彼らは大量に実験材料となる召喚獣を呼び出すために、『喚起の門』と呼ばれる巨大な門を作り上げた。
毎日繰り返される実験の日々。苦悶と恐怖と苦痛の声だけが毎日、その島に響き渡っていた。
だが、それを良しとしない一人の青年が立ち上がった。
「ハイネル。そいつ、気がついたか?」
それが彼、ハイネル・コープスである。彼はこの島に住む召喚獣たちのことを、常に真剣に考えて平和への道を進む心優しき青年である。
その彼に話しかけたのは額に立派な角を生やした鬼妖界シルターンの鬼人、轟雷の将と呼ばれる英傑リクトである。
彼を守る護衛獣の一人であり、派閥を裏切って個人で戦う彼には心強い仲間だ。
「まだだよ……彼女が言うにはナノマシンっていう微小の機械の影響だって言ってるけど……」
その二人の前、医療用のベットで静かな寝息を立てている青年がいた。
全身に余すことのない漆黒のボディスーツに漆黒のマント、トドメとばかりに顔の半分を隠すバイザーで、怪しさ120%は確実に保証される男。
誰だそれ? 何て言わずともわかるだろう。その青年とはテンカワ・アキトその人である。
「ったく、あんだけ美人の姉ちゃんを心配させといて呑気に眠り続けるたァ、なかなかいい根性してるよな」
うりうりとアキトの頬をいじりまくるリクト。
ハイネルが苦笑しながらやめさせようとしたその時、後ろの扉が開き忍者としましま模様の獣人が入ってきた。
「リクト様、無色の派閥は撤退いたしました」
「そっか。ありがと」
ハイネルに対して報告を行った鬼忍者の名はキュウマ。
彼はリクトに対し絶大な忠誠を誓っており、ハイネルがリクトを召喚したとき無理矢理ついてきたらしい。
「どうするハイネル。敵さんもそろそろ本腰を入れてきたこっちに来やがったぜ? さすがの俺も今回ばっかは冷や汗かいちまった」
口調は切羽詰ったものだが、態度はとても面倒くさそうな幻獣界メイトルパの虎型の亜人、フバース族のヤッファ。
いつでも面倒くさそうにしているが、戦闘時において彼の直感や戦闘力は目を見張るものがある。
「こうなることはわかっていたんだ」
「でも諦めるわけにはいかない。いつか本当の自由を勝ち取るまでは、だろ?」
もう耳にタコが出来るほど聞いたハイネルの言葉を真似するヤッファ。
誰もが鼻で笑うような甘い理想。しかし、それに賛同したからこそヤッファ達はハイネルの元にいる。
彼らの目指すべきその道が、茨の如く険しい道になることを重々承知していながら。
何とも言えず暗い沈黙に包まれた部屋の扉が開き、二人の美女が入ってきた。
どちらも融機人と呼ばれる半人半機だが、見た目は正反対。
片や純白ワンピースのメガネ美人、アルディラ。彼女の手にはいくつもの紙の束が握られている。
「? どうしたの三人とも。妙に暗いわよ」
「もしかしてマスターの身に何かあったんですか!?」
部屋に満ちる妙な雰囲気に首をかしげるアルディラ。冷静なアルディラに対し、もう一人の女性が焦ったように叫ぶ。
彼女こそブラックサレナのAI『サレナ』である。何の因果か、この世界に来た時にアルディラと同じ女性型融機人の身体を持ち、彼女はアキトを守るよ うにその上に覆いかぶさっていた。
これにはさすがのハイネル達も困惑した。機界の者と名も無き世界から呼ばれた者が一緒に召喚されたことなど、未だかつて一度もなかったのだから。
加えて融機人はアルディラ以外ごく少数しかおらず、アルディラも見たことの無い融機人に眉をひそめるばかりだったのは彼ら記憶に新しい。
「そういうわけじゃねェんだよ。俺らの目的を再確認しただっつーか」
「まあそういうことだ。あんたが心配するようなことにはなっていないから安心しな」
リクト、ヤッファの言葉に安堵するサレナ。彼女にとってアキトは守るべき主であり、かけがえのない人でもある。
このあたりはラピス――と、いうよりもラピスの教育したヤタガラス――の影響が色濃く出ているのかもしれない。
「それで何かわかったのかい?」
「一応はね。正直言うとこんなことをした連中の気が知れないわ」
普段から感情を面に出さないアルディラが、珍しく怒りの感情を面に出した。
