私達の挨拶の後、ゲネラルは半ば懐かしそうな、半ば呆れたような声を出した。
「まさか君と再び会えるとは思わなかった。ゼークト君、新聞で顔が載るほど名を挙げたのは聞いた。伊地知がいたらこの時点で酒と煙草を持ち込んだだろうな。」
「光栄です、閣下」
芸の無い私の言葉を聞いて、先ほどの言葉を自らの失言と感じたのかゲネラルは慌てて言葉を繋げる。
「あぁ、済まなかった。大層苦労していたのに力添えも出来ず、君の苦心と懊悩を軽挙に評するとは……儂も能天気になったものだ。」
あの件の事か。ドイツの汚点、悪魔、死神、散々言われたが覚悟の上のでの事。寧ろ閣下に嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。しかし、閣下もそれを乗り越えられたのだ。だから乗り越えるべき私も同じ言葉を言わねばならない。
「閣下の
顰に習ったまでです。
本当に我が祖国には余裕が無い。其れを認識しない者のなんと多いことか…………私が悪となってでも現実を軍や国民に解らせない限り、祖国は終わりだと決意してやったまでです。閣下もあの戦争の後非難を受けたと聞き及びましたが、私は単に戦争の途中でそれを受けただけです。お気になさらず。」
「そして総督府の軍事顧問に栄転というより転出させられた訳か。すまんな、此方も幾等人があっても足りない状態だ。先達になるメッケル少佐以上に扱き使われることになるぞ?」
「望むところです! あ……紹介いたします。」
隣の二人が視線を注いでいる。彼らを置いてきぼりに話に熱中してしまったようだ。
「トラキア派遣技術顧問のフリッツ・トートです。」
「助手のエトムント・ガウスです。」
彼らが自己紹介するとゲネラルは驚いた顔をした。口をあんぐりと開けた後、慌てて閉じて尋ねてくる。
「君がフリッツ・トート“博士”かね? ミュンヘン工科大の!? いや、驚いた。まさか英才と知られた君が技術顧問だったとは。ドイツ外務省は何という逸材を回してくれたものだ!!」
躍り上がるとはこのことだろう。我が祖国では多少名が知れる学生をここまで注視していたとは。 “博士”も喜んでいる。まさか己をかの日露戦争の英雄が知っていたとは思わない筈だ。もはや交渉も忘れて全力を尽くしますと出来るか解らぬ法螺を吹いている。
四人でしばらく雑談や私とゲネラルの昔話に興じた後、ジェネラルは名残惜しそうに席を立った。なんでも総督であると同時に
祖国の大学校講師でもあるらしいのだ。今からトラキアを起ち、
帝都に向かうらしい。迎えに来たゲネラルの御孫嬢が、ひとつ我等に頭を下げゲネラルと一緒にホールを出ていく。
「不思議な瞳の娘ですね。」
エトムント君の溜息混じりの声が聞こえた。
◆◇◆◇◆
ゲネラルは知ることはなかった。――――
エトムント・ガウス、かつて時の彼方で霧の存在を突き止め、息子ヨハネス・ガウスに其れを継がせて
失われた勅命を現出させた始まりの男であったことに。
私はこの時知らなかった。――――
フリッツ・トート、時から外れた国、私の愛する祖国が世界大戦で滅び、其処から再生したドイツ
第三帝国において軍需大臣を務めた男。ドイツを恐るべき戦闘国家に変えた悪名高きトート機関の長が彼であったということに。
しかし、御孫嬢は知っていた。その2つを…………。
―――――――――――――――――――――――――――――
晩秋の学舎、課業を分担した友人を待ちながら校庭に目を向ける。否応なくあの時を思い出す。士官学校の中、俺達有象無象の候補生が整列する前へやってきた男。
