虎の章/第53’話『幕引きの一手』


「進めぇ!ただ一心に進めぇ!姉様を……我らが王を汚そうとした輩を一兵たりとも許すな!我らが友を汚した愚か者どもを許すな!その血にて罪を償わせ、その血を孫呉の大地へと吸い込ませるのだ!」


一番に飛び込んできたのは蓮華の怒声だった。
雪蓮の言葉を聞いて、俺と雪蓮に何があったのか、やっと理解できたんだろう。
そして、それがそのまま怒りに火をつけた。
……流石は姉妹だ、怒りの雰囲気も良く似てる。


「黄蓋隊に告げる!一兵たりとも敵を逃がすな!眼前に映ろうと映るまいと、敵兵全て殺し尽くせ!我らが王を害そうとした卑劣な輩に容赦など必要ない!敵の骸を踏み躙り、我ら孫呉の怒りを天へと示せ!」


続くのは祭。
宿将さながらの号令には身震いさえする。
遠くから見ていても、いつもに増して弓を持つ手に力が入っているのがよく分かる。
もしも、本当に雪蓮が──
……そうなっていたら、今この場を支配している怒りの感情がどれほどになったんだろうか……
考えるだけで背筋は凍るし、同時に、俺の手にも力がこもってしまう。


「気高く雄々しき我ら孫呉の将兵よ!自分は王の背を追う、諸君らは自分の背を追えよ!掛け替えのない友を汚されたこの怒りと屈辱、連中の屍を積み上げねば報われ切れぬ!ただ一心に追い詰め、殺し尽くせ!我らが王へ、敵の血で染め抜いた大地を歩ませよ!」


同じく宿将の玲梨も吠える。
それに応じて兵たちも吠える。
ただただ怒り狂い、敵を許さないという思いのみを込めた声で。
一言一言が、俺の胸にも突き刺さる。
言葉こそ凶悪だけど、こんなにも想ってもらえていたのかと、改めて実感させられる。
……そこに、並び立てない不甲斐なさも同時に思い知らされてしまうけどな……


「殺せ、殺せ、殺し尽くせ!誇りも知らぬ獣どもに、我らが怒りを叩き付けろ!許しを請われても許すな!逃げ出そうとしても逃がすな!獣の血をこの大地へと染み込ませ、二度と孫呉へと刃向かえぬよう、死と恐怖を焼き付け、地獄へと叩き落とせぇ!」


普段の会話では比較的物静かな思春ですら、こんなにも声を張り上げてる。
……自分の価値を思い知らされる。
自分の感じ方とは全く違うという現実と共に。


「誰一人逃がすなぁ!オレたちを導く雪蓮様を……オレたちと共に戦ってきた大事な仲間を、少しでも苦しめた奴らを絶対に逃がすなぁ!この身体が指一本動かなくなるまで、奴らを追い詰め殺し、オレたちの怒りを見せつけてやれぇ!」


この戦場に立っている孫呉の将兵は、強い絆で結ばれてる。
李緒のまっすぐな言葉がそれをより強調してくれる。
誰にも止めることのできないほどの怒りの大津波は、確実に曹操軍を殲滅することしか考えていない。


「一人として逃がしてはダメです!邪魔する者、逃げる者、許しを請う者、それら全てを殺してください!私たちの王の背を追いかけ、卑劣な奴らにこの世の地獄を味合わせてやるのです!」


あの心優しい明命も、今は怒りに身を委ねてる。
将兵一人一人の刃が眩く煌めいている。
それも、轟轟と燃え滾る怒りの色で……
あの色を見てよく分かる。
この大地に住んでいる人々の事を、皆お互いに愛し合っているんだって……
俺も……その中の一人になれたんだって……


「さぁ皆よ!我が背を追い、獣を駆逐せよ!どれだけ刃向かおうが、我ら孫呉の将兵の怒りに勝る物は無いと知らしめよ!ただ怒りのままに、我が眼前に敵の骸の山を築け!我が眼前に獣の血で染め抜いた道を示せ!ただの一人の討ち漏らしも許しはしない……いざ、我と共に獣を殺し尽くせぇ!」

