始まる
「挺身上陸隊、前へ。」 「第五師団挺身上陸隊、上陸開始。」
「橋立、回頭中、支援射撃位置に移動します。」
「直接支援隊、支援射撃位置に着きます。」
御国始まって以来の敵前上陸作戦。姪っ子に見せてもらった『史上最大の作戦』に比べれば敵味方ともなんともお粗末な陣容だ。攻める側、連合国が一度に三か所、それも海と空から第一波だけで6個師団を叩きつけ守る側、ドイツ軍が指導層の無知、何十派もの航空攻撃に満身創痍となりながらも決死で防ぎきろうとした
地獄の戦場、いや本来僅か数年後に行われる筈だった“第一次世界大戦による“ガリポリ上陸作戦”よりも貧相なのは間違いない。
それでも御国始まって以来の戦であることは間違いない。敵前上陸、その意味は無謀と愚行の大行進でしかないからだ。本来、敵の目の前に態々体を晒して上陸したがる軍人が何処にいる? 上陸作戦の要諦は奇襲上陸にある。予想もつかないところから上陸し、予想もつかない方向から攻撃を加え、敵に予想外の損害を与える。敵はその行動に狼狽し此方を過大評価してくれるだろう? それをしないと言うのは戦術以上の、いや兵士の命以上の命題が存在していると言う事なのだ。
神州丸の揚陸指揮室、その中で閣下が私に問いかけてきた。
「さて乃木中佐、敵将は此方を向いてくれるかな?」
「向いて貰わねば困ります。もし真実を知ったならあのマンネルハイム将軍の事です。セルビア軍を旋回させ、無理をしてでもソフィアへ向かう第9師団を背後から襲うでしょう。そうすれば父上の乾坤一擲の策は破綻する。戦術上無謀でも己を使い捨てる覚悟があるならば局面をひっくり返せます……出来ればの話ですが。」
出来ればの話、理論上不可能だがあの奉天の指揮官だ。何をやれても不思議ではない。伊地知閣下は満足げに頷き、隣の陸軍省が抜擢した副官『候補生』に声を掛ける。二年前から始まった陸軍省の抜擢人事はつとに有名だ。芽の出そうもない士官候補生がいきなり参謀本部一課(作戦担当部署)に“聴講生”として送り込まれ、参謀として猛訓練。適性の在った部署の見習いとしていきなりトラキアと言う最前線に投入させる。其の死傷率の高さから【靖国抜擢】と当人が恐れ、同期から羨まれる制度だ。
彼もまたその一人、ごりごりの保守主義者の牙城である帝国陸軍上層部が何故こんな乱心じみた制度を作ったかは私を含めた【知っている者】からすれば明白。“太平洋戦争”で
まともだった士官の優先的引き抜きと徹底教導にある。
「宮崎繁三郎候補生、君が敵将の立場ならどうするかね?」
「は、ハッ! 自分といたしましては……」
たかが候補生。殆ど将官の従兵の様な役割なのにいきなり増援部隊の総司令、大将閣下からの御質問だ。慌てるのも無理は無いな。粘り強いと考課で書かれているし、姪っ子の提出した資料によれば後に孤立した味方を率いて質量ともに優勢な敵軍相手に負けぬ戦いを繰り広げ、しかも傷ついた、戦死した部下を見捨てなかったという。
彼の答案を聞き終わる。うむ、なかなか良いがやはり兵站を軽視しているな。『味方の兵站を軽視する』これは論外だが、敵も兵站を気にして戦争を行っている事を失念している。そして兵站とは何も武器弾薬兵糧の類だけでは無い。目に見えない兵站、――即ち
士気――を軽視すればとんでもないことになる。
敢闘精神は無限に湧きだすもの……こんな論理を振りかざす馬鹿は帝国陸軍には要らない。今の答案では敵とはいえ使い捨てにされる兵士が可哀相だ。伊地知閣下が私に採点を求める。 ――上の人間、特に将官はこうやって
新米と
新参者双方の人物鑑定を行うのだ。――
「候補生の軍略は水際立った物、と小官は評価したいところではありますがそれを聞いた下士官、熟練兵はどう思うでしょうか? 敵であっても兵は兵、人間は人間です。候補生の案では兵は附いてこないでしょう。明らかに無理な指揮を強要し、下士官や熟練兵に造反された指揮官程惨めな者は無いと認識すべきです。