◆◇◆◇◆
「気ヲツケッ! 礼!!」
上級生の掛け声の下、一斉に敬礼を行う。相手はあの日露戦争の英雄だ。我が陸軍において神のごとき存在。彼は軽く敬礼を返すと武人としては柔らかい声で『陸軍大将 乃木希典であります。』その言葉の後から講評を始めた。先ほどの部隊指揮訓練での評価だ、彼の何気ない一言で上級生が内心で一喜一憂しているのが俺のいる最後尾辺りからすら覗える。
『自分は陸軍に必要な者なのか? 自分はこの英雄の下に立てる者なのか??』
立身出世を目的に軍に入った者でなくとも、英雄に評価される自分を思い描きたいのは誰しも同じだ。むろん俺はその中に入っていない。俺達下級生は上級生の命に従って動くのが当然、講評の対象にならない。対象となるとしたらこの後の校長先生閣下や教官閣下の講評だ。
話が全て終わり解散となる。上級生や下級生、三々五々と自らの課業を果たすべく散っていき、俺も星野と共に学舎に帰ろうとすると、残っていた校長先生閣下に呼び止められた。
「
石鎚橙洋生徒、君は校長室に出頭したまえ。」
「ハッ! 石鎚生徒、
校長室に出頭致します。」
なんとなく見当は付いていた、拳を握りしめ俺は校長室に向かう。星野が俺を横目で見た。俺は軽く頭を下げ彼と別れる。
◆◇◆◇◆
「(押すなよ! 間違ってドアでも開いたら俺らみんなお陀仏だぞ!!)」
「(何話しているか位聞かせろよ! 何人ドアに張り付いてんだ!!)」
「(おぃ! 格子窓開けるなよ。バレるだろうが!!)」
「(ひと目だけでも妹姫様の顔を……)」
「「「(手前ェ! 其れが狙いか!!!)」」」
うむ! 皆バカだ。あいつが心配でこっそり尾行した訳なんだが、聞きつけた数人やすれ違った数人からからあっという間に『橙洋と乃木総督閣下が会う』事が広まった。結果、校長室の扉に10名あまりが牡蠣みたく貼り付いている。
角云う星野利元候補生こと僕もそうなんだが気にならない方がおかしい。あの乃木将軍閣下の孫が悪友の橙洋だ。血が繋がらないこと等、皆とっくに知っている。だからこそ将軍閣下が何を言うのか気になるのだ。……若干一名、違う目的の者も混ざっているが
犠牲の羊はこいつにしよう。ついでに彼女は橙洋の姉ってことも覚えておけ! ま、あの無理矢理尋常小学校生に女学生の服を着せたような風体、ちんまい背格好じゃ妹扱いも仕方がないんだが。
耳を
欹てる。内容は候補生の繰り上げ派遣の件か。毎年陸(軍)も海(軍)も何人もの士官候補生や佐官候補の軍大学生がトラキアに実地研修に出かけている。何しろお国の最前線、帰ってくるのは
一階級昇進した後か二階級昇進した後だ。当然二階級昇進は戦死と言う結末……白木の箱で帰ってくるという暗喩だ。
だか噂は立っている。僕達DコロとC共から侮蔑される中卒出でも、トラキアで手柄を立てれば大佐までいける。逆に幼年学校出のエリート候補生でも、トラキアで実戦を経験しなければ将官の道は開けない。もし本当ならば中卒のDコロと馬鹿にされる僕等でも佐官昇進と言う出世街道に行ける! 逆に幼年学校のC連中にとっては存亡の危機だ。
押し殺したような声が聞こえる。橙洋だ……相当に怒らなけりゃあの声は出ない。いつも茫洋な顔をして相手の話に合わせているが結構我が強い。しかもあいつが家族を捨てなければならなかったのは目の前にいる乃木総督閣下らしいことも噂で聞いた。将軍閣下に言いように扱われるのなら激怒するのも当然だ。頼むから暴走せんでくれよ?
