「全装甲旅団、装甲偵察大隊を分離、集成戦闘団に編成せよ。」
「第一装甲旅団A、B戦闘群に命令、敵前衛を擾乱し突破口を開削せよ。」
「第二装甲旅団A、B戦闘群は第二陣として敵師団司令部を攻撃せよ。」
「第一装甲旅団R戦闘群、第二装甲旅団R戦闘群を集成しトルコ皇帝師団後退地域に投入、支援射撃の後、敵残存兵力を掃討せよ。」
「第三第四装甲旅団は遂次前進、状況に従い行動せよ。」
司令車の中で電信兵達が次々を命令を飛ばす。決まりきった業務、演習通りの内容。そこまで昇華させて作戦は作戦として機能する。将がなにもかも決める等百年前ならいざ知らず今世では不可能事だ。だからこそ参謀と言う
作戦を『数百通り』諳んじ運用する――覚えるだけの馬鹿なぞ軍には要らぬ――人間が必要なのだ。
儂の持ち駒は第一から第四までの装甲旅団と機動歩兵一個連隊、それに制圧兵力である傭兵隊、締めて2万と言ったところ。戦術単位に直せば戦車兵力の主軸、戦車大隊を8個、それを支援する機動歩兵大隊が15個、役割としては日露戦争以前の騎兵に近い装甲偵察大隊が4個、工兵隊・噴進砲部隊など特定の役割を持つ大隊がいくつか。傭兵隊としての軽歩兵と自動車化した砲兵もいくつか。そんなところだ。日露の第三軍なら大隊だけでその10倍は軽く超える。
故に身軽なのだ、この軍編成は。
ドイツ第三帝国の徒花【装甲旅団】を御国の兵制で焼き直し、“第二次世界大戦時の亜米利加合衆国”戦術教範で強化し続けた結末が、後の満州において御国の徒花として消えた“第一独立混成旅団”の似姿だったとは儂も驚くと共に感心したものだ。
御国は“あの破滅的な戦争”においてなにも
戦で負けた訳ではない。それ以前の問題、
戦がなんたるかすら解らずに戦ったが故に負けたのだと。戦闘でも戦術でも戦略でもない。さらに上の
戦理とそれを動かすヒトが初めから負けていたのだと。だからこそ目的の為に戦い勝つ、それ以上を求めない。あの愚かな戦の如く組織の名誉が為に戦う等愚の骨頂、ではその目的とは?
「全装甲偵察大隊集結完了。各装甲旅団より命令系統を完全に分離しました。」
今全ての準備が整った。トラキア全兵団が儂の命を待っている。そうその目的を達さんが為に。目的?
戦争を終わらせることに決まっておろう。短く命令を発する。
「よろしい。では諸君、戦を終わらせよう。作戦を開始せよ!」
一斉に狭い車の中、通信将校が命令を発する。251型をさらに拡張した代物とは言え、それでも狭い。この後の時代なら儂の様な司令官ではなく前線指揮官がこの車輌に乗るのが相応しかろう。装甲偵察大隊と若干の機動歩兵、そして儂等『旅団群統合司令部』が彼等とは方向を違えて『真なる戦場』へと向かう。今ブルガリアとトルコが血で血を洗う戦場でなくその背後、ブルガリアが奪ったトルコ領エディルネですらなくさらに遠方、ブルガリア王国首府【ソフィア】へ。
次第に遠ざかっていく戦場――トルコ皇帝師団とブルガリア軍、それに乱入した我等大日本帝国欧州軍の戦塵を儂は双眼鏡で眺める。
―――――――――――――――――――――――――――――
天空により始まる地獄の亡者も斯くやという狂騒音。さぎの降下に伴う
急降下制動機と
敵兵威嚇用サイレンにブルガリア軍のまともな将兵は慌てふためき逆にトルコ皇帝師団の将兵は大歓声を上げる。続いて起こる投下した爆弾の爆発音、ついでとばかりに放たれる機銃掃射音に耐えられすブルガリア軍の前衛が崩れ、私の命令で投入された予備兵力が前線の隙間を埋める。戦果に酔った挙句聖地に向かって礼拝を始める兵士を殴り倒す士官は未だ減らないが、逆にそれを利用する士官も出始めた。『神の御前にて醜態を見せるな! 戦え、戦って死ね!! 天国は目前である!!!』狂信に狂信をもって当たらざるを得ないのが現状か。
「ケマル・パシャ。日本軍の航空機に妙な動きが?」
確かにいつもの地上支援用飛行機械
【さぎ】ばかりではない。列強で
鰹の干物、