死兵前提の軍略は下策以外の何ものでもない。」
候補生の軍略はいわばこう。時間的に今のセルビア軍が第九師団を追って転進する愚行は犯すとは思えない。彼等はいくら重装備でも完全機械化された御国の師団より足が速いとも思えない。ならば狙うは今上陸を始めた広島第五師団、上陸を僅かでも頓挫……いや防ぎ止めるだけでも戦略的意義は大きい。いわば三国同盟軍は最悪の事態でもテッサロニキの我が軍と対峙し続けるという事実が残れば良い。だからセルビア、ギリシャに残された
全ての精鋭を水際防御で使い捨て同然に叩きつけてくる。そんな内容だ。私の反論を聞き、真っ青になって謝罪する候補生に伊地知閣下は『よいよい、機略を尽くすは戦術家の妙だ!』そういって慰め、私に向き直る。
「ただ、候補生の言い分もあながち間違いとも思えん。この敵前上陸作戦、最終的には此方が勝てるだろうが被害皆無という訳にもな。敵将がそれを知るなら此方の傷口をより広げる為に、自らがまだ優位な水際で決戦を行う事はあり得る。」
頷く、敵将――マンネルハイム大佐――の顔を思い浮かべる。あの奉天西小門防御指揮官、降伏後、奪われ敵兵に使われた姪の武器兵器……それを目の当たりにした時、彼の意図に気づいた。一発残らず使いつくされた弾薬、タイミング良く門から吊り下げられた降伏旗、此方の行動は全て読まれていたのだ! あの口の悪い上等兵が吐き捨てた言葉。『やられた、これでは勝ち逃げだ!』 彼は今、何処に居るのだろう?
「攻撃方向を欺瞞すべきですね。寧ろ多正面に敵軍、特にマンネルハイム将軍率いるセルビア軍を分散させるべきです。一戸閣下は逆撃準備をしているでしょうがそれを早めるよう要請してはどうでしょうか? その代わり重要度の低い場所を突かせるのです。彼の将軍も全くの無視と言う訳にはいかないでしょう。」
紙片にさらさらと殴り書きし私の従兵に手渡した上、10通程模写するように命令する。覗き見た閣下が呆れた顔をした。
「これでは果たし状ではないか。こんなものを彼の将軍が歯牙に掛けるかな?」
「歯牙に掛けることは無いと考えます、それでも橋頭保への攻撃へは対応せねばならないでしょう。そこで、テッサロニキ守備兵が出てくる。彼の将軍が予想したよりも早く、さらに彼の予想よりも歯牙に掛けない場所への進撃……迷う筈です。本命ではなく、
嘘はどれなのかと。」
そう、果たし状を使うなどと言う浪漫主義な欺瞞に満ちた敵前上陸、一見意味のなさそうな逆撃行動、さてどちらが
贋物か? 本物を探すことに長けた人間が贋物を探すことに長けているとは限らない。それを聞いた閣下は人の悪い笑みを浮かべて言い放つ。
「策士を策に溺れさせるわけか! これはいい、是非ともやれ!!」
素早く模写された紙片を入れた通信筒が上甲板の連絡機
【うみこうのとり】に運ばれていく。閣下が呟いた。
「始まったぞ。」
日清の殊勲艦、いまや其の時には役に立たなかった32糎単装砲を20糎三連装砲に乗せ換えた砲艦【橋立】が支援射撃を開始する。それを合図に一等輸送艦が続々と後部甲板から兵士を満載した大発(大型発動艇)を滑り落とし。兵士、車輌を其の腹に抱えて二等輸送艦が浜辺に突進する。用意した言葉を通信で流す。伊地知閣下や参謀長始め欧州派遣軍司令部が頭を悩ませたものだ。
まさか海軍の「皇国の興廃……」云々は使えない。陸軍でそういった気の聞いた文言を考えだせるのは父上くらいなものだろう? しかも使えば海軍からは銘文を盗まれたと非難轟々、恥ずかしい話だがどの国も陸軍と海軍はこれほどまでに仲が悪い。最後は『なんでもいいから欧州の名言を流用してしまえ!』になってしまった。だからと言って