「「「「「おおおおおおぉぉぉぉ!!!!」」」」」


大津波の最後の一押しは、やっぱり雪蓮の一声。
もう、曹操側に止める術はない。
戦う気力があろうとなかろうと、数えきれない死者を生むんだろう。
どれだけ曹操が頭を垂れたところで、許す気持ちは欠片もないんだ。
軍略も何もあったもんじゃない。
今まさに始まったのは、戦ではなくて──


「ナオキ!」

「ん?」


呼ばれるままに振り返ってみると、そこには小蓮・穏・亞莎がいた。
想像を絶する怒りの軍勢を見て、皆の顔色はあまり良くない。


「ナオキ、さっきの姉様の言葉……怪我された友って──」

「ま、俺の事だろうな」

「だ、大丈夫なんですか?」

「さぁな」

「さぁ、って……」

「それよりも……穏に亞莎、二人は目を逸らすなよ?」

「「え?」」

「兵法書に載ってる軍略が全てじゃない。時として、人間の感情ってのはそう言った軍略すらも超越する」

「姉様たちみたいに?」

「……“そっちだけ”とは限らない」

「つまり〜、曹操軍も殿部隊が善戦すると〜?」

「……そうじゃねぇよ」


俺の言葉の意味が分かってないんだろうな。
三人ともキョトンとしてる。
今はそれに答えてる時間は無い。
急いで辺りを見回して、目的の人物を探す。


「──いた」


漸く歩くのもマシになってきた。
普段よりは少し遅いけど、それでも自分の力だけで歩いてそこへ行く。


「冥琳、これからどうする?」

「あぁ」


しっかりと戦場を見渡し、冥琳は俺の質問に答えてくれる。


「この状況はいつまでも続かん。全軍を投入し、敵の殿を痛撃する」

「もう、曹操は撤退の構えだしな」

「あぁ。だが、先にも言ったが、今のままでは曹操は逃げ切ることは出来ない」

「……逃がすために、やるわけじゃないだろ?」

「無論だ。戦いはここで終わりではない」

「曹操だけじゃなくて、他にも呉を狙う勢力は出てくるからな」

「そうだ。上手くこの戦いに幕を引けなければ、我らはこの戦国乱世から退場するほかない。それは、雪蓮の望みではない」

「……………」

「違うとでも言いたいのか?」

「いや……その通りだとは思う。ただ──」

「いかなる時も冷静で在れ……狂気に溺れること勿れ、感情に流されること勿れ。それでなければ軍師は務まらん」

「つまりは……俺の役割は、冷静にこの戦況を鑑みた結果……そう判断していいんだな?」

「あぁ」

「……じゃあ、本心は?」

「……私自らが出向きたい」

「ありがと。それが聞けて何よりだ」

「フッ……見透かされてる本心を言えなどと、本当に白石には恐れ入る」

「勘違いするなよ?俺はあくまで人間だ。出来る可能性が高いことまでは認めるけど、“絶対”ではないからな」

「承知の上だ。では、指揮は任せてもらう。いつでも出立できる準備をしておいてくれ」

「分かった」


踵を返して、俺は軍の最後部へと向かう。
