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『チィ…!』
『…』
ピンク色のエステバリスが月面を這うようにジグザグに後退する。
それを上空から黒いエステバリスがラピッドライフルをマニュアルバーストで狙う。
ピンク色のエステバリスは後退途中で見つけたクレーターに飛び込むと、クレーターの縁の部分に一瞬身を隠す。
(強い…俺の知っているリョーコちゃん達よりも確実に!)
ピンク色のエステバリスを操るアキトは相手の機動、射撃能力、位置取りに驚くしかなかった。
と、直後に感じた違和感にすぐさまスラスターを噴かせて後退すると、その場所にラピッドライフルの弾丸が的確に着弾していた。
だが、次の瞬間背中の重力波アンテナが撃ちぬかれ、機体のバランスを崩したアキト機はクレーターの地面へ仰向けに崩れ落ちた。
アキトは何とか機体をリカバーすべく上昇しようとするが、直後に頭部とアサルトピット部分を撃たれて画面がノイズを映した。
『…!』
『…また、俺の勝ちだな』
その声が聞こえるとシミュレーターのハッチが開き、マシルが中から姿を現す。
同じように隣のハッチから出てきたアキトが苦い顔で出てくると、大きくため息を吐いた。
「強くなったな、お前」
「俺の戦場はここだけだった。それだけの話だ。
お前の戦場が新たに別の場所にあったようにな。
俺からすればお前は別人だ。自分が腑抜けて見えてしまうのはそういうことだろう」
「お前は…」
シミュレーターの椅子から立ち上がりつつアキトに自身の考えを告げるマシル。
その顔は、この世界に来てから消えない影を見せていた。
フェイトと初めて出会った時のような、そんな暗い影を。
◇
「ナデシコの徴収か…」
「…そんなこともあったな」
食堂に詰められたクルーの端で二人は壁に背中を預けながら過去にあった出来事を思い出す。
連合宇宙軍からの徴収命令によりナデシコの作動キーは艦長によって抜かれ、エンジンは停止。
交渉のためプロスペクターとユリカはコウイチロウの元へ向かったのである。
「…そういえばこの世界のテンカワ・アキトはどうなったんだ?」
「今はネルガルの本社でコック見習いをやっている。俺の方でこちらに関わらせないよう手は打った。
ユリカも記憶を弄った。もう俺達に積極的に関わるようなことはないはずだ」
マシルの言葉にアキトはホッとしつつもどこかで複雑な想いを抱いていた。
マシルの行動はテンカワ・アキトを戦いの道から遠ざける方法としては最善だ。
だが、結局のところ植え付けられた恐怖の解決には至っていない。
「魔法が使えるのか?」
「齧った程度だ。お前ほどじゃない。デバイスもないからそれくらいが限界だしな」
話しつつ、十メートルほど先のテーブルに視線を向けるとヒソヒソと内緒話をする女性陣が。
なのはとフェイトを中心に、旦那談義を繰り広げているようだ。
「とりあえず俺達は救助が来るまではネルガルに身を寄せるのが最善だろう」
「そうだな。奴も消しておきたい」
「北辰か。いいだろう。俺も協力しよう」
「いや、いい。お前は今更蒸し返すこともないだろ」
「…フェイトが悲しむぞ」
テーブルの中央に身を寄せて女性クルーたちは何を話しているのだろう。
中心にいるフェイトを見つめながら、バイザーの下でマシルは目を閉じた。
「俺の戦いはまだ終わっていない。死ぬまで戦いだからな」
「…そうか」
「キノコも俺の方で手を打っておこう。お前は手出しするな」
全てが変わり始めている。
いや、変えなければならないという想いが今のマシルを動かしている。
そうでなければ、何故この世界に飛ばされたのかわからなくなってしまいそうだからだ。
◇
(…まぁ、ともかく今は地球圏を離脱する方が先か)
海上で空戦フレームを乗りこなしチューリップから生えた触手を軽々いなしながら今後のことを考えるマシル。
前後から迫った触手をギリギリのタイミングで上昇して回避、右腕にディストーションフィールドを発生させて突撃し触手を叩き切る。
『おお、流石はマシルさんですな!』
『安定感があるからこちらも安心していられる』
プロスペクターとゴートが感心し、他のブリッジクルーもこの人がいれば問題ないといった表情を浮かべている。
確かに今のマシルからすればチューリップも何のその、な状態なわけであって。
(しかしチューリップの撃破はエステバリスじゃ無理だな)
元いた世界で乗っていた機体ならば可能だったが、流石に通常のエステバリスでは出力が違いすぎる。
結局ユリカの発案によるチューリップ内部への突撃後のグラビティブラストによって破壊、戦闘は幕引きとなった。
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「マシルさん!」
戦闘終了後、帰還したマシルに黄色い制服のフェイトが走り寄ってきた。
その顔には無事に帰ってこれたことに対する嬉しさがにじみ出ていた。
「アレ程度だったら問題ない。それよりもこれからだな…」
「?」
(少し席を外す。ゴートには詳細を伝えてあるから彼から聞くといい)
(…何をするんですか?)