空飛ぶ鯨と呼ばれる機体すらやってきた。あの機体ならエンジン一つ、プロペラ一つしか持たぬさぎよりも沢山の爆弾を積めるだろう? 何しろエンジンが四つもあるのだ。我がオスマン帝国首脳部がノギ・パシャから実機を見せてもらった時、私自ら『これは駄目だ。とても今の我が国には使いこなせない。』そう呻いたモン。精一杯の強がりで『これは素晴らしい。これほどの巨人機を扱うのは余程の軍人でなければなりませんな。我が将兵の発奮の出汁とさせて頂きたく。』そう言わざるを得なかったものだ。
それが6機、ゆっくりと旋回している。地上の狂騒も我関せずで滞空する大鷲のように優雅な動きで戦場を飛び回る。
「偵察……にしては多すぎるな。攻撃する目標を品定めしているようにも見えるが。」
「しかしあんな低空では攻撃する場所を自ら教えているとしか思えませんが?」
訝る副官に思わず言葉を漏らす。
「恐らく多数の爆弾を持っているのだろう。多大な鉄火で動けない陣地――そう補給所や砲兵陣地の類だ――を圧殺する。ノギ・パシャが日本-ロシア戦争で常套手段として使っていた手だ。」
「成程。」
副官が納得したように頷くがそれでも疑念は消えない。いやパシャが敵に廻ると言う意味ではない! もっと別種の、そう例えば戦場の何かが変わる。
皇帝師団の直前、奴等ブルガリア第2軍――彼等の次の攻撃発起点の直前で全てが変わった。二型大艇がぶれ始める。細かく震え何かをやっているのが解るのだが此方からは機体の逆の側面しか見えない為良く解らない。いや、確かにブルガリア第二軍の前面に土煙が上がっているのだから何らかの方法で攻撃を加えているのは解るのだが……
「前衛の隊に伝令を出せ! あの飛行艇は何を行っているのか確認させよ!!」
参謀の一人が慌てて側車付き自動二輪車に飛び乗りエンジン音とともに駆け去っていく。何人かの通信担当兵が無線機と有線電話に飛びつき、手近の部隊に報告を求め始める。我が軍も少しはマシと言えるようになったとパシャに報告できるかも知れんな。
演習時、状況を把握しようともしない参謀にパシャが自ら穏やかな表情提案し彼は大型二輪車を駆り前線へ連絡に出た。前線の電話機から司令部にパシャの御声で報告と罵声にも近い叱責が飛んだ時、私以下司令部全員が羞恥で青ざめた程だ。そのまま陛下に解任されると震えあがる士官すらいた。
「作戦立てた者が過程と結果を見ずして何とする! 動かぬ参謀等将軍の取り巻きでしかないわ!!」
そう、参謀ではなくとも連絡将校に、それもパシャの後を追わせもせず状況確認を命じなかった私に向けての言葉でもあったのだ! 『何が完璧か! この愚か者が!!』誰もいない夜更け、己の身体に自ら鞭打ったほど屈辱を感じだのだ。最前線には遠かろうがまだ見晴らしの良い場所にある配下の司令部から電話が入る。参謀長が電話を取り会話の後此方に報告する。
「ケマル・パシャ 前線よりあの飛行艇は機銃掃射を行っているとの事です。し、しかし……」
其のまま口ごもってしまう。
「どうした? 感情で報告を停滞させるなとのノギ・パシャの訓示を忘れたか。」
「ハッ! 失礼しました。あの飛行艇の機銃掃射は尋常ではないとの事です。機体側面に数十挺の機銃を並べ、側方より放つ噴進弾と共に要塞の阻止機銃座のような弾幕を張っていると。ブルガリア第二軍の前衛は恐慌を起こして後退しつつあるとのことです。」
空に配置された今の我が首府にしてかつての最大の敵性要塞都市、コンスタンティノープルの三重城壁のようなモノを頭に描く。我がオスマンの攻城兵器を易々と破壊する投石機と弩砲、大砲、決死で城壁を上る親衛隊に叩きつけられる槍、岩塊、溶けた鉛に強酸、更にはギリシャ火……余りの被害に音を上げた我等オスマン帝国が苦し紛れに編み出したのは海峡を取り囲むビザンツの首府、その内海とも言える狭隘部に陸から軍船を送り込み三重城壁内部から襲いかかるという奇策だった。
今回【空飛ぶ三重城壁】の利点はいかなる場所でも攻撃が可能で敵は其の城壁に攻撃を掛ける手段を持たないと言う事だろう。トラキアから供与されたあの汎用砲のような対空射撃が可能ならば兎も角、今のブルガリア軍野砲にそんな能力は無い筈だ。欠点は……航空機攻撃が一過性のモノに過ぎないと言う事、ならばやるべき事は? 振り向く。其処に思考停止している参謀長の間抜面に命令を叩きつける。先程の命令? 知った事か!