俺の部隊の奴らが心配して出迎えてくれた。
ただ単純に、それが嬉しかった。


「獅鬼様、お怪我は?!」

「問題ない……ことはないけど、今はいい」

「良くはありません!衛生兵は呼んであります、すぐにお手当てを!」

「それよりも!」

「「「「「っ!?」」」」」

「……誰でもいい、馬を用意してくれ」

「馬、ですか?」

「今すぐに使う訳じゃないけどな。それ以外の皆は、冥琳の指示に従って動いてくれ」

「そんな……!獅鬼様の身が心配なんです、俺たち!」

「ありがと。ただ今は、目の前の戦の方が重要だ」

「し、しかし──」

「王命に背くつもりか!?」

「「「「「っ?!」」」」」

「雪蓮の大号令、聞いてなかったわけじゃないだろ?なら、まずは武器を手に取り、戦の中へと入って行かなきゃならない」

「……お体の方は……?」

「約束する。あの王が天下を取る日まで、俺は死なない。だから今も死ぬつもりは無い。さぁ、行け」

「「「「「……御意!」」」」」


さぁて……
よくもこんな大役受けたもんだ。
我ながら笑えて来るな……


「でも、それが俺の役目。“あの人”への誓い」


大きく息を吸いこむ。
すでに幕の上がった戦いの空気が体を満たしていく。


「死んで堪るか……死なせて堪るか……!」











大号令の効果は絶大だ。
皆、ただひたすら敵を殺すことしか考えていない。
だけど……自分が死ぬかもしれないことも考えてない。
所謂“死兵”に成り果ててる。
こうなってしまえばどれほどの武勇を誇る人間が相手でも関係ない。
もう……相手を殺し尽くす以外に止める術はない。


「……まぁ、王命さえあれば止まるんだ。今はその言葉が無いだけ……」


最後部からでも戦況はよく分かる。
苛烈な攻勢のお蔭で、敵の殿もヘトヘトだろう。
もうそろそろ、殿の部隊の旗も後退していく頃だ。
となれば──


「直詭さん!」

「……どうした、亞莎?」

「あ、あの!冥琳様が、その……」

「何か言ってた?」

「は、はい。ただ、私には意味がよく分からなくて──」

「後で教えてあげるよ。何て言ってた?」

「そ、それが……『行け』とだけ……」

「分かった」


随分と簡潔に済ませてくれるもんだ。
……ま、長々と言われなくてもやることは分かってる。
だからこそ、さっきからずっと馬上で待機してた。
その一言があるまで、目の前の戦場に立ってるあの人だけから目を離さないようにしてた。


「亞莎!」

「は、はひっ!」

「……行ってくる」

「へ?あ、は、はい!お気を付けて!」


馬を駆り、戦場を突っ切る。
自分が制御できる全速力で、ただひたすら駆けさせる。

流石に味方にもざわめきが見える。
いきなり最後部から馬が疾走してくればそうなるのも仕方がない。
自軍の馬だとは分かっていても、だ。
何人かから声をかけられたけど、立ち止まるつもりは無い。
その人目指して、ただ奔る。


