虎の章/第54’話『断机の刃』


戦は凄絶だった。
その一言に尽きるだろう。
敵味方問わず被害は甚大──
──っていう風に思ってたけど、案外と双方の被害は少なめだった。

理由はそれぞれにある。
まず、孫呉の場合……
これは雪蓮の功績がでかいんだろう。
一番先頭で剣を振るってたこともあって、相手は半数以上が恐慌状態。
こちらを迎撃するだけの気持ち的な余裕はなかったんだろうな。

で、曹操軍の場合は、ちょっと違う。
冥琳との推察通り、あの暗殺行為は曹操の意思じゃない。
英雄同士の聖戦を望んでいた曹操にとっても、もうあの戦は穢されたも同然。
猛将が殿を務めて、本隊は早々と撤退していった。

この二つの要因が重なって、被害はそこまで大きくはない。
大きくはないけど……もちろん戦死者はいる。
戦の幕引きの際に、雪蓮は似合わないか細い声で一言──


『──誇りの為と言っておきながら、皆にここまで辛い思いをさせてごめんなさい──』


将兵たちの怒りを鎮めるには十分すぎる一言だった。
誰も雪蓮を責めたりしない。
我に返って、傷つき血を流した仲間を労わっていた。

で、雪蓮から数日間の大休息の命が出された。
現時点で、曹操軍以外に孫呉に攻め込んでくるような勢力は無い。
その曹操軍も、あんな不始末があった以上、しばらくは大人しくしてるだろうとの予想だ。
こっちとしても向こうとしても、兵力の回復に時間を割きたいのは同じだろうしな。

……そして、凄絶な戦から一晩明けて──


コンコン


俺は当然のごとく休めとみんなから言われた。
部隊の連中に、半ば無理矢理連れられて治療も受けさせられた。
お蔭で体も大分と楽になった。
……なったんだけど──


コンコン


……ん?
まだ日が昇って間もないってのに誰だ?
今はちょっと……体が怠いんだけど……


「……直詭?まだ寝てる?」


蓮華か。
今日は鍵掛けてないから開けてもいいんだけど……
……ま、この状態見られたら大騒ぎになるな。
取り敢えず服装は整えて、と。


「どうかしたか?」

「あ、起きててくれてよかったわ」

「厳密には起こされた訳だけどな。それで?」

「あ、うん。雪蓮姉様見てない?」

「……………」

「自室を訪ねてもいなくて……何人かの将や軍師は仕事があるけど、姉様は休むって聞いてて……」


……どうしたもんか。
俺の部屋の中を見せてしまえばすぐ答えが示せる。
でも、蓮華にはちょっと刺激が強いよなコレ?
今は扉越しに会話してるわけだけど、開けていいか流石に悩む。


