元親は外から聞こえてくる雄叫びにふと眼を覚ました。どうやら転寝をしていたらしい。
寝惚け眼の眼を擦り、背筋を伸ばしてゆっくりと立ち上がる。眼が段々と覚めてきた。
これから大戦が始まると言うのに、緊張感が無さ過ぎる自分が何故かとても滑稽に思えた。
「だらしねえな元親。戦前の眠気は大敵だぞ」
「ふん……」
眼の前で小憎らしい笑みを浮かべる青年に対し、元親は微笑を浮かべる。
「うるせえな。俺でもこんな時はあるんだよ」
「へへっ! ますますオメェらしくねえ言葉だ」
鼻を指で擦り、青年は屈託の無い笑みを浮かべた。
彼は外見こそ若いものの、これでも一国一城の主である。
彼の名は三河を支配下に置く大名“徳川家康”と言った。
「やっぱりあれか? 遭難していたオメェを助けてくれた人達の事を考えていたのか?」
家康の問い掛けに元親は言葉では答えず、代わりに「けっ」と吐き捨てた。
そう――元親は三国志を元にした外史から、無事に元の世界へ戻っていた。
目を覚ました時、元親は自分の城の近くにある海岸に倒れていた。
そこに自分を根気良く探していた部下が通り掛かり、助けられたのである。
そして元親は自分が姿を消した後の、世界の情勢を部下達から詳しく聞いた――
自分と毛利が姿を消した後、両軍は戦闘を止めて撤退し、領地へと帰還。
元親の部下達は姿を消した主を探し続け、約15日後に彼を無事に発見。
元親が外史で過ごした時間は、元の世界ではたった15日しか経っていなかったのだ。
しかしその15日と言う日にちは、戦国の世に波紋をもたらすには十分な日にちだった。
戦国の世に新たに名を揚げた“豊臣秀吉”率いる豊臣軍が各地へ攻め込んだのである。
奥州、越後、尾張、駿河、加賀、近江、甲斐、小田原――各大名が支配する領地。
伊達、上杉、織田、今川、前田、浅井、武田、北条――その領地を統治する大名達。
豊臣軍はそれ等を全て巧みな策略と力で捻じ伏せ、兵士全てを己の軍へ加えてしまった。
主を失った毛利軍も瞬く間に豊臣軍に吸収されたが、長曾我部軍は辛うじて生き延びた。
全ては攻めと守りの要として作り上げていた“カラクリ兵器”の成果だった。
元親が不在の間、それを使って部下達は豊臣軍の攻撃から四国を守り続けていたのである。
兄貴の居場所を必ず守り切る――その思いが部下達を心から励まし、力を貸していたのだ。
そして元親が戻った長曾我部軍は息を吹き返し、豊臣軍に反撃の狼煙を上げたのだった。
「それより家康、俺の事よりテメェの方はどうなんだよ。ブルッてんじゃねえだろうな?」
「このワシをナメるなよ。それにこっちにはオメェと戦国最強の“本多忠勝”が居るんだ」
「はっ……調子良い事言いやがって」
自分よりも年下のくせによく言う――しかし元親は悪い気はしなかった。
家康とは武田を打ち破る為、1度同盟を結んだ仲である。
そして今も“打倒豊臣軍!”を掲げ、同盟を結んでいる。
互いに豊臣軍の猛攻から生き残った者同士、元親と家康は妙に意気投合していた。
そして兵士達も2人の息の良さに感化され、生涯の友のような関係になっていた。
「元親……1つ訊きてえ事があるんだ」
今までの態度とは打って変わり、家康は妙に落ち込んだ様子を見せている。
元親はその態度に首を傾げつつ、彼を見つめた。
「…………何だ?」
出来るだけ優しく、落ち着いた声色で元親は訊いた。
家康は上目遣いで元親を一瞥した後、ボソボソと呟く。
「ワシ達がこれから臨むこの大戦……勝てると思うか?」
「……………………」