(危険要因を排除するだけだ)
そのまま何事も無いように格納庫を後にするとマシルは姿をくらまし、アキトですら知り得ないどこかへと消え去ってしまった。
そして、それから数日後に艦内に拘束されていたムネタケ・サダアキ提督含め数名の連合宇宙軍士官が小型艇でナデシコより逃亡を図ったと同時に姿を
現した。
後にプロスペクターよりフェイト含め一部のクルーに知らされたが、マシルがこの数日行方をくらましていたのはムネタケ達の穏便な退官の準備だった
らしい。
彼らの存在が火種になるとわかっていたマシルは敢えて彼らと接触し、クルーに気付かれぬよう脱出の手筈を整えてやったという。
同時に彼の父親であるムネタケ・ヨシサダにサダアキをナデシコから遠ざけるようネルガルを仲介して要請。
これでめでたく穏便に彼らはナデシコから姿を消したのである。
「と、今回のことを話せばこういうことだ。
少し長くなったが、言ってしまえばクルーとの衝突を避けたかっただけだ」
「なるほど…」
成層圏に向かう艦の展望室を宇宙空間の景色に切り替えて佇むマシルの横でフェイトは得心がいったと頷いた。
シークレットサービスの制服に身を包むマシルの横顔はフェイトにも思考が読めない。
どれだけ一緒の時間を過ごそうとも、アキトの心の奥底を掴むことが出来ないことに悔しさを覚えつつも次の言葉を待った。
(本当はダイゴウジ・ガイが連合軍のムネタケ・サダアキに殺される流れだった)
(!)
(無駄な犠牲を出したところで意味は無い。それだけの話だ)
念話で話し始めたマシルに対し、フェイトは何故かという疑問を覚えた。
誰もいないのに聞かれるはずはない。
いや、本当にそうだろうか?
(…聞かれる可能性が、あるんですか?)
(そういうことだ。俺達の正体は公に出来るものじゃない。
この艦の中枢コンピュータであるオモイカネには基本どこにいても監視されていると思っていい)
(わかりました)
(さて、次に向けて動くとするか…)
(私にも何かできることは…)
(無いな。とりあえず今は大人しくしていてくれ。
下手に動かれるとこちらも対処しきれなくなる)
それだけ告げるとマシルはその場に腰を下ろし寝転がる。
フェイトもマシルに釣られて同じように寝転がると、満天の星空が広がっていた。
「どこにいても、この景色だけは変わらない…」
「…寂しいんですか?」
「…そうだな、寂しい」
「ぇ―――」
フェイトが横を向くと、同じように顔を向けてくるマシル。
その頬をフェイトが優しく撫でると、マシルが自身の手を重ねてきた。
「…変わってしまった自分がいる。だから、自分だけが世界の流れに取り残されたような、そんな気持ちになる」
「…大丈夫です。私がここにいますから…」
「―――ああ」
フェイトはマシルの頭を胸に抱いて、包み込むようにその後頭部に手を回す。
マシルもまた、フェイトを拠り所にするかのようにその体へ腕を回した。
◇
「フェイト、ちゃん…」
フェイトを探していたなのはは、仲良く眠りの世界に入る二人を見つけて嬉しいような寂しいような気持ちを味わっていた。
勿論なのはが本来知っているフェイトではないのだが、自身の夫と同じ顔を持つ男性と仲良く眠るというのは複雑な気持ちになる。
だが、それ以上にフェイトにとってここまで気の許せる異性が出来たのは大きな嬉しさを覚えた。
「…そっか」
誰に言うのでもなく、なのはは一人納得したように頷いて踵を返す。
たとえそれが今のなのはが知っている人物とは違うフェイトであっても、フェイトであることには変わりない。
だから、純粋に嬉しかった。
母親の幻影に囚われていたフェイトが、その苦しみを心の底から打ち明けられるであろうパートナーを見つけられたことに。
◇
「…そうか」
アキトはなのはと一つのベッドで背中合わせに寝ながら今の話を聞いていた。