欧州の信長公とも言える人物から流用しなくてもよさそうなものだが。艦内中、いや、大日本帝国欧州派遣軍全ての通信機よりソレが流される。
『我等日出ずる国より来たり、欧州を見たり、いざ勝たん!』
―――――――――――――――――――――――――――――
ギリシャ陸軍の立てこもる浜辺に隣接した丘、其処に猛然と砲撃が降り注ぐ。少し沖合に停泊し――なんという傲慢さだ。此方に船が無い事を知り、しかもパリ砲のように届いたとしても当たるかどうか神頼みな砲では撃つ事はあるまいと高をくくっているとしか思えない――8インチクラスの砲弾を矢継ぎ早に撃ち込んでくる。これだけならまだしもテッサロニキ市内にある日露で旅順を散々苦しめた【テオドール砲】までも砲撃を始めた。市内にも5、6門はあった筈だ。装填に一時間もかかるパリ砲と違って僅か5分という
性能諸元でパリ砲より炸薬量の多い9インチ弾頭を叩きこんでくる。向こうの陣地は酷い有様だろう。来る筈が無いとギリシャ海軍の連絡士官が強弁していた上陸船団がやってきたのだからな。『所詮は建軍50年程度の新興海軍、
陸軍国海軍など破っても2400年もの伝統を誇るギリシャ海軍に敵う筈が無い。』、熱弁をふるう彼の前で我等傭兵士官だけではなくラドミール閣下ですら冷笑を浮かべていた。『では、敵艦隊はギリシャ海軍に任せて我等は上陸船団への対処と致す事にしましょう。』それを言われた途端、すごすごと彼の連絡士官は退場する羽目になった。当然だ。
戦局を変え得るのは上陸船団であって護衛の敵艦隊ではない。
只、私も同罪だ。『サラミスを征京に突っ込ませれば大分違うんだが、ギリシャ海軍も戦艦を資産としてしか考えれれないらしい。』と言ったら七十の御老体ながら嬉々として観戦武官に志願したオーストリア海軍所属フェルディナンド・テゲトフ提督に窘められた。
「
戦艦の第一の保有理由はその抑止力だよ。豊かな列強各国の様に10杯も20杯も戦艦を保有する国なら兎も角、迂闊に使えは国家そのものを危うくする。むしろこの乾坤一擲の状況でギリシャ海軍がサラミスを出撃させた勇気を褒め称えるべきだ。これはロシア艦隊の進行方向をツシマ沖と見切ったアミラル・トーゴーの勇気にも等しい。」
陸軍と海軍、これほどまでに違うものなのか。将軍と提督では多数の部下を率いる事こそ同じなれども、見ている物が全く違う。将軍は目の前の勝利を拾えばいい。だが提督は国の行く末まで考える事を求められる。それは将軍ではなくその上、元帥の立場でしか考えてはならない物なのだ。
艦砲射撃、陸上支援射撃の中、ロシア-ジャパン戦争で猛威をふるった敵前上陸艦艇が押し寄せてくる。日本人が言うツナミ、いや我々欧州人からすれば
第三大悪魔の襲来そのものだ。多数の舟艇を従え前部に搭載された艦砲――5インチ砲だろう? 重砲並の砲撃力と言う訳か――から砲火を浴びせるタイプT輸送艦、一見やたらおおきいだけの艀にも見える――その中に此方を蹂躙出来る兵器が山の様に詰まっているのだろう?――箱舟型のタイプU輸送艦。しかしその後方にある異形の二艦に比べればまだ気が楽だ。
正直軍艦とは思えない。やたらと高い艦舷、船の中枢たる艦橋が見当たらず、それに相当するような貧相な構造物が乗っている。そして上陸船団が押し寄せる直前に高く平たいだけの甲板から
それが群れをなして飛び立ち始めた時、私は悪夢と悪寒しか感じなかった。日本帝国は、日本人はそこまでやるものなのかと。
航空搭載運用艦艇!
航空機は只それだけで飛び立てるものではない。平たく舗装された滑走路が100メートルは必要だ。しかも、飛行機傭兵のフォン・リヒトフォーフェン男爵からすれば高性能な機体程長く滑走距離を必要とするらしい。
それを艦艇に乗せてしまう!!
