忘れられた向日葵・中篇-2
「じゃあ幽輝、よろしくね」
「はい。いってらっしゃい」
幽輝が花畑に来てから10日ほど経った。
この日は幽香が人里へと向かうとのことで、留守を預かることになった。
「いつものように仕事してくれたらいいけど、無理強いしてるわけじゃないから、そこは履き違えないでね?」
「分かってます。“やれる範囲で”ですよね?」
「……ホントに分かってる?」
「……分かってるつもりですけど……」
「なら普段からそうしてほしいものだけれど?」
「……すいません」
幽香の言う“仕事”は、それほど厳しいものではない。
花についている害虫の駆除と、花を愛でるという2つ。
ただ、太陽の畑で育っている向日葵の数は相当なものなので、全部の花を見て回るのにはかなりの日数を要する。
幽香は陽が出ている間だけでいいとは言ったが、幽輝はそれを明らかにオーバーして仕事をしている。
朝は日が昇る前から動き始め、陽が暮れても幽香が声をかけないと止めようとしない。
「帰るのは夕方を回るでしょうね。いい?私が帰っても仕事してたら、今日の分のお茶は無しよ?」
「あ、はい……」
「……まったく」
外の世界の住人はみんなこんなに真面目なのか?
何度となく幽香は幽輝に問いかけた。
ただ、幽輝の返答から察するに、幽輝がもともと根を詰めて働くタイプらしい。
「あ、そうそう。これも何度も言ってることだけど、来訪者は基本的に無視しなさい。いいわね?」
「でも、霊夢さんたちが見回ってくれてるんですよね?なら、オレはそこまで気にしなくても──」
「好奇心旺盛なのはそれでも来るものよ。現に、3人ほど来たでしょ?」
「そう言えばそうでしたね……」
以前に来た来訪者と言うのは、チルノという妖精・射命丸文という天狗・伊吹萃香という鬼の三人。
どこから聞きつけてきたのか、幽輝と話したいだの遊んでみたいだのと、三者三様の言い分だった。
勿論、見回りをしていた霊夢たちに追い返されたのは言うまでもない。
「でも、文さんでしたっけ?あの人は話したいだけみたいでしたし、そこまで警戒しなくてもいいんじゃ──」
「幻想郷の天狗については話したはずよね?」
「え?あ、はい。確か新聞を発行してるって聞きました」
「その新聞も一度見せたでしょ?」
「見ましたけど……」
「どう思ったか、素直に言ってごらんなさい?」
「……随分な記事だなぁと……」
一言で言ってしまえば、その新聞は「捏造新聞」だ。
あることないこと、面白おかしく書いてある。
ただ、その8割近くが記者の捏造と言うのだから、読者からの評判も悪い。
先程名が挙がった“射命丸文”もその一人だが、この天狗の新聞が今のところ幻想郷の中では最もポピュラーらしい。
「つまり、そんな新聞に載せられた日には、霊夢たちの仕事も嫌ってほど増えるってこと。幽輝がそれでもいいなら、今度は通してあげるよう言っておくけど?」
「……それはさすがに……」
「でしょ?私としても、仕事を増やしたくない。分かったら大人しくしておくこと、いい?」
「分かりました……」
まだどこか不安はあるらしい。
幽香の表情はあまり芳しくない。
とは言え、これ以上引き延ばすつもりもないらしく、小さく溜息を吐いて目的地へと向かって行った。
●
「よっ!生きてるか?」
「あ、魔理沙さん」
幽香がいなくなってから小一時間ほど。
見回りも兼ねて、魔理沙がやってきた。
「おいおい、前も言っただろ?別に“さん”付けしなくていいって」
「……すいません、まだ慣れてなくて……」
「ほら、敬語も使ってる。私は“必要ない”って言ったよな?」
「……………」
「ったく、外の世界の奴らってそんなに謙るのが好きなのか?」
「全員が全員そうじゃないとは思いま──思うけど……」
「私と年はそう変わらないんだろ?なら敬語抜きで喋ってもらった方が私は嬉しいんだけど?」
「……努力はする」
「友達付き合いに努力もどうかとは思うけどな」
呆れ口調の魔理沙に対して、幽輝はどことなく困った表情を浮かべていた。
「負い目でも感じてんのか?」
「……言ってしまうとそうだね。迷惑かけてるなぁって……」
「ちゃんと報酬は貰ってるんだ。幽輝が気にすることじゃないって」
「でも……」
「……まったく、そんな調子だとお前より面倒くさい奴通しちゃうぜ?」
「そんな人いるの?」
「幻想郷にはわんさかいるぜ?ま、そんな奴通した日には私が幽香にグチグチ言われるからしないけどな」
幽輝の予想に反して、幻想郷は広いらしい。
特に魔理沙は良く話し相手になってくれる。
今までに行った場所の事を主に、幽輝がいた世界にはない事柄を─恐らくは魔理沙の主観込みだろうが─教えてくれる。
だからか、魔理沙が見回りの日が、今のところ一番楽しいと思えている。
「それで、どうだ?」