「蓮華様、いかがされましたか?」

「あ、冥琳」


……ナイスタイミング。


「姉様を探してて……冥琳は見てない?」

「ふむ……ところで白石、随分と疲れてる様子だが?」

「まぁ、な。ちょっと雪蓮と──」

「あ、直詭の部屋にいたの?」

「……あぁ」

「早くそう言ってくれればいいのに。入っても良い?」

「んっとなぁ……」

「入られるなら、少々覚悟した方が宜しいかと」

「覚悟?冥琳、あなた何を言って──」


中も見ずにこう言うってことは、冥琳も経験あるな。
騒がれずに説明するのも難しいし、ここは冥琳に任せたいところだ。


「蓮華様。雪蓮の悪癖はご存じで?」

「悪癖?えっと……どんなのだったかしら?」

「炎蓮様に幼少期から戦場に連れて行かれたことが原因のものです。話くらいは聞いているかと」

「んー……それって、長時間血を見続けると、なかなか興奮が収まらないっていうものだったかしら?」

「えぇ」

「でも、直詭の部屋に行くのは変じゃない?いつものように、お酒を飲んだりすれば収まるものじゃないの?」

「それが少々厄介で……」


何とか遠回しに説明しようとしてるみたいだけど……
こりゃ無理だな。
冥琳も諦めた顔してる。


「この際包み隠さず言いますが、興奮と言っても“性的に”なものです」

「……………え?」

「その辺のお覚悟をしておかないと、部屋の中を見ることはお勧めできません」

「それって……つまりは……っ!!?な、直詭!あなた、姉様に何したの?!」

「逆だ逆。俺がされたって言ったほうが正しい」

「だから何を──」

「んむぅ……うるさいわねぇ、朝っぱらから……」


流石にこれだけ蓮華が騒げば雪蓮も起きるか。
……てか雪蓮、せめて服くらいちゃんと着ろ。
しかもそのまま何事もないように扉あけてるし……


「ねねね姉様!そのような淫らな格好で──!!」

「え〜?だって直詭には色々見せちゃったし、蓮華や冥琳だって私の裸くらい見慣れてるでしょ?」

「だからと言って──」

「服着てから出てこいバカが」


もうこの時点で色々修羅場になりそうだ。
蓮華が狼狽するのも仕方ないけど今は放っておく。
真っ裸の雪蓮も、流石に興奮は落ち着いてるみたいだけど、髪も体も色々汁がついてる。
そんな状態で出てくるか普通?


「なーおきー♪このままお風呂行きましょうよ〜♪」

「風呂は賛成だけど、先に入ってこい」

「え〜?今更だし一緒に──」

「雪蓮、仮にも白石は病み上がりだ。今更あの癖を直せとは言わないが、一晩中相手をしてもらったなら少しは労わってやれ」

「でも、直詭も結構激しくて──」

「毒じゃなくて腹上死するかと思ったけどな俺は」

「これだけ疲れているんだ。雪蓮も満足したのだろう?」

「むぅ〜……ま、それもそうね」


言うが早いか、さっさと部屋の中に入って服を着る雪蓮。
ついでに俺のベッドのシーツとかも外して持って行くらしい。
その辺の気配りできるなら、蓮華にももっと気を遣ってやれってんだ……


「……あ、蓮華。雪蓮を探してたって言ってたよな?」

「え?へ?あ、あぁ、うん……でも、今から姉様お風呂みたいだし、その後からでも……」

「聞くだけなら今でもいいわよ?」


そんな格好してる奴に話すのは辛くねぇか?


「え、えっと……」

「風呂の後にしてやったらどうだ?」

「急ぎの用事かもしれないでしょ?聞いた後の判断は冥琳に任せるから」

「……だろうと思った」

「それで?蓮華、聞かせてくれる?」

「あ、はい……二つほどありまして、まずはあのお二方が近々いらっしゃるとの一報が」

「あら♪私のこと心配して来てくれるの?」

「誰の事かは知らねぇけど、あんな戦があったら心配くらいされるだろ。それで、その二人って誰だ?」

「大喬と小喬って言ってね、私と冥琳の恋人みたいなものなの。どっちもすごく可愛い女の子よ♪」


……雪蓮って百合の気あったっけ?
その名前は三国志演義でも知ってるけど、厳密に婚姻関係にあるってわけじゃねぇのか?


「“恋人”という名目なだけでな。その二人の母親の橋公殿との繋がりを持つために、我らと親しくさせてもらっている」

「その橋公って人は結構な名家ってことか?」

「財政面ですごく協力してもらってるの」


成程ねぇ。
ま、あんまり気にしなくていいかな?