「(うわ……妹姫、瞳が黄金色だ。5年たてば凄ェ別嬪になるぞ!)」
「「「(だから覗くなと言ってるだろうが!!)」」」
そういう囁きと、釣られて覗きこもうとした奴の
静かなる狂騒は置いておくとして、あ! やっちまったか……
「いつも、いつも閣下はそうだ! 俺は唯の駒か!! 俺の一族を見殺しにし、家族を奪い、こんな下らんところで軍隊教育させて何様のつもりだ!!!」
「一五も近いというのに甘ったれた餓鬼根性が抜けていないようだな? 橙洋。貴様のちっぽけな瞳で世界を測るか? 人間誰しも思う通りの人生など歩めぬ。自分独りで歩もうなど愚劣もいいところ。お前の澱んだ泥沼のごとき脳味噌を洗浄してやろうというのだ。有難く思うのだな。」
うおっ! 驚いた。乃木総督閣下と言えば
顔面怪異なれど性質温厚と新聞で掲載される位なのにこれほど毒をもった嘲りを吐けるのか!! さっきの講評の時でも大半の学生が戦々恐々といった眼差しで閣下の顔面を見ていた位だ。総督閣下の取り繕った顔面の裏が『鬼武者・乃木』の渾名……上級生が総督閣下の何気ない言葉の端々を気にするという噂もまんざら嘘じゃないと言う事か。
「(大丈夫かアイツ?)」
「(大丈夫な訳ないだろ? だが本当に軍人調教されていたんだな。あれじゃ橙洋が可哀想だ。)」
聞いて来た同期の教口候補生に答えてやる。出来は悪いが僕と同じく橙洋の数少ない友人だ――いや僕は悪友だから別口か。
……あんなことを一候補生が将軍閣下に言い、楯突けば退学だ。だが橙洋にはその自由すら無いらしい。たしか
将軍閣下の御次男である乃木保典中佐殿も宮様軍人並に昇進しているという。御上の係累なら兎も角、どう見ても乃木家自体が異常なんだ。アイツは元々軍人を好いていない。決して嫌っている訳じゃないだろうが……欹てていた耳に将軍閣下とは違う高音が飛び込んできた。
「橙洋、今の言葉訂正なさい。『一族を見殺し』にしたとはどのような根拠を持って言いましたか?」
「姉貴は関係無い! 俺はこいつと話してるんだ!!」
「根拠も無しに言ったのですか? この愚か者! はっきりいっておきましょう。私達の一族を滅したのは私達です。いぇ! あなたまでは罪はない。双子の後産みたる姉の私、貴方の母を殺したのはこの私です!! 貴方の人生を狂わせたのは私、恨むも憎むも好きになさい。御爺様に関しても百歩譲って認めます。ですが乃木一族を恨むは筋違いと言うものです!!」
――――その後は凄まじかった。覗いていた候補生が後で真っ青になって語った事では、橙子嬢に橙洋が手を上げようとした途端、橙洋が彼女に無手で投げ飛ばされて床に這い、その脇腹を彼女が蹴りあげたとの事。橙洋の躰は
護膜毬のように跳ね跳んだという。音だけでも僕等はとんでもないことが起こったと確信できたのだ。ただ、その時の僕等にはそんな暇は無かったのだが――――
とっさに同輩を押しのけて立ち上がり敬礼、大音声で用意していた言葉を叫ぶ。
◆◇◆◇◆
「なんだ、脇腹押えて? またあの時の事思い出していたのか。」
「トシ(星野利元)、あれは効いたよ。熱くなりすぎた俺も馬鹿だったが殺されるかと思った。姉貴、あんなちんまい成りでとんでもない馬鹿力だと思ったもんさ。お前の機転が無けりゃ肋の2・3本砕かれていただろうな。」
寮の相部屋に遠慮無く入り込んできた――彼は別部屋だ――悪友に微笑む。俺は彼の部屋に行くことはないが向こうは好き好んで入り浸る。友人を作るのが下手な俺が同期だけとはいえ気を抜いた話が出来るようになったのはトシの御蔭だ。俺の自虐に向こうも苦笑して窓際に腰掛ける。分担通り荷物は持ってきてくれたようだ。
「こっちも嵌められたクチさ、どう見ても修羅場なのに校長が介入しない訳が解った。
御丁寧に扉の壁側で俺達を見張っていた、と言うわけだ。」
校長先生閣下が廊下へ続く玄関扉を勢い良く開けると外の廊下から星野を含め十数人が転がり出てきたのだ。強烈な痛みで意識さえ飛びそうだったが、突然立ち上がってた星野の言葉、