「参謀長、全予備兵力を右翼に旋回。第一、第三師団に反攻に転じさせろ! 二師団前衛は機関銃隊を最前衛に、その周囲を歩兵中隊で護衛させろ、その後ろに連隊予備隊、補充の機関銃隊と弾薬運搬隊もいれておけ。二師団を鉄床に残る二個師団で敵全軍に圧迫を掛け、敵が密集した段階で砲兵を集中投入、敵軍を撃破する!」
我に返った参謀長の敬礼と司令部要員の動きが慌ただしくなる。予想通り第一師団の左翼外縁からトラキアの戦車隊が突入してきたようだ。これで壊乱したブルガリア右翼が此方の右翼を突き破るのでは何のための右翼なのか存在意義を問われる。奴等ブルガリア軍首脳部に『トラキア親衛隊とオスマン軍は左右両翼を閉じ包囲殲滅を狙っているぞ!』こう誤解させねばならないのだ。
「第二師団将兵全員に下令。敵が真後ろに逃げるまで一兵たりとも通すな。死んでも敵を殺し続けろ。」
唖然とする司令部全員を一瞥して彼等にも命令を発する。
「司令部要員、護衛隊戦闘準備下令。諸君等の命も使わせてもらうぞ。私も含めてな。」
従兵が持ってきた機関拳銃を下げ私は司令部天幕を出る。だが天幕の外は、いや戦場其の物がノギ・パシャの哄笑する地獄に変わっていた。
◆◇◆◇◆
ブルガリア軍右翼に虎騎亜戦車隊が迫る。虎騎亜戦車隊に配備された42年式二型装甲戦闘車両、通称【二号戦車】。戦車としての完成度は兎も角、スペック上は橙子の史実と変わらない一号戦車やその他のドイツ第三帝国の武器・兵器と違いそれは最早異形と呼べるものだった。本来、二号戦車は試作品、急造品、主力、偵察、派製品とさまざまに用途が代わり、そのたびに設計ごと仕様が変り、同じ銘とは思えぬほどバリエーションに富んでいた。それを一つの設計にまとめて万能車両として使えるモノにする。――それは既存兵器の模倣やリスペクトで収めていた霧のコアユニットにとって初めて兵器開発という概念を実装する貴重な経験になった。
車体骨格を本来の二号L型に準じた傾斜装甲を多用したモノに変更
エンジンやトランスミッションを後部に集中し
車輌用駆動炉の概念を導入
各車体部品を冗長性のあるブロック構造にし、リベットを全廃して生存性を向上
本来の派生形への迅速な改造を実現する為に搭載兵器をユニット化
其の外見は『橙子の史実』における二号L型の上半身に1960年以降の主力戦闘戦車にみられる異様に膨れ上がった後部エンジンデッキ、足回りが互い違いの転輪ではなく旧式とも言える独立懸架の板ばね式。第三帝国の戦車らしい凝った砲塔形状に砲塔後部からはみ出す程大型の砲塔内弾薬庫。――
採用した国家も技術も、時代すらまぜこぜにした異形、
【鋼鉄の合成獣】
其の群れがブルガリア軍に襲いかかる。
先陣を切るのは二号丙型、
雀蜂の愛称をつけられた榴弾砲搭載型。と、言っても列強標準の75粍野砲ではなく重砲に匹敵する105粍砲を搭載する。彼等が次々と停車すると搭載砲に仰角を掛け支援射撃を始めた。その間僅か5分、本来榴弾砲の展開、設置、諸元計算、砲撃まで30分掛ると言うのに。彼等の目標は対面するブルガリア軍右翼ではない。其の側面にいる
当座の攻撃目標外に榴弾を打ち込んでゆく。そう、これほどの“超兵器”ならそれが攻撃する地点こそ主攻撃だとどんな軍人でも決めつける。ならばその主攻撃地点にいる部隊には徹底した持久戦を、其の周りにいる部隊は支援や擾乱を行わせ時間を稼ぐ。敵の攻勢限界が見えるまで凌ぐのだ。その後は防御しきるか、逆撃するか、他の部隊を旋回し敵の弱点を突くか……何にせよ次がある。
軍は連続して防御を崩される時が最も脆い。
ならば、攻撃側はまずその連携をこそ崩す必要がある。榴弾砲の射撃によって主攻撃目標に支援する筈の周囲部隊に
