(……今日はご主人様と一緒にご飯、食べよ)
ぼんやりとそんなことを考えつつ、恋は屋敷の通路を歩いていた。
彼女が向かっている場所は唯1つ――大好きな主である元親の部屋だ。
元親は最近仕事が忙しくて時間が取れなかったが、今日こそは一緒に食べたい。
(……ご主人様の部屋だ)
瞳に目的の場所を映し、恋は少しだけ走り歩きで寄って行く。
そして扉を開けようと、手を掛けようとした時――
「ふふふ、ご主人様は本当に好きなんですね」
「当たり前だろ。あれだけ俺が夢中になった物はねえな」
部屋から――小さい声色であるが――元親と月の会話が聞こえてきた(詠は居ないらしい)。
月は元親の侍女であるし、別に2人が部屋で会話していることは珍しくない。
しかし恋は無意識の内に扉に手を掛けるのを止め、会話に耳を傾けていた。
「木騎、滅騎、仁王車、富岳、みんなスゲェんだぜ。1つありゃあ戦場を掌握出来るんだ」
「ほえ〜〜〜ここにそんな物があったら、武将の愛紗さん達が形無しですね」
月の感心する言葉を聞いた恋は、自分の胸がチクリと痛むのを感じた。
この痛みは以前に桜花が元親に抱き付いているのを見た時と同じぐらいの物だった。
(……ご主人様、凄く嬉しそう。その人達がみんな恋より強いから……?)
元親が言っているのは“からくり兵器”の事であり、人ではないのだ。
しかし天界に行った事が無い恋が、そんな事が分かる訳が無い。
だから恋は元親の言う木騎達の事を“人間”だと思い込んでいた。
「国がもっと豊かだったら出来るかもしれねえが……国1つ傾ける覚悟がいるからなぁ」
「え、ええっ!? それってそんなにお金が沢山掛かるんですか!?」
「はは、言ってなかったな。だが手間が掛かる奴ほど可愛いって言うだろ?」
「そ、そんなものなんですか? 国が傾くぐらいお金が掛かるのに?」
「そんなもんだよ。でも、あったら頼もしい事は間違い無しなんだけどなぁ」
恋が胸を手で押さえる。
またチクリと痛んだ。
(痛い……また痛い)
恋は胸の痛みと同時に、木騎達のことを恨めしく思った。
こんな思いを抱いたのは、恋が今まで生きてきて初めてだ。
でも元親を夢中にしている彼等が気に入らなかった。
「恋、ご主人様の部屋の前で何をしているんだ?」
「チカちゃんとお出掛けの約束? そんならウチも入れてや」
恋が視線を扉から声がした方向へ向ける。
そこには――訓練へ行く途中だろうか――水簾と霞の姿があった。
恋はすぐさま彼女達に向けた視線を下に向け、暗く俯く。
「?? どうした恋」
「めっちゃ暗いやん。何か悪い物でも食べたん?」
恋は言葉を発さず、首を横にゆっくりと振る。
眼の前に居る無口な彼女が暗い原因が分からず、水簾と霞は首を傾げた。
「恋、本当にどうし――」
「…………ご主人様、凄く嬉しそうだった」
恋が顔を上げる。
瞳が涙で若干潤んでいた。
「…………恋?」
「もう恋は……恋達は……!」
そう吹いた後、恋は勢いよく駆け出した。
水簾と霞が驚いて止めようとするが、恋の方が一歩速い。
止めようとして伸ばした手は虚しくも空を切った。
「恋……一体どうしたんやろ?」
「さあな。だが、原因はご主人様にありそうだ」
水簾はそう言うと、眼の前の扉を開けて部屋へと入った。
中には楽しそうな会話していた元親と月の姿がある。
突然入ってきた水簾と霞に、元親は少し驚いた様子を見せた。
「おう、どうしたんだお前等」
「ご主人様、ちょっと話がある」
すぐ後ろに居る霞を置いて、水簾は元親に詰め寄った。
いつもとは違う迫力を見せる水簾に、元親は思わず圧されそうになる。
「話って何だ? その様子からすると、随分と重要な話らしいな」
「ある意味では重要かもしれないな。恋についてなんだが……」
「恋? 恋がどうかしたのか?」
元親が首を傾げる様子を見た後、水簾はゆっくりと口を開いた。
「私と霞がここに来る前、恋が部屋の前で落ち込んでいたんだ」
「かなり暗い様子やったなぁ。恋のあんな顔、初めて見たわ」
「それとご主人様が凄く嬉しそうだったとも言っていた。ご主人様、何か心当たりは?」
水簾と霞の言葉に驚いた元親と月が顔を見合わせる。
2人の話から聞く恋の様子は普段の彼女からは考えられなかったからだ。
心当たりを聞かれた元親だったが、特に思い当たる事は何1つ無かった。
「心当たりはねえが、恋は放ってはおけねえな。何処に居るんだ?」
水簾は溜め息を吐いた後、首を横に振った。
「分からない。走って何処かへ行ってしまったんだ」
「そうか……でも探すしかねえ。月、お前も手伝ってくれるか?」
「は、はい! それと詠ちゃんにも手伝ってもらえるように言います!」
元親は軽く頷くと、水簾と霞を見つめた。
2人も元親の真意を悟ったのか、同時に軽く頷いた。
そして3人は部屋を共に部屋を飛び出していった――
◆
