俺たちの今いる城は、益州と荊州の国境沿いにある一つで諷陵(ふうりょう)っていう。
その城に先日、住民たちのまとめ役の長老が謁見を申し出てきた。
長老の話だと、益州の内部はすでにボロボロの状態。
近い将来、自分たちも大乱に巻き込まれるのではないかと思ってる国民も少なくないらしい。
それほどまでに、劉璋の仁徳も太守としての能力も低いってことか。


「──それで、新たな太守になってほしいって言う要求が来た、と」

「ま、朱里から聞いた話ではありますがな」


星の部屋で酒を酌み交わしながら、今後の事について話していた。
空には満月の淡い光が照らしている。
酒を飲むには絶好のシチュエーションだというけど、いまいちその辺は分かってない。
まぁ、何となくいつもより美味いというのは分かるが。


「それで?直詭殿は劉璋の一族の振舞、どう見られる?」

「まぁ、酷いの一言に尽きるんじゃないか?」

「でしょうな」


自分たちだけ好き勝手な暮らしをしてる。
そんなの、許しておけるわけがない。
桃香に感化されてる気がしなくもないけど、それでも、今俺たちはそんな権力を悪用する奴らと戦う力を持っている。
なら、今は誰かのためにその力を使いたいとも思えるようになった。


「桃香はどうだって?」

「近日中に出陣準備を整えるようにと……そう仰るだろう」

「……だろう、ってことは、まだ言ってないと?」

「だが、桃香様のことだ。憂う民たちを見過ごすようなまねはされまい」

「ま、それもそうだな」


くっ、っと猪口の中身を空にする。
それを見て、星がまた勝手に注いでくれる。
……今日は朝まで呑む気か?


「んで?出陣準備とは言え、どこを目指すことになる?」

「まぁ州都の成都でしょうな。実際、劉璋もそこにいるわけですし」

「そっか。それで、益州全土の平定ができれば──」

「少なくとも、今よりは国も良くなる。ささ、今日は前祝、沢山呑みますぞ」

「それで今日誘ってきたわけか……」

「おや?美女が誘ってきているのに断るような男でしたかな、直詭殿は?」


……この野郎……


「ま、この酒はあまり強いものではありませぬ故、多少過ぎても問題ないでしょう」

「程々にさせてもらうよ。んじゃ、星も」

「お?注いでいただけるので?」

「そのくらいさせろ」


星の猪口にも酒を注ぐ。
何故か随分と嬉しそうに受け取って、それを一口で飲んでしまった。


「なぁ星」

「何でしょう?」

「……もしも、さ?もしも、これからの戦で俺が逃げ出すとか言ったらどうする?」

「……何を急に……?」


いや、正直に言うと、これまでも何度か逃げ出したいと思ったことはある。
そんな弱音を吐けるような相手が、ここ最近いなかっただけなんだ。
誰かのために振るう力があるとはいえ、今でも戦は怖い。


「ご安心を。直詭殿が逃げ出さぬよう、この私が目を光らせておきます故」

「ははっ、なら安心だな」


酒が入ってるせいにしておきたい。
今こんな風に弱音が吐けるのは……


「ささっ、もう少し呑もうではありませぬか。夜は長い」

「だな。何ならつまむものでも作ってこようか?」

「いや、今日は結構。普段は聞けぬ直詭殿の心中が良い肴になっております」

「そう、か……もうちょっと聞いてもらってもいいか?」

「私で良ければ」











それから数日経って、俺たちは諷陵を出立した。
新しく参加に加わった翠たちも意気揚々としている。


「ここから成都まで、いくつくらいのお城があるのかな?」

「諷陵は益州の端の端に位置しています。なので、成都までは約20個くらいのお城を落とさないとたどり着けないです」

「20もあるの?!多すぎだよぉ……」


益州は広いと聞いていたが、まさかそんなに城があるのか……
でも、全部の城を落としていくわけじゃないだろう。
あくまで、障害となるところだけ落としていくことにはなるんじゃないのか?