頭を上げさせない。
常に『制圧』の状態にして主攻撃目標を『孤立』させる。
その支援の中から出てくるのは二号甲型
山猫と二号乙型
鼬。
234型重装甲車と同じ50粍戦車砲と機銃を持って塹壕線や歩兵戦列を掃討する山猫、75粍対戦車砲による榴弾射撃をもって直射野砲陣地をアウトレンジする鼬、これら敵陣地に殴りこむ戦車にとって最も恐ろしいのは平射野砲の直接射撃。たかが短砲身の野砲、たかが装甲貫通力のない榴弾等と侮る事は出来ない。短砲身でも75粍という標準火砲は近距離ならば20粍の装甲板を貫通する、二号戦車の前面装甲は無理でも側面ならば簡単に貫通すると言う意味だ。そして貫通すれば榴弾の意味が物を言う。徹甲弾は装甲を貫通するだけ、それだけでも戦車を廃車にするのは容易だが、榴弾はさらに装甲貫通の直後に炸裂するのだ。エンジン爆発、弾薬誘爆、車内部品飛散、そして燃料引火……これらが起これば戦車乗員全てがまず助からない。トラキアにとって兵器など二の次、乗員が失われる事こそ戦争を失う事と同義なのだから。
肉弾攻撃も侮れない。鋼鉄の獣に肉体一つで立ち向かう等、蛮勇の極みだがそれを英雄願望や自暴自棄で行うのも人間なのだ。そして格上の戦車に乗り込む戦車兵にとってこう言った理解できない存在程恐ろしいものは無い。獣性を丸出しにして無謀かつ無駄とも言える攻撃を加える兵士。それを機関銃や砲、あげく履帯で轢き殺しても次から次へと亡者の群れの様に立ち向かってくる。狂わなければ耐えられず、狂えない者は恐怖が恐慌を誘発する。勝手に後退し、連携を乱し、混乱が拡大し……
進撃が止まる。犠牲を考えなければ攻撃側にとってこれほど有難い話は無い。
これに対処する。方法は簡単、恐怖には恐怖を持って相対する。敵は人間ではない。と敵に慄かせるのだ。
戦車は人の意思も勇気も一顧だにしない悪魔だと頭に刷り込むのだ。戦場で! 二号甲型が其の装甲前部に張り付けている物がソレだ。
【戦車用土砂除去版】
単なる湾曲した鉄版に衝撃吸収用の駐退機がついた工事車両の機材に過ぎないが、態々重量増加という欠点に目を瞑り取りつけたのには訳がある。心理効果を狙ったものなのだ。ドイツ第三帝国の悪行、ユダヤ人迫害の映像、それ自体は敵対したアメリカ合衆国のプロパガンダ映像に過ぎないが迫害の挙句、殺害し焼却したユダヤ人の白骨した死体、その数千人分を工事車両が無造作に踏み潰し、埋め立てて行く映像を見て“やらせ”と頭で解っていても激高する者が多数出た。挙句、こちらでは第三帝国が出来てもいないのにドイツ人全員を差別主義者として色眼鏡で見る日本人将校が出てしまう程。故に逆用できる。
ドーザに巻き込まれた兵士が悲鳴を上げる。肉弾攻撃を仕掛けたは良いが正面からだとこの除去版が槍の間合いと化し戦車本体まで近づけない。しかも車体正面機銃座の直前、たちまちのうちに銃弾でハチの巣になり倒れる。その死体ですらドーザで押し潰され引き摺られて塹壕に投げ込まれあるいは死体に乗り上げたキャタピラで挽肉に変えられる。
力の差等歴然、さっさと負けを認めろ。無駄な足掻きをする者は『物』として処分する。軍隊としての原点を踏み躙る。
【戦士としての尊厳すら与えない】
これをブルガリア軍の一兵卒どころか首都に要る将軍達まで刷り込むのだ。死を持って楯とする愛国だの救国だのといった戯言を一顧だにしない。その恐怖は軍と言う組織を崩壊させるのに十分だ。己の戦う意味まで相手に理解されず踏み潰されるという意味なのだから。