太陽が輝く青空――今日も幽州の街々は相変わらずの賑わいを見せている。
そんな中を赤い髪と瞳の少女――恋がゆっくりと歩いていた。
彼女の表情は賑やかな街とは対照的に何処か暗かった。
しかしどんなに暗い気分でも、身体の方は正直なようで――
(…………)
気の抜けるような音が腹内に響いた。
(…………お腹空いた)
恋が空腹を報せるお腹を押さえ、ぼんやりと思った。
元々元親と一緒に食べようと思って、今まで食べるのを我慢していたのだ。
お腹が空腹を自分に報せてくるのも無理はなかった。
(でも……食べたくない)
お腹が空いても、自分の中の何かが食べる事を拒絶する。
暗い表情を浮かべ、向かう場所も決めないまま前に進もうとした時――
「あっ、貴方は確か太守様の……」
「…………?」
恋はゆっくりと声がした後ろへ振り返る
見るとそこには元親の専属医師となった女医――華柁の姿があった。
何もしていないのに戸惑った表情を浮かべているところは、実に彼女らしい。
「呂布将軍でしたよね? 私を覚えてくれてますか?」
「…………(コクッ)」
恋自身、記憶力は一応悪い方では無い。
元親が認めた者、恋自身が認めた者の名前と顔は覚えていた。
――逆に言えば、それだけしか覚えていないと言う事になる。
「ほっ、良かった。将軍に覚えて頂けているだけでも幸せです」
「…………恋で良い」
「えっ?」
「……呼び方、真名の恋で良い。華柁はご主人様が認めてるから、恋も認める」
認めた者しか呼ばせない真名を教えてもらい、華柁は一瞬気を失いそうになった。
しかし何とか正気を保ち、恐る恐る恋に礼を言った。
華柁が礼を言うのと同時に、恋が無意識に抑えていたお腹の音が再び鳴り響いた。
「「……………………」」
鳴った後、気まずい空気が2人の間を流れた。
恋は――若干頬が赤いが――無表情、華柁は冷や汗ダラダラだった。
「…………」
「あ、あの、ええと……お腹が空いてらっしゃるんですか?」
慌てている華柁からの問い掛けに、恋はゆっくりと頷いた。
すると華柁は懐から取り出した小さい布袋の中身を確認した後、苦笑しながら言う。
「そ、そ、それでは何か食べに行きませんか? わ、私がお金を出しますので……!」
「…………」
恋が驚いたような表情を浮かべる。
しかし今は何も食べる気分ではないため、華柁からの申し出を断ろうと思った。
だが華柁の猛烈な熱意に根負けし、恋は奢ってもらう事になったのだった。
◆
「そうなんですか。太守様には既に夢中な御人が……」
「…………(コクコクッ)」
幽州にある一軒の安い料亭に恋と華柁は居た。
頼んだ料理を食べている最中、ポツリポツリと恋が語り出した元親の話。
華柁は彼女の話を聞いていく内に、何とも言えない気分になっていった。
(そうだよなぁ。太守様みたいな素敵な御人にはもう……)
何故か恋と同じような気分に染まっていく華柁。
2人の醸し出す暗い雰囲気が店を徐々に覆っていく。
「…………ご主人様が夢中になってる奴等が来たら、恋はきっと要らなくなる」
「そ、そんな。呂布……恋様、あの太守様に限ってそんな事はありえませんよ」
「…………?」
華柁は慈愛に満ちた笑みを浮かべ、恋に語り掛ける。
「私達町民や、恋様達の事を家族と仰って下さる方ですよ? 見捨てる訳がないです」
「でも……恋は弱い。ご主人様が好きな奴等と違って……」
「そんな事ありません」
ソッと、華柁は優しく恋の手を握り締めた。
恋は華柁の方をジッと見つめる。
「恋様は決して弱くありません。私なんかが言ってもしょうがないと思いますけど……」
「華柁……」
「それに弱いと思ったら努力すれば良いんです。恋様ならきっと、今より強くなれます」
「…………」
華柁の言葉を聞いた後、恋はゆっくりと手を握り返した。
「…………華柁」
「あっ……は、はい!」
「……ありがとう。恋、頑張るから」
「い、いえ! そんな、恐れ多い事です!」
華柁は慌てながらも、眩しい笑顔を浮かべていた。
それと同じくらいの笑顔を恋も浮かべている。
店を覆っていた暗い雰囲気は消え、明るい雰囲気に戻っていた。
「華柁……また屋敷に来て」
「は、はい。機会があれば必ず……!」
店から出た2人は、そう言葉を交わした後に分かれた。
華柁は去っていく恋の後ろ姿を見えなくなるまで見送った。
「――――あっ!? そういえば薬の材料を買う途中だったんだ!? お、お金足りるかな……?」
自分が街を歩いていた本来の目的を思い出した華柁は、慌てて財布の中身を確認する。
残金は当然薬の材料を全て買うには至らず、師匠に怒られる羽目になるのだった。
◆
森の中にある、サラサラと流れる小川。
上流にある小さなほとり――大きめな岩の上に元親と恋は居た。
2人は無言で川が流れる様子を眺め、音を聞いている。
「…………」
(何て話し掛けりゃ良いんだろうな……?)