「現状、益州では内乱が続いていますから、我らの進軍を阻む城の数がいくつになるのか。そこが重要になってくるでしょう」

「我らに構わず、好き勝手にやってくれればいいのだが」


そうも言ってられないとは思うけどな。


「しっかし……他人が家の中に入ってるってのに、それを無視して内輪で揉めてるって……劉璋って馬鹿じゃないのか?」

「馬鹿は翠の事なのであります。今のこの状況は、我らが軍師の策があったがこそなのですぞ」

「……どういうことだ?っつーか、馬鹿で悪かったな」

「諷陵に入城した後、すぐに劉璋さんに使者を出して、諷陵入城の正当性を伝えておいたんです」


ま、軍師様の舌先三寸でごまかしたってことなんだな。
それで騙されるんだから無能と呼ばれても仕方ない。
しかも──


「無能と評しているのが、将ではなく民と言うところが極め付けだな」

「民あってこその国であって、国あっての民ではないですからな」


……まぁ、劉璋が馬鹿なのはこっちにとっては大助かりだ。
太守としての資格云々もそうだが、戦となればかなり優位に立てるかもしれない。


「……油断は禁物」

「そう、だな。恋の言う通りではあるよな」

「えぇ。たとえ太守が無能でも、益州の人口は多く、豊かな土地です。それを守る軍の数もかなり多いので」


んー、やっぱ前言撤回しておこう。
この時代、数はそのまま力になる。
だとすれば、兵力差で負けていればかなり不利になるな。
となると……


「素早く成都を制圧しちゃわないとね、数の暴力に敗けないために」

「だな。ってことは、最短距離で向かうべきなんだろうが……」

「最短距離だからこそ、有能な将兵が配置されています。兵数もかなりの数になるかと」

「我らが向っている城にも、有能な武将が詰めているのか?」

「はい。今から向かうお城の城主は、黄忠さんとおっしゃる方です」


黄忠……
一応その名前も憶えがある。
確か弓の名手で、蜀の中でも最年長張ってたんじゃなかったっけ?
こっちの世界ではどうなってることやら……


「黄忠……どのような人物なのだ?」

「将として有能であり、なおかつ仁慈に満ち、徳望熱い方です」

「紛れもない良将ってやつか」


んー、老黄忠って言葉も聞いたことあるしな……
だからと言って、おばあさんが出てきてもらっても困るよな……?


「そういや袁紹たちは?」

「後ろで寝てるよ。天蓋付の馬車の中でのんびり観光気分ってところだ」

「それでいいのだ。下手に戦に口を出されると、すっごく迷惑なのだ」

「確かに迷惑だな」


各々口々に「迷惑だ」とつぶやいてる……
確かにそうだが少しかわいそう──
……かとも思ったがそんなことは別になかった。


「それで雛里、ここから黄忠のいる城まではどのくらいかかる?」

「あと一日ほどかかると思います。状況が状況だけに、すでに黄忠さんの放った斥候に捕捉されているかと」

「じゃあ、夜襲にも警戒しなくちゃいけないのだ?」

「そうなるな」


夜襲となると厄介この上ない。
なにせ、仕掛けてくる側があからさまに優位だし……


「じゃあみんな、もうちょっと進んだ後に、野営の準備をしよっか」

「「「御意」」」











夜も随分更けた。
野営をかがり火が照らす。
見張りの兵たちもやや眠たそうにしているけど、頑張ってもらいたいもんだ。


「白石様、眠られないので?」

「もう少しだけ夜風に当たりたいんだよ。すぐ寝るから」

「はっ!見張りはお任せを!」

「よろしく」


兵の一人とそんな会話をして、適当にぶらぶらと野営の中を歩く。
すでにみんなは就寝したようだ。
明日はいよいよ戦だからな。
しっかりと英気を養っておかないといけない。


「……ん?」


ふと、目端に見覚えのある影が映る。
かがり火の弱い光のせいで良くは見えなかったけど、でもあれは多分……


「桃香?」

「あ、直詭さん」


やっぱり桃香だった。
何考えてるかはさすがに遠目じゃわからない。
どうも、これからの進軍先を見据えていたようだが……
取り敢えず近づいてみるか。


「まだ寝てなかったのか?」

「うん。何となく目が冴えちゃって」

「総大将が戦のど真ん中で居眠りとかやめてくれよ?」


冗談ではぐらかすと、桃香はいつものようにクスッと可愛らしい笑みを浮かべる。
よくよく思えば、桃香ほど戦と似つかわしくない人間もそういないだろう。
月さんも似たようなもんだが……


「んで?何考えてたんだ?」

「んっとね、黄忠さんのこと考えてたの」

「黄忠の?」

「うん。今、黄忠さんはどんな思いでいるのかなぁって」


……確かに、今の黄忠の心境はなんとなく分かりそうだ。
劉璋の臣下として、戦わなければいけないという義務もある。
武人としての誇りとか言うのもあるだろう。
ただ、黄忠の城にいる民たちは何て言ってるんだろうか……
そう思うと、表情が勝手に強張った。


「黄忠さん、きっと今迷ってると思うの」

「だろうな」

「だからひょっとしたら、戦わなくても私たちの思いを受け取ってくれるんじゃないかって思うの」

「……………」

「直詭さんは、そうは思わないんだね」

「何で分かる?」

「だって、顔にそう書いてるもん」


そんなにわかりやすい顔してたか?
桃香にさえわかる心情って、それはそれで恥ずかしいような……


「まぁ、相手は迷ってるだろうけど、戦をやめることは無いだろうな」

「やっぱり、武人として?」

「あとは劉璋への義理立てとか。きっと色んな要素が重なって、迷いに迷ってるとは思う」


……ただ、何だろうか。
黄忠にはどこか似た空気を感じる。
一度も会ったことがないのに、この感覚は何だろう……?


