ここは、今は誰も使っていない部屋らしい。
ただ、何故かしらこの部屋は綺麗にしてある。
……やっぱり寂しいな。
「では」
「乾杯」
星と杯を交わす。
うん、美味い。
「良い酒だね。でもいいの?初対面の俺なんかに」
「構わんさ」
「ならありがたく」
口の中に広がる味はどこか懐かしい。
こうやって一緒に酒を飲むのも、よく考えてみれば久し振りなんだよな。
だからか、星の表情もどこか楽しそうに見える。
「でも、何か悪いなぁ……酒だけじゃなくて、さっき風呂まで貰っちゃったし」
「桃香様が良いと言ったのだ。気にされるな」
「てか、張飛も張飛だよ。関羽が止めてくれたからよかったものの、一緒に入ることになりそうだったし」
「ハハハ、アレはああいう性分だ。それに、貴殿に何か惹かれる部分があったのだろう」
「だけど初対面だぞ?」
「それでも、だ。現に、私とてこうやって酒を交わしているではないか」
「言われてみればそうだけど……」
この部屋だからか、俺も気さくに話せる。
……そう、ここは俺の部屋だ。
俺がいない三か月の間、月さんたちがきちんと掃除しててくれたおかげで埃一つない。
誰も使ってないのになぜそんなことをするのかと星に聞けば、その答えも曖昧なものだった。
「……この部屋、本当に使ってもよかったの?」
「普段なら使うことは無いのだが……貴殿と一緒ならいいと思えた」
「なんか、皆俺の事を随分と買ってくれてるな」
「昼間の鈴々との手合いを見れば誰しもそう思う」
鈴々と手合わせするのも久しぶりだった。
一撃一撃の鋭さや重さ、何よりも鈴々の闘気。
体が震えることすら心地いいと感じさせるあれを、また経験できたのは素直に嬉しい。
ただ、手合わせの最中、何度か鈴々の表情が曇ってた。
俺が鈴々の刃を受け止めたり、その逆の時だったり……
太公望の言ってた“躰の記憶”と言うやつだと思う。
その表情を見るたびに、胸が締め付けられる思いでいっぱいになった。
「結局勝負はつかなかったけどな」
「それでも、アレと互角に渡り合える者もそうはいない」
「ちなみに子龍とやってたら、俺が敗けてたか?」
「さぁ?鈴々と比べれば重さでは私が負けるが、速さと言う点では後れを取るつもりはない。貴殿が対応できなければ、勝ちは私のモノになるだろうな」
「なるほどね」
「まぁ、貴殿の武の全てを垣間見たわけではないが、私にも勝ちの目は充分にあるだろうな」
相変わらず自信家だなぁ。
ま、そこが清々しくて好きなんだけどな。
「……ふぅ。しかし……」
「ん?」
「何故か貴殿と呑む酒は心が安らぐ」
「……そう言ってもらえて嬉しい限りだ」
星にしては随分とゆっくりしたペースで呑むな。
それだけ心地いいんだろうか?
もしそうなら、俺と同じ気持ちってことだ。
俺もこの雰囲気が好きで、同時に懐かしくて、だから自然とペースがゆっくりになる。
存分にこの空気を味わっていたいから。
「……随分と不思議な表情で酒を呑まれるな」
「そうか?どんな顔してた俺?」
「どこか寂しいと言いたげな……何か思うところでも?」
「……いや」
桃香の周りにいる面子の中でも、星は特に聡い。
少し表情を見ただけで俺の心中をズバッと言い当てて来る。
その言葉のお蔭で、余計に寂しさが増した。
同時に苦しくもなった。
本当の事を打ち明けられない苦しさが込み上げる。
これ以上悟られないようにと、一気に杯を空にする。
「……いかがされた?」
「何でも……」
「そうは見えんが?」
「……………」
「まぁ、これは私がどこかで聞いた話ゆえ聞き流してもらって構わんのだが──」
不意に星が話題を変える。
その言葉に耳だけ傾けて、空になった杯に酒を注ぐ。
「四季折々、心に染み入る風景がある。それらがあれば十分に酒は美味い……それでも酒が不味いと感じれば、心の何かを病んでいる証拠らしい」
「……俺が病んでる風に見える?」
「何かを抱え込んでいるように見える。もどかしさや狂おしさがひしひしと伝わってくる」
「……悪い」
「気に病まれるな。私の方から誘ったのだ」
くいっと酒を呑みながら、星は笑顔を向けてくれる。
「誰しも人には言えない悩みの一つくらいはある。酒とは心の扉を開きやすくする作用もある。故に、思い悩んでいることがこぼれ出ても文句は言わぬ」
「ありがとう」
「ふふっ……さ、まだ夜は長い。ゆったりと呑むとしよう」
「そうだな」
コンコン
戸を叩く音に二人とも手が止まった。
「誰かな?」
「さて……?まぁまだ寝ていない者もいるだろうし、この部屋に明かりがついていれば気になる者もいるだろう」
そう言いながら、星が立ち上がって戸を開ける。
そこにいたのは──
「……っ!」
思わず息を呑んだ。
俺が見間違うはずがない。
だって彼女は──
「恋?今までどこをほっつき歩いていた?」
「……………」
「(恋……!)」
思わず名を呼びそうになった。
それをぐっと抑え込む。
ただ、自分が半ば無意識に立ち上がっていたのにはなかなか気づかなかった。
「……その人」
「ん?あぁ、彼か。昼間に鈴々が連れて来てな、気が合ったので一緒に酒を呑んでいた」
「……………」
「……初めまして」
出来るだけ表情を取り繕って挨拶する。
……自分で言った言葉が歯痒い。
もっと違う言葉を言いたい。
でも、それを言ってしまえばすべてが終わってしまう。
「……………(フルフル)」
恋が首を横に振った。
星は訳が分からないといった風だ。
……俺は、その意味が分かってしまう。
桃香よりも星よりも、恋との付き合いが長いせいかな……?