これでは日本帝国軍は世界中のいかなる場所へでもその圧倒的な軍事力を展開する事が可能ではないか! その技術を供与する、たったその一言で欧州列強は涎を流して日本帝国側に附く。いや現実あの二艦には其の為の軍人たちが多数乗っている可能性すらある。彼等が東洋人――黄色人種とすれば。
海から迫りくるアッティカ率いるフンの襲来
此処がかつてローマ帝国の版図だった事を思えば
欧州大暗黒期そのものの襲来したようなものだ。次々と日本軍の舟艇が砂浜に乗り上げ兵士が次々と舷側から飛び降りる。あの艀の怪物は砂浜に乗り上げると前面扉を開きそこから鋼鉄の猛獣共を兵士といっしょくたに吐き出し始める。
「将軍、総司令より命令、全軍撃て!」
「了解、ネノネン中尉、砲兵中隊全門撃て!」
悔しい事に傭兵隊の砲は全部は使えない。私の策で半数以上のの二個中隊は別な場所に配置してある。それでも6門の速射野砲【M1897】が浜辺に向かって砲弾を投げつけ始める。投げつける……を自嘲気味に言わねばならんのが現実だ。こちらは射程ギリギリ。中尉曰く『撃たないよりはマシでしょうね』程度にしかならない。それでも彼等が上陸した浜辺に多数の砲弾煙が巻き起こる。200門を超えるセルビア軍全ての野砲があの浜辺に砲弾を送り込んでいるのだ。
表沙汰には出来ないがその全てを配置したのがネノネン中尉。彼は予め日本軍が上陸してくる位置を計算し――舟艇からあの方舟の位置までもだ――全ての砲配置と照準をラドミール閣下のお墨付きで配置し直した。距離方向は勿論、本日の風速や温度まで予測し算定してだ! ラドミール閣下が試し打ちの結果で驚愕し、我が軍の砲兵大将が務まると言った程だ。この阻止射撃が終わったら削ぐに彼は後方に下がらせるべきだな。万が一にでも死なれたら傭兵隊の大損失だ。
双眼鏡で見る。浜辺は大騒ぎだろう? 都合200門以上の速射野砲による阻止射撃、上陸した兵を殺傷し揚陸した兵器を破壊するだけに留まらず。第二陣の揚陸を阻害する。さらに隣の浜辺へ分散しようが無駄だ。そこもさらに隣も、テッサロニキの港湾もネノネン中尉が既に測距済み、同じことの繰り返しになる。
日本人も空から測距し艦砲で支援射撃をしたいだろうがそれは許さない。今上空はリヒトフォーフェン男爵率いるドイツ人傭兵航空隊と日本人のショーグンの末裔率いる艦載飛行隊がくんずほぐれずの格闘戦を戦っている。我等が赤、敵の緑の機体が激しく動き回り機銃を浴びせ会う姿は空で中世の馬上試合が行われている如しだ。数は此方が不利――敵は艦載飛行隊だけでなく今まで出てこなかったテッサロニキの航空隊まで出撃させ30機以上、此方の赤はその半分無い。――
「確かに奴等の【さぎ】は手強い。あの速度と加速は脅威と言ってもよい。だが、それだけが空戦を制するとは思わん事だ。」
不敵な男爵の顔を思い浮かべる。彼等が乗る
天空の駿馬はフォッカーDrT エンジン馬力こそ【さぎ】の半分程度だが翼を縦に二枚張る従来の複葉機ではなく更に一枚かさねた三葉機。万能機として作られたというさぎと違い、敵航空機を叩き落とす戦闘機に特化した機体だ。そして彼等は徹底した格闘戦術を用い【さぎ】の一撃離脱を許さぬ熟練者の集まり。数の差をものともせず奮戦を続けている。
「日本軍に動きは?」
「変わりありません。やはりこの海岸を目指しています。」
「物量で圧殺する。それは間違いではないが踏襲は戦術の下策。」
何かが違っている筈だ、そこまで日本帝国軍は愚かとは思えない、いや愚かと見くびってはならない! 損害を受け混乱しつつも日本軍上陸第一波は橋頭保――上陸時に拠点となる場所――を形成し始めている。その大きさが次の上陸兵力の量になると言っていい。つまりこの橋頭保を最小に留め続ければ。敵は何時まで経っても少量の兵力しか上陸できず我々の各個撃破が成立する。……のだがそんなことを日本軍指揮官が望む訳がない。今回の上陸軍総司令が日本帝国軍砲兵大将であることを踏まえ『何をやるか?』と自問自答する。
「(此方の兵力は7万、橋頭保に回せるだけでも5万は固いのに其の全軍を用いて増強大隊程度の上陸一波を防ぐのが精一杯、情けなさのあまり悲嘆するどころか笑わねばならん状況だ。列強すら凌ぐ近代軍と中世と比べねばならない程の近世軍、何もかもが差があり過ぎる。それが解らぬ敵将ではあるまい。)」