家康の問い掛けを聞いた元親は暫く口を噤んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「まあ……万に一つも勝てねえだろうな。俺達がこれから臨むのは死に戦って奴よ」
「やっぱりオメェもそう思うか……」
豊臣軍は各地の勢力から吸収した数百万の兵士と、南蛮と手を結んで作り出した最新鋭のカラクリ兵器が数十台――
対する徳川・長曾我部連合軍は三十万の兵士と、今はもう既に旧式と化してしまったカラクリ兵器が数台――
現実的に考えて、この戦力差ではとても連合軍に勝ち目は無かった。
戦国最強と名高い本多忠勝が居たとしても、どれだけの兵力差を埋められるか。
「ワシが夢見た天下統一は、ここで潰えるのだな……」
そう呟いた後、家康は顔を少しだけ俯かせた。悔しさが身体から滲み出ているのか分かる。
そんな彼の様子を見た元親は、彼の被っている兜を少しだけ乱暴に叩いた。
「……痛ッ! も、元親! いきなり何をすんだよ!」
「シケた面してんじゃねえよ。仮にもこの同盟の総大将だろうが」
フンと鼻を鳴らし、元親は驚いた表情を浮かべている家康を見つめる。
そして軽く溜め息を吐いた後、彼の胸に拳を押し当てた。
「確かに俺達が臨むのは死に戦だ。だがな、死ぬ事を考えるんじゃねえ」
元親は家康の胸に押し当てていた拳を自分の胸に移動させ、押し当てる。
家康は自然とその動きを眼で追い、視線は彼の拳へ移っていた。
「死ぬ事は考えず、生きる事を考えるんだ。勝って生き残る事をな」
「…………死に戦だってのに、生き残る事を考えんのか? 矛盾してるぞ?」
「確かにそうかもしれねえ。だが暗い気持ちで挑むよりは遥かにマシだぜ?」
そう言った後、元親は屈託の無い笑みを浮かべた。
「俺達が生きて帰ってくると信じている奴等の事を考えりゃ、嫌でも生きたいって思うさ」
その言葉に家康の眼が大きく見開く。
そして――小さく鼻を鳴らした。
「そうだな……オメェの言う通りだ」
家康が元親の背中を叩き、大きく口を開けて笑う。
元親もそれに釣られるように、同じ調子で笑った。
大戦の前だと言うのに――2人の中から恐怖が徐々に消えていった。
「元親……無事に生きて帰ったら、酒でも一献飲み交わそうな」
「ああ。そん時にゃあ、朝まで付き合ってもらうから覚悟しとけ」
「はははは! 下戸のワシにはちょいとキツイかもしれんなぁ。忠勝も入れるか」
「構わねえぜ。あの本多忠勝が酒を飲めるのかどうか見物だ」
そう他愛の無い会話を交わした後、元親と家康は互いの得物の矛先で軽く打ち合った。
必ず豊臣軍を倒し、生きて戻る――死に戦に臨む前には酷く不似合いな誓いではある。
しかし2人にとって、その誓いは何物にも代え難い物である事は間違い無かった。
誓いが終わってから数十分後、豊臣軍対徳川・長曾我部連合軍の戦は切って落とされた。
広大な大地であるここ、関ヶ原を舞台として――
「行くぜ野郎共! 猿山の大将に思い切り噛み付いてやるんだぜ!!」
「この戦に勝てば天下は目前だ! オメェ達、気を抜くんじゃねえぞ!!」
「「「「オオオオオオオ!!!」」」」
連合軍に所属する全ての兵士達の雄叫びが関ヶ原に響き渡る。
そして――大地が一斉に地鳴りを大きく響かせ、揺れた。
◆
外史・幽州――中心にそびえ立つ立派な装飾が施された一件の屋敷。
この世界を去った天の御遣い“長曾我部元親”の住んでいた屋敷だ。
そして今でもここは彼の臣下だった武将――愛紗達が住み込み、幽州を統治している。
