その機動兵器も腕を失い、右目は砕け、所々で鎧に隠された弱い体を晒しだしている。
「――終わったんだな」
機動兵器のコクピットの中で男が静かに呟く。
The prince of darkness.それが彼の名前であり彼を示す言葉。
数多くのコロニーを破壊したと偽りの情報によって大量虐殺犯に仕立て上げられ、復讐という名の炎に身を焦がした悲しき青年。
「サレナ。周囲に敵の反応、及びボース粒子の反応は」
『周囲に反応ありません、マスター・アキト』
ユーチャリスのAI『ヤタガラス』をコピーしたブラックサレナのAI『サレナ』が答える。
既にラピスとのリンクを切った彼の互換を補助する人工知能。擬似的とはいえ感情というものは存在している。
そしてそれは間違いなく、操縦者である彼のことを本気で心配していた。
彼の身体は無数のナノマシンに侵され、未だ活動していることさえ奇跡に近い。
『マスター。ボース粒子反応です。大きさから戦艦クラスと思われます』
「戦艦? まさか」
彼の予想はあっていた。
宇宙の漆黒に映える白亜のボディー、前方へ大きく飛び出た二つのブレード、その名はナデシコ。新旧二代が揃ってその姿を現した。
『…アキト』
少し痩せ細ったがまだ美しい藍色の髪に同じ色の瞳。
彼の妻『テンカワ・ユリカ』
『…アキトさん』
少女から大人へと変わりつつある瑠璃色の髪に琥珀色の瞳。
義理の娘『ホシノ・ルリ』
『アキト!』
まだ幼い桃色の髪に琥珀色の瞳。
道具として扱った『ラピス・ラズリ』
誰もがも彼にとっては大切な家族だった人。だからこそ彼は自ら突き放した。
彼の行く道は修羅、あるいは羅刹の道。血に染まり、地獄への片道切符につき合わせてはならないと思った故。
「…お前達か。今更俺に何の用だ?」
だから彼は何度でも突き放す。何度も夢見た世界を見ていることを悟らせないために、彼はバイザーを深くかけ直す。
そして帰りたいという想いを押し殺した顔は、どこまでも無表情を貫き通す。
迷惑をかけるわけにはいかない。ただ、その一心のためだけに。
「ああそうか。大量虐殺犯、テンカワ・アキトを捕らえに来たといったところか」
『…アキト。もういいんだよ、そんなに無理しなくても』
「……」
バイザーの下に隠された瞳、表情は読めないが彼は心の中で笑う。
ああ、やっぱりユリカだ。と。
『アキトさん。貴方の復讐はもう終わったんです。だから……帰りましょう。一緒に、また皆でラーメン屋台を引いて』
『アキト! アキトは私が嫌いになったからいなくなったの!?』
「……くくく」
彼が初めて見せる明確な表情。それは単なる嘲笑だった。
思いもしていなかった反応に三人は困惑の表情を一瞬だけ浮かべるが、何度も接してきた彼の心はすぐに悟ることが出来た。
あれは泣いているんだと。誰かに助けてほしくて、でも自分一人で何とかしようと足掻いているだけだと。
「……何を言うかと思えばそんなことか。俺の帰る場所などどこにもない。
さっさとここから去れ。生者がこれ以上亡霊に付き纏う必要もなければ付き合うこともない」
もう言うことはないと彼は口を閉ざし、半壊になったブラックサレナを反転させてナデシコから遠ざかろうとする。
だが彼女達がここで諦めるはずがない。彼女らがここに来た理由はただ一つ、『テンカワ・アキト』を連れ戻すこと。
大量虐殺犯でもなく、The prince of darknessでもなく、誰よりも優しくて誰よりも傷つきやすい大切な人を。
『……やるよルリちゃん、ラピスちゃん』
『はい』
『ウン』
『総員第一級戦闘配置についてください! これより私達の大切な仲間、大切な人、テンカワ・アキトを拿捕します!!』
『こちらも同じく第一級戦闘配置についてください。サブロウタさん、リョーコさん、ヒカルさん、イズミさん、頼みます』
『待っててアキト』
大切な仲間、大切な人、かつての仲間達の名前。そのどれもが彼の心に響き渡る。
だからこそだろうか、彼がより一層無表情になったのは。
「サレナ、ジャンプ準備。場所はランダムだ」
『しかしマスター……』
「いいんだサレナ。俺はもう持たない。それに、こうやって喋っていることも実は辛いんだよ。
多分、いや確実にユリカ達の所に行ったその時俺は――」
そこから先の言葉を紡がれることはない。最早、その機能ですら使うことも難しくなってきていたのだから。
それでもI.F.Sコネクタを握る手を離さなかったのは奇跡とでも言うべきか。
『――わかりました。ジャンプの準備、開始します』
主の言葉、身体のことを考えて『サレナ』はボソンジャンプの体勢に入る。