それでも抵抗を諦めない物は多い。ブルガリアはここ100年でやっとオスマンの頸木から逃れたばかり。しかも国威の衰えるオスマンを蚕食し次々と領土を拡大してきた。列強から警戒される程にだ。英米仏独が裏から後援者のロシアに手を回しブルガリアの要求を潰してトルコの肩を持った露土戦争とベルリン条約がいい例だろう。国を切り回せる力は足りないが国民を勢いづかせる国威ならある。それがブルガリアを急成長させた原動力だ。故に強い。旧式装備の軍とは思えぬほどに。だがそれはひとつの致命的欠陥を持つ。
兵の資質は装備の優劣と等価交換が可能である。ただしそれは一定の割合まで。
かつての大日本帝国軍がそうだった。装備の劣位を将兵の資質で補っていた。空母艦載機の搭乗員が良い例だろう? アメリカ合衆国の堅実な機体でも搭乗するのは全て実戦を知らない新米の集団、たいする御国は全員が実戦経験を持つ意気上がる教官級の腕前。これでは多少の数の差等簡単に覆る。そう多少ならば。
二号戦車丁型
紅鶴が前進する。かつての大戦を知るのなら奇異に感じるだろう。本来のフラミンゴとは形が違う。両側面に火炎放射機をつけたものではなく砲塔がそのまま火炎放射機になっているオーソドックスな姿――それは時の彼方で
三号火炎放射戦車と呼ばれた物に近い――
彼等の砲塔に砲は無い。いや、砲らしきものはついているが砲と言うより噴射機に近い。そう、旅順で立てこもるロシア兵を火達磨にした火炎放射機だ。この火炎放射機は基本無抵抗な相手、戦闘能力を失った相手にしか通用しない。そもそも燃焼物、爆発物を抱えて戦場に飛び込む等自殺志願者でしかないのだ。あの時の突撃工兵も何名かか狙撃兵に殺られたり自爆攻撃によって燃料引火を起こし、全身火達磨になって絶命するという悲劇が起きている。余程の事が無い限り火炎放射機を使った前線突撃は不可能という結論すら出たのだ。ではその余程の時にはどうすればいいのか? その答えがこの紅鶴、火炎放射専用に改造された二号戦車だ。
機関銃を放ちづづける数少ない壕に紅鶴が近づく。紅鶴も基本は戦車だ。正面からなら機関銃の射撃などものともしない。致命的弱点、火炎放射の燃料であるカソリンは防弾ドラム缶ごと車体後部に吊り下げでいるので危険は少ない。それでも紅鶴の左右には護衛の山猫が配され、その後ろを歩兵分隊が警戒すると言う念の入れようだ。200メートルまで近づくとゆっくりと砲塔を回し照準を壕に向け……そして噴射を始める。噴射されたガソリンは砲身の先端に相当する発火器で即座に火が付き、炎の滝になって壕に降り注ぐ。
恐慌、絶叫、悲鳴の三重奏が戦場にぶち播けられる。
敵前だと言うのに慌てて壕から飛び出し山猫の機銃掃射でボロキレに変わる士官。転がりまわって火を消そうとし窒息する下士官、松明に足が生えたように動きそのまま糸の切れた人形のように倒れる兵士。凄惨さは旅順の比ではない。野戦を鉄塵飛び散る火焔地獄に変えてしまった【鋼鉄の合成獣】。戦争とも呼べぬ殺し方にブルガリア兵士達が慄いた時、遂にそれが始まる。
兵が前進しない、逆に欧州軍とは逆の方向に行こうとする。下士官が兵を殴打しても士官が声を枯らして叫んでもその動きは止まらない。どこかの士官が後退と命令した。そんな根も葉もない噂に誰もが理由を見つける。
【死にたくない】……と。
停止が後退に代わりそれが撤退、そして潰走に代わるまで僅か十数分。ブルガリア常勝無敵という幻想が砕けたのだ。兵の意気のみによって支えられていた軍がそれを失えばどうなるか。日本帝国の封建時代における軍組織崩壊、
【総崩れ】が始まったのだ。
◆◇◆◇◆
報告を受けて私すら慄く。これを、これほどのモノを戦争とノギ・パシャは言うのかと。『戦争は両者に害を遺す最大の遺恨になる。故に避けるべし』その
怯惰とも言える発言の裏がコレなのかと。彼は今、