その反応に、よほどのことがあったことを悟ったハイネルは静かに続きを促す。
「正直なところ、今こうやって生きているだけでも奇跡なのよ、彼。
脳を始めとした全ての内臓、それどころか筋肉、血管、神経、細胞に至るまでナノマシンに侵されて五感に大きな障害があるわ。おまけにどれも元は悪性 のものばかりでね、下手に取り除けば何が起きるかわからない。
とりあえず視覚と聴覚は彼のしているバイザーで何とかなるんだけど……他のは、ね」
サレナ以外、そこにいる誰もが言葉を失った。どんなものでも生きている以上は五感に頼って生きている。
人なら視覚、犬なら聴覚や嗅覚といったように。
だがそれが無い、それだけで生きることがどれほど辛いことが想像に難くないだろう。
「それにもう一つ。これは喜ぶべきなんだろうけど……細胞単位で同化したナノマシンが彼についた傷を一瞬で治していくのよ。
新陳代謝なんて呼べるものじゃなく、規格外なんてレベルですら遥かに超えているのよ」
「何とか……ならないのかい?」
アルディラは首を横に振る。ロレイラルの技術をもってしても無理だということ、それはリィンバウムでは決して治せないことと同義。
「――余計なことはするな」
沈痛な面持ちのハイネル達に届いた、冷たく感情のこもらない男の声。
「いけませんマスター! まだ動いてはナノマシンが!!」
「医者としてもそれを薦めるわ。今はおとなしく寝ていなさい」
「自分の体は自分が一番よくわかる」
二人の制止の声を無視してアキトは上体を起こす途端、体中に走った激痛に顔を歪めるもそれは一瞬。また元の無表情を作り上げた。
一度は剥がれた心の鎧を、見知らぬ者ばかりの地でまた纏うのも仕方の無いことだろう。
「五感が不自由になってのは今に始まったことではない。治す必要もない」
「それは本当に君の本心なのかい? テンカワ・アキト君」
「――どういう意味だ」
アキトの体から湧き出る殺気にヤッファとアルディラ(リクトとキュウマは周辺の哨戒に行ってるのでいない)が即座に戦闘態勢をとるが、
「下がって二人とも。驚かせたなら謝るよ。僕はハイネル、ハイネル・コープス。
ここっちの獣人はヤッファ。僕の後ろにいるのは融機人のアルディラ。君の事は君の横にいるサレナさんから全部聞かせてもらったんだ」
「サレナ…?」
獣人や融機人といった聞きなれない単語に内心で首をかしげ、さらに機械のサレナがどうして出てくるのかと真横を振り向き――思考が停止した。
アキトと同じように漆黒の鎧――騎士のようなフルプレートではなく、弓兵のように胸を保護するハーフプレート、手首から指を包む篭手、足を全て隠す ロング スカートとかなり軽装の――を纏い、鎧と同じ漆黒の髪は腰よりも長く一房だけがポニーテールのように一本に纏められいる。そして燃えるような真紅の瞳が特 徴的な女性。
それに雪のように真っ白な肌が、漆黒の鎧と合わさって彼女の美しさを幻想的なもの。ただ、右目に巻かれた包帯がとても痛々しいが、涙で潤むその瞳が 包帯の痛々しさを完全に打ち消している。
だがアキトが驚いたのはそんなことではない。その姿はラピスが暇つぶしに作ったホログラムとあまりにも似ている。そして、どことなく彼が一番愛した 人にも。
これにはちゃんと理由があり、サレナの記憶部分においてユリカが大部分を占めていたことに由来する。特に、あの最後の凛としたユリカの姿が彼女の AIに深く刻み込まれていた。
「本当に……サレナなのか?」
「はい! 理由はわかりませんが肉体を得て、こうしてマスターと話が出来るなんて……」
思わずの目の端に浮かんだ涙を拭い、彼女は笑う。その笑顔は女神とさえ思わせる。
「どうしてAIだったはずのお前が肉体を」
「そのことについては僕が説明するよ」
どこかで誰かが説明という言葉に反応したらしいが、ここにいる者は気づかない。
「確か、ハイネルといったか」
「覚えていてくれて嬉しいよ。最初に言っておくけど、これから言うことは全て真実だから」
訳が分からないといった風のアキトだったが、あまりにも真摯な顔で、目で言うハイネルにどうやらまた大変なことに巻き込まれたことを自覚し、アキト も無かった表情を変えて真剣な表情を作る。