「よければ恋も一緒にどうだ?」
「……………」
「黙っていては分からんだろう?」
「……………」
恋はじっと俺を見つめて来る。
罪悪感で視線を逸らしそうになった。
「……………」
「恋?」
そのまま何も言わず、恋は俺に歩み寄ってきた。
立ち止まったのは、本当に俺のギリギリ一歩手前。
息がかかりそうなほどの距離で、恋は俺の目をじっと見つめて来る。
「あ、あの……」
どういう言葉が良いのかが分からない。
口をついて出る声は言葉にもならない。
「恋、どうした?彼が何かあるのか?」
「……………(フルフル)」
「あぁ、貴殿にはまだ紹介していなかったな。彼女は呂布。名くらいは聞いたことがあろう?」
「そりゃまぁ……」
「……………(フルフル)」
知らなかった頃に戻れたならどんなにいいだろうか……
恋の首を振る動作だけで、殆どの意味が伝わってくる。
そして……その動作に対する正解も同時に分かる。
でも、その正解を提示してしまえば、何もかもが無くなってしまうことも分かっている。
……表情を崩さないようにするのに精一杯だ。
後は苦しさや寂しさで声を出す余裕すらない。
「……話」
「ん?」
「話、する」
「彼とか?」
「……(コクッ)」
「私が居ては邪魔か?」
「……………」
「……ハァ、分かった。私はどうやらお邪魔虫らしい、話が終わるまで席を外すとしよう」
「……いいの?」
「そんな顔をされて居座るほど私も器が狭いわけではない。ゆっくりと話せばいい」
「……ありがと」
星は気持ちのいい笑顔を恋に向けている。
……なのに、俺はどうだ?
「では、私は一旦失礼する」
「……何か悪いな」
「気にされるな」
「……ありがと、子龍……」
「星でいい」
「……え?」
「自分でも分からぬのだが……貴殿には、真名を教えてもいいと思える。だから、星で」
俺に向かってはにかむ星。
込み上げてきた気持ちをぐっと抑え込む。
一度全ての言葉を飲み込んで、俺も精一杯笑顔を贈る。
「いいの?」
「自分の勘を信じられないほど落ちてはいない」
「そうか。じゃあ改めて……ありがと、星」
「では」
星が出て行った部屋は、ひどく静かになった。
俺と恋とは、本当にギリギリ触れないかと言うぐらいの距離で向かい合って立っている。
「……それで、話って?」
沈黙が怖くなった。
言葉が口をついて出る。
「……………(フルフル)」
でも、恋は首を振るだけ。
なのに、俺にはその意味が分かってしまう。
「あの……せめて何か言ってもらわないと……」
「分かる」
「え?」
「恋の言いたいこと、分かる。分かる、はず……」
また一歩、恋は俺に歩み寄る。
……いや、俺の胸に顔を埋めてきた。
「……あの──」
「……怖い」
「……え?」
「何か分からない。でも、怖い……」
「(……っ!?)」
知らなかった頃には戻れない。
気付かなかった頃には戻れない。
そんなこと、分かっていたつもりだった。
「……っ……っ!」
俺の胸に顔を埋めて、恋は泣いている。
肩を小刻みに震わせて、咽び泣いている。
もしも、もしも昨日今日に知り合っただけなら、こんな感情が込み上げることもなかったんだろう……
でも、俺は知ってしまっている、気付いてしまっている。
恋が泣いてる訳を……
泣き止ませる方法を……
「……どうしたの?」
今すぐにでも泣き止んでほしいと思っている。
そして、その方法が分かっている。
……それができない。
知らないフリをし続けることしかできない。
「……っ……っ!」
もしも、俺が消えても誰も悲しまないなら、俺はここで恋を泣き止ませている。
でも、あんな儀式までしたんだ。
俺が名乗ることがタブーだとも言われた。
そこから考えられるのは、たった一つの残酷な結論……
名前を教えれば、きっと、みんなの記憶の中に俺は戻れるんだと思う。
でも、それは最後の別れにもなる。
今度こそ本当に消滅してしまうという、残酷な結果につながる。
だから……
「……………」
言葉が詰まる。
答えを言えないなら、いっそ俺も全てを忘れていたかった。
「……何で?」
「え?」
「どうして?」
「……何が、かな?」
「恋の事、分かるはず……なのに、何で?」
涙目の恋を見るのは初めてかもしれない。
心がズキズキと痛む。
「……俺のこと知ってるの?」
「……!(コクッ!)」
「でも俺は……初対面だし……分からない──」