ヒトとしてこの大地に立っているのか? と……私は恐怖と共にその報告書を鞄にしまい込むしかなかった。
外へ出る。黒く焼け焦げ、地獄の惨状を点々と残す戦場跡を。確かに我が軍は勝った。辛うじてながら勝っている兵隊を残せたのだ。その全てがノギ・パシャの援護であろうとも近寄ってくる欧米の従軍記者相手に何を言うべきなのか…………私・ケマル・アタチュルク・パシャは戦慄と懊悩の中、彼等に何を話すべきなのか言葉を失っていた。
―――――――――――――――――――――――――――――
「ついに来ましたか。艦船72隻、想定される戦闘車輌200以上、兵員数2万1千の敵前上陸……ギリシャ軍将兵が魂消て逃げ出しませんか。大佐殿?」
帰ってきてマンネルハイム大佐殿の報告して数日。来るべきものは来た。大日本帝国軍欧州派遣軍、
我が祖国がやらかした第二太平洋艦隊の様な醜態は無いだろう。奉天で捕虜になり日本のシコクという地方の収容所に入れられた時、次に入ってきたのは対馬沖海戦の敗残者、
第二太平洋艦隊の将兵たちだった。疲れきり廃兵同然の身なりをした海軍将兵を捕虜収容所で目の当たりにした時、『こいつ等は何のために三大洋を渡って来たのだ!』と怒りを覚えた程。戦いに負けたのは致し方が無い。だがこいつ等は戦う前から負けていたのではないかと邪推する程酷い集団だった。この時、この私――ブジョンヌイ親方――自ら気合を入れるべきと腕まくりした時。大佐に止められた。『海と陸では勝手が違う』と。海の民であり英国の訓等を受けた日本人には三大洋を押し渡る等、造作もないのだろう。だから大佐が言う
捨て地であるトラキアを欧州列強から与えられてもそれを嬉々として開発し、自らの領土に組み込んでしまう。
海の乞食共(オランダ人の蔑称)も真っ青の貪欲さだ。大佐殿に伝令兵が何かを耳打ち。大佐殿が頷くと敬礼して去っていく。
「ブジョンヌイ君、君が危惧した通りになった。ゲネラールは此方に来ない。イスタンブール近郊で欧州領軍がブルガリア軍と接敵したと今報告があった。」
思わず首を振って弱音が出る。もっと、もっと早く感づいていたのなら!
「最悪の展開と言うべきですな。
我々はゲネラールの手の中で踊らされていた。最早ソフィアは保たないでしょう。もう少し早く私が報告できれば良かったのですが。」
振り向くと目の前にある大佐の顔がほころんでいる。何故機嫌が良いのだろう? と訝ると大佐はその表情を戻した。
「最悪ではないな。随分と此方にとって分が良くなったと考えるべきなのだよ、ブジョンヌイ君。例えば敵の上陸兵力だが敵前上陸後の第二陣が少なすぎる。カイロでの諜報員の話では欧州領への増援は二個師団と一個旅団、だが此処にいるのはその半分程度だ。この敵前上陸を行っている指揮官は見切っている筈、『テッサロニキの解囲を目標とする』とね。そして、それがゲネラール・ノギの意思だ。」
つまりゲネラールはオスマントルコが主権を持ち大日本帝国欧州領が施政権をもつであろうマケドニア地方、その内の
北マケドニアを放棄するという判断を下したことになるのか? それはそれで結構だ! それが本当なら
セルビア一国の負けは無い。では、残る部隊は何処に行ったのか? たちまち青ざめる私に大佐は今度こそ笑みを浮かべて肩をゆする。私が青ざめた理由は簡単、あのゲネラールが一個師団以上の兵力を遊兵にするなどあり得ない。まさか別の地点から上陸し我々を予想もしない地点で襲うのではないかという危惧だ。
「心配するな。君がしっかり調べてくれたトラキアの道路事情とゲネラールの動き、それが残る一個師団の進路を私に教えてくれた。大手柄だよブジョンヌイ君!」
大佐は地図を広げ指でなぞる。