ありがとうとハイネルは頭を下げ、リンバウムのこと、アキトとサレナが名も無き世界と呼ばれる場所から召還されたこと、恐らくその影響でサレナが肉 体を得たこと、自分達が戦争をしていることをも全て話した。
そして、アキト達が元の世界へと帰る手立てがないことも。
「――ククク、ハハハハハ!!」
『!?』
突然、嗤い出したアキトに驚くハイネル達。帰れないと知って気でも狂ったのかと心配になり声をかけようとしたその時だった。
「ハイネル殿!!」
余程、急いできたのだろう。額はおろか全身に玉の汗を浮かべ肩で息をしているキュウマが入ってきた。
「キュウマ!? 一体どうしたの!!」
「無色の派閥です!! 里が襲撃され、多数の犠牲者が出てしまい、今リクト様がお一人で皆を守りながら戦っており私が早急に知らせねばと参りまし た」
「ち、もう来やがったか! ハイネル、俺は先に行ってるぜ!!」
弾かれた弓のように飛び出すヤッファ。普段のやる気のなさからはかけ離れた俊敏な動きで、瞬く間に彼らの視界から消えていった。
「僕たちも行こうアルディラ!! アキト君、君はサレナさんとここにいてくれ。ここなら安全だから」
それに続く形でハイネル、アルディラが飛び出していく。
その後ろ姿を見送り、アキトはまた嗤い出した。あれほどたくさんの人を殺し、死しかなかった自分がどうして生きているのかと。
大切な人たちから差し伸べられた手をはねのけ、空となった心で殺戮の限りを尽くした自分が、五感を無くしたとはいえこうやってまた生を謳歌している ことは滑稽以外のなにものでもない。
「ハハ――ハ。サレナ、確かあいつらは戦争をしているといったな?」
「はい。この島の住人を無色の派閥から解放するために」
アキトは考える。ここはどことなく自分のいた世界と似ていると。
自由を勝ち取るために戦うハイネル達はかつての木連。それを阻む無色の派閥は地球軍。一方的な虐殺とあまりに自分勝手な振る舞いまでよく似ている。 いや、似すぎている。
それにアキトはハイネルの目が嫌いではなかった。どこまでも真っ直ぐで、どこまでも光り輝くその瞳は、大切な人と全く同じなのだ。
「サレナ。戦闘区域は探知出来るか?」
「? マスター? 確かにそれは可能ですが」
「どうやら俺も変わっていないらしい。それに今を生きようとする者を蹂躙するものを阻むのは、亡霊となった俺の仕事だ」
笑う。今度は自嘲めいた嗤いなんかじゃない、心からの澄んだ笑み。
復讐者として生きることを決めてからアキトはこんな笑いはしたことがなく、当然それを間近で受けてしまったサレナの頬は一瞬で真っ赤に染まった。
それを見たアキトが不思議そうに問う。
「どうしたサレナ。顔が赤いようだが機械でも風邪はひくのか」
「……い、いえ!? 決してそのようなことはありません!! ただ、マスターがそのように笑われたのを初めて見ましたので……」
言葉すぼみになっていくサレナとは対照的にアキトは驚いていた。
感情なんてものは真っ先に捨て去ったはずだというのに。ふと、自分の顔に触れてみる。
皮膚の感触こそほとんど――いやまったくわからないが、感覚としてわかる。唇が笑っていることに。
「俺もまだこんな顔が出来たんだな……」
呆然としながら、それでもどこか嬉しそうなアキト。
「マスター、これを」
その姿に微笑むサレナが差し出したのは一挺の銃と一本の日本刀。
彼と同じ漆黒の体を持つ銃の名はカシアム。
小太刀ほどの刃渡りしかない刀の名はアルヴァ。
どれもアキトと共に幾多の人間の血を吸った殺人道具。罪のある者も罪のない者も関係なくその命を奪っていたアキトの罪の象徴。
だが、今はこれがあることがどれほど心強いことか。生を狩るためではなく、生を狩るものを狩るための二つの存在が。
「行くぞサレナ。何故か今日は体が軽い」
「はいマスター」
The prince of darknessの笑みを浮かべて、アキトは走る。その速さはヤッファと同等、あるいはそれ以上のもの。
ナノマシンによる身体能力の向上。五感を失った代償にもたらされたのがそれだった。
そして、それに追随するサレナの足にはブラックサレナと同じブースターが備わっている。