天の御遣いがこの世界を去ったと言う事実は、幽州の民を悲しみのドン底へ突き落とした。
彼を心から信頼していた者、慕っていた者、憧れていた者――その全てが不安と悲しみに暮れた。
しかし元親の帰還を信じる者達は供え物として、毎日屋敷へ蓄えた食べ物を届けている。
彼等の信じる心、優しさを断る事が出来ない愛紗達はありがたく受け取り、供えていた。
そう――泰山から苦労して運んできた、彼を吸い込んだあの大鏡の前へ。
(ご主人様……)
膝を突いて手を合わせ、愛紗は大鏡の前で一心に祈っていた。
彼女が今居るのは、元親が元々使っていた部屋である。大鏡もここへ運んだのだ。
大鏡の周りには民からの供え物で埋もれていた。彼がどう思われていたか分かる。
(ご主人様……私達は貴方の言葉を胸に、日々努力しています)
愛紗は元の世界へ戻っていった元親の後を継ぎ、太守として幽州を統治していた。
居なくなった彼の事を何時までも悲しみ、立ち止まっている訳にもいかないのだ。
そんな姿を晒していたら全てを託して去っていった元親を悲しませてしまう。
それだけは絶対に出来なかったし、自分達が許さなかった。
更に彼が去った後、共に戦場を戦ってきた多くの仲間達はそれぞれの道を歩んでいた。
華琳達は復興した魏へ戻り、元の支配者として統治を再開。
蓮華達も復興した呉へ戻り、仲間達と共に統治している。
遼西群を支配下に置いていた桜花は協力者に霞と水錬の2人を連れ、戻っていった。
そして残る仲間達は幽州に留まり、太守と言う仕事が増えた愛紗を支えている。
崩れ掛けた結束も徐々に修復され始め、新たな一歩を踏み出そうとしていた。
(ご主人様……貴方は今、何をしていらっしゃるのですか?)
愛紗は思い浮かべる。元親と築き上げた思い出の数々を。
彼の言葉、彼の優しさ、彼が自分の真名を呼ぶ声――
冷たい床に敷かれた絨毯に涙が一滴零れ落ち、痕を作った。
(会いたい……ご主人様……! 会ってもう1度……私の真名を呼んでほしい)
ああ、駄目だ。1度思ってしまうと、感情の高ぶりは抑えられない。
涙がまた一滴、また一滴と、愛紗の黒い瞳から絨毯へと流れ落ちる。
合わせていた両手は絨毯に突き、膝も両方が突いていた。
「ご主人様……会いたい……! 会いたい……! 会いたいです……!」
嗚咽を漏らし、愛紗は高ぶってしまった感情を必死に抑え込む。
刹那――
「……紗! 愛紗!」
扉越しから自分を呼ぶ声が聞こえ、愛紗はすぐさま流れる涙を拭った。
先程までの弱い自分を内に隠し、自分を呼んでいた者へ身体を向ける。
「やはりここに居たか。愛紗」
「星か……何の用だ?」
星は微笑を浮かべた後、愛紗の隣へゆっくりと歩み寄った。
「訓練の相手を頼みたかったのだが……今の調子では無理そうだ」
「何を言っている。私は何ともないぞ」
「……眼が赤いし、絨毯に涙の痕がある」
星がそう指摘すると、愛紗は慌てて両眼を手で拭った。
しかし時既に遅い。星には全てバレてしまっている。
「無理をするな。お主の悲しみは、ここに居る誰もが分かる事だ」
「無理など……していない」
(相変わらず強情な奴だ……)
星は軽く溜め息を吐いた後、愛紗に背を向け、扉の方へ歩いて行く。
「そう言うのならば訓練に付き合ってもらうぞ。互いが疲れたと言うまでな」
「望むところだが……星、お前は祈っていかないのか?」
「今は良い。私の分まで、お主が涙を流すくらい祈ってくれたようだからな」
彼女の言葉に顔を赤らめつつ、愛紗は後に付いて行った。