『次年度卒業候補生のトラキア実地研修が繰り上がるとは本当ですか!? 私、星野利元陸軍士官候補生はトラキア行きに志願したく思い、直訴に参りました!!』その声が校長室中に響いたのだ。アイツと姉貴のポカンとした顔だけは覚えている。つまりトシは姉貴の気を逸らし、俺を庇ってくれたのだ。未だ自責は強く思わず謝罪の言葉が出る。
「悪りぃ……結局俺は御前等に貧乏籤を…………。」
「言うなって! 同期の誼だろ!? それにDコロと言われていた僕等にとっては千載一遇のチャンスなんだ。前期、前前期トラキア行きが確定したのはC共ばかりだ!! 結局御国は縁故主義なのさ。なら縁故ってモノを作りゃいい。体よく利用されたと文句の一つも言えんのか?」
真新しい軍服を投げてくる。現在俺達は準備中だ、トラキア派遣部隊……あいつの要請で陸軍が動き、教練を切り上げた士官学校生を中心に本土各地の即応部隊で連隊を編成、先遣部隊としてトラキアに送り込む。俺もその一人だ。
漆黒の軍服、大きな開襟の上着とダービータイ、西洋人の軍人が履くような
軍袴に黒光りする
長靴。帝都で毎年行われる陸軍閲兵式、植民地軍士官のハイカラな姿に憧れ、士官学校の扉を叩く中学生も多いという。一部の私立学校では布地を紺色に変えた
制服を採用しているほどだ。軽く纏って体型に合うか確認する。素早く脱いで畳み
雑嚢の中へ。手際良く荷物を詰めていく。校庭をまた眺めてしまう俺に星野の言葉が響き、それを俺が返す。
「いよいよだな。」 「あぁ……いよいよだ。」
拳同士を打ち合わせる。一週間後、俺達は学舎を後にする。
―――――――――――――――――――――――――――――
ノヴィ・ベオグラードのブロック70、セルビア共和国首都ベオグラードの中では特に異質な街区と言われている。そう、欧州の町並みの中にある中華街という場所だ。それでも私にとって少しばかり郷愁を感じられるものだった。勿論故郷な訳ではなく長らく食べ慣れた中華料理の御蔭だろう。料理の後、私たちを招待した彼は相対する席で満足そうに腹を叩いて見せた。
「いやマンネルハイム【大佐】、久々に良い晩餐であった。やはり料理人はフランス人か漢人(中国人)に限るな。」
「お招き有り難うございます。しかし良いのでしょうか?
我等は一介の傭兵です。閣下直々に饗応しなくとも良かったのでは。」
前の御仁、ラドミール・プトニック セルビア陸軍参謀総長は61歳とは思えぬ優雅さで
片眼鏡を付ける。その裏側の眼光は鋭いままだ。口元は微笑んでいても頭は冴えわたり此方の隙を窺う、そんな肉食獣の表情。
「君が唯一なのだ。そうあのロシア-ジャパン戦争でゲネラール・ノギと戦い、そして生き残れた軍人、
もっと誇って良いと思うがね?」
「誇れるのであればロシアはあの戦争に勝っていましたよ。
私は唯の敗将です。傭兵という立場がその現実です。」
「にしては随分と吹聴していたようだな? フランス外人部隊の宣伝文句にもなっているぞ。君にしては気分が悪かろうが募兵は君の御蔭で捗っていると……。」
ハッタリと謙遜を使い分けるくらいは交渉を行う者として当然だ。しかし彼は容赦なくそれを切り捨て、実務という現実の名の下この言葉で止めを刺した。
「……だからこそ、君と君の部隊を招くことが出来た!」
部下のブジョンヌイ君他、傭兵士官の殆どは下のホールでどんちゃん騒ぎの最中だ。此処にいるのは私と閣下、そしてそれぞれの副官だけ。皿が下げられたテーブルの上に数枚の地図が広げられる。勿論バルカン半島の全体図だ。
「まだ彼らが
あのちっぽけな地方一つで満足しているのなら良かった。所詮トルコの不安定な傀儡国家と考えれば、我が国も国民もトルコから半独立した弱小国家と見ることが出来るからな。昨今騒がしい黒の手(セルビア右翼過激派)の連中もいつか飲み込む小国と認識できただろう。しかし……」
これだけで解る、彼が私の前に出してきたのは対トラキア戦備計画。国家機密の中に私如きを入れなければならない程、セルビア軍は
将に窮乏しているのだと。彼の言いたいことを私が繋げる。
「フィリッポス金鉱山、度重なる大規模移民、列強中の資本投下による前代未聞の開発計画。閣下はこう考えておりませんか?