「あ、直詭。分かってると思うけど、その二人の事もよろしくね♪」

「自分の恋人差し出すな」

「大丈夫よ。二人とも、直詭の事は気にいる筈だし」


随分と適当だな。
てか、つい一時間くらい前まで搾り取られてたんだぞ?
暫くは一滴も出ねぇよ……


「それで、もう一つは?」

「……曹操の方から、使者が……」

「「「……………」」」


ま、流石に全員表情は険しくなるな。
雪蓮の額にほんのりと青筋が浮かんだのも見えた。


「会う気はないわよ?」

「雪蓮が会ったら即座に斬るでしょ?」

「斬っちゃうかもね♪」

「嬉しそうに言うんじゃねぇよ」


てか、翌日によく使者とか出せるな……
どうやって落とし前付けるつもりだ?
他の武官が出向いてもマズいだろうし……


「それで、その使者は今どこに?」

「国境を超えないようにして待機しているとのことです」

「その辺は弁えてるのね」

「ふむ……なら、ここは白石に代役を頼めるか?」

「俺が?」

「一番冷静に動いてくれそうだという、私なりの判断だ」


まぁ他の連中も、もう一回頭に血が上りそうだもんな。
大休息の命が出されたとは言え、全員が全員休んでるわけじゃない。
主だった人間は交代で休むことになってる。
その中の誰を差し向けても、穏便には済まないかもしれねぇな。


「……分かった。引き受ける」

「すまんな」

「じゃあ直詭、先にお風呂行く?」

「この際だ。雪蓮と一緒に入る」

「ホントに?ふふっ、背中は洗ってあげるわよ♪よかったら前も──」

「無駄話は後にしろ。それで雪蓮、頼みが一つ」

「何かしら?」

「“南海覇王”を貸してくれないか?」

「え?」


『南海覇王』……
孫家に代々伝わる細身の剣。
それをいきなり貸せって言われたらさすがの雪蓮も──


「……いいわ。持って行って」

「ね、姉様?!よろしいのですか?!」

「直詭が何の考えもなしにそんなこと言うはずないわ。そうよね?」

「まぁな」

「じゃ、まずはお風呂行きましょ。蓮華も来る?」

「なななな……っ!!?」

「こんな時までからかってやるんじゃねぇよ」











目的地には夕方の手前ぐらいに到着した。
国境のすぐ外に、簡単なテーブルとイスが置いてある。
そこに、見知った顔があった。


「……使者って、一刀だったのか」

「直詭……その、久しぶり……」

「あぁ」


よくよく考えてみれば、月さんの下にいた時以来か。
俺の顔の左側を見て驚いてるのが分かる。


「その眼帯……ひょっとして昨日の──」

「虎牢関で、だ。昨日の傷はこっち」


包帯を巻いた右手を見せてやる。
傷自体はそんなに大きくないし、出血もほぼ無かった。
ただ、一刀の表情は暗い。


「えっと、何て言えば……」

「……………」

「隊長、まずは華琳様に言われたことを──」

「……君、確か前に会ったよね?」

「はい。楽進と言います」

「一刀の部下って言ってたっけ……じゃあ、そっちの方もか?」


楽進の後ろにもう一人。
フードを目深に被って顔は見えないし口も利こうとしない奴がいる。


「こっちは……!その……」

「……なぁ一刀。どういう意図で使者に来たかは知らねぇけど、時間をかけるだけ俺の心証は悪くなる」

「分かってる……ただ、その……」


上手く言葉にできない感じだな。
昨日今日で、こんな大役任されたら仕方ねぇか。
……ただ、俺の方もそれなりの大役なんだ。


「……………」


少し睨みを利かせて、雪蓮から預かった剣を抜く。


「言い難い何かがあるのは分かる。ただ、言葉には気を付けろよ?」

「な、直詭?」

「ご友人殿?」

「少しでも言葉を間違えれば──」


バァァン!!


