟を掴み、問い詰める。
「――――ッ!? な、何だと……! 貴様、それはどう言う事だ!!」
「くくくくくく……」
彼女の態度にあくまで冷静なままの于吉は微笑を浮かべ、血が零れる口を開く。
「言葉通りです。今日が貴方達と彼との今生の別れになる。役目を果たした者は――」
「――止めなさい!」
刹那、于吉の言葉を遮るように紫苑が突然怒声を上げた。
彼女の表情は怒りと悲しみが入り混じり、一筋の涙を流している。
誰もが今まで見た事が無い彼女の表情に驚き、呆然としていた。
「それ以上この場で言うのは止めなさい! 口を閉じなさい!」
「ほう……黄漢升殿、貴方はどうやら御存知のようですね……」
于吉の言葉に紫苑は顔を伏せ、両腕を震わせる。
「ならば御分かりでしょう……? この場で私と話している事が、どれだけ無駄かを……」
紫苑は答えない。顔を伏せて両腕を震わせ、黙っているだけだ。
この状況を見兼ねた星が紫苑に詰め寄り、彼女を問い詰める。
「紫苑……お主、何を知っている? 何を知っているのだ!」
「…………言えない。私の口からは言えないわ……!」
刹那、星が感情のままに声を荒げた。
「紫苑!!」
「言えないの! ご主人様と……約束したから」
「主と……約束しただと……!」
彼女達が言い争っている中、于吉は空を見上げていた。憎たらしい程に澄んでいる。
ソッと眼を閉じると、自分が方術を注ぎ込んで作った分身達が見ている画が映った。
どうやら各軍へと放った分身達は自分と同じくやられ、仰向けに倒れているらしい。
右眼には華琳、左眼に蓮華と冥琳の2人が映っている。彼女達は分身を見下ろしていた。
(ふふふ……ここまで戦った彼女達に対し、私なりに敬意を払うとしますか)
残る方術の力を集中させ、于吉は念じた。
それは分身達にも通じ、力を集中させる。
(貴方達の悲しみに暮れる顔を見る事が出来ないのが……唯一の心残りですよ)
ふと、于吉は微笑を浮かべた。
(左慈……今逝きます)
先に逝った友の顔を思い浮かべながら、于吉は術を発動した――
◆
貂蝉は何もする事が出来ない自分に腹を立てていた。
自分が支えている主――元親は段々と消えかかっている。
最初は右手から始まり、徐々にそれは全身へと及んだ。
今ではもう彼の全身が透け、先の壁が薄らと見えていた。
「ご主人様ッ! 気をしっかり持って! もうすぐ愛紗ちゃん達がここへ来るわよ!!」
「へっ……馬鹿を言ってんじゃねえ。下からここまで、どれくらいあると思ってんだ……」
元親が閉じていた眼をゆっくりと開ける。
彼の眼は――視点が定まっていなかった。
「ご主人様……! もしかして眼が……!」
「ああ……もうお前の顔が見えねえし、手足の感覚も殆どねえや。耳は何とか聞こえるぜ」
自嘲気味に笑う元親。貂蝉は思わず眼を背けたくなった。
何と残酷な仕打ちだろう――視力が消え、感覚が無くなり、姿が消えていく。
これ程までに残酷な還り方があるだろうか。貂蝉は無意識に鏡を睨み付けた
(お願いだから……最後ぐらい、最後ぐらい彼女達と会わせてあげて……!!)