『彼らはバルカンに新秩序を作る』つもりだと。」
溜息を吐きながら閣下が合槌を打ち、泣き言という名の現状を説明する。
「個人的にはどうでもいいことだ。この老い
耄れにその未来を見ることなど無いのだからな。しかし国民は納得しない。やっとの思いでトルコをバルカンから駆逐できるかと思ったら、日本人を手先に
英米仏独伊が乗り込んできたのでは堪らん。」
シーナ大陸で
アメリカ人新兵の教練に明け暮れていた後、我等傭兵大隊は再び欧州へ帰ってきた。その時にとんでもない依頼を提示されたのだ。
『マンネルハイム【大】佐率いる傭兵大隊は連隊規模に増強、フランス製武器の教導と実戦運用の為、セルビア王国陸軍特別部隊として赴任せよ。』
フランス政府とフランス外人部隊、一見別組織だが根は同じだ。――フランス政府非公式戦闘部隊――それがフランス外人部隊である。食い詰めたフランス士官に十分な報償と引き換えに国籍離脱させ、虎狼の如き傭兵を当てがって危地へ送り込む。成功すればフランス共和国は何らかの利益を得、失敗すれば何処ぞの凶賊の仕業と言い逃れられる。何故私のようなフィンランド出のロシア人が士官……それも高級士官たる佐官の地位を得られたのかは簡単だ。
「あの大日本帝国軍と互角に戦った。」
採用時の法螺が拡大し、フランス外人部隊ではあり得ないほどの地位を与えざるを得なかったのだ。だからこそ傭兵大隊――戦闘単位としての最大である中隊ではなくその上、戦術単位の最小である大隊――を率いる長として私を迎えたのだ。勿論フランス政府の思惑も入っている。厄介なロシア移民……しかも若い男を合法的に徴兵し英雄の部隊の名の下使い捨てられるというメリットが。
私は彼の説明から即座に懸念と可能性を導き出し口にする。いやすでに彼ではなく
閣下だ。甘えを切り捨て、容赦なく頭の中身を
気鋭のセルビア人参謀というモノに作り替える。
「しかしフィリッポス鉱山に手を出すのは危険と小官は考えます。国際政治力学が複雑に絡み合った、あの鉱山に手を出せばこの国は終わりです。
日本人の国に入っただけでもドナウの北から
双頭の鷲がやってくるでしょう。彼らにとってはこの国を併合する好機ですから。」
私の考察に閣下は大きく頷き言葉を続けた。
「正直君を参謀として幕下に留めたいぐらいだ。そこまで解る人間が政府にも軍にもいかに少ないか……金鉱を奪えばいいという欲得丸出しの連中を説得するのはこの老骨にもしんどい。」
懸念は当たったか。列強でもない限り国際政治力学まで勘案して戦略を口にする者はいない。
セルビアでは国を守ること、そして国を拡張すること以上に国家の重鎮たる者が考えを巡らせられないのだ。それが二流国という現実。ただ、閣下の狙いはだいたい読めた。結論を確認のために先に言う。彼等からすれば誇りある過去の栄光という固有名詞、
「ならば狙いは
大セルビアに留めると?」
「それも難しいがな……少なくとも日本にマケドニア全てをくれてやることだけは防がねばならん。そうなったら
我が国は北の双頭の鷲と南の戦鴉に塞がれ、最後はこうだ。」
スッと首筋を撫でる、其れを見て私は閃いた。戦争目的は
大日本帝国欧州領の権威失墜。この際、領土奪取は手段に過ぎない。たとえ少量でも『勝って領土を奪った』という実績を引っ提げて列強の関心をセルビアに向け、バルカン政治力学の重心を首府ベオグラードに持ってくるのだ。
恐らく攻守同盟を結ぶであろうブルガリア、ギリシャは領土こそ得られても財貨を乱費し、兵士を失い、国威を落してしまう。そう仕組み、セルビアのみが最小の被で最大の戦果を。私が理解の証として頷くと閣下は上機嫌で私にプレゼントをよこした。セルビア陸軍一個師団というプレゼントを。
「苦労をしてもらうぞ、新任教官殿。」
最後の言葉さえなかったらどんなに良かったか!!