だが彼女達がもう少しここに留まっていれば気付いたかもしれない。
大鏡が愛紗の願いを聞き届けたかのように、淡く輝いているのを――
◆
「おう兄さん、怪我の具合はどうかね?」
「だいぶ良いな。助けてくれて感謝するぜ、じいさん」
傷だらけで倒れていたところを助けてもらい、傷の手当てをしてくれた老人に感謝する1人の男。
彼は右腕に特異な形をした巨大槍を、左腕には豪華な装飾が施された槍を1本ずつ持っていた。
そしてこの辺りでは見掛けない奇妙な衣服を纏う男に対し、老人は最初こそ警戒心を持ったが、今では気持ちよく話せる程の間柄にまでなっていた。
「しかし大した回復力だねえ。やっぱ若い者は元気があって良いもんだわい」
「はは、じいさんから見りゃあそうだろうぜ。俺って死に底無いだからなぁ」
屈託の無い笑みを浮かべながら話す男に、老人は自然と口元が綻んでいく。
だが彼が布で覆い隠している左眼を見ると、どうも不安な気持ちになってしまう。
「本当にそっちの手当ては良いのかい? 眼帯をしているようじゃが……」
「これは良いんだ。ガキの頃に酷い傷を負っちまったのを隠してるだけさ」
そう言う事なら仕方ない――老人はそう思い、それ以上追及はしなかった。
「それであんた、これからどうするんだね?」
「とりあえず2番目の故郷へ帰ってみるつもりだ。それからの事は追々……な」
「そうかい……あんたさえ良けりゃあ、ここにずっと居ても良いんじゃが」
「気持ちだけ受け取っておくぜ。俺も2度とここへは来られないと思っていたが、来ちまったからには行かねえといけねえんだ」
男は2番目の故郷と言う“幽州”への道のりを老人に訊き、ゆっくりと背を向ける。
老人は去っていく彼に寂しい気持ちを感じつつも、彼の旅立ちを見送る事にした。
だが老人はある事を思い出し、旅立とうとする彼を呼び止める。
「すまんが、今まであんたの名前を聞いておらんかったわい。何と言う名前じゃ?」
「ん? そうだったか。俺とした事が、命の恩人に失礼な事をしちまったぜ」
男は微笑を浮かべ、老人の方へ振り返って言った。
「じいさん! 俺の名前は――――
長曾我部元親だ!!」
刹那、男――長曾我部元親の周りを心地の良い風が勢いよく吹き荒れた。
それはまるで、彼の旅立ちを老人と同じように見送っているようだった。
鬼姫†無双 完
後書き
最終話をお送りしました。
これにて鬼姫†無双本編は完結となります。
一年に渡る連載でしたが、無事に終えて一安心です。
自分が思い描いた物語、そして終わりを書き上げた時はかなり充実しました。
一部の方はこの終わり方に納得出来ないかもしれませんが、御了承下さい。
そして今後の私の活動ですが、シルフェニアの企画に参加出来たら参加させて頂きたいと思っています。まあ私の書く作品が企画の対象に入っているかどうかは微妙なところですが……。
12月下旬に恋姫†無双の続編である『真・恋姫†無双』が発売されますね。
予定ですが、真・恋姫とBASARAのクロスSSを執筆したいと思っています。
絡ませるBASARAキャラについてはまだ未定です。
ライバルキャラも未定ですし、所属させる勢力も未定……ダメダメですね。
そして鬼姫†無双を不定期でも良いから、番外編を更新してほしいとの意見がありました。
大変に嬉しい御言葉です。私の作品を楽しみに待ってくれている人達の言葉は私の活動エネルギーです。無論、そちらも執筆予定です。ネタを考えなければ……!
それではまた、次回作でお会いしましょう。
今まで沢山の応援をありがとうございました!!