「……何が?」
「“何が?”じゃないって。幻想郷に来る前の事で、何か思い出したことあるかって聞いてるんだよ」
「そう言われても……」
幽輝なりに努力はしている。
ただ、何一つ思い出すことが出来ない。
覚えていることは、自分と自分の生まれた場所の名前の事だけ。
それ以外は、親の顔すら思い出せないでいた。
「何か切っ掛けでもあればいいんだろうけどな。幽輝がそんなんじゃ、私も何もしてやれねぇな」
「……ゴメン」
「ほら、謝るのは無しだ。幽香はいつまでいても良いって言ってるだろ?」
「そこまで言ってくれてたっけ?」
「言ってたぜ?それすら忘れたのか?」
「あ、えっと……オレの素性が分かるまで、だったと思ったんだけど……?」
「ああ見えて、幽香はそんなに薄情じゃない。紫がちゃんと調べ終わっても、幽輝が居たいって言う限りは居させてくれるはずだぜ?」
「……だと、嬉しい……かな?」
少しはにかんだ。
でも、幽輝も何となくそう思えていた。
いつもオーバーワークして怒られるが、それでも何だかんだでお茶を用意してくれる。
魔理沙の言うことも、満更嘘ではないだろう。
それを感じられただけで少し嬉しかった。
「……………あ」
「ん?どうかしたか?」
「あ、うん。実は、1つだけなんだけど……思い出したことがあって……」
「ホントか?!幽香には言ったのか?」
「まだ……幽香さんが行った後だったから……」
「へぇ〜……で、何を思いだしたんだ?」
興味津々で魔理沙が訪ねて来る。
よほど興味があるらしく、ずいっと顔まで近づけてきた。
「ちょ、ちょっと魔理沙!顔が近いって!」
「ん?別に気にしなくていいぜ?」
「い、いや……!だって……!」
「ん〜?」
可愛い女の子の顔が間近に迫る。
幽輝にはそんな経験がないのか、顔は耳まで真っ赤になっていた。
「それでそれで?何を思いだしたんだよ?」
「え、あ、うん……あの、水の音を……」
「……水の音?」
「うん……水の中にいるような音が、何となく耳に残ってる気がして……」
「水の中って言うと、風呂とかか?」
「多分違うと思う。その音と一緒に、ちょっとした息苦しさも思い出してたから……」
「つまり……溺れかけてた、とかか?」
「そこまではちょっと思い出せてないんだけど……ひょっとしたらそうだったのかも」
「……でも、だとすると分からないことがあるな」
「え?何かある?」
「あるだろ?溺れかけてたのは兎も角、それがどうして幻想郷に来ることになったのかとか、幽香の向日葵の恩恵を受けないと死んじまうのかとかさ」
「あ、そっか……」
言われて気付いたようで、幽輝も再び考えに耽る。
とは言え、思い出した内容も断片的であるため、その答えがすぐに出るはずもない。
しばらく二人で考え込んだが、結局何も思い付かない。
「あー……ダメだな、私はこういう考えごとって言うのは無理だ」
「もうちょっと何か思い出せればいいんだけど……」
「無理したって意味ないぜ?こういうのは時間かけたほうがいいと思うぜ?」
「……すぐに答えが出ないからでしょ?」
「あ、バレたか?ま、もっと気楽にいけってことだよ」
「うん。ありがと」
「別にお礼を言われるようなことは言ってないぜ?」
幽輝は首を横に振って、魔理沙にはにかんだ。
その表情に、少し魔理沙はドキッとしたようだ。
少したじろいて、ほんのりと頬を赤く染めていた。
「な、何だよその笑顔は?!」
「別に?普通に嬉しかっただけだよ?」
「そ、そうかよ……」
暖かな日差しの降り注ぐ中、ほんのりと顔の赤い二人。
周りの向日葵たちもどことなく嬉しそうに揺れている。
●
幻想郷のどこともいえない場所。
いや、果たしてそこは数多ある世界のいずれにも属してはいないのではないだろうか……
辺りを見回せば、天井も壁も床すらも存在しない。
無数の“目”が点在する不可思議な場所。
そこに、その“二人”はいた。
「──それで、進展はどうなの?」
「どう、とはずいぶんな聞き方ですわね。私にだって用事の1つや2つありますわ、彼の事にばかり感けていられませんの」
「調べると言ったのは、紫……あなたの筈よ?」
「そんな怒った表情は止しなさいな幽香。折角の美人が台無しですわよ?」
「あなたから美人と評されても嬉しさの一つも込み上げてこないわ」
「あら、それは残念ですわね」
双方の言葉遣いは対照的だ。
幽香は苛立ちを表に出していて、紫は余裕たっぷりと言った様子。
ただ、表情こそ柔らかな紫だが、その目はどこか真剣に見える。
「幽輝クンの素性は大体分かりましたわ。生まれはS県とか言ってたけど、育ちは別の場所みたいですわ」
「他には?」
「ご家族の顔が思い出せないと言っていたでしょう?それもその筈で、幽輝クンは4歳の頃にご両親と死別しているみたいですわ。その後は親戚の家々をたらい回しにされていたみたいですわね」