「……あぁ、あれか」

「??」

「いやな?俺たちが袁術と組んで、桃香と対峙したことあっただろ?」

「うん、覚えてるよ」

「あの時、一緒に摘里も仲間になったよな」

「うんうん。そうだったけど、それがどうかしたの?」

「どうも黄忠に似た空気を感じると思ったら、似た立場を経験してたんだよ俺」


まさか忘れてたとは……
自分の事なのに、情けないな。


「どういうこと?」

「実はあの時な、摘里は桃香たちに勝ってもらうために動いてた部分があるんだ」

「そうなの?!」

「あぁ。宣戦布告を出すの忘れてたり、袁術側が斥候出し忘れてても言わなかったりとかな」

「なんて言うか……それ、軍師としてマズいんじゃないのかなぁ」

「大いにマズイ。あいつ、自分でも軍師に向いてないとか言ってたよ」


今回だって、献策こそすれど、表立って仕切ろうとはしてないもんな。
未だに物覚えが悪い部分も見え隠れしてるし……
ほんとにアレが軍師でいいのかっていまだに疑問に思う。


「んで、その時の俺の心境と、今の黄忠の心境が似てる気がするんだよ」

「どんな風に?」

「目の前に敵がいるのに、自分の味方の中に敵の勝利を望む声がある部分が、な」


勿論、あくまで似てるだけだ。
置かれている状況とかが全く違うし、所々違ってくる部分もあるだろう。
でも、多少なり似ているからこそ、相手が迷っているのが目に見える。


「でも、摘里ちゃん一人だけだったんでしょ?そんな声をあげてたの」

「だが、あの時の俺たちは糧食が少なくて、疲労困憊の状態だった。そんな状態の時に、たった一人でもそんな声出されると、大いに迷う」

「……じゃあ黄忠さんは?」

「糧食とかは万全だろうけど、声を上げている数が違う。殆どの民や兵が、桃香を望む声をあげてるって聞いてる」

「そっか……嬉しいように思えるけど、黄忠さんの立場に立つと辛いね」

「……ただ、これはあくまで俺の経験談なんだが──」


しっかりと桃香の目を見る。
一度間をおいて、夜の空気を肺にため込む。
頭がすっきりとして、言いたいことがしっかりとまとまった。


「桃香は迷っちゃいけない」

「え?」

「桃香には桃香の理想があるんだろ?なら、時には冷徹になる必要もある」

「で、でも……」

「大丈夫だよ、黄忠は良将の類って話だ。きっと、桃香の声に耳を傾けてくれる場面も出てくる」

「だといいんだけど……」

「何だ、自信ないのか?」

「ううん、そうじゃない!」


叫んだわけじゃないのに、桃香の声には力がこもってた。
誰よりも太くて強い、心に芯のある声だった。


「私の、私たちの理想を黄忠さんにも分かってもらいたい。力を貸してほしいって、心からそう思ってる」

「なら大丈夫だよ」

「ふふっ……直詭さんにそう言ってもらえると安心する」

「そうか?」

「うん!」


別に俺は影響力のある人間ではないと思うんだが……


「ん〜〜〜!よしっ!」

「ん?」

「お話できてなんかすっきりした。ちゃんと寝て、明日に備えるね」

「おう」


天幕に戻っていく桃香の背中を見送る。
俺はそのまま立ち尽くして、夜空に浮かぶ月を仰いだ。
青白く光る月は、やけに澄んで見えた。


「桃香は、強いな……」


頭はそんなによくないだろう。
武術の腕前も中の下ってとこか。
だけど、心力って部分ではだれにも引けを取らないくらいに強い。
それがこの上なく羨ましく思えた。


「俺もあのくらい強かったら、少しは過去も変わってたのかな……?」


もう戻れないと分かっているのに、不意に過去の記憶がフラッシュバックする。
失ったものも、壊れたものも、もう二度と手に入らないものも……
きっと、桃香にもそういったものはたくさんあるんだろう。
でも、ずっと前を向いて歩いて行ける強さを持っている。


「……少しは見習わないとな」


独り言ちて、俺も天幕へ戻る。
俺こそ、明日寝てるわけにはいかない。
刃に信念を乗せて振るう。
そのためにしっかりと英気を養おう。
そして明日、誰かのために、誰かの未来のために、戦うんだ。













後書き

ちょっと短めかもです。
ただ、原作の方でもここから次のイベントまでは短いんですよねぇ。
多少なり伸ばしていくつもりですが、どこまで行けるかはちょっと自信ないです。
しばらくまた拙くなるかもしれませんが、お付き合いよろしくお願いします。



では次話で



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