―――――――――――――――――――――――――――――
「やっぱりおかしい……」
「どうした? 橙子」
騒々しい2型大艇の中、顔を顰めていた孫が不機嫌そうな声を出した。御国に戻る途中の地中海の出口、ポートサイドが見えてくる筈だ。そこでは『丁度居合わせた』と言う英インド帝国総督との会談が控えている。内容はインド展開中の英国編成インド傭兵連隊の雇用。その為の資料に目を通していた時、耳に飛び込んできたのがコレだ。
「あ、ごめんなさい。……先月からコアユニット本体とある構造体が概念伝達を行っていることはお話ししましたけど、その内容を全く開示してくれないんです。欲しい情報だけでも開示してくれると嬉しいのですけど、秘密秘密と通せんぼされてばかりです。」
「あちらにも秘密にしたいこともあるのだろうよ。力づくでこじ開けようとするなよ? 未来で人に敵する存在とはいえ、今は敵ではないし隠しておきたいことを無理矢理弄ればあちらも怒るだろうからな。」
そうなのだ、橙子とそれに取り憑いたコアユニットの上下関係は本来コアユニットこそ親分格であり橙子は子分格に過ぎない。商家で番頭の仕事に丁稚が口を出せば即座に放り出される。しかし困ったことに橙子には一部それが通用しないのだ。索敵ユニットを介して孫はある力をコアユニットに行使できる。それがはっきりと解ったのは日露戦争以後だという。
【浸食能力】
今から100年の後の
電子頭脳時代等、想像もつかないが、こう考えれば良い。
必要な書類は自分の入れない部屋にある。警備兵もいれば錠の付いた扉もある。大旦那直属の番頭も目を光らせている。しかし孫は警備兵を言葉巧みに丸めこんで鍵のある部屋から鍵を持ってこさせるのだ。大旦那直属の番頭に対しては偽造した書面を見せてあたかも大旦那の許可をもらっているような言葉を吐く。まんまと商家の重要機密を覗き見できるのだ。大旦那は彼女の所業を感知していない。番頭は大旦那の指示と信じ切っている。警備兵は報告こそ挙げるが番頭の『大旦那の指示だから』の一言で納得するしかない。人間同士でさえ100年後はこのような手段を使って諜報や犯罪を行っているというのだ。
しかし、コアユニットに人間の電子頭脳は通用しない。性能が桁違いにすぎて簡単に見破られてしまうのだ。人間が電子頭脳を必死に改良するのを嘲るように彼等の本体、即ちコアユニットはさらに微小かつ高精度の量子を基軸とした量子頭脳だという。霧が2038年までの人間の電子情報を事細かに知っている種がコレだ。
そう、橙子はこの
霧の絶対的優位を覆してしまう。本能でコアユニットをたらし込み、欲しいものを引き出してくるのだ。どうやらコアユニットもある程度それを黙認しているようである。利害の一致という奴だろう? だからこそ橙子にはコアユニットが秘密と阻んだ情報には手を出すなと釘を刺してある。
誰にでも知られたくない事と言うものは存在する。力に奢って無理を通せば、相手を怒らせ目も当てられぬ結果になるのが道理。人間もコアユニットもその点は同じと儂は思う。そして橙子にも『相手もまた考える
葦である」ということを認識させておくのだ。便利な道具ではなく、コアユニットも一つの人間の在り様と橙子に認識させておかねばならない。どんなに相手が非情であっても、礼を弁えなければ相手の不信を煽り、遂には憎悪に変わってしまう。
「
人類評定……だったな。人間をどう彼等が評するか。彼等がどう行動すべきか? 話し合いの最中に部外者に口を挟まれたくないのだろうよ。特に今回は御前達の御蔭で想定外の筈だ。遥か未来からやってきた霧とこの世界の霧、双方共戸惑いは隠せぬだろうて。」