刹那、貂蝉は背後に複数の気配を感じ、後ろへ振り向いた。
そこには――
「愛紗ちゃん!! みんな!!」
貂蝉が来訪を望んでいた愛紗達の姿がそこにあった。
彼女達に紛れ、中には華琳と蓮華、冥琳の姿もある。
戸惑っている様子を見せたが、貂蝉の声で皆が彼の方へ視線を移した。
「貂蝉ッ! お前どうして……それにここは一体……」
「ここは泰山の頂上にある祭壇の中よ。私の事は後、ご主人様が大変なのよ!!」
貂蝉の言葉に愛紗達が血相を変え、我先に元親の元へと駆け寄る。
そして彼の姿が見え始めた時、愛紗達は思わず足を止めていた。
――透けている全身、視点が定まっていない眼、覇気が全く感じられない。
彼の変わり果てた姿を見た時、愛紗達は絶望の底に落とされた気がした。
「ご主人様ッ! ご主人様ッ!!」
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!!」
「元親ッ! おい、しっかりしろ!!」
愛紗、鈴々、桜花が声を掛けるが、元親からの返事はない。
彼女達の眼に涙が溜まり始めた。
「貂蝉ッ! これは一体どう言う事だ! ご主人様に何が起こっている!!」
激情に駆られた水簾が貂蝉に詰め寄り、激しく問い詰める。
貂蝉は暫く口を噤んだ後、ポツリポツリと事の終わりまで話し始めた。
左慈と繰り広げた戦い――
大鏡を守り、この外史の運命を変えた事――
役目を果たした元親はもうすぐ消えてしまう事――
彼の身体に起きている異変の事――
貂蝉が全てを話し終えた後、紫苑も涙ながらに元親と交わした約束の事を話した。
貂蝉が全てを話した今、彼女も黙っているべきではないと思ったのだろう。
真実が2人の口から語り終えた時、この場に涙を流していない者など居なかった。
「貂蝉……」
刹那、今まで閉ざされていた元親の口が突然開いた。
愛紗達が貂蝉と共に元親へ駆け寄った。
「何……? ご主人様」
「幻聴か……? 愛紗達の声が聞こえたが……」
元親の言葉を聞き、貂蝉がすぐ横に居る愛紗へ視線を移す。
彼の意を酌み取った愛紗は元親の右手を握り、声を掛ける。
「ご主人様……! 私は、私達はここに居ります」
「愛紗……? 本当にここに居るのか……?」
「ええ、居ります。嘘なぞ吐く筈がないじゃありませんか」
既に元親の眼は視力を失っている為、何も見えてはいない。
だから感覚が辛うじて残っている手を握り、存在を示した。
愛紗の瞳から流れる大粒の涙が、握り締める元親の手に落ちた。
「そうか……愛紗、他に誰が居る?」
安堵した笑みを浮かべた後、元親はこの場に誰が居るのかを愛紗に尋ねた。
愛紗は素直に頷き、この場に居る者達の名前を丁寧に彼へ教えた。
名前を聞き終わった元親は微笑を浮かべ、元親はゆっくりと口を開く。
「水簾……霞……来てくれ」
名前を呼ばれた2人は身体をビクリと震わせながらも、元親へと駆け寄る。
愛紗から場を少し退いてもらった後、水簾は左手、霞は右手をそれぞれ握り締めた。
「ご主人様……!」
「チカちゃん……!」
「おう……お前等、ちゃんとここに居るな」
元親の言葉に応えるように、水簾と霞は強く彼の手を握り締めた。
「今まで俺を支えてくれて、本当にありがとな……」
「そんな……身に余る言葉だ」
「せやで。チカちゃんだって、ウチ等を支えてくれたやんか」
2人の言葉に元親は微笑を浮かべる。
その後すぐに言葉を続けた。
「月と詠に……“ゴメンな”って、謝っといてくれ」
「「…………(コクッ)」」
そう伝えた後、元親は次に恋と伯珪――桜花の2人を呼んだ。
桜花はゆっくりと彼へ歩み寄ったが、恋は駆け出して元親に抱き付く。
「嫌だ……消えちゃ駄目……! ご主人様は消えちゃ駄目……!!」
「この声は恋だな。ちょいと苦しいぜ……?」
「嫌だ……! 消えちゃ駄目……! 恋を置いていかないで……!!」
元親は透けているとは言え、まだ物に触れられる両手で恋を抱き締めた。
「寂しい思いをさせちまうな……本当に悪い」
「嫌だ……! 嫌だ……!! 嫌だ……!!!」
恋の背中を優しく撫でつつ、元親は肩に置かれた手の感触を感じ取る。恐らく桜花だ。
元親の肩に手をおいた彼女はゆっくりと屈み、涙が流れる瞳を元親へと向けた。
「ホントに最後まで私達に心配を掛ける奴だな、お前は」
「はは、そうだな。でもよ……毎日が楽しかったろ?」