「上陸第二派、来ます。」
観測員の声に我に返る。敵砲艦やダイプT輸送船の砲撃に支援されてタイプU輸送船が6隻、その後ろからタイプT輸送船6隻が舟艇を切り離しながら接近してくる。此処までは大して変わらない。先程と前後ろが逆になった程度だ。しかしその前にいる筈のタイプUが急に停船し錨を下ろし始めた。その前をタイプTが舟艇をひきつれて追い抜いていく。あの奉天の西小門……あの時の同じチリチリとした感覚が頭を焼く。ネノネン中尉から部隊電話の受話器をひったくる。
「司令?」
「ネノネン中尉、君は直ぐ後方に戻りたまえ。なるべく大部隊に繋がらぬ隘路を通るんだぞ!」
言い捨てて上陸第二派に振り向いた途端、それが始まった。タイプU輸送船の上甲板からもうもうと白煙が沸き立ち小さな棒のような物が飛び出していく。十? 二十?? いやそんな数ではない!! 電話機を砲兵隊司令部に合わせてあることを確認し絶叫する。
「傭兵司令より全砲兵隊、全員砲を捨てて逃げろ!!!」
糞! クソッ!! 絶叫を繰り返しながら己の心で己に悪罵する。解っていた筈だグスタフ・エミール・フォン・マンネルハイム! ゲネラル・ノギは物量で圧殺する。それは、
兵力や装備で圧殺する以前に鉄火で圧殺するという意味だと言う事を!!! 私の上空を轟々という音を立てて噴進弾が通り過ぎていく。それは各所に配置された砲兵隊陣地に降り注ぎ赤黒い爆焔とどす黒い噴煙、其の下に火炎地獄を現出させていく。あのタイプU輸送船、まさかラケータのみを積む火力支援艦だったとは! 今の長時間の射撃から考えれば一隻当たり
噴進弾を一千発搭載していても可笑しくない。ロシア-ジャパン戦争で見た南山殲滅戦。あの時の様に陣地を噴進弾で一掃されればもはや上陸戦の要諦【水際防御】は破綻したも同然だ。ネノネン中尉は念の為と全砲兵隊を8つに分割していたが敵は6艦、つまり砲兵隊は2つしか残らない。我等の砲兵隊などその数にすら入らん。つまりセルビア、ギリシャの砲兵部隊は今壊滅したのだ。
悲憤の感情のまま観測所を部下と共に出る。其の時に私の目に
妙な筒が目に入った。地面にめり込んだ通信筒、しかも日本帝国の国章である旭日旗が描かれている。情報を得る機会とそれを開け中の紙片を読んだ時、部下達が思わず後ずさりした。ああ! その通りだ。私は今、地獄の悪魔もかくやという笑みを浮かべているのだろう。
「さて、奉天の屈辱を晴らしに来たかノギの息子。では、相応の歓迎をせねばな。」
思わず呟く。
―――――――――――――――――――――――――――――
「見えました。左600メートル、兵站施設です!」
私の声とともに車長殿が怒鳴る。
「タワー小沢、速度落とせ。エンジン排熱確認、今までのノッキング回数報告。」
「速度20(キロメートル毎時)下げ、報告します。エンジン排熱、排気問題なし、ノッキング11回 以上!」
「マンハッタン伊藤、周囲警戒怠るな。敵はいねぇだろうが間諜が潜んでいるかもしれねぇ。上に出るな! 狙撃の的になる。」
「了解しました。砲塔回転開始。
側方展視鏡にて周囲確認します。」
林の中に設けられた林道、かつてアメリカの地質調査団がトラキアの裏庭、ロドピ山脈中の水源を漁った時に作られた道だ。ブルガリアの国境警備隊も地域の狩人や森人も激しく反発したらしい。自分達の国や生活の場にずかずか入り込んできて物色を始める。銃を向け合う程緊迫した状態にも成ったらしい。さすがに総督府もやり過ぎと調査団に苦言を呈したが、其の時の調査団長はこう嘯いたらしい。
「我々は貴国の為を思ってやっているのです。日本帝国本土に比べればなんと水の貧しさか、このままでは水稲は無理です。ですので、我々はロドピ山脈中の水源を注ぎ込みトラキアを黄金の稲穂波打つ新たなジパングに変える為此処に居るのです。」
何という傲慢さかと総督府全員が呆れ返ったとの事。乃木総督自ら『他人苦しめてまで稲穂は要らぬ!』と怒鳴りつけたそうだ。それに対する調査団……その上のアメリカ財界の反応は予想せぬ程斜め上の所業だったのだが。