部分具現化。融機人の体を得たサレナにもたらされた特異な能力である。
何故それが使えるのかは彼女自身にもわかっていないが、今はそんなことを気にしている時ではないのだ。
そこはさながら地獄絵図のようであった。
老若男女、一切関係なく襲われて命を奪われていく悪夢のような光景。
既に抵抗する気力が失せていようが彼らには――無色の派閥には何一つ関係はない。歯向かうだけで死罪に価する。
「くそ! さっきからキリがねえぜ!」
「他の場所でも皆が戦っておられます。今はとにかく防ぐしか…!」
どれだけ敵を倒してきたかわからなくなってきたリクトとフレイズが叫ぶ。彼らの後ろには怪我をして歩くこともままならない獣人達。
攻めるだけの戦いであるならばリクトもフレイズもここまで手こずることはない。だが、守る戦いというのは攻めることの何倍も難しく、そして疲れやす い。
「おい嬢ちゃん! まだ終わらないのか!?」
後ろを振り返り、ピコリットで怪我した者達の傷を癒している少女――ファリエルに向かってリクトが叫ぶ。
「もう……少しです」
もう何度も呼び出し、全身に疲労がたまっているせいで回復が遅い。それでもファリエルは必死に治療を施し続ける。
元々、彼女は前線で戦うことを主にする戦士であり、召還術はそれほど得意というわけでもない。
だが彼女の兄、ハイネルの夢のために、何よりも目の前で傷ついているものを放っておけるわけはなかった。
「……これで最後…です」
大きく息を吐いて額の汗を拭ってファリエルが告げる。
それで緊張の糸が切れてしまったのか、それともよほど慣れない召喚術で肉体を酷使したせいなのか、彼女は意識を失ってしまった。
戦場においてそれがどれほど危険で迂闊な行為であることか、それは言わずもがなだろう。そして、暗殺者である無色の者達がその一瞬を見逃すはずはな い。
「シャアアアアァァァァアアァァアァァ!!」
「!! 嬢ちゃん!?」
「ファリエル様!!」
リクトとフレイズが叫ぶ。だが、ファリエルは肩で大きく息をするだけで起きる気配がまったくない。
彼女の周りにいるのは戦えない者だけ。それでも彼らは彼女を守ろうと、暗殺者の前に立ちふさがる。それがいかに無意味なことであるのかを知りながら も。
暗殺者が手に持つ刀を振り上げ、誰もが最悪の状況を覚悟したその刹那、
「何をしている」
漆黒の小太刀がそれを受け止める。突然の乱入者に驚き暗殺者は即座に距離を取ろうと後ろに下がる。その一瞬の隙をつき、アキトに追随していたサレナ がファリエルを抱き上げ、彼女を守ろうとしていた獣人達にしっかりと預ける。
突然の侵入者であるアキトに気を取られていたせいで背後に迫っていたリクトに気付かず、暗殺者は一刀のもとにやられてしまった。やられ役はどこまで いってもやられ役にしか過ぎない一幕である。
これで息を吹き返した戦場は島の住民達の勝利で終わった。中でもアキトとサレナの戦闘力はこの島に存在する誰よりも遥かに高みにあり、ほとんどが彼 らの活躍といっても過言ではないだろう。
陽炎の如く一瞬で視界から消え失せ、現れたと認知した瞬間には木か地面に叩きつけられる。そんな神出鬼没な戦い方をされては、誰も対応することは不 可能である。
「行くぞサレナ」
「はいマスター」
周辺にいた敵を全て排除し終えたことを確認し、二人はすぐさま別の戦場へと渡る。
この日、戦場を翔る二つの漆黒の人型は無色の派閥にとって新たな脅威となった。
だが、いくら一騎当千の将が増えようともたったの二人。戦いは質よりも量。後方支援のしっかりとされている無色の派閥、後方支援の少ない島側。
長期戦となったこの戦いの結果は、火を見るよりも明らかなものだった。
そしてアキト達が戦い始めて一週間が過ぎた――
「ハイネル殿。リクト様が……お亡くなりになられました」
悲痛な面持ちでキュウマが告げる。
彼は皆を逃がすために最後まで戦い、そして致命的な怪我を受けてしまった。
誰もが彼の死を悼み、言葉一つ告げられない中でたった一人だけが口を開いた。
「それでどうするつもりだ。このまま全員が死ぬまで戦い続けるか? それともごめんなさいとでも言って許しを乞うか?