そうこの世に飛ばされたコアユニットの過去、
1914年に行われた人類評定。それが今! 1912年に前倒しされたのだ! 間違いなく橙子と取り憑いたコアユニット、そして儂の所業が原因なのだろう。今の人類の有様と彼らの行動原理を鑑みれば即敵対的になるというのは考え難いが手は打っておく必要はある。
「橙子、ハツセを己の指揮下におけるようコアユニットに要請してみよ。御前達の量子頭脳で無く、人が霧を扱った時何が出来るのか良い評価試験になるだろう。」
「?」
コクリと首を傾げられた。確かに橙子は単独でもコアユニットの許可を得てハツセを動かせる。しかしそれでは意味がない。『人間は霧の役に立つ』こう証を立てることで『今人類に敵対するのは不利益だ』そう思わせるのだ。
相手が人間ならば保身のために逆の『災いは芽のうちに摘む』になるだろうが、圧倒的な力を持つ霧の艦艇は『面白い』と思うだろう? そこが付け目だ。さらに言うのであれば『人間から可能な限り利益を引き出してやろう』此処までくれば150年の
時間稼ぎとして言う事は無い。
「何、人が霧の艦艇を使いこなせれば人類評定とやらで人間擁護論も出るだろう? 何しろ評定だ。人間の存在に肯定論も否定論もある筈、それを此方で誘導するのだ。」
訳知り顔で橙子に答えるが、トラキアをでっちあげたあの
モールバラ公爵という男ならそれ以上の手を打てるだろう? だが、奴に近づくのは危険だ。小村君の話では三国志で言う奸臣、己の美学の為に世界すら掛金にする輩という。警戒するに越したことはない。
「さしあたって候補は知りすぎた連中だな。
高野君とヒュー君、それに水雷艇の艇長の彼ならどうだ?」
その答えで誰か感づいたのか橙子は不満げな顔をした。
「彼ですか? あまりいいとは思いませんけど。」
「実際見てきた、彼の操舵もな。正直、貫太郎君(鈴木貫太郎)の話ではKA(細君)は水雷艇で良いそうだ。むしろあいつを艦隊指揮官や航空隊司令官にする方が間違っているとな。……年功序列を覆せなかった“そちらの山本五十六君”らしい人事かもしれないが。」
「…………解りました。高野様なら伝手もありましょうし話を通してみます。」
眼下を輸送船団が整然と隊列を作り北上している。第18次征号作戦、通常の移民船と共にそれに名を借りた士官候補生達を乗せた臨時の増援が征京に向かっている。儂らは逆に御国へ……御国は秋の最中だろうな。教育総監になった立見からの手紙、御国の現状を描いた書面の中身を思い出しながら儂は呟く。
「内憂外患」
あとがきと言う名の作品ツッコミ対談
「どもっ! とーこです!! うわーようやくわたしの弟再登場! 長かったわね〜♪」
「ども、作者です。正直もっと早くに出したかったけどね。やっぱ陸軍士官学校の教練とかは蛇足になるし切らざるを得なかった。一応橙洋始め士官学校生が超兵器を自分の手で使う段になって。これは御国の兵器か? と疑念を抱くように考えたけどね。」
「あーなるほど、他の学校生は輸入品だからで済むけど橙洋に関してはねぇ。でも結局それだけだと一節分(4kb以上)に達しないから切ったという裏ネタが在った癖に。」
だからそーゆー内輪をポンポンポンポンと(泣)まぁいいやこのまま雑談続けると作者の旧悪ばかり晒されそうだからツッコミ行こう。
「逃げたな(笑)じゃツッコミその一、なんか節の最後で微妙な言い回しよねぇ?ゼークト閣下のあの回想。」
だね。2部への繋ぎとして閣下は存在するから彼が裏面を知るのは一部終了以降というアリバイ作りとそれによって今回のバルカン戦争には軍人サイドとして活躍する事を作者自身に強制させたということかな?