口調にいつもの力強さはなく、どこか暗い色を宿しているのがすぐに理解できた。
「でも、あっちのアキトさん…マシルさんはまだ、戦っているんですね」
「…」
暗い部屋の中で、なのはに背を向けた状態のアキトは問いかけに対して何も答えなかった。
自分の考えを纏めていたのか、しばしの時間を置いて言葉が返ってきた。
「…これ以上、何かを失うのが怖いんだろうな。
臆病な心を隠しているのが見え見えだ。
そして、戦うことでしか守れないものがあることを知っているから戦いを止められない。
いや、そうじゃないか。臆病であることを自覚して、だけど変えられる未来があることを知ってるから傷を増やしてでも進もうとしている」
「それって辛いことですね…」
「そうだな。お前がフェイトやはやてを救おうとした時のように、アイツも戦っている。
―――俺も、少し戦場に戻るか」
アキトはそのまま続けた。
俺は答えを知っている。
知っている上で行動しないのは逃げているだけだと。
アイツの言葉に甘んじて無関心を貫いてなのはとここで穏やかに過ごすのは確かに悪くはない。
悪くはないが―――だがアイツに全てを背負わせてしまうことになる。
「俺も…もう、そこまで臆病でいたくないよ」
◇
「ああ、そうだ。俺は…」
予備のエステバリスを乗りこなし、デルフィニウム隊のミサイル群を後退しつつラピッドライフルで迎撃。
ナデシコを第三次防衛ラインで引き留めようとしたジュンのデルフィニウムとマシルの駆る黒いエステバリスが戦闘を繰り広げる中、
高町アキトは予備の白いエステバリスに搭乗し、無理やり出撃したガイ機をナデシコに力づくで帰還させた。
「―――無関係を貫いちゃいけない」
右前方二時の方向から突撃してきたデルフィニウムの両腕とスラスターをラピッドライフルで的確に撃ち抜き戦闘不能にする。
そのまま行動不能にさせたデルフィニウムを、左方からミサイルを放とうとした別のデルフィニウムの壁にするように隠れる。
当然動かしているのは人間なので脳波を通してIFSが機体へダイレクトに躊躇する動きを伝える。
その一瞬を見逃さず、アキトは動けないデルフィニウムから飛び出してラピッドライフルで同じように両腕とスラスターを破壊する。
「回収してやってくれよ、連合軍」
ジュンの奴はアイツが上手くやってくれるはずだ。
だからこちらは任せろと、アキトは決意を抱きながらデルフィニウム隊へと向かっていくのであった。
◇
「正義だ正義だと、うるさい奴だ…」
『何だと!』
拳と拳をぶつけ合いながらマシルは冷たく呟いた。
それをバカにされたと感じたのか、ジュンは怒りを露わにして声を上げた。
「正義などどこにでもあって、誰も持っていない。
お前だってそれは知っているはずだ」
『連合軍にこそ正義はある!』
「だから好きな女が正義の敵になるのが許せないってか…」
『そうだ…!』
デルフィニウムのマニピュレーターを破壊しながらマシルは徐々にジュンのデルフィニウムを押し始める。
機体性能差は明らか、だからといって後退するジュンではない。
だからこそ、言葉で勝利をおさめる必要があった。
「なら聞くぞ、アオイ・ジュン。
お前の好きな女はこの程度のことで潔く諦める女か?」
『…!』
何をやっているんだと思う。
これではまるで、恋のキューピッドではないかと。
だが、それでもいい。
たとえテンカワ・アキトへの好意を忘れたミスマル・ユリカであっても。
「違うだろ。道を曲げずに純粋に前へと進み続ける。
周囲への迷惑も何も考えず、ただ一途に進むその姿に、お前は心を打たれたんじゃないのか?」
―――それでも、アイツが笑ってくれるなら。
<続>
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