「そうだな……お前が助けてくれなければ、私は袁紹に殺されていたからな」
桜花は一瞬天を仰いだ後、元親へ告げる。
「お前と一緒に戦えて、楽しかったよ……」
「俺もだぜ伯珪……いや、桜花」
「――――ば、馬鹿……! …………馬鹿」
そう呟いた後、桜花は元親から恋を引き剥がしてゆっくりと離れた。
抵抗すると思われた恋だが、意外と素直に桜花に従ってくれた。
――彼女も彼を引き留められない事が分かっているからかもしれない。
元親は次に紫苑を呼び、自分の元へと来させた。
呼ばれた彼女は彼の両手を握り、存在を示した。
「辛い役を押し付けちまって、本当に悪かったな」
「とんでもございません。私の事は御気になさらず……」
「……結局最後まで、お前には頭が上がんねえや」
「ふふふ……そんな事はありませんわ」
少しの会話をした後、元親は微笑を浮かべた。
「璃々を……立派に育てろよ。あいつはお前に似て、良い女になるぜ?」
「……承知致しました。最後まで心配して下さり、ありがとうございます」
紫苑が名残惜しそうに握り締めていた元親の両腕を離し、彼からゆっくりと離れていく。
次いで元親に呼ばれたのは星と翠だった。2人は皆と同じように彼の腕を強く握り締めた。
「星……」
「はい、私はここに居ります。主」
元親の眼は星の方を向いてはいない。
だが言葉は彼女へしっかりと向けていた。
「俺は居なくなっちまうが……また新しい主を探しに旅に出るか?」
「ふふ……御冗談を。私の槍も身も心も、全て貴方様に預けました」
星は元親の透けてしまった頬に優しく手を当て、ポツリと呟く。
「故に――私が仕える主は貴方以外に居りませぬ」
「そうか……最後に嬉しい事を言ってくれるぜ」
「ですが覚悟なさいませ。私達を置いていくのです。必ずや天界に赴く方法を見つけ、皆を率いて、主の居られるところに攻め込みますので……」
星なら本当にやりそうだ――元親は微笑を浮かべながら思った。
彼と同じように星も微笑を浮かべた後、彼女は翠へ視線を移す。
翠はゆっくりと頷き、元親に声を掛ける。
「ご主人様……本当に帰っちゃうのかよ」
「ああ……翠。もうどうにもならねえな」
「馬鹿だよ……無理して帰らないで、ずっとここに居れば良かったのに」
翠は自分が無理な事を言っているのは、身に沁みる程に分かっていた。
自分にもあるように、元親にも帰るべき場所と言う物があるのだ。
それを引き留める権利など自分には無いと言うのに――言わずにはいられなかった。
「一生恨むからな……あたし達を置いていく事……!」
「へへっ、怖いなぁ。お前に恨まれるのは勘弁だぜ」
「馬鹿……バカ……ばかぁ……!」
流れる涙を拭い、翠は星に引かれるように元親の元を離れていく。
その星も元親の方を2、3度程振り返りながらその場を後にした。
次いで呼ばれたのは――鈴々と朱里だ。
自分が一言ずつ語り掛けている間、ずっと泣き声が聞こえていた2人だ。
普段大人ぶっているとは言え、精神的に未熟なところがまだあるらしい。
だが心身共に強いこの2人なら、これからの成長次第で治る筈――元親は確信していた。
「鈴々……朱里……俺の方に頭を向けな」
嗚咽を漏らしつつ、2人は素直に従い、元親の方に頭を向ける。
元親は殆ど手の感覚に頼りながら、彼女達の頭に優しく手を置いた。
「「あ……」」
2人が思わず声を漏らす。とても温かい感じがした。
元親は出来るだけ優しく、2人の頭を撫でてやった。
「鈴々……愛紗達の言う事をちゃんと聞くんだぞ? 我が儘ばかり言ってちゃ駄目だぜ?」
「……うん、分かったのだ。鈴々、ちゃんと言う事聞くのだ。お兄ちゃんとの約束なのだ」
「朱里……お前の持ってる知識はこれからも絶対に役立つ。しっかりと幽州を支えてくれ」
「はい……私、もっともっと勉強して、皆さんの御役に立てるように頑張ります……!!」
元親はもう1度だけ2人の頭を優しく撫でてやった。これが最後になるのだから。
一時は泣き止んでいた2人も、元親の元から離れる時は、再び泣き出すのだった。
次いで元親は華琳を呼んだが、彼女は元親の元へ歩み寄らなかった。
代わりに彼女は離れた位置から、彼に言葉を掛けたのだった。
「別れの言葉なんて冗談じゃないわ。必ずここに戻ってきなさい。良いわね……!!」
相変わらず無茶を言ってくれる――元親は苦笑しながら思った。
最も所々言葉が震えていたので、彼女特有の迫力は皆無だった。