トラキアの数少ない港町、今新松山市と呼ばれているアンフィオポリスの港からストリモン河沿いの道路をさかのぼりロドピ山脈の西側からブルガリア首府、ソフィアを指す。
「あの奉天で私達の脱出路を閉じた装甲車。あれならばゲネラールはロドピの反対側イスタンブールから神速でソフィアに駆け登れる。燃料は君が見たとおり時前に集積してあるのだからね。寧ろ恐ろしいのはあの小僧が見た征京の飛行場にある燃料輸送機だろう。ゲネラールにとってロドピの険峰は補給線の邪魔にすらならない。
空を超えて戦車の燃料を運ぶ。信じられない発想だ!」
語尾が微かに震えているのは畏怖なのだろう。それを可能とする日本兵器産業の力、――列強が恐れ、こぞって手に入れようと画策するイオージマインダストリアル――。トラキアに属する小島タソス島にもその工廠が存在すると言う。事実島全体が軍事区画として立ち入り禁止という話だ。大佐が話を続ける。
「……だが、装甲車だけでは戦争はできない。歩兵、騎兵、砲兵の内ゲネラールは騎兵に相当する装甲車でしかイスタンブールからソフィアに届かせる事は出来ないと私は見た。他の兵を連れていけばトルコ軍は敗北し、己は装甲車に比べれば足手まといの砲兵歩兵を引き連れ敵中に孤立することになる。」
馬狂でしかない私にも見えた。いわばゲネラールは手持ち兵力の騎兵のみを率い
捜索騎兵襲撃を行っているのだ。これはあくまで襲撃、敵拠点を破壊し物資を奪い兵士を殺傷する。しかし土地を取ることはできない。我等がトラキアでやった事と同じ……では、ブルガリア首府【ソフィア】という土地を取るべき兵力を最短でトラキアから侵攻させるにはどうするか? 何故ストリモン河を南下したブルガリアロドビ軍集団が完膚までに返り討ちにあい、戦力喪失したのか。なんということだ!
「(アンフィオポリスから一個師団を上陸。あの街道筋の歩兵大隊を道案内に北上、無防備なブルガリア国境線を突破し一気にソフィアに侵攻、ゲネラールと合流する! それだけでゲネラールの捜索騎兵襲撃は敵首都攻略作戦に変貌する。甘かった、甘すぎた……
三国同盟のトラキア侵攻そのものがゲネラールの罠だったのだ!!)」
「大佐殿、私は……」
呻き声を上げ謝罪の言葉を言う私を遮って大佐殿は言う。
「それで初めて私は確信出来たのだ。無理をさせたのは私、解るね?」
大佐殿は既にバルカン三国同盟、
ブルガリア王国、ギリシャ王国を切り捨てていると言う事か。
「では、この戦でセルビアが、いいえ、我らが血を流す必要はないのでは?」
「そうもいかない。戦わず軍を退けばセルビアの後世に禍根を残す。戦場の後始末は我等傭兵の仕事さ。さて、ノギの息子君を歓迎する手筈を整えねばね。」
持っていた新聞の束を私に押し付けると大佐は司令部へと帰っていく。勿論私も追随する。新聞の記事にはこう書いてあった。今回の欧州派遣軍司令、伊地知大将を初めとする日本帝国軍の将官のお歴々の端にあの指揮官が含まれていたのだ。
無任所参謀・ヤススケ・ノギ
―――――――――――――――――――――――――――――
薩摩級戦艦、薩摩、安芸、その後ろに三笠が付く。隣の単縦陣は巡洋艦の筑摩、矢矧、平戸、その後ろから
吹雪型駆逐艦4隻と一回り大柄な――駆逐艦としては破格の大きさで諸外国からは超駆逐艦と称される――
朝潮型駆逐艦4隻がそれに続く。しかも総督閣下の一声で一機だけとはいえ二型大艇を回してもらった。其処から通信が入る。
「二型より通信、ギリシャ海軍ミユ、北緯…………なお編成は超弩級戦艦1 前弩級戦艦2、軽巡洋艦2、駆逐艦3、さらに後方に艦形不詳3を伴う。」
「少ないですな。確か総出撃なら海防戦艦が後3ハイに駆逐艦が数隻は在る筈ですが。」