「今教えちゃダメなの?」
隣にいるだろ……アドミラリティ・コードの張本人の一人が。まぁ実際は彼の息子なんだが明らかに影響受けるからね。2部の構成は正に霧にアルペジオの歴史上の人物であるエトムント+出雲薫+グレーテル+ビス姉妹がメインキャラになるからその親父役がいるのよ。それがゼークト閣下ね。
「気が長い話だわねぇ一体いつになるのやら? まーいいやその2行こう。橙洋もマンネルハイム閣下も今回の話で同時に出したのはなんか意図が在るの?」
そうだよ。そろそろ序章を思い出してもらわないと。双方の戦争の理由をここで初めて書くのさ。だから個々に関しては前後の文を読まず序章を読みながら書きあげた。
「でも弟半殺しなんてわたし無双?」
というよりトラウマの一つだね。多分書くことは無いし重すぎて作者の筆力が足りないの確定だけど。橙子は一族亡滅とその原因を知っているのよ。それでパパが妻を迎える段になって。自分の母を無理矢理作ろうとしてるんじゃないかとうろたえて。
「乃木ママ作中から切り捨てた件ね……で、どうしたのわたし?」
リストカットした。
「おぃ……」
当然大騒ぎになった。おませなうえに元々パパっ子だから父親を獲られると勘違いしたんだね。だから2章でママを「嫌い」「女」とはっきり言い切れるしそんな自分を更に嫌う原因になってた。
「コレ……本気で書いた方がいいんじゃない。絶対に橙子の性格構築の伏線になると思うよ。」
ごめん、多分無理。そういう関係の本読んだら痛すぎて書けない。物書きとして未熟を痛感したよ。
「第二部で頑張ろうよ。」
何時になるやら(遠い目)
「早くしようね♪ (ツッコミ砲展開)、さてツッコミ其の三 ついに元ネタ開帳したわね、とーこ唯一のチート能力。」
まね、現在霧は彼女の能力を解析中でもある。でも本当に厄介な能力なんよ、霧としてはね。なにしろ発動する兆候どころか条件すら解らない。どちらかと言えば霧としては理解不能な人類女性における思春期の不安定な感情に連動して発動するからそれを行っていると橙子に認識させて騙すしかないのよ。
「へ? じゃいつも勝手に橙子が情報もちかえっているのは霧の自作自演なわけ?」
そうなるね。1章のナノマテリアルで作った橙子の暴走っぷり考えても見てよ。原作見ても霧の限界点を超えた『ナノマテリアルを基軸、浸食体とした物質再構成の即時作業完了をやらかしたんだよ。下手するとミラーリングシステムよか凶悪な存在だ。現在の霧にとっての最大の脅威はこの不安定な歴史犯罪の共犯者でもあるわけ。そして橙子本体じゃないからというのは理由にならない。ナノマテリアル橙子が原因不明の再現を行った事こそが最もナノマテリアルを知るはずの霧にとって驚きであったからだからね。
「あらま〜、じゃ橙子の存在ってどうなるの? 下手すれば抹殺対象じゃん。(他人事)」
そこが人間と霧の違い、そもそも原作における霧の目的は「一定段階に至った人類への陸上への駆逐と海洋封鎖」これですら失われた勅命によって書き換えられたものと思われる。此処にいる霧は原作のメンタルモデルと違ってまだ自らの意思を構築しきれていない。そして霧にとって自己保全と言う生物らしい論理は最も遠いと作者は考えてる。寧ろ己を道具に目的を果たす事を優先すると思う。だからこその有用な道具とみているわけ。橙子をね。
「結局、己すら構築できてない霧にとってさえ人類はおろか霧との実質ハーフで在る橙子、そして霧そのものですらモルモットでしかないのか。結構怖い事考えているわね作者。」
4章でそれに橙子が激怒すると思うけどね。なにせあの状況であんなことやらかすわけだからさ。
「その前に激怒させたわね。妙なネタ振りして……読者の皆さま方を(怒)」
へ? え! ちょっと待てその程どで!?
「問答無用!」
(轟音と悲鳴が交錯)
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