もっとも、戦える奴が一人減った以上はこの戦いは負けることが目に見えている」
アキトだった。
肩をすくめ、侮蔑するような言葉を浴びせる。無論、それを聞いて黙っていられるヤッファやキュウマではない。
各々の得物を構えてアキトへと迫る。ヤッファの爪を拳の裏で腕ごと叩き落し倒れたヤッファの首を動かないように足で押さえ、キュウマの太刀を小太刀 『アルヴァ』の切っ先でそらし器用に回転させて喉元に突きつける。
どちらも自分がどうやって負けたのか認識できないほどの速さだった。
「事実を指摘されて怒るようでは駄目だな。そして弱く遅い」
ヤッファの首の上から足をどけ、小太刀を腰の鞘に収めてアキトは壁にもたれかかる。
「ヤッファ、キュウマ、やめるんだ。
……それに僕に考えがある。うまくいけばこの島を守ることが出来ることも、君たちが傷つくこともなくなるから」
「何!? お前まさか!?」
ハイネルの言葉に、ヤッファが身を乗り出す。
「ふざけんなよハイネル!! てめえがあれを使ったら!!」
「わかてるんだ。でも……もう決めたんだ」
「……ちっ、馬鹿野郎が!」
ヤッファは軽い舌打ちと悪態を吐いて、部屋から出て行く。
「ハイネル殿。今からでも遅くはありません、お考えを改めてください!」
「ごめんキュウマ」
真っ直ぐにキュウマを見るハイネルの瞳に濁ったような輝きはなく、あるのは初めて会った頃から変わらない真っ直ぐな輝きと、決意を固めた男の瞳だっ た。
ハイネル・コープスという男は自分でこうと決めたことは決して曲げようとはしない、そんな男なのだ。その彼がここまで決意を固めた以上、キュウマに 何かを言うことが出来なくなってしまった。
「本当に……やるのですね?」
ハイネルは頷く。
「わかりました。そこまでのお覚悟があるのならば私は止めはいたしません。ですが! 必ず生きて戻ってきてください。約束ですよ」
ハイネルに振り返ることなく、キュウマも部屋から出て行く。
二人がいなくなったのを確認してから、ハイネルはアキトの方へと頭を下げる。
「――ごめん。君にあんな嫌な仕事を押し付けたりして」
「気にするなと言ったはずだぞハイネル。俺は元からああいった性格、大した抵抗も感じなかった上に奴らが弱いの事実。
それに嫌われ者も必要なんだよ。いつの世でもな」
「……アキト君」
「それにだ、ハイネル。俺はお前が何をしようと一切興味はない。
だがこれだけは言っておこう。別れの挨拶ぐらいはしておいた方がいい。特に自分にとって大切な人には、な」
そう言い残しアキトも部屋から出て行き、アキトと入れ替わるようにアルディラが入ってくる。
(お前には俺のような思いをしてほしくないんだよ)
決して表には出さない、自分の心を隠したままで。
「君は本当に優しい人だ。君に会えて本当に良かったよ。それと……皆のことをよろしく」
そのアキトの背にかけられた言葉に、彼は手を上げて応えるのだった。
アキトが去ってしばらくした後、彼と入れ替わるように入ってきたアルディラ。
二人は何かを言うわけでもなく、ただただ見詰め合っていた。やがて、アルディラが静かに口を開く。
「――ハイネル」
「ごめんよアルディラ。でもさ」
唐突にハイネルの言葉が止まる。彼は自分が何をされたのか理解出来ないほど驚いていた。
冷静で常に一歩引いた位置から皆を導くお姉さん的な存在、そんなアルディラが目に涙を浮かべてハイネルの胸へと飛び込んでいったのだ。
「馬鹿――貴方は本当に馬鹿よ。何でも自分一人で決めて……一人で背負い込んで……もっと周りの人に……相談ぐらいしてよ」
「アルディラ……」
「さよならなんて……言わないから」
「うん。必ず帰ってくるよ。その時は――」