「雪蓮!」


呼びかけるのと同時に馬を飛び降りる。
俺の声には反応してくれて、殺戮の手を一旦止めてくれた。


「直詭?あなた身体は……?」

「もう問題ない。それより──」

「……ダメよ」

「……何がだ?」

「どうせ、冥琳辺りから言われてきたんでしょ?『戦を終えろ』って」

「……………」

「まだよ、まだなのよ。曹操の頸に、私の手はまだ届いていない」

「それだけ真っ赤に染め抜いて、まだ血で染めるのか?」

「何を今更言ってるの?もうとっくに、私の手は真っ赤よ。もう落としきることが出来ないくらいに、ね」

「……ま、それは俺も同じだな」

「なら止めちゃダメよ。責任を取らせないと、私は止まれない。止まっちゃいけないの」

「じゃあ聞くけど……俺自身が止まってくれって言ったら、どうなんだ?」


ハッとなった雪蓮が、漸くこっちに振り返った。
血で汚れてない場所を探す方が大変なくらいに赤くなったその体と顔を、漸くこっちに向けてくれた。


「……冥琳に言われてきたんでしょ?」

「あぁ。『行け』とだけ言われて来た」

「……たった、それだけ?」

「あぁ」

「私を止めろとか、戦を終わらせろとか、そう言った指示があったんじゃ──」

「それ以外は言われてない。だから、ここからは俺の言葉だ」

「……………」


まっすぐに見つめられる。
不意に、虎牢関の城壁の上で対峙した時の事を思い出した。
あの時もこんな風に、まっすぐした目をしてたっけ……


「曹操軍は完全に撤退、戦果としてはこれ以上ないくらいに上々だ。だから、止まって欲しい」

「許すと言うの?あなたを汚したあの卑劣な輩を……!」

「そんなことは一言も言ってねぇ。許さなくていい……ただ、今はその怒りを鎮めてほしい」

「……母様の墓前でも言ったでしょ?私の大事な仲間に手を出したのなら、孫呉の王としてそれを許すわけにはいかないって」

「俺もその時言ったよな?雪蓮の誇りが奴らを許さなくても、俺の誇りが雪蓮を行かせることを許さないって」

「だけど、あの時と状況は違う。気高き孫呉の将兵がこれだけ付き従ってくれている。一国の王として、これほどの戦いの幕を開いた以上、曹操の頸を取らなければ幕は引けない」

「幕を引くのは雪蓮の一声で充分だ。これ以上、屍を増やしたところで誰が喜ぶ?」

「……論点がずれてるわね。いい?私は──」

「──そうだ。雪蓮は王だ」

「っ?!」

「人あっての国であって、国あっての人じゃない。その頂点にいる王も、民草あっての王だ」

「そんなこと分かって──」

「なら!今ここで、戦いを終えることのできるこの状況下で、孫呉の将兵に犠牲者を増やすことは、呉の王として誇らしいと言い切れるのか!?」

「そ、それは……!」

「勝敗は既についている。今ここで戦いを終えれば、命の助かる怪我人だって山ほどいる。その怪我人には家族がいて、その家族は雪蓮の愛する孫呉の民草じゃないのか?」

「…………………………」

「俺の事を想ってくれてるのは純粋に嬉しい。けどな?俺の為に、同じ孫呉に住まう人々を犠牲にしてほしくない」

「直詭……」

「俺は、仲間の血溜の上で生きていく……そんな人生は御免だ。今この場で、俺を血溜から掬い上げてくれるのは、雪蓮しかいないんだよ」

「……………」

「許す必要はない。ここで戦いを終えても、雪蓮の誇りが穢されることなんてない。清く高らかに、鬨を上げてくれればいい」


雪蓮の目から、怒りの色が消えて行く。
覇気や殺気も鳴りを潜め、それが味方に広がって行く。
狂気が止み始めているのが感じられる。
後は、雪蓮の言葉一つで終わる。


「……ダメよ」

「まだ言うか」

「そうじゃなくて……直詭」

「ん?」

「ケジメはつけなきゃいけないでしょ?」

「……勝利しておいて、なんのケジメだよ?」

「もっと前の段階で戦いは終えられた。今から考えればそのくらい分かる」

「んで?」

「味方の犠牲を顧みなかった王へ、あなたから叱責がほしい」

「……それで、終わるんだな?」

「うん」

「……まったく、雪蓮と言い冥琳と言い……俺に任せる内容が大きいんだよ……」

「そんなことないわよ。直詭だからこそ、私も冥琳も頼めるの」

「……ハァ、随分な約束しちまったもんだ」

「母様も、直詭だったら文句言わないわよ。言っても、私が黙らせるから」

「そりゃどうも」


雪蓮は俺に向かってまっすぐ立ってる。
少しだけ顔を前に突き出してきた。
つまりは……ソレをしろと言うことなんだろう。


「手加減したら許さないわよ?それだと、まだ止まれないから」

「……女の子の顔に傷つけたくねぇんだけどな」

「勲章代わりに貰っておくわよ」

「この……おてんば姫め」


パァン!!


力一杯、雪蓮の頬をひっぱたく。
渾身の力を込めて、雪蓮が倒れ込もうとも構わないくらいに。


「ゴホッ!……ハァ、ハァ……」

「……………」

「な、直詭……」

「なんだ?」

「……ありがと」

「……バーカ」













後書き

思うようにかけてるか自信ないですねw
個人的には呉にもう一人か二人ほどオリキャラ入れたいです。
一応候補は居るので。


ではまた次話で



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.