「やだ!」
一層強く抱き付いてきた。
こんな風に大声を出す恋も、それこそ初めてだ。
「え、えっと……その……」
「やだ、やだ!これ以上……これ以上、遠くに行かないで!」
「……っ!」
それは何よりも純粋な彼女の願い。
「もう……どこにも行かないで!」
今まで見たことのない彼女の弱い部分。
「恋を……一人にしないで……!」
震える声で必死に伝える彼女の想い。
「お願い……行かないで……──」
「──もう、どこにも行っちゃやだよ……直詭!!!」
……恋の声が響いた瞬間、世界が音を立てて崩れていく感覚に襲われた。
言うなれば、今までいた世界は、ガラスでできた棺の中のような世界。
そのガラスが、音を立てて砕け散った。
「……なお、き……?」
恋が俺の顔を見上げて来る。
言葉を知らない人形のように、俺は立ち尽くすことしかできなかった。
「直詭だ……直詭だぁ……」
甘えた盛りの子供のように、恋は俺の胸に顔を擦り付けて来る。
柔らかい腕で抱き付いて、涙でクシャクシャなままで笑顔で……
……でも、何よりも幸せそうに感じられた。
「っ!!!」
「っ?!直詭……?」
気がつけば、俺は恋を強く抱きしめていた。
視界で世界がぼやけている。
そんなことお構いなしに、力一杯、抱きしめていた。
「直詭……痛い……」
「……怖かった」
「……………?」
「たった数時間の事なのに……みんなの中に俺がいない世界がこんなに怖いなんて思いもしなかった……!」
寂しさも苦しさも払拭されて、急激に恐怖が込み上げてきた。
歯の根が合わない程に震えている。
涙が止め処なく零れ落ちていく。
そんな俺を、恋はそっと包み込むように抱きしめてくれた。
「もう……どこにも行かない?」
「行くもんか!もう……絶対に!」
「うん」
「それに……恋に謝りたかった!」
「うん」
「泣き崩れる恋を置いて、俺は、俺は……!」
「うん」
恋の温もりのお蔭で、徐々に恐怖が薄らいでいく。
それを察してくれたのか、恋が少し体を離した。
俺もそれを感じて、腕の力を抜く。
「直詭」
「うん」
「恋、お願いがあるの」
「うん」
「2つあるの。いい?」
「うん」
二人して涙を拭う。
少し赤くなった頬と目のまま、恋はにっこりと笑った。
「1つ目」
「うん」
「ずっと一緒にいてほしい」
「うん」
「ずっと、ずっと……」
「ずっと一緒だ」
笑顔で返事をしてくれる。
その笑顔が何よりも幸せそうで、俺も何よりも幸せな気持ちになる。
「2つ目」
「……恋」
「……うん。名前、呼んでほしい」
「何度でも……恋」
「直詭」
互いに名前を呼び合って……
……そのまま短いキス。
唇が離れても、二人とも笑顔のままだ。
「俺も、1つだけいいか?」
「うん」
その言葉はとても短い言葉。
短いが故に、心に染み渡るのはあっという間。
それでも……誰よりも、恋から欲しかった言葉を、俺は聞くことができた。
「お帰りなさい、直詭」
「ただいま、恋」
後書き
色々経験させてもらったり助けていただきながら、ようやくここまで来ることができました。
九曜の紋、これにて完結でございます。
まずは一言……
ここまでお付き合いいただきました読者の皆様へ
色んなアドバイスをいただきました黒い鳩様はじめとする作家の皆様へ
本当にありがとうございました。
長編を完結させられたというのは一つの自信にもつながります。
ここまで来るのにいろんな経験をしてきたこともあって、とても感慨深いです。
さて、今後の私の予定ですが……
今のところ新作のプロットを組んでるところです。
ただ、ちょっと悩んでもいます。
と言うのも、書いてみたいネタがまだ絞り切れていません。(汗
今考えているのは……
・九曜の紋の別ルート
・恋姫無双と何かしらのクロス作品
・今まで扱ったことのない作品の二次創作
・オリジナルもの
このいずれかにしようと思っています。
九曜の紋のCasual Daysは時々投稿しようとは思っています。
ただ、新作をどんなものにしようかはまだ悩んでいます。
ま、今回の完結を糧に、しっかり考えていきたいと思っています。
では、また新しい作品でお会いしたいと思います。
最後にもう一度、本当にお付き合いありがとうございました。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m