見えてきた。立て札、フィリッポス信託銀行――トラキアの金地金を運用する国際金融機関――の借入地だ。柵の中に入ればそこは鬱蒼とした林が切り開かれ。別世界になっていた。
河川水をせき止めたダム湖、その水をブルガリア・ドナウ河畔に流すのではなく、
山脈をぶち抜いてトラキア側に流す超長距離隧道、それらの湖畔に存在する発電施設、飛行場、そしてトラクター工場と銘打った
戦闘車両整備施設。
絶句するしかない。敵国ブルガリアの中にトラキアの軍事施設が存在するのだ。法的に問題は無い。あくまでアメリカ人の運用する施設、しかも国際金融機関の借入地でもある。そこに“警備部隊”が派遣されても可笑しくない。
「総督の言う事も御尤も。民衆を苦しめては元も子もありませんからね。では我等が最強の将軍に御出馬願いましょう。
彼の前では誰もが喝采を叫び、平れ伏すのですからね。」
小さな紙切れをヒラヒラさせ少し妙な日本語を話す団長がそれを現地で始めた時、総督閣下以下全員開いた口が塞がらなかったそうだ。
【ジョージ・ワシントン紙幣での物量買収工作】
数百万ドルのドル紙幣が近隣住民にばら撒かれ、それに対応した物資がブルガリア市場に流される。トラキアの金あっての暴挙だが民衆がこちらに附くのは早かった。ブルガリア政府上層部が恐怖したのも当然。このままでは国土そのものを国民ごと買い取られてしまう。本来トラキアに中立的だったブルガリアが急激にセルビア、ギリシャに接近し三国同盟を結んだ原因がこれだ。
「アメリカさんも欧州にヒガミでもあるんでしょうか? こんな無茶は自ら追われた欧州への意趣返しとしか思えない。」
思わず独り言を呟くと。車長殿が『目ェかっぽじって警戒しろ!』と怒鳴られた。少しの沈黙の後、車長殿もおもむろに話に加わる。
「欲しいんだろうよ、己の証がな。欧州来た時にトートっていうドイツ学生から聞いた話だが、鳥と同じようにアメ公にも帰巣本能って奴があるらしい。只でさえ欧州人混ぜこぜで新大陸来て国を作ったんだ。皆アメリカ人て言うのは容易い。だがな、心の奥底では己のルーツが何処にあるか彷徨っていると言う話だ。だから安心して欧州に来てそのルーツを探せる場所が欲しくなる。西欧はダメだ。英仏独伊列強がしのぎを削って迂闊な事が言えねぇ。だが此処はどうだ? そういうことさ。」
ここは大日本帝国欧州領……だがアメリカ合衆国は世界の中心、欧州に割り込む為にトラキアを利用したがっている。
その皮だけ日本人のモノとし内実を乗っ取る。
「つまり、信託銀行そのものがアメリカ合衆国のトラキア侵略の尖兵だと?」
同じ考えに至ったのだろう。下の小沢少尉が怒気を含ませて言う。『速度維持しとけボケ!』怒鳴られ彼が前を向かされた後、車長殿は言い放った。
「侵略するだの侵略されるだの関係ねぇ。様は
其処の民が楽しく暮らせるかどうかだ。アメ公も乃木公も其処まで解って綱引きをやってるのさ。御前ェらよく覚えておけ!
銃持って戦争やること自体が軍人にとって最悪の事態だってことをな。」
「到着!、連動版切り、制動板踏み切ります。」
「エンジン落とせ。各自作業開始。」
小沢少尉の声に車長が反応し、搭乗員全員が黒豹から下りる。向こう――借入地に居る軍属――は準備が出来ていたようで早速作業が始まる。アメリカ人だけではなくブルガリア人もいる。金で買収された連中だ。悪感情を持つのは勝手だがそれを表に出すな、彼等はアメ公が金を出し続ける限り我が軍の味方だ。そう車長殿から言われている。
小沢少尉は隣に座る通信士と共にエンジンカバーをはがし空冷ディーゼルエンジンのの洗浄と冷却を始める。私と車長殿は
燃料缶を運び給油口に片っ端から中身を注ぐ。私達の車輌だけではない。続々と黒豹と山猫がそれに一昔前の8輪装甲車や旅順で味方殺しの悪名を被ってしまった4輪装甲車、そしてハーフトラックまで駐機場に入ってきては補給作業を開始する。怒鳴り声と命令、復唱に作業音、果ては缶を放り投げる乱雑な音や僅かの時間で粥や汁物をすする急いた音まで。それでも作業が遅滞する事は無い。100輌もの戦闘車両を同時に整備・補給する戦略兵站拠点、それがアメリカ人の企みを乃木閣下が逆用した【対ブルガリア侵攻計画】、秘匿名称【震】の要だ。