「「っ?!」」

「──この机のように、俺はそっちを斬らないといけなくなる」

「承知したわ」


俺の言動を見て、今まで押し黙ってたフードの奴が急に口を開く。
真っ二つになったテーブルの横に立ってる一刀と楽進の前にずいっと歩み出て来る。


「……その声……俺の記憶が正しいなら──」

「御明察。私は曹孟徳よ」


フードは被ったまま。
俺の後ろにいる兵士たちに見えないように、曹操は顔を上げた。


「二人には私の護衛として着いてきてもらったの」

「面会できると思ってたのか?」

「正直なところ、自信はなかったわ。でも、会ってくれたのがあなたで助かったかもしれないわね」

「見間違ってるわけじゃないだろ?この剣、孫家に伝わる宝刀だぞ?」

「それくらい分かってるわよ。孫策から直々に命を受けてきたってこともね」

「じゃあ……何しに来た?」

「……ケジメをつけに、ね」


曹操は俺に一歩歩み寄る。
何か、覚悟を決めたような、そんな目で……


「英雄同士の聖戦を望んでおきながら、私は取り返しのつかない失態を犯した」

「……それで?」

「今はあなたに私の命を委ねる。好きにするといいわ」

「か、華琳?!」

「華琳様?!それはいくらなんでも──!!」

「二人は黙ってなさい。これは私個人の問題よ」

「……俺が何しても、曹孟徳は受け入れるってか?」

「えぇ。それ以外にケジメをつける術はないわ」

「……分かった」


抜いたままの南海覇王を、もう一度強く握り直す。
俺が今見ているのは……曹操の首元、その一点だけ……
俺の視線を辿った一刀と楽進の顔が青ざめて行く。


「な、直詭!華琳は態とだったわけじゃ──」

「黙ってろ一刀。曹操自身の問題だって言われたところだろ?」

「だ、だけど……っ!」

「ケジメをつけなきゃ気が済まないってなら、気の済む様にしてやるのも優しさってやつだ。どんな形でも、な」


そう言い終わって、剣を振りかぶる。
曹操は俺の目をじっと見据えてる。
対して、後ろの二人は息を呑んだ。
それと同時に──


ヒュン!


狙いを定めた頸へと剣を振る。
ただ──


「……………」

「これで満足か?」


元々殺すつもりなんか無い。
薄皮に触れたところで剣は止めた。


「……呉は、これで私を許すの?」

「許さねぇよ?ただ、身に覚え込ませとけって話だ」

「……………」

「頸を取れる状況下で、俺は取らなかった。ただ、この剣は確実にその頸に触れた」

「次にその剣が私の首に触れた時、それが意味することは何か……そう言うこと?」

「あぁ。悪いがこの辺で帰ってもらえるか?こっちは兵たちに休息を与えたい」

「私の国も同じ状況……分かったわ、手間を取らせて悪かったわね」


気が済んだらしいな。
曹操は二人に帰る準備をしろって言ってる。
俺も剣を鞘に納めて、踵を返して──


「ねぇ」

「ん?」

「前に聞いたかもしれないけど、あなたの名前を教えてくれる?」

「白石直詭。一刀から聞いてねぇのか?」

「そんなに頻繁に話題に上らないのよ。でも……天界の獅鬼って異名だけはこっちにも届いてるわ」

「そうか」

「猛虎に寄り添う鬼……そう遠くない未来に対峙することがあれば、私の愛する猛者たちが、今度は礼節を持って相手をさせてもらうわ」

「それはこっちも同じ。そっちがどれほどの軍勢で押し寄せようと、俺たちの爪牙があんたの首を噛み砕く」

「ふふっ……えぇ、いずれまた会いましょう。この次こそは、お互いの誇りをかけて」

「そうだな。じゃ、曹操も含めて、そっちの連中に頸洗っとけって伝えとけ」

「喜んで」


気持ちのいい笑顔で返事をしてくる曹操。
お互いの発言はなかなかに凶悪だろう。
一刀や楽進の顔を見ればそれくらい分かる。

ただ、乱世の奸雄って言われるだけのものは感じた。
雪蓮のそれと匹敵するほどの器のデカさ……
やがてはこの強大な敵と、今度こそ真正面からぶつかるんだろう。


「……雪蓮。何度目かになるかは分からねぇけど──」


手にした剣を見つめる。
さっきよりも力は緩めて……
でも、絶対に離さないように……
本来の持ち主に向けて、誰にも聞かれないくらい小さな声で誓う。


「──絶対、死なさねぇからな」











後書き

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

これからも本作等々お付き合いいただければ幸いです。
ちょっと今年はチャレンジしたいこともあるので……
……まぁ無理だろうな(オイ


ではまた次話で



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