報告に駒城が不審な顔をする。別働隊を疑うのも無理は無い。此方は欧州領にあるほぼ全艦に増援部隊の派遣軍に所属するこれまた全艦。完全な
一枚看板艦隊だ。
「大方、アマルフィとそれに乗り込むイタリア人の御蔭でしょう。上手い嫌がらせを考えるものです。これではますますアンジェロ艦長が大きい顔で自慢を始めそうですな。」
米内君の言葉で艦橋内が苦笑と大爆笑。派遣軍司令の加藤寛治少将が『なんだあの男は!』と怒り出した御仁だ。謹厳実直というより糞真面目な加藤少将からすればヘラヘラ笑い、お調子者で事あるごとに己の自慢ばかりするアンジェロ・イアッチーノ艦長は軽薄な男の感が強かったようだ。
しかし私が三笠で指揮所まで案内した折、その表面を見せつけながら時折、鋭い眼差しで三笠の備品や兵達を見ている。挙句『カピターノ・チハヤ、兵の規律に無駄が多い。特に新参の艦隊に。』三笠に来るまでに隣を連絡艇で通っただけの新鋭艦薩摩とそれに並び帽触れをした兵を一瞥しただけで言い切ったのだ。確かに私も否定できないあたり恐ろしく感じる。彼の観察眼と派遣艦隊将兵の意識に。
「私も疑問視したのですが、港湾にあけすけに近づいて何発か砲撃し機雷を沈めて見せる。その後
全速力で撤収……それだけでギリシャの政府が声明を発さなく手はならない程追い込まれるとは思いませんでした。ロシア流儀と言うべきなのでしょうか?」
感心する米内君、日露戦争の折我等連合艦隊を散々翻弄したロシア浦塩艦隊を思い出しているのだろう。僅か三隻の小艦隊が安全な筈の太平洋沿岸まで出てきて商船を撃沈、拿捕すると言う海賊紛いの戦法を行った。激高した民衆が時の追跡任務にあたっていた上村提督を『露探提督』と悪罵して御自宅に投石を始め、羅卒が出動する騒ぎにまでなったのだ。それを治め蔚山沖までロシア艦隊を誘導し上村艦隊で『撃滅』したのは連合艦隊司令部と東郷提督の策とされている。――間違いではないが其の時作戦参謀であった私は知っている。ロシア艦隊の位置情報全てが乃木総督閣下から提供されていたという事実を――重いとは裏腹に話は合わせる。
「むしろイタリア流儀と言うべきだな。ロシア海軍は人材と言う点ならイタリア海軍の影響が強い。正面決戦以外で勝ちを拾う、言うは易しいが行うは難い――特に我々大日本帝国海軍にとってはな。」
頷く者も多いが首を傾げる者もいる。海軍の戦を正々堂々の艦隊決戦と位置づける日本将兵の何と多い事か。この意識を変えていけたのは欧州で艦を動かす我等のみ……しかも極一部という頭を抱えるような現状。最後、どうしても皮肉めいた言葉になってしまう。そう、増援がくる前から何度も欧州軍所属艦艇の首脳部で話し合われた事だからだ。
「だから加藤提督には楯になってもらうのさ。彼が望んだ艦隊決戦だ。さて、日清の黄海の如く
今戦の定遠に勝てるかな?」
私の声は彼の欧州に持ってきた艦艇――薩摩と安芸――が切り札ではない事を知っているから。今ギリシャ艦隊の近傍で情報収集を行う二型大艇の真の目的、其の情報の真の送り先である全く同じに見える同型機に『ただ一人乗り込んでいる』ヒュー・ダウディング大尉を思う。彼が行うであろう『橙子の史実』を覆す一手はオスマン領リムノス島でガソリンエンジンの咆哮と魚雷という牙、いや此方の神話で言う一角獣の尖角を研いでいるのだ。成功だの失敗だの関係ない。まさかこの目で鋼鉄の艨艟達の終焉、それを垣間見れる機会に恵まれるとはな。
相手のマストが見える時まで私、千早真之 三笠艦長はその海面を凝視する。
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