飛行場に続々と
ユーおばさんの名で呼ばれる41年式52型輸送機【Ju52】が着陸する。私も部下から渡された粥を掻き込みながらそれを見る。トラキアが保有する輸送機の半分は此処に投入されているのだ。大急ぎで着陸した機体から荷を下ろす喧騒。まどろっこしいとばかりに落下傘で物資を空中から放り捨てて翼を翻し、征京へ急ぐ――輸送機の数からすれば何往復もしなければならないのだ――機体に『馬鹿野郎! 物資を丁寧に扱えんのか!!』と怒鳴り散らす兵站士官まで。
「補給作業終了しました。」
最終点検をしていたここの整備員の報告に『御苦労』の言葉を添え茶碗を返す。そのまま車長に報告に走る。軍と言う物は何かと上意下達が基本だ。軍属が直接指揮官に報告する事は許されない。これは差別意識の問題でなく組織の違いを明確にする為。何処までが軍人で無くてはならないのか? それを履き違え蛮勇に走った軍属がどれほど悲惨な目に合うのか海の上の軍艦で無く、陸の上の戦車で何度も思い知らされた。敵に軍人とされずに私刑に合う……これならまだましだ。下手すれば味方の軍隊に軍旗違反の咎で即決裁判――即ち射殺される。
「車長殿、補給作業終了しました。」 敬礼と共に我等が愛車に飛び乗る。
私以下小沢少尉含め4名が黒豹に乗り込むと、最後に車長殿が席に附く。其の間に各部点検を行わねばならない。慌ただしい時が続く。
「車長殿、全作業良し、発進準備完了です。」
「全員、戦闘口糧準備。きついのはこれからだ。気合入れていけ!」
車長殿から渡された紙包みが配られる。中身は固形チョコレート、乾パン、飴玉等一見菓子だが激務と緊張の中、手早く腹を満たし頭の回転を上げさせる戦闘口糧。日露戦争の頃にはこんな論理は無かったという。
飯は一日三度、決まった時間。それが日露戦争で
戦闘時には夜食が加わり、今では緊急時に腹を満たせるような物がある事が普通になっている。戦争は、いや兵士の生活はこれからどう変わってゆくのだろう?
エンジンが高回転に移行した。つんざくような轟音とともに咽頭マイクのレシーバーに車長殿の声が響く。
「出るぞ」
「出撃します。」 「全周警戒開始 敵5列に警戒します。」
車長の低い声の後、私と小沢少尉の声が響き黒豹は再び疾走を開始する。
目指すはソフィア。
―――――――――――――――――――――――――――――
蒼天と碧海の狭間、茶褐色の小島の黒い耐熱コンクリートの上、30機になんなんとする機体がけたましくエンジン音を響かせ二枚羽のプロペラを轟々と鳴らしている。
「こちらジークフリードワン、ユニコーンリーダー、グリフィンリーダー、聞こえるか?」
「こちらグリフィンリーダー、感度良し。」
「こちらユニコーンリーダー、同じく……すいませんキャプテン・ダウディング? ユニコーンってなんでしたっけ?」
私の言葉より先んじて先程の声が呆れたように響いてくる。日本人にしては英語のアクセントに日本訛りが無い。いや訛りがフランス訛りに近い。当然だな。彼は留学先のフランス音楽学校から航空隊へ引き抜かれた。『橙子の史実』では“大日本帝国【人】最初の撃墜王”とされている。
「グリフィンリーダーより不勉強リーダー、ギリシャ神話の名馬の事だ。ついでに言えば北極海の鯨殺しでも問題ない。」
「了解、しかし滋野大尉は羨ましいですなぁ。グリフィンて英国航空隊の旗印って話ですよ。こっちは敵のギリシャの神話の動物なんて……」
「馬っ鹿もん! グリフィンもユニコーンも元は全部ギリシャ神話だ!! 欧州の童話位餓鬼に読ませながら勉強しろ!」
ニヤつく顔を止められない。私も命名した時によくも自分の趣味に走った中隊識別コードにしたものだと苦笑したが彼等にとっても物珍しい代物だったようだ。各機の尾翼正面には剣を捧げ持つ有翼獅子や額に角を持ち燃えるような
鬣の馬首、歩兵銃を三本の脚でぶら下げる鴉が書かれている。私の搭乗する機体の尾翼には彼の英雄が倒したとされる悪竜を柄に象った大剣と菩提樹の葉が描かれている。
「遅くなりました、ルミナスカイトリーダー、爆装完了。といいますかジークフリードワン、こっちは
日本語でもいいんじゃないんですか? 言いにくいったらありゃしない。」
「「贅沢言うな!
