「……ぁ、なお……き……」
恋から離れるように歩き出す。
それを見てか、スミレが先導してくれる。
「待っ──」
それ以上は、声にならないらしい。
今、振り向いたらどんなに楽だろうか……
泣き止んでもらえれば、どんなに救われるだろうか……
でも、もう決めた。
俺はこの道を進む。
これが最後の別れになるとしても、俺は進む。
そう決めたんだ。
「……いいのか?」
「……………」
スミレが──いや、太公望が話しかけて来る。
「まだ、戻ることは出来るぞ?」
「知ってる」
「今ならまだ、選択の余地はあるぞ」
「分かってる」
「まだ……まだ、本当に──」
「──黙れ」
語調を強める。
これ以上聞きたくない。
これ以上苦しませたくない。
だからこれ以上、戻れるという言葉を聞きたくない。
「お前は俺に消えてほしいのか?」
「そんなことは……」
「ならこれ以上問いかけるな……苦しませるな……」
歩きながら、だんだんと恋が遠くなるのを感じる。
たった一歩踏み出すだけで、もう二度と手が触れられないほど遠くなったように感じる。
それでも進む。
たった1%でもまた会える可能性があるかもしれない。
その1%が儚くて、胸が締め付けられる……
「……直詭」
「……何だ?」
「……すまない」
「まだ言うのか」
「しつこいと思われても良い。じゃが、ワシは何度謝っても足りぬとさえ思っておる」
「別に太公望が俺を呼び込んだわけじゃないだろ?」
「それでも、じゃ。もっと早くにこの宿命を伝えていればよかったとも思うことさえある」
「……………」
不意に、スミレが光に包まれる。
もう、恋の姿が見えなくなったってことなのかな。
光の中から少女の姿の太公望が姿を現し、俺と正面から向かい合う。
「運命はいくらでも捻じ曲げられる。宿命はいくらでも代替わりさせられる。それを知っていたのに、直詭は強いと過信しておったから、話すのがこんなにも遅くなった」
「……仮に、俺に話してたとして、この現状が変わってたって確証でもあるのか?」
「無い……じゃが……!」
「ならもういい」
まだ物言いたげな太公望を制止する。
「知らなかったとは言え、俺は何度となく逃げ出したりできるチャンスを棒に振ってる。今この宿命だってそうだ。どんな形でも、一刀に忠告する機会はあった筈だ。それをしなかったのは俺の責任だし、太公望が全てを背負い込む必要はない」
「……何故じゃ?」
「ん?」
「何故、許せる?分かっておるじゃろ?直詭は無責任な人々の想念によって……」
「……恋と話してて思ったことなんだが……俺がこの世界に来なかったら、別の誰かが来てた可能性だってるんだろ?」
「それは……」
「どんな形であれ、背負わされた運命や宿命には真正面からぶつかっていかなきゃならない。理不尽だって思わないって言えば嘘になるけど……それでも、その理不尽さを嘆いてくれた太公望の為にも、俺は向き合わなきゃならない」
誰かの為に本気になれる奴がどれだけいるかは分からない。
でも、今目の前にいる太公望は、俺の為に本気になってくれている。
なら、俺も本気で応える必要がある。
応えた先の未来に、仮に俺がいなくなるとしても……
「……本当に強いの、直詭は」
「それはこの世界で培ってきた賜物だ。色んな人と関わって、育んできたもの……だから、絶対に後悔はしない」
「……お主で良かったよ」
はにかんだ太公望が、小さく頭を下げた。
「直詭……ワシもここで誓おう。お主が生き抜いてきたこの世界の事を、絶対に後悔させぬと」
「……そうか」
「絶対に消えたりさせない!ワシの全霊賭けて、直詭を守り抜いて見せる!」
「……頼りにしてる」
太公望が頭を上げたのを見て、また歩き出す。
しばらく歩けば、貂蝉と卑弥呼が待っていた。
「早かったわね」
「それ程でもない」
「では、行くとするか」
「で?行くってどこに?」
「儀式の準備自体は済んでおる。その場所へは、ワシが案内する」
そう言って、太公望が印を組む。
どこの言語か分からない言葉をしばらくつぶやいたかと思うと、目を閉じて指を鳴らした。
すると、目の前に襖のようなものが現れた。