「……あまり恵まれた環境で育ってはいないと言うことね」
「えぇ。それと、以前に霊夢には言ったのだけれど、幽輝クンはすでに──」
「外の世界で死亡してる……とでも?」
「あら、知っていましたの?」
「ただ単純に幻想郷に来ただけなら、“人間のまま”でも来られるでしょ?それが“人外になった状態でやってきた”なら、そういう風に考えるのが自然……違う?」
「ふふっ、幽香が聡明で助かりますわ。話がスムーズに行えますもの」
「それで、問題は──」
「──“死因”でしょ?それも判明しましたわ」
「教えてもらえる?」
会話を重ねて行くうちに、幽香の苛立ちも収まってきた様子。
今は穏やかな口調で紫に問いかけていた。
「構いませんわ。幽輝クンの死因、それは──“餓死”よ」
「餓死?外の世界ってそんなに飢餓が進んでるの?」
「いいえ?多少なりお金があれば、誰も食べることには困らない……特に、幽輝クンやかつて守矢の巫女がいた国の今の時代では、貧困はあっても餓死する人はほぼいないはずですわ」
「じゃあ何で?」
「ちょっとした事故に遭ったみたいですわ」
「……事故?」
「えぇ。幻想郷では起こりえない事故に、ね」
「どんな事故なの?」
「海難事故……と言っても、幽香はピンと来ないでしょうね」
「聞かない単語ね。どういったものなの?」
「大雑把に説明しますと、海に出て遭難したり溺れたりするような事故、ですわ」
「海って確か、外の世界の巨大な水たまりだったかしら?」
「水たまりと言うには大きすぎますけどね」
「ってことは、幽輝は海に出て遭難したって言うことでいいの?」
「少し違うみたいですわ」
「……どういうこと?」
幽香からの質問に、紫は口を閉ざす。
不意に会話が止まったことに、幽香は不信感を抱いた。
「ちょっと?どうかしたの?」
「……やはり、本人も交えたほうがいいと思いましてね」
「……幽輝にも話すの?すでに死んでるってことも……?」
「幽輝クンには知る権利がありますわ。自分自身の事ですもの」
「それで……幽輝も交えたら、今の質問も含めて全部教えてくれるのよね?」
「そうですわね……幽香も幽輝クンも抱いている疑問……その全てと言う訳にはいきませんけど、答えることは出来るでしょう」
「知る権利があるとか言っておきながら、全部は話さないのね……」
「世の中には、知らない方が良いこともありましてよ?」
「幽輝自身の事でも?」
「えぇ」
紫は即答だった。
その返事と返事の速さに、幽香の額に青筋が浮かぶ。
見てすぐに分かるほどに、幽香は苛立って──いや、怒っていた。
「なら、今すぐにでも幽輝のところに行くわよ。早く教えてあげた方が──」
「教えるのは3日後にいたしましょう」
「……どういうつもり?事と次第によっちゃ、タダじゃ済まさないわよ?」
「あら?私は幽香の為を想って日を先延ばしにしていますのよ?」
「……………何ですって?」
「幽輝クンのこれまでの経緯を全て今教えたとして、幽香……あなたはどうするの?」
「……………」
「素性が分かったから出て行ってもらう?それとも、今の幽輝クンの寿命が尽きるまで花畑に置いてあげる?その答えは出ているのかしら?」
「……そんなの、聞きながら考えればいいじゃない」
「無理ですわ」
「何で言い切れるの?」
「これでも幽香との付き合いは長いと自負していますわ。だからこそ、あなたには考える時間を与えたい」
「……………」
「霊夢たちには私の方から伝えておきますわ。3日後の正午、私の方からそちらへと赴くと」
「……………」
「幽香、一つだけ言っておくけれど……あなたが後悔するような答えは出さないことよ?」
「アンタには関係ないでしょ?」
「えぇ、私にはありませんわ。でも、幽輝クンにはあるでしょう?」
「何でそこで幽輝の名を出すの?」
「あら?それくらいはすぐに分かると思ったのですけれど……甘かったかしら?」
「……………」
とうとう幽香は押し黙った。
その様子を見て、紫は優し気な笑みを浮かべる。
「では幽香、3日後にまた会いましょう」
そう言って、パチンと指を鳴らす。
すると当たりの風景に靄がかかり、無数の目と一緒に紫は消えて行く。
全ての目が消え去った時に、幽香はポツンと森の中に立っていた。
「……後悔、なんて……」
誰に聞かせるわけでもなく独り言ちる。
木々の葉が優しげな音を立てて、まるで幽香を慰めているようだ。
その音を聞いてか、幽香はゆっくりと歩き出す。
彼が帰りを待っている、太陽の降り注ぐ花畑へと……
「──幽輝クンは、すでに生命活動を終えている人間よ」
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