八咫鴉なんて御国じゃ絶対に描かせてもらえんのだぞ!!」」
二人のリーダーの盛大な文句にとうとう吹きだしながら。話に割って入る。
「そこまで、各リーダー及び通信員静聴。ジークフリードワン、ヒュー・ダウディングだ。此方の情報では残り42分で艦隊決戦が始まる。私は我等の勝利を疑うものではない。しかし兵器では敵が優位なのは間違いない。ならば我等は其の優位性を敵ギリシャ海軍から剥ぎ取る。それが作戦目標だ。」
一拍置き、恐るべき言葉を口にする。そう口にするのは簡単、行うのは至難、そして成功した時には世界中の海軍常識が覆る。タカノが時の彼方、“パールハーバーとマレー”で成し遂げた偉業を私が“再現”するのだ。今!
「Sink Salamis!」
皆には先に話してある。これは単なる鼓舞の言葉に過ぎない。それでも通信機越しに唾を飲み込む音、拳を打ち鳴らす気配。飛行眼鏡に手を掛ける仕草が感じ取れる。命令通り滋野大尉が先陣を切る。波に揺られる私の機体と違い500メートル級滑走路、そこへ彼の飛行中隊がずらりと並びエンジンを蹴立てて離陸を開始する。
「第501統合航空団第2中隊、発進します!」
その声と同時に私も最後のチェックを行う。命のやり取りを考えなければ【ハツセ】より簡単な作業だ。それでもミス・トーコは徹底的に私に降りかからんとする命の危険を排除する気の様だ。ナグモ中尉の暴走に相当な御冠りだった様だからな。私の機体がゲネラル・ノギの専用機と同格なのは其の為だ。命令を発する。誰もいない機体の中でその声は明確な
【意思と力】に代わる。
「システム起動、タイプU・スキップジャックFOG、フライトプラン展開、タクティクスローディングスタート。スタンバイ!」
私が乗る二型大艇のエンジン音が急激に高まって行く。
暖気運転から離陸のための
離昇出力へ。本来、10人もの乗員が必要な二型大艇が私一人でいとも簡単に動く。そう私達が霧によって消されぬ為の最初の足掻き『霧を使いこなす』第一歩とするのだ。
「ウェポンベイロック、ロックコード展開、命令外での不正アクセスに対し防壁とカウンター設定。」
「必要性が薄いと判断します。」
この機体を統括する索敵ユニット、橙子御嬢さんと共生状態のユニットと違い無機的だ。これが本来であってあちらが特別なだけ。
「何、矜持の問題だ。初めから反則技に頼るのも情けない限りだからね。サムライハートってヤツさ。」
「……不合理的と判断します。」
それはそうだろう。通常の軽金属ではなく。ナノマテリアルで構成され、索敵ユニットが統括するこの機体は使う武器すら部下たちと違う。航空用酸素魚雷、艦底起爆信管、映像記憶型自立誘導機構。たった二発の魚雷で楽々サラミスが沈んでしまう。だから最悪の事態以外は使わない。橙子御嬢さんからこの機体が渡された時にそう決めたのだ。御嬢さんも日本人の言う転ばぬ先の杖とやらのつもりで渡したのだろう? ユニットが理由を述べる前に議論を打ち切る、議論し始めると止まらないからな。
「今はそれでいい。だが、これから150年後に同じ言葉を言えるかな? そちらが学ばないならば人間はどんどん学び続け差を縮めていくぞ。」
「…………検討事項に記録いたします。」
見れば滑走路から27機の機影が続々と飛び立っていく。
44年式123型汎用航空機改【剣魚】“元”の機体とあちこちが違うが大まかな形は変わらない。本来優雅に空を舞える機体が心底辛そうに離陸していく。当然だ、彼等の機体直下には航空雷撃用の450キロ航空魚雷、急降下爆撃用の250キロ爆弾、擾乱攻撃用の60キロ爆弾が吊り下げられている。占めて魚雷12 徹甲爆弾12、擾乱爆弾24
「(タラント程楽ではない、しかしマレー程恐るべきものではない。)」
別の世界の映像、祖国の栄光と破局を思い出す。
其の階となる力をタカノに代わり私が振う。
「各中隊離陸完了。」
「スキップジャック離陸開始。」
一気に推力が上がり飛行艇らしく激しく水面を叩く音と共に機体が上向き加速を開始する。簡単に波間を抜け24トンの巨体が空に浮く。私の機を中心に各中隊が配置に附くと私は最初の戦闘命令を下令する。
「進撃開始、目標 ギリシャ艦隊!」
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