その襖は自然と両側に開き、中には白い靄のようなものでいっぱいだった。
「……この中に入ればいいのか?」
「ワシが手を引く。それについてくれば良い」
「分かった」
太公望が俺の手を取り、ゆっくりと中へと進んでいく。
その靄の中は、まるで雲の上でも歩いているかのように、妙な浮遊感があった。
体が軽くて、でもちょっと気を抜くと落ちていきそうな、不思議な感覚。
「いいこと?絶対に太公望の手を離しちゃダメだからね?」
「離せば、それこそどうなるか分からん」
「……分かった」
●
どれだけ歩いただろうか……
気がつけば、白い靄は晴れていた。
「ここは……」
そこは大広間のような場所だった。
いつも軍議をしてる玉座の間に近い作り。
でも、広さは何倍もある。
そのくせ、殆ど物が置いてない、だだっ広い空間でもあった。
「もういいぞ」
「ん?あぁ」
許可が出され、太公望の手を離す。
「直詭、お主はあそこに座れ」
「あそこって……アレか?」
太公望が指差したのは、広間の中央。
そこには円座が九つあった。
八つは円を書くように均等に配置され、残りの一つはその中央に配置されている。
俺が座れと言われたのは、その中央の円座だ。
「……俺の家紋に合わせたのか?」
「それはただの偶然じゃ」
「ま、何でもいいが……」
言われた通りに中央の円座へと腰を下ろす。
すると、どこから現れたのか、白装束に身を包んだ奴が五人出てきた。
そいつらが周囲の円座にそれぞれ腰を下ろす。
それを見て、太公望たちも腰を下ろした。
「では直詭、これより儀式の説明を行う」
「あぁ」
妙な緊張感だ。
心臓の音がバカみたいに大きく聞こえる。
この空間が静かすぎるのも原因の一つだろう。
だからか、太公望の声はやたらと大きく聞こえた。
「説明と言っても、直詭がすることは特にない。そこに座り、一つの事だけに集中していれば良い」
「何に集中しろと?」
「簡単な話。心から“消えたくない”と思い続ければ良い」
「……それだけでいいのか?」
もっと難しいものだと思ってたから拍子抜けと言うか……
「だけどね、この儀式には試練もついてくるの」
「試練?」
「そう……“絶対に声をあげてはならない”というものじゃ。この規約を破れば、ワシらにもどうなるかは分からん」
「本当に消えてしまうかもしれんし、この世界の住人達が不幸になるかもしれん」
「声を出すな、か……」
ずっと黙ってればいいんだろう。
それだけなら多分問題はない。
ただ、ここでこいつらが言うってことは、その試練ってのが厄介ってことだ。
どんなものになるか……?
「試練の詳細は教えてくれないんだな?」
「残念ながらな……」
「……できそう?」
「出来る出来ないの問題じゃないんだろ?やらなきゃ、この儀式が無意味になるだけ……なら、やってやるよ」
二度三度深呼吸……
鼓動を落ち着けて、ゆっくりと目を閉じる。
「……直詭、始める前にもう一つだけいいか?」
「手短にな」
「承知した」
ん?
太公望が立ち上がった。
何をする気だ?
「……少しだけ、いいか?」
「え?何を……?」
それ以上の言葉は、太公望の唇によって塞がれた。
柔らかいキスの感触……
ただ、なぜそんなことをしたのかと言う疑問だけが思考を支配して、他は何も考えられなかった。
「……………」
「やはりまだワシは、直詭に対しての謝罪が足りぬと思う」
「お前……」
「じゃから、これはただの謝罪……少しでも試練が軽くなる様に、ワシからのお守りのようなもの……」
「……そうか」
「必ず守り抜いて見せるといった以上、ワシも全力を尽くす。直詭……頑張ってくれ……」
そう言って、太公望は元の円座へと腰を下ろす。
唇の感触を少し反芻して、もう一度目を瞑る。
「では……始める」
その言葉を皮切りに、周りの八人が不可思議な呪文を唱えだす。
途端、意識を保つことができなくなった。
睡魔とは違う何かが襲ってきて、やがて、俺の意識は闇へと落ちていった。
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