恋の隣に座る元親は気まずい様子である。
水簾や霞達と協力して恋を探している最中、本人が自分の前に出現。
有無を言わせぬ様子でここに連れていかれ、現在に至るのだ。
「…………ご主人様」
「お、おう。何だ?」
突然話し掛けられ、少し慌てながらも、冷静を保つ元親。
恋は元親を暫く見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「……強くなる」
「ん……?」
「恋、今よりもっと強くなる……」
「恋……? 急にどうしたんだ?」
元親が問い掛けると同時に、恋は元親の胸に顔を埋めた。
どうしようかと迷う元親だが、とりあえず恋の頭をしっかりと抱き締める。
「……強くなるし、良い子になる……」
恋は言葉を続ける。
元親は何も言わず、彼女の言う事を黙って聞いた。
「……警邏もやるし、愛紗達の言う事も聞くし、ご主人様を絶対に守るから……」
段々と言葉が震え、嗚咽が徐々に混じっていく。
元親が表情を険しくした。
「捨てないで……! 嫌いにならないで……! ご主人様……ッ!!」
「――――馬鹿野郎ッ!」
元親は恋をしっかりと胸に抱き込んだ。
恋の身体が震え、言葉が止まる。
「捨てる訳が、嫌いになる訳がねえじゃねえか。急に何を言ってやがんだよ」
「ご主人様…………?」
「俺を一生懸命に支えてくれる奴等を、どうして捨てたり嫌いになれんだ」
元親は恋を胸から離し、頭を優しく撫でた。
潤んだ瞳の上目遣いで恋は元親を見つめる。
「じゃあ恋を……恋や愛紗達の事を捨てたりしない?」
「ったりめえだ。分かりきってる事を訊くんじゃねえよ」
元親の言葉を聞いた恋は、安心した笑みを浮かべた。
元親は安堵の溜め息を吐くが、1つの疑問が残る。
どうして恋が必死になってこんな事を言ったのか、訳が分からなかった。
そのことについての理由を恋に訊くと、恋はゆっくりと話してくれた。
その話を聞き終わった後、元親は力が抜けていくのを感じずにはいられなかった。
「そういうことだったのか……まあ、原因は俺にあるか」
「…………どうかした? ご主人様」
首を傾げる恋に対し、元親は苦笑を返す。
「恋、屋敷に帰ったら本当の事を教えてやる」
「…………本当のこと?」
「ああ。多分お前も月と同じ反応をすると思うぞ」
あまり元親の言っている意味が分かっていない様子の恋。
まあこれは当然かと、元親は思った。
からくり兵器のことを知ったらどう反応するだろうか。
「恋は見つかったし、誤解も解けたのは良いが……」
「?? ご主人様、恋を探してくれてたの?」
「そうだよ。水簾や霞、月や詠達も一緒にな」
「…………そうなんだ」
みんなが自分を探していたなんて、恋が知る訳がない。
それに協力してくれた彼女達には何て言おうと、元親は悩んだ。
(下手な事を言うと、またネチネチと言われそうだな)
「……ご主人様、気分悪いの?」
「あ〜〜〜……これからの事を考えるとな」
「??」
深い溜め息を吐く元親を恋は心配そうに見つめていた。
元親が本当に奮闘するのはこれからのようである。