肩を震わせるアルディラをしっかりと抱きしめ、ハイネルは彼女の耳元で一言二言呟き、二人は口付けを交わす。
いつまでも離れないようにと。いつまでも一緒にいられるようにと。
一体どれだけの間、二人はそうしていたのだろうか。どちらからというわけでもなく、自然に二人の距離が大きくなっていく。
「行って来るよ、アルディラ」
「私、いつまでも待ってるから」
だが二人の想いが再び交わることは、二度となかった。
ハイネルの前から去ったアキトは一人で砂浜にいた。
五感が不完全なせいで第六感が鋭敏となり人の気配を察したりする能力が格段に上がった今のアキトは、島の四分の一程度ならば誰がどこにいるのか詳細 に掴むことが出来る。
だからこそ気付いた。ここに住む者達にとって中心となっていた者の気配が完全に消えたことに。
彼らとの付き合いは一週間程度の短いものではあったが、アキトにとってその短い間というものはかつての失ったものを取り戻すには充分過ぎる期間でも あった。彼らは……まだ幸せだったあの頃によく似ていたのだから。
「……不甲斐……ない!!」
砂浜に拳を叩き付ける。その衝撃で砂浜に巨大なクレーターが出来るがアキトにとってはそれすら関係ないこと。むしろそれが恨めしく思えてならない。
「また……守ることが出来なかった。これだけの力を持っていながら…俺は!!」
砂浜を叩く拳に力がこもりその度に砂粒が空を飛び散り、アキトの漆黒の身体を白色に染め上げていく。
それはまるで死んでいった者を見送る神聖な衣装にしているかのように。そしてアキトの顔に浮かぶナノマシンの軌跡が彼の慟哭の深さを物語っている。
「――何が闇の王子様だ。何が黒衣の死神だ。どんな風に言われようとも結局は身近な人を一人も守ることが出来なかった……ちきしょう、ちきしょうち きしょうちきしょうちきしょうちきしょうちきしょぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
普段は表に出すことのない感情をさらけ出す。絶対に見せることのない涙まで流れ落ちて渇いた砂浜を湿らせていく。これがアキトの流す最後の感情を全 て飲み干していくかのように。
「――マス…ター」
その姿を木陰から見ているサレナもまた泣いている。
彼女とアキトのリンクは完全に切れてしまったわけではなく、どちらの意思とも関係なくかなり深い部分で繋がっている。
そのためアキトの感情が激し高ぶった時は直にサレナへと伝わる。アキトがいくら顔には出さず心の奥深く底に押し込めようとも。
今のアキトの心を占めているのは深い悲しみと悔しさ。 彼の慟哭は夜の間いつまでも続いたのだった。
そして夜。この島を守るために立ち上がった一人の青年の姿が、島から消えた。
Summon Night
-The Tutelary of Darkness-
第一話
『ここから全ては始まった』
完
あとがき〜
いいですよねえメガネ美人って。ナデシコのメガネキャラじゃあ……あれだからねぇ。
アキトとサレナが飛ばされたのはアティさん達が来る前の島。彼らには初めから島の住民という設定で頑張ってもらいましょう。
ちなみに肉体を持ったサレナ。かなりバインでキュでボインです。美人です。
次回からはアティ先生達が出てきます。ようやく(?)本編に突入しますので。
それでは
ちょこっと設定。
カシアム。アザミの学名で表記はCirsium japonicum と書きます。花言葉は復讐。
アルヴァ。ユウガオの学名で表記はCalonyction aculeatum と書きます。花言葉は罪。
英語の読みは適当なんで気にしないでください(爆)