華琳が話し終えてから少し経った後、元親は蓮華と冥琳を呼んだ。
「さあ、蓮華様……」
冥琳が優しく蓮華の手を引き、彼女を元親の元へ連れていく。
時々蓮華の嗚咽が聞こえてくるのが、元親の心に辛く響いた。
「元親……私、貴方と別れたくなんかない。こんな別れ方……嫌よ」
蓮華は元親の両手を握り締め、顔を伏せながら呟いた。
(蓮華……)
声は涙声で、彼女が大粒の涙を流しているのを感じた。
冥琳はあえて近づかず、2人の姿を後ろで見守っている。
「お前は強くなった。俺が居なくなっても、お前はやっていける」
「でも……でも……元親ぁ……!」
「姉ちゃんの抱いた夢、仲間達と一緒に叶えてやれよ……」
蓮華が伏せていた顔を上げる。彼が微笑を浮かべていた。
こんなにも泣いている私を、彼はまだ強いと言ってくれる。
本当に彼は、長曾我部元親と言う男は――蓮華は手を離し、元親を抱き締めた。
「元親……私……私ね、貴方が……貴方の事が――」
――好き
耳に飛び込んできたその言葉に対し、元親は微笑を浮かべた。
彼女の姿はもう眼には映らない。だが返事くらいは返せる。
「ありがとよ……」
未だに抱き締めてくれている蓮華に対し、元親はそう返した。
蓮華は1度強く彼を抱き締め、ゆっくりと離れていった。
冥琳は離れた彼女を迎えた後、元親に向けて深く頭を下げる。
――彼女なりの、彼への別れの挨拶だった。
最後に残ったのは――愛紗ただ1人だ。
元親は彼女の名を呼ぶと同時に、胸の内ポケットに入れておいた文を取り出す。
愛紗が近くに来た事を気配で感じると、手に持った文を彼女へ差し出した。
「ご主人様……?」
「俺の……お前等への気持ちが書いてある。消えたら開けて読んでくれ」
愛紗は差し出された文に手を伸ばすが、一瞬それを躊躇ってしまった。
これを受け取ってしまったら、彼が今消えてしまう気がしたからだ。
しかし受け取らない訳にはいかない。愛紗はゆっくりと文を掴み、受け取った。
「何故……私に御渡しに?」
愛紗が彼に問い掛ける。
元親はそれに対して笑顔で答えた。
「お前とは最初に会ったし……俺の事を、最初から最後まで見ていてくれたからな」
「――――ご主人様……!?」
「お前に……最初に開けて読んでほしかったんだよ。……嫌だったか?」
必死に抑えていた理性が、彼の言葉に揺さ振られる。
無理矢理抑えようとするも、瞳から零れる涙がそれを許してくれない。
「家臣として……1人の女として……身に余る光栄です……!!」
「そうか……」
元親は見えない眼を天井に向け、ソッと眼を閉じた。
「ありがとよ……愛紗」
その小さな囁きと共に元親の身体が光となり、大鏡の中へ消えていく。
愛紗は大粒の涙を流しながらも、自身の顔を彼の顔へと寄せていった。
(ご主人様……私は貴方様を――)
――愛しています
ソッと、愛紗の唇が元親の唇へ重なる。しかし感触は無かった。
既に元親の身体の殆どは光へと変わり、実態を無くしていたのだ。
そうして元親は――大鏡の中へ消えていった。
主の――愛する者の最後を見届け、この場に残った彼女達は泣いた。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、涙が枯れるまで泣き抜いた。
そんな中、元親が“居た”場所に膝を着く愛紗は、彼から貰った文を見つめた。
『俺の……お前等への気持ちが書いてある。消えたら開けて読んでくれ』
彼の言葉が頭に思い出され、愛紗はゆっくりと文を開いた。
その中には慣れない手付きでこう書かれていた――
【生 涯 家 族】
「うっ……ううっ……ああっ……」
文に大粒の涙が零れ落ち、痕を作っていく。
悲しみに満ちた表情を浮かべながら、彼女は文を胸に抱き込んだ。
「ご主人様ぁぁぁぁぁ……!」
彼女の悲痛な声が――祭壇内部へ響いた。
この戦いを経て、天の御遣いが――
幽州太守の長曾我部元親が――
この世界から姿を消した。
後書き
第64話を書き上げました。今までよりかなり長めです。
泣ける場面を盛り込みましたが、どうでしたでしょうか?
武将全員を出したかったのですが、私にはこれが限界です……すいません。
感想は感想掲示板、またはメールにてお願いします。
さて、ついに次話で最終話になります。ここまで長かったなぁ……。
最後まで御付き合い下さるよう、宜しくお願いします。
では、最終話で御会いしましょう!!