虹色の光が漆黒と桃色が半々混ざった機体を包み、聞こえるはずのない甲高い音が宇宙の中を木霊する。
『アキト!』
『アキトくん!』
『お別れにしては早いわよ』
『これ以上、ウチの艦長を悲しませるようなことすんなっての!』
リョーコ、ヒカル、イズミ、サブロウタの声。
彼の仲間、かつては敵だったもの、そんなもの関係なく彼に呼びかける。
「――もういいんだよリョーコちゃん、ヒカルさん、マキさん。俺はこれ以上生きてはいけないんだ。
それにタカスギ。ルリちゃんを見守ってくれてありがとう」
彼らの言葉でゆっくりと剥がれ落ちていく心の鎧。
心の奥深くに押し込んだ心優しき青年がその顔をのぞかせた。
『アキトォ!!』
「…ラピスか? エリナやイネスさんとちゃんとやれよ?」
バイザー越しですらぼやけてきた視界に映る桃色の髪。それだけでしか今の彼はそこにいるのが誰か判別出来なくなっている。
それは『サレナ』とのリンクですらカバーすることが不可能なほどの衰え。そして生命の灯火が消えることを意味している。
『サレナ! 今すぐジャンプを停止して!!』
『その命令に従えませんラピス。もうマスターは限界なのです。だから、マスターの御意志にのみ私は従うことを決めました』
どちらも一人の男を想う者。故に交わることのない平行線で終わる。
『アキトさん!!』
『「ルリちゃん? はは、大きくなったね。君の花嫁姿、見たかったなぁ」』
所々擦れてしまうためにサレナによって、リアルタイムで通訳――補助的なものが入る。
『今からでも遅くはありません! ですから……ですから帰ってきてください!!』
『「もうダメなんだよ。だからゴメン」』
宇宙に木霊する音が大きくなる。それに比例してブラックサレナを包み込む虹色の光がより一層激しく輝く。
刻一刻と近づいてきたタイムリミットが、今終わりを迎えようとしているのは誰の目から見ても明確。
『――アキト』
見えない聞こえない喋れない。満身創痍なんてレベルを超えた彼の耳に、まるでそれだけが唯一の音のように響く最愛の妻の声。
姿を映すはずのない瞳に映るその顔は、誰よりも凛々しくて悲しげで―美しい。
「……リカ…? …ま…いな、ちゃ…とした…行も生活…さ…てやれ…くて」
『うんうんいいんだよ。私はアキトが私を助けるために必死になってくれたことが嬉しい。こうやって話せるのが嬉しい。また会うことが出来て嬉しい』
夫婦としての絆がそうさているのか、サレナが通訳をしなくても二人の会話はしっかりと繋がっている。
「何…言っ……のか、…う…き取れ…い。ユ…カ、お…と…緒になれ…こ…を…は絶対…忘…ない」
『私も……忘れないからね。ばいばいアキト。サレナちゃん、アキトをお願いします』
ばいばい。ユリカの口から出たその言葉に驚き、はじけるように彼女に何てことを言うんだと振り返るルリとラピス。
だが、その言葉が紡がれることはなかった。彼女は――テンカワ・ユリカは泣いていたのだから。悟ってしまったから、もうあの人は帰ってこれないと。
だから彼女は見送る言葉を選んだ。それが、妻として一人の女として最後の役目。
『ミス、いえミセス・ユリカ。貴女の言葉、確かに引き受けました』
その言葉が皮切りとなった。
ゆっくりとブラックサレナの周囲に渦巻いていた虹色の光が、うねるように大きな渦を巻いてブラックサレナが陽炎の如く揺らめいていく。
それは通常のボソンジャンプとは明らかに異なるもの。ランダムジャンプという不確かなものを行おうとしているからだろうが、それにしてはあまりにも 異なりすぎていた。
それでも彼の心は、機械の心は穏やかだった。遠くで何かが慌てるようなものをBGMにして、機械の心は決断を下す。
『ジャンプ』
命の灯火が消える寸前、彼は――テンカワ・アキトは確かに聞いた。
いってらっしゃい。
最愛の妻の言葉を。
そして、本来ならばここで終わるはずだった彼の数奇な運命は、一人の青年によってまだまだ続くことになるのだった。
Summon Night
-The Tutelary of Darkness-
プロローグ
完
あとがき〜 ええっと初めまして。ワタクシ、焔改め、火焔煉獄と申します。
今までちょこちょこっとSSは書いているんですけどサモンナイトは初めてで、実質はドの上に超がつく素人です。
この度は黒い鳩さんのSSに触発されて……というか、純粋に書きたくなったんで手を伸ばしたわけです。
そのためか稚拙なところが多々あると思いますし、何度も同じ繰り返し表現があったりしますけど……勘弁してね(爆)
それでは、次の作品でお会いいたしましょ〜〜〜
あ、ワタクシの作品は時折コメディなノリが入りますが、基本的にシリアス〜な感じなので。